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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2020年07月17日

未来塾(41)「日常の取り戻し」を学ぶ 前半 

ヒット商品応援団日記No768(毎週更新) 2020.7,13




コロナ禍から学ぶ(2)

「日常」の取り戻し

セルフダウンからセルフフリーへ、
危機に現れるヒット商品。
そして、2つのテーマ、「観光」と「生活文化」。



2ヶ月ほど前にこの危機をとにかく生き延びて欲しいとの思いから、歴史からその知恵を学んで欲しいとブログに書いたことがあった。それは公的支援を受けることは勿論だが、例えば飲食店が店内飲食を中断し、テイクアウトの弁当店を行うことによって少しでも売り上げの補填をして経営を持続させていくといったことであった。

しかし、こうした「持続」を断念する老舗が数多く出て来た。その象徴が東京歌舞伎座前の弁当店「木挽町辨松(こびきちょうべんまつ)」の廃業であろう。152年の歴史を持つ弁当店で、歌舞伎座や新橋演舞場などの役者さんや観劇用弁当として愛され続けた老舗である。廃業のきっかけは新型コロナウイルスによる売り上げ減少が大きく影響したようだ。大阪でも今年創業100年を迎える「づぼらや」が9月には店を閉じるとの発表があった。大阪の人には馴染みのある店で、復活した新世界のランドマークにもなっている店である。「食い倒れの街大阪」を代表してきた老舗で、安い値段で気ままに、ずぼらにフグを食べてほしいという願いが店名になったと聞いている。この2つの老舗共に、アフターコロナ、つまり「明日」が見えてこなかったということであろう。こうした現象は巣ごもり消費が続く中、先が見えないことからの廃業で、いわゆる経営破綻・倒産としてのそれではなく、ある時を持って店を閉める幕引きである。

ところでやっと新型コロナウイルスとの次なる戦い、「出口」戦略が始まった。新しい「生活様式」という感染を防ぐ一つのガイドラインが提示されているが、そのまま生活に組み込まれることはない。その意味するところは前回書いたように「ロックダウンではなく、セルフダウン」、つまり個々人の「自制」されたライフスタイルとなる。そして、誰もが数ヶ月前の生活とは「どこか違う」ものになるであろうと予感している。それはテレワークと言った単純な「違い」ではない。今テレワークが注目されているのは、業種にもよるが専門職化の辿る道の一つであり、ある意味フリーランス化でもある。いずれ働き方の変化については取り上げてみるつもりである。
そして、この「出口」戦略は周知のようにベトナムとの往来が始まり、7月にはEUや台湾との間でも往来が解禁される見通しとなった。時期尚早との判断もあるが、国内のみならず限定的ではあるが世界との移動が始まっている。

検証すべきコロナ禍4ヶ月間の意味

「出口」戦略とは当然「入り口」があっての出口で、その入り口は大きく言えば外出自粛と休業要請、つまり移動抑制である。マーケティングを専門とする私にとって、「何事」かを実施すれば、必ずその結果が得られ、それは妥当であったかという検証が必要とされる。出口とはその検証に基づいて行われるべきである。
そして、今見極めなければならないと考えていることは、今回のコロナ禍によって、例えば1990年代初頭のバブル崩壊による大きな価値観の変化と同様のことが起きるかどうか、あるいはその後の2008年のリーマンショック、更には2011年3.11東日本大震災後のように、「今まであった生活」を取り戻すような一種の「生活回帰」のようか変化となるのか、その変化が目指す「先」は何であるのかということの見極めである。勿論、後者の場合でも数ヶ月前の生活とは当然変わってくるのだが、前回の未来塾にも書いたがiPS細胞研究所の山中伸弥教授が提言しているような新しい視点「ファクターX」には、この日本人固有のライフスタイルが他国と比較しその致死率や感染率の低さの原因の一つが潜んでいるのではないかという意味も含まれている。例えば、中国武漢での感染を拡大させた原因の一つとして中国武漢での伝統の大宴会にあったと報じられているが、これは中国における直ばしで食べる大皿料理の文化である。少なくとも日本の場合は円卓の場合は少なく、しかも大皿であっても取り箸が用意され、直ばしということはほとんどない。現在、スーパーなどでの惣菜売り場はほとんどが個包装になっており、過剰なまでの売り方となっている。感染のメカニズムが今だに接触・飛沫感染と言った抽象レベルのものであり、例えば飛沫感染の具体的なメカニズム、発症数日前のウイルス量が多いという報告はされているが、その防止策と言えば医師が使うような仰々しいフェースシールドの着用といった具合である。こうした日常生活においてもっと簡便に生かされる「知見」が求められているのだが、やっと「ファクターX」という視点を含めた新型コロナウイルス制圧を目的としたタスクフォースが5月末スタートした。日本における知性が結集し、連帯して戦うということである。

移動抑制の検証こそが安心産業である観光の一番の担保となる

新型コロナ対策として、旧専門家会議から「8割削減」が提言されてきた。人との接触を8割減らすということで、10のポイントが公表され今日に至っている。この中には周知のテレワークの推進をといったオンラインの活用によってであるが、介護現場のように業種や職種によっては「接触」しないことには先に進めないものも数多くある。
この「8割削減」の延長線で「新たな生活様式」が提言されている。例えば、
・公園はすいた時間、場所を選ぶ
・すれ違うときは距離をとる
・食事は大皿を避けて、料理は個々に
・対面ではなく横並びで座る
・毎朝、家族で検温する
といったものだが、この間4ヶ月半近くにもなるが、この「8割削減」によってどれだけ感染防止に役立ったかその明確な「根拠」は今だに明らかにされてはいない。生活者の多くは季節性インフルエンザの対策の延長線上で自衛するだけとなっている。すでに感染の背景の大きな要素となる移動におけるデータはGoogleやドコモ、あるいは各鉄道会社の乗降データがあり、感染防止の効果がシュミレーションできるはずである。この「8割削減」は欧米のような都市封鎖(ロックダウン)」できない日本をその代わりのものとして目標化されたものであることが後に分かってきている。
ちなみに移動自粛による経済損失については観光バス業界やタクシー業界の苦境は報道されているが、交通産業全体としての損失はほとんど報道されてはいない。専門家の試算の一つでは全国の公共交通事業の損失は年間最小3.5兆円〜最大8.3兆円の減収になると。経営面での医療崩壊が心配されているが、8月には交通崩壊の危機がやってくるという専門家の分析もある。

ところで8月以降観光産業の復興を目的とした「GO TOキャンペーン」が予定されている。これも「出口」戦略の一つであるが、「どれだけの自粛による行動削減」によって、感染が防止されたかと言った数字が必要とされ、その数字を基にした根拠によって、観光という移動における「安心」が担保される。
例えば、大阪のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)」が段階的にオープンされたが、こうした行動の抑制・自制がどの程度感染抑止効果があったかなど検証する視点を持って再開されたことと思う。旧政府専門家会議ではこうした課題に全く答えていないが、大阪府にも独自な専門家会議がある。今回は詳しくは取り上げないが、第二回の会議の議事録がHP上に公開されている。「大阪の第1波の感染状況と今後の方向性」と「K値による大阪のCOVID-19感染状況の解析」には、「自粛」によって感染がどれだけ防止できたかといった視点で分析がなされている。
つまり、今までなかった視点での「検証」である。その中で多くの移動や休業といった自粛要請は感染防止には効果がなかったと指摘する専門家もいる。「過剰な自粛」は不要であったという指摘である。大阪府民にもわかるように分析されたものだが、是非一読されたらと思う。
ところで観光という行動の広がりと感染の広がりとの関係をぜひ検証して欲しいものである。こうした多くの人が理解できる根拠ある検証が観光という安心産業を再開させ活性化させるものとなる。
そして、この先には何があるかと言えば、USJに即して言うならば行動の広がりは近畿圏となり、更には日本全国へと、そしてかなり先にはなると思うが、世界・インバウンドビジネスも視野に入っていくであろう。こうしたUSJの試みは一つの移動モデル、安心観光モデルとなり東京をはじめとした他の都市観光の良き指標となる。

政府専門家会議が廃止され、新たな組織ができることとなった

6月24日、以上のような発表が政府専門家会議の記者会見と並行して行われ「廃止」が発表された。専門家会議には事前に政府から知らされていたようだが、一番大事な国民へのメッセージであるリスクコミュニケーションがうまくなされていないことが今回の記者会見でも明らかになった。専門家会議の座長は政府との役割分担が明確になされず、危機感から「前のめり」になってしまい政策があたかも専門家によって決定されているかのように見えてしまった」と発言。この発言は、厚労省クラスター班の北大西浦教授の発言である「このままだと42万人が亡くなる」「指数関数的な感染の爆発的広がり」といったショッキングな発言が数多く流されてきた。こうした発言のほとんどがクラスター班と専門家会議両者による記者会見であったことを踏まえてのことであった。つまり多くの感染症の専門家がネット上を含め様々な発言がなされ、特にTVメディアの番組出演を通しこの西浦発言を援用して恐怖を煽るようなことすら生まれた。しかも、こうした発言はことごとく現実とは異なる結果となっていることは周知の通りである。その象徴例が、感染のピークは3月末、4月1日ごろと推定されているにもかかわらず、旧専門家会議の提言を受けての緊急事態宣言の発令は、その後1週間経ってからであった。
欧米のコロナとの戦い、特に病院崩壊が繰り返しTVメディアを通じ放映され、今まで何回も書いてきたが、不安どころか「恐怖」へと向かわせてしまった。しかし、日本における現実は旧専門家会議が提言してきたことの本質にはことごとく異なったものとなってきている。報道するメディア、特にTVメディアの報道が大きかったと思うが、手弁当で提言してきた旧専門家会議だけにその責任を問うことはしないが、「何故、予測がことごとく間違ってしまったのか」「本当に休業自粛は必要であったのか」「外出自粛はどの程度感染防止に効果があったのか」を明確にして欲しかった。接触及び飛沫感染が主たることであることから、「密」という概念で予防を説明してきた功績はあり、国民にとってわかりやすく取り入れられてきた。しかし、今問われているのは「出口」戦略であり、情報公開という意味で大阪の専門家会議とは雲泥の違いとなっている。

出口戦略の最大テーマは、「恐怖イメージ」からの解放である

ロックダウン(都市封鎖)」、つまり移動を極端に制限することが、宿主を次から次へと変えて増殖・感染するウイルスの生命のあり方に対する一つの方法であることは多くの生活者は理解していると思う。勿論、季節性インフルエンザの延長線上の経験値・実感ではあるが、「ウイルスをうつす・罹患」させるのは接触であることは十分理解している。その接触であるが、接触のためには近づく、つまり「移動」が全ての前提となる。

緊急事態宣言の最中話題となったのは、他県を跨がる「移動」であった。例えば、他県ナンバーの車には規制をかけるべきであると移動先の地域住民の声を借りて声高にコメントする「専門家」や「行政」も出てきた。その象徴がパチンコ店に対してであったが、補償を行い自粛した方が良かったと思うが、このパチンコ店で大きなクラスターという感染集団が発生したとの報道は一切ない。同じようにコロナ疎開と呼ばれたように首都圏周辺の観光地は「首都圏のお客様は、今はご遠慮いただきたい」としたコメントが行政から出され、TVメディアを中心に繰り返し報道されてきた。これらはいわゆる「自粛警査」と同じように、主に TVメディアによって創り上げられた「恐怖」イメージが根底にある。
ところが緊急事態宣言が解除され、6月19日以降は他県にまたがる移動は構わないとなっているが、当の観光地や行政は観光を含めた移動の解除=ウエルカムメッセージを出してはいない。地方の学生の帰省を自粛して欲しいと、故郷の産品を送った自治体はその後学生にどうメッセージを送っているのか、明確にすべきことの一つである。繰り返しになるが、それら根底には繰り返し刷り込まれた「恐怖」が今なお残っているということである。その鎖を解き放したのが大阪府でありUSJであった。
観光というより、「楽しみ」を取り戻す、鬱屈した我慢の時間からの解放、自由時間を好きに使えるという「日常回帰」の第一歩である。そのためには大阪府の知事が言うように、感染源を追跡できるシステムと十分な病床の用意という「担保」によって、「安心」へ一歩進むことができるということである。

問題なのは「移動先」の施設や観光地である。前々回ブログに書いたようにこれまでの数年はインバウンドバブルであったことを受け止め、観光の原点に今一度立ち返るということだ。良く考えてみればわかるように、国内旅行の需要は既に20兆円を超える産業になっており、インバウンド需要は5兆円弱となっている。まずは足元の国内観光から始めることである。これは飲食でも同じで、「おなじみさん」「御近所さん」に再び来店していただくということである。USJの場合は、年間パスポート顧客で、大阪府民がその対象となっているが、これが「出口」戦略の基本であろう。東京でも6月13日から「はとバス」が再開している。初めの1週間は2階建てのオープンバスを使った1時間ほどの東京観光のみだが、徐々に運行コースを増やしていくとのこと。これも「出口」戦略の基本と言えよう。また、中止となった春のセンバツがこの8月1試合のみではあるが甲子園球場で行われることとなった。選手たちにとって嬉しい復活であるが、高校野球フアンのみならず多くの人にとっても、季節遅れの選抜ではあるが甲子園という「大舞台」のドラマはうれしいいつもの「日常」となる。

「三密」の考え方

「移動自粛」からの解放と共に、もう一つの課題が「三密」である。密閉、密集、密接は、経営の基本である「坪効率」という指標の壁となっており、デフレ時代の経営を更に苦しくさせている。その蜜の根幹にあるのが、「ソーシャルディスタンス」である。飛沫感染を防ぐ距離・空間を必要とするとのことだが、まず経営を成立させる経済性・生産性から言えば、客数を倍もしくは1.5倍ほど必要となる。つまり、従来の「考え方」の延長線上では経営は成立しない。そこで生まれた発想が、飲食店の場合店舗を「調理工場」とする経営で、テイクアウトやチルド化したり、冷凍化してネットを活用とした販売である。既に多くの飲食店はこうした方法を取り始めている。
但し、こうした手法を取り得ない大型飲食店舗、例えばファミリーレストランの場合は店舗を閉鎖して採算の取れる店舗のみの営業となる。つまり、大型店舗に見合うテイクアウト売り上げが望めないという理由からである。その象徴がジョイフルで先日200店舗閉鎖という報道があったが、こうした背景からであろう。但し、ガストのように以前からテイクアウトや宅配を積極的に実践しており、売り上げ減少の歯止めになっていると思われる。また、ファミレスではないが、ドライブスルー業態やテイクアウトを充実させてきた日本マクドナルドなどは逆に大きく売り上げを伸ばし好調である。ちなみに4月のマクドナルド全店の売上高は前年同月比6.7%増。

こうした様々な工夫が採られている中、2つの異なる業態が出てきている。その象徴例が2つの寿司店の生き方である。周知のように寿司は日本を代表する食文化であるが、あの名店「銀座久兵衛」の場合伝統的なお客を前にした「握り」を食べさせるのは店舗内として、少々時間が経っても食べられる巻き寿司やちらし寿司はテイクアウトにするといった2つの作戦をとっている。一方、非接触型業態である回転寿司はどうかというと、結果は同じように苦戦している。ちなみに大手のスシローの4月の売り上げは客単価は増えたものの客数は大きく減少し、既存店売上高は44.4%減、既存店客数54.7%減、既存店客単価22.7%増となった。全店売上高は、42.0%減とのこと。

今、大阪の専門家会議ではこうした接触における「密」と言う概念、「ソーシャルデスタンス」の視点ではなく、問題なのは具体的な密なる感染接点であり、この防疫こそが重要であるという。極論を言えば、一般的な密なる空間・距離を問題にするのではなく、接触するウイルスとの接点、例えば手洗いの励行や飛沫を飛ばさないマスク着用さえすれば十分。つまり、ソーシャルデスタンスなどではなく、感染の接点にこそ注意すべきであるという研究結果が報告されている。ある意味、季節性インフルエンザの自衛と同じように手洗い・マスク、うがいといった習慣と同じであるという説である。こうした仮説が多くの事例で検証されるのであれば、これまで言われてきた2mという「距離を置く」という自衛は過剰であり、不要になるということである。

感染者数の比較は意味がない

更にいうならば、日本全国にあって特に東京における感染者数が極端に多くなっている。今までのPCR検査対象を濃厚接触者から広げ症状のない人を含めたので感染者数が増えたとの説明であるが、その詳細についてはほとんど報道されていない。その象徴例として、夜の街、新宿、歌舞伎町、ホストクラブ、・・・・・こうした陽性者の説明がなされているが、PCR検査数増加についての報道は極めて少ない。おそらく唯一と思うが、読売新聞では次のように報道されている。
『東京都新宿区は、区内在住の新型コロナウイルス感染者を対象に、1人当たり10万円の見舞金を支給する方針を固めた。感染すれば本人だけでなく家族も就労などが制限されるため、生活を支援したい考えだ。区は保健所の調査で、感染者本人と濃厚接触者の家族が、仕事を休まざるを得なくなって生活が困窮している状況を把握。収入が減って苦しくなった家計を助けることにした。」
つまり、狙いはホストクラブなど働く人の検査を促進するための「協力金」の意味であり、ある時点から新宿の感染者が増加した背景の一因となっている。感染者の多くはこうした街から出ていることは既に2ヶ月前からわかっていたことである。緊急事態宣言解除以降、ほとんどの店は営業してきている。すべてが後手後手になってしまった結果である。
そして、連日報道されているが、新宿における感染者の急増についてであるが、このように発見された感染者数を足し上げていく「数字」にどれだけの意味があるのか疑問に思う人は多い。つまり、今までの症状が出たり、家族などの濃厚接触者に対する検査数と現在行われている検査数から得られた感染者数とではその「意味」は異なる。つまり、4月ごろの感染者数と現在とでは異なるということである。極論ではあるが、感染者数の推移グラフにはまるで意味をなさないということである。ただし、全国の自治体も同様のことをやっているのか不明ではあるが、すくなくとも東京都の「数字」はそのような内容となっている。そうした意味において、特に感染ピークを迎えた4月との比較は全く意味をなさない。さらに悪いことには、東京アラートという数値を基にした危険信号がない状態にあってはこの「感染者数」が一種のアラート、警戒信号になっているという事実である。目に見えないウイルスの状況は唯一「感染者数」しかないということである。

TVメディアを中心としたこの間の報道は、新宿歌舞伎町へと視点を移し、今ではホストクラブやキャバクラ関連の従業員・顧客の感染者へと変わってきた。このホストクラブ関連の関係者への集団PCR検査による感染者数の増加ということだが、これも大阪の事例を持ち出してしまうが、大阪においても梅田のライブハウスにおいてクラスターが発生したが、見事にウイルスを閉じ込めた。その成功には行政(府・市、保健所)による努力によるものだが、何よりも大きかったことはライブハウスのオーナーを説得して店名を公表し、ライブイブハウスの顧客に呼びかけ検査を受けさせてきたことによると聞いている。クラスター発生は3月上旬で、今東京新宿のホストクラブなどで行われている事態を見るといかに遅れているかがわかる。
しかも、大阪梅田のライブハウスでは行政の勧めもあって店を閉めライブ配信を行なったとも聞いている。必要なことは、感染のメカニズムをわかりやすく情報公開し協力を得ることしかない。
ちなみに抑え込みに成功しつつある米国ニューヨークでは経済再会のために、誰でも気軽にPCR検査が受けられる仕組みが用意されている。住まいや勤務先近くの見左場所はマップ化され多くの人が検査を受けている。勿論、無料である。新宿や池袋とは大きな違いである。

オープンエアはこれからも続く

既に生活者の知恵から「オープンエア」を求める行動が多く見られるようになった。東京で言うならば、公園の散歩はもとより、河川敷でのジョギングやゴルフ練習、テニス練習、あるいはキャンピング、登山やハイキングなども復活するであろう。

実は緊急事態宣言が解除されて一番の賑わいを見せたのが吉祥寺の街であった。最近はおしゃれなカフェも増え、今までのハモニカ横丁のレトロ観光からさらに進化してきている。こうした背景もあるが、なんと言っても近くには写真の井の頭公園やミニ動物園など散策するには格好の町であると多くの人には映ったことと思う。都市空間にあって、閉じられた街ではなく、まさに街全体がオープンエアとなっていると言うことだ。

こうした傾向は個店の作り方にも採用されるであろう。前々回の未来塾「老朽化から学ぶ」でも書いたが、横浜桜木町ぴおシティの立ち飲み飲食街や大阪駅前ビルの地下飲食街でも取り上げたが、出入り自由な感覚、道草を楽しむにはこうした場の作り方はコロナ共生時代にはふさわしいものである。また、コロナ禍が収束した後もこうしたオープンエアな店づくりは継続していく。

移動のところで少し触れたが、今年の夏の移動・旅行についてはこうした自然を求めた旅行が中心となる。既に予約が入り始めているようだが、交通機関も従来通りのダイヤ編成へとシフトした。もてなし側もこの「自然」をたっぷり味わってもらうメニューが必要となっている。巣ごもり生活で一番失ってしまったのがこの自然で、しかもその季節の「旬」である。夏の風物詩と言えば花火大会と夏祭りであるが、恐らく大規模イベントということで実施されないであろう。ただ、そうしたイベントではない夏らしさがメニューを飾ることとなる。
インバウンドバブルでオーバーツーリズムとなっていた京都も日本人観光客は戻ってくる。どんな「京都」でもてなすか、少し前に書いたように原点に立ち返った京都観光で、今までの「なんちゃって京都」ではなく、本物の京都、いわゆる名所観光地のそれではない京都散策を目指すべきであると思う。日本観光の原点は京都にあると考えているのだが、私の友人がブログで紹介しているが、京都の町筋に残っているかすかな史跡を辿り思いを巡らす歴史散歩、そんな「大人の修学旅行」「大人の京都」も原点の一つであると思う。また、唯一生活の中に「四季」が残っているのも京都であり、祇園祭の山鉾巡行は中止となったが、せめてハモなどの旬でもてなして欲しいものである。

観光という移動を不安視するTV番組のコメンテーターもいるが、今回セルフダウンを選んだほとんどの生活者はこの観光についても賢明な判断をするであろう。セルフダウンからセルフフリーである。勿論、慎重に楽しみを求めた行動となる。他県をまたがる移動が解除され一挙に移動が起こり、感染が爆発する恐れがあるといったコメンテーターもいるが、それほど無知な生活者はいない。セルフダウンと同じように自制したセルフフリーである。


できること、まずは元気な声

社会を定点観測したわけではないが、今やマスク社会となった。アベノマスクに話題が集まった時には既にマスク不足から手作りマスクが盛んに行われはじめていたとブログにも書いた。以降、ロフトなどにはカラフルでお洒落なマスクが数多く販売されるようになった。間違いなく今年のヒット商品になるであろう。このマスク社会はコミュニケーションにも大きく影響を及ぼしている。
その影響とは「表情」が見えないことにある。子育てをした経験のあるお母さんならよく知っていることだが、言葉を理解できない赤ちゃんはお母さんの表情から多くのことを学び受け止めている。この表情コミュニケーションが取りにくくなってしまったということである。特に飲食店などの場合、誰も暗い、陰気な店など利用したくはない。コロナ禍であれば尚更である。前回大阪の心意気、「負けへんで」をキャッチフレーズにした道頓堀の商店のように店頭でその「意気込み」を語ることである。現在は「負けへんで」の次なるキャンペーン「やったるで」が始まっている。店側が元気であることが、何よりも大切である。亡くなられてずいぶん時間が経つが、コラムニスト天野祐吉さんは「ことばの元気学」で”ことばは音だ”と次のように語ってくれていた。

『やっぱり,言葉は音ですよね。
音を失ったら、言葉は半分死んでしまう、とぼくは思っています。
言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、
文字が生まれたのは、ほんの昨日のことですから。』

物理的な「密」ではない顧客との密こそが求められている。顧客の間で言葉でさわりあう、つながりあう、という訳である。言葉も触覚のうちであると私も思うが、さわりあう、つながりあう、という基本の感覚が今一番求められていると思う。
言葉でさわりあうとは、例えばあいさつであり、対話ということになる。互いにさわりあう「あいさつ」とはどういうことであるか。顧客は今回のコロナ禍について十分理解している。そして、こころの片隅に少しの不安を持って来店する。その時大切なことは衛生管理の見える化は勿論であるが、その不安をひとときなくしてくれるのは店側の元気な声と明るい笑顔である。
セルフフリーという生活様式

「セルフルリー」という言葉を使ったが、これはセルフダウンの延長線上にある言葉として私が作った造語である。その意味するところは「自粛」という鎖を解き放つ、今までのように心を自由に解き放つことがコロナ禍における心理市場の原則となる。一部の感染症の専門家は主にTVメディアを通じ、一挙に行動するとまた感染の第二波が起こると発言し、今なお「不安」を煽る発言を行なっている。
しかし、サッカーのキングカズが「セルフダウン」を選ぶと発言し、日本人の戦後民主主義のもとで培われてきた国民性を信じるとした「成果」、感染を押し留め致死率も低くさせてきた「一人」であるとの自覚は多くの日本人が共有していることである。また、今回政府が行った抗体検査も欧米のそれと比較しても極めて低く、感染しにくい「何か」、iPS細胞研究所の山中教授が提言しているようにファクターXの解明こそが「出口」戦略、第二波を防ぐ道であることの理解も進んでいる。勿論、こうした中でのセルフフリーである。
他府県にまたがる移動の規制解除が始まったが、十分自制された行動をとっている。今までできなかった実家の帰省であったり、延び延びになっていたビジネスであったり、一人ひとり賢明な行動となっていると推測される。自らの壁を少しづつ開け放つ「セルフフリー」へと向かったということである。公共交通機関の予約も少しづつ回復し、観光地であれば旅館・ホテルの予約も同様となっている。また、JR東日本は、新型コロナウイルスの影響で減少する需要の回復に向け、東北や北陸など全方面で運賃を含む新幹線や在来線特急の料金を半額にするキャンペーンを実施する。期間は8月20日から来年3月31日まで。営業エリアの全域で長期間にわたるキャンペーンを行うとの発表があったが、これもセルフフリーの切符になるであろう。
また、卑小なことかもしれないが、自粛警察の次に「マスク警察」が現れている。周りに誰もいなければマスクを外すのは当たり前で、それを咎める風評が出始めている。「正しく 恐る」、その正しい理解がないままマスクすることが全て良しとした誤った「雰囲気」が社会を覆っている。卑小なことと書いたが、実はリスクコミュニケーションとして大切なことである。勿論、当たり前のことだが満員電車の中では着用した方が良いとは思うが、アレルギーなどから着用できない場合もある。セルフフリーとは地震のことでもあるが、他者を気遣う想像力を働かすことでもある。まだまだ、刷り込まれた「恐怖心理」が残っている社会ということである。
未知のウイルスということもあり、その「正しさ」も変化していく。山中伸弥教授が明らかにしてくれているように、根拠ある情報から不確定な情報までコミュニケーションされているが、生活者と一番身近にいる自治体のリーダーには「正しい」リスクコミュニケーションこそが「出口」戦略の重要なキーワードとなっている。

信用と信頼があらゆる選択の物差しへ

自然災害の多い日本にあって、少なくとの江戸時代以降3つの助け合いが復活の原則となってきた。周知の自助、共助、公助である。自然災害においては人々を助けた最大の助けは「共助」であった。そのわかりやすい事例は2011年の東日本大震災で、周知の「絆」がその時のキーワードであった。勿論、東北地域の残るコミュニティの存在が前提としたものだが、今回のコロナ禍は異なると指摘する専門家もいる。コロナ禍の市民の受け止め方と対応についてはそのコミュニティの「在り方」の違いが大きく作用していることがわかる。その違いは東京と大阪によく出ている。前者が「寄せ集めの都市」であり、後者は「浪速の文化が残る都市」、コミュニティのない都市とまだまだ少しは残る都市の違いということである。

人は「未知」に向かい合う時、何かを支えにする。今回の疾病は「共助」ではなく、防疫や治療に奮闘する医療スタッフへの「感謝」であろう。周知のように日本は小子高齢社会の只中にある。コロナ禍にあって議論はされてはいないが、公立病院の統廃合の真っ最中である。勿論、増大する医療費を押し留める厚労行政であるが、今年の初めには厚労省は診療実績が少ない病院の統合を検討しているとの発表があった。その統廃合のリスト化が話題になったが、全国440の公立病院の内、統廃合の対象となったのは約30%と言われている。一方、医療機関とは少し異なるが保健所も統廃合が続いている。全国の保健所は平成4年には852か所あったが、平成の大合併などの行政改革によって統廃合され、今年4月には469か所とほぼ半減している。周知のように保健所を中心とした「帰国者・接触者相談センター」に電話してもなかなか通じない状態が問題となったのはこうした背景からである。

ここ1ヶ月ほど医療機関や保健所への尊敬・感謝の気持ちはやっと芽生えてきてはいるが、4月段階ではある意味非難の中心であった。なんとか持ち堪えてきたのは使命感だけであろう。そうした実情に真っ先に支援の手をさしのべたのは大阪府・市であった。それも財政が苦しいことから、例えば府民・市民に防護服が足りないので不要の雨がっぱなどあったら提供してほしい、そんな生活者の力を借りることによって乗り越えてきた。東京都とは大きな違いがこのあたりにもあることがわかる。
今、やっと医療機関などに差し入れ弁当を始め支援が広がってきてはいるが、こうした現実を踏まえてのことである。リスクコミュニケーションとは「リスク」を情報公開、つまり正直に正確に伝えることから始めなければならないということである。

こうした「支援」は救いを求める中小企業、特に飲食店への支援となって広がってきている。個人向けのいわゆる多様な「ファンド」となった支援である。注目すべきは銀行各社のファンドではなく、一般市民が小口で支援するものが数多く現れてきた。その多くは「前払い方式」が多く、運転資金としての利用が多い。そして、ファンドの返礼には数ヶ月先の「飲食利用」という仕組みが多くなっている。
あるいはファンドという形式はとらないが、消費が減少する中で、余剰となった生産物などを今までとは異なる流通によって支援する、いわば生産移動、在庫移動を図る支援の動きも出てきた。ある意味で、コミュニティが無くなった都市における「共助」のあり方の一つとなっている。
実はこうした多くの支援の根底には信用・信頼がある。この信用信頼については少し前に書いたブログ、生き延びる知恵、老舗の生き方から学んでほしいと書いたので繰り返さないが、この「信用・信頼」もまた日本固有の商業文化ということだ。(後半へ続く)






  
タグ :コロナ禍


Posted by ヒット商品応援団 at 13:20Comments(0)新市場創造

2020年05月31日

未来塾(40)「正しく、恐る」を学ぶ 後半 

ヒット商品応援団日記No767(毎週更新) 2020.5.31.




「正しく、恐る」を学ぶ


緊急事態宣言を終え、首都圏を含め段階的に社会経済を取り戻す「出口」戦略が始まった。その「出口」には2月から始まったコロナ禍の評価と、それらを踏まえた「次」の日常のあり方を模索し行動することにある。
この4ヶ月間は厚労省・専門家会議からの一方的な「要請」に従ってきたが、それら要請は感染症という疫学からの根拠によるものであった。そして、政府はやっと諮問委員会の組織に拡大し4名の経済学者を有識者として加え「出口」の指針を社会経済からの視点を踏まえたものへと進めてきた。
やっとという感がするのだが、この間観光産業や飲食業、あるいはスポーツや文化イベント業界は経営の悪化は勿論のこと倒産・失業が急速に増加してきている。休業などへの支援事業や給付金の支給など、困窮する事業者や生活者にはほとんどが届いていない状況となっている。こうしたニュースは日々報道されているのでここでは書き留めることはしない。

さて本題に戻るが、これから「出口」とすべき「行動」をどうしたら良いのか、それはとりもなおさずこれから長い付き合いとなるコロナウイルスとの付き合い方、共存のあり方でもあるからだ。そのためには本当に専門家いぎが行ってきた対策で良いのか、それは疫学的な意味だけでなく、生活者が取り入れることのできる物でなければならないということである。
まず専門家会議が予測してきたシュミレーションは尽く外れてきた。その象徴が「このままでは42万人が死ぬ」というまるで予言者のような発言であったが、死者数は700名台で人口比で言うと極めて少ない国となっている。韓国、台湾、タイなども同様で、欧米と比較スレな数十倍どころか数百倍の少なさである。新型コロナウイルスへの対応が遅れ、PCR検査も少ない日本が何故少ないのか逆に世界の注目を集めている状況でもある。ある感染症学者に言わせると、「結果、オーライでいいじゃないか」と。そんな非科学的な考えの感染症学者がいるとは驚きであるが、少なくとも「出口」をどうすべきか、今わかっている「事実」をもとに考えていくことが必要である。

「正しく」理解、そのための第一歩

今、何が正しいのか、新型コロナウイルスの正体は明らかにはなっていない。唯一、国民が疑問に思うことや、専門性の高いことの理解う促すために最新の情報を公開してくれている。専門家会議がよく使う言葉に、実効再生産数がある。人にどれだけ移したか、その感染度合いを図る指標で、1未満であると感染は縮小にあり、1以上であると拡大にあると言うもので世界各国で「出口」を考えるうえで使われる指標である。山中教授は日本の各都市からデータを取り寄せ、自ら計算し、各地域の感染状況を報告してくれている。残念なことに東京はデータが不備であったことからグラフ化されてはいないが、少なくとも国民の多くの理解に応えてくれている。新規感染者の増減で一喜一憂するのではなく、どんな感染状にいるのかを「正しく」理解する第一歩となっている。
こうした理解をしているのだが、最大の疑問は何故日本は各国と異なり、感染者数、死亡者数が少ないのか、その理由についてである。それは「結果オーライ」ではなく、どんな「出口」を目指していくのか、一人ひとりのこれからの行動に直接つながっていくからである。
ちなみに、山中教授はわかっていないことをファクターXと呼び、次のように提示してくれている。
ファクターXの候補
・感染拡大の徹底的なクラスター対応の効果
・マスク着用や毎日の入浴などの高い衛生意識
・ハグや握手、大声での会話などが少ない生活文化
・日本人の遺伝的要因
・BCG接種など、何らかの公衆衛生政策の影響
・2020年1月までの、何らかのウイルス感染の影響
・ウイルスの遺伝子変異の影響

極めてわかりやすい疑問点である。本来専門家会議が答えるべきことであるが、やむにやまれず提言してくれていると言うことだろう。




山中教授もマスク着用などの生活習慣があることを挙げており、世界に誇れる国民皆保険や高い医療技術も致死率を下げていることは生活実感からもわかる。ちなみにマスクの着用は100年前のスペイン風邪が流行ったときに着用され、以降生活習慣化している。
前述の免疫学者多田富雄さんは多くの対談をしているのだが、その中で免疫をわかりやすく解き明かしてくれている。例えば、私たちは海外へ出かけ、その土地の水や食べ物によって下痢など体調を崩したことがあったと思う。勿論、現地の人にとっては何の問題もないのだが、それは図の左にある「自然免疫」が備わっているからであると。
今回の新型コロナウイルスについても何らかの自然免疫を促すようなものがあるのではないかと言うことである。実は、こうした自然免疫との関係は明らかにしてはいないが、あの山中教授もそうした何かを「日本の感染拡大が欧米に比べて緩やかなのは、絶対に何か理由があるはずだ」と指摘。その理由をファクターXと呼んでいるが、感染症研究者ではないことから具体的には語っていない。これは勝手な推測であるが、日本人の多くには何らかの遺伝子が備わっているのではないか、つまり自然免疫が備わっていると言う仮説である。
何故、こうしたことに言及するのは、医療の世界ではワクチンや治療薬の開発に役立つこととともに、私たちの生活行動のあり方に一つの「視点」を与えてくれるからである。つまり、「出口」への取組につながるからである。
注)東京新聞の解説では次のように解説している。
「獲得免疫とは、感染した病原体を特異的に見分け、それを記憶することで、同じ病原体に出会った時に効果的に病原体を排除できる仕組みです。適応免疫とも呼ばれます。自然免疫に比べると、応答までにかかる時間は長く、数日かかります。」

緊急事態宣言が解除され、全国で「出口」と言う入り口がスタートした

専門家会議からコロナとの共存を図るための「生活様式」が提示されている。とにかくあれもこれもと、大きなお世話であるようなことまで事細かなものだが、内容については具体的なものはほとんどない。当たり前のことだが、唯一確認しなければと思うことは「出来る限り接触」を避けることであろう。
ソーシャルデイスタンス、あるいは三密・・・・・・そんなこと言われるまでもなく、何十年もの間季節性インフルエンザで経験してきたことを横文字を使ったり、欧米で使われている言葉を持ち込んだりしているだけである。




写真を見ていただきたい。緊急事態宣言中の東京の通勤風景である。2mの距離ではないが、少なくとも「密」な距離ではなく、ごく自然に一つの間隔をとって歩いていることがわかる。
しかも、なんと全員がマスク着用である。専門家会議に言われるまでもなく、よくわきまえた「大人」の行動をとっている。こうしたことを話すと、休業要請に従わないパチンコ屋とその開店を待つ行列を非難するTVメディアのコメンテーターがいる。できれば一定期間休業して欲しいとは思うが、行列を作る人たちの多くは「ギャンブル依存症」であり、しかも両替換金と言う違法ギャンブルは黙認されたままである。そして、一番重要なことは、パチンコ屋で大きな感染クラスターが発生したかである。そうした事実を踏まえないで非難することは「自粛警察」と何ら変わらない。
また、出来る限り外出を控えるようにとのことだが、これも山中教授が公開しているのだが、Googleが行っている世界各国の「移動」データについてもロックダウン(都市封鎖)した都市よりも東京の方が移動は小さい。移動についても十分わきまえた行動を一人ひとりとっていることがわかる。

緊急事態宣言下にも、生活者の賢明さが生まれていた

「巣ごもり」要請は守りつつ、専門家会議が提示した感染のリスクが大きい「三密」を巧み避ける懸命さは生活の至る所で見せていた。それは理屈と言うより、東京の場合は屋形船であり、大阪の場合はライブハウスのクラスター発生を実感したことによる。
そうした「密」の逆は何か、それは「オープンエア」であると誰もが考える。公園の散歩やキャンプ好きであれば家族とのバーベキュー。ジョギング好きであれな、東京の場合多摩川の土手沿いのコストなる。休みの日には河川敷のゴルフ練習場もテニスコートもいっぱいとなる。こうした光景をTV曲のコメンテーターはさも心配そうに「自粛」を勧める。まるで「自粛警察」の応援団の如き有様である。




この傾向は街中の飲食店にそのまま取り入れられていく。少し前に大阪梅田や横浜桜木町の「立ち飲み」居酒屋を取り上げたことがあったが、オープンエアの店づくりは今後さらに広がっていく。閉じられた空間ではなく、外の空間と一体のような店づくりである。居酒屋は勿論カフェも食の物販も同様である。ある意味「屋台」感覚の新しい店づくりとなる。冬場はどうするのかと言う横槍が入りそうだが、博多天神の屋台村を参考にすれば良い。既にこうした試みは佐賀県では「ナイトテラス」として一つの実験が始まっている。これは店前の歩道をテラスとして使う許可を与えての実験である。

経営の指標が変わってきた

飲食店の場合、坪効率と言う判断指標がある。経営者であれば熟知しているものだが、「三密」を避けることから、従来の坪効率の考え方を変える必要が生まれる。顧客同士、あるいはスタッフとの間の距離を広くとることが必要であり、結果客数は従来と比較し半分以下となる。同じ売り上げを目指すとなると客単価を上げることしかない。もしくは賃料を下げてもらうことしかない。
出口を目指しすた^としているが、恐怖後遺症は残っており、今までと同じような客数も期待できない。この緊急事態宣言中、多くの飲食店は一斉に「弁当販売」を始めた。ある天ぷら専門店は、お弁当屋さんになってしまったと嘆いていたが、生き延びるためには必要なことであった。
勿論、弁当販売だけでは経営は成立しない。例えば、飲食チェーン店の場合、これから先の生き延びる道は「テイクアウト」や「通販」と言う方法で新たな売り上げ・利益を得ていく方法しかない。その事例は、定食チェーンの「大戸屋」における冷凍食品の通販事業である。このように他の流通チャネルとのコラボレーションや提携によって経営を維持させていこうと言う試みである。
もう一つの試みが、人件費を削減する試みで、「セルフスタイル」の導入である。人によるサービスを減らし、賃料と共に重い負担となっている人件費を、顧客自身によってサーブしてもらう仕組みへの転換である。例えば、居酒屋であればビールサーバーを用意し顧客自身にやってもらうとか、あるいは調理の多くをロボットで行うなど、人件費を抑えた経営となる。

こうした試み以外に専門店としてどう生き延びりかである。先日、東京美々卯6店舗が廃業することを決めたと報道された。少し前には152年の歴史ある歌舞伎座前の弁当店「木挽町辨松」が廃業となった。こうした老舗だけではなく、街中のある中華屋さんも蕎麦屋さんも「文化」はある。特に、寿司店などはどうすべきか悩むところであろう。江戸前寿司の場合、握ってくれる職人に相対して、すぐに食べる、そんな文化である。天ぷら然り、焼き鳥も同じである。顧客は味だけでなく、文化をも楽しんでいるのだ。しかし、そんな文化を少しの間止めることも必要である。職人も顧客も「仕方がない」ものとして理解するであろう。

全国で「出口」を目指した活動が始まった。当分の間、「恐怖」の後遺症は残っており、不安は依然として心の片隅にある。散々煽って来たTVメディア、特にワイドショーは次に秋冬の季節インフルエンザが心配であると視点をずらし不安を増幅させている。
そうした中、「セルフダウン」という成熟した賢明な市民は浮かれることもなく日常に戻っていく。そもそも「自粛」には明確な物差しなどない。一人ひとりの判断に任せられていると言うこと以外にはない。私のブログには過去のヒット商品をはじめ検索する人が多くなっている。次の「出口」模索していることがひしひしと伝わってくる。

1980年代、1990年代初頭のバブル崩壊後、大きな転換期には必ず新たな「何か」によって新たな需要をつくって来た。それは、新しい、面白い、珍しい、「何か」であった。今回の「出口」に必要なことは何かである。まだその次なる「芽」を見ることはできない。しかし、間違いなく「外」からの着眼ではなく、足元にある「内」に眠る何かであろう。1ヶ月前のブログに観光産業、インバウンド事業について少し書いたが、それは「バブル」であったと言う認識からのスタートであると。それは単なる原点回帰としての「何か」ではなく、もう少し奥にある「何か」である。見過ごされて来た何か、当たり前であった何か、小さすぎて大事に思ってこなかった何か、つまり、日常の中に埋もれさせて来たものを今一度表へとテーマにしてみると言うことである。
インバウンド的な見方に立てば、日本人がある意味「無視」して来たことに、多くの海外の人たちが「クールジャパン」としてアニメやコミックが世界の表舞台に上がったように。それは地方の観光地にも必ずあると私は確信している。今は入国制限されているが、次第にコロナ禍は鎮静化していくであろう。いつになるかそれはわからない。しかし、生き延びれた時、その「何か」は多くの人を魅了するはずである。

観光は文字通り平和産業である。その最大の障害が実は「不安」であり「恐怖心」である。いつまで恐怖が残るかそれはわからない。3.11東日本大震災の時もそうであったが、その後の「余震」によって恐怖心が蘇って来た。今回のコロナ禍も新たな感染者報道によって同様の恐怖心が蘇るであろう。
そして、原発事故によってもたらされた放射能汚染。汚染された福島は「怖い」という風評が至る所で起こったことがあった。これもまた同じようにコロナ汚染の巣であるかのように東京人を見る差別があり、しかもコロナと最前線で戦っている「病院」があたかも感染の巣であるかのような根拠のない「うわさ」が流布されている。結果、地域住民の病院利用者が激減し、病院経営が苦しくなっていると日本医師会はその窮状を訴えている。これも「恐怖心」からである。
出口を前にして「正しく 恐る」という原点に立ち返ることが、今問われていると言うことだ。







  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:02Comments(0)新市場創造

2020年05月29日

未来塾(40)「正しく、恐る」を学ぶ 前半 

 ヒット商品応援団日記No766(毎週更新) 2020.5.29.




コロナ禍から学ぶ(1)

「正しく、恐る」
その原点に立ち返る

ファクターXと言う仮説、
恐怖後遺症の行方。


4月7日緊急事態宣言が発令され、街も、生活も、働き方も一変した。その根幹にあるのは「移動」の制限であり、それはウイルスは人によって運ばれるということからであった。既に、2月11日のブログで「移動抑制が消費を直接低下させる 」というテーマで、しかも昨年12月からの季節性インフルエンザの流行は予測を大きく下回る感染であることが報告されているとも。これは1月後半からの新型コロナウイルスに対する自己防衛によるところが大きいと分析する医師も多いと書いた。つまり、海外から持ち込まれるウイルスの防疫強化以前に既に生活者の「自己防衛」は1月末から始まっているという指摘であった。そして、実はのちにわかったことだが、感染のピーク4月1日はちょうど新型コロナウイルスによって急死した志村けんさんと同じ時期であった。その間感染の拡大に対し、政府も専門家会議も感染対策は遅れに遅れたと指摘されてもやむおえないであろう。既に1月23日には中国の武漢は封鎖されていた。




また、最近の研究などから専門家会議によって行われた多くのシュミレーション、「このままであれば42万人が死亡する」といった恫喝・脅しとも取れる発表に対し、その数理モデル計算式が誤りではないかとの他の専門家からの指摘も出てきた。現実はシュミレーションとは大きく異なり、感染者数も死亡者数もある意味世界でも不思議であると注目されているほど少ない。一時期、専門家会議メンバーは「米国NYのようになる、地獄になる」と発言し恐怖を増幅させていたが、これもそんな現実は起こっていないことは周知の通りである。この専門家会議のシュミレーションを鵜呑みにした感染症の大学教授が盛んにTV番組で煽り立てる発言をしていたが、現実は全く異なる展開となっている。専門家会議や鵜呑みにした某大学教授の責任を問う声もあるが、未来塾はその任にはない。
それではその「現実」はどうであるのか、緊急事態宣言後1ヶ月半ほど経ち5月25日全面解除となった。その後新たに分かったことが数多く出てきている。例えば、マスクの効用についてWHOは否定的であったが、その後の動物実験ではうつさないだけでなくうつされない効果が得られたとの研究結果も出てきた。今回は専門家会議が提言した新型コロナとの付き合い方、その生活様式をどのように受け止めたら良いのかを考えてみた。

公衆衛生の始まり

ところで少し前に「不確かな時代の不安」をテーマにブログを書いたことがあった。それは江戸時代の台風・水害などの災害対策についてであったが、次のようにも書いた。

『江戸時代における最大の不安は疾病や病気であった。周知のように最初に隅田川の川開きに打ち上げられた花火は京保18年が最初であった。この年の前年には100万人もの餓死者が出るほどの大凶作で、しかも江戸市内でころり(コレラ)が流行し多くの死者が出た年であった。八代将軍吉宗は多くの死者の魂を供養するために水神祭が開かれ、その時に打ち上げられた花火が今日まで続いている。弔いの花火であったが、ひと時華やかな打ち上げ花火を観て不安を打ち消すというこれも江戸の知恵であった。』

このコレラが日本にもたらされたのは文政5(1822)年で中国(清)経由で沖縄、九州に上陸したと考えられている。しかし、この時には江戸には本格的な感染拡大はしなかったと言われている。当時の花火大会も一種の「お祓い」の意味もあり、それまでの疫病に対しては全て祈禱によって行われていた。
このコレラが猛威をふるったのは江戸から明治へと移行する開国の時期であった。安政5(1858)年。感染源はペリー艦隊に属していた米国艦船ミシシッピー号で、中国を経由して長崎に入った際、乗員にコレラ患者が出たと言われている。そして、江戸の死者数は約10万人とも、28万人や30万人に及んだとも言われている。

日本に衛生観念を植え付けたコレラ

実はコレラの流行まで、日本国内に医学的な感染症対策はほとんどなかった。加持祈禱(かじきとう)に頼り、疫病退散のお札を戸口に貼って家に閉じこもったり、病気を追い払おうと太鼓や鐘を打ち鳴らしたりしたという非科学的なものであった。例えば、今も続いているのが、おばあちゃんの聖地、巣鴨とげぬき地蔵尊のある高岩寺は本尊の姿を刷った御影(おみかげ)に祈願・またはその札を水などと共に飲むなどして、病気平癒に効験があるとされている。
医師緒方洪庵や長崎のオランダ医師ポンペの治療法が一定の効果をみせたこともあり、江戸幕府は文久2年に洋書調所に命じて『疫毒預防説(えきどくよぼうせつ)』を刊行させている。オランダ医師のフロインコプスが記した『衛生全書』の抄訳本で、「身体と衣服を清潔に保つ」「室内の空気循環をよくする」「適度な運動と節度ある食生活」などを推奨している。今日の感染症対策にも通じるものであることがわかる。幕末の1858(安政5)年、安政の五カ国条約が調印されたこの年にコレラの乱が起きる。海外からもたらされた病であることから、当時の攘夷思想に拍車をかけたといえよう。また、コレラは感染すると、激しい嘔吐、下痢が突然始まり、全身痙攣をきたす病であった。瞬 く間に死に至るため、幕末から明治にかけて「三日コロリ」「虎列刺」「虎狼痢」「暴瀉 病 」と よばれた。

清潔な町江戸はエコシステムによってつくられた

120万人という世界で類を見ない都市であった江戸では、その高度技術の象徴として流れる上水道を取り上げたことがあったが、下水道もまた衛生管理されたものであった。例えば、トイレの糞尿は河川に流すことなど禁止されており、定期的に糞尿は汲み取られ近隣の田畑の肥料として使われていた。それら糞尿は農家に売られ町の財源となり道路の補修などに使われていた。他にもゴミ捨ては禁止され汚水をつくらない対策が講じられていた。これが江戸社会が極めて優れたエコシステムであることの一つの例となっている。ちなみに、ゴミの不法投棄を一掃するため、明暦元年(1655年)に「全てのゴミは隅田川の河口の永代島(えいたいじま)に捨てる」というルールを発布している。
面白いことに、江戸の街は東京湾の埋め立てによってつくられたものだが、ゴミの分別もきちんとなされ、埋め立て用のゴミ、燃料用のゴミ、堆肥用のゴミ、に分けられゴミひとつない清潔な町が造られていた。当時の大都市ロンドンなどと比較した資料を見てもわかるように、糞尿に塗れたロンドンとは大違いであった。
銭湯という清潔習慣

日本は火山列島であり、至る所で温泉があり、日本書紀にも記述されている。その効用は泉質により多様であるが、治療をはじめ広く健康のための入浴が行われてきた。
江戸時代には市内で広く銭湯として日常のライフスタイルの重要な一つとなっていた。上水道の水は飲料の他に銭湯にも使われていた。当時の江戸の町は土埃の多い町であったことから、仕事前に朝風呂、仕事終わりに夕風呂と少なくとも2回は入ったようで、1日に何回も銭湯を使っていた。入浴料金は大人8文(約120円)、子ども6文(約90円)とそば1杯の値段の半分とリーズナブルな料金であった。さらにお風呂好きにはうれしいことに「羽書(はがき)」というフリーパスもあり、1ヶ月148文(約2200円)で何度でも入浴することができる仕組みさえ出来ていた。
江戸市民のライフスタイル上、欠かせない習慣となり、町も身体も清潔なものとなっていた。

ところで、感染症の歴史であるが、明治17(1884)年、結核菌の発見でも知られるドイツのコッホによって、コレラがコレラ菌による伝染病であることが突き止められ、その後、パンデミックなどの大流行が見られることはなくなりました。
ペニシリンをはじめとした治療薬が次々と発見され、原因や対処法が判明してきた現在でも、コレラは全滅したわけではない。人類はウイルスや細菌との戦いの歴史だと言われてきたが、ウイルスや細菌と共存した歴史でもあるということである。

昭和から平成の時代へ

江戸時代からいきなり昭和の時代に移ってしまうが、戦後の荒廃した時代の生活は「雑菌」と「ウイルス」の中の生活、今で言うところの雑菌やウイルスとの「共生」であった。食べ物すらも衛生的とは言えない環境にあって、生きるとはそうした共生そのものであった。今、テーマとなっている「免疫」をテーマとした研究者、いや私にとっては作家である多田富雄さんの著書「免疫の意味論」を読んだ記憶がある。覚えているのは免疫の科学的知見ではなく、生活するうえで”ああそんなことなのか”と経験に即した意味論であった。戦後の不潔な環境ではそれなりに打ち勝つために免疫が自然と高まるという理解であった。
というのも1990年代当時問題となっていた過剰な「清潔」「無菌社会」に対する一つの警鐘となった記憶であった。清潔の考えが極端に振れた社会で、同じように「健康」がダイエットにとってかわり、必要カロリーに満たないという現象が起きた。共に、豊かであるが故の奇妙な変換が起きた時代であった。そうした変換のキーワードは何かといえば、「過剰」ということになる。こうした豊かさを背景に、一部生活者はタクシーがわりの救急車を使ったり、病院の待合室がサロン化するといった現象も見られるようになる。こうした意識は今回の新型コロナウイルスのような「未知」に対しても過剰に反応することとなる。その過剰さの先が「恐怖」である。

そして、一方では2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、09年には新型インフルエンザが流行したが、パンデミックのような大きな流行が起こらなかったことから、リスク対策が行われず今回の新型コロナウイルスを迎えることになる。特に、受け入れる病院、あるいは保健所もそうであるが、行革の対象となり、医療現場は削減したまま今回のコロナ禍を迎えることとなった。医療危機が叫ばれているが、その背景はこうした経緯がある。ただ問題なのは行革は単なる施設や人員の削減だけではなく、ITなどを駆使したシステムでなくてはならない。しかし、特別給付金のマイナンバーカードによる給付に見られたように、ITによるシステムがいかに遅れているかが露呈した。自宅での就労、リモートワークはまだまだ一部であり、学校の休校に伴うオンライン授業も同様である。それは大学においても同様で授業を始めた途端サーバーがダウンしてしまう、そんなITとは名ばかりの実情が次々と社会の面へと出てきた。

新型コロナウイルスの迎え方

ところで1月末にはいち早く生活者は認識いていたと書いた。その背景であるが、周知のように季節インフルエンザは例年より早く昨年11月ごろから流行り始めていた。昨年の12月にはマスク姿の人たちが街中に多く見られるようになった。しかも、グラフを見てもわかるように、季節インフルエンザの罹患者は例年より極めて少なくなっている。(東京都)




赤い線が今年の罹患者のグラフである。多くの人は今年のインフルエンザは軽かったなというのが印象であったと思う。ちなみに全国ののインフル患者数は昨年は1210万人であったのに対し、今年は729万人と減少している。
何故、季節性インフルエンザは減少したのか。季節性インフルエンザに代わるように新型コロナウイルスの感染が始まるのだが、その際、生活者のマスク着用や手洗い・うがいといった日常の感染対策は新型コロナウイルス感染を防御し得たのかどうか、実はこうした疑問点について専門家会議も明確な答えられてはいない。極論を言えば、「疫学」という専門研究の世界だけの知見であって、生活者のライフスタイルをどう変えて行ったら良いのかという視点が決定的に欠けている。つまり、専門家会議の提案する「生活様式」が素直に受け止められないのはこうしたことに起因している。




こうした季節性インフルエンザの実態を踏まえ、多くの感染症研究者は単なる季節性インフルエンザの延長線上で新型コロナウイルスを受け止めていた。しかし、冒頭に書いたように既に中国の感染実態に触れ、勿論一部の研究者や医師の間では感染対策をどうすべきかと言った声は1月には上がっていた。

コロナの正体が少しづつわかってきた

新型コロナウイルスの対策を始めその情報のほとんどは政府専門家会議(現在は諮問委員会)のメンバーによるものであった。しかし、海外の情報を始め感染症以外の科学者からの発言が多く見られるようになった。そうした発言の中で、新型コロナウイルスと戦っている現場の医療従事者を始め、多くの国民の支持を得てきたのがあのiPS細胞研究所の山中伸弥教授である。ノーベル賞の受賞研究者ではあるが、多くの国民にとっては難病患者のために努力し続けている誠実で真摯な人物であると理解している。情報の時代、つまり過剰な新型コロナウイルス情報に対し、科学者の目で冷静に「今」わかっている新型コロナウイルスの正体を「証拠(エビデンス)の強さによる情報分類」したうえで、「5つの提言」をHPを通じて投げかけてくれている。

国民が求めていることは新型コロナウイルスとは何かという本質である




山中伸弥教授の発言によって、新型コロナウイルスの姿が少しづつわかってきた。これは政府専門家会議による広報では得られない多面的、多様な情報である。それは本来「正しく、恐る」という理解であるはずの理解を促すべきところを、「恐怖」によって移動の自粛を行う戦略を採ったことへの疑義であると私は受け止めている。山中教授は異なるコロナ理解、つまり冷静に理性的に確認できる「事実」を「正しく」伝えることが重要で、その姿勢が多くの国民の理解を得つつある。
専門家会議によるコロナ対策、クラスターという小集団対策、ある意味もぐらたたき戦略は、一方でコロナの「恐怖」を提示することによってある時までは成立してきた。それはもぐらたたきが可能であった時期までである。既に3月に入り欧米に観光で出かけた観光客が帰国した頃から、主に都市における市中感染が始まっている。これは専門家会議も認めていることだが、PCR検査体制を抑制したこともあり、この感染の防疫の対策を持ち得なかった。残ったのは「恐怖」だけであった。それも何による恐怖なのかという具体性のない、漠たる恐怖であった。

現段階で分かったこと、その証拠が正しい可能性が高いかどうかを冷静に整理してくれている。ここには理性を持って新型コロナウイルスに向き合う態度がある。マスメディア、特に「刺激」ばかりを追い求めてきたTVメディアの態度とは真逆である。こうした「証拠」に基づいた提言こそが必要であり、恐怖による行動変容は一時期的に表面的な自粛が行われても、同時に人と人との間に憎しみや争いを生むことになる。

恐怖による行動変容

ところで社会心理学を持ち出すまでもなく、行動の変容を促すには恐怖と強制が効果的であると言われている。そして、恐怖は憎悪を産み、分断・差別を促す。憎むべきウイルスは次第にルールを逸脱する人間へと変わっていく。少し前になるが、ゼミやサークルの懇親会で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した京都産業大の学生に対し、抗議や意見の電話やメールが数百件寄せられているとの報道があった。抗議どころかあるTV番組のコメンテーターはウイルスを撒き散らした学生にはまともな治療を受けさせるなと暴言を吐く始末である。
あるいは同じ番組であるが、今度は外出の自粛要請の休日に禁止されている区域に潮干狩りをしているとの報道を踏まえてと思うが、感染症学の教授が「二週間後はニューヨークになってる。地獄になってる」と発言したのには驚きを越えてこの人物は大学教授なのか、教育者としての知性・人間性を疑ってしまった。ニューヨークのようになってはならないと発言するのであればわかるが、それにしても「地獄」などといった言葉は間違っても使ってはならない。つまり、恐怖心をただ煽っただけで、しかも専門分野の教授の発言であるからだ、





「自粛」を促すには恐怖と強制が常套手段であると書いたが、「2週間後にはニュ-ヨークになる」「地獄になってる」といった恐怖を煽るようなTVコメンテーターの発言も現実・事実がそのように推移しなくなったことから、その刺激的な発言もトーンダウンしてきた。一方私権を制限することが法的にもできない日本においては「強制」できない現実から「自粛警察」といったキーワードが流行る嫌な現象が生まれている。『自粛警察』とは、例えばクラスター感染のシンボリックな場所・施設となったライブハウスへの中傷で、東京高円寺の街では休業中の店舗などに休業を促す張り紙をしたり、張り紙に文言を書き込んだりすることを指すとされる。他にも居酒屋など休業要請を指定されてはいない店舗への嫌がらせも出てくる状況が生まれている。私に言わせれば、「正義」の仮面をかぶった一種の嫌がらせであるが、憎むべき敵であるコロナウイルスが休業していない店舗にすり替えられての行為が至る所で見られるようになった。「恐怖」はこうした中傷をはじめとした差別を連れてきている。その象徴が『自粛警察』である。また、カラオケについてもあたかも密=クラスターの発生源であるかのような発言をするコメンテーターもいて、勝手なイメージが一人歩きする。

ロックダウンではなく、セルフダウン

東日本大震災の時もそうであったが、「現場」で新しい新型コロナウイルスとの戦いが始まっている。医療現場もそうであるが、マスクや医療用具の製造などメーカーは自主的に動き始めている。助け合いの精神が具体的行動となって社会の表面に出てきたということである。「できること」から始めてみようということである。その良き事例としてあのサッカーのレジェンド「キングカズ」はHP上で「都市封鎖をしなくたって、被害を小さく食い止められた。やはり日本人は素晴らしい」。そう記憶されるように。力を発揮するなら今、そうとらえて僕はできることをする。ロックダウンでなく「セルフ・ダウン」でいくよ、と発信している。そして、「自分たちを信じる。僕たちのモラル、秩序と連帯、日本のアイデンティティーで乗り切ってみせる。そんな見本を示せたらいいね。」とも。恐怖と強制による行動変容ではなく、キングカズが発言しているように、今からできることから始めるということに尽きる。人との接触を80%無くすとは、一律ではなく、一人一人異なっていいじゃないかということである。どんな結果が待っているかはわからない。しかし、それが今の日本を映し出しているということだ。
東日本大震災の時に生まれたのが「絆」であった。今回の新型コロナウイルス災害では「連帯」がコミュニティのキーワードとなって欲しいものである。

大阪らしい戦い方

一足先にコロナ禍からの出口戦略に組み出した大阪は知事を中心に大阪らしい戦い方を見せてくれている。それはコロナ禍が始まって以降大阪が行ってきた対策はどこよりも的確でスピードのあるものであった。中国観光客のバスガイドが感染したことを踏まえ、徹底的にその行動履歴を明らかにして感染拡大を防ぐ行動をとった。その後、周知の和歌山県で起きた院内集団感染拡大に対しても、和歌県の要請を受けてPCR検査を肩代わりする、つまり近隣県とのネットワークも果たしている。更に、ライブハウスで感染クラスターが明らかになったときもライブハウス参加者に呼びかけ、つまりここでも情報公開を行ってきている。更には早い段階で軽症感染者や重症感染者など症状に応じた「トリアージ」の考え方を取り入れ、病院崩壊を防ぐ対策をとってきている。また、病床確保にも動いており、十三にはコロナ専門病院も用意している。・・・・・・・こうした情報公開と準備を踏まえたうえでの「出口」の提示であるということである。大阪府民が支持するのも当然であろう。少なくともPCR検査を含め東京都とは違いデータの収集分析はシステマチックになされている。勿論、他県も同様であるが、東京が正確なデータで「出口」を示せないのに対し、大阪はかなり先へ進んでいる。東京の場合、ロードマップという工程表を提示しているが、4段階のうち、第一段階は進めたとしても、第二段階、第三段階などどんな「目標・数値」が達成できれば次の段階へ進めると言ったことが明確になっていないこと。つまり、数字での判断ではなく、「成り行きまかせ」で、いつになったら「出口」となるのか各業種ごと不明であるという点が大阪と大きな違いとなっている。







こうした対策に呼応するように府民も戦っていることがわかる。それは商売の街・大阪の戦い方によく出ている。東京が休業協力金を出すことができるという財政に余裕があるのに対し、大阪の場合余裕はない。当然戦い方も異なり、府民の「協力」しか武器はないということである。その武器は何か、大阪らしさ、大阪のアイデンティティに依拠した戦い方である。
そのキャッチフレーズは「負けへんで」。臨時休業の告知だけではつまらない、「どうせ耐えるなら楽しく」やろうじゃないかということだ。きっかけはお好み焼きのチェーン店「千房」で、「負けへんで 絶対ひっくり返したる」と書かれたポスターである。お好み焼きのコテにひっかけた、ウイットのある大阪らしい表現である。今やギンザセブンにも出店している串カツの「だるま」は、ソースの二度ずけ禁止」にかけ「負けへんで コロナの流行は禁止やで」と。そして、「二度ずけ禁止」という大阪文化は少しの間お預けして、かけるボトルソースを用意し、少しでも感染予防になればと工夫が凝らされている。
この「負けへんで」死rーずの延長線上に営業再開のポスターが作られている。大阪の友人にお願いしてその大阪らしい「心意気」、商人文化を撮ってもらっtあ一部である。(後半へ続く)


  


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2020年05月10日

恐怖から自制へ 

ヒット商品応援団日記No765(毎週更新) 2020.5.10.


新型コロナウイルスの衝撃がピークを迎えたのは志村けんさんが亡くなった時であった。後に専門家会議が発表した諸データの中に期しくも感染数のピークであったことがわかった。時代の空気は恐怖によって張り詰めたピリピリとしたものであった。緊急事態宣言はその後に発令されたが、外出と休業自粛の中で新型コロナウイルスに向き合うことによってその正体は徐々にわかるようになってきた。つまり、理性を取り戻し、感情ではなく理解しようとし始めたと言うことである。

ところでツイッター誕生の時に言われてきたことだが、その「つぶやき」は即時性、同時性にあり、「本音」であると。しかし、同時に感情剥き出しの言葉でもある。周知のように、「ツイート」と呼ばれる280文字(日本語、中国語、韓国語は全角140文字)以内のメッセージや画像、動画、URLを投稿できるパーソナルメディアである。その効用は大いに認めるものであるが、同時にその限界もまたある。生活者は明確には意識化されてはいないが、そのメッセージの短さに反応するだけになってしまう。つまり、次第に感情任せになり、深く考える理性判断へと向かうことが少なくなってしまった。その答えが「いいね」の一言に象徴される。どんな「いいね」なのか、「悪いね」はないのか、あるいは「どちらでもない」こころの揺れ動きは表現できなくなっていく。実は、そうした心理の環境の中で、「空気」は作られていく。

若い頃、広告というコミュニケーションを通じて目標とする「イメージ像」を創ることに携わってきた経験がある。外資系企業ということから多くのコミュニケーションの方法を学んだ。その一つがリーチ(到達の広がり)とフリークエンシー(回数・頻度)」というメディアの基本活用について出会った。単純化していうと、リーチという伝えたい視聴者の広がりとフリークエンシーという視聴頻度の関係で、どんなメッセージをどの視聴者層にどの程度の頻度で伝えれば、どんな効果(消費行動)につながるかという理論である。現在は大手広告会社によって、より効率の良い効果的なメディアミックスについて考えられている。横道に逸れてしまったが、こうしたメッセージを送る基本には「頻度」という回数多く送ることで、俗な言葉で言えば「刷り込み」である。
そして、このツイッターの時代はスピードが最大特徴であるが、反面深い理解を求めるメディアではない。それは「反応」であり、感情のコミュニケーションということになる。繰り返し断片的な映像やメッセージによって恐怖は深刻化していく。

今回のコロナ禍の場合、ウイルスの「恐怖」が徹底的にTVメディアを中心に刷り込みが行われてきた。その結果については前回のブログで「自粛警察」に触れ、差別や偏見が広く蔓延し、一つの空気感を創ることへと繋がってきた。その象徴は専門家会議・西浦教授による「このままだと42万人が死ぬことになる」発言であった。繰り返し、その功罪については書くことはしないが、このコロナ恐怖は次第に他の恐怖へと、抽象的な恐怖から身近な恐怖へと変化してきた。それは第一段階の小中高の一斉休校であり、社会・経済への影響がどれだけ甚大なものであるか実感することとなる。次に4月7日の緊急事態宣言による外出自粛という移動制限と休業要請であった。結果、家計はもとより対象となった飲食店をはじめ不安を通り越した恐怖に近い心理へと変化してきた。そうした恐怖を煽るような無自覚な報道から、次第に客観的俯瞰的なものへと変化してきた、その変化の中心には東日本大震災の時と同じように「現場」で苦労している医療スタッフへの感謝と支援があることは言うまでもない。

そして、この心理変化に大きな役割を果たしてくれたのが何回か取り上げてきたあのiPS細胞研究所の山中教授であった。「正しく恐れる」という感染症の基本認識が、その「正しく」が実は極めておかしな現実にはそぐわない結果になっていたことがわかってきたからだ。前回のブログで専門家会議がやっと公開したデータによれば感染のピークは緊急事態宣言の前であったことなど予測と現実がまるで異なるものであることがわかった。そして、感染の実態理解に不可欠である実効再生産数(1人の感染者が他者にどれだけうつしたか)の数値が緊急事態宣言の根拠にはなっていないことなど何のための専門家会議であるが極めて疑念を抱かせるものであった。
そうした誰もが疑念に思えるテーマを実は山中教授はそのHPで試算してくれている。勿論、その計算式を明確に公開し、試算していることは言うまでもない。「問題提起のために、専門外ではありますがあえて計算してみました。」とあるが、大阪をはじめ京都などの指標となる数値が計算されている。
また、もう一つ重要なことがわかりやすく説明されている。それは「The Hammer and the Dance」についてで、日本のコロナ対策の基本方針としていることを西村大臣から発表されているが、勿論専門家会議の主要メンバーである西浦教授の考えであることは言うまでもない。おそらくこの理論に沿って緊急事態宣言の解除、「出口戦略」が作られるものと思う。これはロックダウン(都市封鎖)支持派のテキストとして広く読まれているが、西浦モデルはこの考えに沿ったものだ。ロックダウンという言葉を使わないで、三密を踏まえて「接触率80%減」を目指すという目標設定をしたというわけだ。しかし、実はこの理論とは全く異なる「現実・結果」が日本では進んでいる。つまり、「ハンマーなしでダンス」を目指すということである。こうした西浦モデルの背景は山中教授によって丸裸にされたと私は理解する。
何回も言うが、専門家会議の立てた理論は現実によって破綻宣告されており、そうしたことが徐々に広がりつつある。TVメディアも5月3日TBSの「サンデーモーニング」ではレギュラーコメンテーターである寺島実郎氏は西浦教授の発言を指して「恫喝するような対策は許さない」と語気を強めてコメントしていた。あるいはTBSの午後の帯番組「Nスタ」でもゲストコメンテーターである中部大学教授細川昌彦氏も専門家会議のクラスター戦略に沿ったPCR検査の絞り込みよって生まれた多くの問題に対し、更には正確なデータ不備について、その象徴である東京都の実態について厳しく指摘をしていた。

こうした「空気」を更に変えたのが大阪府知事による「出口戦略」の発表であろう。これはわかりやすい数値目標、つまり府民にとって努力可能なものとして提示したものである。大阪の場合、遡って見てもわかるように、中国観光客のバスガイドが感染したことを踏まえ、徹底的にその行動履歴を明らかにして感染拡大を防ぐ行動をとった。その後周知の和歌山県で起きた院内集団感染感染拡大に対しても、和歌県の要請を受けてPCR検査を肩代わりする、つまり近隣県とのネットワークも果たしている。更に、ライブハウスで感染クラスターが明らかになったときもライブハウス参加者に呼びかけ、つまりここでも情報公開を行ってきている。更には早い段階で病床確保にも動いており、十三にはコロナ専門病院も用意している。・・・・・・・こうした情報公開と準備を踏まえたうえでの「出口」の提示であるということである。大阪府民が支持するのも当然であろう。少なくともPCR検査を含め東京都とは違いデータの収集分析はシステマチックになされている。勿論、他県も同様であるが、東京が正確なデータで「出口」を示せないのに対し、大阪はかなり先へ進んでいる。

こうした「出口」を示す大阪に対し、東京都はロードマップによって感染収束の道筋を示すと記者会見で都知事は説明している。何故ロードマップなのか、それはPCR検査の収集管理が統一されたシステムによって行われてこなかったことによる。例えば、新規の検査者と既存感染者の2回目3回目の検査とが混在してしまっていたり、検査結果と検査日の日数のズレなどがあったり、・・・・・・・・保健所の職員の人たちも苦労しているのだが、今なお手書き情報で収集しているといった超アナログな状態であると聞いている。こうした情報収集の結果から不確かなものとなり、例えば「陽性率」のような重要な指標が出せないでいる状態である。都知事は大阪と比較し東京の規模は大きいからと説明するが、東京都の人口は1395万人、大阪府は882万人である。何倍もの規模ではない。東京都民は新規感染者数のグラフを示されるだけで、感染がどのように拡大しているのか、それとも収束に向かっているのか一つの指標である実効再生産数の数値などはタイムリーに示されないままである。これでは「出口」を数値で提示し、目標とすることはできないということである。大阪は財政に余裕がなく府民の協力を得るしかなく、東京は財政的に余力があり休業補償などへの協力金が用意できることからと、その違いを説明する専門家もいる。こうした違いの象徴ではないが、大阪府が新型コロナウイルスと向き合う医療現場のスタッフを支援する目的で創設した基金への寄付額が10億円を突破したと報じられている。これは入院患者の治療にあたる医師など医療従事者に一律20万円を支給するとのこと。府民・都民の「出口」の受け止め方であるが、やはりリーダーシップの違いにあるとするのが常識であろう。

さて、出口戦略というからには当然「入り口」があったはずである。勿論入り口は緊急事態宣言である。大きくは外出自粛という移動制限であり、その移動先である対象となる業種の休業要請となる。この宣言が出されたのは1ヶ月少し前の4月7日であった。その入り口の根拠となるのが、周知の三密を避ける行動、「接触80%減」という西浦モデルであった。しかし、宣言を行う前に感染のピークとなっており、感染力となる実効再生産数も既に東京は0.5、大阪も0.7と感染収束に向かっている数値であった。何故、緊急事態宣言なのか。宣言など出す必要があったのかという疑義である。特に実効再生産数については専門家会議からはその数式も素データも提示されていないが、前述の通り、山中伸弥教授がすでに試算し公開してくれている。大阪の吉村知事もこの実効再生産数の数値を目標としたかったようだが、そのデータ根拠が既に発表されている政府の数値と異なることもあって出口戦略に組み込まなかったようだ。最終的には政府の責任となるが、その根拠をつくった専門家会議の責任は極めて大きい。

こうした背景から専門家会議主導のコロナ対策から、大阪をはじめとした各地域のリーダーシップによる「出口」への空気が一挙に変わりはじめた。TV局もそうしたことに反応し、面白いことに「2週間後は東京もニューヨークの惨状になる。地獄になる!」と予言した感染症の大学教授も、「脅し・恫喝」から「心配」へと発言のトーンも変化しはじめた。そして、特定警戒都道府県以外の地方はそれまでの規制解除が始まった。そうした動きを加速させたのが、ドイツや韓国など各国の解除である。
解除された地域で感染者が拡大するのではないかという心配はあるが、国民は今までもそうであるがこれからもその懸命さで乗り越えるであろう。その象徴としてサッカーのキングカズの提言である「ロックダウンではなく、セルフダウン」を裏付けるようなデータ「Google行動解析」によって確認されている。これも山中教授のHPにて公開してくれている。ロックダウン、都市封鎖をした各国との比較で「日本は欧米よりは緩やかな制限により、最初の危機を乗り越えようとしていることがわかる。」とコメントしている。ここにも「正しく、恐れる」賢明な成熟した日本人がいることが見て取れる。

また、5月8日の深夜厚労省は記者会見で、新型コロナウイルスのPCR検査について、新たな相談の目安を公表し、「37度5分以上の発熱が4日以上」とした表記を取りやめたとのこと。数ヶ月前から検査の抑制理由を、医療崩壊につながることからと専門家会議も説明してきたが、ここでもやっと検査方針の転換を認め始めた。指定感染症という法律の付けの問題もあるが、相談窓口に保健所の「帰国者・接触者相談センター」とした制度設計自体が既に破綻してきている。既に、江戸川区においては独自にドライブスルー方式のPCR検査センターが実働に入っている。
この厚労省のガイドラインの方針転換についても、それまで「検査の抑制は医療崩壊につながる」とTV番組などでコメントしてきた感染症の大学教授達は今後どんなコメントをするのであろうか。
こうした時代の空気を受けて、恐怖から「出口」に向かっていく。大阪における「出口」戦略は、今後起こるであろう第2波、第3波の「入り口」にもつながるものであり、大阪の動きからも学ぶべきあろう。(続く)
  


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2020年05月03日

問われているのは「出口戦略」    

ヒット商品応援団日記No764(毎週更新) 2020.5.3.


ポストコロナ、あるいはコロナ後の世界といったキーワードが政治・経済をはじめ多くの分野で盛んに使われるようになった。いつの時代も予測好きはいるのだが、コロナ禍は現在進行中であり、少なくともまだまだ続く。そして聞こえてくるのは悲鳴しかなく、特に中小零細の飲食業の人たちの悲痛な声ばかりである。そうしたことを踏まえ、前回のブログでは「生き延びる知恵」を働かせて欲しいと書いた。ここ数日やっと日本経済への影響がリーマンショック以上の深刻さであることが報じられてきた。コロナ感染によって失われる命どころではない深刻なさが差し迫ってきていることにマスメディアもやっと気づき始めた。
ところで、「自粛」を促すには恐怖と強制が常套手段であると書いたが、「2週間後にはニュークになる」「地獄になってる」といった恐怖を煽るようなTVコメンテーターの発言も事実がそのように推移しなくなったことからその刺激的な発言もトーンダウンしてきた。一方私権を制限することが法的にもできない日本においては「強制」できない現実から「自粛警察」といったキーワードが流行る嫌な現象が生まれている。『自粛警察』とは、例えばクラスター感染のシンボリックな場所・施設となったライブハウスへの中傷で、営業中の店舗などに休業を促す張り紙をしたり、張り紙に文言を書き込んだりすることを指すとされる。他にも居酒屋など休業要請を指定されてはいない店舗への嫌がらせも出てくる状況が生まれている。私に言わせれば、「正義」の仮面をかぶった一種の嫌がらせであるが、憎むべき敵であるコロナウイルスが休業していない店舗にすり替えられての行為が至る所で見られるようになった。「恐怖」はこうした中傷をはじめとした差別を連れてきている。その象徴が『自粛警察』である。

こうした社会が生まれないように、新型コロナウイルスに関する「情報」を今確認できる事実に基づき、理性的に抑制的に伝えたいと発言しているあのiPS細胞研究所の山中教授医のHPを敢えてブログに書きリンクまでした。過剰な情報の中で、「何を」信用したら良いのかという直面する課題に対してである。山中教授の最新のHPの中に「新型コロナウィルス感染症対策に関する、研究者・臨床家から報道機関への要望書」が提言されており、その中で米国NYの医療従事者の自死に触れ「このウィルスは未知であるがゆえに、 人々の不安や分断を引き起こし、感染者に対する差別や偏見が高まっています。特に、もっとも感染リスクの高い医療従 事者が、差別や偏見を受けるという残念な状況も起きています。」と報道機関に向けて書かれている。
差別や偏見を助長している一つに報道があり、その根底には未知のウイルスであるが故の「不安」と「恐怖」がある。特にTV番組がそうであるのだが、ワイドショーという名前がそうであるように「ショー」という演出を否定はしないが、過剰なまでの表現・発言が多い。先日もテレビ朝日「モーニングショー」で”東京都の新型コロナウイルス感染者数が39人だったことについて、「(すべて)民間(医療機関)の検査の件数。土日は行政機関の(検査をしている)ところが休みになる」と発言したことについて、誤りだったして謝罪した。”多くの生活者が極度に敏感な中での誤りは極めて重大である。自覚なきTV番組はいずれ淘汰されるであろう。

ところで来週の5月6日には緊急事態宣言が発令されて1ヶ月になる。専門家会議や日本医師会は延長する可能性を示唆し、安倍首相もその方向で検討に入っていると報じられている。前述のテレビ朝日の誤報道ではないが、緊急事態宣言の発令の時、安倍首相は以下のようにその背景・根拠を記者会見で説明している。

「東京都では感染者の累計が1,000人を超えました。足元では5日で2倍になるペースで感染者が増加を続けており、このペースで感染拡大が続けば、2週間後には1万人、1か月後には8万人を超えることとなります。」

さて感染の現実はどう推移してきたかである。毎日のように感染者数は報道されてはいるが、東京都の感染者数は4000名ほどで後数日で8万人に至るであろうか。感染症専門家でなくても到底至らないことは自明である。政府は専門家会議の提言を受けての発令であるが、その専門家会議の提言の根拠が示されていないため一定の理解はあっても実感し得るものではない。未知のウイルスであることから予測は当らないとする意見もあるが、現実はまるで異なる結果となっている。
何故、そうした誤差とは言い難い結果となっているのかまるで理解しがたい。多くの国民が自ら「自粛」した結果であるという意見もあるが、果たしてそれで納得できるであろうか。少し前のブログにも書いたが、「理屈」では納得はしない。行動の変容を促すには強制と恐怖であると指摘をしてきた。勿論日本は私権を制限することはできないことから「自粛」という方向を打ち出し、私も賛成するものであるが、「恐怖」を根拠とした政策には同意できない。その根拠であるが、専門家会議のメンバーである西浦教授の説明によれば(YouTube)、感染拡大の数理モデルにはドイツにおける感染率、実効再生産数1.7を使ったとのこと。実はこの数理モデルの鍵はこの一人の感染者が他者何人にうつすかという変数の設定にあることがわかる。実は今回専門家会議からの説明でやっとこの鍵となる数値が出てきた。
その中で注目すべき驚くべき内容が明らかにされた。確か3月中旬時点での感染率、実効再生産数1.7を使ったとのことであったが、やっとこの現実データが明らかになった。ちなみに4月10日時点での全国庭訓では0.71、東京においてはなんと0.53であったという驚くべき事実であった。しかも、安倍首相が緊急事態宣言を発令されたのは4月7日である。実効再生産数は1以下であれば収束に向かい、1以上であれば感染拡大に向かう値される指標であるが、発令の時にはある意味収束に向かっていた時期であった。この実効再生産数は日本の場合、算出するのに時間がかかっているとのことであるが、安倍首相の発令時に説明した理由にあった感染拡大の数しがまるで異なる結果になったのはある意味当たり前のことである。

もう一つ出てきたデータが感染者がいつ発症したかというデータである。TV報道においても繰り返し確認されているが、PCR検査によって確認された日と実際に発症した日にはほぼ2週間ほどの違いがあると。今回やっと発症日という正確なデータが公開されている。このデータ(グラフ)を見てさらに驚いたのは感染のピークは4月1日であったということである。緊急事態宣言の1週間前であったということである。そして、そのピーク時はあの志村けんさんが亡くなった日(3月29日)とほぼ重なっていることに気づく。当時の衝撃について次のようにブログに書いた。

『前回のブログでTV番組出演し感染の恐ろしさを繰り返し話しても伝わりはしないと指摘をしてきた。感染学の講義、つまり「理屈」では人を動かすことはできないということである。数日前に亡くなったコメディアンの志村けんさんの「事実」の方が衝撃的なメッセージとなっている。感染後わずか6日後に亡くなってしまうその恐ろしさ、最後の別れすらできない感染病のつらさ。それらは極めて強いメッセージとして心に突き刺さる。いみじくも政府の専門家会議の主要メンバーが国民に「伝えられなかった」と反省の弁を述べていたが、その通りで志村けんさんの「死」の方が何百倍も伝わったということである。』

専門家会議の提言を踏まえ緊急事態宣言が1ヶ月jほど延長されることになると思うが、コロナ危機の出口戦略についてまるで見出すことができていない専門家会議だけの方針では不十分と言うより経済の専門家の意見をも取り入れなくてはならない。続々と倒産件数・失業者数が増えてきている。企業破綻は即家計破綻であり、社会のシステムをも壊し始めている。その破綻を防ぐ一つの示唆をあのiPS細胞研究所の山中伸弥教授はその更新された一番新しいHPで明確に次のように提言してくれている。

有効再生産数(Rt)が経済活動再開の指標
『武漢での1月から3月までの有効再生産数(Rt)に関する論文を紹介し、アメリカの経済活動再開を決めるための指標として、CDCが全米および各州のRtを毎週発表することの重要性を主張している。活動を徐々に再開してもRtが1を超えないかを確認してく必要があると主張している。科学的根拠に基づいた透明性の高い政策決定が求められる。』

つまり、多くの感染ウイルスがそうであるように、今回も長期化していく。問われているのはその「出口戦略」で、経済抜きではあり得ない。専門家会議の提言にある「新たな生活様式」は単なる戦術レベルの話で、問われているのは社会経済全体への「指標」となるものではない。「三密」を否定はしないが、必要なのは長期に渡ってウイルスと付き合っていく「物差し」である。慶應大学病院や最近では神戸市立医療センター中央市民病院において「抗体検査」が行われている。同病院のチームによれば、4月7日の緊急事態宣言が出る前に、既に2.7%に当たる約4万1千人に感染歴があったことになるという。何故、感染しているのに発症しないのかと言う「免疫」の問題である。ある意味ウイルスと共生していくことになると思うが、その根幹となる「免疫」の解明である。専門家会議も「クラスター対策班」から、「免疫解明班」にシフトした方が良いかと思う。

ところでここ数年個人においても企業においても、ある意味「三密」が求められてきた経緯がある。例えば、「気合わせ会」といった小さな飲み会に会社から援助金が出たり、全社レベルにおいても運動会のようなイベントが行われ職場単位で競争したり、・・・・・こうした個人単位、専門部署単位の仕事の壁からひととき離れた時間や場所が求められてきたことによる。つまり、既にテレワークなどと言わなくても現実は先に進んでいるのだ。「自粛」と言うキーワードに変わるものがあるとすれば、それは「自制」であろう。更に、個々人、個々の企業、個々の団体、が自制すると言うことだが、その自制の中にアイディアもまた生まれる。
コロナ禍の震源と揶揄されたライブハウスがネットを使った「ライブ配信」をはじめたように。飲食では店頭での弁当販売からチルド商品や冷凍食品にしてネット通販を始めているように。つまり、新しい業態の可能性を探っている。これらは「自制」の模索から生まれたものだ。言うまでもなく、この「自制」とは顧客との関係におけることで、「自粛警察」とは真逆のことである。サッカーのキングカズが提言しているように、ロックダウンではなく、「セルフダウン」の意味と同じである。自ら律した行動を取ろうと言うことだ。現場的に言えば、「自制」の先に出口が見出せると言うことである。(続く)

型コロナウイルス感染症対策専門家会議
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000627254.pdf
  
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2020年04月16日

連帯してコロナと戦う 

ヒット商品応援団日記No763(毎週更新) 2020.4.16。


このブログを始めて15年経つが、始めた動機の一つが周知のP、ドラッカーであった。ある意味、ビジネスの古典になった師であるが、次々と起こる変化に対し常に冷静に真摯に向き合った師であった。その変化は一時期的なものではなく、本質に根ざした変化であるかを根拠を持って問い、そのことに意味と重要性があるのであれば、その変化がもたらしてくれる機会を活用すること、そんな着眼を教えてくれた師であった。今から6年前には未来塾として「町」の変化を観察し、どんな変化が出てきているのかをレポートしてきた。以来39回続けているが、その第一回目は「人通りの絶えた町・浅草」であった。
本来であれば、街を歩き観察したいのだが、勿論自粛することにしている。人はどんな思いで、魅力を感じ集まるのか、つまり「賑わい」はどのように生まれているのかを観察してきた。実は今回の新型コロナウイルス感染の発生源とされる三密(「密閉」「密集」「密接」)と「賑わい」はほぼ重なる街・場所であり、人を惹き付けるテーマを抑制する戦いが求められている。

緊急事態宣言後、東京都は休業要請の業種を発表した。その週末どんな変化が起きていたかメディアはレポートしている。本来であれば、私自身が街を歩き観察したいのだが、公開されている情報を整理すると以下のようになる。
・大型商業施設である百貨店やショッピングセンラーが一部フロアを残し、臨時休館したこともあって、当然ではあるがゴーストタウン化した。特に都心部の百貨店の場合は全館休業としたため人通りはほとんどない状態となった。また周辺の専門店もシャッターを下ろし、東京をはじめとした都市は今まで見たことのない光景であったと。またスマホによる地域別データ(ビッグデータ)によると4月7日の渋谷などでは以前と比較し70%減であった。
・一方、生活圏である都心近郊の商店街あるいはホームセンターには家族連れの人が押し寄せいつも以上の賑わいを見せていたと。以前レポートした砂町銀座商店街や戸越銀座商店街、あるいは吉祥寺の街などが取り上げられていたが、こうした三密の無いと思われる近郊住宅街の業種は通常営業しており、混雑していた。先日のブログにも書いたが、百貨店とは異なり2月のスーパーマーケットの売り上げは前年比大きくプラスとなっており、業種によって全く異なる結果となっている。
・これは報道によるものでその実態は確認してはいないが、三密からは外れたアウトドア場所、近所の公園や別荘、あるいはキャンプ場などは家族連れの賑わいがあった。近所のスーパー以外の移動にはほとんどが乗用車による移動で、休業要請から外れた近県のパチンコ店は賑わっているという報道もあった。

つまり、三密という自粛要請にはある程度応えてはいるが、移動手段や場所は変わっても逆に集中してしまい「賑わい」が生まれているという皮肉な現実があった。東京都は食品スーパーには買い物の代表を一人にして欲しいとの要請を出す始末となっている。どうしてこうした現象が起きるのかは、後ほど述べるが、政府や諮問機関である専門家会議からの情報に沿って、ある意味素直に生活者は行動していることがわかる。その象徴が「三密」で、予想外の賑わいも生活者個々人の理解によって生まれたものである。賑わいを観察してきた私にとって、予想外でも何でもない。

こうした移動を更に抑制するために個々人の行動を変えて欲しいとのメッセージが盛んに発せられるようになった。政府の諮問機関である専門家会議の感染シュミレーションに基づき人との接触を80%削減、最低でも70%削減して欲しいというものであった。このシュミレーションを作成した北海道大学の西浦教授自身もSNSに出演しそのシュミレーションを説明している。新型コロナウイルスを封じ込めるためのものであるが、感染症における感染のメカニズムが理解できない上に、そのシュミレーションの「根拠」が何であるのか、数理モデルの根拠がまるでわからない。
結果、この1週間主にTVメディアはどうしたら接触人数を減らすことができるか、その論議に終始している状態である。つまり、その根拠が「わからない」ということ、しかも実感できないということである。前回も少し触れたが、「理屈」では人の行動は変わらないということである。確か都知事は危機感からであると思うが、「ロックダウン」(都市封鎖)することになると発言した途端、その夜からスーパーに都民が押し寄せ、翌日のスーパーの棚にはほとんど商品は残ってはいなかった。米、インスタントラーメン、パスタ、レトルト食品、・・・・・・巣ごもり生活用の商品である。こうしたパニックが起きたのも、繰り返し放送されるパリやニューヨークのロックダウンした街の光景を見せられての行動である。

ところで社会心理学を持ち出すまでもなく、行動の変容を促すには恐怖と強制が効果的であると言われている。そして、恐怖は憎悪を産み、分断・差別を促す。憎むべきウイルスは次第にルールを逸脱する人間へと変わっていく。少し前になるが、ゼミやサークルの懇親会で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した京都産業大に対し、抗議や意見の電話やメールが数百件寄せられているとの報道があった。抗議どころかあるTV番組のコメンテーターはウイルスを撒き散らした学生にはまともな治療を受けさせるなと暴言を吐く始末である。
あるいは同じ番組であるが、今度は外出の自粛要請の休日に禁止されている区域に潮干狩りをしているとの報道を踏まえてと思うが、感染症学の教授が「二週間後はニューヨークになってる。地獄になってる」と発言したのには驚きを越えてこの人物は大学教授なのか、教育者としての知性・人間性を疑ってしまった。ニューヨークのようになってはならないと発言するのであればわかるが、それにしても「地獄」などといった言葉は間違っても使ってはならない。つまり、恐怖心をただ煽っただけで、しかも専門分野の教授の発言であるからだ、
新型コロナウイルスを「敵」としながら、恐怖と強制に従わない人たちを差別どころか次第に敵とみなしていく。社会の決めたルールを守らない人間は社会の敵であると。恐ろしいのはそうした「恐怖」「脅し」が蔓延していく社会である。そこには寛容もなく、連帯もなく、ただ憎悪だけである。

実は前回京都大学iPS細胞研究所の山中教授のHP「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」を取り上げたが、そのHPには新型コロナウイルス感染の対策としての提言の他にわかりやすく「ウイルの正体」について書かれたページがある。その中に「証拠(エビデンス)の強さによる情報分類」https://www.covid19-yamanaka.com/cont7/main.htmlというページがある。過剰な情報が錯綜し混乱状態にある中で、見事に「情報」の整理・分類をしてくれている。例えば、「証拠(エビデンス)があり、正しい可能性が高い情報」~「正しい可能性があるが、さらなる証拠(エビデンス)が必要な情報」~「正しいかもしれないが、さらなる証拠(エビデンス)が必要な情報」~「証拠(エビデンス)の乏しい情報」、このように分類してくれている。
現段階で分かったこと、その証拠が正しい可能性が高いかどうかを冷静に整理してくれている。ここには理性を持って新型コロナウイルスに向き合う態度がある。マスメディア、特に「刺激」ばかりを追い求めてきたTVメディアの態度とは真逆である。こうした「証拠」に基づいた提言こそが必要であり、恐怖による行動変容は一時期的に「表面的な自粛が行われても、同時に人と人との間に憎しみや争いを生むことになる。

東日本大震災の時もそうであったが、「現場」で新しい新型コロナウイルスとの戦いが始まっている。医療現場もそうであるが、マスクや医療用具の製造などメーカーは自主的に動き始めている。助け合いの精神が具体的行動となって社会の表面に出てきたということである。「できること」から始めてみようということである。その良き事例としてあのサッカーのレジェンドキングカズはHP上で「都市封鎖をしなくたって、被害を小さく食い止められた。やはり日本人は素晴らしい」。そう記憶されるように。力を発揮するなら今、そうとらえて僕はできることをする。ロックダウンでなく「セルフ・ロックダウン」でいくよ、と発信している。そして、「自分たちを信じる。僕たちのモラル、秩序と連帯、日本のアイデンティティーで乗り切ってみせる。そんな見本を示せたらいいね。」とも。恐怖と強制による行動変容ではなく、キングカズが発言しているように、今からできることから始めるということに尽きる。人との接触を80%無くすとは、一律ではなく、一人一人異なっていいじゃないかということである。どんな結果が待っているかはわからない。しかし、それが今の日本を映し出しているということだ。
東日本大震災の時に生まれたのが「絆」であった。今回の新型コロナウイルス災害では「連帯」がコミュニティのキーワードとなって欲しいものである。

こうした戦い方を可能にするにはやはり休業補償であることは言うまでもない。医療というという現場と連帯するには今回休業要請のあった業種の人たちである。特に中小・個人営業の飲食店で、家賃と人件費という固定費への補償である。その多くは日銭商売となっており、それら固定費の支払いは待ったなしである。求められているのはスピードで、例えば福岡における支援のように家賃への補助も一つの方法である。各自治体のやり方に任せることだ。これから補正予算案が国会で論議されることになっているが、その中の地方に交付される資金が1兆円予定されているようであるが、それこそ最低でも5兆円にまで増額し支援すべきであろう。なぜなら、嫌なことではあるが、長い戦いになるからである。
また、公明党の山口代表は安倍首相に一律10万円給付すべきとの提案をしたと報道されている。できれば更に消費税を今年の秋から2年ほど凍結したら良いかと思う。つまり、新型コロナウイルスによって亡くなる人をこれ以上出してはならないと同時に、嫌な言葉であるが、ビジネス現場で自殺者を出してはならないということである。医療・命と経済という二者択一的発想ではなく、両方の世界で戦うこと、ここに「連帯」の道がある。東日本大震災の時は絆をキーワードに国民は復興特別税を引き受けたが、今回は財源として国債の発行も良いかと思うが、「感染防止連隊税」のような法律も良いかと思う。いずれにせよ東日本大震災の時と同じように連帯して戦うということだ。連帯は理屈ではなく、現場で戦う人たちとの共感によってのみつくることができる。どれだけの長期戦になるかわからないが、であればこそ連帯した戦い方しかない。(続く)
  


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2020年04月05日

生き延びるための知恵 

ヒット商品応援団日記No762(毎週更新) 2020.4.5。


1ヶ月半ほど前に「人通りの絶えた街へ」というタイトルでブログを書いた。その通り街の風景は日本のみならず世界へと広がっている。しかも、感染者の多いイタリアやスペイン、フランス、特に危機的状況にある米国のニューヨークは一瞬の内にゴーストタウン化した。
そして、今回の新型コロナウイルス感染が及ぼす社会・経済への影響を考えるにあたり、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災を一つの事例としてブログを書いてきた。しかし、事態は1990年代初頭のバブル崩壊によるパラダイム転換(価値観の転換)を促した視点が必要であるとも書いた。その最大理由はバブル崩壊によってそれまでの多くの価値観が崩壊したが、当時言われていたのは「神話」の崩壊であった。上がることはあっても下がることはないとした不動産神話、重厚長大であるが故の揺るがない大企業神話、決して潰れることはないと信じられてきた銀行・金融神話、・・・・・・・・・神話とは「こころ」のなせるものである。情緒的な表現になるが、神話崩壊とは「こころ」が壊れてしまったということだ。壊れたこころをどのように立て直すのかが平成の時代の最大テーマであった。生活者は勿論のこと、大企業も、中小企業も、街場の商店も。今一度、未来塾の「バブル崩壊から学ぶ」を読んでいただきたいが、学びの根底にあったのが、実は「過剰」であった。例えば、バブル崩壊後日本の産業を立て直すために多くの製造業は中国を目指し、国内産業の空洞化が叫ばれたが、同時に部品メーカーも続々と中国に渡った。いわゆるグローバル産業化である。今回の感染源である中国湖北省の壊滅的感染爆発によってサプライチェーンが切断され経済がストップしてしまったことは周知の通りである。こうした事態を懸念し既に数年前からリスク分散、チャイナプラスワンの必要を指摘した専門家も少しはいたが、日本の社会経済潮流はグローバル化の道を歩んできた。

ところで、2~3年前からブログに訪日外国人市場、インバウンド市場、特に京都観光の実情を書いてきたが、いわゆるオーバーツーリズムのコントロールは議論されないままであった。観光産業におけるグローバル化という課題である。結果どうなったか、中国観光客のみならず、多くの訪日観光ビジネスは今壊滅的打撃を受けている。ウイルスの感染を防ぐために人の「移動」は極端に規制される。このインバウンドビジネスは今年開催予定であった東京オリンピックが後押しし、過剰な期待が生まれ、結果設備投資が行われきた。オーバーツーリズムとは過剰観光のことである。しかも、観光産業の中心顧客であった日本人シニア層へのシフト変更もうまくはいかない。それは新型コロナウイルス感染における致死率が高齢者ほど高いという事実があり、残念ながらコロナショックが終息しない限り好きな旅行には行かないであろう。
つまり、この3年ほどの観光産業の好景気は「バブル」であったと理解し、3年以前に今一度戻ってみるということである。その時、観光ビジネスの「見え方」も変わってくるということだ。その見え方の物差しに「過剰」であったかどうかということである。例えば京都で言うならば、インバウンド顧客を第一とするならばインバウンドバブルによってほとんどの市場は無くなった、つまり混雑を嫌った日本人観光客を第二の顧客として再び顧客を再び呼び戻すこと。それでも経営ができなければ第三の顧客として地元京都や関西圏の近隣顧客に京都観光の深掘りを実践してみると言うことである。足元を見つめ直し、新たな「京都」を発見あるいは創造してみると言うことである。例えば、この「京都」を東京の「浅草」や「築地場外市場」に置き換えても同じである。

別な表現をすれば、過去培ってきた顧客の「信頼」はどうであったかを今一度見つめ直すと言うことである。極論を言えば、”あなた(店)であれば、お任せます”ということ、安心という信頼が築けていたかと言うことになる。最も商売の原点がどうであったかと言うことだ。
ところで商売するうえで接触感染を防ぐことは大事である。デリバリービジネスやネット通販、あるいは高齢者向けの買物代行などの急成長はそれなりの理由は当然である。しかし、今回のコロナショックは最低でも1年間は続く。店舗を構える業態の場合、入店したらアルコール消毒液を使うことは勿論、安心のためのサービスは不可欠である。飲食店であればテイクアウトを始めたり、物販であればセルフスタイル導入も考えても良いかと思う。また、顧客同士の接触を少なくするための「距離」、ソーシャルディスタンシングを考えた席のレイアウトをはじめとした店内レイアウトの変更も必要になるであろう。これはウイルスという見えない敵と戦っていることを顧客の目に見えるようにする。つまり、自己防衛のための「見える化」である。しかし、どんな乗り越える工夫や手段を講じようが、基本は顧客との「信頼」があるかどうか、どの程度の信頼であったかどうかを見つめ直すことも必要であろう。

さて、ここ数週間小売現場で売れているのは生活必需品のみである。しかも、嗜好性の高い選択消費である商品はほとんど売れてはいない。選択的商品の中で唯一売れているのは人との接触のない自然相手のキャンプ関連商品、アウトドア商品のみである。勿論、人と人との接触のない散歩以外の「遊び」である。生活者の楽しみは換気の良い「アウトドア」「自然相手」と言うことになる。また、別荘地へのコロナ避難も始まっている。
このように生活者の心は遊びは自粛され、内側へ内側へと向かう。向かわせているのは勿論不安であり、その不安はいつになったら終息するのかと言うことに尽きる。多くの疫学の専門家によれば「長期戦」になるであろうと報告されている。また、東京・大阪といった大都市において「都市封鎖」といった議論も行われている。そうならないための「自粛要請」が行われているが、その程度の要請でも飲食などの特定業種の売上は通常のせいぜい20~30%程度であろう。人件費も家賃にもならない状況である。
シンクタンクの第一生命経済研究所は先月30日、新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めるため東京都でロックダウン(都市封鎖)が行われた場合、1カ月で実質GDP(国内総生産)が5兆1000億円減少するとの試算を公表した。試算は、4月1日から大型連休前の同24日まで、企業が平日の出勤を日曜日並みに抑えたとの仮定に基づいて実施した。封鎖の対象が埼玉、千葉、神奈川の3県を含む南関東全域に拡大された場合、減少額は8兆9000億円に達するという。

そして、緊急事態宣言という国民の主権、特に移動を制限する法律が議論されている。その移動先である流通業に対する要請であるが、例えば今回東京では臨時休館した百貨店や渋谷109のようにより強い要請である。問題なのはそうした「要請」「指導」に対する休業補償である。それは事業主とそこに働く従業員への補償であるが、報道されているような感染防止と経済のバランスといった「一般論」ではない。これは推測はあるが、政府もこうした丁寧な補償という実質的な支援を考えて欲しい。前回ブログで書いたようにこれも「現場」への支援であり、特に経営体力の無い中小零細企業への支援である。この現場の力無くしては危機を超えることはできない。「思い切った、前例に囚われない支援」とは医療現場、ビジネス現場への直接的で具体的な支援である。
今起こっている危機に対し、あの山中伸弥教授は以下のような5づの提言を投げかけてくれている。
提言1 今すぐ強力な対策を開始する
提言2 感染者の症状に応じた受入れ体制の整備
提言3 徹底的な検査(提言2の実行が前提)
提言4 国民への協力要請と適切な補償
提言5 ワクチンと治療薬の開発に集中投資を
詳細はHPを読まれたら良いかと思うが、提言4については「国民に対して長期戦への対応協力を要請するべきです。休業等への補償、給与や雇用の保証が必須です。」と明言されている。あまりにも進まない「現場支援」を求めての提言である。
前回のブログでTV番組出演し感染の恐ろしさを繰り返し話しても伝わりはしないと指摘をしてきた。感染学の講義、つまり「理屈」では人を動かすことはできないということである。数日前に亡くなったコメディアンの志村けんさんの「事実」の方が衝撃的なメッセージとなっている。感染後わずか6日後に亡くなってしまうその恐ろしさ、最後の別れすらできない感染病のつらさ。それらは極めて強いメッセージとして心に突き刺さる。いみじくも政府の専門家会議の主要メンバーが国民に「伝えられなかった」と反省の弁を述べていたが、その通りで志村けんさんの「死」の方が何百倍も伝わったということである。
2週間ほど前にSNSに流されたデマ情報によって、トイレットペーパーが店頭から無くなったことがあった。周知のデマによるパニックであるが、大手のスーパーがやったことはすぐさま大量のトイレットペーパーを山積みして販売した。つまり、目の前に十分商品はあると「実感」することによってのみ不安は解消される。マスクについてはどうであるかと言えば、使い捨てではなく洗って再利用できる布製のマスクを全世帯に2枚宅配するという。それは決して悪いことではないが、少し前に6億枚が3月中に流通されるとアナウンスされたが、その6億枚はどこに行ったのか、医療関係者や福祉関連の施設に優先的に回したと言われていると説明される。つまり、既にマスクにおいてもパニック買いが起こっており、膨大な量のマスクが必要になってしまっているということである。緊急事態宣言などが発表されればそれこそ生活者にはマスクは手に入らないことになる。そこで再利用可能な布製になったということであろう。すべてが後手後手になってしまっているということである。しかも、WHOは布製マスクは効果がないので推奨しないと断言している。費用は200億円以上だというが、少しでも安心材料となる抗体の有無がわかるIgG/IgM 抗体検査キットなどに使った方が良いとする医療専門家も多い。小さな子供を持つ主婦は手製の布製のマスクを作っている。しかも、効果が薄いからとマスクの内側にポケットを作って、そこにティシュペーパーやペーパータオルを入れて少しでも効果を高める工夫がなされているのが現実である。

コロナショックによる業績不振から新卒学生の内定の取り消しや非正規社員の雇い止めも始まっている。既に報道されているように観光産業であるホテル、旅行会社、次いで観光地の飲食店や土産物店。更にはアパレルファッション業界にも大不況の波は押し寄せてくるであろう。また、トヨタが自動車需要縮小を見越して減産態勢に入ったように、製造業である自動車や家電へと広がっていくであろう。そして、4月1日現在で、倒産は13件隣、弁護士一任などの法的手続き準備中は17件で、合計30件が経営破綻している。これはまだ始まったばかりであり、日本の産業全体に押し寄せてくる。
まずは公的な助成金など支援策は全て活用することは言うまでもない。ただ、東京都の場合中小企業支援には多くの申し込みがあり、総額は1300億円近くになったとのこと。当初事業予算の5倍ほどとなり再度検討するという。つまり、それほどの運転資金需要が生まれているということである。
こうした喫緊の課題に対応すると同時に、中期的な視野からのビジネス・商売も考えていく「時」となっている。それはバブル崩壊によって多くの価値観が壊れ、そして生まれてきたように、コロナと戦いながら考えていくとうことである。その視点にはやはりこれから目指すべき新たな「信頼」を考えていくということに尽きる。その信頼とは、顧客との信頼であり、働く人との信頼であり、更には仕入れ先もあれな支払先もあるであろう。そうした信頼とは広く「社会」に向けた信頼ということになる。振り返れば、世界に誇れる日本の第一は何かと言えば、「老舗大国」としての日本である。生き延びる知恵を老舗から学ぶということでもある。

創業578年、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている世界最古の宮大工の会社がある。その金剛組の最大の危機は明治維新で、廃仏毀釈の嵐が全国に吹き荒れ、寺社仏閣からの仕事依頼が激減した時だと言われている。有名な話では国宝に指定されている興福寺の五重塔が売りに出され薪にされようとしたほどの混乱した時代であった。更に試練は以降も続き、米国発の昭和恐慌の頃、三十七代目はご先祖様に申し訳ないと割腹自殺を遂げている。また、数年前にも経営危機があり、同じ大阪の高松建設が支援に動いたと聞いている。
今回のコロナショックによって米国の新規失業保険申請件数が発表され、664万8000件という圧倒的な過去最大の数字が出たと報道されている。これは米国の失業数が爆発的に増えていることを意味し、この状況が数ヶ月続くとアメリカの失業率が世界恐慌時のレベルにまで到達することになるとも。
そんな苦難の時代を乗り越えさせてきた金剛組であるが。何がそこまで駆り立てるのか、守り、継承させていくものは何か、老舗に学ぶ点はそこにある。
何故、生き延びることができたのか、それは金剛組の仕事そのものにあると思う。宮大工という仕事はその表面からはできの善し悪しは分からない。200年後、300年後に建物を解体した時、初めてその技がわかるというものだ。見えない技、これが伝統と言えるのかも知れないが、見えないものであることを信じられる社会・風土、顧客が日本にあればこそ、世界最古の会社の存続を可能にしたということだ。

金剛組という会社は特殊な事例かもしれないが、他にも生き延びる術を知った老舗はいくらでもある。私が一時期よく行った鳥取に、明治元年創業の「ふろしきまんじゅう」という老舗の和菓子がある。賞味期限は3日という生菓子で、田舎まんじゅうとあるが品のある極めて美味しいお菓子である。鳥取県人、和菓子業界の人にとってはよく知られた商品と思うが、東京の人間にとってはほとんど知られてはいない商品だ。ところで企業理念には「変わらぬこと。変えないこと」とある。変化の時代にあって、まさに逆行したような在り方である。いや、逆行というより、そうした競争至上主義的世界から超然としたビジネスとしてあるといった方が正解であろう。人はその世界をオンリーワンとか、固有、他に真似のできないオリジナル商品と呼称されるが、学ぶべきは「変わらぬこと。変えないこと」というポリシーにある。それは「変わらない何が」に顧客は支持し、つまり永く信頼を得てきたのかということでもある。

ところで企業経営における基本であるが、「有用性」という視座に立てば、まず「有るもの」を見直し、使い回したり、転用したり、知恵を駆使して生き延びる。「有るもの」、それは技術であったり、人材であったり、お金では買えない信用信頼・暖簾であったりする。勿論、こうした無形のものの前に、有形の土地や建物、設備といった資産の活用も前提としてある。つまり、生き延びるための重要な戦略は、変えるべきことと、継続すべき、守るべき何かを明確にすることから始まる。老舗にはそうした考えを元に引き継がれてきたということである。日本の観光産業を一種のバブルであったとしたのもこうした理由からである。

4月4日東京の新型コロナウイルス感染者が118人に及んだと発表された。恐らく近い内に緊急事態宣言が行われ、感染度合いの大きい大都市や繁華街が一定期間「制限」されることになるであろう。企業も生活者も「不自由」な活動となる。これからも混乱・パニックは起きる。企業も生活者も生き延びるための試練を迎えるということだ。(続く)
  


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2020年03月25日

間違えてはならない、「現場」によってのみ危機は乗り越えることができる 

ヒット商品応援団日記No761(毎週更新) 2020.3.25。

前回ブログのタイトルは「パニック前夜」であった。そのパニックは日本国内から世界へ、「移動の抑制・制限」にとどまらず、「金融・株式市場」のパニックへと伝播し、周知のようにリーマンショックの時以上の株が投げ売りされている。私のブログに「巣ごもり生活」というキーワードでアクセスする人が増えているが、これは10%の消費増税が実施され、消費経済が大きく落ち込んだ背景を踏まえた予測であった。その消費増税の実際は、駆け込み需要もそれほどみられず、昨年10月以降は周知の通りGDPはマイナス成長となった。
ところで、「巣ごもり」といった少しの消費抑制程度の危機どころではなくなった。1990年代初頭のバブル崩壊の時に使われた「氷河期」というキーワードを前回のブログに書いた。その氷河期が表す意味は、就職時期に重なった世代がどの企業も採用を減らし就職できない若い世代が一挙に増えたことを言い表した言葉であった。以降、就職できない若い世代をフリーターといった言葉や、後に正規・非正規労働といった働き方自体を変えることになった。つまり、単なる就職難といったことが起きつつあることを指摘したのではない。つまり、これまでの価値観を変えなければならないフェーズに向かっていると理解すべきである。

一般論ではあるが、経済ショックは主に需要ショック、供給ショック、金融ショックの3つがある。この一年ほど起きた「事件」に沿って理解するとすれば、例えば需要ショックは増税等によって消費や設備投資が減少し経済が低迷すること、供給ショックは今回の新型コロナウイルスの震源地である中国湖北省周辺にある工場などの供給がストップあるいは製造能力の毀損によって経済が低迷すること、金融ショックは金融機関の破綻等によって経済が低迷することを指す。今回は新型コロナウイルスの感染拡大によって工場の生産能力低下、供給網や交通網の遮断、小売り店舗の一部閉鎖などが起こったこと、つまりサプライチェーンの機能不全である。そして、今回の金融コロナショックである。そもそも中央銀行による利下げは需要ショックに対処する金融政策なので(FRBが緊急利下げを行ったところで感染拡大を抑制(供給能力を回復)できるわけではない)、株式市場が「売り」で反応しても不思議ではない。つまり、3つのショックが日本のみならず、世界中で起きているという理解である。

ところでバブル崩壊によって「何が」起きたか今一度考えて見ることが必要である。まず社会現象として初めて現れてきたのが「リストラ」であった。リストラの舞台については後にベストセラーとなった麒麟の田村が書いた「ホームレス中学生」を思い起こしてもらえれば十分であろう。残業がなくなり「父帰る」というキーワードとともに、外食が減り、味噌・醤油といった内食需要が高まった時代である。現在の夫婦共稼ぎ時代で置き換えれば、半調理済食品やレトルト食品や冷凍食品になる。この内食傾向はスーパーマーケットの売り上げが前年比プラスであったのに対し、百貨店の場合は周知のように大きくマイナス成長であった。また、「リーズナブル」という言葉とともに、「価格」の再考が始まる。これは後にデフレ経済へと向かっていくのだが、注視すべきは流通の変化で百貨店からSC(ショッピングセンター)への転換と通販の勃興である。今回のコロナショックは百貨店の主要な2大顧客であるインバウンド需要と株式投資などの主要メンバーである個人投資家の消費が減少し、百貨店は更に苦境に陥るということである。この2大顧客は勿論のこと観光・旅行産業の中心顧客であり、コロナショックは直撃していることは言うまでもない。

ところで新型コロナウイルス感染症に関する中小企業・小規模事業者の資金繰りについて中小企業金融相談窓口が開設されている。梶山経済産業大臣は、新型コロナウイルスに関する国などの支援窓口への相談件数が、驚くことに6万件近くに上っていることを明らかにした。その内の、9割が資金繰りの相談だということ。いかに経営体力がない状態に陥っているかがわかる。観光や飲食だけでなく、製造業を含む幅広い業種に影響が広がっている。政府はすでに支援策を打ち出したが、中小企業の手元資金は1カ月分程度とされる。
1ヶ月ほど前のブログに「移動抑制は消費経済に直接影響する」と書いた。2月の東海道新幹線の利用者は前年同月比8%減だったが、3月に入って落ち込み幅が拡大。1日~9日の利用者は前年同期比56%減となり、東日本大震災が発生した2011年3月の落ち込み幅(20%減)を大きく上回った。「2月後半からここまでになるとは予想していなかった」と報道されている。
国連の国際民間航空機関(ICAO)は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うキャンセルの増加で、世界の航空会社の売上高が今年第1・四半期に40億ドル━50億ドル減少する可能性があるとの試算を示している。ICAOは声明で、キャンセルは規模でも地域的な広がりの面でも2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)流行時を上回っており、航空業界に与える影響もSARSより大きいとみられると指摘している。
ちなみにICAOによると、70の航空会社が中国に就航する国際線の運航をすべて停止し、これとは別に50社が減便している。これにより、中国に就航する国際線の直行便の旅客輸送能力は80%落ち込み、中国の航空会社は40%減少したとも。そして、この報道を追いかけるように日本のANA海外便の大幅な減少どころか国内便需要も大きく落ち始めている。ちなみにANA、JALともに3月の予約数は前年比で約4割減少とのこと。

消費氷河期とは単なる抑制した「巣ごもり生活」ではなく、残念ながら多くの凍死と言う倒産企業を産み、リストラされる労働者もまた続出する社会のことである。フリーター、アルバイト、非正規労働者にとどまらず正規労働者も解雇される時代ということである。ちょうど30年前のバブル崩壊後の風景に近い。
やっと与野党の政治家からコロナショック対策の発言が見られるようになった。そして、思い切った政策が必要であるとも。そして、論調の多くは2つに分かれる。1つは一定期間消費税を凍結、つまり消費税をゼロにして消費を活性させる案である。もう一つが子育て世代とか、生活困窮者といった従来の考えから離れ直接全ての個人生活者へ例えば5万円あるいは商品券を給付するという案である。共に、凍える生活者の財布を少しでも楽にする大胆な財政政策である。従来のキャッシュレスによるポイント還元などとは根底から異なるもので、こうした政策の進展と共に、「移動の抑制」緩和を徐々に進めていくことである。例えば、小中高の一斉休校のように「一斉」ではなく、感染者のいない地域、市町村では既に始まっているように通常の学校生活をスタートさせる。スポーツ・文化イベントもその規模やクラスター感染が起こる条件などを精査し、ガイドラインを作り徐々に緩和していくということである。ある意味、新型コロナウイルスと徐々に折り合いをつけていく方法である。その司令塔は現場である地域であり、独自な組織を持って対応していく「大阪」のような方法も一つであろう。

マスメディア、特にTVメディアによるPCR検査拡充の是非論議はもう終わりにすべきである。「不安」解消のためにはPCR検査が必要である、一方陽性反応が出れば入院させる病床が不足する、といった論議である。事態はそれどころではなくなってきている。また、大学の感染学の講義であるかのような解説も無用とは言わないがもっとわかりやすく番組構成されるべきである。ウイルス感染における「パンデミック(世界大流行)」程度はまだしも、オーバーシュート(感染爆発)やクラスター(感染者の塊・小集団)あるいは(ロックダウン(外出制限・封鎖)といった用語は使わないことだ。分からなければ、それだけ「不安」を煽るだけになってしまうということである。

ウイルスと戦っている現場の医師や看護士にとって「講義」のような世界とは全く無縁のところで頑張っている。思い起こすのは9年前の東日本大震災、中でも放射能汚染にみまわれた福島県の医療再生に今なお貢献している医師達がいる。その中心となっているのが坪倉正治氏で地域医療の再生プロジェクトを立ち上げ全国から同じ志を持った医師と共に再生を目指している現場の医師である。臨床医であると同時に多くの放射能汚染に関する論文を世界に向けて発表するだけでなく、福島の地元のこともたちに「放射能とは何か」をやさしく話聞かせてくれる先生でもある。ウイルスも放射能も異なるものだが、同じ「見えない世界」である。坪倉正治氏が小学生にもわかるように語りかけることが今最も必要となっている。「講義」などではないということだ。小学生に語りかける「坪倉正治氏の放射線教室」は作家村上龍のJMMで配信されている。残念なことではあるが、これから先間違いなく凍死者、凍死企業が続出する。その前に、どんな言葉で語りかけるべきか、講義などではないことだけは確かである。

こうした危機にあっては「現場」によってのみ乗り越えることができる。阪神淡路震災の時はボランティア元年と言われ、しかも瓦礫に埋もれた人の救出にはトリアージ的な判断が消防隊員は考え行動していたし、ちょうど同じ時期に起こった地下鉄サリン事件の時はバタバタと倒れる人たちのために聖路加病院はサリン被災者を受け入れるために病室どころかフロアを収容病棟にして危機を乗り越えた。そして、東日本大震災の時には、行政も病院も被災する中で、全国から多くの支援を行ってきた。それら全て「現場」によって為し得たことである。
今回の新型コロナウイルス感染による超えなければならない目標はどれだけ死者を少なくするかであるが、もう一つ超えるべきはこの災害による自殺者をどれだけ少なくするかである。厚労省のデータではないが、リーマンショックによる自殺者は8000名と言われている。東京オリンピック2020が1年程度延期になったと報道されているが、TV番組はその裏事情や裏話など感染学の講義と共に終始している。今回の「危機」をエンターティメント・娯楽にしてはならないということである。(続く)
  


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2020年03月21日

未来塾(39)「老朽化」から学ぶ 後半  

ヒット商品応援団日記No760(毎週更新) 2020.3.20。




気になって仕方がなかった大阪「駅前ビル」

2015年にJR大阪駅ビルから三越伊勢丹が撤退しその跡に「ルクア イーレ(LUCUA 1100)」が誕生し、以降地下のバルチカなど注目を集め売り上げや集客など順調に推移してきている。こうしたJR大阪駅を中心に阪急電鉄による阪急三番街のリニューアルや阪急百貨店梅田店のリニューアルなど矢継ぎ早の開発からポツンと取り残され老朽化した大阪駅前ビル1〜4号舘の存在が気になって仕方がなかった。
というのも1970年代半ば大阪のクライアントを担当し、定期的に大阪に行くこととなった。当時は闇市の跡地を大阪駅前ビルへと開発が進行中でまだまだ戦後の闇市的雰囲気を色濃く残した時代であった。ちなみに駅前ビルの完成は以下のようなスケジュールで写真は駅前第1ビルである。

1970年4月 - 第1ビルが完成。
1976年11月 - 第2ビルが完成。
1979年9月 - 第3ビルが完成
1981年8月 - 第4ビルが完成
実は大阪のクライアントの担当者から大阪らしいところに行きましょうと誘われたのが鶴橋の焼肉「鶴一」と梅田の阪神百貨店の地下1階とJR大阪駅とを結ぶ地下道にあった老舗串カツ店「松葉」であった。これは余談であるが、この「松葉」で串カツの二度漬け禁止という大阪マナーを学んだことを覚えている。

地下道の街

ところで大阪に住む人間であれば駅前ビルの梅田における位置関係は当たり前のこととして熟知しているが、そうでない人間にとってはわかりずらさがある。そこでイラストの図解を見ていただくと良いかと想う。

数字の1、2、3、4 は各駅前ビルの位置を表している。阪神百貨店の北側(上)にはJR大阪駅があり、図の右側には阪急百貨店があり阪急電車の梅田駅がある。
大阪は梅田(キタ)と難波(ミナミ)という2つの性格の異なる都市拠点のある街だが、その梅田の中心地を担ってきたのが、4つの駅前ビルであった。もう一つの特徴は南北にJRの大阪駅と北新地駅があり、東西には各々の地下鉄が通っており各駅前ビルには複合ビルとして多くのオフィスがあり多様な企業が入居している一大ビジネス拠点となっている。イラストの図を見てもわかるように、このビジネス拠点を南北東西に巡らせているのが「地下道」である。難波(ミナミ)にも地下道はあるが、これほど広域にわたる地下道は梅田のここしかない。

老朽ビルの特徴の第一はその薄暗さ

駅前ビル地下街を象徴する写真であるが、横浜桜木町ぴおシティと同様一目瞭然薄暗い通路となっている。そして、老朽化は多くの商店街がそうであるようにシャッターを下ろした通りが随所に見られる。この地下商店街は南北東西とを結ぶ大きな地下通路のいわば枝分かれした通路となっており、大通りの横丁路地裏のような存在となっている。

ただオフィスビルの地下飲食街ということから人気のある飲食店は今なお数多い。若い頃であったが、2号館のトンテキの店やグリル北斗星には食べに行ったことがあるが、大阪らしくボリュームのあるメニューばかりでここ20数年ほど食べに行くことは無かった。ただ2年ほど前になるが1号館にあるサラリーマンの居酒屋の聖地と言われる「福寿」という店に行った程度の利用であった。
しかし、この老朽化した駅前ビル、地下の飲食街で小さな変化が出ているという話を聞き、その友人に案内してもらい観察をした。その変化とはシャッター通り化しつつある飲食街に「立ち呑み」「昼呑み」の居酒屋が流行っており、新規出店している場所もあるとのこと。アルコール離れは若い世代の場合かなり以前から大きな潮流となっており熟知していたが、「酒を飲む」業態が人を集めていることに興味を持った。というのもこうした脱アルコールの潮流に対し、新しい「場」をつくることによって、結果アルコールをメニューとして成功している事例が見られてきたことによる。それは同じ大阪の駅ビルルクアイーレ地下バルチカの「紅白」という洋風居酒屋である。このバルチカについては何回か未来塾で取り上げたのでその内容について繰り返さないが、実はもう少し年齢が上になる世代の新しい「飲酒業態」の芽が生まれているとの「感」がしたからである。
老朽化し、しかもあまり目的を持って通行もしていないようなビルの地下飲食街にどんな「芽」があるのか興味を持った。情報の時代ならではの人気店については未来塾で「<差分>が生み出す第三の世界」というテーマで競争市場下の現在について分析をしたことがあった。簡単に言えばどのように「違い」をつくり提供していくかという事例分析である。情報の時代ならではの話題の店づくりとして、次の整理を行ったことがあった。
1、迷い店  2、狭小店  3、遠い店  4、まさか店  5、人による「差」
以上の違いづくり整理であるが、1〜4ではそれぞれ従来のマイナスをプラスに転換した業態である。例えば、「迷い店」とはわかりにくさをゲーム感覚で面白さに変えた店として差別化を図った事例である。この前提となるのは、その違いを違いとして理解してもらうためには「低価格」という入り口が前提となっていることは言うまでもない。

低価格立ち呑みパークの出現

大阪の呑ん兵衛であれば周知のことであるが、以前から駅前ビルの地下を始め数店の立ち呑み店があり、おばんざいなどの肴も美味しく人気の店となっていた店がある。例えば、その中の徳田酒店は大阪駅ビルルクアイーレの地下飲食街バルチカの増床の際にも出店している。
ここ数年こうした「立ち呑み」「昼呑み」スタイルで、価格が安いだけでなく、肴もうまい店が出店し始めている。










こうした小さな立ち呑みパークもあるが、駅前ビル地下街は南北及び東西にある駅を結ぶ地下道に賑わいを見せる居酒屋も多い。
例えば、上にある写真の「七津屋」のような店々である。各店を観察していたところ、案内をしてくれた友人の後輩が写真の七津屋の代表であったので、立ち話ではあったが最近の駅前ビル飲食街について話を聞くことができた。各店メニューは安いことが前提となっており、それは日常的に回数を重ねられる価格であるという。また、経営的には駅前ビルは再開発ビルである、全体の運営会社はあるが賃料については月坪2、3万円から5万円までバラバラで、それは地権者の数が多く、そうした賃料の差が生まれているとのこと。安い賃料であれば、安い価格でサービスできると話されていた。

左の写真は立ち食い焼肉酒場の店頭メニュー看板であるが、焼肉一切れ50円からとなっている。人気となっている立ち呑み処、大衆酒場に共通していることはとにかく安いということであった。2年ほど前に第1ビルの地下にある福寿という酒造メーカーの直営店で飲んだことがあった。大阪のサラリーマンにとっては知らない人はいないほど飲兵衛の聖地となっている居酒屋であるが、その福寿と比較しひと回り安い店であった。また、今から5年ほど前になるが、東京の居酒屋で300円前後のつまみが人気となったことがあった。それらは単なる安さだけでわずか2〜3年で飽きられ撤退したことがあったが、2店ほどしか飲食しなかったが、数段美味しい肴・メニューであった。

オープンエアの店々

オープンエアとは戸外。屋外。野外といった意味であるが、ほとんどの店が地下道の通りと店舗との空間とが壁や間仕切りのない店のことである。見方によれば地下道に並んだ「屋台」である。通りからみれな「何の店か」「どんなメニューなのか」「それはいくらなのか」・・・・・・こうした分かりやすさと共にどんな客が楽しんでいるかすらもわかる。結果、気軽に手軽に入りやすい店作りとなっている。
左の写真の店は通りと店との境目のない店で極端なものとなっているが、他の店の場合でもせいぜい「のれん」程度でまさに屋台感覚の店づくりばかりであった。

1年半ほど前に大阪空堀商店街の外れにある月商一千万円を超える人気店「その田」ものれんを短くして外から見えるようにすることで売り上げが数パーセンアップしたと話している。勿論、予約だけの店の場合は当然閉じられた空間が必要ではある。しかし、老朽化した地下飲食街、しかも表通りから横丁に入ったような地下道の店舗としては何故か屋台風の店づくりが似合っている。しかも、立ち呑み、昼呑みのできる開放感が人を惹きつけるのであろう。そして、店舗にコストをかけていない代わりに、安く提供できるという暗黙のメッセージを顧客も感じ取っているということでもある。



「老朽化」から学ぶ


「老朽化」は、道路も、橋も、ビルも、街も造られた構造物は全て不可避なものとしてある。大都市においては再開発事業が進んでおり、成熟時代の山登りに例えるならば「登山」となる。一方再開発から外れた地域は老朽化したままとなっている「下山」の場所となっている。今回は一時期輝いていた商業ビルの生かされ方に焦点を当て、老朽ビルにあってその賑わいの理由・魅力について考えてみた。
今回観察したのは首都圏横浜桜木町と大阪駅前ビルという1970年代の都市商業の象徴であったビルである。その老朽化した商業ビルの「今」、その新しい賑わいの芽が生まれていることに着眼した。再開発から取り残された地域、街については東京谷根千や吉祥寺ハモニカ横丁などこれまで取り上げてきたが、複合商業ビルは今回初めてである。それは大きな構造物であり、スクラップし再生するには地権者や利用企業・テナント、更には周辺住民の賛同を得るには多くの時間とコストが必要となる。そうした困難の中で、シャッター通り化しつつある場所に、新規出店する店舗と顧客がつくるビジネス、いや新しい商売のスタイルを見ることができた。これも「下山」の発想から見える新しい芽・風景であった。その芽には老朽化ならではの商売と共に、新しい事業にも共通する工夫・アイディアもあった。東京谷根千や吉祥寺ハモニカ横丁をレトロパークと私は呼んだが、誰もが知る観光地となったのは周知の通りである。これらは OLD NEW、「古が新しい」とした新市場である。

都市の中心も、時代と共に変化していく

開発から取り残された横丁路地裏に新しい「何か」が生まれていると10年ほど前から指摘をしてきた。言葉を変えれば、表から裏への注目でもあった。その着眼のスタートは東京秋葉原という街であった。秋葉原がアニメなどのオタクの街、アキバとして世界の注目を集めていること、その後駅近くの雑居ビルをスタートにしたAKB48の誕生と活躍については初期の未来塾で取り上げてきたので参照して欲しい。
実は今回改めて認識しなければならなかったのは、時代の変化とは街の「中心」が変わることであり、それまでの中心を担ってきた多くの「商業」は老朽化していく。それは横浜の中心であった桜木町の変化であり、大阪の駅前ビルにあった中心がJR大阪駅周辺や阪急梅田駅周辺の開発によって、それまで駅前ビルが担っていた中心は移動し変化していく。このことは「街」だけでなく、小さな単位で考えていけば商店街の中心の変化にも適用できるし、SC(ショッピングセンター)においても同様である。もっと具体的に言えば、実は中心から外れた「周辺」にも新たな変化の芽も生まれるということである。

「作用」があると、必ず「反作用」も生まれる

日本の商業を考えていくと、2000年の大規模小売店舗法の廃止により、それまでの中小商店街が廃れシャッター通り化していくことはこれまで数多く論議されてきた。そこで生まれたのが「町おこし」であったが、決定的に欠けていたのが新たに生まれた「中心」(大きなSCなど)に人が集まっていくことへの販売促進策といった対応策だけであった。今や更に小売業は進化し、ネット通販などへと消費の「中心」が移動していく。
実は、中心から外れたところにも「変化」は生まれているということの認識が決定的に欠けていたということである。原理的には、「作用=中心の移動」があると「反作用=外れた中にも変化」が必ず生まれるということである。横浜の中心が桜木町から横浜駅やみなとみらい地区へと移動し、大阪駅前ビルからJR大阪駅や阪急梅田駅へと移動したことによって、外れた周辺にどんな新しい「変化」が生まれてきたかである。つまり、どんな反作用が生まれたかである。

大規模再開発が進む渋谷にも、「反作用」が生まれている

今回の未来塾は渋谷の大規模再開発について書くことが目的ではない。再開発のシュッような目的はオフィス需要を満たすことを踏まえ「大型ビルの建設」「渋谷駅の改良」「歩行者動線の整備」の3つが目的となっている。表向きはこうした背景からであるが、次々と高層ビルが建てられ、どこにでもある、ある意味「つまらない街」へと向かっている感がしてならない。
同じようなビル群、中に入る商業・専門店もどこにでもある店ばかりである。チョット変わった店かなと思えば、店名と少しのメニューを変えただけの従来からある専門店が並ぶ。せいぜい違いがあるとすれば「ここだけ」という限定商品があるだけである。写真はスクランブル交差点から見上げた230メートルの超高層ビルスクランブルスクエアである。
実はこうした高層ビルに象徴される「作用」に対し、「反作用」が渋谷にも現れ始めている。学生時代から渋谷を見てきた人間にとって「渋谷らしさ」を感じる場所もまだまだ数多くあり、道玄坂の百軒店辺りにはこれから「反作用」が生まれてくるかもしれない。

ところで昨年11月渋谷パルコがリニューアルオープンした。1973年以降若者文化の発信地と言われてきたパルコであるが、それまでのトレンドファッションの物販のみならず、パルコ劇場やミュージアムに象徴されるように「文化」を販売する場でもあった。
リニューアルによってどんな変化が見られるか、年が明けて落ち着いてから見て回ったのだが、今一つ面白さはなかった。唯一面白いなと思ったのは地下にある飲食街であった。「食・音楽・カルチャー」をコンセプトにした飲食店と物販店が混在した レストランフロアとなっている。いわゆる飲食街であるがフロアのネーミングが「CHAOS KITCHEN(カオスキッチン)」となっているが、どこが魅力を感じるカオス(混沌)なのか今ひとつわからない。
唯一特徴的なのが「立ち食い店」が3店ほどあるということであろう。うどん、天ぷら、クラフトビール、という業種である。また、「真さか」という居酒屋もあるがパルコならではの居酒屋とは思えない。唯一行列ができていたのが博多で人気の「極味や」という鉄板焼きハンバーグ店だけであった。






ただ写真を見てもわかるように、「レトロ」な雰囲気で、一種わい雑な賑わい感を創り出そういうことであろう。吉祥寺のハモニカ横丁や新宿西口の思い出横町を感じさせる通りとなっている。また、右側の写真を見てもわかるように酒瓶やビールなどのケースを店頭に置いた立ち呑みスタイルの店づくりになっているが、桜木町ぴおシティや大阪駅前ビルと比較しても今一つこなされてはいない。更にMDの内容を見る限り、パルコが持っていた新しい「文化」には程遠い。
パルコらしい「文化」と言えば、これから起こるであろう食糧難がら世界で注目されている「昆虫食」のレストランであろう。ただ、昆虫を食する文化がどこまで日本で広がるかは極めて疑問である。しかも価格が極めて高いという難点を感じざるを得ない。ただ現時点で言えることは、渋谷スクランブル交差点から見える高層ビル群に対する「反作用」であることは間違いない。ただ、桜木町のぴおシティや大阪駅前ビルで見てきたように、「反作用」の世界が十分消化されていないことは言うまでもない。

但し、桜木町のぴおシティや大阪駅前ビルの賑わいが渋谷パルコ地下レストランにないのは、総じて価格が高いということにある。行列のできているハンバーグ店の価格はグラムにもよるが1000円〜1600円程度で若い女性にとって楽しめる価格帯ではある。高価格の象徴例ではないが、串カツのメニュー価格はコースで3500円=4000円で、大阪ジャンジャン横丁で人気となった「だるま」のGINZA SIX銀座店のそれと同じような価格帯となっている。東京という「市場」はそのパイの大きさから経営に見合った集客は可能であると言われてきた。しかし、その集客となる顧客は誰なのか、渋谷パルコというブランド価値を踏まえたとしても、長続きするとは思えない。Newパルコが提案するとすればデフレ時代の若い世代に向けた「食文化」である。

「道草」を求めて

もう15年ほど前になるか、ベストセラー「えんぴつで奥の細道」にふれブログに書いたことがあった。「えんぴつで奥の細道」の書を担当された大迫閑歩さんは”紀行文を読む行為が闊歩することだとしたら、書くとは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”と話されている。けだし名言で、今までは道草など排除してビジネス、いや人生を歩んできたと思う。過剰な情報に翻弄されながら、しかもスピードに追われ極度な緊張を強いられる時代だ。当時身体にたまった老廃物を排出する健康法として「デドックス」というキーワードが流行ったことがあった。そのデドックスというキーワードを使って、「こころのデドックス」の必要性をブログに書いたことがあった。人によってその老廃物が、衝突を繰り返す人間関係であったり、極端な場合はいじめであったり、そんな老廃物に囲まれていると感じた時、ひとときそんなこころを解き放してくれるもの、それが道草であるという指摘であった。その後、「フラリーマン」というキーワードが注目されたことがあったが、共稼ぎの若い夫婦のうち、旦那だけが仕事を終え自宅に直行することなく、書店に立ち寄ったり、バッテングセンターでボールを打ったり、そんな時間の過ごし方をフラリーマンとネーミングしたのだが、今回観察した横浜桜木町のぴおシティも大阪駅前ビルにも多くのフラリーマンを見かけた。

テクノロジーの進化、そのスピードはこれからも更に速いものとなっていく。AIは働き方を変え、それまでのキャリアの意味も変わっていくであろう。ましてやグローバル化した時代であり、その変化は目まぐるしい。こうした時代を考えると、この道草マーケットは縮小どころか、増大していくであろう。
2つの老朽化したビルの飲食街に人が集まるのも、リニューアルした渋谷パルコの地下レストラン街も道草のための路地裏横丁である。渋谷パルコのフロアネーミング、コンセプトであると理解しているが、カオス(混沌)キッチンというネーミングは正確ではない。いや、コンセプト・MDのこなし方が上滑りしており、単なるレトロトレンドに終わっている。若い世代にとっても、道草は必要である。つまり、若い世代にとっての立ち呑みも、立ち食いも、店づくりも、勿論価格も、それは東京吉祥寺のハモニカ横丁もそうであるが、大阪駅ビルルクアイーレのバルチカに学ぶべきであろう。もし渋谷パルコが若い世代の「文化」の発信地になり得るとすれば、スタイルとしての「レトロ」だけでなく、過去の「何に」新しさを感じて欲しいのか、過去の「何に」面白さを感じて欲しいのか、デフレ時代の先を見据えたコンセプトの再考をすべきということであろう。それが渋谷パルコの目指す「反作用」となる。


人間臭さを求めて

道草はひとときこころを解放してくれる時間であるが、どんな「場」がふさわしいかと言えば、構えた窮屈な場・空間ではなく、少々だらしなくしても構わない、そんな場である。道草もそうだが、一見無駄に見える時間が必要な時代である。例えば、商品開発など次に向かう方針やアイディアを持ち寄った会議があるとしよう。物事を整理し議論してもなかなかこれというアイディアは出てこないものである。逆に、休憩時間などでの雑談の中から面白いアイディアが生まれることが多い。
ところで歴代の漫画発行部数のNo. 1は周知の「ワンピース」で1997年以降4億6000万部となっている。「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を巡る海洋冒険ロマンで、夢への冒険・仲間たちとの友情といったテーマを掲げたストーリーである。昨年のラグビーW杯における日本チームの「ワンチーム」というスローガンと重ね合わせることができる「人」がつくる世界への「思い」をテーマとしている。勿論そうにはなってはいない現実があるのだが、そうした「人間」を見つめ直したい、そんな欲求があることがわかる。
のびのびとさせてくれる、多くの規制から一旦離れ自由になれる世界が求められているということである。今、静かなブームとなっているのが「食堂」である。大手飲食チェーンによって次々と町から無くなってきているが、ほとんどが家族経営で高齢化が進み、結果後継者がいないことによる廃業である。しかし、食堂の魅力を「家庭の味」「おふくろの味」に喩えることがあるが、少々盛り付けはガサツであるが、手早く、手作りで、しかも安い定食を求めての人気である。そこには「人」の作る味があるからだ。立ち呑み店の多くはセルフスタイルが多く、そこには「人」が介在しないと勝手に思いがちであるが、古びたのれんをくぐれば「いらっしゃい」の声がかかる。メニューは全て短冊に手書きで書かれており、その多さに迷ってしまうほどである。そんな人間臭い店に人は通ってくる。

回数多く利用できる安さとクオリティを求めて

老朽化したビルに生まれていたのは、特別な時、特別な場所、特別な飲食・メニューではなかった。いわば「ハレの日」の食ではなく、徹底した「ケの日」の利用でとにかく安い。5年ほど前、東京の居酒屋でセルフスタイルで、つまみや肴は1品300円という価格設定でかなり流行ったことがあった。しかし、今やほとんどそうした業態は無くなっている。その理由は「価格」だけを追い求めてしまい、つまみや肴のクオリティは二の次であった。つまり、回数多く利用したくなる「クオリティ」ではなかったと顧客がわかってしまったといういうことである。

写真は大阪駅前ビルの立ち食い焼肉のメニュー写真であるが、1切れ50園からとある。少々読みづらいが上はらみは1切れ220円、ハート50円、和牛A5カルビ1切れ180円となっている。ちなみに大阪駅ビル地下のバルチカの若者の人気店「コウハク」のメニュー洋風おでんは180円である。グラスワインは平均400円前後となっている。数年前、西武新宿駅近くの立ち食い焼肉店が話題となったことがあったが、価格は半額〜2/3程度という安さである。

実はなるほどなと思ったのは横浜桜木町ぴおシティのセンベロパークの価格も老舗の「すずらん」に見られるようにつまみや肴、ドリンクはほぼ300円前後であった。そして、「ケの日」の特徴である回数多く利用できる「業種」も多彩である。数年前に新規オープンした中華の「風来坊」はウイークデーにもかかわらず午後3時には満ほぼ員状態であったと書いたが、この店も当然価格は安い。レモンサワー300円、酎ハイ250円となっており、実は肴の中華料理は本格的なものばかりである。チャーシュー350円、ピリ辛麻婆豆腐400円、玉子炒飯350円となっている。
価格だけを見れば、極端に安いということではない。デフレ時代としては「普通」の価格帯となっている。ただ、どの居酒屋もクオリティは数段高くなっていることは間違いない。そのクオリティにはアイディア溢れるものもあって一つの集客のコアになっている。デフレ時代の進化系の特徴の一つである。

出入り自由なオープンエアの店づくり

桜木町ぴおシティも、大阪駅前ビルも、渋谷パルコも、少し前に未来塾でレポートした大阪駅ビルルクアイーレの「バルチカ」も、各店舗の多くはそのスタイルは別にして外の通りから店内が見えるオープンエアなものとなっている。日常回数利用を促進することが目的であり、その前提となる「分かりやすさ」が明快になっていることである。スタイルとしては、屋台、(角打ち)のれん、・・・・・・つまり閉じられた店ではなく、気軽に手軽に入ることができる店づくりである。特に、どんなメニューをどのぐらい安く提供してくれるのか、更に言うならば中にいる顧客はどんな顧客が来ているのか、どんな雰囲気なのか、通りかかっただけで「すべて」がわかる店である。

今回はできる限り多くの店舗のフェースや通りの写真を掲載したが、肖像権のこともあって通行する人たちが途絶えた時の写真となっている。実際にはもっと賑わいのある通りであることをお断りしておく。
上の写真も大阪駅前ビルの飲食店であるが、通りと店舗の境目がほとんどない、そんな店づくりとなっている。店主に聞いたら、管理会社からの要請でもう少しセットバックすることになると話されていた。
日常の回数利用の業態は、何の店なのか、例えばのれんひとつとっても「分かりやすさ」を表現する方法となっている。デフレ時代の回数ビジネスの基本であるということだ。

老朽化を新しさに変える

今回も山歩きの比喩を借りて、再開発ビル=登山、老朽ビル=下山、2つの歩き方を考えてみた。建造物である限り「安全」であることを前提とするが、リニューアルした渋谷パルコのレストラン街は2つの老朽化したビル(横丁路地裏)の雰囲気・界隈性に共通するものが多くある。それを渋谷の大規模再開発という、つまり登山という「作用」に対する「反作用」の事例として位置付けをしてみた。顧客視点に立てば、「老朽化」「過去」を借景とした世界もまた必要としているということである。勿論、経済のことを考えれば賃料も安く済み、その分メニューの「クオリティ」を上げ、しかも価格を抑えることが可能となる。オープンエアの店舗スタイルであれば、店舗の初期投資も軽く済む。ある意味、デフレ時代のビジネスの基本であるということである。4年ほど前、高級素材のフレンチをリーズナブルに提供した「俺の」業態は、今老朽ビルの飲食街で数多く見ることができた。デフレもまた進化しているということだ。

「時代」が求める一つの豊かさ

2年半ほど前に、未来塾において「転換期から学ぶ」というテーマでレポートしてきた。所謂「パラダイム転換(価値観の転換)」についてであるが、第一回目ではグローバル化する時代にあって「変わらないことの意味」を問うてみたことがあった。今回は身近で具体的な「老朽化」という変わらないことの一つを取り上げたということでもある。「老朽化」に変わらないことの意味を問い、その商業の賑わいの理由を抽出してみた。そこには、古の持つ新しさ、道草という自由感、人間臭さ、明確なデフレ価格、費用を抑えた店づくり、分かりやすいオープンエア、屋台風小店舗、立ち食い、・・・・・・・少し前まではどこにでもあった消費文化。今やスピード第一のグローバル化した時代、しかも生活がどんどん同質化していく社会にあって、ひととき「豊かな時間」を求めた、そこに賑わいがあった。金太郎飴のように均質化した高層ビル群ばかりのつまらない街に、老朽ビルの一角に妙に人間臭いおもしろい賑わいを見ることができた。これもまたデフレ時代の楽しみ方の一つとなっている。つまり、「時代」が求める豊かさの一つということだ。

























  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:24Comments(0)新市場創造

2020年03月18日

未来塾(39)「老朽化」から学ぶ 前半   

ヒット商品応援団日記No760(毎週更新) 2020.3.18。

今回取り上げたのは1970年代の高度経済成長期に造られた複合商業ビルに新しい顧客市場の「芽」、すでにあるものを生かし直すビジネスの「芽」への着眼である。今回は首都圏横浜と大阪2つの事例を取り上げ、どんな芽であるかを学ぶこととした。




消費税10%時代の迎え方(8)

「老朽化」から学ぶ

老朽化する街。
老朽化が生み出す新しい「芽」、
デフレを楽しむ時代への着眼。


戦後75年高度経済成長期に造られ整備された多くのインフラ、道路橋、トンネル、河川、下水道、港湾等の老朽化が眼に見えるようになった。そのきっかけになったのは、やはり2012年に起きた笹子トンネル天井板落下事故であろう。9名が亡くなった痛ましい事故だが、実は同トンネルの完成は1975年。完成から37年後という、供用開始から50年に満たない時点のことだった。
こうしたインフラを更新する費用は今後50年で総額450兆円、年に9兆円を必要とするとの試算もある。その更新手法として、広域化、ソフト化(民営化・リースなど)、集約化(統廃合)、共用化、多機能化の5つが考えられている。例えば、少子化による小学校の統廃合によって必要のなくなった校舎をハム工場などに変えていくといったソフト化の事例は今までも数多く見られた。あるいはこうした行政が行う領域のインフラばかりか、「老朽化」は街を歩けば至る所で見られる。こうした老朽化する建物を新たな価値観を持たせたリノベーションは数年前から町おこしなどに数多く活用されてきた。今から5年ほど前になるが、東京の谷根千(谷中、根岸、千駄木)という地域の再生をテーマにして取り上げたことがあった。そして、この地域をレトロパークと名前をつけたが、その象徴の一つが解体予定だった築50年以上の木造アパート『萩荘』のリノベーションであった。若いアーティストのためのギャラリーやアトリエ、美容室、設計事務所などが入居する建物で、HAGI CAFEという素敵なカフェがあり、訪れた観光客の良き休憩場所となっていた。
今回取り上げたのは1970年代の高度経済成長期に造られた複合商業ビルに新しい顧客市場の「芽」、すでにあるものを生かし直すビジネスの「芽」への着眼である。今回は首都圏横浜と大阪2つの事例を取り上げ、どんな芽であるかを学ぶこととした。

「新しさ」の意味再考

1980年代の生活価値の一つに「鮮度」が求められたことがあった。新しい、面白い、珍しい、そうした価値の一つだが、生活の中に鮮度という変化を求めた時代である。今までとは違う、他人のものとは違う、そうした「違い」が差別化というキーワードと共に、ビジネス・マーケティングの重要なファクターとなった。例えば、鮮度を求めて、とれたての魚ならば漁師町で食べるのが一番といった時代であった。
商業ビルも同じで、その新しさに期待を持って行列した時代である。しかし、よくよく考えれば構造物の鮮度であればオープン当日が一番鮮度があることとなる。翌日からは古くなっていくことに思い至るに多くの時間は要しない。
勿論、「新しさ」を求めるマーケットは多くの生活領域に存在している。しかし、自動車で言えば、確か1990年代には新車販売数を中古車販売数が超え、次第に古い中古車はビンテージカーとしてコレクションとして当時の価格を上回る価格で取引されるようになる。あるいは最近であれば、一時期ブームとなった熟成肉、熟成魚などを見てもわかるように鮮度の意味が変わってきた。
大きな時代潮流という視点に立てば、バブル期までの昭和時代の雰囲気を「昭和レトロ」として再現することすら全国各地で行われてきたことは周知の通りである。それらは過去を懐かしむ団塊世代もいれば、その過去に「新しさ」を感じる若い世代もいる、こうした一見相反する街の一つが吉祥寺であろう。写真を見てもわかるように、駅前一等地にあるハモニカ横丁という昭和を感じさせる飲食街と共に、周辺にはパルコをはじめとしてオシャレなトレンドショッピングが楽しめる街並みが形成され観光地となっている。

港の街、横浜桜木町の変化

首都圏に生活の場のある人間にとって横浜桜木町と言えば「みなとみらい」のある街を思い浮かべるであろう。JR京浜東北・根岸線でいうと、横浜駅の次の駅が桜木町駅で、次の駅は神奈川県庁などのある関内、更にその次の駅には中華街の最寄り駅となる石川町、つまりみなと横浜の中心市街地である。
そして、周知のように横浜は明治以降日本を代表する貿易港である。ちなみに、日本で初めての鉄道の開通は初代汐留(新橋)と初代横浜(桜木町)を結ぶものであったことはあまり知られてはいない。このことが示しているように、桜木町は港横浜を象徴する街であることがわかる。首都圏に住む人間にとって桜木町駅というとJR線と東急東横線の2つの駅があり、2004年みなとみらい地区や元町中華街へ東急電鉄が運行するようになり、東急東横線の桜木町駅は無くなることとなる。JR京浜東北・根岸線の桜木町駅と横浜市営地下鉄の桜木町駅の乗降客数は若干減少したものの依然として賑わいのある駅となっている。
この駅前に建てられたのが、写真の「ぴおシティ」である。このぴおシティの前身である桜木町ゴールデンセンターは1968年に建造された商業ビルである。1976年には横浜市営地下鉄桜木町駅が開業、桜木町ゴールデンセンターの地下2階フロアと直結する。そして、1981年三菱地所が桜木町ゴールデンセンターの89%の権利を取得。1982年4月の改装を機に、「ぴおシティ」の愛称が付けられ今日に至る。オフィスとショッピング街の複合施設であるが、2004年10月にサテライト横浜(会員制の競輪場車券売り場)、2010年2月にはジョイホース横浜(会員制の場外馬券売り場)が開場する。

こうした場外馬券売り場などが誘致されたのも桜木町の辿ってきた歴史がある。それは港町、つまり港湾事業の歴史でもある。戦中戦後の横浜港は人力による荷役作業が中心であった。多くの荷役労働者によって街が成立してきた歴史がある。1955年横浜港は米軍の接収が解除され、1957年に職業安定所と寄せ場(日雇労働者に仕事を斡旋する場所)が移転し寿町がドヤ街として発展する。寿町は、東京の山谷、大阪のあいりん地区とならぶ三大ドヤ街で、物流の進化とともに港湾労働が荷役労働からコンテナ輸送へと変わっても、桜木町周辺、特に野毛あたりには当時の雰囲気が残る街である。勿論、山谷やあいりん地区のドヤ街・簡易宿泊所は訪日外国人・バックパッカーの宿泊場所へと変化を見せているが、横浜寿町にはそうした変化はまだ見られていない。
ぴおシティの写真を見てもわかるように、建造されて52年老朽化を感じさせる商業ビルであるが、その西側一帯にある横浜の古い街並を象徴するかのように風景となっている。

みなとみらい線によって、横浜中心街が一変する

ところで、桜木町駅の反対・東側には「横浜みなとみらい地区」が開発される。千葉の幕張と同じように首都圏の新都心として位置づけられ、高層オフィスビルや国際会議場、ホテル、あるいは古い赤レンガ倉庫を改造した飲食施設やイベント会場など新都心にふさわしい「都市開発」が今なお造られ続けている。
写真はJR桜木町駅から見たみなとみらい地区の写真である。こうした横浜みなとみらい地区とは異なる未開発のぴおシティ・野毛地区は昭和の匂いのする労働者の街であった。桜木町駅を境に、東側の海側には横浜みなとみらい地区〜元町中華街という横浜の表玄関・大通りであるのに対し、西側にはぴおシティ・野毛地区があって横浜の裏、横丁路地裏と言える地域となっている。「町の良さ」の一つは、こうした再開発による新しさと開発されずに残った古き時代とが入り混じったところの「おもしろさ」であろう。
ところでみなとみらい線によって大きく横浜の街は変わっていくのだが、その元町中華街に繋がる変化は都市観光の一つのモデルでもあった。当時の変化を次のようにブログに書いたことがあった。
『横浜中華街の最大特徴の第一はその中国料理店の「集積密度」にある。東西南北の牌楼で囲まれた概ね 500m四方の広さの中に、 中国料理店を中心に 600 店以上が立地し、年間の来街者は 2 千万人以上と言われている。観光地として全国から顧客を集めているが、東日本大震災のあった3月には最寄駅である元町・中華街駅の利用客は月間70万人まで落ち込んだが5月には100万人 を上回る利用客にまで戻している。こうした「底力」は「集積密度の高さ=選択肢の多様さ」とともに、みなとみらい地区など観光スポットが多数あり、観光地として「面」の回遊性が用意されているからである。こうした背景から、リピーター、何回も楽しみに来てみたいという期待値を醸成させている。』

老朽ビルぴおシティの地下街

こうした都市観光から外れたのが今回テーマとしたぴおシティを入り口とした野毛地区さらにその先には昔の繁華街伊勢佐木町地区がある。
JR桜木町駅の西口(南改札)を降りるとその先には「野毛ちかみち」「地下鉄連絡口」の表示があり、地下をくぐるとぴおシティの地下飲食街につながっている。後述するがビルの地下街というより野毛地区に向かい「地下道」といった方がわかりやすい。また、まっすぐ降りていくと広場があって横浜市営地下鉄の改札になるのだが、ぴおシティは左側にビルの入り口があり、横丁・路地裏と言った感じである。入り口をくぐると写真のような地下2階のフロア になるのだが、古い地下道に店舗があると言った飲食店街である。
この薄暗い地下道を進むと今回目的となる飲食店街になる。全部で19店舗の内蕎麦店や寿司店もあるが、所謂居酒屋は13店舗に及んでいる。それら店舗には椅子もあるが、基本的には「立ち呑み」で「昼のみ」「せんべろ」酒屋が軒を連ねている。その集積度からこれはテーマパークになっているなと感じた。そして、観察したのは金曜日の午後3時すぎであったが、既に「宴会」は始まっていた。












「立ち呑み」という業態は首都圏にもいくらでもある。例えば、サラリーマンの街新橋のウイング新橋の地下街、上野アメ横のガード下、東急蒲田駅裏、JR南武線溝の口ガード横、神田にはガード下を含め数多くの店がある。あまり知られてはいないが浅草雷門横路地には酒屋がやっている正統派の角打ち「酒の大桝」のような店もある。ただ、ぴおシティ地下2階のせんべろフロアは見事なくらいテーマパークとなっている。
同じような飲食のテーマパークには月島の「もんじゃストリート」があり、町おこしの成功事例として知られているが、月島もんじゃストリートも同様、メニューには各店特徴を持たせている。一般的な居酒屋は一件もない。面白いことにこうした競争が集客を促している。その象徴かと思うが、「風来坊」という中華を肴にした立ち呑み居酒屋で数年前に新規オープンし、観察した日もほぼ満席状態であった。

今またせんべろパーク人気

テーマパークと簡単に言ってしまうが、それほど簡単に顧客を集客できるものではない。「テーマ」は魅力ある何か、その言葉、キーワードで語られることが多いが、実は「実感」そのものである。よく昭和レトロなどとコンセプトを語る専門家がいるが、コンセプトとは実感そのものことであることを分かってはいない。テーマパークの事例として取り上げられる月島もんじゃストリートも、熊本の黒川温泉も、至る所でコンセプトが実感できる。
ぴおシティの「せんべろパーク」は勿論「せんべろ」とネーミングできる要素が明確になっている。まずは気軽手軽に立ち寄れる「オープンエア」の店づくりのスタイル、しかも立ち呑みである。そのオープンエアのオープンは、価格もメニューもわかりやすい、つまり「オープン」なものとなっている。「立ち食い」というと立ち食いそばを想い浮かべるが、気軽さ・手軽さは同じであっても、更にこだわりはあっても基本胃袋を満たす立ち食いそばとは根底から異なる。つまり、食欲ではなく、ひととき「こころ」を満たしてくれる、自由にしてくれる私の場であり、至福の時間ということとなる。そして、そのためにはデフレ時代を踏まえれば回数多く利用するにはやはり「低価格」ということになる。老舗の「すずらん」は店頭で食券を買い求めてオーダーする仕組みで、食券は1枚は300円となっている。そして、ほとんどのメニュー、ドリンクも肴も300円となっている。写真のせんべろセットもそうした「わかりやすさ」のためのものだが、多くの顧客は好みの注文をして「こころ」を満たす。

顧客が「店」をつくる

地下2階のせんべろパークも顧客がつくったテーマパークであるが、もう一つぴおシティには「顧客がつくった店」がもう一軒ある。それは地下1階のフロアにある店で「フードワンダー」というグロッサリーの店である。事前に調べ閑散としていると勝手に思い込んでいたが、まるで逆の光景を目にした。ちょうど3時過ぎの買い物時間ということもあり、地元の主婦と思える人でレジには行列ができていた。
周辺のみなとみらい地区には成城石井やディスカウンターであるスーパー OK、あるいは JR桜木町駅にはCIALに北野エースが出店しており、野毛地区の奥にある京急日出町駅には京急ストアがある。フードワンダーは小型スーパー的な業態であるが価格もリーズナブルなものとなっている。同じフロアには100円ショップのダイソーも大きな面積で入っており、ぴおシティ全体が日常利用しかも安価なデフレ業態の店舗で構成されていることがわかる。
よく生き残るためにはと表現をするが、顧客が「生き残らせる」ことである。ぴおシティにはそうして「生き残った」店ばかりで、しかもせんべろフロアにはメニューの異なる立ち呑み店がここ数年の間に新規出店しており、テーマパークのテーマ性がより強くなっている。つまり、「商売になる」ということである。
いつ解体してもおかしくない老朽ビルも、時間経過と共に顧客支持を得た「魅力」によって新しい価値を生み出す良き事例が生まれている。顧客によって育まれ熟成した生活文化と言えなくはない。(続く)




















  
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2020年03月05日

パニック前夜 

ヒット商品応援団日記No759(毎週更新) 2020.3.5.


新型コロナウイルス感染及び昨年の消費増税による消費縮小についてブログを書き始めたのは2月11日であった。その時のタイトルは「移動抑制が消費を直接低下させる 」で、マスク着用はそれほどの効果はないとされているが、昨年12月からの季節インフルエンザの流行は予測を下回る感染であることが報告されている。これは1月後半からの新型コロナウイルスに対する自己防衛によるところが大きいと分析する医師も多いと書いた。つまり、「自己防衛」は1月末から既に始まっているという指摘であった。そして、2月23日には「人通りの絶えた街へ 」というタイトルで、賑わいは街から亡くなったと指摘をした。小中高の一斉休校が始まる10日以上前の指摘であった。誰もが心配するのは新型肺炎が本格的に市中感染した時、まさにパンデミック状態となるのだが、「移動抑制」は移動することなく「冬眠」状態となる。つまり、氷河期時代の冬眠生活である、と指摘もした。

「見えないこと」「不確かなこと」への不安・恐怖はとうとうトイレットペーパー騒動へと向かった。周知のようni
SNSへのデマ情報に端を発したそうであるが、鳥取米子の生協職員の投稿であるが、発生源はどこにあるのか少し調べれば誰が投稿したのかわかってしまうことからHPに謝罪文が掲載されるといった始末である。一人のデマは数人の同調者に拡散されるのだが、その「同調」はマスメディア、特にTVメディアによって増幅拡散する。トイレットペーパーのない棚が繰り返し放映されることによって、デマとわかっている人間も無くなっては困ると考え、行列を作ってしまう。行列は更に行列を生み,TVメディアが更に増幅させる。TVメディアはメーカーの工場現場を取材し、在庫は十分あると放映するのだが、消費心理がまるで理解してはいない。前回の指摘をしたのだが、「理屈」では消費行動を変えることにはかなりの時間を要すると。「空の棚」を払拭するには、トイレットペーパーが十分に積まれた棚」を繰り返し放送することである。

そして、スポーツ・文化イベントの自粛要請と共に、小中高の一斉休校が始まったが、「移動抑制」は移動することなく「冬眠」状態となる。つまり、氷河期時代の冬眠生活である。この冬眠生活については2008年9月のリーマンショック、2011年3月の東日本大震災という災害時の消費生活を思い浮かべればどんな冬眠生活なのか容易に想像することができる。例えば日本大震災の時には「電力不足」から飲食店では営業時間の縮小・限定が行われたが、今回は移動抑制による「人手不足」と「顧客不足」による時間限定営業もしくは臨時休業の違いだけである。鎌倉市では職員の「夫婦共働き世帯」が多く、出庁できずに行政サービスに支障が出る状態となっている。少し古いデータであるが夫婦共働き世帯は48.8%で、約半数が小中高の一斉休校による生活変更を余儀なくされている。売れているものは何か、過去2回の「災害」と同じで、レトルト食品、冷凍食品、缶詰、お米、・・・・・・つまり、数週間の冬眠生活を送る日持ちするものとなっている。

さて、本題であるが、数週間程度の冬眠生活で治るかどうかである。リーマンショックから生まれたのが「わけあり」でデフレ生活ウを一変させた。東日本大震災においては、やはり自家発電への傾向が生まれソーラーパネルの設置や電気自動車といった自己防衛消費の傾向が強まった。前回も少し書いたが、消費心理の真ん中には何が問題であるか、その「正確さ」がある。それは何よりも新型コロナウイルスが「未知」のウイルルであるからだ。わからない、不確かさ、に対して不安が起きるのは至極当然のことである。しかも、生死に関わることであれば尚更の事で、うわさ・風評の素となる。NHKによれば、感染が疑われる人からの電話相談に応じる専用窓口「帰国者・接触者相談センター」に寄せられた相談は、2月26日までの10日間に少なくとも全国で8万3000件余りに上っていると報道されている。そして、今なお、電話相談が相次いでいるという。恐らく相談センタ^や保健所も人的に対応できない状態、パンク状態になっており、不安を確かめる「正確さ」を得ることができない状態になっている。

この「正確さ」を自己防衛的に確認できるのが「PCR検査」しかない状況となっている。しかし、現実はかかりつけの担当医が保健所などに検査の要請をしても実施してもらえない。こうした事例がTV報道されることによって「不安」は増幅し、このままであれば「恐怖」へと向かっていく。
今、この新型コロナウイルスに関する正体の「正確さ」は6万件近くの中国における感染データがWHOから発表されている。Report of the WHO-China Joint Mission on Coronavirus Disease 2019 (COVID-19)その中で、約80%が軽症で、感染ルートのほとんどが家庭内感染であること(感染の起こった344のクラスタ/感染小集団のうち、78~85%は家庭内の感染だった)。しかも、子供から大人に感染した事例はないとも(18歳以下の子供の感染率は低く、すべて家庭内で親から感染したものだ。逆に子供から親に感染したケースは報告されていない)。他にも中国各地の地域差について書かれており、発生源である武漢については感染爆発しているが他の地域、上海や北京では武漢のような爆発的感染はしていないとも。従来の季節インフルエンザとは異なるウイルスであり、固定概念を捨てなければならないということである。

日本の感染症の専門委員がスタディしているようにクラスターという感染小集団の事例の概要が報告されている。北海道ではそのクラスター(若い世代)が雪まつりや展示会を通じた感染であったと推測され、大阪京橋のライブハウスについても大阪市が調査報告されているようにライブ参加者の中の小集団が自宅に戻り家庭内感染していることがわかっている。中国ほどの正確な疫学データではないが感染ルートのスタディはなされつつある。これらの情報だけでも小中高の一斉休校は愚策であることがわかる。従来の季節インフルエンザの発想から離れることが必要で、クラスター感染が起きている北海道や市川市、和歌山市あるいは相模原市は休校にしたら良いとは思うが、全国一斉ではない。生活者の不安を少しでも減らすことであれば、まず自己防衛の一つとして「マスク・消毒液」を全国隅々に早急に行き渡らせることである。ドラックストアの棚に置かれたトイレットペーパーと同じようにマスクと消毒液を棚に十分置いておくことである。繰り返し言うが、理屈で解決できることではないということだ。

もし感染拡大を防ぐには、感染のクラスター小集団の「場」となっている、あるいは想定される「場」を「休止」することが第一であろう。屋形船、スポーツジム、ライブハウス、カラオケ、・・・・・・こうした場の衛生管理はもとより、休業期間に対しては政府は経済保証すべきとなる。但し、問題なのは「いつまで」という期間の設定である。本来であれば、精度は低いとはいえPCR検査による疫学データがないため期間設定ができないということである。このことは不安心理をストップさせることができないだけでなく、その先には東京オリンピックの開催ができるかどうかという問題まで行き着く。その前に、3月中旬までの順延・休止となっている東京ディズニーリゾートを始め、プロ野球やJリーグ、・・・・・多くのイベントや美術館などの諸施設はそのまま休止を続けるのか、それとも再開するのかという判断である。
いや、東京オリンピックだけでなく、WHOが発表した感染国として注意すべき国々、韓国、イタリア、イランと共に日本も加わったことにある。クルーズ船における防疫の失敗から始まり、「感染国」というイメージが世界に流布されている。推測するに、米国トランプ大統領は日本への渡航&入国制限をかけることになるであろう。そうなった時、中国だけでなく米国も加わった場合の「経済」である。単なるインバウンドビジネスの減少だけでなく、両国との貿易は日本の貿易総額の22%を優に超え、リーマンショックどころの話ではない。(中国11.6%、米国10.6%/2017年)一部の経済アナリストは昨年の10月ー12月に続いて、1月ー3月のGDPはマイナスになると予測されているが、4月から元に戻ることはない。前回「人通りの絶えた街へ」消費氷河期を迎えると書いたが、その先に何が起こるかと言えば、凍死企業、凍死者が至る所に現れてくる。つまり、「日本経済崩壊」に向かうということだ。今どんな時かと言えば、パニック前夜としか言いようがない。

繰り返し言うが、後手後手になってしまった対策を指摘することは容易いが、今は「正確さ」こそが危機をおり超える道である。PCR検査が広く担当医から民間企業に依頼できない理由を明らかにすること、そのできない理由にその後の入院など医療体制を組みことができないパンク状態になる実態、少ない疫学デーアではあるが中国のデータをベースに日本国内の感染実態を明確にした対策を立案すること、地域によっては小中高の休校を解除し通常の授業に戻すこと、クラスターと言う小集団の感染源が想定されたら休止・休業の要請をすること、勿論休止・休業に当たっての経済損失は一定額を政府保証すること、そして、マスメディアを含め従来の季節インフルエンザとは異なる対策を講じなければならないと言う意識転換をし、「正確」に事実をアナウンスしなければならない。その正確さとは科学としての疫学における正確さと共に生活者心理の正確さに基づくものであることは言うまでもない。電車内で咳をした女性への暴言を吐いた乗客に対し、それを見ていた乗客との間で喧嘩が始まった様子がスマホで撮られ報道されていた。トイレットペーパー騒動もそうだが、新型コロナウイルス感染の不安は一種のヒステリー状態を起こしているわかりやすい事例である。ある意味、パニック前夜にあると言うことだ。不安をヒステリー状態に向かわせるのも「情報」であり、特に過剰なTV報道による不安の増幅こそ元凶の一つであり、抑制的に正確な情報公開こそが危機を超える唯一の方法である。(続く)
  


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2020年02月23日

人通りの絶えた街へ 

ヒット商品応援団日記No758(毎週更新) 2020.2.23.


少々おどろおどろしいタイトルになってしまったが、消費経済が危機的状況へと真っ直ぐ向かっている、いや爆発的に突進している状況をパンデミック(感染爆発)と表現した。その背景は勿論新型肺炎の拡大が進行しているのだが、根本には昨年10月に実施した消費増税がある。その紛れもない事実が先日発表された10月ー12月のGDPである。その値が年率で6・3%の下落で、年率6・3%と言えば、1年で35兆円もGDPが縮小したという意味である。その異常さについては京都大学の藤井教授が分析をしている。そのGDPの下落の内訳を名目GDPで明らかにしてくれているが、その中で個々の縮小率について分析してくれている。その内大きい縮小率が「民間投資13・7%」と「消費9・0%」となっている。これまで商業統計など多くのデータ類を見てもわかるように極めて深刻な「病気」になっている。

前回のブログで新型コロナウイルスの感染に関し、「移動抑制は直接消費を落ち込ませる」と書いた。書いた翌週から観光産業をはじめ流通業にも具体的な影響が明確になってきたと報道されるようになった。それは中国人観光客だけでなく、更に訪日観光客だけでもなく、日本人観光客へとしかも「全国レベル」で抑制が広がった。問題なのは「移動の抑制」が東京マラソンをはじめ多くのイベントの中止あるいは規模縮小へと急速に向かった。最近ではサンリオピューロランドも3月中旬まで休館するとの発表があった。移動の抑制は消費経済の縮小へと直接繋がっていく。こうした自己抑制は全国にわたって行われ、それを追いかけるように新型肺炎の陽性反応患者が広がっていく。感染源を追跡できない、いわゆる「市中感染」が日本感染症学会が指摘をしたように散発的な流行が始まっているということだ。

ところで10年数年前になるが、2008年9 月15 日にリーマンブラザーズが破綻して、大不況が押し寄せたことを思い出す。記憶を呼び戻してほしいが、サブプライムローンに関係する証券化商品を保有する金融機関にどのくらい損失が生じているのかが見えず、金融機関同士の資金取引が停止する「市場機能の麻痺」が起きた。この状態を後に疑心暗鬼が伝染したことによると明らかにされた。この「伝染」というキーワードが今また日本を覆いつつある。これまで社会不安について「うわさの法則」を踏まえこれ以上書くことはしないが、伝染の元は「不確かさ」にある。新型肺炎の場合も、「見えない」ことによる不安や恐怖で、よく言われることだが、デマや噂を連れてくる。いや、その不安は今や危機的状況にあり、人のこころにある差別などの潜在意識が表へと出てきている。武漢からチャーター便で帰ってきた帰国者はもとより、クルーズ船から陰性により下船した人に共通しているのは、人に感染の迷惑をかけたくないという不安な思いと共に、例えば近所を歩き回ってうつさないでほしいと言った言われのない差別の眼や声が出てきている。

実はもう一つの大きな出来事を思い出す。それはリーマンショックと比較しより鮮明であるのが、周知の2011年3月11日の東日本大震災である。東日本大震災の時の景気の落ち込みを比較する経済アナリストもいるが、私が思い出すのは福島原発事故による放射能汚染の「対応」である。この対応は政府の対応と共に、消費者・生活者の2つの対応である。当時も多くの風評・デマが飛び交った。その根源には原子力発電所で発生した炉心溶融(メルトダウン)は無いと繰り返し発表されていた。しかし、後に誰の目にも明らかになったように、メルトダウンが実際に起きており今日に至っている。
そして、放射性物質の汚染情況について、「安全です」、「安全基準値以下です」といくらアナウンスされても不安は解消されはしない。パニックを起こさないためという理由から放射能汚染の拡散情報、スピーディのシュミレーション情報の開示を遅らせた政府に対し、不安ではなく不信の塊となっていた。
当時の放射能汚染を今回の新型肺炎に置き換えてもその不安の程度の違いはあっても基本の構図は同じである。この原発事故直後に放射能汚染を計る線量計がヒット商品になるであろうとブログに書いたが、今回は線量計がマスクとアルコール消毒液に変わったというわけである。。

さて、リーマンショックと福島の原発事故の経験を踏まえどのように新型肺炎に「対応」すべきかである。そして、思い起こしてほしい、そこから生まれたのが「見える化」であった。つまり、福島原発事故においては放射能汚染の数値化による「納得」であった。それは専門家の理屈ではなく、明確な数値で示すことによる納得であった。見えない不安や恐怖を明確に数値化すること、いわゆる見える化が消費現場に要請されていた。確かHP上でその数値の公開を率先したのが「雪国まいたけ」であったと記憶している。そして、数年後福島の生産者は米作りであれば、収穫したコメの放射能汚染を正確にするため全数検査の実施に踏み切る。調査という視点に立てば、サンプル抽出で放射能汚染の精度は十分と考える専門家の「理屈」では納得は得られないということであった。実はこうした納得を通じ、次第にデマを含め風評被害は少なくなっていく。

今回のクルーズ船における場合も同じで、初期の段階でPCRによる検査を「全員」行わなかったことから不安は始まる。勿論、後にPCRによる検査の処理能力がせいぜい1日300程度でしかなかったことがアナウンスされる。国民は「後追いの理屈」としか受け取らない。「だったら初めからアナウンスしてくれよ」ということである。しかも、この検査の陰性・陽性の精度は万全ではないことも後にわかってくる。その証明であると思うが、クルーズ船乗客の内チャーター便で自国に帰ったオーストラリア人6名とイスラエル人1名から、陽性反応が出たと報道されている。さらに言うならば、2月5日以降は乗客は隔離されているので船内感染は防御できたとして、陰性乗客の下船の前提とした。確かにデータを見る限りその傾向は理解し得るが、支援のために乗船した官僚から2名の陽性者が出ていることから見ても、果たして精度の高さを持った防疫管理ができていたのか不信に思うのも、これもまた逆の意味での「見える化」によるものである。しかも、下船した乗客の内23名はPCR検査を実施していなかったと、ニスしていたことがわかった。更に、クルーズ船の支援に従事した厚労省職員がPCR検査をすることなく日常業務に従事していたこともわかってきた。こうした杜撰な対応が重なると不安は不振へと変わっていくのだ。

心理市場化と言うキーワードが生まれて20数年ほど経つが、そうした中で生まれたのが「見える化」であった。見えない世界を見えるように、わかりやすいようにと行われた経緯がある。それは過剰とも思える情報社会にあって間違えた判断をしないようにするための知恵であった。しかし、それでも全てが見えるわけではない。
心理とは外からは見えない世界であるが、少しの想像力があればわかる世界でもある。つまり「感じとること」であり、社会には嘘や欺瞞が充満していることから、「感」が今まで以上研ぎ澄まされてきたと言うことであろう。SNSなどで使われる「いいね」の場合も、「悪いね」の場合も、そうと感じた人が圧倒的多数を占める時代になったと言うことだ。それはある意味言葉の裏側にある「何か」を感じ取る敏感社会になったということである。その敏感さに応えるのはものは何か、それは「正確さ」である。福島原発事故の時のそうだったが、パニックを起こさないために敢えて「事実」を隠し、公開を先延ばしたと多くの人はそう感じていた。それが「政治」であると言う意見もあるが、そうした政治に対し「正確」に事実を知らせて欲しいと考える人は多い。確かにパニックを起こす人もいる、差別意識丸出しの人もいる、しかし正確な判断をしたいと考える人もいる。政治はそうした中、その正確さを受け止める「人」を信じることだ。その正確さが「感」を動かし、納得へと向かう。

ところでこの新型肺炎の広がりと収束時期についてである。この2つのテーマに正確に答える専門家は少ないが、感染初期は過ぎ、既に拡大期に入ったとする感染症の専門家は多い。そして、誰もがどうなるのか心配しているのが東京オリンピックの開催である。既に多くのイベントや催し、多くの人が集まる会合などで延期や中止が始まっている。これが前回ブログに書いた「移動抑制」である。観光だけでなく、日常の移動の抑制であり、まるで氷河期生活に入ったようになると言うことである。2011年の東日本大震災直後の東京を「光と音を失った都市」であると書いた。もし同様の表現をするとするならば「人通りの絶えた街」となる。こうした人通りの絶えた街が全国に広がると言うことである。
あと一ヶ月ほどで桜が開花する。花見の季節を迎えるが例年のような賑わいを見せることはないだろう。インバウンドビジネスにおける人気ツアー「花見観光」も限定されたものとなるであろう。

そして、誰もが心配するのは新型肺炎が本格的に市中感染した時、まさにパンデミック状態となるのだが、「移動抑制」は移動することなく「冬眠」状態となる。つまり、氷河期時代の冬眠生活である。そして、消費増税は中小企業、特にインバウンドビジネス関連企業を凍らせることとなる。嫌なことだが、信用調査会社では既に倒産企業が増え年間1万企業を超えるであろうと指摘をしている。
前回も書いたが、冬眠生活であっても、ご近所消費、利用し慣れた店には行く。消費現場の基本は危機にあればこそ、「正確さ」を失わないことである。それは顧客に対する正確さであり、言い逃れ、言い訳をしてはならないと言うことである。良いことも悪いことも隠さず事実を公開することである。デマも風評も、この正確さの前では力を発揮することはない。東日本大震災の教訓を今一度思い起こすことだ。(続く)
  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:14Comments(0)新市場創造

2020年02月11日

移動抑制が消費を直接低下させる 

ヒット商品応援団日記No757(毎週更新) 2020.2.11.



報道されるニュースのほとんどが新型コロナウイルスの感染で埋め尽くされている。ウイルスの正体が未だわかっていないためその「不可解さ」に不安が生まれ、マスメディア、特にTVメディアが不安を増幅させている。毎日のように感染者数や死亡者数が右肩上がりのグラフで図解される。ところが米国での季節インフルエンザによる患者数が1900万人、死者数は1万人を超えたことなど日経新聞以外はほとんど報道されない。挙げ句の果ては例えばクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の寄港地鹿児島でのオプションツアーでどこに立ち寄ったか感染させたか「犯人探し」までいきついている始末である。このことは日本国内ばかりか、例えばCNNなどでは新型コロナウイルス感染のニュースにおいては、中国からの感染の「ハブ」の象徴としてクルーズ船を取り上げている。世界における感染者数の多さについては日本は際立って多いのは事実ではあるが、世界の見方と言えば感染の媒介国であるかのようなニュースさえある状況だ。そこから中国人、日本人を含めたアジア人へのウイルス差別も生まれている。TVメディアをはじめとしたマスコミによる情報の「刷り込み」から自らを守ること、ここでも過剰情報からの自己防衛が必要となっている。

そして、今回新型コロナウイルス感染で明らかになったことは、検疫における法整備と治療体制の不備であった。こうした感染症の専門家ではないのでコメントできる立場にはないが、日本と中国の経済における密接な関係が数字だけでなく「実感」できることとなった。インバウンドビジネスを見ていくと、2019年の訪日外国人は 3,188 万 2 千人、観光消費金額は4.8兆円。内中国人観光客数は959.4万人、消費金額は1.7兆円となっている。
3年ほど前から東京浅草や大阪道頓堀・黒門市場などの賑わい観察結果を未来塾でレポートしてきたが、ここ数日前の浅草も道頓堀も勿論京都においても観光客のいない閑散とした観光地となっていると報道されている。勿論中国政府による春節における団体旅行の禁止によるものでいかに大きいものであったかを実感することとなった。また、こうした閑散とした状況は日本観光が敬遠されていることを物語っている。それは前述のCNNの報道ではないが、新型コロナウイルスの感染媒介国として、つまり武漢から広がる北京や上海などと同じような見られ方をしていることの「実際」ということ実感でもある。少し前に日本感染症学会がコメントしているように、見えないところで小さな感染が国内で続いているとの懸念を払拭できない。

さて、こうしたグローバル化した時代にあって、新型コロナウイルス感染拡大の少し前まではあの「カルロス・ゴーン逃亡劇」が世界の話題の中心であった。マスマスコミ、特にTVメディアの情報で右往左往しないことだ。そして、実はこうした情報から遮断されているのが消費増税による景気、とりわけ消費の落ち込みである。前回のブログにも書いたが、インバウンド市場の落ち込み、百貨店などの小売業や観光地のビジネスに大きな影響を及ぼすであろうと書いた。そうした影響は出てきてはいるが、観光とは「移動」のことである。インバウンドビジネスとはその移動によって生まれるビジネスである。今回の新型コロナウイルスはその移動に乗って拡散するのだが、感染のスピードに対策が追いついていないという現状がある。数日前、長野白馬のスキー客を対象とした観光産業の地元担当者が、白馬は欧米客が中心で中国観光客は少ないので大丈夫であるかのようにコメントしていた。まるで考え違いをしているなと感じたが、つまり、今起きていることの本質は新型コロナウイルスは「移動」そのものにストップをかけるということである。白馬は中国人観光客が来ていないので問題はない、オーストラりアのスキー愛好家は訪日してくれるなどと間違って考えてはならない。パウダースノー好きのオーストラリア客も移動は抑制されるということである。これがグローバル時代のビジネスの前提である。白馬もニセコも浅草や道頓堀ほどではないが、基本同じであるというこだ。

この移動が抑制されるのは何も訪日観光客だけのことではない。問題なのはインバウンドビジネス市場だけでなく、国内の日本人の消費も抑制されるということである。例えば、今までであれば欲しいな、食べたいな、と思ったら長距離の移動もいとわず行動する。デフレ時代にあってはより安いものがあれば、移動にお金がかからなければ長距離でも移動するが、コスパに合わなければ身近なところで済ませる。あるいは我慢するということになる。これが消費における氷河期の特徴、その本質である。
問題なのはこうした移動抑制心理へと向かわせているのが、「消費増税」である。前々回のブログにて危機的状況にあることを商業統計の数字をもとに書いたが、その時にも少し触れたことだが、増税前の駆け込み需要が予測以上に低かったのは「消費体力」が低くなっているからであると。1997年の5%増税時、2014年8%増税時、と比較し、「駆け込める消費余力」がなくなっているからであると推測した。それは消費を牽引するボリュームゾーンである30歳代の収入が上がらず、高齢者も予測以上に消費しないことが主な理由となっているからだ。特に、高齢者の消費は今回のクルーズ船に見られたように「旅行」が消費の中心となっている。勿論、高齢者も「移動抑制」は働く。

また、旅行という移動とは異なる視点ではあるが、「海外へのモノの移動=輸出」は2018年度は順調であったが、2019年度は前年と比較し、マイナスで推移している。これは多くのエコノミストが指摘しているように米中貿易戦争による理由からであるが、今回の新型コロナウイルスによってホンダ・トヨタを始め多くの日本企業の工場が操業中止になっている。そして、周知のサプライチェーンが機能し得ない期間が出て来ている。こうした中国に生産拠点を移動してきた企業だけでなく、中国に農産物などの委託生産・委託加工している大手スーパーや飲食チェーンも多い。つまり、消費生活に密接な関係を結んでいるということである。まだその影響は出てはいないが、新型コロナウイルスの感染が中国各地方都市に拡大し長期化するとなれば、工業製品だけでなく、食品にも影響が出てくる。つまり、内需だけでなく外需もさらに厳しくなるということだ。

こうした内需・外需共に厳しい状況でどうすべきかである。まず顧客の「移動抑制」についてであるが、逆に言えば「近場」「ご近所」利用が増えてくるということである。しかも、日常利用へのウエイトが高まる。例えば、旅行であれば国内旅行で今まで行ったことのない1泊温泉旅行とか日帰りバス旅、といった旅行になる。従来の人が集まる観光地は避ける傾向となる。しかもその根底にあるのは「安全」「安心」が担保されていることが前提となる。それまでのお得な旅、気軽な旅、しかも安全・安心な旅となる。安全な旅とは、まず利用者が安全を自己確認できることが必要であるということである。それは安全の「見える化」の徹底ということになる。しかも、感染対策の見える化だけでなく、避難や危険防止といった旅の「全体」に渡るものとしてある。

デフレといった視点に立てば「お得」も進化していくであろう。政府も6月までのキャッシュレスによるポイント還元が恐らく9月まで延長されることとなるであろう。そして、氷河期における消費の最大特徴は「自己防衛」へと向かう。それは節約といったことではなく、自己抑制消費に向かうということである。今回の新型コロナウイルス対策には手洗いが必要であり、マスク着用はそれほどの効果はないとされているが、昨年12月からの季節インフルエンザの流行は予測を下回る感染であることが報告されている。これは1月後半からの新型コロナウイルス
に対する自己防衛によるところが大きいと分析する医師も多い。増税やリーマンショック、東日本大震災を経験してきたが、その消費の根底には自己防衛意識が大きく働いていた。実はそこから「わけあり」といった新しいキーワードによる商品やサービス。業態も生まれてきた。どんな時代の次なるキーワードが生まれてくるか、まだ始まったばかりであるが、間違いなく生まれてくるであろう。昨年「サブスク」に注目されたが、顧客も提供企業も、共に納得できる「デフレ消費」社会の到来を象徴するキーワードになる。前回のブログに「何があってもおかしくない時代」が始まったということである。(続く)  


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2020年01月27日

何があってもおかしくない時代 

ヒット商品応援団日記No756(毎週更新) 2020.1.27.

年が明け街歩きを始めているが消費の低落傾向は深刻の度合いは増している感がしてならない。その深刻さを表すかのように10月以降の「数字」が出てきている。(百貨店協会、SC協会、スーパーマーケットチェーン協会)12月という年末の最需要期にもかかわらずマイナス成長となっている。特に百貨店業界はその度合いは深く地方の店舗の閉鎖・撤退だけでなく、百貨店自体がMDを進め店づくりにもリーダーシップを持って開発運営してきた事業業態の転換が見られるようになった。昨年リニューアルオープンした大丸心斎橋店は出店専門店にMDや売場づくりを任せる方式、いわゆる売り場を貸す不動産賃貸業への転換である。こうした事例は周知のようにDCブランド、ファッションのマルイとして一時代を画したが2007年に中野本店を閉店する。再び2011年1月にオープンするのだが百貨店型の商業施設から、いわゆる専門店のテナント編集によるショッピングセンター方式への転換が図られた店舗運営とその商業構成となっている。一言で言えばマルイもテナントによる賃料収入によって経営を行ういわゆるデベロッパー型小売業へと転換したということである。大丸心斎橋店が丸井と同じであるか正確な情報がないので断定したことは言えないが、消費の変化を映し出すのが商業の本質であることを考えるとすれば、これも一つの生き残り策であろう。
また、各スーパーマーケットチェーン協会の販売統計によると、軽減税率の対象となっている食品部門がマイナス成長になっている点がこの深刻さを表している。特に、12月は正月を迎える需要が一番大きくなる月である。この時期がマイナスであるということは、何を表しているかである。

そして、今回の消費増税で上手く「売り上げ数字」を残せたのはコンビニ業界であると言われているが、小規模事業主への支援として政府からのキャッシュレスポイント還元策とキャッシュレス企業の導入促進策によるポイント還元策が功を奏し増税後の落ち込みを少なくさせた。しかし、これはポイントという「お得」によるもので今年の6月には終了することとなる。現在、政府与党はポイント還元期限の9月までの延長を考えているようだが、果たしてオリンピック・パラリンピック終了後の10月にはどんな「落ち込み」が出てくるか恐ろしく感ずる経営者も少なからずいるであろう。
今、定額料金制の「サブスクリプション」に注目が集まっているが、顧客の固定化・囲い込み策として意味ある結果が出せているのは極めて少数の事業である。物を持たない、収納スペースも限られている若い女性暮らしには洋服のサブスクは良いかと思う。しかし、食べ放題など変化のない「定額」=「お得」は継続するのは極めて難しい。つまり「お得」の終了が消費の終了になりかねない、「お得終了ショック」を迎えるということだ。

消費増税による顧客離れが心配されていたのが飲食業界であるが、ファストフードチェーン業界にあってその準備の結果が売り上げの数字によく出てきている。牛丼大手三社も売り上げ・顧客数も落とすことなく大きな壁をひとまず超えたと言って良いであろう。特に日本マクドナルドは極めて好調で昨年2019年は連結売上高が前期比3.8%増の2825億円になる見通しだと発表した。2014年に発覚した中国製造の賞味期限切れのチキンナゲット事件以降顧客離れ・店舗閉鎖・売り上げ下落・赤字決算・・・・・こうしたマクドナルド不信からの復活を目指したカサノバ社長の店舗巡り・顧客(主婦)対話による信頼回復が図られたことを踏まえ、積極的な新商品導入が売り上げという数字につながったということである。また、こうした商品導入だけでなく、客が注文商品を座席で受け取る「テーブルデリバリー」や、来店前に注文や決済が終わる「モバイルオーダー」。これら新サービスを全国約2900店の約半数で展開したことも大きく影響している。多くの困難を超えることを可能にしたのは顧客主義の基本に立ち戻ったからであろう。

ところで中国で発生した新型コロナウイルスの感染が海外へと広がり、全世界で2700名を超える感染者が出たと報道されている。日本においても4例の患者が確認されている。中国からの報道によると流行地と言われている武漢の封鎖と共に春節旅行における団体旅行を禁止するとのこと。同じような感染症である2003年の時のSARS(重症急性呼吸器症候群)との比較で日本国内でも報道されているが、すでに中国国内では上海ディズニーランドや故宮などの観光地は閉鎖になっているとも。SARSの時は感染が治ったのは6ヶ月かかったと言われている。中国国内ではデマなど風評被害が指摘され始めているが、日本国内においてもそうしたことが起きないとも限らない。この春節には40数万二んの中国観光客が日本を訪れると予測されていた。しかし、東京や大阪のみならず、観光地においてもホテルやバスをはじめピューロランドといった観光においてもキャンセルが相次いでいる。特に訪日中国客を腫瘍顧客としている百貨店にとって予定された売り上げも望めないということである。
数年前から指摘をしているように、訪日観光は全国至る所へ、いわゆる横丁露地裏観光へと広がっている。SARSについても効果のあるワクチンは開発されておらず、有効な対策は感染源の封じ込めと消毒などによる感染を防ぐことだけである。7月には東京オリンピックが始まる。今回のような新型コロナウイルスだけでなく、他にも多くの感染ウイルスが国内へと持ち込まれる可能性はある。観光立国を目指すとはこうしたリスクを引き受け、防ぐことにある。
米国をはじめ中国在留の米国人に対し、チャーター機による帰国が検討され、日本もまた同様の避難計画が検討されているという。つまり、「感染」のスピードを超えた敏速な対策が急務となっているということだ。グローバル化とはこうした認識と対応が、至る所で必要になるということである。

こうした新型感染症リスクも消費増税という困難さもこの時代ならではのことだ。必要なことは「何があってもおかしくない時代」にいるという認識と対応である。前回の未来塾で書いた「不確かな時代」とは災害日本のことだけではない。
数年前のブログだと思うが、観光地でもない町の飲食店にふらりと食べにくる外国人が現れてくる時代であると。その時の良かった思い出がネット上で公開され、次第に人気店になる。その代表例が数年前の大阪西成のドヤ街にあるお好み焼き屋である。こうした「良き思い出」こそが日本固有のサービスであり、「顧客主義」に立脚した商売である。当初どこまでできるかという疑念はあったが、日本マクドナルドのカサノバ社長が全国を回って小さな子供のいる母親にヒアリングし、その顧客である母親に一つの答えを返したのも「顧客主義」である。その答えとは結果としての新メニューであり、新サービスであるということだ。顧客主義とはグローバル時代の原則であるということを再認識することだ。キャッシュレスポイント還元といった「お得競争」もいつかは終わり、次なる満足競争が始まる。何があってもおかしくない不確かな時代とは、顧客主義という基本に常に立ち戻ることであり、それは古くて新しいテーマであるということだ。(続く)  


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2020年01月15日

未来塾(38)「不確かな時代の不安と感動」 後半   

ヒット商品応援団日記No755(毎週更新) 2020.1.15.



「不確かな時代の不安と感動」に学ぶ


前回の未来塾では五木寛之の著書「下山の思想」の視点を借りて、登山ではなく、下山から見える消費風景を東京中野と門前仲町を題材に学ぶべき点を描いてみた。今回は今日の日本のライフスタイルの原型が形作られた江戸時代の知恵や工夫を下敷きにして、どれだけの進化を成し遂げてきたかを考えてみた。周知のように江戸は当時のロンドンやパリといった大都市に負けないくらい、いやそれ以上に優れた高度な都市機能を有し、豊かな暮らし、文化が芽生えたライフスタイルが存在していた。
例えば、江戸の市中に水が流れていたのは世界の三大都市て江戸だけであった。今でもその名残が残されているのが多摩川を水源とする玉川上水、井の頭公園の池を水源とする神田上水。東京は坂の多い町で、つまり高低差のある町中を「流れる水」をどうして造ったのか、そんな技術は当時あったのか、不思議に思うほどである。水道の専門家ではないが、高低差のあるところに水を流すには、加圧式と自然流下式があるそうだが、江戸の場合は後者の自然流下式であったとのこと。いかに高低差を考えた水路、その土木技術・測量技術の高度さに驚かされる。そうした技術の表れとして「水道橋」がある。東京にはJR中央線の駅名にもなっているが、これは空中を水が流れる「架樋(かひ)」が造られた名残である。
当時の世界で優れた文明国であった江戸においても、常に「不安」と隣り合わせの生活であった。しかし、極論ではあるが、辛いことがあればそれもまた人生、不安を遊ぶ、かわす、生きている時間を大切にし、お金・モノに囚われない、そんな自由な生き方であった。これは推測ではあるが、未来に対する漠とした「不確かさ」「不透明さ」から生まれる不安など意識することはなかった、つまり「浮世」といった一種の割り切りのある人生観では計り知れない世の中にいるということであった。そうした意味で江戸の不安と今日の不安とは異なる不安の世であったと言えよう。

「不信」という不安

戦後の日本にあって不安が社会へと広く拡散していった最初の出来事は、バブル崩壊後の1990年代後半に起きた拓銀や山一証券の破綻に見られる金融不安であった。このことについては未来塾において「パラダイム転換」あるいは「バブルから学ぶ」にて詳しく書いたので今回は省略することとする。
恐らく「消費」という場面で不安が社会へと広がった最初の記憶に残る事件は2005年に起きた「耐震偽装事件」であろう。次いで2007年12月には中国冷凍餃子事件が起き、社会不安が増幅したことがあった。更に2008年には汚染米を使った事故米不正転売事件が起きる。周知の嘘をついた美少年酒造は潰れ、正直に全ての商品を廃棄し再生を掲げた西酒造(宝山)は、逆に今や人気焼酎ブランドとなった。また同年には“ささやき女将”で記憶に残る高級料亭「船場吉兆」による食品偽装事件。全て見えない世界での事件であり、不安の根底には「不信」があった。後に生まれたのが「見える化」であり、小売業の店頭には生産者の写真が貼られメッセージと共に安心づくりが始まった。こうした「見える化」は後に起こる横浜都筑区の耐震化マンションにおける杭打ちという見えない地下の施工不良による事件であった。デベロッパー三井不動産をはじめとした大手企業の「ブランド」信用力は失わレ始めた事件である。信用の回復を踏まえ、「見える化」は立て直しという思い切った対応がなされたのも耐震偽装事件の教訓を踏まえてであった。ある意味不安の連鎖を断ち切ったということであろう。

実は江戸時代にもこの不信を増幅させるような商売もあった。前述した瓦版もそうした側面を持ったメディア・情報源で、江戸の人たちはインチキ・うそも笑ってすませればいいじゃないかと考えていた。「瓦版は話三分」という言葉があって、実感・体験できることを「信用」した。火事などの災害情報については正確な情報であったが、ゴシップどころか競争相手の店の悪口を書いて裏で謝礼をもらうなどなんでもありのメディアもあった。そうした瓦版の作者・販売元はパッと売って逃げる、そんなことも日常的にあったようだ。こうした江戸にあって「信用」を勝ち得た老舗、数百年商いが続けられてきた稀有な国日本であるが、そうした中で信用を得た商売の原型をつくった代表的な店は呉服屋・越後屋(後の三越)であろう。
実は江戸時代の商人は、いわゆる流通としての手数料商売であった。しかし、天保時代(1800年代)から、商人自ら物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が行われるようになる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが問屋などっを介した既成流通の「中抜き」を行った言わばSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。江戸時代は封建時代と言われているが、この「封」という閉じられた市場を壊した中心が実は「京都ブランド」であった。この京都ブランドの先駆けとなったのが江戸の女性たちの憧れであった「京紅」である。従来の京紅の生産流通ルートは現在の山形県で生産された紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売されていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入れ、現在のさいたま市付近で栽培し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売するようになる。柳屋はイコール京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下り物」を買った。従来の流通時間や経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。言葉は悪いが、「下り物」を模した偽ブランドと言えなくはない。このように京紅だけでなく、絹製品も清酒も「京都ブランド」として流通していた。ただ江戸時代では盲目的なブランド信仰といったものではなく、遊び心と偽造というより卓越した模倣技術を認める目をもっていたということである。例えば、ランキングという格付けは江戸時代の大相撲を始めなんでもかんでもランキングをつけて遊んでいた。遊んでいたとは、その中身を辛辣なまでに体験熟知していたと言うことである。今日の食べログのような単なる話題という情報だけで消費される時代ではなかったと言うことである。
つまり、偽、うそ、話三分として受け止め、そこには「不信」はなかったということである。そうした意味で不安はなかった時代ということができる。勿論、現在のように不信が生まれ、見える化が必要となるのも、モノも、情報も全てが「過剰」であることによる。過剰が不信を生み、そしてそのまま放置すれば不安もまた生まれ、次第に拡散し社会不安へと向かうということだ。社会心理学ではこの過剰が退行現象を産み「幼児化」が始まるとされている。幼児化の反対後は「大人化」であるが、江戸はptpなの社会であったということである。

「想像」を超える不安とは

こうした辛辣なまでの眼力と遊び心を持った江戸の人たちであったが、それでも遊びには収まらない出来事、前述のような自然災害などが不安を呼び起こしていた。「想定内(外)」というキーワードが流行語大賞になったのは2005年であった。同じ大賞となったのが小泉劇場であった。あ々あの時代であったかと思われるであろう。やはり、記憶に新しいのは2011年,3,11の東日本大震災であり、特に福島の原子力発電所を襲った大津波につけられたキーワードであろう。「想定」とは未来を描く想像力のことである。今回の関東を直撃した台風19号について、周辺の長野県や東北地域の人にとっては「まさか」ここまで河川が氾濫し被害が及ぶとはと、想定外のことと感じる人は多かった。いや、周辺地域だけではなく、都心を流れる多摩川においても浸水被害が出ており、武蔵小杉においては電気設備の冠水により停電となりタワーマンションが機能しなくなるという想定外のことも起こっている。また千曲川の氾濫により北陸新幹線が冠水し、使用不可という被害も想定外であった。つまり、災害被害は想像を超えたものとしてあり、それまでのハザードマップもその都度改定せざるを得ない、つまり不確かな時代を生きているということを実感することとなった。
つまり、想定外から想定外へと想像を超える不安に囲まれて生きているということである。何があっても不思議ではないということだ。
と同時に、江戸の人たちが想定できない事態を常に喚起する河童伝説ではないが、「言い伝え」「伝承」を大切にしてきた。現代に置き換えるとそうした伝承は災害が起こった後初めて気が付くこととなり、防災・減災にはほとんど役に立たないこととなっている。不安を煽ることは間違いではあるが、不安もまた防災・減災への警鐘となることを教育面などで学んでいくことが必要となっている。「伝承」は非科学的であると一笑に付してきたが、そうではなく想像力を働かせてくれるそんな気づきをもたらせてくれるものであると今一度考え直すことが必要であるということだ。

不安を受け止めてくれる身近なお地蔵さんとSNS

平安末期に法然や親鸞のように庶民の苦しみを救う希有な僧侶が出現したと書いたが、戦乱を終え平和な時代の江戸ではより身近な庶民信仰が定着する。それは「お地蔵さん」という仏様であった。お地蔵さんは死者を裁く閻魔様を本尊とする地蔵菩薩であるが、菩薩であり閻魔様でもある。いわば、極楽と地獄とをつなく存在で、慈悲心を持って地獄に落ちた人を裁く、そんな仏様である。

東京都心のビルの片隅にもお地蔵様がひっそりと残されているが、未来塾で取り上げた「おばあちゃんの原宿」、巣鴨のとげぬき地蔵尊にはおばあちゃんが行列するお地蔵さん、「洗い観音」が知られている。この観音像に水をかけ、自分の悪いとこを洗うと治るという信仰がいつしか生まれる。これが「洗い観音」の起源と言わ ている。とげや針ばかりか、老いると必ず出てくる体の痛みや具合の悪いところを治してくれる、そ んな我が身を観音様に見立てて洗うことによって、観音様が痛みをとってくれる。そんな健康成就を願う、まさにおばあちゃんにとって身近で必要な神事・パワースポットとして今なお伝承されている 。
しかし、個人化社会と共に育った若い世代にとって、不安を受け止めてくれる「仏様」は存在してはいない。いやバブル崩壊前までの核家族化まではまだ不安を受け止めてくれる「家族」はあった。しかし、バブル崩壊以降若い世代、特に少女たちは街を漂流することとなる。こうした時代背景については何回かブログにも書いたので省略するが、ネット社会が浸透していくに従って不安の相談相手はSNSへと変化していく。そこには良き仲間や相談相手もいれば、相談を口実に近づき性暴力などの被害者になることも起きている。1990年代のプチ家出は友人宅が中心であったが、今やSNS、特にツイッターを通じた出会いによって家出先は見知らむ人間へと変化した。新しい監禁、誘拐という犯罪が生まれることへと行き着くこととなった。こうした犯罪被害は増加し続け、社会問題となっている。隣りにいるのは大家さんやお地蔵さんといった仏様ではなく、不安につけ込んだ犯罪者であるという現実である。

ひととき不安を打ち消してくれたラクビーW杯

浮世という人生観の無い現代にあって「ひととき」不安を解消させてくれるものの一つはスポーツである。2019年春以降、老後2000万円問題を入り口とした社会保障、あるいは10月に導入される消費増税による景況、こうした多くの生活者が抱える不安をひととき打ち消してくれたのは「ラグビーW杯」であった。日経MJにおけるヒット商品番付や新語流行語対象に選ばれたのはラグビーW杯における「ONE TEAM」というスローガンそのものの活躍であった。この熱狂の時代背景について次のようにブログに書いた。

『経済効果は4370億円に上ると言われているが、停滞鬱屈した「社会」にあってひととき夢中になれたラグビーであった。初戦であるロシア戦では18.3%(関東地区・ビデオリサーチ)であったTV視聴率は徐々に上がり、準決勝の南アフリカ戦では41.6%にまて達し、周知のようににわかフアンという新たば市場をも生み出した。それは「ONE TEAM」というスローガン、いや私の言葉で言えばコンセプトがビジネス世界のみならず、スポーツ界は言うに及ばずコミュニティ・家庭に至るまでの各組織単位で最も求められているキーワードが「ONE TEAM」、つまり一つになることであったということだ。個人化社会と言うバラバラ時代に最も求められていることであり、例えばビジネス世界にあっては「心を合わせること」を目的にした全社運動会や小さな単位では食事会までコミュニケーションを通じ「一つになること」の模索が続けられている。戦後の昭和の時代は創業者がONE TEAMのリーダーとして引っ張ってきた。今なおそうした創業型リーダーシップ企業は大手ではソフトバンクとファーストリテーリングぐらいになってしまった。平成を経て令和になり、こうしたリーダー無き後の組織運営にあって、ONE TEAM運営が最大課題となっていることの証左であろう。単なる言葉だけのONE TEAMではなく、一人ひとりが固有の役割を持って31人が試合を創っていたことを実感させてくれたと言うことである。その象徴がトライとは縁のないポジションであったフォワート稲垣啓太が「笑わない男」として流行語大賞にノミネートされていたことが物語っている。にわかフアンを創ったのはそうしたONE TEAMの「実感」を提供し得たからであると言うことだ。』
ONE TEAMというコンセプト、いやポリシーはほとんどのスポーツが目指すべき理念となっている。例えば、団体スポーツのみならず、マラソンといった個人競技にあっても、コーチやトレーナー、栄養士に至る多くの専門家がチームをつくっている。ONE TEAMは時代のキーワードということである。

夢中になれることの意味

明日はわからないという意味において誰もが不安を持つように宿命づけられている。江戸の浮世もそうした考えのもとでの人生観である。そう認識した時、少しだけこころのなかの不安を横に置くことができる。不安が占めていた場所に「何」を置くのか、それは夢中になれることだけである。いや、夢中になれることを見つけた時、それまでの不安は少しだけその場所を変えてくれる。
ビジネスの師であるP.ドラッカーは未来について著書の中で繰り返し次のように書いている。
“未来は分からない。
未来は現在とは違う。
未来を知る方法は2つしかない。
すでに起こったことの帰結を見る。
自分で未来をつくる
つまり、「好き」なれること、夢中になれることを作ることとは、まさに未来の入り口となる。にわかラクビーフアンもまた心の大きなところに「好き」が占めることだ。しかも、この「好き」は江戸の時代でも「今」であっても、「好き」を夢中にさせる共通は何かと言えば、「ライブ感」である。CDなど売れない音楽業界にあっても、ライブ会場は満員状態であるように、夢中の世界へと向かう。それはデジタル世界が進めば進むほど、リアル感が重要になる。例えば、更に進化していくであろうネット通販における有店舗の意味と同じである。

そして、高齢世代にとっても、若い世代にとっても「好き」を入り口に人生の旅に出ることは同じである。限定された時間の違いはあっても、自分で創っていく旅であり、未来である。そして、マーケティング&マーチャンダイジングの最大課題は、何にも増して生活者のなかにあるこの「好き」の発見にある。
こうした市場開発を担当するビジネスに活用されることも、また自らの人生の旅を見直す視座として使うのもまた良いかと思う。ラクビーW杯のようなビッグイベントだけでなく、商品やサービスだけでなく、日常の小さな出来事の中にも「好き」はある。それがどんなに小さくても、こころは動く。不確かな時代のキーワードはこうした共感をつくれるか否かである。

成熟した元禄バブルを経て、「浮世」という人生観を手に入れた江戸の人達と同じように、平成から令和の時代においても江戸の浮世のような人生観が求められている。エンディングテーマである「終活」ブームは勿論のこと、ベストセラーになった「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)や、最近ではTV番組「ポツンと一軒家」のような人生コンセプトに注目が集まるのも現代の「浮世」が求められているからである。つまり、不確かな時代、不安の時代にあっては、世代に関係なく「どう生きたら良いのか」という人生の時代になったということである。そして、個人化社会が進めば進むほど、「生き方」が求められるということだ。(続く)






  


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2020年01月14日

未来塾(38)「不確かな時代の不安と感動」 前半    

ヒット商品応援団日記No755(毎週更新) 2020.1.14.




消費税10%時代の迎え方(7)

不確かな時代の不安と感動

不安は常に不確かな未来から生まれる。
しかし「好き」が嵩じれば夢中へと向かい、
不安もまた変わる。


一昨年6月大阪北部地震、7月には西日本豪雨被害、9月には台風21号の関西直撃・関空麻痺、更には2日後北海道では大きな地震が起き全道がブラックアウトになった。その時、「災害列島の夏」というタイトルで日本が持つ宿命でもある自然災害についてブログに書いたことがあった。そして、昨年台風15号が今度は首都圏を直撃し倒木などによる停電が千葉県を中心に70数万軒もの停電が起き大きな被害を生んだ。そして、その1ヶ月後には最大級の台風19号が東海・首都圏を直撃し関東甲信越・東北という広域にわたる未曾有の豪雨によって想定外の堤防決壊などによる水害に襲われた。

一昨年の西日本豪雨における倉敷真備町に多大な被害を出した高梁川の決壊も、昨年の台風19号による長野千曲川の決壊も昔から何度となく洪水を繰り返してきた河川である。勿論、治水をはじめ防災・減災も行なってきたのだが、その時々の洪水に対する「想定基準」は変化してきている。曰く、50年に一度の、更には100年に一度の、そして、昨年の豪雨災害に対しては千年に一度の災害を想定しなければ、といった議論である。そうした想定は不安と表裏にあり、安心を得るためにインフラの基準もより強靭なものへと変化し、生活者の不安の受け止め方もまた変化してきた。

今回の未来塾は国土のインフラ整備における技術の進化ではなく、生活者は自然災害など時々の「社会不安」をどう乗り越えてきたかをテーマとした。不安は多様で時代によって変わり、しかも個人によって異なるものである。多様な不安から逃れるために、具体的には幸福感を得るため薬物を使うといったことや、もっと日常的であれば今日の「激辛ブーム」といった刺激もあるが、今回は多くの人が生きるにあたって共通した社会不安をテーマとした。不安の中でどう暮らしていたか、そこには不安の認識と共に、不安を抱えながらどう暮らしていたか、そこから生まれた知恵やアイディアを見出してみた。そこで現在のライフスタイルの原型が江戸時代にあることから、江戸時代と「今」とを比較しながら、嫌な言葉だが不安を呼び起こす常態化する災害列島日本の実像を中心に、その不安をひと時解消した楽しみ・娯楽ある日々の暮らし、感動をもたらしてくれる日常・出来事をテーマとした。面白いことに、ハザードマップなどないと思われる江戸時代にもそれに代わる庶民の知恵が伝承されている。しかも、災害が起こることを想定した町づくりや生活の工夫があったことに驚かされる。

不確かな未来から生まれる不安

さて”時代々によって生まれる不安”と書いたが、江戸時代の不安は平安後期からの数百年にわたる戦乱の世が終わり、江戸はいわゆる平和の時代であった。それまでの戦乱の世の「未来」は苦しみしかない世で、平安末期には法然や親鸞のように庶民の苦しみを救う希有な僧侶が出現する世であった。つまり、それまでの宗教は貴族のための仏教であったが、戦乱に苦しむ庶民を救う仏教として生まれたのが浄土宗・浄土真宗という仏教、「宗教」であった。周知のように庶民にとって未来は「苦しみ」であったが、法然は南無阿弥陀仏と称え、阿弥陀仏に「どうか、私を救って下さいと」願う事で極楽浄土へ導かれる」と説いた。
不安が極まるその先にも苦しみがあるのだが、不安が蔓延する世にあって救いの宗教は人から人へと拡散していく。
ところでまずどんな「不安」があるのか整理すると以下のようになる。
1、健康に対する不安
2、経済に対する不安
3、社会に対する不安
4、災害に対する不安
最大の不安は平安後期からの歴史が教えてくれているように、未来無き「戦乱」「戦争」に対する不安であり、政治の主要課題であるがここでは除外することとした。

不安が拡散する構図

「拡散」という言葉を使ったが、現在においてはSNSと同義であるかのように思われるが、江戸時代においても庶民においては瓦版といったメディアもあって、ゴシップから火事や地震といった災害の速報までを内容としたものであった。後述するが瓦版も高度化しカラー刷りの瓦版まで作られていた。このようにメディアの違いはあっても、人から人へと伝わっていくのだが、その本質は「噂(うわさ)」である。良い噂は「評判」であり、悪い噂は「風評」となる。現在もそうであるが、「うわさ」が生まれる原因は、「不可解さ=曖昧な情報(不確かさ)」への過剰反応の連鎖によるものである。
こうした過剰反応の連鎖については、「うわさとパニック」など既に多くのケーススタディ、社会心理における研究がなされている。その原点ともいうべき「うわさの法則」(オルポート&ポストマン)を簡単に説明すると以下の内容となる。

R=うわさの流布(rumor),
I=情報の重要さ(importance),
A=情報の曖昧さ(ambiguity)

 うわさの法則:R∝(比例) I×A  

つまり、話の「重要さ」と「曖昧さ」が大きければ大きいほど「うわさ」になりやすく、比例するという法則である。但し、重要さと曖昧さのどちらか1つが0(ゼロ)であれば、うわさはかけ算となり0(ゼロ)となる。

この法則に準じれば、「不安」は生きるにあたって重要で、しかもそれがこれからも「不確か」であった時、「うわさ」は社会へと広がっていくということである。こうした視座で、江戸はどうであったか、今日の日本の今はどうであるか、比較しながら学んでいくことにする。

江戸時代の災害対応

自然災害というと、江戸時代にも大型台風による災害はあって、1742年(寛保2年)夏には江戸を直撃し、「江戸水没」といった災害に見舞われている。これが1000名近くの死者を出した寛保洪水である。あるいは周知の富士山の噴火や1万人近くの死者を出した安政江戸地震も起きている。
こうした自然災害もあったが、実は日常的にあったのが「火事」という災害であった。この火事に向かい消火の最前線で活躍したのが町火消しで火事と喧嘩は江戸の華と言われ火消しは江戸のヒーローであった。当時の江戸の町のほとんどは木造家屋であり、消火方法は建物を取り壊して延焼を防ぐ「破壊消火」であった。当然防火・防災は庶民の生活の中に定着し、例えば火の用心といって夜回りをしたり、軒先には消火のためのポンプも用意されていた。
また、建物のほとんどが木造家屋であったことから材木需要は旺盛で、紀伊国屋文左衛門といった大問屋が活躍したが、庶民が住む長屋のような場合のほとんどは古材を使ってわずか数日で建ててしまう。ある意味、火事慣れした江戸の知恵でもあった。また、大きな武家屋敷などが消失した時には「囲山(かこいやま)」といった植林の木材を伐採して使った。勿論、非常時の時だけ使うという厳格なルールのもとで行われていた。江戸の中心地から少し外れたところには材木の生産地があり、杉並区は最も近い産地であり区の名称にもなっている。このように既にこの時代から森林資源をうまく活用する言わばエコシステムが生まれていたということである。

江戸時代はこのように庶民にあって防災・減災はシステムとしてあり、それは自然災害への「不安」対応への一種の知恵の賜物であった。実は江戸時代における最大の不安は疾病や病気であった。周知のように最初に隅田川の川開きに打ち上げられた花火は京保18年が最初であった。この年の前年には100万人もの餓死者が出るほどの大凶作で、しかも江戸市内でころり(コレラ)が流行し多くの死者が出た年であった。八代将軍吉宗は多くの死者の魂を供養するために水神祭が開かれ、その時に打ち上げられた花火が今日まで続いている。弔いの花火であったが、ひと時華やかな打ち上げ花火を観て不安を打ち消すというこれも江戸の知恵であった。

不安の時代に生まれた「浮世」という人生観

このように江戸時代は命に関わるような不安と隣り合わせた暮らしであったが、こうっした江戸庶民の人生観をキーワードとしていうならば、「浮世」であった。浮世というと、浮世絵や浮世床を思い浮かべ、何かふわふわした浮ついた時代の表層をなぞったような感がするかもしれないが、実はもっと奥深い人生観につながるものであった。江戸の町は日常的に火事が起きていたと書いたが、どれだけ物に執着しても一瞬のうちに火事で灰にしてしまう、そんなはかない世はつまらないというのが江戸の人たちの気持ちであった。しかし、庶民の人たちが自然の恵みをもたらしてくれる海も板戸一枚下には死が待っていることを知っているように、浮世にはそんな辛い現実が裏側に潜んでいる。これが日本人の「自然」との向き合い方、共生の背景にある。ヨーロッパのように自然に対峙し、戦って変えてしまう向き合い方とは異なるもので、日本人がよく口にする「自然に寄り添う」とはこうした自然観を表している。江戸時代の火事に対して知恵を持った向き合い方、暮らし方をエコライフの始まりと言われるのもこうした自然観に依るものであった。

また、時々に見舞われる大きな自然災害に対しても手をこまねいていたわけではない。海を埋め立てることによって造られた江戸の町は水害に弱い都市であった。寛保洪水の時には今でも海抜ゼロメートルと言われる江東区などの下町には船をかき集め、川と街路の区別が付かなくなった下町に派遣し、溺れている人や屋根や樹木の上で震える人を救出、そんな救出人数が町別に残されている。同時に被災者に粥や飯を支給している。こうした救出や救援などボランティアといった言葉がない時代に幕府や奉行所を中心に有力町人を加えシステマティックに動いていた。また、備前・長州・肥後などの被害の少なかった西国諸藩10藩に命じて利根川・荒川などの堤防や用水路の復旧(御手伝普請)に当たらせて復旧を行なっている。今日の自然災害への地域を超えたネットワークによる対応と根底のところでは同じである。公助、共助の仕組みが既に江戸時代にあったということである。

宵越しの金は持たない、という江戸暮らし

このような言葉に江戸っ子のきっぷの良さを表現したとすることが一般化しているが、実はいわゆるその日暮らしは「宵越しの金を持てない」という経済的には貧しい生活であった。江戸時代の地方では飢饉によって餓死することはあったが、江戸ではそうしたことはほとんどなかったと言われている。その背景には、政治都市から商業都市へと変化し120万人もの町に成長する。結果、新しい「商売」が次から次へと生まれ、いわゆる労働需要は旺盛であった。政治都市から見ていくならば、地方からの単身赴任の「武士市場」として今日のレンタルショップである損料屋や多くの外食産業などが生まれている。平和な時代ということから暇を持てあます旗本御家人などは武士によるアルバイトが盛んになる。提灯づくり、傘張りといった定番の職業から、虫売りや金魚売り、あるいは朝顔栽培まで一般庶民の分野にまで広く参入するように多様な仕事があった。江戸も中期以降、実は幕府も地方の藩も財政が逼迫したこともアルバイトに向かわせた理由の一つであった。

士農工商という封建制は明治政府によって誇張されたもので、その垣根はあまり大きくはなかった。40万都市であった江戸は次第に人口だけでなく、物やサービスの集積度合いが高まり、今日ある小売業の原型が形作られる。つまり、商業都市へと変貌していくのだが、その労働市場はどうかというと、「奉公人」、今で言うビジネスマンが主役であった。まずは10歳前後で「小僧」(関西では丁稚どん)から始まり、「手代」「番頭」へと出世していくが、5〜9年で手代になれるのだが、なれるのは三分の一程度。本店で試験や面接があり、年功序列や終身雇用都いっ経営ではなく、徹底した実力主義の世界であった。手代になると給金は年に4両、芝居見物やお伊勢参りなどの旅行もできるようになる。しかし、長期休暇をもらえるようにもなるのだが、休暇が開けて「ご苦労様」という書状が届けばわずかな退職金をもらい自然解雇になるという厳しい出世競争であった。どこか今日の官僚の出世競争に似ている。そして、番頭になると結婚が許され、番頭をやり遂げると退職金として50両〜200両が支給されるというものであった。こうしたことから一大道楽市場が生まれることになるのだが、従来言われてきた日本型経営・雇用の出発点はこうした実力主義の世界であったことを今一度考えるべきであろう。

ところで、江戸は行商など多様な流通業やサービス業が盛んで、チップ制という経済によって収入を得る個人仕事も多く、いわゆる日雇い仕事が多い都市であった。こうしたことから幕府の人返し令にもかかわらず、江戸を目指す人が絶えることはなかった。この時代から都市と地方との格差が生まれていたということだ。こうした格差はあるものの、今風に言えば労働力市場の活性、つまり雇用の流動化は大きく、活力ある時代であったということである。

それどころか、お金はなくても子への教育は充実していた。義務教育と言った制度のない時代に就学率は70〜80%で多くの子供達が学んだと言われている。庶民の子供は7〜8歳の頃から3〜5年間通ったのが寺子屋で、江戸では指南所と呼ばれ、江戸後期には江戸市内で1500もの指南所があった。学んだのはひらがなに始まり、数学、地名、手紙の書き方、更にそろばん、礼儀作法。またより高度な学びとして茶道、華道、漢学、国学といった専門の学問を教える指南所もあった。同じ時期の欧米の就学率と比較しても極めて高く、例えば就業率の高いイギリスでも20〜30%であった。
子供達は朝8時から午後2時ぐらいまで勉強します。その後、いろいろな事情から学ぶことができなかった大人も学ぶことができる仕組みもあって、現在の定時制高校のようなものが用意されていた。先生役は浪人、僧侶、神主、未亡人などで時間に余裕のある人が勤めます。
ところで授業料はあってないようなもので、「出世払い」が普通であった。寺子屋では商売物を授業料とし、八百屋であれば野菜を持って行ったり、大工であれば先生の住まいの雨漏りを直すといった方法がとられていた。先生は子供たちの学びに情熱を持って教え、現在では死語となった聖職のような存在であった。勿論、先生は尊敬される存在で、モンスターペアレントなど皆無で、子供同士のいじめは勿論であった。今日のような教師間のいじめすらあるブラック職場とすら指摘される教育環境とは真逆の世界であった。結果、子供達も真剣に勉強し識字率70%を超えると言われるほどの教育都市、そんな江戸であった。
現在の教育が「家庭」をベースに行われているが、江戸時代の教育はいわば「社会コスト」としてコミュニティの義務として考えられており、教育格差などなかった。当時のロンドンやパリと比較し教育水準が高かったのもこうした「社会」を背景としていたからである。

浮世を支える江戸の社会・長屋コミュニティ

江戸幕府が造られた当時の人口はわずか40万人ほどであったが、次第に地方からの出稼ぎなど多くの人が江戸を目指す。こうした流入を防ぐために人返し令を発令するが、江戸は120万人という世界一の巨大都市となる。この100万人から120万人という膨れ上がった都市を実質的に支えたのが実は「大家」という存在であった。この大家は2万人ほどいたと言われているが、単なる長屋の管理人としての存在ではなかった。
時代劇に出てくる「同心」は江戸の治安を守る警察のようなものであるが、南北奉行所合わせて12名の同心の他に年配の経験者である臨時の同心が12名、他に隠密周りが4名、計28名で江戸をパトロールするのだが、カバーすることはできない。これまた時代劇には「自身番」という言葉も出てくるが、これは江戸初期には地主が自らを守るために詰めた場所を指していたもで、次第に地主の代理人である大家が「店番」といってこの自身番に詰めるようになったと言われている。
この地主や大家は不審者や火事から町を守るだけでなく、店子からの家賃の中から一定の金額をお上へと納税する。また同時に「町人用」という積立金を行い、長屋が火事になった時の再建や道路の補修などといった出費に当てる経営者でもあった。勿論、「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」と言われるように、冠婚葬祭をはじめ住人の生活を丁寧に見てくれる相談相手であった。こうした町という小さな単位、コミュニティ運営の中心となっていたのが大家で、日常的な心配事や不安の良き相談者であったことから、江戸の「浮世」という人生観も育っていったということである。

ところで江戸時代はいわゆる「捨て子」がかなり多かった。世界に例をみない自然との共生社会であった江戸時代にあって、捨て子に対する人間としての引き受け方は一つの示唆があると思っている。その共生思想の極端なものが、江戸中期の「生類憐れみの令」である。歴史の教科書には必ず「生類憐れみの令」について書かれているが、多くの人は犬を人間以上に大切に扱えというおかしな法律だと思っている人が多い。生類とは犬、馬、そして人間の「赤子」を指していることはあまり知られてはいない。その「生類憐れみの令」の第一条に、捨て子があっても届けるには及ばない、拾った者が育てるか、誰かに養育を任せるか、拾った人間の責任としている。そもそも、赤子を犬や馬と一括りにするなんておかしいと、ほどんどの人が思う。江戸時代の「子供観」「生命観」、つまり母性については現在の価値観とは大きく異なるものである。生を受けた赤子は、母性を超えてコミュニティ社会が引き受けて育てることが当たり前の世界であった。自分の子供でも、隣の家の子供でもいたずらをすれば同じように怒るし、同じように面倒を見るのが当たり前の社会が江戸時代であった。

私たち現代人にとって、赤子を犬や馬と一緒にする感覚、母性とはどういうことであろうかと疑問に思うことだろう。勿論、捨て子は「憐れむ」存在ではあるが、捨てることへの罪悪感は少ない。法律は捨て子の禁止よりかは赤子を庇護することに重点が置かれていた。赤子は拾われて育てられることが前提となっていて、捨て子に養育費をつけた「捨て子養子制度」も生まれている。つまり、一種の養子制度であり、そのための仲介業者も存在していた。現代の「赤ちゃんポスト」もこうした発想と基本的には同じである。
私たちは時代劇を見て、「大家と言えば親も当然、店子と言えば子も当然」といった言葉をよく耳にするが、まさにその通りの社会であった。あの民俗学者の柳田国男は年少者の丁稚奉公も一種の養子制度であるとし、子供を預けるという社会慣習が様々なところに及んでいると指摘をしている。江戸時代にも育児放棄、今で言うネグレクトは存在し、「育ての親」という社会の仕組みが存在していた。この社会慣習とでもいうべき考え、捨て子の考えが衰退していくことと反比例するように「母子心中」が増加していると指摘する研究者もいる。(「都市民俗学へのいざない1」岩本通弥篇)

民話というハザードマップ、災害の伝承

今回の台風19号による豪雨災害、特に河川の洪水についてはハザードマップ制度に注目が集まったが、総務省は10年ほど前から全国災害伝承情報を集め公開している。例えば、
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2020年01月05日

正体見たり枯れ尾花  

ヒット商品応援団日記No754(毎週更新) 2020.1.5.


毎年元旦には主要各紙を読み大手新聞メディアは新年に当たりどんなテーマを掲げるかを読むことにしていたが、ここ数年ほとんどニュースにもならないような内容ばかりで辟易していた。ところが年末年始にかけて大きなニュースが飛び込んできた。周知の日産自動車の前会長ゴーン被告が日本を無断出国し、レバノンに身を寄せているという報道である。読売新聞の取材によればゴーン被告は木箱に隠れ外交特権を使い、プライベートジェット機で関空を出国し、トルコ経由でレバノンに入国したとのこと。また、元旦のTV番組でも日本の司法では推定有罪になるであろうとのゴーン被告の声明を使って、ゴーン被告を擁護するフランスメディアを紹介していたが、誰一人国際秩序がすでに壊れ始めているとの指摘はなかった。

周知のようにそれまでの政治・経済における国際秩序を壊したのは米国のトランプ大統領である。そして、今月末には英国のEU離脱が本格化するであろう。この2つのニュースについては当時欧米メディアを始め大手メディアの予測とは異なる結果が今日に至っている。つまり、混沌とした世界が地球上を覆っているということで、簡単に言ってしまえば「なんでもあり」の時代を迎えているということである。例えば、ゴーン被告は日本の司法制度を批判し、日本におけるこれからの裁判は成立しなくなる。国際法は存在するが、それも欧米圏は勿論のこと日本の司法もローカルな「法」に過ぎないということだ。ましてやレバノンという国家は周知のように、キリスト教、イスラム・シーア派、イスラム・スンニ派という3つの「権力」が混在する国である。身柄引き渡しなど日本との外交関係がどうなるかわからないが、推測するにレバノン政府が声明を出しているように「ゴーン氏の入国は合法である」という立場を変えることはないであろう。ほとんど報道されてはいなかったが、レバノン政府は以前からゴーン被告のレバノンへの入国を日本政府に要請していたという。

トランプ大統領が誕生した時、「分断と対立」が時代のキーワードであった。このキーワードは米国内だけのことではなく、国際社会全体に対してであったことを想起する。実はこのキーワードの先には「何が」あるかである。3年半ほど前になるが、未来塾「パラダイム転換から学ぶ-1」で英国のEU離脱の国民投票にについて、「グローバル化する世界、その揺り戻し」について書いたことがあった。戦後の一大潮流であったローカルからグローバルへの潮流に対し「揺り戻し」が始まっているという指摘であった。勿論、単に過去に元に戻ることではなく、”忘れ去られた何か、その復権、再登場、見直し”であり、そこに新しい価値を見出すことであった。
しかし、今回の「ゴーン被告の脱出劇」はローカル日本の「司法」とグローバルビジネスマンであったゴーン被告の「正義」との衝突で、しかもローカル日本では初めて本格的な司法取引に基づく起訴であった。そして、その裁判では金融商品取引法違反という一種の形式犯罪を入り口に3つの特別背任が争点になると考えられていた。春には公判が始まり、事件の争点が明らかになると考えられていたが裁判は行われないことになるであろう。私が興味を持っていたのは、日産自動車の再生を果たした「功労者」がその功労故に絶大な権力を手に入れたことによって起こる「問題」が明らかにされることであった。しかし、今回の事件に該当する刑訴法では、事件の被告は公判に出頭しなければ開廷できないと規定しているため、ゴーン被告が帰国しなかった場合、公判を開くことはできないこととなる。東京地裁はどんな判断を下すのであろうか、これもグローバル経営における日産自動車による「揺れ戻し」の中に生じた「衝突劇」である。

ゴーン被告の脱出劇で思い起こさせるのが、中国ファーウエイの副会長の逮捕であろう。周知の5Gの主役企業の副会長が米国の要請によりカナダで逮捕された事件である。イランとの金融取引を口実としているが、米国の通信技術の覇権争いがあることは多くの専門家が指摘していることである。米国政府はカナダ政府に身柄引き渡し請求をしてきたが、この1月には審理が始まる予定である。どのような結果となるか注目されるが、イランへの経済制裁に反するとして金融機関への嘘の申告をしたという罪による逮捕の衝撃と共に、孟被告は逮捕の数日後、1000万カナダ・ドル(約8億円)を支払い保釈され、電子監視装置の装着と旅券(パスポート)の提出が義務付けられたとのニュースであった。ゴーン被告との比較で言えば、パスポートの管理についてほぼ同じではあるが、GPSを使った監視装置をつけて勝手に出国できないようにした措置が取られたことである。この2つの事件に共通していることは日産自動車については日本と仏政府(ルノー)の主導権争いがあり、ファーウエイについては米中の貿易戦争の一つであり、共に「政治」が関与しているということである。

3年半ほど前の未来塾にも書いたのだが、グローバル化という「外」からの変化に対しては各国「受け止め方」「取り入れ方」は異なる。日本の場合、もっとわかりやすく言えば「外圧」となる。今回のゴーン脱出劇の第二幕はまず、欧米のメディアからローカルジャパンの歪んだ司法として徹底的に叩かれるであろう。確かに日本の刑事司法制度には問題があることは事実であろう。しかし、問題を外圧によって変えていくのではなく、自ら変えていくことが必要である。その「問題」を理由にゴーン被告の脱出劇が正当化されることではない。私は脱出劇と書いたが逃亡劇であり、立場が異なればどちらを使っても構わないが、明らかにすべきことは同じ世界である。その明らかにすべき世界とは日産自動車再生の功労者であるとも書いたが、どれだけの「痛み」を伴った「再生」であったかを今一度考えるべきであると思う。

その日産自動車のつまずきはバブル崩壊による高級車種の販売不振とグローバル化、つまり海外進出で特に英国での生産であった。ここでは詳しくは書かないが、赤字を出し続け、クライスラーやフォードに提携の打診をする。こうした交渉の間にも赤字は増え続け、最後の救済策を出したのがルノーであった。そのリーダーがゴーン被告であったということである。
こうして約2兆円の有利子負債を抱えて破綻寸前の日産自動車は1999年3月、仏自動車大手のルノーと資本提携する。元々ルノー自身が業績が低迷し、大リストラに辣腕をふるって再生したのがのがゴーン被告で、日産のCOOとして「5年以内に日産の再建を果たせなければ、失敗ということだ」と強調し登場する。後に再生の背景にあった脆弱な財務体質を不動産などの資産売却を通じ改善していく。
さてその再生の痛みであるが、村山工場(東京)など5工場の閉鎖、2万1千人の人員削減、系列取引の見直し……。これがゴーン被告がCOOとしてまとめたリバイバルプランであった。過去に例のない大リストラ策、当時コストカッターと言われ、経済界でもその評価は分かれていたことを覚えている。

こうした再生は功を奏しV字回復したことは周知の通りである。ましてや日産が開発先行してきた電気自動車時代を前にしてである。ルノー(仏政府)が支配下に置きたがるまでに復活し、同時に今回のような事件へと向かうのである。裁判で明らかにして欲しかったのは、「功労者」であるが故の立場を利用して特別背任など不正に利得を得てきたか否かを客観的に明らかにして欲しかった。このことは何よりもグローバル化、巨大化する企業にとって陥りやすい一種の「罠」を防ぐためである。
グローバル企業というとGAFA(Apple, Google, Facebook, Amazon)であるが。各社明確なポリシー、特に顧客市場に対し目指す理念を持っている。そうしたポリシーに共感して、従業員も集まり、顧客もビジネスとして納得して消費している。果たしてゴーン被告を始め日産の経営者は次の顧客市場に理念を持っていたのかどうか、ルノーと日産の保有株式の力関係に固執し政争の愚に陥ったのではないか、そうしたことが裁判で明らかにして欲しかったということである。

しかし、今回のゴーン被告のレバノンへの逃亡劇は「正体見たり枯れ尾花」と言われても仕方がない。以前から指摘されていたことだが、蓄財と節税に凝り固まった経営者という正体である。日本の司法制度の問題点を理由に「国際世論」を味方にして戦う姿は醜いとしか言いようがない。ゴーン被告が日産をV字回復した当時、「プロ経営者」「高い報酬に見合う人材」と、多くの経済ジャーナリストは褒め称えていた。確かに欧米においては経営者の引き抜きは日常茶飯事で、その条件の第一は高い報酬である。株を提供し、株価に連動した報酬をさらに盛り込んだ報酬制度が一般化していることも事実である。高い報酬を否定はしないが、分断と対立が深まる時代にあって必要とされることは依って立つ「持つべき理念」である。
日産自動車のV字回復における「痛み」について書いたが、ある意味それは第二の創業の痛みである。今なお苦難は続いており、更にゴーン逃亡劇もある。今すべきことは「変わらぬこと。変えないこと」を明確にすることにある。実は日本は世界でも類を見ないほどの「老舗大国」である。その筆頭である金剛組は創業1400年以上、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている宮大工の会社である。世界を見渡しても創業200年以上の老舗企業ではだんとつ日本が1位で約3000社、2位がドイツで約800社、3位はオランドの約200社、米国は4位でなんと14社しかない。何故、日本だけが今なお生き残り活動しえているのであろうか。それは明確な理念を持ち続けてきたことによる。日産自動車の場合、第二の創業の原点として、その「痛み」を「変わらぬこと。変えないこと」として継承する努力を怠らないことに尽きる。(続く)  


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2020年01月01日

明けましておめでとうございます

ヒット商品応援団日記No753(毎週更新) 2020.1.1.



  


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2019年12月15日

案の定、いやそれどころではない落ち込みとなった 

ヒット商品応援団日記No752(毎週更新) 2019.12.15.

「社長からのお願いでございます」という店頭の貼り紙が話題となっている。「いきなり ステーキ」(ペッパーフードサービス)が深刻な売上不振に陥り、社長メッセージとして顧客に訴えた貼り紙である。昨年春以降、前年割れの売り上げが続き、その落ち込み幅が拡大し続けている。その原因としてはいくつか挙げられているが、やはり値上げが大きいと私は考えている。多くの専門店の失敗は値上げがほとんどであり、いきなり ステーキの場合はそのメニューに広がりはなく、新メニュー導入による価格改定=値上げという方法が取りにくい。そのため値上げは直接顧客の財布に向かい、客数減となって現れてくる。しかも、消費増税に向かう期間他の外食チェーン企業が新しいメニューの導入によって顧客の裾野を広げていったのに対し、極論ではあるが単なる出店数を伸ばしていただけである。吉野家もマクドナルドも、周知のように新メニューをどんどん投入し、顧客に向かい合っているのに「規模」の経営しかやってこなかった結果ということである。

消費のの動向については基本的には家計調査を使っているが、消費増税は日本経済の各分野にどんな変化を及ぼしているか、少しマクロ的な視点も必要ということから経産省による10月の商業動態統計の結果を読んでみた。発表された結果であるが、その落ち込み幅の大きさとどんな分野の販売が落ち込んでいるか、その内容にとにかく驚いたというのが実感であった。マスメディアは勿論のこと、ほとんどのメディアは消費増税後の「変化」について報じることはほとんどない。
まず商業販売額であるが、前年同月比▲9.1%、、小売業においては▲7.1%の減少であったとのこと。驚いたのはその業種であるが、まず自動車が▲4.0%の落ち込みとなっている。(この変化については後述する。)
百貨店・スーパー販売額の動向については百貨店は4265億円、同▲17.3%の減少、スーパーは1兆312億 円、同▲3.7%の減少となった。 商品別にみると、衣料品は同▲19.6%の減少、飲食料品は同▲1.4%の減少、その他は 同▲15.7%の減少となっている。
ちなみに百貨店の主力商品である衣料品であるが、その他の衣料品が前年同月比▲29.4%の減少、身 の回り品が同▲23.1%の減少、紳士服・洋品が同▲21.6%の減少、婦人・子供服・洋品 が同▲20.1%の減少となったため、衣料品全体では同▲21.6%の減少となった。
次にスーパーであるが、衣料品は、その他の衣料品が前年同月比▲19.7%の減少、身の回り品が同▲15.6%の 減少、紳士服・洋品が同▲14.8%の減少、婦人・子供服・洋品が同▲13.3%の減少となっ たため、衣料品全体では同▲14.6%の減少となっている。

さてどのようにこの結果を読み解くかである。まず、一番驚いたのは自動車販売でより詳しく見ていくこととする。日本自動車販売協会連合会と全国軽自動車協会連合会が11月1日に発表した10月の新車販売統計(速報)によると、総台数は前年同月比▲24.9%減の31万4784台と、6月以来4か月ぶりのマイナスになった。
10月に消費税が10%に増税されて初めての月次統計となったが、9月の総販売台数が12.9%増と駆け込み需要が顕在化していただけに、その反動が強く出たと言われている。9月の駆け込み需要がプラス12.9%増であったとのことだが、それほど大きな駆け込み需要はないと考えられていた。その理由としては今回の税制改革では登録車の「自動車税」が減税となるとのことであまり大きな影響が出ないと考えられてきた。しかし、より詳しく見ていくと意外にも駆け込み需要あ大きかったことがわかってきている。それは軽自動車に現れてきており、「軽自動車税」は据え置きとなったことによる。このため、軽自動車の新車需要は8月、9月と連続して2ケタ増と、駆け込み需要が強めに出ていたので、その反動も大きかったと分析されている。自動車のユーザーは極めてシビアに行動していたことが窺われる。

更に経産省のデータから各業界のデータをもう少し詳しく見ていくこととする。まず百貨店協会における10月の結果であるが、消費税率引上げに伴う駆け込み需要(9月:23.1%増)の反動に加え、台風19号 の影響による臨時休業や営業時間短縮などマイナス与件が重なり、売上高は▲17.5%減となっている。9月の駆け込み需要を考えると、ある程度頑張ったと言えなくはないが、その内容を見ていくと、国内市場(シェア93.4%)が▲17.7%減、インバウンド(シェア6.6%)は購買単価 がプラス(1.2%増)したが、円高基調の為替動向や米中貿易摩擦等の不安定な国際情勢が響き、 ▲13.8%減(256億円)と2か月ぶりに前年実績を下回っている。各店駆け込み需要を狙ったセールを組み一定の結果が得られたと考えられるが、インバウンドは7%弱と大きな比率を占めており、百貨店経営の大きな柱となっていることがわかる。また、商品別には予測通り衣料品は前年同月比▲21.4%とその落ち込み幅は極めて大きい。
百貨店とは異なる業態のSC(ショッピングセンター)はどうかと言えば面白い結果となっている。その結果であるが、10月度の既存SC売上高は、総合で前年同月比▲8.3%と前年を大きく下回った。SCも百貨店同様駆け込み需要を狙ったセールの結果から9月の売り上げは:+8.3%となり、大都市部のSCにその傾向が見られ、これも百貨店と同じ傾向であった。

ところで日常消費の柱となっているスーパーであるが、日本チェーンストア協会によるとスーパーの全店売上高は9751億円と、日数の少ない2月を除くと12年9月以来約7年ぶりに1兆円を下回った。部門別で見ると、衣料品が▲15.1%減(既存店ベース)、住宅関連品が▲7.2%減(同)と振るわなかった。軽減税率対象の食品も実は▲1.3%減となっている。
一方、コンビニはどうかと言えば、スーパーと比較しそのほとんどがFC店=小規模事業者ということから5%還元の対象となり、しかもキャッシュレスによるポイント還元プロモーションも加わり、小売業の中では一番落ち込みが軽かった業種である。こうした「お得策」と共に、店内飲食も持ち帰りも同じ8%とし、差額分2%についてはコンビニ負担という思い切った策が成功したと考えられる。小売はあらゆる機会をビジネスにつなげていくことが基本となっているが、コンビニ各社はまずは増税の第一の波を超えたと言える。

さて冒頭の「いきなりステーキ」に代表される外食産業はどうかである。消費増税前にアパレルファッション産業においては市場の再編が起きているといくつかの事例を踏まえ書いたが、いわゆる衣料品の落ち込みはその通りの数字となって現れているが、外食はどうかである。順調であった「日高屋」の既存店売上高は9月まで11カ月連続でマイナス。「大戸屋」も9月まで8カ月連続でマイナスとなっている。「長崎ちゃんぽん」のリンガーハットもマイナス成長と低迷している。増税後はどうかであるが、数字を見るまでもない。唯一壁を乗り越えたマクドナルドの10月はどうかと言えば、客数は落ちてはいるが、客単価の伸びによってプラスとなっている。

チェーン店ばかりでは消費増税による変化を100%読み取ることは難しいので参考情報として一つのレポートがある。危機が迫っていると感じた時しか参考としないのだが、今回は増税による危機がどの程度のものとなるのか考える参考情報として欲しい。それは嫌な言葉だが「倒産情報」についてである。帝国データバンクと東京商工リサーチの2つがあるが、主に帝国データバンクのプレスリリースを参考とした。
長いデフレ経済のもとでボディブローのようにじわじわと倒産件数が増えてきている。2019年上半期は3,998件となり、特徴的なことは飲食店事業者の倒産が過去最多のペースで推移してきていると指摘している。2019年の飲食店事業者の倒産は11月までに668件発生し、既に前年(653件)を上回った。過去最多となっているのは2017年の707件であるが、2019年はこのままのペースで推移すると通年の倒産件数は728件前後となり、過去最多を更新する可能性が高いと予測されている。また、大型倒産は少なく、負債1億円未満の倒産が全体の7割超を占めているとのこと。
ちなみに、消費税5%導入の1998年の倒産件数は18,988件、リーマンショックのあった翌年の時は15,646件、8%導入された2014年の倒産件数は9,731件となっている。消費増税の影響が本格化するのは2020年である。

さて、こうした「変化」が出てきているが、「消費税10%時代」をどう迎えるかである。いきなり ステーキのような規模の経営は論外であるが、市場の再編の向かい方である。先日、経営再建中の大塚家具が家電量販のヤマダ電機の子会社になるとの記者会見があったが、資金繰りに困っている大塚家具に対し増資分として44億円で合意したとのこと。つまり、別の見方をすれば子会社となった大塚家具の企業価値は44億円程度であったということだ。顧客が求めている家具を含めた新しい暮らし方への創造性など微塵も感じられないもので、そこには「顧客」は存在していない。市場の再編とは、顧客変化に対応してこそ意味がある。
「消費税10%時代の迎え方」をテーマに未来塾においてシリーズ化している。昔は流行った都心のビルであったが、今や老朽化し通りはシャッター通りとなっているが、その界隈だけは賑わっている。そんな「街」を大阪と横浜の2箇所観察してきた。何故、顧客は集まってくるのか、その発想・アイディアをレポートする予定である。(続く)  
タグ :消費増税


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2019年12月08日

2019年ヒット商品番付を読み解く 

ヒット商品応援団日記No751(毎週更新) 2019.12.8.

ブログの更新に1ヶ月ほどかかってしまった。ところで今年もまた日経MJによるヒット商品番付が発表された。少し前には新語流行語大賞も発表され、重なるものが多く、一種の時代が求めている空気感のようなものが色濃く示された1年であった。まず、その以下が日経MJによる2019年の主要なヒット商品番付である。

東横綱 ラグビーW杯 、 西横綱 キャッシュレス 
大関 令和 、 大関 タピオカ
関脇 天気の子 、 関脇 ドラクエウオーク
小結 ウーバーイーツ 、小結 こだわり酒場のレモンサワー

ところで新語流行語大賞は「ONE TEAM」の受賞者となり、日本列島を熱狂の渦に巻き込んだラグビー日本代表チームのスローガンである。日本チームの公式キャッチフレーズは「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」の公式キャッチフレーズであったが、多くのにわかフアンを惹きつけたのはこの「ONE TEAM」であった。トランプ大統領の出現や英国のEU離脱に見られるように「分断」「自国(自分)主義」が世界に広がっているなかにあって、7ヶ国15人の海外出身選手を含む31人はリーチマイケル主将を中心に桜の戦士ONE TEAMとして結束し、快進撃を続けた、この「ONE TEAM」に強く共感したということである。
ちなみにノミネート語30を見てもわかるように以下となっている。

1.あな番(あなたの番です) 2.命を守る行動を 3.おむすびころりんクレーター
4.キャッシュレス/ポイント還元 5.#KuToo 6.計画運休 7.軽減税率 8.後悔などあろうはずがありません
9.サブスク(サブスクリプション) 10.ジャッカル 11.上級国民 12.スマイリングシンデレラ/しぶこ 13.タピる
14.ドラクエウォーク 15.翔んで埼玉 16.肉肉しい 17.にわかファン 18.パプリカ 19.ハンディファン(携帯扇風機)
20.ポエム/セクシー発言 21.ホワイト国 22.MGC(マラソングランドチャンピオンシップ) 23.◯◯ペイ
24.免許返納 25.闇営業 26.4年に一度じゃない。一生に一度だ。 27.令和 28.れいわ新選組/れいわ旋風
29.笑わない男 30.ONE TEAM(ワンチーム)

また、同じような傾向が日経トレンデイにおいても次のようなものとなっている。

【1位】ワークマン
【2位】タピオカ
【3位】PayPay
【4位】ラグビーW杯2019日本大会
【5位】令和&さよなら平成
【6位】ボヘミアン・ラプソディ
【7位】Netflix
【8位】米津玄師
【9位】ルックプラス バスタブクレンジング
【10位】ハンディーファン

複数重複しているヒット商品や注目したキーワードを見ていくと、やはりラグビーW杯となる。経済効果は4370億円に上ると言われているが、停滞。鬱屈した「社会」にあってひととき夢中になれたラグビーであった。初戦であるロシア戦では18.3%(関東地区・ビデオリサーチ)であったTV視聴率は徐々に上がり、準決勝の南アフリカ戦では41.6%にまて達し、周知のようににわかフアンという新たば市場をも生み出した。それは「ONE TEAM」というスローガン、いや私の言葉で言えばコンセプトがビジネス世界のみならず、スポーツ界は言うに及ばずコミュニティ・家庭に至るまでの各組織単位で最も求められているキーワードが「ONE TEAM」、つまり一つになることであったということだ。個人化社会と言うバラバラ時代に最も求められていることであり、例えばビジネス世界にあっては「心を合わせること」を目的にした全社運動会や小さな単位では食事会までコミュニケーションを通じ「一つになること」の模索が続けられている。戦後の昭和の時代は創業者がONE TEAMのリーダーとして引っ張ってきた。今なおそうした創業型リーダーシップ企業は大手ではソフトバンクとファーストリテーリングぐらいになってしまった。平成を経て令和になり、こうしたリーダー無き後の組織運営にあって、ONE TEAM運営が最大課題となっていることの証左であろう。単なる言葉だけのONE TEAMではなく、一人一人が固有の役割を持って31人が試合を創っていたことを実感させてくれたと言うことである。その象徴がトライとは縁のないポジションであったフォワート稲垣啓太が「笑わない男」として流行語大賞にノミネートされていたことが物語っている。にわかフアンを創ったのはそうしたONE TEAMの「実感」を提供し得たからであると言うことだ。

次にランキングされているのはやはり軽減税率やキャッシュレスに見られる消費増税に関するものであった。このブログを書いている最中に内閣府から消費増税後10月の景気に関する発表があった。多くの人が案の定と想定した通りの結果となっている。今回の増税による駆け込み需要は前回と比較し大きくはならなかったが、10月の家計支出は前年度と比較して5.1%のマイナスであったとのこと。しかも、前回の5%から8%への増税後の落ち込み幅と比較し、更に大きく落ち込んだとのことだが、どれ以上に深刻なのは、10%となった外食ばかりか最も日常消費される洗剤やトイレットペーパーなどの支出が減少していることだ。
また、10月の景気動向指数(2015年=100)速報値は、景気の現状を示す一致指数が前月比5.6ポイント低下の94.8だった。更に、内閣府が11日発表した10月の景気ウオッチャー調査では街角の景況感が急低下し、東日本大震災後の11年5月以来の低い水準にとどまった。つまり、足元の景気が減速感を強めていると言うことであり、どの指標を見ても暗いものばかりである。
そもそもキャッシュレスに注目が集まったのも、ソストバンクのPayPayをはじめ新たな決済サービス市場が誕生した背景には政府からの5%還元を含め各社のポイント還元プロモーションによるところが大きい。逆に言えば、「お得」に多くの生活者、特に若い世代が注目し、そのお得競争が生まれたのも消費増税に起因していると言っても過言ではない。

ところで昨年からブームとなったタピオカであるが、タピオカの原材料の供給が限られていることから来年春頃まではブームが続くと言われている。元々デニーズのデザートから生まれたティラミスやナタデココであるが、特にナタデココを流行らせたのは女子高校生でその「食感」の新しさから、食品メーカーをはじめ新食感の開発競争が生まれてきた。その中にはミスタードーナツのポンデリングなどがあり、今回のタピオカもそうした新食感メニューの延長線上にあると言うことだ。
ただ、こうしたトレンド型商品は必ずブームが終わり衰退する時がくる。例えば、2013年以降原宿に出店したポップコーンショップの内、5社ほど参入したが生き残っているのは「ギャレット」だけである。つまり、タピオカも来年後半にはかなりの店舗のメニューからなくなっていくことが予測されると言うことである。

ヒット商品番付にランクされた「令和」であるが、新元号の前後には大いに注目されたが、以降天皇陛下の即位の礼についても、TV報道ほど大きな話題になることはなかった。新元号自体そのものが一過性のものであり、日常使用のものとして生活の中に組み入れられてきたと言うことであろう。つまり、ある意味生活価値観を一変させるような「驚き」を持って迎えたものではないと言うことである。
一方、関脇にランクされた「天気の子」は新海誠監督の第7作として140億円と言う興行収入を挙げ、国内映画のトップを走っている。前作「君の名は。」から3年ぶりの作品であるが、ジブリアニメとは異なるもう一つの新海ワールドが確立されたと言うことであろう。ただジブリ映画が自然との共生や生き方、あるいは教育といった時代が求めるテーマを主軸としているのに対し、新海映画は若い世代の感性世界、デジタル感性を主軸としていることから自ずとその広がりは小さくなっていることがこれからの課題であろう。
また、小結に入った「ウーバーイーツ」であるが、海外でスタートしたハイヤーの配車サービス「Uber(ウーバー)」を応用した、新機軸の「料理宅配サービス」が人気となっている。多くの飲食店から選択注文できるアプリを使った新しいサービスで、配達パートナーにとっても自由な時間に従事できることから、飲食店にとっても配達パートナーにとっても、両者にとってプラスとなる新しいプラットホームビジネスとして急速に伸びてきている。しかし、こうした新しいシステムビジネスの場合、往々にして問題も出てきている。今回の問題は会社側からの一方的な配達報酬の改定にあると言う。配達パートナーは個人事業主として契約をしており、そうしたことから新たに組合が作られ活動している。こうした新規ビジネスにおいては、必ずこうした改善されるべき時が来る。ウーバーイーツもそうした曲がり角に来ていると言うことだ。

さて2019年を通して着目すべきキーワードとして言えば「感」が明確に出た年であった。SNSの「いいな」といった片言の言葉で評価される時代から、「感」が動かされる時代に向かったと言うことである。それを教えてくくれたのがONE TEAMというキーワードの受け止め方であり、消費増税における価格感による消費行動であったということである。勿論、タピオカもそうだが、益々上滑りなコミュニケーションには踊らされない時代を迎えたということである。実感という本質をどれだけ続けられるかがビジネスの課題になったということだ。(続く)
  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:26Comments(0)新市場創造