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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2020年04月16日

連帯してコロナと戦う 

ヒット商品応援団日記No763(毎週更新) 2020.4.16。


このブログを始めて15年経つが、始めた動機の一つが周知のP、ドラッカーであった。ある意味、ビジネスの古典になった師であるが、次々と起こる変化に対し常に冷静に真摯に向き合った師であった。その変化は一時期的なものではなく、本質に根ざした変化であるかを根拠を持って問い、そのことに意味と重要性があるのであれば、その変化がもたらしてくれる機会を活用すること、そんな着眼を教えてくれた師であった。今から6年前には未来塾として「町」の変化を観察し、どんな変化が出てきているのかをレポートしてきた。以来39回続けているが、その第一回目は「人通りの絶えた町・浅草」であった。
本来であれば、街を歩き観察したいのだが、勿論自粛することにしている。人はどんな思いで、魅力を感じ集まるのか、つまり「賑わい」はどのように生まれているのかを観察してきた。実は今回の新型コロナウイルス感染の発生源とされる三密(「密閉」「密集」「密接」)と「賑わい」はほぼ重なる街・場所であり、人を惹き付けるテーマを抑制する戦いが求められている。

緊急事態宣言後、東京都は休業要請の業種を発表した。その週末どんな変化が起きていたかメディアはレポートしている。本来であれば、私自身が街を歩き観察したいのだが、公開されている情報を整理すると以下のようになる。
・大型商業施設である百貨店やショッピングセンラーが一部フロアを残し、臨時休館したこともあって、当然ではあるがゴーストタウン化した。特に都心部の百貨店の場合は全館休業としたため人通りはほとんどない状態となった。また周辺の専門店もシャッターを下ろし、東京をはじめとした都市は今まで見たことのない光景であったと。またスマホによる地域別データ(ビッグデータ)によると4月7日の渋谷などでは以前と比較し70%減であった。
・一方、生活圏である都心近郊の商店街あるいはホームセンターには家族連れの人が押し寄せいつも以上の賑わいを見せていたと。以前レポートした砂町銀座商店街や戸越銀座商店街、あるいは吉祥寺の街などが取り上げられていたが、こうした三密の無いと思われる近郊住宅街の業種は通常営業しており、混雑していた。先日のブログにも書いたが、百貨店とは異なり2月のスーパーマーケットの売り上げは前年比大きくプラスとなっており、業種によって全く異なる結果となっている。
・これは報道によるものでその実態は確認してはいないが、三密からは外れたアウトドア場所、近所の公園や別荘、あるいはキャンプ場などは家族連れの賑わいがあった。近所のスーパー以外の移動にはほとんどが乗用車による移動で、休業要請から外れた近県のパチンコ店は賑わっているという報道もあった。

つまり、三密という自粛要請にはある程度応えてはいるが、移動手段や場所は変わっても逆に集中してしまい「賑わい」が生まれているという皮肉な現実があった。東京都は食品スーパーには買い物の代表を一人にして欲しいとの要請を出す始末となっている。どうしてこうした現象が起きるのかは、後ほど述べるが、政府や諮問機関である専門家会議からの情報に沿って、ある意味素直に生活者は行動していることがわかる。その象徴が「三密」で、予想外の賑わいも生活者個々人の理解によって生まれたものである。賑わいを観察してきた私にとって、予想外でも何でもない。

こうした移動を更に抑制するために個々人の行動を変えて欲しいとのメッセージが盛んに発せられるようになった。政府の諮問機関である専門家会議の感染シュミレーションに基づき人との接触を80%削減、最低でも70%削減して欲しいというものであった。このシュミレーションを作成した北海道大学の西浦教授自身もSNSに出演しそのシュミレーションを説明している。新型コロナウイルスを封じ込めるためのものであるが、感染症における感染のメカニズムが理解できない上に、そのシュミレーションの「根拠」が何であるのか、数理モデルの根拠がまるでわからない。
結果、この1週間主にTVメディアはどうしたら接触人数を減らすことができるか、その論議に終始している状態である。つまり、その根拠が「わからない」ということ、しかも実感できないということである。前回も少し触れたが、「理屈」では人の行動は変わらないということである。確か都知事は危機感からであると思うが、「ロックダウン」(都市封鎖)することになると発言した途端、その夜からスーパーに都民が押し寄せ、翌日のスーパーの棚にはほとんど商品は残ってはいなかった。米、インスタントラーメン、パスタ、レトルト食品、・・・・・・巣ごもり生活用の商品である。こうしたパニックが起きたのも、繰り返し放送されるパリやニューヨークのロックダウンした街の光景を見せられての行動である。

ところで社会心理学を持ち出すまでもなく、行動の変容を促すには恐怖と強制が効果的であると言われている。そして、恐怖は憎悪を産み、分断・差別を促す。憎むべきウイルスは次第にルールを逸脱する人間へと変わっていく。少し前になるが、ゼミやサークルの懇親会で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した京都産業大に対し、抗議や意見の電話やメールが数百件寄せられているとの報道があった。抗議どころかあるTV番組のコメンテーターはウイルスを撒き散らした学生にはまともな治療を受けさせるなと暴言を吐く始末である。
あるいは同じ番組であるが、今度は外出の自粛要請の休日に禁止されている区域に潮干狩りをしているとの報道を踏まえてと思うが、感染症学の教授が「二週間後はニューヨークになってる。地獄になってる」と発言したのには驚きを越えてこの人物は大学教授なのか、教育者としての知性・人間性を疑ってしまった。ニューヨークのようになってはならないと発言するのであればわかるが、それにしても「地獄」などといった言葉は間違っても使ってはならない。つまり、恐怖心をただ煽っただけで、しかも専門分野の教授の発言であるからだ、
新型コロナウイルスを「敵」としながら、恐怖と強制に従わない人たちを差別どころか次第に敵とみなしていく。社会の決めたルールを守らない人間は社会の敵であると。恐ろしいのはそうした「恐怖」「脅し」が蔓延していく社会である。そこには寛容もなく、連帯もなく、ただ憎悪だけである。

実は前回京都大学iPS細胞研究所の山中教授のHP「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」を取り上げたが、そのHPには新型コロナウイルス感染の対策としての提言の他にわかりやすく「ウイルの正体」について書かれたページがある。その中に「証拠(エビデンス)の強さによる情報分類」https://www.covid19-yamanaka.com/cont7/main.htmlというページがある。過剰な情報が錯綜し混乱状態にある中で、見事に「情報」の整理・分類をしてくれている。例えば、「証拠(エビデンス)があり、正しい可能性が高い情報」~「正しい可能性があるが、さらなる証拠(エビデンス)が必要な情報」~「正しいかもしれないが、さらなる証拠(エビデンス)が必要な情報」~「証拠(エビデンス)の乏しい情報」、このように分類してくれている。
現段階で分かったこと、その証拠が正しい可能性が高いかどうかを冷静に整理してくれている。ここには理性を持って新型コロナウイルスに向き合う態度がある。マスメディア、特に「刺激」ばかりを追い求めてきたTVメディアの態度とは真逆である。こうした「証拠」に基づいた提言こそが必要であり、恐怖による行動変容は一時期的に「表面的な自粛が行われても、同時に人と人との間に憎しみや争いを生むことになる。

東日本大震災の時もそうであったが、「現場」で新しい新型コロナウイルスとの戦いが始まっている。医療現場もそうであるが、マスクや医療用具の製造などメーカーは自主的に動き始めている。助け合いの精神が具体的行動となって社会の表面に出てきたということである。「できること」から始めてみようということである。その良き事例としてあのサッカーのレジェンドキングカズはHP上で「都市封鎖をしなくたって、被害を小さく食い止められた。やはり日本人は素晴らしい」。そう記憶されるように。力を発揮するなら今、そうとらえて僕はできることをする。ロックダウンでなく「セルフ・ロックダウン」でいくよ、と発信している。そして、「自分たちを信じる。僕たちのモラル、秩序と連帯、日本のアイデンティティーで乗り切ってみせる。そんな見本を示せたらいいね。」とも。恐怖と強制による行動変容ではなく、キングカズが発言しているように、今からできることから始めるということに尽きる。人との接触を80%無くすとは、一律ではなく、一人一人異なっていいじゃないかということである。どんな結果が待っているかはわからない。しかし、それが今の日本を映し出しているということだ。
東日本大震災の時に生まれたのが「絆」であった。今回の新型コロナウイルス災害では「連帯」がコミュニティのキーワードとなって欲しいものである。

こうした戦い方を可能にするにはやはり休業補償であることは言うまでもない。医療というという現場と連帯するには今回休業要請のあった業種の人たちである。特に中小・個人営業の飲食店で、家賃と人件費という固定費への補償である。その多くは日銭商売となっており、それら固定費の支払いは待ったなしである。求められているのはスピードで、例えば福岡における支援のように家賃への補助も一つの方法である。各自治体のやり方に任せることだ。これから補正予算案が国会で論議されることになっているが、その中の地方に交付される資金が1兆円予定されているようであるが、それこそ最低でも5兆円にまで増額し支援すべきであろう。なぜなら、嫌なことではあるが、長い戦いになるからである。
また、公明党の山口代表は安倍首相に一律10万円給付すべきとの提案をしたと報道されている。できれば更に消費税を今年の秋から2年ほど凍結したら良いかと思う。つまり、新型コロナウイルスによって亡くなる人をこれ以上出してはならないと同時に、嫌な言葉であるが、ビジネス現場で自殺者を出してはならないということである。医療・命と経済という二者択一的発想ではなく、両方の世界で戦うこと、ここに「連帯」の道がある。東日本大震災の時は絆をキーワードに国民は復興特別税を引き受けたが、今回は財源として国債の発行も良いかと思うが、「感染防止連隊税」のような法律も良いかと思う。いずれにせよ東日本大震災の時と同じように連帯して戦うということだ。連帯は理屈ではなく、現場で戦う人たちとの共感によってのみつくることができる。どれだけの長期戦になるかわからないが、であればこそ連帯した戦い方しかない。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:26Comments(0)新市場創造

2020年04月05日

生き延びるための知恵 

ヒット商品応援団日記No762(毎週更新) 2020.4.5。


1ヶ月半ほど前に「人通りの絶えた街へ」というタイトルでブログを書いた。その通り街の風景は日本のみならず世界へと広がっている。しかも、感染者の多いイタリアやスペイン、フランス、特に危機的状況にある米国のニューヨークは一瞬の内にゴーストタウン化した。
そして、今回の新型コロナウイルス感染が及ぼす社会・経済への影響を考えるにあたり、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災を一つの事例としてブログを書いてきた。しかし、事態は1990年代初頭のバブル崩壊によるパラダイム転換(価値観の転換)を促した視点が必要であるとも書いた。その最大理由はバブル崩壊によってそれまでの多くの価値観が崩壊したが、当時言われていたのは「神話」の崩壊であった。上がることはあっても下がることはないとした不動産神話、重厚長大であるが故の揺るがない大企業神話、決して潰れることはないと信じられてきた銀行・金融神話、・・・・・・・・・神話とは「こころ」のなせるものである。情緒的な表現になるが、神話崩壊とは「こころ」が壊れてしまったということだ。壊れたこころをどのように立て直すのかが平成の時代の最大テーマであった。生活者は勿論のこと、大企業も、中小企業も、街場の商店も。今一度、未来塾の「バブル崩壊から学ぶ」を読んでいただきたいが、学びの根底にあったのが、実は「過剰」であった。例えば、バブル崩壊後日本の産業を立て直すために多くの製造業は中国を目指し、国内産業の空洞化が叫ばれたが、同時に部品メーカーも続々と中国に渡った。いわゆるグローバル産業化である。今回の感染源である中国湖北省の壊滅的感染爆発によってサプライチェーンが切断され経済がストップしてしまったことは周知の通りである。こうした事態を懸念し既に数年前からリスク分散、チャイナプラスワンの必要を指摘した専門家も少しはいたが、日本の社会経済潮流はグローバル化の道を歩んできた。

ところで、2~3年前からブログに訪日外国人市場、インバウンド市場、特に京都観光の実情を書いてきたが、いわゆるオーバーツーリズムのコントロールは議論されないままであった。観光産業におけるグローバル化という課題である。結果どうなったか、中国観光客のみならず、多くの訪日観光ビジネスは今壊滅的打撃を受けている。ウイルスの感染を防ぐために人の「移動」は極端に規制される。このインバウンドビジネスは今年開催予定であった東京オリンピックが後押しし、過剰な期待が生まれ、結果設備投資が行われきた。オーバーツーリズムとは過剰観光のことである。しかも、観光産業の中心顧客であった日本人シニア層へのシフト変更もうまくはいかない。それは新型コロナウイルス感染における致死率が高齢者ほど高いという事実があり、残念ながらコロナショックが終息しない限り好きな旅行には行かないであろう。
つまり、この3年ほどの観光産業の好景気は「バブル」であったと理解し、3年以前に今一度戻ってみるということである。その時、観光ビジネスの「見え方」も変わってくるということだ。その見え方の物差しに「過剰」であったかどうかということである。例えば京都で言うならば、インバウンド顧客を第一とするならばインバウンドバブルによってほとんどの市場は無くなった、つまり混雑を嫌った日本人観光客を第二の顧客として再び顧客を再び呼び戻すこと。それでも経営ができなければ第三の顧客として地元京都や関西圏の近隣顧客に京都観光の深掘りを実践してみると言うことである。足元を見つめ直し、新たな「京都」を発見あるいは創造してみると言うことである。例えば、この「京都」を東京の「浅草」や「築地場外市場」に置き換えても同じである。

別な表現をすれば、過去培ってきた顧客の「信頼」はどうであったかを今一度見つめ直すと言うことである。極論を言えば、”あなた(店)であれば、お任せます”ということ、安心という信頼が築けていたかと言うことになる。最も商売の原点がどうであったかと言うことだ。
ところで商売するうえで接触感染を防ぐことは大事である。デリバリービジネスやネット通販、あるいは高齢者向けの買物代行などの急成長はそれなりの理由は当然である。しかし、今回のコロナショックは最低でも1年間は続く。店舗を構える業態の場合、入店したらアルコール消毒液を使うことは勿論、安心のためのサービスは不可欠である。飲食店であればテイクアウトを始めたり、物販であればセルフスタイル導入も考えても良いかと思う。また、顧客同士の接触を少なくするための「距離」、ソーシャルディスタンシングを考えた席のレイアウトをはじめとした店内レイアウトの変更も必要になるであろう。これはウイルスという見えない敵と戦っていることを顧客の目に見えるようにする。つまり、自己防衛のための「見える化」である。しかし、どんな乗り越える工夫や手段を講じようが、基本は顧客との「信頼」があるかどうか、どの程度の信頼であったかどうかを見つめ直すことも必要であろう。

さて、ここ数週間小売現場で売れているのは生活必需品のみである。しかも、嗜好性の高い選択消費である商品はほとんど売れてはいない。選択的商品の中で唯一売れているのは人との接触のない自然相手のキャンプ関連商品、アウトドア商品のみである。勿論、人と人との接触のない散歩以外の「遊び」である。生活者の楽しみは換気の良い「アウトドア」「自然相手」と言うことになる。また、別荘地へのコロナ避難も始まっている。
このように生活者の心は遊びは自粛され、内側へ内側へと向かう。向かわせているのは勿論不安であり、その不安はいつになったら終息するのかと言うことに尽きる。多くの疫学の専門家によれば「長期戦」になるであろうと報告されている。また、東京・大阪といった大都市において「都市封鎖」といった議論も行われている。そうならないための「自粛要請」が行われているが、その程度の要請でも飲食などの特定業種の売上は通常のせいぜい20~30%程度であろう。人件費も家賃にもならない状況である。
シンクタンクの第一生命経済研究所は先月30日、新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めるため東京都でロックダウン(都市封鎖)が行われた場合、1カ月で実質GDP(国内総生産)が5兆1000億円減少するとの試算を公表した。試算は、4月1日から大型連休前の同24日まで、企業が平日の出勤を日曜日並みに抑えたとの仮定に基づいて実施した。封鎖の対象が埼玉、千葉、神奈川の3県を含む南関東全域に拡大された場合、減少額は8兆9000億円に達するという。

そして、緊急事態宣言という国民の主権、特に移動を制限する法律が議論されている。その移動先である流通業に対する要請であるが、例えば今回東京では臨時休館した百貨店や渋谷109のようにより強い要請である。問題なのはそうした「要請」「指導」に対する休業補償である。それは事業主とそこに働く従業員への補償であるが、報道されているような感染防止と経済のバランスといった「一般論」ではない。これは推測はあるが、政府もこうした丁寧な補償という実質的な支援を考えて欲しい。前回ブログで書いたようにこれも「現場」への支援であり、特に経営体力の無い中小零細企業への支援である。この現場の力無くしては危機を超えることはできない。「思い切った、前例に囚われない支援」とは医療現場、ビジネス現場への直接的で具体的な支援である。
今起こっている危機に対し、あの山中伸弥教授は以下のような5づの提言を投げかけてくれている。
提言1 今すぐ強力な対策を開始する
提言2 感染者の症状に応じた受入れ体制の整備
提言3 徹底的な検査(提言2の実行が前提)
提言4 国民への協力要請と適切な補償
提言5 ワクチンと治療薬の開発に集中投資を
詳細はHPを読まれたら良いかと思うが、提言4については「国民に対して長期戦への対応協力を要請するべきです。休業等への補償、給与や雇用の保証が必須です。」と明言されている。あまりにも進まない「現場支援」を求めての提言である。
前回のブログでTV番組出演し感染の恐ろしさを繰り返し話しても伝わりはしないと指摘をしてきた。感染学の講義、つまり「理屈」では人を動かすことはできないということである。数日前に亡くなったコメディアンの志村けんさんの「事実」の方が衝撃的なメッセージとなっている。感染後わずか6日後に亡くなってしまうその恐ろしさ、最後の別れすらできない感染病のつらさ。それらは極めて強いメッセージとして心に突き刺さる。いみじくも政府の専門家会議の主要メンバーが国民に「伝えられなかった」と反省の弁を述べていたが、その通りで志村けんさんの「死」の方が何百倍も伝わったということである。
2週間ほど前にSNSに流されたデマ情報によって、トイレットペーパーが店頭から無くなったことがあった。周知のデマによるパニックであるが、大手のスーパーがやったことはすぐさま大量のトイレットペーパーを山積みして販売した。つまり、目の前に十分商品はあると「実感」することによってのみ不安は解消される。マスクについてはどうであるかと言えば、使い捨てではなく洗って再利用できる布製のマスクを全世帯に2枚宅配するという。それは決して悪いことではないが、少し前に6億枚が3月中に流通されるとアナウンスされたが、その6億枚はどこに行ったのか、医療関係者や福祉関連の施設に優先的に回したと言われていると説明される。つまり、既にマスクにおいてもパニック買いが起こっており、膨大な量のマスクが必要になってしまっているということである。緊急事態宣言などが発表されればそれこそ生活者にはマスクは手に入らないことになる。そこで再利用可能な布製になったということであろう。すべてが後手後手になってしまっているということである。しかも、WHOは布製マスクは効果がないので推奨しないと断言している。費用は200億円以上だというが、少しでも安心材料となる抗体の有無がわかるIgG/IgM 抗体検査キットなどに使った方が良いとする医療専門家も多い。小さな子供を持つ主婦は手製の布製のマスクを作っている。しかも、効果が薄いからとマスクの内側にポケットを作って、そこにティシュペーパーやペーパータオルを入れて少しでも効果を高める工夫がなされているのが現実である。

コロナショックによる業績不振から新卒学生の内定の取り消しや非正規社員の雇い止めも始まっている。既に報道されているように観光産業であるホテル、旅行会社、次いで観光地の飲食店や土産物店。更にはアパレルファッション業界にも大不況の波は押し寄せてくるであろう。また、トヨタが自動車需要縮小を見越して減産態勢に入ったように、製造業である自動車や家電へと広がっていくであろう。そして、4月1日現在で、倒産は13件隣、弁護士一任などの法的手続き準備中は17件で、合計30件が経営破綻している。これはまだ始まったばかりであり、日本の産業全体に押し寄せてくる。
まずは公的な助成金など支援策は全て活用することは言うまでもない。ただ、東京都の場合中小企業支援には多くの申し込みがあり、総額は1300億円近くになったとのこと。当初事業予算の5倍ほどとなり再度検討するという。つまり、それほどの運転資金需要が生まれているということである。
こうした喫緊の課題に対応すると同時に、中期的な視野からのビジネス・商売も考えていく「時」となっている。それはバブル崩壊によって多くの価値観が壊れ、そして生まれてきたように、コロナと戦いながら考えていくとうことである。その視点にはやはりこれから目指すべき新たな「信頼」を考えていくということに尽きる。その信頼とは、顧客との信頼であり、働く人との信頼であり、更には仕入れ先もあれな支払先もあるであろう。そうした信頼とは広く「社会」に向けた信頼ということになる。振り返れば、世界に誇れる日本の第一は何かと言えば、「老舗大国」としての日本である。生き延びる知恵を老舗から学ぶということでもある。

創業578年、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている世界最古の宮大工の会社がある。その金剛組の最大の危機は明治維新で、廃仏毀釈の嵐が全国に吹き荒れ、寺社仏閣からの仕事依頼が激減した時だと言われている。有名な話では国宝に指定されている興福寺の五重塔が売りに出され薪にされようとしたほどの混乱した時代であった。更に試練は以降も続き、米国発の昭和恐慌の頃、三十七代目はご先祖様に申し訳ないと割腹自殺を遂げている。また、数年前にも経営危機があり、同じ大阪の高松建設が支援に動いたと聞いている。
今回のコロナショックによって米国の新規失業保険申請件数が発表され、664万8000件という圧倒的な過去最大の数字が出たと報道されている。これは米国の失業数が爆発的に増えていることを意味し、この状況が数ヶ月続くとアメリカの失業率が世界恐慌時のレベルにまで到達することになるとも。
そんな苦難の時代を乗り越えさせてきた金剛組であるが。何がそこまで駆り立てるのか、守り、継承させていくものは何か、老舗に学ぶ点はそこにある。
何故、生き延びることができたのか、それは金剛組の仕事そのものにあると思う。宮大工という仕事はその表面からはできの善し悪しは分からない。200年後、300年後に建物を解体した時、初めてその技がわかるというものだ。見えない技、これが伝統と言えるのかも知れないが、見えないものであることを信じられる社会・風土、顧客が日本にあればこそ、世界最古の会社の存続を可能にしたということだ。

金剛組という会社は特殊な事例かもしれないが、他にも生き延びる術を知った老舗はいくらでもある。私が一時期よく行った鳥取に、明治元年創業の「ふろしきまんじゅう」という老舗の和菓子がある。賞味期限は3日という生菓子で、田舎まんじゅうとあるが品のある極めて美味しいお菓子である。鳥取県人、和菓子業界の人にとってはよく知られた商品と思うが、東京の人間にとってはほとんど知られてはいない商品だ。ところで企業理念には「変わらぬこと。変えないこと」とある。変化の時代にあって、まさに逆行したような在り方である。いや、逆行というより、そうした競争至上主義的世界から超然としたビジネスとしてあるといった方が正解であろう。人はその世界をオンリーワンとか、固有、他に真似のできないオリジナル商品と呼称されるが、学ぶべきは「変わらぬこと。変えないこと」というポリシーにある。それは「変わらない何が」に顧客は支持し、つまり永く信頼を得てきたのかということでもある。

ところで企業経営における基本であるが、「有用性」という視座に立てば、まず「有るもの」を見直し、使い回したり、転用したり、知恵を駆使して生き延びる。「有るもの」、それは技術であったり、人材であったり、お金では買えない信用信頼・暖簾であったりする。勿論、こうした無形のものの前に、有形の土地や建物、設備といった資産の活用も前提としてある。つまり、生き延びるための重要な戦略は、変えるべきことと、継続すべき、守るべき何かを明確にすることから始まる。老舗にはそうした考えを元に引き継がれてきたということである。日本の観光産業を一種のバブルであったとしたのもこうした理由からである。

4月4日東京の新型コロナウイルス感染者が118人に及んだと発表された。恐らく近い内に緊急事態宣言が行われ、感染度合いの大きい大都市や繁華街が一定期間「制限」されることになるであろう。企業も生活者も「不自由」な活動となる。これからも混乱・パニックは起きる。企業も生活者も生き延びるための試練を迎えるということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:10Comments(0)新市場創造