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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年06月30日

お笑いの街が揺れている  

ヒット商品応援団日記No741(毎週更新) 2019.6.30.


吉本興業など大手芸能事務所所属の芸人の闇営業、しかも反社会的勢力のパーティなどへの出演し、その謝礼としてギャラを受け取っていたことが社会問題化している。いつの時代もそうだが、転換期にも関わらず、長期停滞化している社会にあって、多くの人にとって「笑い」はひととき心を解放してくれるものとして不可欠なものだ。しかも、そうした時代の変化そのものを映し出しているのも実は「笑い」である。その「笑い」にも一つの転換点を迎えている。

周知のように関西、いや今や日本の「笑い」の中心は大阪の2社、吉本興業と松竹芸能であろう。共に歴史のある会社であるが、大阪の人に聞くと、芸人の引き抜きなど極めて厳しい競争によって成長もし衰退もしてきたと言う。私は芸能史の専門家でもないが、今回問題となった吉本興業には問題を産む背景があることがわかる。
吉本にはいわゆる「契約書」はない。TVメディアに出ている多くのコメンテーターはその契約書がないことが問題であると指摘をする。例えば、反社会的勢力と関わってはならないとした義務、それに違反したことが時らかになった時の処分など、会社と本人とが文書を持って交わす「契約書」が存在しないと指摘する。法令遵守などコンプライアンスの研修はあっても、今回のように反社会的勢力との関わりが明らかになるという、つまり「結果」によってのみ、謹慎とか、契約解除が生まれる。
なぜそんな慣習のような「約束」が生まれ、今日まで続いてきたのか理由がある。それは芸人と言う「人」の活かし方、本人にとっても所属する会社にとっても、生かし生かされる相互の暗黙の了解が作られ「笑い」の文化が作られてきたからである。
また、そのコメンテーターのほとんどが、吉本の芸人が6000人にも及び、その巨大なエンターティメント企業であることに一様に驚く。お笑いは「人」を生かすことによってのみ成立することができるビジネスである。吉本の躍進も「人」の生かし方に秘密がある。

かなり前になるが、「人」をどう生かすべきか考えたとき、1冊の本に出会った。それは「笑いの経済学」(集英社新書)で著者は吉本の大番頭で常務であった木村政雄氏である。読んでいただくとわかるが、前半は吉本の歴史が語られているが、「笑いの経済学」はビジネスマン向けに書かれたビジネス着眼の書である。
吉本の創業は明治45年、芝居小屋買収その借金による素人経営のスタートであったが、次から次へと大胆な手を打つ。当時の寄席の木戸銭が15銭だったのを、下足代こみで7銭にする。落語をメインにせずに「なんでもあり」の安くておもろいものを組んだ。また、芝居小屋の入場料ビジネスだけではなく、物販の可能性を考え、「冷やし飴」という飲み物を販売する。この創業者である吉本せいの活躍については山崎豊子の『花のれん』に書かれており、併せて読まれたらと思う。
ところで吉本の発展は芝居小屋の買収によるところが大きかったが、昭和10年ごろラジオに芸人が出演するようになる。当時の人気者であった春団治がラジオ出演するとそのあとの寄席が満員になることに気づき、最初のメディア戦略へと舵を切る。そして、戦後はと言えば、映画全盛の時代となり花菱アチャコを残して演芸部を解散する。このことも勿論松竹との競争に勝つためであったが、今で言うところのスクラップ&ビルドの歴史であった。昭和34年ごろから園芸部門を復活させ、映画に見切りをつけ、TVメディアへと方針転換をする。そして、寄席文化から離れ、名物番組であった「ヤングOH!OH!」に当時の若手のトップをすべて注入する。桂三枝、笑福亭仁鶴、月亭可朝、横山やすし・西山きよし、桂文珍たちである。番組について補足するならば、1969年から1982まで放送された毎日放送制作の公開バラエティ番組で若者に圧倒的な支持を受ける。結果、吉本の若手芸人の元祖登竜門番組となる。それまでの松竹芸能独走状態であった上方演芸界を吉本中心へと転換することとなる。そして、まだ記憶に新しい昭和55年に漫才ブームが起きる。

このように明確なメディア戦略の結果が今日の吉本を創っていることがわかる。さて本題の一つである「人」の生かし方であるが、実は大正時代に芸人100人を超える大所帯になる。当時の人気者であった桂春団治は別格として、全ての芸人と月給制の契約を結んでいる。Aが50円、Bが30円、Cが12円だった。当時の小学校の教員の初任給が40円、であったことを考えると月給としては安い。Dもあって12円以下であった。しかし、このアイディアには傑出した特徴がある。駆け出しはゼロ円だったが、仕事が入とDにランクアップする。トップスター春団治を頂点に仕事が多く人気が出れば給与もチャンスも拡大するというシステムである。
吉本を含め大手芸能事務所はタレント養成所を擁している。かなり前の情報であるが毎年500名以上の若者が養成所に入ると聞いている。(おそらく今はそれ以上であると推測されるが) この内5%程度が劇場に出演できると言われている。そして、その審査基準は会社が決めるのではなく、劇場にくる顧客がABCといったランクをつけて決めるというシステムである。AKB48における総選挙を彷彿とさせる仕組みである。よく若手芸人が出演料が200円なので劇場まで歩いてきた、吉本はケチな会社ですとギャラを自虐ネタにしているが、それは事実であり、多くのランク外の人間は養成所で活動を終えることが多い。入り口は広くあるが、次第に絞られてくる、しかもそれは「顧客」によってである。その背景には、「笑い」は儲かるとは限らないというシビアな現実があると言うことだ。

さて時代変化に即応する歴史と仕組みについて吉本を事例に考えてきたが、冒頭の「笑いの経済学」の著者である木村氏は「笑い」の経営、吉本流経営を「牧場型」と呼んでいる。著書の出版当時、多くのTV番組にも出演しインタビューに答えていたので思い出す人もいることと思う。会社と芸人の関係について、吉本は柵の低い出入り自由な牧場で、所属する芸人は遊びに行ってもいいし、色恋沙汰をしてもいい。会社は何をするかというと、おいしいビジネスチャンスという牧草と快適な寝倉を用意する。会社はその牧草と寝倉を徹底して良質にする。良質な牧場を作れば、出て行った牛も必ず戻ってくると冗談交じりでインタビューに答えていたことを思い出す。
つまり、個人自営業者が集まった集団企業で、世間で言うところの雇用契約ではない。木村が言う競争社会は米国型の自己責任のみの関係ではない。「笑い」を取れなくなったら、会社ではなく本人のせいであり、例えば一時代を創った藤山寛美の松竹芸能の凋落を横目で見続けていたからであろう。時代が求める笑いが取れなくなった時、舞台から去らなければならないと言うことである。それは居心地の良い牧場に安穏としていることは許さないと言うことでもある。

こうした吉本が今日の躍進のきっかけとなったのが若手漫才師の登竜門「M-1グランプリ」である。発案は島田紳助であるが、木村氏が動いた結果であったと言われている。2001年にスタートしたが、10回目で休止する。しかし、その休止は若手芸人にとって目標を失う結果となる。入口を広く、その裾野づくりが吉本の生命線となるのだが、勿論再度復活する。そして、今日の若手芸人6000人にまで膨張することとなる。
今回売れっ子芸人になった複数の芸人が反社会的勢力との闇営業によって、処分されることとなった。吉本興業はコンプライアンスと反社会的勢力排除への「決意表明」をHP上で行なっているが、言葉上は「コンプライアンス体制を再構築する」としている。しかし、木村氏が言うように「牧場型」の経営を見直すこと、牧場の柵を出入りできないようなものにすることまで踏み込んではいない。多くの経営者は普通優秀な人材を囲い込もうとする。極論ではあるが、もともと芸人は成績優秀で世間の常識に素直に従うような人物ではない。M-1グランプリの発案者であり、反社会的勢力との付き合いで解雇された島田紳助は元暴走族である。木村氏が書いているように、吉本は世間から外れた人間の厚生施設のようなものである。一人ひとりに潜む才能をどのように組み合わせ、どのように変換・編集するかということなのだ。こうした埋もれた才能を表舞台へと変換していくかが「経営」のポリシーとなる。そうした意志は創業時代から変わってはいない。

但し、実は「笑い」市場の大きさに比べ、吉本牧場は芸人が増えすぎて臨界点を超えてしまっている。つまり、良質な牧草を提供できなくなっており、闇営業も生まれることとなる。問題の本質は契約書を交わすことでもコンプライアンス研修をすることでもない。膨張した企業を成長へと転換させる経営が今問われていると言うことである。
吉本の不祥事を褒めることではないが、停滞する日本経済にあって発想・着眼のユニークさとリスクを背負ってもやるという思い切りの良さには多くを学ぶべきである。これまで未来塾でレポートしてきたが、戦後エンターティメントの街づくりに失敗した新世界はジャンジャン横丁のだるまをはじめとした飲食店によって再生した。また、西部劇のアトラクションの失敗から、ハリーポッターの成功をきっかけに夏場の水かけ遊びなど手作りの独自な遊びを通じ成長に向かったUSJしのように、ある意味常識を覆した行動、吉本の「おもしろいことならなんでも提供しよう」とするポリシーと同じである。大阪は商人の町と言われるが、庶民の心に潜む可能性を見出し「芸」へと変換させることが商いとなる、そんな町のことである。。ジャンジャン横丁のだるまの串カツも、USJの水遊びも、「芸」へと転換した良き成功事例である。吉本の場合、大阪人の体質にある「笑い」を「芸」へと転換した企業である。今回の「事件」を通し、どのように次なる「牧場経営」を行なっていくか、牧場の広さを変えていくのか、新たな牧場を創っていくのか、あるいは柵を少し高くしていくのか、何を変えていくのか見ていこうと思っている。(続く)
  
タグ :吉本興業


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2019年06月23日

今の日本の実相、その空気感 

ヒット商品応援団日記No740(毎週更新) 2019.6.23.

老後資金2000万円問題が社会保障制度の持続性を含め注目されている。周知のように金融審議会の市場ワーキンググループから「高齢社会における資産形成・管理」と題する報告書が公表された。その報告書の中に書かれている年金などの収入以外に約2000万円の貯蓄が必要との試算が盛り込まれ、年金では足りない赤字分を自助努力する必要があるというものであった。 2004年小泉内閣の時に社会保障制度の改革がなされ「年金100年安心プラン」という賦課方式による制度変更がなされた。それまでの積立方式から現役世代が高齢世代を支える賦課方式への転換であったが、その背景には旧厚生省のグリーンピア事業への投資といった無駄遣いもあったが、今日の日本をイメージさせる事実があった。キーワードは「安心」である。スローガンやタイトルをつけることによって一つの「空気感」を創る作用がある。あたかも100年先まで安心生活が送れるといった一種の錯覚を産み、安心プランの中身を理解することを半ば止めてしまうことへと向かう。

ポスト団塊世代以上の中高年、つまり年金受給が真近になった世代にとってこれからの生活を考える上で極めて重要なことであった。「100年安心」というプランのタイトル・ネーミングについてはこの世界にとっては「制度の持続性」であると理解されており、当時から厚生年金受給予定者夫婦にとって2000万程度は必要であると指摘はあった。しかし、ポスト団塊世代より若い世代にとっての理解は制度の持続性、支える世代としての負担の大きさに果たして「100安心」として受給できるかどうかという疑念が残った。いわゆる世代間格差である。
そうした議論に答えが出る前に、2007年社会保険庁改革関連法案の審議中に社会保険庁のオンライン化したデータ(コンピュータ入力した年金記録)に誤りや不備が多いこと等が明らかになる。いわゆる「消えた年金問題」である。以降、被保険者と受給者合わせて1億1,000万人ほどの人に年金特別便というものが送られて、年金記録に漏れなどの確認が行われる。その過程でわかったことは旧社保庁のずさんな缶入りはいうまでもなく、事業主が高い保険料を負担したくないがために、従業員の給与を実際の額よりも引き下げたり、または会社が厚生年金から偽装脱退するといった不正も明らかになった。その結果の詳細については専門家に任せることとするが、今なお2,000万件ほどの記録が未解決となっている。「安心」というキーワードによる空気感は今なおモヤモヤしたまま、不信感とないまぜ状態で蔓延している。

今回金融庁から出された報告書のモデルとして厚生年金受給者を取り上げていたが、以下のような公的年金制度の概況となっている。(平成28年末)
●国民年金の第1号被保険者数(任意加入被保険者を含む)は、1,575 万人となっており、前年度末に比べて 93 万人(5.5%)減少。
●厚生年金被保険者数(第1~4号)は、4,266万人(うち第 1号 3,822 万人、第2~4号 445 万人)となっており、前年度末に比べて 138 万人 (3.3%)増加。
●国民年金の第3号被保険者数は、889万人となっており、前 年度末に比べて 26 万人(2.9%)減少。

モデルケースとしていわゆるサラリーマン世帯(厚生年金)を取り上げることは良いとは思うが、実は問題が大きいのは国民年金受給者の方で、2016年4月に厚労省によって発表された資料によると、2013年度の年金保険料を期限内に支払った割合は60.9%であったが、2014年度末には67.2%、2016年2月末には69.8%にまで増えている。また、数年後には70%程度にまで増えることが予想されている。
背景には非正規雇用の増大という課題がある。総務省の2017年のデータによれば、正規の従業員を年齢階級別にみると、15~64歳は3323万人と46万人増加し、65歳以上も109万人と10万人増加。
非正規の従業員は15~64歳が1720万人と3万人減少した一方で、65歳以上は316万人と15万人の増加。ちなみに全体の37.3%を占めている。

ところで賃金構造基本統計調査によるとワーキングプアと言われる収入が200万円以下の人口は約1069万人。正規・非正規雇用全体の人数であるが、若い世代のみならず、両親の実家に住み生活している中高年世代にも広がっている。前回書いたように「80 50問題」における50世代、つまりバブル崩壊による就職氷河期世代もこの中に多く含まれている。
年収200万未満となると1ヶ月の収入は15万未満となり、両親などの扶養扱いから抜けるとなると、国民年金の保険料は月額16,410円ということから納付が困難な人も多くなることがうかがえる。結果、「80 50問題」を増大させ、その中から引きこもりもまた生まれる。
また、今回の家計調査(赤字額月額5.5万円)における高齢者の貯蓄額を発表しているが、その平均貯蓄額を発表しているが、1億円以上の高齢者もいて、平均額(2284万円)をみると一定の貯蓄があると見えるが、実はより正確に見ていくとその中央値(1515万園)は低く、実態としては高齢者においても厳然たる経済「格差」があることがわかる。ちなみに100万円未満8.3%もいる。その象徴として生活保護世帯は徐々に増え164万世帯。つまり、若い世代においても、高齢世代においても「格差」があるということである。これがバブル崩壊後の長期停滞日本が生み出した現実である。

さて、前回も書いたことだが多くの注目すべき現象は日本社会の構造が変わってきたことにある。勿論、そのキーワードはまずは少子高齢化であり、そこから生まれる「不安」である。実はこの不安という空気感を創るのは「情報の重要さ」×「情報の曖昧さ」に比例する、という法則があって、社会心理学では基本となっている。ここからいわゆる世論もそうであるが、さらに言うならば「伝説」も「うわさ」も「デマ」も生まれる。こうしたことが生まれるのも、私たちの「内なるこころ」が創らせているとも言える。見えない不安を背景に、逆に「見えること」を逆手に取った詐欺的商品も現れて来る。同時に「見える化」が10年ほど前から指摘されたのもこうした理由からである。
隠せば隠すほど疑念が深まり、それは不安へと向かう。今回は「年金」を入り口にその不安の背景の「今」を整理したが、こうした経済に関すること以外にも不安を構成する要素としては以下のように整理することができる。

1、健康に対する不安:癌といった病気から身じかな不眠といった不安まで。更には、「食」への不安。
2、経済に対する不安:世代によっても変わるが、社会保障から勤務先企業の経営や仕事への不安。
3、社会に対する不安:主に、凶悪犯罪からオレオレ詐欺などへの不安。あるいはいじめなど教育への不安。
4、災害に対する不安:身近な住まいの土砂災害、電車など生活インフラから地震などの自然災害に対する漠然とした不安。

人それぞれ固有の不安があり、その度合いも異なる。健康で言えば約半数の人ががんにかかるが医学の進歩から治らないがんはどんどん少なくなってきている。つまり、命にかかわる病気の「曖昧さ」が明確になり解決できてきたと言うことである。社会に対する不安については前回の川崎殺傷事件をテーマに無縁社会の広がりについて書いたが、大きな社会問題化する前に抜本的な対策が必要とされている。災害については昨年の西日本豪雨災害から、大型台風、さらには北海道地震といった災害列島についてプログにも書いてきた。度重なる災害に対し、防災・減災が実行に移されてきている。例えば、最大瞬間風速58.1メートルを記録した台風21号の関西直撃に対し、あまり報道されていないことだが、台風直撃の前日にJR西日本が当日の運転を休止する旨を発表している。勿論、梅田やなんばに乗り入れている阪急電車など各社とも連携した休止である。結果、多くの企業や学校、商店も休みとなり、大阪の中心部は閑散となったが、人的被害や混乱は極めて少なかった。電車を停めることはギリギリまで行わないことが常であった。しかし、今回の JR西日本の判断は英断であったと言える。

そして、問題なのが今回の社会保障制度についてである。老後資金2000万円問題によって、若い世代が資産形成セミナーに殺到していると言う。勿論悪いことではないが、大きな経済破綻が起これば蓄えた資産など一夜のうちに半減してしまう歴史がある。例えば、生涯で一番大きな買い物と言われる住宅で言えば、バブル崩壊によって資産価値は半減し、売却して返済にあてても多額の住宅ローンが残る。最近で言えば2008年のリーマンショックによってリスクの少ないと言われる投資信託も、組み込んだ内容にもよるが35〜40%目減りする、そんなリスク経済であることを思い起こした方が良い。

フェイクニュースはトランプ大統領の専売特許ではない。情報の時代にあっては、日本においても多くの「フェイク」があった。言葉を変えればなるほどと思うが、例えば記憶の範囲で言えば耐震偽装から始まり、最近では大企業においてもデータ改ざんといったフェイクは氾濫している。こうした時代にあって、どうビジネスをしていけば良いのか、それにはまず顧客に「聞く」こと、顧客の声に耳を傾けることから始めることだ。「言う」から「聞く」である。顧客は過剰情報のただ中にあって、素直に心を開くわけではない。繰り返し聞くことを通じ、「会話」を成立させることだ。ローコスト経営へとシフトした企業は多くあるが、セルフスタイル業態の場合、「何か」が障害となった時、顧客心理は右から左へと大きく振れることとなる。文句を言う相手がいないと言うことは、2度と行かない、使わないと言うこととなる。
このように極端から極端へと振れる時代、空気が一変する時代である。3ヶ月ほとで消費増税が実施される。不安を持ったままの増税結果は火を見るより明らかである。消費心理は8%導入時の駆け込み需要どころの話ではなく、萎縮どころか氷河期へと向かうこととなる。時代の空気は変わったと言うことだ。(続く)
  
タグ :年金


Posted by ヒット商品応援団 at 13:12Comments(0)新市場創造

2019年06月16日

居場所づくりの時代 

ヒット商品応援団日記No739(毎週更新) 2019.6.16.



6月5日日経MJから上期ヒット商品番付が発表された。年々ヒット商品の数も少なくなり、しかも「ヒット」と呼んで良いのかどうか首を傾げたくなるほどの「小さな」なものばかりにあって、「令和」という新時代に向けた多くのイベントや売り出しが実施され、それらを日経MJは「新時代の大号令 高揚感列島を動かす」と書いた。勿論、東の横綱には「令和」が入り、大関には「10連休」が番付されるといった具合である。
その「高揚感」の有無、あるいは程度のことではなく、一瞬のうちにかき消されることとなった。それは5月28日早朝に起きた周知の川崎殺傷事件である。事件の詳細についてコメントできる専門家ではないが、事件後に犯行現場に献花に訪れる人が絶えないほどであると報じられている。推測するに数十名どころか数百名に及び、亡くなった小学生や保護者の関係者以外の人も多く、その衝撃さがわかる。

つまり、社会の「空気」が全く異なるフェーズに変わったということである。さらにその空気感を決定づけたのは6月1日に起きた元農水事務次官による長男の刺殺事件であった。以降、「引きこもり」というキーワードのもと、いじめ、孤立、家庭内暴力、80 50問題、中高年引きこもり61万人、・・・・・・そして、「引きこもり」の家族を支援する団体への相談が急増しているという。社会の空気が変わった本質は何か、多くの人はその背後にある「日本社会」のきしみに気づいているからに他ならない。いや気づいたというより現実に向き合わざるを得ない時代なったということである。
それは引きこもりというより、大きく言えば少子高齢化という社会構造の劇的な変化に向き合うことになったということである。その発端は2010年NHKスペシャルが特集した「無縁社会 無縁死3万2千人」であった。以降高齢者のみならず40~50代の現役世代に対しても、孤独死への備えも指摘されてきた。こうした一人暮らしの人間だけでなく、家族がいても「熟年離婚したら一人」「子どもに面倒を見てもらえない」と不安に感じる人も少なくない。実は子供に面倒をかけたくないとした家族とは真逆に、中高年になった子の面倒を高齢となった両親が生活をサポートすることができなくなったというのが「80 50問題」である。ちなみに高齢者の一人暮らしは600万人を超えている。これが高齢社会の現実であり、その軋みが社会へと露わになってきたということである。

さて、川崎殺傷事件の犯人についてであるが、中高年となった「子供」がたどった時代を考えるとまず思い浮かぶのは「就職氷河期世代」である。バブル崩壊によって就職口が閉ざされた世代であり、さらに1990年代多くの神話が崩壊した時代を生きてきた世代でもある。ベストセラーとなった田村裕(漫才コンビ・麒麟)の自叙伝「ホームレス中学生」の舞台となった時代である。「ホームレス中学生」はフィクションである「一杯のかけそば」を想起させる内容であるが、兄姉3人と亡き母との絆の実話である。時代のリアリティそのもので、リストラに遭った父から「もうこの家に住むことはできなくなりました。解散!」という一言から兄姉バラバラ、公園でのホームレス生活が始まる。当たり前にあった日常、当たり前のこととしてあった家族の絆はいとも簡単に崩れる時代である。作者の田村裕さんは、この「当たり前にあったこと」の大切さを亡き母との思い出を追想しながら、感謝の気持ちを書いていくという実話だ。明日は分からないという日常、不安を超えた恐怖に近い感情は家族・絆へと向かい、その心のありようが読者の心を打ったのだと思う。「個人」という視点に立って考えれば、未知の「挫折」を数多く体験した世代である。

少し前のブログ「新時代の迎え方」で、昭和が戦災からの復興であったのに対し、平成はバブル崩壊からの復興であったと書いた。バブル崩壊はそれまでの産業構造から始まり、働き方や生活スタイルに至る多くの価値観が根底から変わったとも書いた。そうした価値観の一つが実は「家族」という居場所であった。「ホームレス中学生」に描かれているが、母親は3人の子供達をつなぎとめ家族崩壊を食い止めることに必死であったように、多くの家族は各人の居場所探しに出かけることとなる。しかし、苦難は続く、いや今なお続いているといったほうが適切であろう。居場所探しは極めて個別であり、川崎殺傷事件の犯人のように両親の離婚に伴い伯父夫婦に引き取られるという居場所、「苦難」の人生を歩み本来受けるべき父性・母性のある居場所ではなかったようだ。この51歳の犯人を映し出す顔写真が中学生の時のもので、その後の40年近い生い立ちについてもほとんでわかってはいない。いかに社会との接点がなく、文字通り孤立した人生であったことがわかる。

以前ブログにも書いたが、1980年代半ばに高視聴率を誇ったTBSの「8時だよ、全員集合」が番組終了となる。以降、お茶の間で家族一緒にTV視聴する「家族団らん」という言葉は死語となった。つまり、経済的豊かさとともに子には個室があてがわれるがバブル崩壊によって、個と個をつなぐ役割を担って来た企業も、それまでの終身雇用に象徴される家族的な雇用関係は米国型の契約雇用形態へと移行する。別な表現をするならば家庭という居場所とともに企業という安定した居場所はどんどん少なくなる。その延長線上に今日の非正規雇用問題もある。正規雇用の企業においても、専門分野での仕事はどんどん細分化され企業はもちろんのことプロジェクトですら帰属意識は低い。そこで人事課が行う仕事の一つとして行われているのが、例えば全員参加の「運動会」である。ほとんど会話することのない個人同士が、一つの競技に力を合わせスポーツする、一種の企業家族の団欒のようなものである。運動会もそうだが、テーマに沿った仮装パーティやバーベキューイベントなんかも疑似家族という場を作ることが重要な人事政策となっている、これも居場所づくりである。

このブログのテーマである「消費」について言うならば、それまでの物理的単位、量、サイズと共に、時間単位、スペース単位、あるいは金額の単位、それらの小単位化が進行する。それらは「食べ切りサイズ」「飲み切りサイズ」といった具合であったが、それらを称して私は「個人サイズの合理主義」と呼んできた。1990年代の個性化といわれた時代を経て、2000年代に入り好き嫌いを物差しに、若い世代では「私のお気に入り」というマイブームが起きた。そして、2000年代前半から、働くシングルウーマンという言葉と共に、「ヒトリッチ」というキーワードが流行り「ひとり旅」がトレンドとなった。そして、お一人様用の小さな隠れ旅館や隠れオーベルジュが人気となり、言うまでもなく今なおその傾向は続いている。ラーメン専門店もお一人様用、居心地良く食べてもらえるように従来の店作りを変えた。その代表例が、周知の豚骨ラーメンの「一蘭」である。カウンターの座席を間仕切りで個室のようにした人気店である。勿論、にんにくの有無。ねぎの種類。味の濃い味、薄味。秘伝のたれの量(辛め)などは、オーダーシートで細かく注文ができるパーソナルサービスである。最近では女性客だけでなく、訪日外国人の人気ラーメン店の一つにもなっている。
しかし、周知のように経済の停滞や非正規雇用といった就業への不安などによって急速に「お気に入り」から、「我慢生活=身の丈消費」へと移行する。そして、その個人サイズの合理主義の延長線上に実は質的変化も出てきた。こうした合理主義はデフレマインドと重なり、個人サイズはどんどん進化した。

実はこうした家族と離れた「個人」の消費心理を変えたのが2011.3.11の東日本大震災であった。その年の流行語大賞にノミネートされた「絆」に代表されているように、家族、仲間、地域、コミュニティ、日常、思い出、・・・・・・こうしたことへと揺り戻しが始まった。グルメ雑誌を飾った飲食店ではなく、街場の飲食店を扱った「孤独のグルメ」が人気となったように。いや私たちが知らないだけで、孤独どころか繁盛している店が無数にあると言うことであった。「街」と言う単位で言うならば、前回取り上げた「東京高円寺」なんかは文字通り人と人とが行き交う賑わいのある街である。高円寺を住みたい街ではなく、暮らしやすい街と表現したが、住民にとって居心地の良い街・居場所と言うことである。
更に言うならば、2000年代半ばのヒット商品であった一人鍋から家族全員で食べる鍋やバーベキューに変わり、企業や団体では福利厚生を踏まえた前述の運動会が盛んになった。勿論、「一人」と言う価値観はあるのだが、家族や仲間などの世界とを行ったり来たりする新しい関係へと向かっている。バラバラとなった人間関係をつなぎ、さらにより深めたり、あるいは修復したりする記念日消費という「関係消費」に注目が集まる。

このように消費から見ていくとよくわかるのだが、進行しつつある多くの「単位変化」があまりにも急速に進んでいくことに、「社会」が追いついていけない現状があり、ギシギシと音を立てている。川崎殺傷事件も元農水事務次官による長男刺殺事件もそうした軋みの一つとして見なければならないということだ。そして、少子高齢社会のもう一つの軋みが少子化である。昨年からの虐待死事件も児童相談所も警察も追いついていないことがわかる。少子高齢社会のスピードに社会を構成するあらゆる企業も、行政も、勿論日本人各人が追いついていないということだ。そして、重要なことは、周りの住民、周りの社会が問題の社会に気づくことにある。気づいたら勇気を持って社会に相談することだ。そんな会話できる社会を目指すことであろう。
この2年間ほど未来塾で取り上げてきた賑わいのある街、活気あふれ顧客の絶えない店、・・・・・・そうしたところには家族や仲間をつなぐ「居場所」づくり、会話のある楽しめる場所づくりがなされていることがわかる。



単位の物差し変化の先に、どんな社会へと向かうのか。これも仮説ではあるが、個人単位の組合せ社会、有機的結合社会、新しいコミュニティ社会へと向かうであろう。家族も従属関係ではなく、互いに尊重し合う関係という家族、個々人の組み合わせ家族、そんな令和時代に向かうのではないかと推測する。そうした家族生活、ライフスタイルはどう変わっていくのであろうか、当然消費のあり方も変わっていく。今回はそんな少子高齢社会がもたらす社会変化について整理したのでビジネス着岸に活用していただければと思う。
社会の軋みをどう解決するのかという根本の課題解決ではないが、一つの着眼としてはバラバラとなった人間関係をつなぎ直し、さらにより深めたり、あるいは修復したりする「失われた縁の回復」には「記念日消費」も一つとなる。母の日や父の日といった記念日、あるいは誕生日や結婚記念日といった記念日もあるが、人には大切にしたい個別で多様な記念日もある。そんな記念日を祝うことがますます重要になる。「居場所」は物理的な場所もあるが、その根底はやはり「こころの居場所」である。そんな居場所づくりがビジネスの世界にも求められる。(続く)
  


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2019年06月02日

楽しむデフレから深刻なデフレへ 

ヒット商品応援団日記No738(毎週更新) 2019.6.2.



長い令和休日も終わり令和の時代が具体的にスタートした。その国賓の第一号として米国トランプ大統領が来日し、その話題でTVニュースの多くがが埋まっていた。こうした中で懸案であった1-3月のGDP速報値の発表がなされた。多くの民間シンクタンクのマイナス予想とは大きく異なる年率プラス2.1%成長という結果であった。しかし、日本の経済に問題ないかと言えばその逆で、プラス成長の理由が大幅な輸入減少であることがわかった。つまり、このプラス成長の数字に貢献したのが輸入の減少によるもので、内需の拡大や輸出の拡大によるプラスではないという事実であった。マクロ経済の専門家ではないので専門家の論を借りれば、名目値で言えば102.9兆円もあった輸入が94.7兆円へ。8.2兆円も輸入が減少したということであった。この8.2兆円の減少が見かけ上のGDPを押し上げたというわけであった。この輸入減少がなければ、多くのシンクタンクが予測したように名目で年率マイナス2.7%であったということである。

さて問題なのはこの「輸入減少」にある。国も人も同じように景気の良い時は多くのモノを買い生活を満たすことであったが、実は日本の購買力が落ち始めていると分析する専門家は多い。購買力の低下とは内需の冷え込みのことであり、その内需とは個人消費と設備投資がその多くを占める。私流の表現に従えば、個人消費で言えば「デフレを楽しむ生活」であり、設備投資で言えば「人手というロボット」という単なる生産性の視点によってしかビジネスを見ようとしない経営、そんな時代を迎えようとしている。極論ではあるが、生産性の視点に立てば、お金がお金を生む投資がリスクはあるものの一番効率が良いとする考え方である。例えば、設備投資ではなく、ビットコインのような金融投資へと向かうことである。しかも、それら投資は「企業」だけでなく、「個人」によっても行われるが、その世界を広げれば企業における海外の有望企業への株投資や買収と同じ発想である。設備投資とはその設備を使うのは「人」であり、人への投資へと向かうこととなるのだが、現段階ではその設備(ロボット化)の方が人より生産性高く働いてくれることが多くなってきている。少し前から、コンビニや飲食チェーン店のバックヤードなどでの悪質な「悪ふざけ」動画のSNSへの投稿が問題となっているが、各店のオーナーや店長はレベルの低いアルバイトを使わざるを得ない人手不足状況によるものと理解はしているが、本音はそんな低レベルのアルバイトなど使わずに、「ロボット」に全てを任せたいと思っている経営者は多い。勿論、こうしたロボット化とは異なる道、「人」への投資を実践している企業も多くあり、このブログでも取り上げてきたが、現在はそうした過度期にあるといえよう。

前回の再掲したブログでは競争市場にあって5つの違い(差)づくりの事例を再度取り上げた。なぜ取り上げたのかその背景は勿論消費増税を迎えどんな違い=戦略を採ったら良いのかその判断材料の一つにしてもらいたかったからである。多くのビジネスマンが注視するのがやはり「価格」であり、内需冷え込みの最大の課題である個人消費の低迷の「今」を少しの事例を含め報告することとする。
「価格」について一番わかりやすいのが食品スーパーであろう。今、神奈川県の専門店において注目されているのが食品スーパーのロピアとオーケーの戦いであるという。エブリデーロープライスをポリシーとしたオーケーについては何回かブログで取り上げてきたのでここでは省略するが、一方のロピアはここ数年前からオーケーに対抗できる食品スーパーとしてデベロッパーによる戦略テナントとして導入されてきた企業である。そのロピアの強みは高品質で低価格な精肉という商品で主婦の圧倒的な支持を得ている食品スーパーである。神奈川の大手デベロッパーである海老名のららぽ~とを始め、橋本のSCミウイ、さらに以前価格帯市場というキーワードで取り上げた横浜港北ニュータウン・ノースポートモールにそのロピアが今年3月に導入されている。ある意味SC集客の立て直しの戦略テナントとして導入されたのだが、その競争相手が同じ商圏内にあるオーケー対してである。
今年3月にノースポートモールにロピアが導入され周辺市場はどうなったかというと、オープン以降ロピアと近くにあるオーケー以外の食品スーパーは極論を言えば客数が激減したと言われている。実はノースポートモールの食品売り場の一つであったブルーミングブルーミー(いなげやグループ)の撤退に伴い富士ガーデン(ニュークイックグループ)も併せて導入されている。少し専門的になるが、ニュークイックは首都圏のSCなどの精肉売り場を展開している大手専門店であり、ロピアもまた精肉関連の強みを持った食品スーパーである。ロピアとオーケーそれぞれの強みを生かした売場作りを行っているが、勿論その競争軸は「価格」にあることは言うまでもない。どんな価格帯で市場を制するか、プライスリーダー競争が始まっているということである。この競争から学ぶべきことの一つは、この2社に顧客は集中し、同一商圏内の他の小売業・専門店は大きな打撃を受けるということにある。
実は「価格帯市場」というキーワードを使ったのは今から2年半ほど前からであるが、ロピア対オーケーという競争軸がら見えてくることは、その価格が更に押し下げられ消費移動が始まると理解認識すべき点にある。
ライフスタイルの変化は「日常」、しかも「小さなこと」から始まる。その変化が一番わかりやすく出てくるのが「食」である。売れない雑誌にあって、発行部数を落とし続けてきた「レタスクラブ」は編集長を変え、それまでの料理における「こだわりレシピ」から「簡単レシピ」へと変更し、特に1ヶ月分の献立カレンダーは読者から好評を得ているという。あれこれ考えることなく、忙しい主婦の味方になっているように、「時短」コンセプトによる「使える雑誌・情報」に支持が集まっているからである。

そして、この「デフレを楽しむ」生活の知恵がやっと売れない雑誌をも立て直したということでもある。こうした傾向は郊外の主婦に向けた市場の中心的価値観の多くを占めているが、都市部のSCを中心とした「食」の分野も「低価格帯」とは異なるもう一つの市場が生まれてきている。そのリーダー的企業が成城石井であろう。低価格帯とは言えない市場であるが、それまでの輸入食品や生鮮品のこだわり食材に特徴を見出してきた成城石井であるが、一時期経営がおかしくなり、10年ほど前から立て直しが始まる。本店であった成城駅前店にはよく行くのだが、そこで立て直しの食として出会ったのが「パン」であった。勿論「手作りパン」であるが、こうした日常の小さな惣菜類に至るまで多くの「手作り食」を提供することによって売上利益ともに一つの軌道に乗せた経緯を記憶している。今成城石井が行っていることは「イートインスペース」が作られ成城石井らしさ、というライフスタイル感の創造の試みである。家庭で作るのは少々大変であるが、「こだわり食」をイートインでも食べることができるということである。雑誌レタスクラブのコンテンツであった「こだわり食」が成城石井であれは少し高い価格ではあるが、食べることができ。その食材を購入も勿論できる、そんなこだわりのライフスタイルの提供と言える。

成城石井のような都市型ライフスタイルの創造アプローチによる市場創造にはここ数年いくつかの企業が参入し始めている。その代表的企業が雑貨を本業とする無印とロフトである。取扱商品という側面からは「雑貨専門店」ではあるが、目指すところは成城石井と同様ライフスタイルの提供にある。この2社に足りなかったのが「食」でライフスタイルの提供には実は欠かせない商品となっており、どこまでやり切れるか注視していきたいと思っている。その無印であるがかなり以前から「食」についてはレトルトカレーなど販売してきているが、昨年秋に発売した「ぬか床」がヒット商品となった。しかし、発酵させるには時間がかかることもあって、今なお欠品が続いている。食は日常であり、欠品は致命的なことになる。ホテルに併設された銀座の店舗では弁当も取り扱っているようだが、単なる話題作りに終わらせないで欲しい。
一方、銀座ロフトもリニューアルを行い、その目玉としているのが「食」である。着眼としては無印と同様であるが、銀座ロフトの「ロフトフードラボ」では、ブランチやカフェタイムに、夜にはバーとしても利用できる約30席のイートインコーナー。素材にこだわった限定スイーツやフルーツドリンクを楽しめる一つのライフスタイルアプローチである。2社ともに言えることだが、単なるライフスタイルの演出ツールとしての「食」に終わらせないでほしい。

今回取り上げたのは価格帯市場の「今」とともに、もう一つのアプローチであるライフスタイルへの着眼。そうした競争市場が、同じ商圏内、同じジャンル内、更にはそうしたシェアーを得るべく軽減税率の対象となっている「食」を取り入れた競争が始まっているということである。2ヶ月ほど前のブログにも書いたが、乳製品を始め人件費や物流費の高騰により「値上げ」の春という表現を使ったが、6月になってもカップ麺など値上げが続く。こうした値上げは、消費税10%導入後の値上げは不可能であると考えているからである。政府のキャッシュレス化推進に合わせて各社の「ポイント」競争が展開されているが、この「お得競争」があらゆる業種・領域に浸透し、結果は当然であるが「デフレ」はますます深刻なものとなる。楽しめるデフレから深刻なデフレに向かうということである。500円ランチは400円になり、千ベロ酒場はおじさんだけでなく若い世代向けも含め一般化し手織り、その代表的な店が大阪ルクアイーレの紅白(コウハク)や「魚屋スタンドふじ子」である。中食は勿論だが、内食も更に進み、しかも「時短」でないものは売れなくなるであろう。一方企業の側もスーパーにおけるセルフレジのみならず、ユニクロのように購入商品をカゴに入れたまま精算支払いができる無人化も進む。経営体力のある企業は生き延びていくが、中小、特に家族でやっているような街場の飲食店は後継者もいないこともあってどんどん閉店していくこととなる。一時期話題となったTV番組「孤独のグルメ」に取り上げられた街場の名店も次々と閉店している。東長崎の「せきざわ食堂、江東区枝川の定食屋「アトム」、浦安にある静岡おでんが食べられるカフェ「Loco Dish」、私の自宅の近くにあった千歳船橋の「中華日和」も閉店したようである。名店と呼ばれた店ですらこうした状況にある。消費増税による影響は利便性の高い駅から離れた住宅地の商店街・商店からすでに消滅が始まっている。深刻なデフレとは、衰退ではなく、消滅へと向かうことである。

こうした購買力の低下に伴う市場・顧客変化が進むなか、少し視野を広げれば米中貿易戦争の影響が日本の産業界に押し寄せ始めている。それは両政府間の関税競争から、ファーウエイへのアンドロイドOSへの提供を打ち切ると発表したGoogleのように民間企業間に消費生活に直接その影響が出始めている。周知のようにソフトバンク始め、「5G」についてはファーウエイ排除へと動いており、至る所で影響は出てきている。勿論、その先にはAI(ビッグデータ)における競争、覇権争いがある。6月末のG20サミットが一つの山になると言われているが、簡単に終わる「戦争」ではない。両国とはその貿易面で密接な関係にある日本であり、「消費」への影響がどんなところに出てくるか注視していかなければならない。何が起こっても不思議ではないという時代に入りつつあるということだ。(続く)

   


Posted by ヒット商品応援団 at 13:08Comments(0)新市場創造