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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2017年01月25日

トランプ米国が動き始めた  

ヒット商品応援団日記No670(毎週更新) 2017.1.25.

トランプ大統領の就任演説後の反応であるが、米国内における自然発生的なデモに加え、口先介入によるペソ下落による経済打撃に揺れるメキシコを始めドイツや英国など主要各国で反トランプ運動のデモが270万人規模で行われたと報道されている。政権が変わるたびに反政権デモが行われるのは通例であるが、ここまでの規模は国際政治の素人である私も聞いたことがない。
トランプ大統領の就任演説を聞いた感想であるが、昨年12月「真逆の時代に向かって」というタイトルでブログに書いた通りの内容であった。140文字のツイートをつなぎ合わせた演説で、「オバマ政権」とは真逆の政策であると指摘をしたのだが、年が明け日本のメディアのトランプ評価もやっと「真逆」の政策が現実化されるのではという論評が増えてきた。ただ、新鮮味のなかった演説内容で気になったのが「アメリカファースト」の言葉とともに盛んに言われていたのが過去の米国の強さ・偉大さ・誇り・夢・・・・・・・を「取り戻す」という演説内容についてであった。いつ頃の、どんな米国を取り戻すのか、ということで、これからトランプ米国の「ディール・取引」の内容に関わるものであった。国際政治の専門家によれば「アメリカファースト」というキーワードが使われたのは1920年代の大統領選挙で共和党のウォレン・ハーディングが使ったキーワードであったと指摘していた。ちなみに、ハーディングのスローガンは「いつもに戻ろう("A return to normalcy”)」で選挙に圧勝した。その米国はいわゆる第一次世界大戦後の米国が「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況を手に入れた時期である。鉄鋼を始めとした重工業の輸出、モータリゼーションがスタートし自動車産業が勃興する。ある意味「良き米国」「豊かな米国」を享受した時代である。そして、周知のように1920年代末にはウォール街大暴落を入り口にした世界恐慌が始まる時代である。
トランプ大統領がイメージする米国を「先祖返り」であると批判する専門家もいるが、ハーディング大統領がその後行ったブロック経済はトランプ米国の意志である保護貿易に酷似していることはいうまでもない。そして、そうしたブロック経済から第二次世界大戦へ向かっていく歴史を思い起こさせる。

ところで就任後、正式なTPP永久離脱、NAFTAの再交渉など今まで発言してきたことの実行段階へと進んできた。そして、為替や株式市場は就任演説が減税や公共投資といった政策の具体性を欠いたことから「トランプ相場」は落ち着いたようだ。東京の株式市場も円高、株安へと動いている。昨年のブログにも書いたが、加熱した「トランプ相場」の背景には減税と公共投資があると。更に、どこから財源を持ってくるのかという疑問符とともにである。
ところで1/23の日経新聞に面白い記事が載っていた。それは「「核心」米軍が債権者に敗れる日」という記事で、米国の財政状況は苦しく、ついに国防予算が国債利払いに追い越されるまでに至ったという内容である。つまり、減税や公共投資に必要な米国債の発行に対し買い手がつかないピンチにあるということである。そこでその買い手に日本をということは誰もが想像することである。既に昨年から米国債の一番の保有国である中国が米国債を売り始めている状況にある。トランプ大統領によるディール・取引が始まっているということが推測される。この取引には今まで言われてきた国境税のような関税をかける脅しや米軍の駐留費負担の増額、そうした中の一つに米国債の購入が入ってくるということである。勿論、TPPに代わる2国間貿易交渉でも多様なオプション(一律、品目別など)はあるものの高い関税がかけられることは必至である。そして、更に牛肉や米といった米国産商品の輸入拡大も当然迫られることになる。
1980年代から始まった日米経済摩擦を思い出すが、おそらくそれ以上の要求をしてくるであろう。当時、日本車をハンマーで打ち壊すニュース報道を思い起こし、あるいは米国内の自動車部品メーカーの部品を使えという要求もあった。今回はそれどころではない要求が始まると予測される。例えば、自動車であれば日本国内での米国車の販売数量が設定されるいわば「ノルマ」が課せられるような要求が出されるであろう。

トランプ大統領は就任演説の中で触れていた「忘れられた人々」である中西部の鉄鋼や自動車産業、白人労働者に復活を訴えて当選した。ビジネスマンであるトランプ大統領にとって、約束・契約した政策は実行されなくてはならない。民主主義社会で権力をとるのは世論調査ではなく、人々を投票所に行かせる動員力であることをビジネスマンとして熟知している人物である。こうしたトランプ支持層は低いとはいえ40%台も存在し、格差という不平等社会に対するルサンチマンを刺激することが最重要戦略となっている。だから、選挙中もこれからもこうした刺激を止めることはない。そして、その刺激ツールであるツイッターも止めることはない。それは権力を維持するためには不可欠な行動である。ある意味ネットメディアを使った直接民主主義と言えなくはない。それは就任演説でも述べられているが、権力をワシントンから労働者に取り戻すということの一つである。CNNをはじめとした既成のメディアをこれからも「敵」としていくことは言うまでもない。

いずれにせよ、トランプ米国が選挙公約を修正なしに実行するとすれば世界中が混乱することは必至である。NAFTAの再交渉が始まると報道されているが、米国への自動車輸入関税はゼロで、選挙中発言してきた35%にはならないと思うが、見直しされるのが域内での部品の調達率を定める「原産地規則」の見直しと言われている。そのポイントであるが、NAFTAでは乗用車の場合、部品の62.5%を域内で調達すれば関税が2.5%になる。そこで米部品メーカーが有利になるよう域内の調達比率を高める、そんな交渉が狙いであると言われている。こうしたルールの変更が今月末には話し合われると想定されている。そして、真っ先に影響が出てくるのが日本の自動車産業、部品メーカーである。ただこうした交渉テクニックではなく、本格的な国境税のような高い関税が実施されるようなことになれば、WTO違反であり、報復関税を招くなど貿易戦争に向かうこととなる。既にメキシコでは米国以外の輸出先の模索が始まっており、国民の消費レベルでは米国車の不買運動も始まっていると報道されている。

ただ、トランプ米国政府の主要人事が進んでおらず、政策の実行は大幅に遅れると言われている。また、共和党内部でも反トランプの議員はいるとも。上下院共に共和党が過半数を占めているが、数名の共和党議員が反対票を投ずれば政策は実行できないこととなる。
日本政府もそうした動きを見据えているとは思うが、日本と共に中国も貿易赤字の主要となる国であると名指しされているが、今のところトランプ米国からの赤字軽減のための「交渉」は見られない。いずれ表に出てくるであろうが、日本は中国の出方を踏まえて「交渉」すべきであろう。
「面従腹背」という言葉がある。うわべだけ上の者に従うふりをしているが、内心では従わないことを意味する音葉である。戦後日本は米国からの様々な要求に対し、根底にはこの「面従腹背」的な意志を持っていたと思う。米国従属との批判もあるが、敗戦国から少しずつ日本の国益ポジションを上げてきた70数年であったと思う。トランプ米国の誕生を機に、こうしたポジションから脱却し、正面から米国に向き合う時が来ているということだ。トランプ米国が最初に会う首脳は英国のメイ首相であると報道されている。米国と英国との自由貿易を柱とした新たなブロック経済圏ができるのではといった観測もあるようだ。また、為替も米自動車業界からドル高是正が要求されているとも。
トランプ米国がどんなディール・取引を求めてくるか、「真っ白な紙に絵を描く」ためにもじっくり見定めていくことだ。日本は周りを海に囲まれた島国である。地政学的にも古来から海道を通って多くの国と交流してきた歴史がある。渋谷のスクランブル交差点ではないが、コスモポリタンな国、それが日本である。スクランブル交差点が世界の観光地になったのも、外国人にとって「なぜ日本人はぶつからないのか不思議!」ということであった。そこにはぶつからない知恵や工夫があるということだ。トランプ米国の誕生は日本にとって変わることができる千載一遇のチャンスということだ。時にぶつかり、時に避ける自在な交渉がこれから始まる。そして、TPPというテーマが無くなったことは、一方では中国との関係を見直す時でもある。(続く)
  


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2017年01月18日

未来塾(27)「パラダイム転換から学ぶ」 働き方が変わる(後半)

ヒット商品応援団日記No669(毎週更新) 2017.1.18.

バブル崩壊以降、産業構造が変わり、働き方も変ってきた。今回はそうした変化の象徴的な事例として電通の過労死事件という社会的事件を軸に経営・働き方共にどんな変化が求められているかを主要なテーマとした。

「パラダイム転換から学ぶ」

働き方も変わってきた
電通の過労死事件から見える
その「ゆくえ」


第12回(1998年)
 コストダウン さけぶあんたが コスト高

第14回(2000年)
ドットコム どこが混むのと 聞く上司 

第21回(2007年) 
「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!

第一生命「サラリーマン川柳」より



今一度、徒弟制度に着目

産業構造が変わり、仕事の場もさらに海外へと広がり、しかもオフィスだけでなく、自宅、あるいは移動中、といったように仕事の内容に従い多様となってきた。こうした「場」を問わない働き方は人口減少時代、特に生産年齢人口が減少する時代にあっては、主婦はもちろんのこと、定年後の高齢者もまた働くという多様な人たちが正規雇用・非正規雇用といった雇用形態を含めた多様な働き方として既に現実化している。
こうした多様な働き方を進めていくにあたり、業種や雇用形態の違いはあっても、仕事の進め方についてのマニュアルや業務指示書のようなものが個々の企業には用意されている。グローバル化すればするほどこうしたマニュアル類は不可欠なものとなってくる。また、品質を維持向上させるためには、現場を見守りチェックするためには「人」の派遣の他にインターネットを使った双方向のTVカメラによる品質管理も行われ始めている。「徒弟制度というと、何か前近代的なことのように思えるが、それは「学び」を通した成長の仕組みであって後継者を育てることを意味している。」と書いたが、この徒弟制度が生まれたのは近江商人による「人を育て、商売の成長を果たす」経営の仕組みであった。

その近江商人の心得に周知の三方よし」がある。近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であった。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」である。取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した「三方よし」の原典は、江戸時代宝暦四(1754)年の中村治兵衛宗岸の書置である。
行商を「新規営業」、他国を「海外」、更に世間を広く「社会」に置き換えても商売の本質は変わらない。10数年前にCSR、社会責任あるいはコンプライアンスというキーワードで企業倫理の仕組化が課題になったことがあった。既に江戸時代にあって、日本流CSRを実践してきたのが近江商人であった。

ところでこの「三方よし」には「人」を育て、一人前になると暖簾分けをして自立させるという、いわば企業の「成長」の仕組みが内在している。丁稚奉公という言葉はすでに死語なっているが、近江商人の奉公制度に「在所登り制度」(ざいしょのぼりせいど)がある。近江出身の男子の採用を原則とし、住み込み制をとったものである。出店は遠国にあるため毎年の薮入りはできない。12歳前後で入店してから、5年ほど経ってから初めて親元(在所)へ帰省できる。これが初登り(昇進)である。以後、数年ごとに登りが認められ、登りを繰り返していく。このとき、商人に向かないと判断されると解雇となる場合もあった。厳しい奉公であるが、一定の時期になると、別家を認める際の祝い品のなかには、たいてい暖簾が含まれている。別家とは独立のことであるが、祝いの中の暖簾を称し、「暖簾分け」とも言われている。その暖簾であるが、大切な屋号を長年の勤功と信用の証しとして与えている。そして、独立して出店することになるのだが、今でいう店長の勤務意欲を刺激するために、給料以外に利潤の一部を配当する制度もあった。こうして多店舗展開していくのだが、資金調達の方法として作られたのが、乗合商い(組合商い)と呼ばれる一種の合資形態をとった共同企業の形成であった。

こうした制度的なことも参考となるが、一番重要なことは「奉公」という考えで、今風でいうなら上司は兄であり、店主は親のような関係の中での働き方であった。厳しくもあるが、また愛情を持った「教え」であった。そして、奉公を長時間労働のように思われがちであるが、それは住み込みということからくるもので、実際はそうでもなかったようだ。そして、重要なことは、この教えは日々のコミュニケーションが基本となり、12歳ほどの少年である丁稚は「見様見真似」で覚えていくこととなる。現在の企業研修はマニュアルがそうであるように「理屈」から入り、体験といえばOJTをはじめとしたプログラムが用意されているが、基本は個人研修&労働である。そして、成果によって評価され、そこに自己責任という壁があり、愛情の入る隙間はない。そして、重要なことは「見様見真似」とは、「言われてする仕事」から自らその経験を踏まえた「考える仕事」へと向かうことにある。それは単なる技術習得のみならず、三方よしの「3つのよし」を成し遂げる意味を自ら会得することへと向かう。「自習」し、「自立」への道である。「世間よし」の世間とは奉公における「公」のことでもあり、高い倫理性を自覚する。これが仕事を通じた人間的成長、近江商人の言葉で言えば「登り」(昇進)となる。今回の電通における高橋まつりさんの過労死事件は、現場がどうであったかわからないのでコメントできないところがあるが、この「考える仕事」に向かう環境や仕組みが足りなかったのではないかと思う。

パラダイム転換によって変わる働き方

バブル崩壊後産業構造の変化に対応した雇用の変化が始まる。既に周知のことであるが、その最大の変化は非正規社員の増加である。言葉を変えれば雇用の多様化となる。デフレが本格化する1997年以降
正規雇用は減少し続け、2005年には3,300万人程度となっている。一方、非正規雇用者数は、94年に前年より減少した後、95年に1,000万人を超え、2005年には1,600万人程度となった。いわゆる約3人に一人が非正規雇用者となっている。
そして、これも周知のことだが、飲食業を始めとしたサービス業における非正規雇用の比率は高い。つまり、パートやアルバイトといった雇用が産業を支えているということである。これら内閣府によるデータは2005年度までで最近のデータによればさらに非正規雇用が増え、卸売・小売業・飲食業におけるパートやアルバイトの比率が高まっている。ちなみに最近の平成25年度のデータでは、正規・非正規の比率は63.3%・36.6%となっている。
この最大理由は人件費が軽減できるというもので、デフレが本格化した1997年以降如実な結果となっている。しかも、それまで増えていた世帯収入は右肩下がりになる。以降、価格競争は常態化する。そして、問題となっているのが正規・非正規における賃金格差である。



全パート社員を正社員へ

パラダイム転換期とは、経営する側にとっても、働く側にとっても、「常に仕事が変わる時代」であり、ある意味「常に創業期にある時代」での働き方となる。しかも、その変化は極めて早く、常に「制度化」は遅れてしまう。例えば、正規・非正規といった雇用形態の違いにおいても昨年政府もやっと「同一労働同一賃金」へと向かう方針がとられ始めた。
確か7~8年前になるかと思うが、生活雑貨専門店のロフトは全パート社員を正社員とする思い切った制度の導入を図っている。その背景には、毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。ロフトの場合は「同一労働同一賃金」より更に進めた勤務時間を選択できる制度で、週20時間以上(職務によっては32時間以上)の勤務が可能となり、子育てなどの両立が可能となり、いわゆるワークライフバランスが取れた人事制度となっている。しかも、時給についてもベースアップが実施されている。こうした人手不足対応という側面もさることながら、ロフトの場合商品数が30万点を超えており、商品に精通することが必要で、ノウハウや売場作りなどのアイディアが現場に求められ、人材の定着が売り上げに直接的に結びつく。つまり、キャリアを積むということは「考える人材」に成長するということであり、この成長に比例するように売り上げもまた伸びるということである。。

更には前回のブログにも触れたが、多くの外食産業、ファミレスやファストフード店で深夜営業から撤退する店舗が相次いている。既に数年前、牛丼大手のすき家はかなりの数の深夜営業店の閉鎖に踏み切っている。その時も問題となったのが、アルバイトによるワンオペ(一人運営)で、その労働環境の厳しさが指摘されていた。現在の外食産業は優れた厨房機器の開発により、調理という熟練の技をあまり必要としない。更には店内調理をあまりすることない調理済食品もしくは半調理食材によるメニューとなっている。こうした調理とともに食材などの店舗への搬入もシステマチックになっており、経験のないアルバイトでも十分やっていける店舗運営となっている。
しかし、深夜営業をやめる理由として「人手不足」を挙げているが、こうした業態の経営そのものが「やり直し」を命じられていると考えなければならない。東京に生活していれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそば店に「富士そば」という会社がある。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働現場の主体となっている。そして、従業員であるアルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社である。ブラック企業が横行する中、従業員こそ財産であり、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であるという。
やり直しの事例は他にもいくらでもある。要は経営のやり直しはリーダーが働く者に耳を傾け決断すれば良い、そんな時代が本格的に到来したということだ。深夜労働が全て悪いわけではない。働いて良かったと思える「充実感」こそが問われているのだ。


パラダイム転換から学ぶ


電通の過労死事件を軸に、パラダイム転換期の働き方を考えてきたが、いわば経営全体の「やり直し」改革の中で働き方が創られ、「人」の成長が結果企業業績を左右していることがわかる。今論議されている「同一労働同一賃金」は製造業における時間単位で働く工業化社会の働き方の基本であり、これはこれで改善していくことが必要ではある。そうした工業化社会を経て、バブル崩壊以降情報とサービスの社会に転換し、しかも産業構造の転換期にいる。その本質は経営のやり直しで、新しい価値創造を目指した産業・ビジネスの中で「人」をどう生かしていくのか、また生きがいとまでいかなくても「充実」した「働き方」をどう創っていくのか、更にもう一人の「人」である顧客・市場の変化を視野に入れた「やり直し」となる。そのやり直しがまず直面するのが「生産性」という壁であろう。

AI(人工知能)によって働き方が変わる

情報とサービスの時代を牽引しているひとつが技術革新である。1990年代、製造現場で開発され使われてきたロボット技術は今日AI(人工知能)へと進化してきた。生産性という点では最も生産性の高い、人手に勝る革新である。
その象徴である日本製囲碁AIがプロの趙治勲九段に初めて勝って話題となったが、AIの活用分野は既に幅広く実施されている。周知の自動車業界ではgoogleとトヨタの自動運転技術などがその代表例であろう。面白いのは世界的な通信社のAP通信は、企業決算ニュースを中心に人工知能による記事の自動生成を活用している。よく言われているようにAI搭載のコンピューターは「人」に取って代わる時代がくるのではないか、そんな事例の一つであろう。人を支援し、社会の高度化を進める為に生まれたのがAIであるが、そんな技術革新にあって「人」がやるべき仕事として次のようなことが言われている。
1、ロボットを運用および教育する仕事
2、高度な接客を追求する仕事
3、芸術やスポーツやショービジネスの仕事
4、アイデンティティを追求する仕事
技術革新によって働き方が劇的に変わったのはやはりバブル崩壊以降の平成時代からであろう。特にインターネットの普及が生活の隅々まで活用され、その延長線上にスマホがあり、そのスマホはIoTによる生活家電という、つまりライフスタイルに必要なものにまで最適な心地よさを手に入れる便利な時代になった。しかも、音声対応という「人間らしさ」を持ってである。

単純化した労働はどんどん少なくなる

こうした傾向は既に1990年代から進み、製造現場の多くはロボット化され、いわゆる人手はロボットの管理運営へと移行し、働く人数はどんどん少なくなり、仕事の内容も高度化してきた。こうした製造現場だけでなく、ホワイトカラーと言われた事務系の仕事はコンピュータによって処理されそのほとんどで人手を必要としなくなった。それら全ては「生産性」という観点から推進され、どれだけ早く、どれだけコストをかけずに、精度高い均質な成果が得られるかである。
前述のように人手を必要としていた飲食業はどうなるのであろうか。原材料などは「わけあり商品」を探し、調理はどんどん自動化され、生産性の観点から、ワンオペ、一人回し、しかも家賃という固定費を考えると24時間営業し、・・・・・・・・「やり直し」というキーワードを使ったが、こうした「生産性」からこぼれ落ちてしまい、それでも顧客が求める「何か」へと転換しなければならないということである。既に何回か触れたことがあるが、競争環境にあって他にはない「独自」は何か、それは「人」であり、その人が紡ぎ出す「文化」である。今、老舗に注目が集まっているのもこうした背景からであり、その老舗は数百年続く店もあれば一代限りかもしれないが街のラーメン屋もある。首都圏の商店街を見て回ったが、活気ある商店街と衰退した商店街との「差」はまさに「人」の差にある。例えば、周りを大型商業施設に囲まれ、衰退するかの ように誰もが考えられた江東区の砂町銀座商店街には、個性豊かな「あさり屋」の看板娘や昭和の匂いのする銀座ホー ルには人の良い名物オヤジがいる。そうした多彩な「役者」が日々商売してい 商店街である。

「マッチング」という既にある異なる「何か」をつなぎ新たな価値を創る試み

こうした「人」の成長も、「文化」の熟成も多くの時間を必要とする。それではパラダイム転換期における働き方、仕事はどうすれば良いのか幾つかの着眼点がある。そのキーワードのひとつは「マッチング」である。例えば広告業界のようにビジネス主体が既成メディアではなく、Googleのような検索エンジンの側に移っていることは広告業界におけるパラダイム転換のところでも指摘をした。「検索」というと単なる探す手段であるかのように見えるが、この手段無くしては過剰な情報が溢れ出るネット世界を自由に使えない時代にいるということである。つまり、使う側、顧客の側に立ったビジネスということができる。このように使う側に立った時何が求められているかが分かれば、求める人と求められる人とを「マッチング」させるソリューションビジネスが生まれてくる。ただ、今までのような単なる紹介業ではなく、より求められることの精度を高め、ミスマッチを無くし、スピードを持って、勿論安く提供しあえればである。しかも、今まで無かった組み合わせによる市場は大きい。数年前に注目された不用品の「あげる、もらう」のジモティから始まり、ブランド品であればオークションではなく買取価格の精度が高いブランディアといったようにマッチングも進化し多様化してきている。

こうしたマッチングは今始まったばかりである。今注目されているマッチングの一つがベビーシッターの派遣である。東京をはじめとした都市部の課題であるが、託児施設を造ろとしても住民の反対や物件も少なく、更に土地の賃料も高く施設の建設費もかかる。しかも、保育士の資格者はいるものの他より賃金が安いこともあってなかなか募集しても集まらない。そんな休眠保育士と子供を預けたいお母さんの要望をネットでつなぐ安価な新しいサービスである。こうした身近で困っている問題解決にIT技術、ネットを介してつなぐビジネス。こうした解決ビジネスはいくらでもある。
こうした分かりやすいマッチングの他に、例えば異業種との組み合わせ、老舗とIT企業、国や言語を超えて。こうした未だかってなかったマッチングでの新市場創りに於ける「働き方」はどうかといえば、創造的であるために想像力が不可欠なものとなる。そこには今までとは異なる新創業となり、働き方もこれまでとは異なるであろう。それは働く時間に於いて既に出てきており、コア時間を守った自由な出退社時間、週休3日制、更には働く場は一切問わない、こうした自由な働き方になるであろう。前述のベビーシッターの派遣という方法もあるが、大企業だけでなく中小企業においても子連れ出勤のような仕組みを取り入れている場合もある。子連れの親が営業で外出していたり、手が離されない時、周囲のスタッフが代わりに子供をサポートする。昔の村の共同体・コミュニティで子供を育てるような、日本的なことを言えば「お互い様」の考えのもとに運営をしている企業もある。
一方、衰退してきた農水産業にIT技術を取り入れた試みが数年前から全国各地で始まっている。その一つが農業ハウスであるが温度や日照管理といったことだけでなく、肥料や水やりまで最適な生育環境を成し遂げ、人手をかけずに生産性も高い収穫量を得るといった新しい農業が始まっている。データ管理とその分析が重要な仕事となり、働き方も変わってきた。
また、廃れた石灰製造メーカーとぶどう農家とがコラボレーションして、石灰を使ってぶどう栽培に適した土壌改良を行ない、ワイン作りが高知で行なっていると報道されていた。どこまで美味しいワインができるか数年先楽しみであるが、このように従来の発想でのコラボレーションとは異なる、まさにマッチングの時代がきているということだ。

生産性を超えるもの

どんなビジネスも世界を市場としたグローバル競争にあって、「生産性」抜きでは成立し得ない時代である。それはどんな企業も他に追随を許さない唯一無二、固有の技術なり、他に変えがたい「何か」を持って競争している。しかし、この「生産性」を超えることは簡単なことではない。
前述のAI(人工知能)のところでいくらAIが進化しても人がやる仕事として、<4、アイデンティティを追求する仕事>があると書いた。アイデンティティ、自己同一性、もっと簡単に言ってしまえば、自己と国との同一性であれば日本人となる。つまり、日本人である「私」はどうであるかということになる。国を所属する企業に置き換えても、家族であっても、町であっても同様である。個人化社会にあって、個人労働が進めば進むほど、グローバル化が進めば進むほど、この属する世界の「理由」「らしさ」「一体感」が必要となってくる。最近、企業における運動会が盛んに行われるようになったのも、この一体感づくりである。国家イベントであればオリンピックもその一つであろうし、町起こしのB1グランプリも同様である。
また、1990年代、若い世代において「私って何!」更には相手に同意を求める「私って、かわい~い!」という言葉が流行ったが、相手に、社会に「認めて欲しい」欲求としてあった。今静かなブームとなっているパワースポット巡りや神社の御朱印帳集めなども、「私確認」の儀式の側面を持っている。つまり、「何か」にすがりたいという欲求である。

そして、このアイデンティティを求める先はやはり「人」に行き着く。人の手が加わらない仕事がどんどん増加していくに従って、つまり「人」という存在感が希薄になっていくに従って、逆説的であるが「人の存在価値」「自分確認」の必要が増大していく。
また、「人を感じさせるもの」が益々人気となっていく。「手作り」「手わざ」「伝承」、つまり「人の温もり」が感じられるようなサービスや商品がますます求められていくこととなる。例えば、看板おばあちゃんや頑固おやじがそうしたアイデンティティの代用となっていく。勿論、家族でもてなすレトロな「家族食堂」なんかが流行るのもこうした理由からである。生産性という世界とはある意味真逆な欲求である・

会社へのアイデンティティ、帰属意識と「働き方」という視点に立てば、労働時間や諸待遇の充実と共に、会社や所属チームとの一体感を踏まえた「働きがい」が必要となり、しかも自ら問い確認していく仕組みが必要となる。現在における生産性は一律的に「成果」「結果」によってのみ評価される。長時間労働の多くは会社から強制された場合もあり、勿論それらは論外である。しかし、その多くは、自ら長時間労働を行うことがある。何故、自らなのか、何故残業時間を過少申告するのか。それは、得られた「成果」に見合った生産性がないことを本人が一番知っているからである。あるいは周囲を見て、「申し訳ない」という思いからであろう。

お互い様精神

こうした「申し訳ない精神」は欧米の雇用契約概念にはない、ある意味日本的な考え方である。しかし、例えばプロ野球は個人事業主であり、個人労働であるが、同時にチーム貢献も評価されているように、数値化できないこともまた評価・貢献の要素となる。先発には先発の評価があり、中継ぎも抑えも、そして当然であるがバッティングピッチャーも異なる評価がある。そして、個人労働であってもチームとして勝負するのがプロ野球である。チームメンバーは互いに助け合うことが試合に勝つ前提である。申し訳ないという自己責任精神とともに、日本には「困った時はお互い様」という解決するための知恵は古来からあった。そうした会話が成立するように、どれだけお互いに丁寧に「人」を見ていくか想像を巡らしていくかである。アイデンティティという視点に立てば、経営者・管理職もそこに働く個人も、互いに足りない点を確認し合える仕組みが必要な時代を迎えているということだ。更に、何よりもこうした「お互い様関係」から新しいイノベーションも生まれるということである。

そして、パラダイム転換期とは常に変化し創業期でもあると、真っ白な紙に絵を描く経営になると指摘した。つまり、仕事は常に変わり、働き方にも正解は無いということでもある。電通という企業を中心に時代の変化に適応した働き方について学んでみた。その電通も責任を取って社長が代わり、どんな次なる電通を目指すのか見守っていきたい。
冒頭のサラリーマン川柳ではないが、これから始まるトランプ米国という激変の時代の「空気読め」である。そして、立ち向かっていくには、個人で1社で難しければ、お互い様精神で解決していこうということだ。



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2017年01月15日

来塾(27)「パラダイム転換から学ぶ」 働き方が変わる(前半)

ヒット商品応援団日記No669(毎週更新) 2017.1.15.

バブル崩壊以降、産業構造が変わり、働き方も変ってきた。今回はそうした変化の象徴的な事例として電通の過労死事件という社会的事件を軸に経営・働き方共にどんな変化が求められているかを主要なテーマとした。

「パラダイム転換から学ぶ」

働き方も変わってきた
電通の過労死事件から見える
その「ゆくえ」


第12回(1998年)
 コストダウン さけぶあんたが コスト高

第14回(2000年)
ドットコム どこが混むのと 聞く上司 

第21回(2007年) 
「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!

第一生命「サラリーマン川柳」より


パラダイム転換というテーマを取り上げてきたが、その中でもライフスタイルの中核となっているのが「働き方」の変化である。上記の川柳はこの」「働き方」をテーマとした毎年行われるサラリーマン川柳の優秀作である。新語・流行語大賞と共に時代の空気感を映し出し、そうだなとクスッと笑えるのが川柳である。時代の変化として、1990年後半はデフレの時代らしく「コストダウン」は等しく各企業に迫った課題であり、「ドットコム」というインターネット時代の幕開けとそのためらいがうまく表現され、そうした時代の変化の波はダイレクトに現場「上司・部下」に襲いかかる、そんな「働き方」が川柳となっている。

和歌は貴族文化の季節行事として残っているが、庶民が本格的に言葉遊びを楽しみ始めたのは江戸時代の川柳であった。川柳という「遊び」だけであれば笑って済むのだが、現実の深刻さには笑うことができない、そんな時代の真ん中にいる。
この深刻な現実を象徴するような事例、ある意味社会的事件となったのが電通における過労死事件であろう。2015年12月に新入社員であった高橋まつりさんが社宅で自殺した事件である。この死が長時間労働による過労死として労災認定され、昨年10月以降電通本社・支社に労基法違反で強制調査が入った事件である。
昨年7月以降「パラダイム転換から学ぶ」というテーマで4回にわたって学んできた。その中でも転換のポイントであったのが、昭和から平成へと、日本の産業構造が大きく変わり、企業はやり直しを命じられた点であった。今回はこうした「働き方」変化に対応できなかった企業、そして働き方のやり直しに取り組んだ企業、この2つの事例を通じて学んでいくこととする。

産業構造の変化に遅れた電通

「パラダイム転換から学ぶ」(1)”概要編”では、戦後の大きな転換点であるバブル崩壊、昭和から平成へと向かう変化について考えてきた。その変化の概要について再喝すると以下のような変化となっている。

『戦後の日本はモノづくり、輸出立国として経済成長を果たしてきたわけであるが、少なく とも10年単位で見てもその変貌ぶりは激しい。例えば、産業の米と言われた半導体はその生産額は1986年に米国を抜いて、世界一となった。しかし、周知のように現在では台湾、韓国等のファ ウンド リが台頭し、メーカーの ランキングではNo1は米国のインテル、No2は韓国のSamsung である。世界のトップ10には東芝セミコンダクター1社が入るのみとなっている。 あるいは重厚長大産業のひとつである造船業を見ても、1970年代、80年代と2度にわたる「造船大不況」期を乗り越えてきた。しかし、当時と今では、競争環境がまるで異なる。当時の日本は新船竣工量で5割以上の世界シェアを誇り、世界最大かつ最強の造船国だった。しかし、今やNo1は中国、No2は韓国となっている。
こうした工業、製造業の変化もさることながら、国内の産業も激変してきた。少し古いデータであるが、各産業の就業者数の 構成比を確認すればその激変ぶりがわかる。
第一次産業:1950年48.5%から1970年19.3%へ、2010年には4.2%
第二次産業:1950年15.8%から1970年26.1%へ、2010年には25.2%
第三次産業:1950年20.3%から1970年46.6%へ、2010年には70.6%
*第三次産業におけるサービス業に分類されないその他は含まれてはいない。』
そして、その変化に対応するように働き方も「個人労働」=多元価値労働、多様な時代へと向かってきた。その価値観の転換を整理すると以下のようになる。

○平均値主義(年功序列)     →  □能力差主義(個人差、キャリア差)
○永久就職(安全、保身)   →  □能力転職(自己成長)
○肩書き志向(ヒエラルキー) →  □手に職志向(スペシャリティー)
○一般能力評価        →  □独自能力評価
○労働集約型労働         →  □知識集約型労働
○就職(他者支配)      →  □天職(自己実現)
○総合能力(マイナス評価)  →  □一芸一能(プラス評価)

ところで、戦後の産業の中で新たな産業として急成長したのが広告業界であり、その先頭を走ってきたのが電通であった。
その電通であるが、実は戦前からの企業であるが、戦後の新たな産業、日本経済の成長とともに収入も増えモノを求める生活者の消費に照準を合わせた「広告ビジネス」の今でいうベンチャー企業としてあった。このベンチャーのいわば創業者である吉田秀雄社長が掲げたのが「鬼十則」という電通マンの行動規範である。部分しか報道されていないのでその全文を載せることとする。

1、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

敢えて全文を載せたのは、個人労働としての働き方とベンチャー企業ならではの働き方、社内外の競争環境下での働き方がよくわかる規範となっている。電通は戦前電報通信会社としてスタートしたこともあって、まるで記者が夜討ち朝駆けしてスクープを獲得するかのような「鬼十則」となっている。この文章からも分かるように長時間労働は社内風土として当たり前であったことがわかる。私も若い頃同じ広告業界に席を置き、電通とはクライアントとの間で競争してきたこともあり、その優秀さと取り組みの激しさを実感してきた一人である。



広告メディアの変容

ところで広告業界もまたバブル崩壊後大きな変化の波を受けることとなる。周知のインターネットメディアの登場である。自殺された高橋まつりさんもこのネットメディアの広告業務に席を置いていたことは象徴的である
というのも電通の急成長を促したのが戦後の新しいメディア、特にTVメディアへの取り組みで高度成長期を通じ収入が増え豊かな生活を新商品で埋めていく、そんな一億総中流時代にはTVメディアは最適なマスメディアであった。しかし、1990年代後半インターネットメディアが次第に生活者の生活そのものに浸透していくにしたがって、TVメディアを主体としたマス4媒体(TV、新聞、雑誌、ラジオ)の相対的価値が落ちていくこととなる。ちょうど消費においてもデフレの嵐が吹き始めた頃である。

広告業界も価格競争へ

当時デフレを代表する企業といえば、吉野家、日本マクドナルド、ユニクロ、そして楽天市場であった。「低価格」という一つの魅力の時代を創った企業である。こうした企業は顧客接点を持った専門店であったが、実は広告業界もまた裏側においては激烈な広告会社同士の価格競争が行われていた。それまでのマスメディアの価格設定はメディア側の定価に対し、一種の掛け率のような設定が行われ、メディアを仕入れる中間役の広告代理店が広告出稿するクライアントと相談して実勢価格を決めていくという方法であった。
しかし、この1990年代では特にTVメディアの場合がそうであるが、広告効果の一つの指標となるGRP(グロスレイティングポイント/総視聴率)という考え方が取り入れられ、広告代理店によるメディアの競争入札・コンペが行われるようになる。マス広告するエリアの大小によって異なるが、1GRP〇〇万円といったようにコンペが行われる。つまり、購入目標とするGRPを安く提示した広告代理店が勝って担当するということである。しかも、メディアと広告内容(CMなどクリエイティブ内容)の代理業務委託が分離され、より高い効率・効果を求める段階へと移行して行く。結果、メディアの取扱量が利益を左右する仕組みであった広告会社は経営を支える根底が崩れ、それまであった多くの広告代理店が破綻もしくは整理統合されていくことになる。そして、この価格競争に勝ち抜いたのも電通であった。

ところが、インターネットが生活のあらゆるところに浸透する時代におけるメディア価値は更に劇的な変化をもたらすことになる。それまでの一方通行型のTV広告におけるGRPという考えの広告から、無料を原則とした双方向型のネットメディアへ。しかも掲出した広告が何回クリックされたか瞬時に分かる仕組みとなり、そのクリック回数単位で価格が決まっていくことになる。つまり、視聴という「結果」に対する価格ということになる。しかも、効果がないと分かればある意味簡単に広告内容を差し替えることも可能となる。
そんな現代のメディア事情であるが、2015年ネット広告は1兆1594億円で全広告費の18.8%を占めるまでに成長する。ちなみにTV広告は1兆9322億円、新聞広告は5679億円でネット広告の半分ほどとなっている。この部署に亡くなった高橋まつりさんが席を置き、日常的に「結果」が求められる競争環境、しかも結果が出なければスピードを持って広告内容の変更を重ねていく、まさに個人労働の世界である。
・・・・・・結果、長時間の加重労働となり、しかも経験を持たない新入社員にとっては極めて過酷な業務内容・労働環境であったと推測できる。
ベンチャー企業、いや創業期の働き方

電通のように「鬼十則」という行動規範を定めた企業は珍しいが、町工場からスタートし、世界有数の企業に成長したソニーも、ホンダも、そして最近ではユニクロも、今日風にいえば創業期はブラック企業であったと言えよう。
例えば、電通マンにとって「鬼十則」があるように、ソニーにも創業者井深大氏、盛田昭夫氏以来、引き継がれているのが「ソニースピリッツ」。 誰も踏み込まない「未知」への挑戦を商品開発にとどまらず、あらゆる分野で実行してきた。
世界初のトランジスタラジオの開発以降、「トリニトロン」「ウォークマン」「デジタルハンディカム」「プレイステーション」「バイオ」「ベガ」「AIBO」…。日本の企業としては初めてのニューヨーク証券取引所に株式を上場。公開経営あるいは執行役員制の導入。新卒者への学歴不問採用等。多くの日本初、世界初のチャレンジを行ってきているが、その根底には、創業精神「他人がやらないことをやれ」という不可能への挑戦が、ソニーマン一人ひとりに根づいていることにある。与えられた仕事を朝9時から働き夕方5時には退社するといった、時間で働くといった働き方とは全く異なる働き方であった。研究開発ばかりでなく、営業もサンプル商品を持って世界各国に営業に回ってきたわけで、創業期とは昼夜なく、働いた時代であった。

昨年秋に創業期のリーダーとはどんな働き方をし、その働き方を社員が見て自らの働き方としたか、そんな「創業期の生き方としての働き方」について、ユニクロの柳井会長をはじめ次のようにブログに書いたことがあった。そして、何故創業者を取り上げたかというと、つまり「今」創業期に学ぶ必要があるのかと言えば、実は創業期には理想とするビジネスの原型、ある意味完成形に近いものがある。ビジネスは成長と共に次第に多数の事業がからみあい複雑になり、グローバル化し、視座も視野も視点もごちゃ混ぜになり、大切なことを見失ってしまう時代にいる。よく言われることだが、困難な問題が生じた時の創業回帰とは、今一度「大切なこと」を明確にして、未来を目指すということである。そのユニクロの柳井会長は昨年度の値上げの失敗を認め見直しを行うとの記者発表があったのだが、そんな創業者について、私が感じたことを以下のように書いた。

『デフレを認め、その上での価格戦略、値上げの間違いを認めていた点にある。その見直しを踏まえた転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロという社名にあるように「ユニーククロージング」を次々と発売してきた。最初があの「フリース」である。GAPの物真似であると揶揄されながらも、GAPのコンセプトのように、男女の差も年齢の差も超えた服として利用され大きな顧客支持を得た。以降、英国進出の失敗などあったが、新素材開発に力を入れた「ヒートテック」、ソフトな履き心地の「UNIQLO JEANS」、「ブラトップ」・・・・・・・・ある意味社名にある「ユニーク」な商品をどこよりも早く開発し発売してきた。こうした「ユニーク」商品の「軸」となるのが今回の「Life Wear」というコンセプトである。』
この「Life Wear」が柳井会長にとって、ユニクロにとって「大切なこと」としてある。つまり、ユニクロがユニクロである理由、原点がここにあるということである。
創業者であればこそできることがある。サラリーマン社長の場合は株主ばかりに目が行き、ストレートに問題に迫った見直しなどできない。電通の吉田社長も、私が仕事をさせていただいたダスキンの創業者鈴木清一社長も、隣のチームが担当しておりその働きぶりを聞かされていた日本マクドナルドの創業者藤田田社長も自らストレートに問題解決へと向かっていた。創業者亡き後はいわゆるサラリーマン経営者となり、悪く言えば「普通の会社」になってしまったということである。普通であれば、至極簡単に言えば自然に業績を下げることへと向かっていくものである。多くの専門家は経営におけるリーダーシップの欠如を指摘するが、オーナー創業者であればこそ、決断ができることがある。独断的・専制的に外目には見えるが、「普通」であったら成長などできないことを一番よく知っているのが創業者である。普通ではなかったからこそ「今日」があることを嫌という程骨身にしみているのが創業者ということだ。これは勝手な推測ではあるが、ユニクロに求められているのは第二の創業、もっと明確に言えば第二の「柳井正」が次から次へと登場することが待たれているということである。勿論、次なる「ビジネスの理想形」を構想でき、しかも実行できる胆力のある人物ということになる。

仕事内容は常に変わる時代

実は売り上げを見れば国内ではダントツNO1である電通も根底から変わらなければならなかったということである。その第一はメディアが従来のマスメディアからインターネットを活用したそれこそ多種多様なネットメディアに移行しており、メディアの対象が「マス」から「個人」となった時代である。そうした時代にあっては、広告代理業ではなく、自らがメディアを創り、個人と直接繋がる、そんなマッチングサービスを行うIT企業に転換しなければならなかったということである。極端かもしれないが、確か2006年にグーグルが動画投稿サイトのYouTubeを買収したが、これはそれまでのテキスト主体の検索連動型広告からYouTubeのようなユーザー参加型の動画サイトにまで手を広げ始めた象徴例であった。こうしたことの対応策として、マイクロソフトが動画検索技術会社の米blinkx(ブリンクス)と提携したことが報じられていた。既に時遅しではあるが、自社に動画検索技術がなければ買収でも提携でも良いし、こうした「次」のマッチング広告分野に本格的に進出すべきであった。

広告の進化は、まずマスメディア効果が相対的に半減した時代から、膨大な情報が交錯するネット世界のビジネスリーダーが検索エンジンへと移り、そこから新しい広告分野・マッチング広告が生まれ、更にテキスト主体のものから動画へと移行してきた。これがわずかここ15年ほどの間に一挙に進んできたのが現実である。そして、こうしたネット広告の世界は、旧来のマスメディア広告とは経営から働き方まで根底から異なる。少し極端な表現になるが、それはアナログ世界からデジタル世界への転換であった。電通もIT企業に変わらなければならなかったというのはこのことを意味する。

「今」という時代にあっても、創業期にあるという認識

そして、「時代の働き方」という言い方をするとすれば、「安定」とは無縁の時代であるということである。創業期の企業風土、特に精神風土をどのように「今」に変化させていけば良いのかということになる。
例えば、東京オリンピック2020における競技施設に関し、盛んにレガシー・遺産というキーワードが使われた。次の世代に残すべきものという意味であるが、その多くは形あるもの、競技施設がわかりやすいため議論はそこに集中し終わってしまう。しかし、受け継ぐものが形あるスポーツ施設もあるが、実はその裏側にあるスポーツ文化こそ継承されなければならない。この文化は実は「人」が創って行くもので、創業者の「生きざま」を目の当たりにし、感じ取ることによって伝承される。施設という形あるものは次の世代に活用されていくという意味はある。しかし、施設は利便としてのモノで終わる。それ以上でも以下でもない。つまり、施設は時が経てばただ古くなるだけで、「過去」(歴史)から生まれ出る「広がり」は少ない。創業期に感じた「人」しか、次世代の「人」に伝えられないということである。伝承という言葉があるが、それは伝統職人の世界だけではない。あのビジネスの師と言われたP,ドラッカーはビジネスには「徒弟制度」が必要であると語っていた。徒弟制度というと、何か前近代的なことのように思えるが、それは「教え=学び」を通した成長の仕組みであって後継者を育てることを意味している。そして、それは技術的なことだけでなく、仕事への「思い」も含まれる。その思いには創業者の思いが痕跡としてある。それが人から人へと伝わり、企業風土、社風となる。思いの伝承といったら大仰であるが、感じ取った人が次の人へ伝えれば良いのだ。つまり、徒弟制度には人間的な成長を促す教育の仕組みがあるということである。
パラダイムが大きく変わる時代とは、いわば真っ白な紙に絵を描く行為が求められているということである。ましてや、日本は米国との関係が密接不可分であり、今回誕生したトランプ米国はそれまでの関係の真逆を行こうとしている。であればこそ、創業期がそうであったように、どんな変化にも対応できる「理想形」を追求しなければならないということである。

グローバル化という働き方のパラダイムシフト



平成に入り日本の産業構造が大きく転換したことは既に述べたが、1990年代半ば「産業の空洞化」が大きな注目と話題を集めたことがあった。中小企業までもが中国に製造拠点を移し、国内産業が雇用を含めて衰退してしまうのではないかということであった。
実は最近の海外進出はどうかと調べてみたが、今なお増えていることがわかる。そして、外務省による海外在留邦人数の推移であるが、「人」も増え過去最多の132万人近くに及んでいる。国別の在留邦人数では、「米国」在留が41万9610人(全体の約32%)でトップ、次いで「中国」が13万1161人(同10%)、「オーストラリア」8万9133人(同6.8%)。米国で5000人以上、オーストラリアで4000人以上増加した一方、中国は工場労働者の賃金上昇もあって、より安いベトナムやインドネシアなどへの工場移転もあって2700人減となっている。
そして、世代別の内訳を見てみると最も多かったのが20歳未満の29万7322人。全体の23%を占めた。これに続くのが、40代27万6279人(21%)、30代24万7874人(19%)、60歳以上17万6645人(13%)。20代は15万3341人(男性6万5825人、女性8万7516人)で、全体の比率はわずか11.6%だった。ところで20歳未満はいわゆる家族での海外赴任であるが、数年前から話題となっている若い世代の海外勤務嫌い、国内=安定志向が強く出ており、20代はわずか15万3341人となっている。ここでも皮肉なことに高齢化が進んでいる。つまり働き方の多様化が言われて久しいが、海外という働く場の拡大とその増加は産業構造の変化を映し出したものとなっている。2016年の訪日外国人数が2400万人を超えたが、一方では海外への企業進出&勤務はグローバル化を更に進行させるそんな象徴的なものとなっている。(後半へ続く)



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Posted by ヒット商品応援団 at 13:11Comments(0)新市場創造

2017年01月03日

真っ白な紙に絵を描く時代がやってきた 

ヒット商品応援団日記No668(毎週更新) 2017.1.4.

あけましておめでとうございます。
今年もまた新聞各紙の元旦号を読んだが、昨年同様目指したい国内外における理想像、政治、経済、社会、における「像」を打ち出したところは一社もなかった。特に、昨年国内外に起こったことは年末のブログに書いたように全てが「真逆の結果」になったことによる。朝日新聞は英国のEU離脱やトランプ次期大統領の誕生を生み出した「民主主義」について「試される民主主義」というテーマで書き、日経新聞はいささか自嘲的であるが「<当たり前>もうない」と身近な事柄に引き寄せて書いていた。読売新聞はといえば、社説で「反グローバリズムの拡大防げ」とし、トランプ外交の対応の必要性を説いている。これも朝日新聞の民主主義の根本、大衆が選んだ政権・政策のポピュリズムの裏返しの提言である。いずれのメディアも予測不能であることを言外に認めている、そんな取り上げ方であった。

実はその民主主義、ポピュリズム(大衆迎合主義)については国内にも起こっており、私は舛添都知事の政治資金私的流用疑惑問題等について取り上げ、「劇場型政治の変容」と題し、物言うマジョリティ・都民が劇場の主人公として追求したことを書いたことがあった。劇場型政治の先鞭をつけたのはあの小泉元総理であるが、その主人公が大衆・都民へと変わってきたという指摘であった。その変容のメカニズムであるが次のようにブログに書いた。

『舛添要一という人物についてであるが、「朝まで生テレビ」に颯爽と登場し、舌鋒鋭く多くの論客を圧倒した。以後政治家になり、母親を介護し、厚労大臣にまで上りつめる。そして、次の総理候補としてもてはやされた。それら人物像はTVによって創られたイメージの高さによってであり、「政治とカネ」の問題で辞職した猪瀬前都知事に代わって、大きな「期待」を持って誕生した都知事であった。しかし、TVによって創られたいわば「人気者」は、繰り返し、繰り返し、謝罪の言葉は言うものの、違法ではないもののその公私混同の「セコさ」や「屁理屈」が伝えられるとどうなるか。謝罪は本気でも本音でもなく、「嘘」と感じさせてしまう。当然「期待」は失望どころか、一気に「怒り」へと変容する。
物言うマジョリティの怒りは、抗議や批判の声として都庁へと4万件以上寄せられ、さらには舛添都知事が疑惑の精査を依頼した「第三者」の弁護士事務所には会見後非難の電話が殺到し、電話回線がパンクし、つまり炎上する事態にまで至った。』

TVによって創られた「人気者」は、TVを通じたマジョリティの「物言う力」によって辞職へと追い込まれる。情報の時代にあっては、TVによっていとも簡単に「人気者」を創ってしまう。多くのタレントが間違ってしまうのは、自分の才能(タレント)によって人気者になったと錯覚してしまう。人気者はTVという増幅する「映写機」によって映し出された虚像であって、実像ではない。
ここまで書けばああそうだったんだと理解いただけると思うが、この「物言うマジョリティ」の存在を一番実感理解し、この「力」を持って都知事選挙に打って出たのが、小池都知事であったということである。スローガンである「都民ファースト」とは「あなたが主人公」というメッセージそのものであったということだ。「人気者」という言い方をするならば、鳥越俊太郎氏はTVが作った人気者であって、小池百合子氏は市民が作った人気者であった。最初は少数であったが、選挙戦が進むに従って、「緑」を身につけた市民が増えてくる。「緑」は「緑」を呼び、SNSの増幅拡散のように広がり、その実像が次第に伝わっていく。結果、圧倒的な勝利、これも選挙前の政治評論家やマスメディアにとって予想外の結果であった。

ところで今年はどんな年になるか、多くの人は混迷、混乱、不透明、といったキーワードを挙げ、その対応について提言をしている。特に欧州ではいくつかの選挙があり、シリアからの難民が減ることはない。隣国韓国では周知の朴政権下では職務停止によって何一つ決めることができないまさに混乱の年明けとなっている。そして、元旦早々、トルコ・イスタンブールでは銃乱射事件が起き、40名近くが亡くなる惨事が報じられた。昨年の年頭のブロでは「混迷の年が始まる」と書いた。しかし、今年についてその延長線上で「混迷がさらに深まる」とは書かない、いや書くべきではないと考えている。勿論、事実は事実として受け止めなければならないが、グローバル化というパラダイムシフトの揺れ戻しが始まっており、そうした発想・認識の転換を自ら行う時がきていると考えるからだ。予測不能の時代とは真っ白な紙に絵を描くようなものである。誰もが手探りをしながらでないと進めない時代であり、ポジティブに考えるならば誰にでも可能性がある時代ということだ。
何故なら、多くの生活者は昨年1年間嘘とは言わないがどれだけ予測が外れたか、嫌という程実感している。自然災害と一緒にしてはならないが、熊本地震のように本震より余震の方が大きく被害が甚大であったように。つまり、予測、予想、従来から言われてきた常識、既成の価値観に重きを置かない時代であるとの認識が強くなったということである。一言でいえば、何があってもおかしくない時代にいるということだ。

確か昨年の3月のブログにて、消費増税の延期発表に際し、経済の浮揚策について「できうるならば、元の5%に戻すこと」が必要であるという主旨のことを書いたことがあった。いわゆる減税である。市場が心理化されている時代にあっては、「明日は明るい」「不確実なことは何もない」と生活実感できる身近な政策こそが必要との観点からであった。こうした政策は誰もが国の借金が1000兆円を超す財政状況にあることは知っているが、財務省が反対しようが、政治が決断すればできないことではない。もやもやとした先が見えない「不安」という妖怪を消してくれることが問われているのだ。真っ白な紙に絵を描くとはこうした発想を転換し決断することでもある。

このような考えか生まれる背景には、例えば小池知事がそうであったように、顔の見えないひとくくりにされてきたマジョリティ・大衆を信じることから始めるということである。そのことは、常にマジョリティとしてではなく、たった一人に語りかけることとしてある。ビジネスでいうならば、既に10数年前から言われている顧客主義という原点に立ち戻るということである。人は信じられていると感じた時、本音のコミュニケーションが初めて始まる。そして、その実感・思いは次第に友人知人という第三者に伝えたい、そんな思いが醸成されていく。こうした「密な関係」に今一度立ち返るということである。勿論のこと、密な関係を結ぶ前提には政治であれば情報公開であり、小売の現場では店頭での会話ということになる。

そして、真っ白な紙にどんな絵を描くのかである。勿論、そのヒント・着眼は密な関係を結んだ顧客・市場の中にある。小池知事の例を挙げるとすれば、それは築地の豊洲移転について市場関係者のみならず多くの都民の心の中に澱のように溜まっている「不安」を感じ取り、都知事になった後、間近に迫った豊洲移転を延期させるという決断をする。今までの延長線上であればまずは移転し、オープンさせ、その後不安を除去する施策を実行するだろう、まさにそうした常識を覆したのである。この決断の素は都民の中に眠っていることを受け止めたということである。

こうした従来からあるパラダイム価値観、常識を捨て、今一度絵を描きなおす、そんな時が来ているということである。これから1年、いや数年先までわからないことばかりが突如として起こる。その時、顧客の中に、市場の中に、従業員の中に耳を傾ければ、「やり直し」というつぶやきが聞こえてくるはずである。うまく絵が描ききれてはいないが、昨年値上げの失敗から学んだユニクロのように。あるいは多くの外食産業、ファミレスやファストフード店で深夜営業から撤退する店舗が相次いている。人手不足、というのが表向きの理由であるが、こうした業態の経営そのものが「やり直し」を命じられていると考えなければならない。東京にいれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそばに「富士そば」という会社がある。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働の主体となっている。そして、アルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社だ。ブラック企業が横行する中、従業員こそ財産、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であると。やり直しの事例は他にもいくらでもある。要はリーダーが耳を傾け決断すれば良い、そんな時代が本格的に到来したということだ。
戦後続いて来たパラダイムシフトの揺れ戻しは米国や欧州のみならず日本も同じである。突如として起こるであろう変化に惑わされることなく、やり直しを決断する時が来た。思い切って、真っ白な紙に絵を描く人達、企業、町、そんな応援を今年もまた続けて参ります。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:27Comments(0)新市場創造