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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年09月18日

未来塾(37)「居場所を求める時代」 後半 

ヒット商品応援団日記No747(毎週更新) 2019.9.18.

今回の未来塾では作家五木寛之の「下山の思想」の時代認識を借りて、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」という視点をもって中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」の2つの街を中心に街を観察してみた。成熟した時代のマーケティングとして「居場所」に着眼したレポートである。



若い世代の居場所 「令和新道」 大阪ルクアイーレ バルチカ

「居場所を求める時代」に学ぶ



「居場所を求める」というと、何か無縁時代の孤立した人間の居場所のことが焦点になってしまいがちであるが、生を受けてから死ぬまで人は居場所と共に生きる。その居場所は1980年代以降、生活の豊かさと共に多様化し、居場所を求めて街に漂流する少女たちのような社会問題もまた生まれてきた。少し前には川崎無差別殺傷事件の時には、自殺した犯人が極度の引きこもり状態にあり、いわゆる「80 50問題」という少子高齢社会の構造上の問題について書いたことがあった。こうした居場所を求めたがかなわず引きこもるという社会問題も多発しているが、ここではそうした社会病理ではなく、ある意味人間が持って生まれた「本能」、「生きるために必要な」居場所探しをテーマにした。

ところで居場所の違いについて世代論があるが、もう一歩踏み込んだものは現象面としては多く取り上げられてはきたが、その価値観の違い、時代の共有感の違いを指摘するマーケティングは少なかった。今の若い世代を草食男子とか、欲望喪失世代とか、揶揄することはあっても、価値観を踏まえたまともに消費を論じることは少なかった。せいぜい会社の上司との飲み会は極力避けるといった程度であった。しかし、いわゆる「部活」の延長線上の「ノリ」で、数年前から新しい飲食業態として表に出てきた「バル」を始め、時間無制限、持ち込み自由で、約100種類の日本酒を飲み比べできるセルフ式店舗など新しいサービス業態の飲食業態も出てきた。勿論、従来のような「酔う」ために飲むのではなく、仲間などと他愛もないおしゃべりをすることが目的である。そのためのメニューであり、スタイルである。私が知り得る限り、その中でも成功を収めているなと実感したのが前述の大阪ルクアイーレ地下の「バルチカ」である。これが消費の視点で求められている「居場所」である。

20歳代より上の世代、結婚したての若夫婦、特に男性に現れているのが「フラリーマン」と呼ばれる仕事を終え、そのままダイレクトに帰宅せず、ひととき「自由時間」を楽しむという現象について取り上げた。つまり、「夫婦」という家庭関係を結ぶことによる新たに生まれる「不自由さ」やストレスの解消策である。私はこの現象を「一人になりたい症候群」と呼んでいる。最近では、キャンピングというとファミリーで楽しむのが普通であるが、リタイアした夫婦が軽トラキャンピングカーで全国を回る「老後」に注目が集まっているが、さらに新たな注目が集まっているのが一人キャンプ「ソロキャンプ」が増えてきているという。悪く言えば「自己中」であるが、一人用のキャンプ用品に人気が集まっている。2000年代初頭、「ひとリッチ」というキーワードと共に「一人鍋」に代表される個人サイズの商品が飛ぶように売れた時があった。同じような傾向がまた到来しているのであろうか。いや、少し異なる「傾向」が出てきている感がしてならない。その異なる傾向とは、年齢を重ねるに従って強くなる「我が人生」への思いであろう。いささか古い流行歌であるが、武田鉄矢・海援隊が歌う「思えば遠くへ来たもんだ」(1978年)の世界であろう。”故郷離れて40年、思えば遠くへ来たもんだ”という歌詞に表現されているように、人生を振り返る「時」があり、その時を思い起こさせてくれる場所、それが居場所にもなる。

「下山」の発想

作家の五木寛之は著書「下山の思想」(幻冬社刊)の中で、「下山」の大切さを説いている。下りる、降る、下る、下がる、・・・・・どこか負のイメージがまとわりつく言葉が「下山」である。五木寛之は「下山」とは諦めの行動ではなく、新たな山頂を目指すプロセスであるという。若い頃の登山とは違って、下山は安全に確実に下りるということだけではない。下山の中に登山の本質を見出そうという指摘をしている。
登山と下山では歩き方が違う、心構えが違う、重心のかけ方も違い、見える景色は変わってくると書いている。

「居場所」とは、人生における登山下山の途中にあって、立ち寄るいわば山小屋、平たく言えば休憩所のようなものである。入学、就職、離職、結婚、子の誕生、家族を始め、シニア世代であれば病気もあれば社会問題となっている「80 50問題」もある。人生の節目となるような新しい関係を結ぶ時、期待と不安が入り混じることがある。所属した組織にあって、楽しいことばかりではない。パワハラや挫折は勿論のこと、苦しみもあり、時に怒り喧嘩もするであろう。そんな時に立ち寄る場所、そんな居場所こそ登山とは異なる下山の「歩き方」に気付くということである。過剰な情報がものすごいスピードで行き交い、ストレスが増幅する時代にあって、歩みを止め、ひと時深呼吸、今一度周りの風景を見渡し、さて次はどの道を歩こうか、そんな思いが生まれるのも「居場所」である。

記憶の中の居場所

ところで故郷は心の居場所として誰もが持っている場所である。例えば、物心ついた小学生にも故郷はある。その多くの場合故郷はまずは生まれ育ち学んだ小学校であろう。しかし、少子化社会にあっては周知のように学校は統合が進みどんどん廃校となっている。故郷は「思い出」の中にしかなくなっているのが今の日本である。
そうした時代の変化によって失っていく心の居場所であるが、ちょうど10年前NHKの「拝啓 旅立つ君へ」という番組が放送された。それはミュージシャンアンジェラ・アキと中学生との交流を描いたドキュメンタリー番組であるが、いじめや友人との確執、担当教師との溝、悪グループへの誘惑、誰もが一度は通る世界であるとはいえ、アンジェラ・アキの創った「手紙」に共感する中学生に、団塊世代である私もああ同じだったなと印象深く最後まで見てしまったことを覚えている。そのアンジェラ・アキの応援歌の一説に次のような詞がある。

「大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけれど
苦くて甘い今を生きている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じて歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう」

アンジェラ・アキが投げかける「ありのままの自分でいいじゃないか」とは、時に疲れたら少し休もうじゃないかと「ガンバラないけどいいでしょう」(2009年リリース)を歌った団塊世代の吉田拓郎のメッセージとどこかで繋がっている。中学生も大人も、情報の時代という凄まじいスピードに、生き方までもがからめとられてしまう時代にいる。過剰さは情報やモノばかりではない。生き方までもが知らず知らずの内に過剰になってしまう。つまり、登山でも下山でも道草ではないが時に休んでみよういうことである。

追いかけすぎることはいけないんだね
 この頃ちょっとだけ悲しくなり始め
 君に会えるだけでいいんだ幸せなはず
 自分のことを嫌いになっちゃいけないよね
 もっともっと素敵にいられるはずさ
 眩しいほどじゃなくてもいいじゃない
 気持ちを無くしてしまった訳じゃない
 掴めそうで掴めない戸惑ってしまう
 でも頑張らないけどいいでしょう
 私なりってことでいいでしょう
 頑張らなくてもいいでしょう
 私なりのペースでもいいでしょう  
  
「ガンバラないけどいいでしょう」 作詞作曲 吉田拓郎

自分確認の時代

家族から個人へ、という潮流は再び家族へという揺れ戻しがあっても、その方向に変わりはない。この個人化社会の進行は常に「自分確認」を必要とする時代のことである。その最大のものがSNSにおける承認欲求であろう。どれだけフォロワーを作れるか、「いいね」をどれだけ集められるか、ひと頃の騒々しさはなくなってはいるが、誰もが「承認」してもらいたい、認めてもらいたい、そんな欲求は変わらない。しかし、自分確認どころかネット上にもいじめや嫉妬は渦巻いている。しかも、今やネット上のSNSには虚像・虚飾でないものを探すのが難しいほどである。現在を「アイデンティティの時代」と呼ぶ専門家もいるように、実はこうした過剰な情報によって「私」が見えなくなっているからである。「私」というアイデンティティが鮮明にならない、他者から「あなたは〇〇よ」と言ってほしい、その一言で安心したい、そんな時代である。

そんな時代に生まれてくるのが2つの「記念日」市場、自己を褒め、ある時は慰めるといった「自己(確認)投資」市場。もう一つが他者との関係において生まれてくる「関係(確認)投資」市場。つまり、確認しないと不安になる、そんな新しい市場である。ひと頃「自分史」に注目が集まったが、一枚の写真であったり、前述の手紙の場合もあるであろう。いつかこうした「自分確認市場」についても未来塾で取り上げる予定である。

「回帰」という心の居場所

ブログでは何回となく社会に現れた「回帰現象」に着目してきた。この現象が起きる背景には、大きな壁が立ちはだかったり、今までとは異なる問題が生まれたり、一つの「節目」の時に現れてくる。2009年一斉に消費の舞台に回帰現象が出現したのも、周知のリーマンショックの翌年である。、大きな危機に直面した時、まるで揺れ戻したかのように「過去」に「自分」に帰ってくる、そうした傾向が強く特徴的に消費市場にまで出た1年であった。
実はこの「回帰」は心の居場所でもあり、悩みや挫折をひと時和ませてくれるものである。少し前にこの「回帰」とは無縁な事件が起きた。あの川崎無差別殺傷事件の犯人岩崎隆一のプロフィールであった。犯行後公開された犯人の写真は中学時代のもので、犯行当時は51歳でそれまでの社会との接点・痕跡がほとんど見えてこなかった。いわゆる「引きこもり」状態が長く続いた結果であった。この「引きこもり」とは私の理解でいうと、回帰したくてもできない状態のことでもある。幼少の頃両親は離婚し、叔父夫婦に預けられ育つという「家族」のない人生であった。心の居場所がないまま、人生を歩んできたということである。
この事件の場合は帰るべき「家族」を持たない環境であったが、周知のように内閣府の調査によれば引きこもりは100万人であり、その中心は40歳代、つまりバブル崩壊による就職氷河期の世代であることがわかっている。政府もやっとこの世代に対し、就業支援策を講じることになった。
話が少し横道に逸れてしまったが、家族を持たない人にも帰るべき居場所は沢山ある。例えば、養護施設を始め、ある意味フリースクールなんかも心の居場所になっているであろう。

「成熟」時代の登山と下山・・・・新しいマーケティングの物差し

「成熟」とは戦後の生きるための「モノ充足」を終え、生きるための物質的充足ではなく、生きがい充足を求める時代に入ってきたことを指す。それはモノ不足時代を超えてきたシニア世代固有のことではなく、モノ不足を経験してはいない若い世代にとっても「どう生きるか」というテーマが求められており、時代の大きな潮流は同じような傾向を示している。その証左であると思うが、昨年のベストセラーの一冊である「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)にも顕著に出てきている。実に80年前の児童書が漫画という読みやすくなったこともあって152万部を超えている。
最近ではあのイラストレーターの黒田征太郎が「18歳のアトム」(今人舎(いまじんしゃ刊)という絵本を出版し注目されている。周知のように手塚治の鉄腕アトムは歳を重ねないまま人間のために活動する。実は手塚治虫の「アトム大使」の初出版の時には異なる描かれ方をしていたとコミック原作者である大塚英志氏は指摘をしている。

『アトムは宇宙人から「きみもいつまでも少年でいてはいけない/今度会うときはおとな同士で会おう」と言われ、「おとなの顔」をしたパーツを与えられるのだが、この場面は手塚治虫自身によって削除されている』と。
今回の黒田征太郎の試みは、「おとな」の入り口である18歳のアトム、人間の命を与えられたアトムとして描かれている。勿論、それまでの超人的な力で地球を守ることができなくなるが、仲間となった人間の力を信じ、前を向く姿を描いた若い世代に向けた物語である。こうした物語づくりの着眼発想も、「下山」から見える日本の景色を表したものと言えよう。つまり、子供のままのアトムから大人のアトムへと変わることこそ下山の思想から生まれたものであろう。「18歳のアトム」という若い世代へ、どう生きたら良いのかというメッセージである。

「マーケティング」と言うと、どこか新しく市場を創ることから頂上を目指す「登山」をイメージするが、「下山」と言う着想から見ていったらどうなるであろうか。「居場所」と言う着想は、物質的な豊かさの先に見えてきたものである。これまでの「デフレからの脱却」、「新しい業態の模索」、「価格を超えるものとは」、「顧客視点のAI活用」・・・・・・・どれも必要なテーマではある。しかし、視点や発想を変えてみてはどうかと言うことである。少し前のブログに「デフレを楽しむ」と言う消費像をテーマに書いたことがあった。消費者にとってデフレとは楽しむことであって克服することではない、と言うことである。マーケティングがすべきことは、どう楽しんでもらうかが課題となると言うことであった。もっとくだけた表現をするならば「デフレを遊ぶ」と言うことである。従来の発想からは、例えば「お試し価格100円」と言う購入を促す試みを、「自慢価格100円」、あるいはいきなりステーキではないが「いきなり100円」とか、ニトリではないが「お値段以上の100円」とか、「安いだけの100円」とか・・・・・・・。

つまり、物を売る、サービスを売る、価格で売る、イメージで売る、こうした発想からどうしたら居場所がつくれるかを発想の根底に置いてみようと言うことである。遊び心、おもしろ感、おしゃれ、いい加減、お茶目、洒落っ気、ユーモア、それらをコンセプトに沿ってアイディア溢れたものにすると言うことである。
この未来塾で公開したビジュアルについてはできる限り参考になるようなものとしてきた。例えば、一度公開した店頭看板は大阪なんば道具屋筋にある食堂の写真である。専門とか、限定とか、ここだけ、といったありきたりの「違い」ばかりがマーケティングの中心にある時代から、ちょっと外れた発想である。いや外れたというより「何を言ってるんだよ」と言わんばかりの店の自負を感させるようなメッセージ「普通の食堂 いわま」が目に止まった。勿論、どんな「普通」なのかを確かめたくてランチを食べたのだが、「普通」のメニュー・美味しさであり、ボリュームも価格も大阪では普通であった。が、食後の満足感は「普通以上」であった。11時半に店に入ったが、次から次へと客は来店し、すぐに満席になった。なるほどな、自信の表現としての「普通」の意味ががわかった。これも「下山」的発想によるものと言えなくはない。

消費増税への対応にも「下山」の発想

10月の消費増税を前にして、ポイントを始めお得競争が始まっている。特に、政府の主導によるキャッシュレス決済では、このポイント競争が激化している。面白いことにこのキャッシュレス決済について大手コンビニチェーン3社は増税される2%還元分を即時還元、つまり実質値引きすることを決めたと発表があった。単純明快、消費者にとってわかりやすい「お得」である。理屈はいらない、その場で2%値引きしますと言うことだ。小売業的発想であり、軽減税率という複雑でわかりにくい、しかもポイント利用も事業者任せ、と言った消費環境にあって「お得」はわかりやすさが一番である。この「わかりやすさ」こそ下山的な消費理解ということだ。

ところで増税対策の一つが顧客の固定化・回数化利用を促進するためにポイントという「お得」手段は必要ではあるが、中長期的な視野に立てば今一度基本に立ち帰ることも必要である。つまり、下山的発想もまた必要と言うことである。顧客との関係はどうか、「お得」だけで長続きするであろうか? いや更に関係を強くできないだろうかと言うビジネスの基本である。
但し、これはビジネスの側の論理であって、顧客は、消費者は誰も囲い込まれたりすることを望んではいない。いいなと思うから回数を重ねるのだ。この原則を忘れてはならないということである。

成熟=豊かさの時代は多様な「居場所」にどう応えるかである

ところで「居場所」は下山的発想から生まれたと書いた。居場所とは、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」によるマーケティングのことを指す。今回居場所文化というものがあるとすれば、中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」をその事例として取り上げてみた。再開発から外れ、マスメディアの注目を浴びることもなく、しかし文化は熟成してきた。戦後の東京にはいくらでもあった居場所であったが、今や数少ない一角となった。戦災を免れた東京の谷根千は観光地となり、吉祥寺のハーモニカ横丁が若い世代の人気スポットになったように、それまでの街の歴史から生まれた「文化」が顧客を惹きつけている。
東京高円寺を取り上げた時、その象徴としてスターバックスもタワーマンションもない地域であると書いた。暮らしやすい街として高円寺を観察したが、いわゆる古くからの喫茶店、落ち着くことはできるが決しておしゃれとは言い難いオールドスタイルの喫茶店も多く、実は地元の人にとっては居心地の良い場となっている。そのスターバックスも同じような標準化・規格化された店づくりとは別に席を予約できる業態、マイカフェサービス業態を銀座に誕生させている。これもお気に入りの場となるための一つの手法であろう。「豊かさ」とはこうした多様な「居場所」を創る時代になったということである。

「過剰」こそ見直すべき問題

「居場所」というテーマ・切り口で今という時代を街を見てきた。下山の発想、高速道路を降りて一般道を走ることを勧めたが、間違いなく消費増税直近の過剰な「お得競争」という景色が見えてきたと思う。過剰に重なり合った「お得」という皮を一枚一枚剥がしていくことを是非提言したい。それは今一度顧客を見つめ直すことであり、それ以外に「過剰なお得対策」はない。
消費増税まで1ヶ月を切った。軽減税率、キャッシュレス決済・ポイント付与など複雑でわかりにく制度が施行される。大手コンビニチェーンはキャッシュレスによるポイント付与ではなく、ポイント分をその場で値引きすると発表があったが、これは正解である。思い返せば消費税3%を導入した時、最初に会員に対して消費税分3%を値引きしたのはあのスーパーのオーケーであった。そして、3%から5%に引き上げられた時、消費税増税分2%還元値引きセールで圧倒的な顧客支持を得たのはイトーヨーカドーでありイオンであった。8%の時はどうであったか、激しい駆け込み需要が起き、その落ち込みの回復には多くの時間を要した。こうした消費増税に対する「消費反応」を見ていけばわかるように「わかりやすさ」が一番である。
今のところ大きな駆け込み需要は起きてはいない。過剰な広告ほどキャッシュレスも進んではいない。ここ数年の消費の潮流である「デフレを楽しむ」ことはますます拡大・進化していくことが予測される。勿論、このデフレを促進させているのは消費増税である。

引き算の暮らしと引き算の経営

実は駆け込み需要が無い点などこうした消費増税への消費者の対応については至極当然なこととしてある。顧客の側のライフスタイルの価値観が既に変わってきているということにつきる。シンプルライフ、断捨離、・・・・・消費増税から生まれた巣ごもり消費のキーワードが「身の丈消費」であった。こうした消費態度は10数年前からじわじわと浸透してきた。その消費は顧客自身が「過剰」を削ぎ落としてきたということである。つまり、バブル崩壊以降「足し算」から「引き算」の暮らしに進んできたということである。今回のテーマに沿っていうならば、顧客自身は下山途中にあるということだ。顧客は山を下りながら賢明な眼を持って周りの経済や社会、更には消費風景を見ているということである。
そして、居心地の良い休憩所ではひとときお金を使う。その代表的な若い世代・女性の居場所の一つがスターバックスであろう。スタバは生活に必要な休憩所では無い、好き、素敵、に代表されるような心理的な心地良さが女性を魅了している。ただし、居場所づくりに成功したスタバではあるが、今回の10%増税でどんな変化を見せるか注視したいと考えている。

飲食の場合、周知のように居場所には10%の税がかけられるが、テイクアウトは8%である。店内飲食の客数はどの程度減少するか、テイクアウト客は増えるのか、それとも変わらない客数となるのか、この差2%の意味・消費行動を分析したいと考えている。スタバを例に挙げたが、他の複合業種も同じ価値観の延長線上にある。マクドナルドも、吉野家も、勿論コンビニも、・・・・・・各社軽減税率に対し仮説を持って準備していると思うが、どのような結果が出るかによって、根本となる業態のあり方に変化をもたらすかもしれない。
つまり、削ぎ落としてもなお顧客が求めるものは何か、それをいち早く見出し確認することである。こうした削ぎ落としの消費にあって、大きな顧客支持を得ている商店街も商店もメーカーも厳然としてある。ただ、顧客の削ぎ落としに合わせて経営もまた削ぎ落とすということは基本である。何故なら、消費増税によって顧客の削ぎ落としは更に進んでいくことが予測される。従来のモノはどんどん削ぎ落とされていくが、今回指摘をしたように、こころの休息、道草が必要な時代となっている。勿論、これから居場所もまた変化していくと思う。どんな変化を見せていくかまた観察していくつもりである。






  
タグ :令和新道


Posted by ヒット商品応援団 at 13:22Comments(0)新市場創造

2019年09月15日

未来塾(37)「居場所を求める時代」前半   

今回の未来塾では作家五木寛之の「下山の思想」の時代認識を借りて、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」という視点をもって中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」の2つの街を中心に街を観察してみた。成熟した時代のマーケティングとして「居場所」に着眼したレポートである。




消費税10%時代の迎え方(6)

居場所を求める時代

成熟時代の街もよう、人生もよう、
下山から見える消費風景


「中野」と言えば、JR中野駅北口に聳え立つ「中野サンプラザ」を思い浮かべる人は多い。その中野は今大きく変わろうとしている。中野のランドマークとして知られてきた中野サンプラザの老朽化に伴い補修か、それとも新たな施設の建築か、中野区民を中心に多くの論議を重ねてきたが、跡地には新たな施設を造ることが決まった。「何」をどうつくるか区民の声を聞き、それらを元にプロジェクトが動くこととなるが、いずれにせよ、中野駅中心の街が大きく変わることとなる。

中野サンプラザというと、日比谷の野外音楽堂や日本武道館と並び、コンサート会場として人気のある大ホールを有した施設であるが、その歴史を遡ると東京の街の再開発の歴史そのものであったことがわかる。中野サンプラザは1973年旧労働省所管の特殊法人だった 雇用促進事業団によって、雇用保険法に基づく勤労者福祉施設として建設された。正式名称は「全国勤労青少年会館」だった。
駅前という好立地であったこともあって利益が見込まれる施設であることから「株式会社まちづくり中野21」に52億9987万円で売却された。同時に設立された「株式会社中野サンプラザ」が2004年(平成16年)12月より運営を開始する。

この中野サンプラザと共に知られてきたのが中野サンモールという商店街である。駅北口からほぼ真北へ延びる全長224メートルのアーケード商店街で、約110店が営業している商店街である。このアーケードの先には中野のサブカル、中野ブロードウェイがある。今や秋葉原と共にサブカルオタクの2大聖地に発展したが、中野ブロードウェイはある意味寂れた商店街であったが、1982年に初めて周知の「まんだらけ」の1号店が出店したことから一大サブカルの集積地となる。まだ、当時の古い商店や倉庫などが残っているが、オタクの聖地らしく、独特な雰囲気が醸し出された空間となっている。

ところで、冒頭の写真はこの中野サンモールの東側に広がる一帯の写真である。「サンモール裏」といった表現で何度か飲食しに行ったことがあったが、実は正式な名称があって「昭和新道商店街」となっている。中野駅を背に、左側には中野サンプラザ、真正面には中野サンモール、そして右側には昭和新道商店街という構図である。
「昭和新道」という名称を誰がつけたか知らないが、物の見事にこの一帯を表している。そして、「新道(しんどう)」とは表通り(中野サンモール)に対し、新たにつくられた道であり、まさに横丁、路地裏、小路のことである。戦後造られた道ということもあって、道は合理的な直線で整理されたものではなく、曲がりくねった道ではないが、それでも画一的な小道ではない。こうした場所は戦後の東京には至る所にあったが、再開発の中で残ったところは少ない。

中野駅周辺はこれから先2030年代にかけて大きく変わると書いたが、南口には2棟の高層ビルが計画されており、またJR中野駅駅舎も変わり、南北通路と共に新たに西口という導線が出来、それまでのランドマークであった中野サンプラザから駅南側まで、中野駅一帯が新たな「街」として誕生する計画だ。街の変化は、住民が、そこを訪れる生活者やビジネスマンが創るものである。「何」を残し、「何」を変えていくのか、この中野エリアはそうした意味でわかりやすくその変化を見せてくれている。
勿論、「何」を残していくかの中心に、この「昭和新道」がある。

時代が求める「居場所」探し

ところで「居場所」とは何かであるが、それは2つの意味を担っている。1つは物理的な生活の場としての居場所であり、もう一つは心理的な「私」の場所としての空間。こうした2つの視点から時代を見ていくと、ある意味「豊かさとは何か」、「変化する豊かさ」が見えてくる。その象徴の一つが社会の基本単位、帰属する居場所である「家族」の変化である。1970年代以降家族で一緒にTV視聴していたお化け番組『8時だョ!全員集合』は1985年10月に終了する。それまで大部屋で生活していた家族は収入も増え豊かさと共に子供には個室があてがわれ、1990年代以降核家族と呼ばれるようになる。私の言葉で言えば、個人化社会が本格的に始まり、同時に多くの社会問題も現れてくる。
こうした従来の「家族」が心理的にも崩壊したのは1990年代初頭のバブル崩壊によってであるが、社会現象として現れてきたのは1990年代半ば以降居場所を求めて街を漂流する少女達であった。夜回り先生こと水谷修氏が少女達を助けるために夜中の街を歩き声をかけた時代である。家庭にも、学校にも居場所がなかった少女にとって、同じような「思い」をする仲間が集まる街、特に渋谷は自由になれる心地よい居場所であった。勿論、それは大きな危険をはらんだものであった。薬物中毒、援助交際、・・・・・・・・少女達にとっての「自由」と引き換えに得たものは大きな代償痛みのあるものであった。当時流行っていたキーワードは「プチ家出」で、こうしたことは今なお続いている。

こうした社会的な問題の時代を経て、2000年代に入ると「隠れ家ブーム」が起きる。ブームの発端は、マスメディア関連の業界関係者が自分だけのお気に入り店として都心の六本木から少し外れた霞町近辺の小さな飲食店に集まったことから始まる。この隠れ家ブームの先には、キャリア女性を中心に「ひとリッチ」と呼ばれるおひとりさま歓迎のメニューが単なる飲食店だけでなく、海外旅行を含め多くのサービス領域まで広がることとなる。このように時代の変化と共に「居場所」探しは消費の中心テーマとなってきた。

今、働き盛りの世代、それも既婚男性が仕事を終え自宅にストレートに戻らずに一種の「自由時間」を楽しんでいる人物「フラリーマン」が増えている。これはNHKが昨年9月にこのフラリーマンの姿を「おはよう日本」で放送したことから流行った言葉である。
都市においては夫婦共稼ぎは当たり前となり、夕食までの時間を好きな時間として使うフラリーマンであるが、書店や、家電量販店、ゲームセンター、あるいはバッティングセンター…。「自分の時間が欲しい」「仕事のストレスを解消したい」それぞれの思いを抱えながら、夜の街をふらふらと漂う男性たちのことを指してのことである。
実はこうした傾向はすでに数年前から起こっていて、深夜高速道路のSAに停めた車内で一人ギターを弾いたり、一人BARでジャズを聴いたり、勿論前述のサラリーマンの聖地で仲間と飲酒することもあるのだが、単なる時間つぶしでは全くない。逆に、「個人」に一度戻ってみたいとした「時間」である。私はこうした心理を「一人になりたい症候群」と呼んでいる。いわばひととき「自由人」である。
1990年代後半、街を漂流した若い少女にとっても、フラリーマンにとっても、社会に生きる上での約束事・規則、あるいは常識も含めた「べき論」から離れたい心理は共に同じである。極端かもしれないが、プチ家出も、街をふらつくことも同じ心理ということだ。理屈っぽくいうならば、自分を見つめ直す時間が必要ということである。つまり、頑張りすぎないことが必要な時代であるということでもある。
最短距離を歩くのではなく、目的のない散歩といういわば「道草」が必要な時代であるということだ。

道草には横丁路地裏が似合ってる

「道草」とはたまには高速道路を降りて一般道を走ることに似ている。それまで目にすることがなかった景色が現れてくる。道草はそんな未知を楽しむことである。冒頭の中野の昭和新道もそんな道草のできる路地裏である。中野サンプラザが輝いていた時代も、中野ブロードウェイの衰退とサブカルの復興による賑わいも、また面白いことに中野ブロードウェイの先、北側には西武線新井薬師前駅につながる商店街もある。
前回の未来塾で取り上げた高円寺とは一駅新宿寄りの街であるが、同じ中央線沿線にも関わらず、街の生業は大きく異なる。高円寺が阿波踊りをはじめとした庶民文化が根付いた街であり、10もの昔ながらの商店街が今なお元気であるのに対し、中野は住宅地というより中野サンプラザや中野ブロードウェイといったテーマを持った商業施設の街という特徴以外には注目されることのない街である。南口にはアパートなどの住宅地もあるが、他には明治大学の中野キャンパスとオフィスビル・・・・・ある意味特徴のない街として話題になることもなく見過ごされてきた街である。

実は中野には街の激変の歴史が残る商業施設がある。あの中野マルイである。周知のように小売業としては1972年創業の丸井はこの中野駅南口が創業の地である。周知のようにDCブランド、ファッションのマルイとして一時代を画したが2007年に中野本店を閉店する。再び2011年1月にオープンするのだが百貨店型の商業施設から、いわゆるテナントの編集によるショッピングセンター方式への転換が図られた店舗運営とその商業構成となっている。ちょうど同じ中央線にある吉祥寺の百貨店の撤退と他の業態への転換と同じ構図となっている。ここでは百貨店業態の衰退について触れることはしないが、一言で言えばマルイもテナントによる賃料収入によって経営を行ういわゆるデベロッパー型小売業へと転換したということである。消費の変化を映し出すのが商業の本質であることを証明している。

また、中野が吉祥寺と同じ「構図」であると指摘をしたのも、吉祥寺駅北口に残るハーモニカ横丁、昭和の匂いのするレトロな飲食街が数年前から若い世代の「観光地」になっており、中野駅北口一帯の「昭和新道」と同じである。それまでの商業施設が「消費」によって大きく変わり、撤退や閉鎖、あるいは新たな業態や店舗が誕生し、街も変化していく。そうした変化を促す「消費」にあって、吉祥寺北口のハーモニカ横丁も、中野北口の昭和新道も、まさに「昭和」が色濃く残る一帯である。

ところで昨年秋から人気が急上昇のTV番組の一つに『ポツンと一軒家』(ABCテレビ制作)がある。日本各地の離れた場所に存在する一軒家に暮らしている人物がどのような理由で暮らしているのかを衛星画像のみを手がかりにした上でその場所に行き、地元の情報に基づいて一軒家を調査する内容である。NTV系のライバル番組『イッテQ!』を上回る17〜18%の高視聴率を得ているという。無人駅の利用者を調査するTV番組もあり、表舞台には決して出てこない暮らし、いや人生そのもへの興味関心が高まっている。そうした意味で、今なお「昭和」を感じ取れる街は実は貴重なものになっているということだ。単なる懐かしさを感じ取る観光地としての「それ」だけではなく、「人生」探しが始まっているということである。つまり、人生には道草もまた必要である、ということだ。

「昭和」という飲み屋街

街は常に変化するものであると実感してきたが、これほどまでに変化の跡を残さない街も珍しい。まるで昭和時代にタイムスリップした街、昭和40年代の飲み屋街を再現したらこんな飲み屋街になるであろう、そんな映画のロケセットを歩くかのような街並みである。ロケセットという表現をしたが、実は戦後の東京の街にはどこにでもあるありふれた風景である。今や訪日外国人の観光スポットになってしまった。例えば、新宿ゴールデン街や思い出横丁、あるいは有楽町のガード下の居酒屋などは今や訪日外国人の観光スポットになってしまったが、ここ「昭和新道」を訪れる顧客がまだ昭和の人間であるところは珍しい。吉祥寺のハーモニカ横丁を比較事例に出したが、夜のハーモニカ横丁には若い20〜30代が多く、顧客はといえば世代的には平成世代の他の地域からのいわば観光客である。昭和というレトロスタイルに新鮮さを感じ取りたい世代の街となっている。

中野ブロードウェイの東側の道筋であるふれあいロード一帯を昭和新道商店街と呼んでいるが、いわゆる商店街活動はほとんどなされてはいないようだ。ただ、この一帯の主とした飲食店のガイドがHPに乗っているので覗いてみると、スナック、Bar、立ち飲み、ギターで歌える店、小料理、パブ、・・・・・・業種的にはこうした店であるが、そのほとんどが小さなスナックで全体の半分以上を占めている。しかも歌えるスナックが多く、そういえば昭和40〜50年代のスナックが皆そうであったことを思いださせてくれる。
昭和の人間にとって懐かしいBARの一つが「サントリーパブ ブリック」である。確か若い頃渋谷センター街のブリックで時々飲んだ記憶があるが、まだ中野には残っていることに少々驚かされた。サントリー系のカウンター中心のBARで木を多く使った落ち着いたオールドスタイルのBARである。今なお価格も安く多くの常連顧客に愛されているようだ。
飲み屋街ではあるが、最近話題となった「孤独のグルメ」Season7で紹介された焼き鳥の「泪橋 (なみだばし)」がある。店名の由来は店主が週刊少年マガジンに連載された漫画「あしたのジョー」のフアンであったことからつけたようだ。主人公矢吹ジョーが通うボクシングジムがあった山谷ドヤ街泪橋である。
そして、安くて美味しい立ち寿司横丁や中野にぎにぎ一本館といった立ち食い寿司の店が数多くある。勿論、スナックの多くを飲み歩いたわけではないが、この「昭和」はその名の通り「安い」が基本となっている。ただし、吉祥寺のハーモニカ横丁と比較し、情報的にはほとんどガイドされていないため、若い世代にとっては「閉じられた昭和」であり、観光地化には程遠い。ただ数年先には中野の街も大きく変わることとなり、その機に若い世代も閉じられたドアを開けるようになるかもしれない。

東京のザ・下町「深川」



江戸(東京)は周知のように東京湾を埋め立てて造られた都市で、江戸慶長年間に深川八郎右衛門が現在の森下町に本拠をおいて、深川村の埋め立て開発を始めたことに由来したとされている。
東京に長く住む人にとって「深川」は江戸時代からの歴史のある下町という認識である。地方の人の理解としては、江東区の隅田川までのデルタ地帯西半分を占めるエリアの総称として深川という名称を使う場合が多い。そして、現在では深川の中心の街としては門前仲町(地下鉄東西線、都営大江戸線)が挙げられる。その門前仲町の知名度は江戸三大祭りである浅草寺、神田明神、そして門前仲町には富岡八幡宮がある。更には成田山新勝寺別院があり多くの参詣客が訪れることから知られた地名となっている。
その成田山新勝寺は天慶三(940)年と古く、平将門の乱を平定する祈禱所としてつくられたが、武士の間では知られていたものの江戸っ子にはあまり知られたお寺ではなかった。しかし、元禄十六(1740)年に成田山が深川八幡で「出開帳」という出張をする。ここから成田山ブームが起き、江戸で当代一の人気者、初代市川団十郎も成田山を信奉し、団十郎人気と相まって大人気となった寺である。(ちなみに市川団十郎の成田屋という屋号もここから由来している)
この成田山新勝寺別院に向かう参道があり、その両側には浅草寺の仲見世のような飲食店やお土産を販売する店が並んでいる。浅草寺と成田山新勝寺別院を単純に比較することは難しいが、浅草寺が平安時代に創建され鎌倉時代の「吾妻鏡」に出てくる歴史と比べ、成田山新勝寺も同じ平安時代の中期の平将門の乱から生まれたお寺である。深川にある「別院」の位置づけが、いわば出張の場であるという違いが大きく出ており、参道の長さや商店の密度、あるいは浅草寺には雷門というランドマーク・顔あり、深川のゲートには「人情深川ご利益通り」と書かれた看板があるだけとなっている。

もう一つの「昭和新道」

雷門から浅草寺に至る仲見世に較べれば小さなものだが、土産物店や露店が並ぶ。この仲見世の西側の外れの路地裏に「辰巳新道」がある。この辰巳とは江戸の東南(辰巳)の方角にあったことからで、当時は岡場所があって、遊女と並んで人気のある芸者がいたことから辰巳芸者という名前が残っている。そんな花街の風情を感じさせる一角である。
ところでこの深川門前仲町一帯も戦災に遭い、上野や新橋と同様闇市から街もスタートする。その闇市から生まれたのが辰巳新道である。この辰巳新道はわずか50メートルほどのまさに路地裏・小路で、小料理屋など飲み屋が30軒以上ひしめき合っているそんなザ・下町の「昭和新道」である。



写真は昼と夜の辰巳新道であるが、言うまでもなく夜の街である。中野の昭和新道の写真と比較するとわかるが中野がスナックの飲み屋街であったのに対し、辰巳新道のそれは小料理屋といった「和」の飲食店街である。
辰巳新道にも孤独のグルメで注目された「やきとりの庄助」もあるが、門仲にはやはり美味しい煮込みを食べさせてくれる大阪屋が一番とする煮込みオタクが多い。私の場合はそれほどのオタクではないが、神田淡路町にある東京で一番古い大衆酒場の「みますや」、新橋の「大露路」、秋葉原の「赤津加」、十条駅前の「斉藤酒場」・・・・・・なぜか吉田類の「酒場放浪記」になってしまうが、辰巳新道には地元の人たちから愛されてきた飲食店が多い。
深川門前仲町という狭い市場にあって、これほど「昭和」が圧縮されている街は珍しい。日本全国、昭和をテーマとした町おこし、文化起こしがあるが、中野の昭和新道のところでも書いたが、丸ごと映画のセットになってしまう、そんな路地裏である。

若い世代の居場所、「令和新道」

2つの昭和の「居場所」を観察してきたが、居場所を求めることはポスト団塊世代以上のシニア世代固有のことではない。前述のフラリーマンの一人になりたい「自由人症候群」という居場所を求める行動もあるが、もう少し若い20歳代もまた「集い合う居場所」もまた求められている。しかも、アルコール離れ世代と言われてきたが、アルコールの有無ではなく、目的は「場」そのものを必要としていることがわかる。その代表的成功事例が未来塾でも何回か取り上げた大阪駅ビル「ルクアイーレ」の地下にある「バルチカ」という飲食街である。中でも今なお行列が絶えないリード役を果たしているのが「紅白」と「ふじこ」の2店である。1年半ほど前の未来塾ではその成功要因を次のように書いた。

『デフレが常態化した時代の「食」というキラーコンテンツには鮮明な「価格帯市場」とでも呼ぶに相応しい現象が現れている。まず新バルチカとフードホールについてであるが、バルチカ成功の先導役を果たしてきたのが入り口にある洋風おでんとワインの店「コウハク(紅白)」である。何回かブログにも取り上げているので価格だけを紹介すると、グラスワイン380円、名物の洋風おでん180円と極めて手軽な価格帯となっている。
この新バルチカでもう一店行列の絶えない店がある。前述の鮮魚店が経営する「魚やスタンドふじ子」も同様の安い価格帯となっている。店頭のサイン看板には「海鮮が安いだけの店」とある。
京橋では当たり前となっている「昼飲み」がここ梅田の駅ビル地下で推奨されているのだ。日本酒はコウハクと同じ価格の380円。
肴も380円を中心に200円台から高くても500円台。種類も豊富で店は若い男女で満席である。』

何事も体験してみないとわからないというのが私の方針なのでその「紅白」にも一人でカウンターに座った。勿論、定番のワインと洋風おでんを食べたのだが、周りの若い世代は「飲み食い」ではなく、ワイワイガヤガヤ「喋りまくる楽しさ」にお金を払っているということを感じた。30分ほどで異物であるオヤジは退散したが、いわば部活の後のミーティングといった感じであった。そうした「居場所」のハードルの第一は彼らにとっても財布との相談で「納得価格」ということであった。
もし、このバルチカにキーワードとしてネーミングするとすれば「平成新道」とでも表現したくなる。バルチカの誕生は平成であるが、予測するに「令和新道」として呼称されるであろう。そして、ルクアイーレの地下のバルチカも見事なくらい路地裏横丁である。
また、若い世代の居場所として以前少し触れたことがあったが、梅田お初天神裏参道も同じである。自ら「裏参道」というように、お初天神に向かう商店街の横丁路地裏の飲食街である。前述のバルチカと同じようなスタイル、露店・屋台風の店づくりで、これも若い世代の一つのスタイルとなっている。(後半へ続く)






  
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2019年09月11日

混乱税率の10月を迎える

ヒット商品応援団日記No746(毎週更新) 2019.9.11.

この1ヶ月ほどブログの更新が途絶えていたが、あと数日ほどで未来塾で今後の新しいマーケティングの発想をレポートする予定である。ただその前に10月に導入される消費増税は予測以上の混乱が待っている。この混乱をどう顧客に対し応えていくか書いてみたい。
半年ほど前にも今回の消費増税の問題点を指摘した。軽減税率とキャッシュレス化推進のためのポイント還元制度である。当たり前のことだが、税は公平さとわかりやすさが大前提となる。今回の消費増税はこの「わかりやすさ」が決定的に欠けている。いや、欠けているどころか税の負担感を少なくする「軽減」がこの「わかりにくさ」=混乱を招いているということである。更にキャッシュレス化を推進するために行うポイント還元もこのわかりにくさを増幅させている。こうしたわかりにくさを持ち込まないために、特に飲食業の場合店頭での店内飲食かテイクアウトかを確認することが推奨されているが、こんな手間のかかるオペレーションを避ける飲食店も当然出てきている。

まずコンビニやスーパーにおけっる店内飲食の場合、「店内飲食の場合はお申し出ください」といった掲示をしていれば、店員が客に店内で食べるかどうかの確認は不要。つまり、レジでは自己申告に任せることとなる。当然、顧客は店内で食べてもテイクアウトにおける税率8%ということとなる。以前指摘をしたように、想定される顧客とのトラブルを避けるためである。
例えば、牛丼のすき家の場合店内飲食の価格を値下げし、テイクアウトでも店内でも同一価格で提供すると発表されている。一方、吉野家やミスタードーナツは店内飲食は10%、テイクアウトは8%という税率価格を実施するという。また、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、ガストの場合はすき家と同様の同一価格にするという。

こうした価格設定もさることながら、肝心要の軽減税率対応の「レジ」が不足し、10月実施に間に合わないという。政府は新レジ購入が契約されている場合は支援すると発表されているが、問題は新レジの初期設定もさることながら、レジへの商品登録の大変さである。
どんな小さな店においても最低でも数十、数百もの商品・メニュー登録が必要となる。それは商品内容の詳細を確認しながらの作業である。例えば、年末のおせちの場合「包装箱」の想定金額が一定以上占めている場合、税率は8%ではなく10%となる。何故、こうした軽減税率の受け止め方に違いが出てくるのか、その理由は経営の考え方にある。すき家の場合はわかりやすさと共に店内飲食の比率が大きく、こうした顧客を維持することが主眼となっているからである。つまり、出店立地の違いがこうした店内飲食、テイクアウトの同一価格になったということである。

さてこうした軽減税率の受け止め方の違いはどのような消費心理を招くことになるかという問題である。まず考えなければならない第一は、8%と10%の2%差を消費者はどう受け止めるかである。私は多くの商店街、特に活力溢れる中小の商店で構成される商店街を多く見てきた。江東区の砂町銀座商店街、ハマのアメ横興福寺松原商店街、吉祥寺サンロード・ダイヤ街、谷中銀座商店街、地蔵通り商店街、上野アメ横、・・・・・・・それぞれ特徴ある商いをしている商店街ゅであるが、推測するに軽減税率対応の新レジを準備している商店は極めて少ないと思う。政府の補助金を活用できるが、それでも数十万単位以上の経費がかかることとなる。
初めて砂町銀座商店街を訪れた時、ちょうど8%の消費税導入実地直後であったが、従来の内税方式で現金決済の商店でほとんどであったが、勿論増税分近くの値上げをしましたと店主は話してくれたが、増税による影響はほとんどなかったという。その理由はただ一つ、顧客との間に「会話」があるという一点である。これは単なる原理原則を言っているのではない。複雑でわかりにくい「税」による混乱は店側との生の会話によってのみ理解されるであろう。
こうした対話ができないチェーン店の場合はすき家のように同一価格にする、つまり値引きしてでもわかりやすさを優先する方法を選んだということである。こうした値引きはマクドナルド(一部商品は10円アップ)などでも同様でである。

しかもキャッシュレス化のための中小商店の申請が8月末時点では想定されている商店数の約四分の一程度であると言われている。消費者にとってポイント還元できるのか否か、更にはどの電子マネーの決済であるか、店や商品を選択する前に判断しなければならない。極論ではあるが、中小商店利用の場合自身が使いたいと考えている電子マネーに該当する店はかなり少ないということだ。つまり、キャッシュレスという便利なようで便利ではない現実を迎えるといことだ。そうしたことを含め、店頭での表示が重要となる。キャッシュレス申請店の場合、政府からポスターが提供されるが、そのことより重要なことは、今一度内税・外税を明確にし、顧客の側の選択しやすさに答えることが必要である。すき家のように値下げして店内飲食とテイクアウトを同一価格にするという「わかりやすさ」の表示のことである。

こうしてブログを書いている最中に吉野家はキャッシュレス決済におけるポイント還元には参加しないとのニュースが入ってきた。理由はシステム改修が間に合わなかったことによるとの発表であった。一応、自社ポイントなどを使った還元策を別途用意する予定であるとも。これで日本マクドナルドの7割のFC店がこのポイント還元策に参加することになる予定であるが、他の大手チェーン店であるすき家、ガスト、ケンタッキーなどは参加しないこととなり、つまり、キャッシュレス化はほとんど進まなくなったということである。あれもこれもとこの機に盛り込み、税の基本である公平さとわかりやすさが導入前から破綻してしまっているということである。

顧客接点である店も顧客も混乱混迷の10月を迎えることとなる。こうした状況にあって駆け込み需要など起こりようが無いということでもある。ただ、あと1週間ほど経過したらわかると思うが、アマゾンや楽天などネット通販への注文が一斉に出てくるであろう。ただ、出荷時点での税率適用のため、早めに注文することになるかと思う。TV報道のように百貨店における冬物のブランドコートなどを駆け込み購入していると言われるが、限定的で駆け込み需要では無い。
起こるのは戸惑いと混乱の10月になるということだ。(続く)
  
タグ :消費増税


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2019年07月28日

大いなる家族経営の崩壊 

ヒット商品応援団日記No745(毎週更新) 2019.7.28.


ほぼ1ヶ月前のブログで「お笑いの街が揺れている」というタイトルで吉本興業の不祥事を取り上げ、吉本興業という会社がどんな会社であるかを元吉本興業常務であった木村政雄氏の著書「笑いの経済学」を通じて問題の所在を書いた。その後、宮迫・田村亮の記者会見、そして、吉本興業の岡本社長の5時間半に及ぶ記者会見と大きく急展開した。それは反社会的勢力への闇営業という問題から、吉本興業という企業が持つ経営、特に経営者と芸人との関係、私が長年テーマとしてきた「人の生かし方」「生かされ方」という企業経営の本質へと急展開した。

ところで7月20日の宮迫・田村亮二人の会見を見て、それはそれなりに謝罪記者会見の「意味」を感じたが、翌々日22日に行われた吉本興業岡本昭彦社長の5時間半に及ぶ会見を見て、「なるほどな」と吉本という会社が実感できた。翌日のTVやスポーツ紙の報道は2者の対比をしながら前者2人の「覚悟」との違いを指摘し、岡本社長の回りくどい、くどくどした意味不明の釈明に批判が集中したが、危機管理の無さや会見に「芸」の無さを指摘してはいたが、私にとっては吉本という企業の本質がよく見えて、それなりに意味ある2つの会見であった。

それは吉本興業元常務の木村氏が書いた「笑いの経済学」に書かれていた吉本興業の「牧場型経営」の意味、今日的な限界についてである。まずその牧場には6000人ものNSC(養成所)卒業生がいるが、「吉本は柵の低い出入り自由な牧場で、所属する芸人は遊びに行ってもいいし、色恋沙汰をしてもいい。会社は何をするかというと、おいしいビジネスチャンスという牧草と快適な寝倉を用意する。会社はその牧草と寝倉を徹底して良質にする。良質な牧場を作れば、出て行った牛も必ず戻ってくる」そんな会社(吉本)と芸人の関係について書いた。先日の岡本社長の記者会見ではそうした吉本流経営をファミリー・家族であるとリーダー自ら答えている。岡本社長と芸人四人との面談で、「テープ回しているんとちゃうやろな」「記者会見やってもかまへんけど、そうしたら全員首やからな。わしにはそうできる力がある」・・・・・・・・・こうしたパワハラまがいの発言も、親が子をしかるようなものだという。岡本社長は親・家長で宮迫・田村亮は子という関係の経営である。この1週間元吉本のプロデユーサーや柵の低い牧場から3回も出たり入ったりした島田洋七までTV出演しており、さらには柵の外で暴力団と付き合っていたことから吉本を解雇された島田紳助まで週刊誌にコメントを寄せている。全て「家族」の中の騒動であるという認識のもとである。勿論、家族の中にあって他人行儀な「契約書」などあろうはずはない。

こうした自由度の高い「家族経営」は人の生かし方としてあるかと思う。勿論、多分に大阪的ではあるが、他にも創業期の自動車メーカーのホンダも親父と子の経営であった。小さな町工場で油まみれで働く親父(本田宗一郎)と子(従業員)で、少しでも手を抜くと殴られたという。そして、従業員という子をとことん愛したが、本田宗一郎は実子を決して後継者には選ばなかった。油まみれになった従業員の中から後継者は生まれた。昨年、宗一郎の「夢」であった小型航空機市場に本格参入したと話題になっていたが、「世の中にないモノを作る」という宗一郎の哲学、いや夢を受け継いだ開発であった。実は宗一郎の夢は小学校低学年の頃に学校をさぼり、親に内緒で自宅から20キロメートルほど離れた浜松練兵場へ飛行機を見に行った時からの夢であった。小型ジェット機の開発者はそんな夢を今も受け継ぐ、ホンダはそんなファミリー経営である。ファミリー的企業風土はこの「夢」にあり、宗一郎の生き様こそが今なお一つの求心力となっている。

前回のブログで吉本が大きく転換し成長したのは競争相手である松竹芸能との競争を終え、東京への進出であったと書いた。勿論、「お笑い市場」は大阪と比べ東京は極めて大きい。しかし、東京進出は一つのきっかけにすぎない。吉本急成長の第一は、「芸人」という商品を仕組み・システムとして顧客に笑いを届ける方法を完成させたことにある。それまでの「芸」は師匠と弟子という関係の中から生まれ磨かれてきた。当然、師匠一人で見れる弟子の人数は限られる。しかし、吉本の場合、牧場の柵を低くし、誰でもが40万円払い、NSCを卒業できれば吉本芸人になれる。そして、大阪の心斎橋二丁目劇場のような小劇場で競争し合いながらそこで人気を得た芸人を東京という最大市場に供給するシステムを完成させた。ヒット商品を探し、インキュベーション(孵化)するシステムということである。私の言葉でいうと、「お笑い」のマスマーチャンダイジング、大量生産するシステムということである。そして、「笑い」は時代の変化とともに、常に変わる、だから安定した商品を供給するには、その芸人候補の裾野を広くし、売れない芸人を含め多ければ多いほどヒット商品が生まれるいうことになる。結果6000人にまで膨れ上がったということである。

東京市場への進出はきっかけに過ぎないと書いたが、実は1990年代その東京市場、マスメディア市場は大きく転換する時期にあたる。いわゆるパラダイム転換、価値観の転換がメディア産業にも起きる。詳しくは未来塾で「働き方も変わってきた」として、電通の過労死事件から見えるその「ゆくえ」の中で、日本のメディア事情を書いているので参照していただきたい。概略を言うと、1990年代後半日本のマスメディア、特にTVメディアもその広告取り扱いを主要業務とする広告代理店も大きな転換を迎える。バブル崩壊後のデフレの波は当然マスメディアにもそれを使う広告代理店にも押し寄せる。中小の広告代理店は統合再編もしくは消滅していく。マスメディアもデフレにより「価格競争」、低価格へと向かう。その象徴であるが、TVメディアの主要な収入源であるスポット広告の価格は、外資系クライアント及び広告代理店主導の「価格コンペ」の導入によって、TV曲は従来の収入を得られなくなっていく。2000年代に入り、更に追い討ちをかけたのがインターネットメディアによる価格低下の圧力であった。結果どのようなことが起きたか、例えばリストラ・配置転換であるがTV局の場合それまでの社内制作スタッフを外部企業へと業務委託する、あるいは社員を解雇させその委託会社に勤務させる。新聞社の場合はそれまで社員が取材していた情報源を提携したメディアからもらい受けることによって記事が出来上がるといった具合である。

こうしたはメディア市場の背景にあって、吉本は単なる芸人の提供だけでなく、政策丸ごと請け負う方向へと向かう。次第に番組編成にも入り込むようになっていく。田村亮が岡村社長との面談において、謝罪会見など行っても大丈夫、在京・在阪5社のTV局は吉本の株主だからと説明され、どういう意味なのかわからなかったと会見で発言していたが、こうした背景からである。
実は吉本は現在非上場であるが、それまでは上場企業であった。今回の反社会的勢力への闇営業問題において多くのマスメディア関係者、特に芸能関係者が不思議だと指摘したのが「非上場」の件であった。吉本は当時ソニーの元会長であった出井氏を社長とした「クオンタム・エンターテイメント」(在京民放、ソフトバンク、ヤフー等13社が240億出資)を中心に三井住友銀行の融資などにTOBさせて、2009年上場廃止する。
さて問題は何故買収に向かったかである。それは吉本の歴史を遡ればわかってくる。戦後の吉本興業は創業者吉本せい(林せい)を支えてきたのが林正之助で、その家系図を見れば明確になってくるが、芸能ブログではないので省略するが、つまり「創業家」が経営を行ってきた。しかし、次第に吉本も大きくなり、笑いいの質も変化していく。実は吉本が1980年東京進出を始め漫才ブームを創ったのだが、その東京事務所の所長であったのが、前述の「笑いの経済学」の著者である木村政雄氏である。今日の吉本を創った人物として現会長の大崎洋氏の名が挙げられるが、実は東京事務所開設は木村氏と部下の大崎氏の二人であった。当時の週刊誌などによれば木村氏は創業家経営陣と考えが合わずサラリーマン社会によくある「左遷」であったようだ。
これ以上人事に関して書くことはしないが、2002年木村氏は吉本を退社する。当時の社長であった林裕章氏と考え方が合わなかったという理由であるが、こうした事情を傍で見ていたのが現会長の大崎氏であったと当時の週刊誌は書いている。そして、2005年林裕章氏は亡くなる。以降、吉本内部から様々な不満が噴出するが、現場でそうした声を聞いたのが大崎会長であった。ここからは私の推測の域を出ないが、そうした背景を踏まえ、大崎会長は吉本の近代化、創業家との縁を切る行動、つまりTOBを仕掛け上場廃止へと向かったと思われる。つまり、表向きは安定株主による経営の安定が非上場理由としたが裏には創業家排除という露骨な方法ではなく、民放各社の株を持ってもらうという方法をとったと思う。

そして、吉本興業の近代化」は、林正之肋の時代から脈々と息づく「興行とヤクザ」の関係にも、ピリオドを打つことをも意味していた。現在では、興業、今でいうイベントなどで、今回のような暴力団や半グレのフロント企業との関わりは複雑かつ分かりにくい世界となっている。
しかし、兵庫県警内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』には検挙年月日とともに「山口組準構成員 吉本興業前社長 林正之助」と記されている。もちろん警察側の視点であり事実はわからない。ただ、興行とヤクザの結び付きが当然の時代でもあったことは事実である。そうした歴史・慣習を背負った企業であることは忘れてはならない。
勿論、であればこそコンプライアンスが叫ばれているのだが、牧場型経営においては柵の外へと出入り自由な経営システムのもとで果たして「外」の活動を規制することはできない。柵を高くし、牧場内に留まることは自由が制限されることでもあり、クリエイティブな笑いは半減してしまう。しかも、6000名もの芸人とは雇用契約ではなく、事業主との契約であり、ほとんどの芸人は「外」でのアルバイトなどによって生活を維持させている。初期の吉本興業は安いものの月給制という革新的発想を持った会社であった。しかし、私の言葉で言えば、マスマーチャンダイジングのシステムによって成長というより、膨張してしまったということである。大いなる家族経営の限界であり、このままであれば衰退へと向かうであろう。前回私が「臨界点」を迎えていると指摘したのはこうした背景からである。

「マスマーチャンダイジング」は決して悪いことではない。多くのチェーンビジネスが取り入れる手法であり、低コストで大量生産、安定供給することができる。しかも、ITの活用によって少量生産が低コストで可能になったことである。例えば、現在は見事にV字回復した日本マクドナルドもあのチキンナゲット問題で一挙に赤字転落し、多くの店舗を閉鎖したことを思い起こしてほしい。今日の日本マクドナルドを創ったのは顧客であり、特に小さな子供を持つ若い母親の信頼を回復したことによる。その中心には周知のサラ・カサノバ会長のリーダーシップのもと、全国の現場店舗を訪れ母親たちにヒアリングした結果によるものであった。
吉本に置き換えるならば、TV局という現場はあっても、その先にいる「視聴者」には届く方法を持たない。つまり、「公開」という原則をどう保持するかである。敢えて、吉本の歴史、人事を含めた「お家騒動」の歴史を書いたのも、「家族内」「内輪」の問題として処理してきた歴史であった。芸人にとっては低い柵に囲まれた牧場ではあるが、外に広がる顧客への公開は成される方法を持たない。「大いなる家族経営」の限界であり、最大問題としてある。

吉本の歴史の中で特筆すべきは、その良さは「笑い」は常に時代・顧客と共に変化する、その変化に素直に会社も芸人も従うことであった。問題はその「変化」の捉え方が、会社と芸人、大阪NSC所属芸人と東京NSC所属芸人、古い芸人と若い世代の芸人、各々バラバラ状態で、これもまた「お家騒動」を増幅させている。つまり、こうした混乱はマスマーチャンダイジングのシステムが機能しなくなってきているということである。いわゆるガバナンスの喪失、大いなる家族経営の崩壊である。
牧場の中に従来の上質な牧草だけでなく、例えばNTTグループと組んで、教育関連のコンテンツを配信するプラットフォーム「ラフ・アンド・ピース・マザー」の立ち上げを発表している。この事業には官民ファンド・クールジャパン機構の出資も決まっており、最大100億円もの巨額がつぎこまれる可能性もある。勿論、大阪の会社であり、2025年の大阪万博の民間企業体連合体のトップになっている。あるいは吉本を念頭に置いてだが、公正取引委員会の山田事務総長は『契約書がない』ということは、契約内容が不分明になることにつながることがございますので、独禁法上問題になる行為を誘発する原因になり得るとコメントしている。
最早、大いなる家族経営、経営システムの根幹を変えていくことが急務となっているということだ。今回もまたお家騒動をきっかけとしてはいるが、コトの本質は深刻である。(続く)  
タグ :吉本興業


Posted by ヒット商品応援団 at 13:22Comments(0)新市場創造

2019年07月21日

歪んだ「怒り」  

ヒット商品応援団日記No744(毎週更新) 2019.7.21.


また、凄惨な事件が起きてしまった。京都アニメーションへの放火殺人事件であるが、第一報の報道からピンとくるのに少しの時間がかかってしまった。数分後、京アニの代表作が「涼宮ハルヒの憂鬱」であると聞いて、あああのアニメ会社であったのかと理解した。原作の「涼宮ハルヒの憂鬱」は2003年から涼宮ハルヒシリーズとして主に中高生に広く読まれたライトノベルである。売れない出版業界にあって、唯一売れた本で、「ライトノベル」という日本独自の新しいジャンル(イラストや挿絵を多用した小説)の代表的作品である。ちなみに、2017年10月時点の累計発行部数は全世界で2000万部である。
実は2007年に、秋葉原が観光地化するにしたがって、オタク文化のラストシーンを迎えたとブログに書いたことがあった。勿論、1980年代に生まれたオタクのことでその流れを受け止めた真性オタクについてである。その真性の意味であるが1995年から始まっ庵野秀明監督によるアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』までの熱烈なフアンのことを指す。当時次のようにブログに書いていた。

『オタクという言葉も健康オタクから始まり様々なところでオタクがネーミング化され市民権を得ることによって、その「過剰さ」が持つ固有な鮮度を失っていく。市場認識としては、いわゆる「過剰さ」からのスイングバックの真ん中にいる。真性オタクにとっては停滞&解体となる。つまり、「過剰さ」から「バランス」への転換であり、物語消費という視点から言えば、1980年代から始まった仮想現実物語の終焉である。別の言葉で言うと、虚構という劇場型物語から日常リアルな物語への転換となる。』

庵野秀明監督も周知の「シン・ゴジラ」で新しい映画へと向かうのだが、京アニが創った「涼宮ハルヒの憂鬱」は1980年代からのオタクの言わば受け皿のように新たなオタク文化を創った会社ということができる。そんな経緯を『勿論、真性オタクがいなくなったわけではない。例えば「涼宮ハルヒ」オタクは今なおそのオタク世界に生きている。』とも書いた。ジブリ作品とは異なる幅広い分野でコアとなるフアンを創ったということである。そのオタクの世界の象徴が「コスプレ」であり、見事に新しい市場を創造、しかもマスマーチャンダイジングした会社が京アニであった。つまり、身近で、しかも世界へとアニメ世界を広げたクールジャパンの一つの潮流を創った会社ということだ。

ところで本題であるが、放火事件の犯行内容については大分わかってきたが、41歳の放火犯青葉容疑者の動機については入院していることもあってまだまだ分からないことが多い。ただ、犯人が京アニの玄関から入りいきなり「死ね」と言いながら液体状のものを撒き火をつけたこと。更には、犯人確保の際、住民が聞いた犯人が発した言葉に「ぱくりやがって」と恨みの言葉に動機の一部があると思われる。その後の警察の発表ではパクった発言の裏付けとも取れる「小説を盗まれた」との発表があった。
死傷者60数名という平成以降最悪の放火事件であるが、犯行動機の対象が不特定多数、つまり「無差別殺人」であることがこの時代の特徴となっている。少し前に起きた川崎の殺傷事件も無差別であったが、特定の個人や事柄を対象としない。嫌な言葉だが、「テロ」ということが思い浮かぶ。

時代のキーワードという表現を使ったが、「無差別」というキーワードと共に鮮明になったのが「過剰」である。数年前から、いやかなり以前から社会問題となっていたのが、1990年に起こった「桶川ストーカー殺人事件」であろう。被害相談を認めす杜撰な対応をした警察に批判が集中した事件として今なお記憶にあるが、犯人の「思い込み」という執拗で、過剰なストーカーの行動の本質にもあい通じるものがある。
私が以前から指摘してきた個族と呼んだ社会からある意味必然として起こる事件でもある。それまでの共同体、家族を始めあるいは時には企業、地域社会、もっと小さな単位で言えば趣味のクラブやご近所のママ友、更にはネット上の各種コミュニティまで、多様な共同体はあるが、どこにも属さない個族が増えている。少し前の川崎殺傷事件のときの「80 50」問題のように、社会との接点を失った「引きこもり」もそうした共同体から外れた個人がいかに多いか。これ以上書くことはしないが、「居場所」のない個人が見えないところでいかに多く存在しているかである。居場所とはある意味自分だけの居心地の良い場所のことだが、実は時代の変化と共に居場所から「出たり入ったり」している。そうした傾向は消費にも多く見られかなり前になるが日経MJのヒット商品番付を次のように読み解きブログに書いたことがあった。

『個族から家族へ
5~6年前、個人化社会の象徴として若い世代に「マイブーム」が起きた。ある意味、「自分確認」=「自分探し」として、マイ○○という商品に自分を置き換えたブームであった。実はこうした私生活主義が少しづつ変わり始めている。書籍卸しのトーハンによる2008年のベストセラーランキングでは「ハリー・ポッター/最終巻」が第1位(185万部)であったが、今年ブームとなった「B型自分の説明書」(3位)をはじめ、O型、A型、AB型全てがベスト10入りし、シリーズ累計では500万部を売り上げた。10年ほど前から始まった個族の自分探しという占い依存型から自己確認型へと変化してきている。自分の居場所を失い都市漂流する若い世代に社会的な注目が集まり、バラバラになった個を家族という単位へとつなぎなおす動きが始まっている。消費面でいうと、上記の家庭内充実型商品、家事であれ、遊びであれ、家族一緒という単位変化が出てきている。象徴的な例であるが、5~6年前の隠れたヒット商品であった「一人鍋」は、カレー鍋のように家族一緒の鍋へと変化してきた。つまり、上記傾向を踏まえると、家族割り、夫婦割りといったプロモーションは、携帯電話や映画鑑賞、旅行(交通・ホテルなど)、ゴルフのみならず多くの業種・業態へと広がるであろう。』
(2008年12月に発表された2008年ヒット商品番付を読み解くより抜粋再掲)

2008年は周知のリーマンショックがあった年である。消費は全て内向きに向かい、低価格を始め今日のデフレ基調の傾向が強く出た年である。結果、それまでの個族から家族へと揺れ戻しが強く出た年であった。以降、低価格を軸に多くの業界でリストラ&再編が行われた。例えば、ファミリーレストランは大手三社の店舗数は500店舗が閉鎖しファミレス市場は縮小する。ファッション業界で言えば、ファストファッションが主流となり、世界のスーパーブランドが集積する銀座にも、多くのファストファッションが進出する。こうした激しい再編にあって、それまで属していた家族などの居場所から外れてしまう人も出てくる。上記にも書いたが、血液型による自分確認の本が売れた時代は実は今なお続いていると考えた方が良いと思う。

この「自分確認」「自分探し」を目的に外へと向かうことは意味あることであるが、内に向かう場合その視野はどんどん狭くなり、つまり「思い込み」がこころの全てを占めるようになる。思い込みは深い洞察を得ることにもつながるが、時として独りよがり、排他的な「考え」へと向かう。よく言われることだが、アーチストの多くは思い込みの激しい人物であるが、思いの対象が社会にとって意味あるものとして評価される場合もあるが、そうしたアーチストたり得る人物は極めて少ない。多くの場合、社会という表舞台に上がることは少なく、結果として内に「思い」が淀むこととなる。例えば、その淀みとは初めは鬱屈した「妬み」であったが、次第に「恨み」へと。それがあるきっかけによって外へと暴発する。人間の心理はそのように図式化できるものではないが、多くの人が感じられるのが「キレる」光景である。ある意味、日常化してしまっている光景だが、「キレる」とはこころの「淀み」が表へと出てきた現象である。

「キレる」という言葉がマスメディアに登場したのは2000年代からであったと思うが、最初は子供(幼稚園児)が新たな幼稚園という新しい社会に馴染めず情緒不安定になり暴れる様子を「キレる」という言葉で表現したと記憶している。(確か品川区の幼稚園であったと)それまでの家庭という小さな社会から幼稚園という新たな社会に馴染めない子供の心理を明らかにした言葉である。変化の激しい時代とは、常に新しい社会に向かい合わなければならないということである。それをストレス社会と私も認識してきてはいたが、耐えられない人間もまたいるということである。そして、時代という視点に立てば、思い込みが過剰となり、外へ向かって無差別に鬱屈した「思い」が怒りとなって暴発する、そんな認識が必要ということだ。
青葉容疑者の回復を待って動機は解明されていくと思う。ネット上では京アニが公募している小説に盗まれたとの
「怒り」が放火の動機であると指摘している。勿論、推測の域を出ないことばかりであるが、報じられているように近隣住民とのトラブル、つまりキレる状態が常態化していたようだ。脳科学者である中野信子氏は〝キレる人〟や〝キレる自分〟に振り回されず、〝キレ上手〟になることだと指摘してくれているが、それを可能とするのも「外」との交流によってである。何がきっかけとなったかという指摘もあるが、問題なのは鬱屈した怒り、歪んだ怒りがあったことは事実であろう。刑法犯が年々減少へと向かう治安の良い日本ではあるが、その裾野には「キレる」社会が存在していることもまた事実である。

最後になるが、私は冒頭書いたように「涼宮ハルヒの憂鬱」という一つの転換点となる作品を通してしか京アニを知らない人間であるが、その後のアニメ世界の一つの潮流を創った会社であり、それに携わった若い人たちの会社である。60数名の死傷者に対し、海外からも寄付や支援メッセージが数多く届いているという。多くの専門家が指摘をしているが、日本のアニメ界に貢献してきた、つまり新しいクールジャパン市場を創ってきた会社であり、人々である。亡くなられた34名を悼むと共に、負傷している34名の方々のご回復を心からお祈りいたします。合掌。(続く)
  


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2019年07月14日

街が変わる、消費が変える  

ヒット商品応援団日記No743(毎週更新) 2019.7.14.


ブログを始めてから町歩きはしていたが、2014年2月からは主に「未来塾」というタイトルでその変化をレポートしてきた。その第1回目は文字通り「街から学ぶ」というテーマを選び、その背景として街は時代と呼吸することによって常に変化し続ける。この変化をどう読み解くのかということこそビジネスの未来を見いだす芽となる、そうした仮説をもとに多くのレポートを書いてきた。

主に観察する街をどう選んできたかと言えば、良い変化が街に現れその街の商業が活力あるものとなっているところを選びレポートしてきた。勿論、例えば「人の手」が入ることを止めた耕作放棄地のように、草木が生い茂りイノシシなどの野生動物の棲家へと変化した街もある。それは地方ばかりか、首都圏にもまだら模様として残っている。敢えて、そうした街を題材としなかったのは「人の手」が及ばない状態になっているからであった。つまり、役に立たない、活用できない事例ということであった。但し、唯一衰退への警鐘を鳴らしたのは東京スカイツリーの計画に盛り上がった地元押上商店街に対してであった。東京スカイツリー景気にのったいわばコバンザメ商法によって押上商店街も潤うのではないかということへの警鐘であった。案の定、開業2年後に残ったのは押上食堂と稲荷寿しの味吟ぐらいで、東京スカイツリーのソラマチ(商業施設・専門店)に負けない特徴を持った店である。TVメディアに踊らされた店々はことごとく閉店し、シャッター通りから寂れた住宅街へと変貌した。

一方、東京スカイツリーのような「外的要因」による衰退への道をたどることなく、逆に活況を見せている江東区の砂町銀座商店街やハマのアメ横と呼ばれる興福寺松原商店街のように何故活況を見せているのか、その理由を学んだ方がお役に立てるのではないかと考えたからである。こうした事例は地下鉄の開通を機にテーマを持って一大観光血となったもんじゃストリートもあれば、衰退の街を辿ろうとした吉祥寺にあって、北口駅前にある昭和レトロな一角ハモニカ横丁が若者に新鮮なおしゃれ感覚、OLD NEW古が新しい、そんな世界を提供し、住みたい街NO1という独自な街へと変化させた。また、3年ほど前から新しい活況の芽を見せている大阪の街を題材に、見事に再生した新世界・ジャンジャン横丁や黒門市場を取り上げてきた。100の街があれば、100通りのコンセプト・活況法があり、アーカイブから目的に沿った街やテーマを取り出して今一度読み解いて欲しい。

また、街の変化と共に、街の商業を構成する主要な企業・専門店の変化も併せてスタディするとより鮮明に「変化」が見えてくる。その一つが日経MJの「ヒット商品番付」を独自に読み解いた視点・着眼である。このヒット商品番付の分析については2007年から行なっているのでリーマンショック前からのヒット商品の特徴を見ていただくことができる。ここ数年の特徴というと、大きなヒット商品は極めて少なくなり、小型化し、しかもデフレ時代ならではの商品、日常利用商品がほとんどとなっている。
あるいはビジネスにおいて注目話題となった事例、例えばユニクロの値上げの失敗や同じように値上げで業績を落としたラーメンの幸楽苑における改革とV時回復、つまりデフレ時代における「価格戦略」をテーマとして取り上げてきた。売れない出版業界にあって唯一売れている雑誌、おまけ付き雑誌などにも言及しているので是非。

さて本題に入るが、10月の消費増税によって「街」にどんな変化をもたらすか考えてみたい。実は、2014年の消費税8%導入に際しては、砂町銀座商店街については導入前と導入後の変化を見ることができた。その時のブログを今一度読んでいただきたいのだが、商店街の多くの店舗に共通していることは「生業の良さ・強み」であるということに尽きる。つまり生きていくための工夫がここでは行われており、結論から言えば「売り切る力」を持っているということであった。今風の言い方であれば「ロス率0経営」ということである。結果、どういう変化となって現れてきたかというと、賑わいに「変化」はなかった、ということである。わかりやすく言えば、閉店する店はほとんどないということである。また、ハマのアメ横と言われる興福寺松原商店街については年末恒例の大売り出しは年々盛んになり身動きが取れないほどの混雑が見られるようになっている。
売り切ることができる商店とは、消費者にとって他にはない魅力を有しているということで、既に消費税10%時代を乗り越えることができる「何か」があるということである。私の言葉で言えば、顧客が求める「デフレ自体を楽しませてくれるお店」ということである。それは単なる低価格商品の品揃えのことだけではない。むしろ価格が問題となるのはチェーン店の場合であろう。チェーン店が価格面で失敗した多くの場合、「顧客が見えなくなってしまった」ことにある。この程度の値上げは十分行けるであろう、といった安易な思い込みによる失敗が多い。街場の商店の方が顧客と日常的に接していることから「顧客は見えている」ということである。但し、街場の商店の最大課題は後継者がいないということである。

ところで東京への人口集中が止まらない。この集中を支えているのが住宅事情である。周知のタワーマンションという容積率の緩和による都心部での居住を可能としたことによる。しかし、中央区をはじめ多くの自治体でタワーマンションの規制へと向かってきている。地方にとっては嬉しい悲鳴と受け止められるかもしれないが、「過剰人口」になってきたということである。既に10年ほど前から東京湾岸地帯の建設ラッシュは始まっており、小学校のクラスを増やすなどが始まっている。最寄駅の勝どきでは通勤時間帯にはホームに人が溢れる状態になる。つまり、過剰人口によってバランスのとれた社会インフラを失い始めている。ちなみに、地下鉄大江戸線勝どき駅の1日の乗降客数は、開業当初の平成12年度は約3万人であったが、周辺地域の開発事業により利用者が増加し、平成29年度には約10万人へと急増した。現在はホームの新設工事を行なっており、来年2月にはしようとのこと。こうしたタワマンによる過剰人口は東横線とJR線がクロスした川崎の武蔵小杉においても同様のことが起こっている。都心にも横浜にもきわっめて便利な街であるが、ここにも過剰人口の現象が現れてきている。特にJR線のホームは人が溢れ危険極まりない状態になっている。
思い起こしてほしい
大江戸線の勝どき駅の隣駅が月島であのもんじゃ焼きのテーマパークとなった街の隣である。古い裏通りの商店街はもんじゃ焼きの店々となったが勝どきへとつながる表通りである晴海通りは高層ビル群になっている。しかし、思い起こしてほしい。大江戸線開業を機に、駄菓子屋の軒先で売られ廃れてしまった「もんじゃ」を再生させ、70数店舗が個性を競ったもんじゃストリーを作り、一大観光地へと生まれ変わったことを。つまり、「もんじゃ焼」というテーマが無ければ、耕作放棄地のように荒れ果てた地になっていたということである。
また、前述の武蔵小杉駅の先西南には港北ニュータウンという郊外ベットタウンが広がっている地域である。その主要駅となっている田園都市線沿線は武蔵小杉と同様混雑の激しい地域である。武蔵小杉が最近開発されたタワーマンションの街であったのにたし、港北ニュータウンは当初は急増する横浜市の人口への受け皿として計画されてきたが、1990年代に入り、都心へのアクセスの良さから百貨店やSCなど多くの商業施設が競争しあう郊外ベッドタウン地域となる。少し前のブログにも書いたが極めて激烈な価格競争が行われている地域で、食品スーパーにおける2大ディスカウンターであるオーケーとロピアがしのぎを削っている地域でもある。ちなみに武蔵小杉駅裏にはいくつかの古い商店街があったが、その多くは廃れてしまっている。
一方、少し前の未来塾で取り上げた東京高円寺には新宿から10分もかからない交通至便な地域にも関わらずほとんどタワーマンションはない。しかも、駅を中心に10もの古い商店街が今尚活力ある街を作っている。大阪の友人に言わせると東京は広いな、まだまだ開発する余地があると感想を漏らしていた。勿論、タワーマンションを作れば儲かると行ったことではない。戦後商店街を中心に育てられてきた阿波踊りや演劇に象徴される「文化」が居心地の良い街を創ってきており、そうした庶民文化を土台にしたまちづくりのことである。

つまり、「消費増税10%」を機に「何」を「どうする」のかである。押し寄せる変化には地下鉄の開通や大型商業施設の開業といった「外的」なものと、高円寺のような「内的」なもの、時間をかけて創られてきた文化力のようなもの、どちらに軸足を置くかである。今回の消費増税は、街にも個店にも等しく変化を求めてくる。そして、今回の消費増税は前科のような「駆け込み需要とその後の落ち込みの回復」といった程度の変化ではない。中小企業の場合、高齢化による後継者不足が最大の課題となっているが、事業の承継や再生について中小企業振興公社を始めいくつか相談窓口があるので、検討すべき「変化要請がきているということである。
冒頭の写真は中央区月島の表通りである晴海通りに林立する高層ビル群と裏通りにあるもんじゃストリートである。開発は裏通りであるもんじゃストリートにも及びその計画が懸念されていたが、ストリートに面した1階には今まで通りのもんじゃの店が営業し、上には高層ビルへと変化しているという。つまり、高層ビルが全てダメであるということではなく、それまで培われてきた歴史や文化とどう調和させていくか、何を残し、何を変えていくのか、そうした街の編集力が問われているということである。(続く)  


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2019年07月07日

消費増税前のドタバタ劇 

ヒット商品応援団日記No742(毎週更新) 2019.7.7


10%の消費増税まで3ヶ月を切った。お得なポイント還元を入り口としたキャッシュレス決済が身近な流通企業で始まった。周知のように、クレジットカード、電子マネー、そしてスマホなどによるコード決済にコンビニ各社が続々と参入し始めてきた。その矢先最大手のセブンイレブンのセブンペイに不正アクセスがあったと報道されている。どの企業も請求支払いという経済関係以外に、顧客と直接コミュニケーションできるポジション獲得を目指す競争が激しくなってきたと言うことだ。それまでのポイント市場の先頭を走ってきたTポイントが顧客へのポイントの他に、加盟した専門店などへの顧客データ情報を提供してきたが、今や顧客接点のある流通企業自ら顧客と直接コミュニケーションし、ポイントというお得をキーワードに継続した顧客単価アップ戦略へと大きく舵を切ったということである。当然、それまでのPCにおける不正アクセスなどの問題はスマホに及び、不正使用のみならず、顧客自身の情報が抜き取られるということも起きてくるであろう。

ところで2008年のリーマンショック以降の消費をキーワードとして整理すると、まず「わけあり」が物販のみならず、ホテルや旅館なといったサービス業にまで広く生活に浸透した。そのわけあり競争の最大眼目は「低価格」であった。その後2014年には消費税8%が実施されるのだが、記憶を辿ればそうだったなと思い起こすように、「駆け込み需要」とその反動による「極端な消費の落ち込み」となり、デフレ消費は加速する。この時も5兆円規模の経済対策を実施したが、成長軌道に乗せることはできなかった。そして、安定した消費期に入る一定の時間経過を踏まえ、多くの企業は値上げに踏み切るのだが、ユニクロを始めほとんどの場合失敗する。こうした「お得」競争の中で、一方では新たな業態に注目が集まる。その代表事例が「俺のフレンチ」のような立ち食い業態で、しかも食材は本格であるが店舗はリノベーションによる低コスト。つまり、従来のビジネス投資概念を変える経営が始まった。その経営の先にあるのがネット通販やメルカリなどのCtoCといったネット上で顧客同士が売買するといった新しい流通も始まっている。また、以前2017年度の「ふるさと納税」における返礼品の「お得度合い」についてブログにも書いたことがあるが、すでに寄付という善意ではなく、デフレにおける「お得」市場にふるさと納税も入ってしまったという時代にいる。ちょうど10年ほど前のわけあり市場という概念が実質的なものとして日常化してしまったということと同じ構図である。

そのお得市場であるが、昨年注目されたスマホ決済PayPayが昨年12月に100億円キャンペーンを実施した。このキャンペーンについてはその広告効果については大きなものが得られたと思うが、一部家電量販店や高額商品などでの使用に偏ったものとなり、わずか10日間で終了してしまった。しかし、利用頻度を高めるために、利用限度額を制限してしまった結果はどうであったか?このPayPayの事例を見ても分かるように、20%という「お得」は利用額が小さければ利用しないということであった。今回の7pay導入の意味合いは電子カードnanacoからの切り替えの意味が大きく、7payへと統合されていくであろう。その後不正アクセスが起こるのだが、被害顧客は約900名で被害金額は5500万円であると記者会見で報告されている。ところで、運営会社の記者会見で不正アクセスの防御法として二段階認証をなぜ取らなかったのかという質問に答えることができなかっただけでなく、その意味を知らなかったことが明らかになり、最大手のセブンイレブンとしてはなんともお粗末な決済サービスであることが露呈した。この程度の理解で、顧客データを基にしたプロモーションなど果たして可能なのか御門に思える。しかし、それ以上に深刻なのは、犯人にはSNSを通じて複数のIDとパスワードが送られている事実である。個人データの中でも最も重要なセキュリティを必要とするIDとパスワードである。情報化社会という便利さの裏側には、過剰な情報によってどんどん見えなくなっていく時代の象徴でもある。
SNSに対する個人情報の保護が世界的な問題となっているが、それはAIと共に次代のキーワードとなっているいわゆるビッグデータの問題でもある。かなり前になるが、「なりすまし」が社会問題化した時があった。簡単に言ってしまえばい、パスワードさえ分かれば他人のPCに入り込んで本人になりすますといった悪意あることが問題となったことがあった。今は同じようにスマホに簡単に入り込んで本人の知らないところで、クレジットカードからスマホにお金を移動させ買い物をするといった犯罪も当然起きてくる。

ところで先日全国の路線価が発表されたが、ここにきてマンションをはじめとした不動産市況に暗雲が立ち込めはじめている。その市況であるが不動産経済研究所によれば、首都圏5月度のマンション市場動向であるが、発売は10.4%減の2,206戸。都区部が36.3%減と大きく落ち込む。また価格は戸当たり6,093万円、単価89.4万円で単価は5カ月ぶりに下落。近畿圏のマンション市場の6月の動向は、発売は6.2%減の1,388戸。5カ月連続で前年同月を下回る。m²単価は2カ月連続のダウン。契約率は67.7%、12カ月ぶりに70%を下回るとのこと。
ここ数年、首都圏をはじめとしたマンショッ価格は上昇し、2017年にはバブル期以来の高水準であった。しかし、2018年の首都圏の新築マンションの平均価格は6年ぶりに下落へと転じ、前述の不動産経済研究所のレポートのように2019年に入っても低水準で推移している。背景には建設工事コストの増大からマンション価格の引き下げに踏み切れないという事情と共に、高層タワーマンション人気の価格設定に下支えされているとの専門家の指摘もある。中古マンションのリノベーション市場に消費移動は見られるが、それも消費者の眼は多様な選択肢へとシビアに向けられているということだ。但し、不動産不況になるかと言うとまだそんな状況にはないようだ。その指標となるのが新規発売戸数に対する契約戸数で、3月は2,410戸で月間契約率は72.2%と好調であったとのこと。ちなみに、前月2月の契約率は低く65.5%とのこと。
一昨年当時はオリンピック特需もあり、2021年ごろまでは旺盛な建設需要が見込まれると多くの専門家は予測していた。しかし、これから数ヶ月の動向を見ていかなければならないが、これまでの「考え方」wp変えていく必要が生まれてくるかもしれない。

こうした不動産市場の状況を見ていくと、いつか辿った道ではないかと危機感を覚える。ユニクロの失敗からどう立て直し順調へと転換したかは以前にもブログに書いたので重複はしないが、結論から言えばユニクロならではの固有の世界を見つけたからであるということに尽きる。その固有の世界とは「ライフスタイルに沿った服」のMD開発であり、他の企業より先駆けた「素材開発」によるものでいわば独走状態にあるということである。競合するGAPともH&Mとも異なるコンセプトポジションをとっており、唯一遅れているのはネット通販の世界となっている。
言葉で言うとなんだと言うことになってしまうが、オンリーワンを目指していると言うことである。そうしたオンリーワンコンセプトとそれを可能とした開発力を持たない企業・事業は極論を言えば現時点においては「値上げ」をしてはならないと言うことである。主にメーカーであるが、今年に入り値上げが相次いだのは、物流コストや原材料の高騰によるものとその理由を説明しているが、実は消費増税後は勿論のこと、真近であっても値上げできないと考えているからである。値上げ時期は多くの場合3月か4月であり、3ヶ月を切った7月以降はおそらく皆無になるであろう。
また、メーカー以外にも3箇所程度の観察にす過ぎないが、SC(ショッピングセンター)のリニューアルに際し、食品や飲食の導入テナントのメニュー価格を上げているところと、逆に下げているところとに二分された状態が見られた。今のところ、値下げしたSCの専門店は順調であるが、値上げしたSCの専門店は思ったような売り上げが取れず苦戦しているという実情となっている。

何故、こうした増税前の主要な企業の「動き」をブログに書いているのかも、大きく言えば日本のGDPの60%近くにもなった消費国、成熟国の今後のあり方を左右するのではないかと言う「感」がするからである。仮説や推測というより感に過ぎないのだが、「お得」に企業も消費者も、過剰に反応し過ぎているのではないかという認識からである。一人ひとりの消費が日本経済の進路を決めていく時代にある。であればこそ、もっと俯瞰的に全体を見ていかなければならない。
今回のセブンpayのドタバタ劇についてもそうだが、「お得」の本質を理解していないと私は考えている。余裕のない国、企業も個人も見えなくなってしまった感がしてならない。消費増税前の「お得」に右往左往しているが、キャッシュレスにおけるコード決済のポイント還元競争も10月になれば終わる。新聞報道程度の理解でしかないが、トランプ大統領の発言のように、8月になれば日米通商交渉の内容、どんな要求がなされているかが表面化するであろう。そして、米中における貿易戦争は長期化するうえに、日韓においても出口の見えない経済摩擦が起き、更に「余裕」のない空気が社会を覆ってくる。少し前のブログに「80 50問題」を入り口に日本の社会構造それ自体が新たなフェーズに入ってきており、社会の空気は一層澱んだものとなっている。「お得」競争はこれからも続く。そして、10月以降の消費市場は縮小していくであろう。こうした状況にあっては基本に忠実であることが問われている。その基本とは何か、言うまでもなく顧客主義以外にはない。(続く)  
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2019年06月30日

お笑いの街が揺れている  

ヒット商品応援団日記No741(毎週更新) 2019.6.30.


吉本興業など大手芸能事務所所属の芸人の闇営業、しかも反社会的勢力のパーティなどへの出演し、その謝礼としてギャラを受け取っていたことが社会問題化している。いつの時代もそうだが、転換期にも関わらず、長期停滞化している社会にあって、多くの人にとって「笑い」はひととき心を解放してくれるものとして不可欠なものだ。しかも、そうした時代の変化そのものを映し出しているのも実は「笑い」である。その「笑い」にも一つの転換点を迎えている。

周知のように関西、いや今や日本の「笑い」の中心は大阪の2社、吉本興業と松竹芸能であろう。共に歴史のある会社であるが、大阪の人に聞くと、芸人の引き抜きなど極めて厳しい競争によって成長もし衰退もしてきたと言う。私は芸能史の専門家でもないが、今回問題となった吉本興業には問題を産む背景があることがわかる。
吉本にはいわゆる「契約書」はない。TVメディアに出ている多くのコメンテーターはその契約書がないことが問題であると指摘をする。例えば、反社会的勢力と関わってはならないとした義務、それに違反したことが時らかになった時の処分など、会社と本人とが文書を持って交わす「契約書」が存在しないと指摘する。法令遵守などコンプライアンスの研修はあっても、今回のように反社会的勢力との関わりが明らかになるという、つまり「結果」によってのみ、謹慎とか、契約解除が生まれる。
なぜそんな慣習のような「約束」が生まれ、今日まで続いてきたのか理由がある。それは芸人と言う「人」の活かし方、本人にとっても所属する会社にとっても、生かし生かされる相互の暗黙の了解が作られ「笑い」の文化が作られてきたからである。
また、そのコメンテーターのほとんどが、吉本の芸人が6000人にも及び、その巨大なエンターティメント企業であることに一様に驚く。お笑いは「人」を生かすことによってのみ成立することができるビジネスである。吉本の躍進も「人」の生かし方に秘密がある。

かなり前になるが、「人」をどう生かすべきか考えたとき、1冊の本に出会った。それは「笑いの経済学」(集英社新書)で著者は吉本の大番頭で常務であった木村政雄氏である。読んでいただくとわかるが、前半は吉本の歴史が語られているが、「笑いの経済学」はビジネスマン向けに書かれたビジネス着眼の書である。
吉本の創業は明治45年、芝居小屋買収その借金による素人経営のスタートであったが、次から次へと大胆な手を打つ。当時の寄席の木戸銭が15銭だったのを、下足代こみで7銭にする。落語をメインにせずに「なんでもあり」の安くておもろいものを組んだ。また、芝居小屋の入場料ビジネスだけではなく、物販の可能性を考え、「冷やし飴」という飲み物を販売する。この創業者である吉本せいの活躍については山崎豊子の『花のれん』に書かれており、併せて読まれたらと思う。
ところで吉本の発展は芝居小屋の買収によるところが大きかったが、昭和10年ごろラジオに芸人が出演するようになる。当時の人気者であった春団治がラジオ出演するとそのあとの寄席が満員になることに気づき、最初のメディア戦略へと舵を切る。そして、戦後はと言えば、映画全盛の時代となり花菱アチャコを残して演芸部を解散する。このことも勿論松竹との競争に勝つためであったが、今で言うところのスクラップ&ビルドの歴史であった。昭和34年ごろから園芸部門を復活させ、映画に見切りをつけ、TVメディアへと方針転換をする。そして、寄席文化から離れ、名物番組であった「ヤングOH!OH!」に当時の若手のトップをすべて注入する。桂三枝、笑福亭仁鶴、月亭可朝、横山やすし・西山きよし、桂文珍たちである。番組について補足するならば、1969年から1982まで放送された毎日放送制作の公開バラエティ番組で若者に圧倒的な支持を受ける。結果、吉本の若手芸人の元祖登竜門番組となる。それまでの松竹芸能独走状態であった上方演芸界を吉本中心へと転換することとなる。そして、まだ記憶に新しい昭和55年に漫才ブームが起きる。

このように明確なメディア戦略の結果が今日の吉本を創っていることがわかる。さて本題の一つである「人」の生かし方であるが、実は大正時代に芸人100人を超える大所帯になる。当時の人気者であった桂春団治は別格として、全ての芸人と月給制の契約を結んでいる。Aが50円、Bが30円、Cが12円だった。当時の小学校の教員の初任給が40円、であったことを考えると月給としては安い。Dもあって12円以下であった。しかし、このアイディアには傑出した特徴がある。駆け出しはゼロ円だったが、仕事が入とDにランクアップする。トップスター春団治を頂点に仕事が多く人気が出れば給与もチャンスも拡大するというシステムである。
吉本を含め大手芸能事務所はタレント養成所を擁している。かなり前の情報であるが毎年500名以上の若者が養成所に入ると聞いている。(おそらく今はそれ以上であると推測されるが) この内5%程度が劇場に出演できると言われている。そして、その審査基準は会社が決めるのではなく、劇場にくる顧客がABCといったランクをつけて決めるというシステムである。AKB48における総選挙を彷彿とさせる仕組みである。よく若手芸人が出演料が200円なので劇場まで歩いてきた、吉本はケチな会社ですとギャラを自虐ネタにしているが、それは事実であり、多くのランク外の人間は養成所で活動を終えることが多い。入り口は広くあるが、次第に絞られてくる、しかもそれは「顧客」によってである。その背景には、「笑い」は儲かるとは限らないというシビアな現実があると言うことだ。

さて時代変化に即応する歴史と仕組みについて吉本を事例に考えてきたが、冒頭の「笑いの経済学」の著者である木村氏は「笑い」の経営、吉本流経営を「牧場型」と呼んでいる。著書の出版当時、多くのTV番組にも出演しインタビューに答えていたので思い出す人もいることと思う。会社と芸人の関係について、吉本は柵の低い出入り自由な牧場で、所属する芸人は遊びに行ってもいいし、色恋沙汰をしてもいい。会社は何をするかというと、おいしいビジネスチャンスという牧草と快適な寝倉を用意する。会社はその牧草と寝倉を徹底して良質にする。良質な牧場を作れば、出て行った牛も必ず戻ってくると冗談交じりでインタビューに答えていたことを思い出す。
つまり、個人自営業者が集まった集団企業で、世間で言うところの雇用契約ではない。木村が言う競争社会は米国型の自己責任のみの関係ではない。「笑い」を取れなくなったら、会社ではなく本人のせいであり、例えば一時代を創った藤山寛美の松竹芸能の凋落を横目で見続けていたからであろう。時代が求める笑いが取れなくなった時、舞台から去らなければならないと言うことである。それは居心地の良い牧場に安穏としていることは許さないと言うことでもある。

こうした吉本が今日の躍進のきっかけとなったのが若手漫才師の登竜門「M-1グランプリ」である。発案は島田紳助であるが、木村氏が動いた結果であったと言われている。2001年にスタートしたが、10回目で休止する。しかし、その休止は若手芸人にとって目標を失う結果となる。入口を広く、その裾野づくりが吉本の生命線となるのだが、勿論再度復活する。そして、今日の若手芸人6000人にまで膨張することとなる。
今回売れっ子芸人になった複数の芸人が反社会的勢力との闇営業によって、処分されることとなった。吉本興業はコンプライアンスと反社会的勢力排除への「決意表明」をHP上で行なっているが、言葉上は「コンプライアンス体制を再構築する」としている。しかし、木村氏が言うように「牧場型」の経営を見直すこと、牧場の柵を出入りできないようなものにすることまで踏み込んではいない。多くの経営者は普通優秀な人材を囲い込もうとする。極論ではあるが、もともと芸人は成績優秀で世間の常識に素直に従うような人物ではない。M-1グランプリの発案者であり、反社会的勢力との付き合いで解雇された島田紳助は元暴走族である。木村氏が書いているように、吉本は世間から外れた人間の厚生施設のようなものである。一人ひとりに潜む才能をどのように組み合わせ、どのように変換・編集するかということなのだ。こうした埋もれた才能を表舞台へと変換していくかが「経営」のポリシーとなる。そうした意志は創業時代から変わってはいない。

但し、実は「笑い」市場の大きさに比べ、吉本牧場は芸人が増えすぎて臨界点を超えてしまっている。つまり、良質な牧草を提供できなくなっており、闇営業も生まれることとなる。問題の本質は契約書を交わすことでもコンプライアンス研修をすることでもない。膨張した企業を成長へと転換させる経営が今問われていると言うことである。
吉本の不祥事を褒めることではないが、停滞する日本経済にあって発想・着眼のユニークさとリスクを背負ってもやるという思い切りの良さには多くを学ぶべきである。これまで未来塾でレポートしてきたが、戦後エンターティメントの街づくりに失敗した新世界はジャンジャン横丁のだるまをはじめとした飲食店によって再生した。また、西部劇のアトラクションの失敗から、ハリーポッターの成功をきっかけに夏場の水かけ遊びなど手作りの独自な遊びを通じ成長に向かったUSJしのように、ある意味常識を覆した行動、吉本の「おもしろいことならなんでも提供しよう」とするポリシーと同じである。大阪は商人の町と言われるが、庶民の心に潜む可能性を見出し「芸」へと変換させることが商いとなる、そんな町のことである。。ジャンジャン横丁のだるまの串カツも、USJの水遊びも、「芸」へと転換した良き成功事例である。吉本の場合、大阪人の体質にある「笑い」を「芸」へと転換した企業である。今回の「事件」を通し、どのように次なる「牧場経営」を行なっていくか、牧場の広さを変えていくのか、新たな牧場を創っていくのか、あるいは柵を少し高くしていくのか、何を変えていくのか見ていこうと思っている。(続く)
  
タグ :吉本興業


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2019年06月23日

今の日本の実相、その空気感 

ヒット商品応援団日記No740(毎週更新) 2019.6.23.

老後資金2000万円問題が社会保障制度の持続性を含め注目されている。周知のように金融審議会の市場ワーキンググループから「高齢社会における資産形成・管理」と題する報告書が公表された。その報告書の中に書かれている年金などの収入以外に約2000万円の貯蓄が必要との試算が盛り込まれ、年金では足りない赤字分を自助努力する必要があるというものであった。 2004年小泉内閣の時に社会保障制度の改革がなされ「年金100年安心プラン」という賦課方式による制度変更がなされた。それまでの積立方式から現役世代が高齢世代を支える賦課方式への転換であったが、その背景には旧厚生省のグリーンピア事業への投資といった無駄遣いもあったが、今日の日本をイメージさせる事実があった。キーワードは「安心」である。スローガンやタイトルをつけることによって一つの「空気感」を創る作用がある。あたかも100年先まで安心生活が送れるといった一種の錯覚を産み、安心プランの中身を理解することを半ば止めてしまうことへと向かう。

ポスト団塊世代以上の中高年、つまり年金受給が真近になった世代にとってこれからの生活を考える上で極めて重要なことであった。「100年安心」というプランのタイトル・ネーミングについてはこの世界にとっては「制度の持続性」であると理解されており、当時から厚生年金受給予定者夫婦にとって2000万程度は必要であると指摘はあった。しかし、ポスト団塊世代より若い世代にとっての理解は制度の持続性、支える世代としての負担の大きさに果たして「100安心」として受給できるかどうかという疑念が残った。いわゆる世代間格差である。
そうした議論に答えが出る前に、2007年社会保険庁改革関連法案の審議中に社会保険庁のオンライン化したデータ(コンピュータ入力した年金記録)に誤りや不備が多いこと等が明らかになる。いわゆる「消えた年金問題」である。以降、被保険者と受給者合わせて1億1,000万人ほどの人に年金特別便というものが送られて、年金記録に漏れなどの確認が行われる。その過程でわかったことは旧社保庁のずさんな缶入りはいうまでもなく、事業主が高い保険料を負担したくないがために、従業員の給与を実際の額よりも引き下げたり、または会社が厚生年金から偽装脱退するといった不正も明らかになった。その結果の詳細については専門家に任せることとするが、今なお2,000万件ほどの記録が未解決となっている。「安心」というキーワードによる空気感は今なおモヤモヤしたまま、不信感とないまぜ状態で蔓延している。

今回金融庁から出された報告書のモデルとして厚生年金受給者を取り上げていたが、以下のような公的年金制度の概況となっている。(平成28年末)
●国民年金の第1号被保険者数(任意加入被保険者を含む)は、1,575 万人となっており、前年度末に比べて 93 万人(5.5%)減少。
●厚生年金被保険者数(第1~4号)は、4,266万人(うち第 1号 3,822 万人、第2~4号 445 万人)となっており、前年度末に比べて 138 万人 (3.3%)増加。
●国民年金の第3号被保険者数は、889万人となっており、前 年度末に比べて 26 万人(2.9%)減少。

モデルケースとしていわゆるサラリーマン世帯(厚生年金)を取り上げることは良いとは思うが、実は問題が大きいのは国民年金受給者の方で、2016年4月に厚労省によって発表された資料によると、2013年度の年金保険料を期限内に支払った割合は60.9%であったが、2014年度末には67.2%、2016年2月末には69.8%にまで増えている。また、数年後には70%程度にまで増えることが予想されている。
背景には非正規雇用の増大という課題がある。総務省の2017年のデータによれば、正規の従業員を年齢階級別にみると、15~64歳は3323万人と46万人増加し、65歳以上も109万人と10万人増加。
非正規の従業員は15~64歳が1720万人と3万人減少した一方で、65歳以上は316万人と15万人の増加。ちなみに全体の37.3%を占めている。

ところで賃金構造基本統計調査によるとワーキングプアと言われる収入が200万円以下の人口は約1069万人。正規・非正規雇用全体の人数であるが、若い世代のみならず、両親の実家に住み生活している中高年世代にも広がっている。前回書いたように「80 50問題」における50世代、つまりバブル崩壊による就職氷河期世代もこの中に多く含まれている。
年収200万未満となると1ヶ月の収入は15万未満となり、両親などの扶養扱いから抜けるとなると、国民年金の保険料は月額16,410円ということから納付が困難な人も多くなることがうかがえる。結果、「80 50問題」を増大させ、その中から引きこもりもまた生まれる。
また、今回の家計調査(赤字額月額5.5万円)における高齢者の貯蓄額を発表しているが、その平均貯蓄額を発表しているが、1億円以上の高齢者もいて、平均額(2284万円)をみると一定の貯蓄があると見えるが、実はより正確に見ていくとその中央値(1515万園)は低く、実態としては高齢者においても厳然たる経済「格差」があることがわかる。ちなみに100万円未満8.3%もいる。その象徴として生活保護世帯は徐々に増え164万世帯。つまり、若い世代においても、高齢世代においても「格差」があるということである。これがバブル崩壊後の長期停滞日本が生み出した現実である。

さて、前回も書いたことだが多くの注目すべき現象は日本社会の構造が変わってきたことにある。勿論、そのキーワードはまずは少子高齢化であり、そこから生まれる「不安」である。実はこの不安という空気感を創るのは「情報の重要さ」×「情報の曖昧さ」に比例する、という法則があって、社会心理学では基本となっている。ここからいわゆる世論もそうであるが、さらに言うならば「伝説」も「うわさ」も「デマ」も生まれる。こうしたことが生まれるのも、私たちの「内なるこころ」が創らせているとも言える。見えない不安を背景に、逆に「見えること」を逆手に取った詐欺的商品も現れて来る。同時に「見える化」が10年ほど前から指摘されたのもこうした理由からである。
隠せば隠すほど疑念が深まり、それは不安へと向かう。今回は「年金」を入り口にその不安の背景の「今」を整理したが、こうした経済に関すること以外にも不安を構成する要素としては以下のように整理することができる。

1、健康に対する不安:癌といった病気から身じかな不眠といった不安まで。更には、「食」への不安。
2、経済に対する不安:世代によっても変わるが、社会保障から勤務先企業の経営や仕事への不安。
3、社会に対する不安:主に、凶悪犯罪からオレオレ詐欺などへの不安。あるいはいじめなど教育への不安。
4、災害に対する不安:身近な住まいの土砂災害、電車など生活インフラから地震などの自然災害に対する漠然とした不安。

人それぞれ固有の不安があり、その度合いも異なる。健康で言えば約半数の人ががんにかかるが医学の進歩から治らないがんはどんどん少なくなってきている。つまり、命にかかわる病気の「曖昧さ」が明確になり解決できてきたと言うことである。社会に対する不安については前回の川崎殺傷事件をテーマに無縁社会の広がりについて書いたが、大きな社会問題化する前に抜本的な対策が必要とされている。災害については昨年の西日本豪雨災害から、大型台風、さらには北海道地震といった災害列島についてプログにも書いてきた。度重なる災害に対し、防災・減災が実行に移されてきている。例えば、最大瞬間風速58.1メートルを記録した台風21号の関西直撃に対し、あまり報道されていないことだが、台風直撃の前日にJR西日本が当日の運転を休止する旨を発表している。勿論、梅田やなんばに乗り入れている阪急電車など各社とも連携した休止である。結果、多くの企業や学校、商店も休みとなり、大阪の中心部は閑散となったが、人的被害や混乱は極めて少なかった。電車を停めることはギリギリまで行わないことが常であった。しかし、今回の JR西日本の判断は英断であったと言える。

そして、問題なのが今回の社会保障制度についてである。老後資金2000万円問題によって、若い世代が資産形成セミナーに殺到していると言う。勿論悪いことではないが、大きな経済破綻が起これば蓄えた資産など一夜のうちに半減してしまう歴史がある。例えば、生涯で一番大きな買い物と言われる住宅で言えば、バブル崩壊によって資産価値は半減し、売却して返済にあてても多額の住宅ローンが残る。最近で言えば2008年のリーマンショックによってリスクの少ないと言われる投資信託も、組み込んだ内容にもよるが35〜40%目減りする、そんなリスク経済であることを思い起こした方が良い。

フェイクニュースはトランプ大統領の専売特許ではない。情報の時代にあっては、日本においても多くの「フェイク」があった。言葉を変えればなるほどと思うが、例えば記憶の範囲で言えば耐震偽装から始まり、最近では大企業においてもデータ改ざんといったフェイクは氾濫している。こうした時代にあって、どうビジネスをしていけば良いのか、それにはまず顧客に「聞く」こと、顧客の声に耳を傾けることから始めることだ。「言う」から「聞く」である。顧客は過剰情報のただ中にあって、素直に心を開くわけではない。繰り返し聞くことを通じ、「会話」を成立させることだ。ローコスト経営へとシフトした企業は多くあるが、セルフスタイル業態の場合、「何か」が障害となった時、顧客心理は右から左へと大きく振れることとなる。文句を言う相手がいないと言うことは、2度と行かない、使わないと言うこととなる。
このように極端から極端へと振れる時代、空気が一変する時代である。3ヶ月ほとで消費増税が実施される。不安を持ったままの増税結果は火を見るより明らかである。消費心理は8%導入時の駆け込み需要どころの話ではなく、萎縮どころか氷河期へと向かうこととなる。時代の空気は変わったと言うことだ。(続く)
  
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2019年06月16日

居場所づくりの時代 

ヒット商品応援団日記No739(毎週更新) 2019.6.16.



6月5日日経MJから上期ヒット商品番付が発表された。年々ヒット商品の数も少なくなり、しかも「ヒット」と呼んで良いのかどうか首を傾げたくなるほどの「小さな」なものばかりにあって、「令和」という新時代に向けた多くのイベントや売り出しが実施され、それらを日経MJは「新時代の大号令 高揚感列島を動かす」と書いた。勿論、東の横綱には「令和」が入り、大関には「10連休」が番付されるといった具合である。
その「高揚感」の有無、あるいは程度のことではなく、一瞬のうちにかき消されることとなった。それは5月28日早朝に起きた周知の川崎殺傷事件である。事件の詳細についてコメントできる専門家ではないが、事件後に犯行現場に献花に訪れる人が絶えないほどであると報じられている。推測するに数十名どころか数百名に及び、亡くなった小学生や保護者の関係者以外の人も多く、その衝撃さがわかる。

つまり、社会の「空気」が全く異なるフェーズに変わったということである。さらにその空気感を決定づけたのは6月1日に起きた元農水事務次官による長男の刺殺事件であった。以降、「引きこもり」というキーワードのもと、いじめ、孤立、家庭内暴力、80 50問題、中高年引きこもり61万人、・・・・・・そして、「引きこもり」の家族を支援する団体への相談が急増しているという。社会の空気が変わった本質は何か、多くの人はその背後にある「日本社会」のきしみに気づいているからに他ならない。いや気づいたというより現実に向き合わざるを得ない時代なったということである。
それは引きこもりというより、大きく言えば少子高齢化という社会構造の劇的な変化に向き合うことになったということである。その発端は2010年NHKスペシャルが特集した「無縁社会 無縁死3万2千人」であった。以降高齢者のみならず40~50代の現役世代に対しても、孤独死への備えも指摘されてきた。こうした一人暮らしの人間だけでなく、家族がいても「熟年離婚したら一人」「子どもに面倒を見てもらえない」と不安に感じる人も少なくない。実は子供に面倒をかけたくないとした家族とは真逆に、中高年になった子の面倒を高齢となった両親が生活をサポートすることができなくなったというのが「80 50問題」である。ちなみに高齢者の一人暮らしは600万人を超えている。これが高齢社会の現実であり、その軋みが社会へと露わになってきたということである。

さて、川崎殺傷事件の犯人についてであるが、中高年となった「子供」がたどった時代を考えるとまず思い浮かぶのは「就職氷河期世代」である。バブル崩壊によって就職口が閉ざされた世代であり、さらに1990年代多くの神話が崩壊した時代を生きてきた世代でもある。ベストセラーとなった田村裕(漫才コンビ・麒麟)の自叙伝「ホームレス中学生」の舞台となった時代である。「ホームレス中学生」はフィクションである「一杯のかけそば」を想起させる内容であるが、兄姉3人と亡き母との絆の実話である。時代のリアリティそのもので、リストラに遭った父から「もうこの家に住むことはできなくなりました。解散!」という一言から兄姉バラバラ、公園でのホームレス生活が始まる。当たり前にあった日常、当たり前のこととしてあった家族の絆はいとも簡単に崩れる時代である。作者の田村裕さんは、この「当たり前にあったこと」の大切さを亡き母との思い出を追想しながら、感謝の気持ちを書いていくという実話だ。明日は分からないという日常、不安を超えた恐怖に近い感情は家族・絆へと向かい、その心のありようが読者の心を打ったのだと思う。「個人」という視点に立って考えれば、未知の「挫折」を数多く体験した世代である。

少し前のブログ「新時代の迎え方」で、昭和が戦災からの復興であったのに対し、平成はバブル崩壊からの復興であったと書いた。バブル崩壊はそれまでの産業構造から始まり、働き方や生活スタイルに至る多くの価値観が根底から変わったとも書いた。そうした価値観の一つが実は「家族」という居場所であった。「ホームレス中学生」に描かれているが、母親は3人の子供達をつなぎとめ家族崩壊を食い止めることに必死であったように、多くの家族は各人の居場所探しに出かけることとなる。しかし、苦難は続く、いや今なお続いているといったほうが適切であろう。居場所探しは極めて個別であり、川崎殺傷事件の犯人のように両親の離婚に伴い伯父夫婦に引き取られるという居場所、「苦難」の人生を歩み本来受けるべき父性・母性のある居場所ではなかったようだ。この51歳の犯人を映し出す顔写真が中学生の時のもので、その後の40年近い生い立ちについてもほとんでわかってはいない。いかに社会との接点がなく、文字通り孤立した人生であったことがわかる。

以前ブログにも書いたが、1980年代半ばに高視聴率を誇ったTBSの「8時だよ、全員集合」が番組終了となる。以降、お茶の間で家族一緒にTV視聴する「家族団らん」という言葉は死語となった。つまり、経済的豊かさとともに子には個室があてがわれるがバブル崩壊によって、個と個をつなぐ役割を担って来た企業も、それまでの終身雇用に象徴される家族的な雇用関係は米国型の契約雇用形態へと移行する。別な表現をするならば家庭という居場所とともに企業という安定した居場所はどんどん少なくなる。その延長線上に今日の非正規雇用問題もある。正規雇用の企業においても、専門分野での仕事はどんどん細分化され企業はもちろんのことプロジェクトですら帰属意識は低い。そこで人事課が行う仕事の一つとして行われているのが、例えば全員参加の「運動会」である。ほとんど会話することのない個人同士が、一つの競技に力を合わせスポーツする、一種の企業家族の団欒のようなものである。運動会もそうだが、テーマに沿った仮装パーティやバーベキューイベントなんかも疑似家族という場を作ることが重要な人事政策となっている、これも居場所づくりである。

このブログのテーマである「消費」について言うならば、それまでの物理的単位、量、サイズと共に、時間単位、スペース単位、あるいは金額の単位、それらの小単位化が進行する。それらは「食べ切りサイズ」「飲み切りサイズ」といった具合であったが、それらを称して私は「個人サイズの合理主義」と呼んできた。1990年代の個性化といわれた時代を経て、2000年代に入り好き嫌いを物差しに、若い世代では「私のお気に入り」というマイブームが起きた。そして、2000年代前半から、働くシングルウーマンという言葉と共に、「ヒトリッチ」というキーワードが流行り「ひとり旅」がトレンドとなった。そして、お一人様用の小さな隠れ旅館や隠れオーベルジュが人気となり、言うまでもなく今なおその傾向は続いている。ラーメン専門店もお一人様用、居心地良く食べてもらえるように従来の店作りを変えた。その代表例が、周知の豚骨ラーメンの「一蘭」である。カウンターの座席を間仕切りで個室のようにした人気店である。勿論、にんにくの有無。ねぎの種類。味の濃い味、薄味。秘伝のたれの量(辛め)などは、オーダーシートで細かく注文ができるパーソナルサービスである。最近では女性客だけでなく、訪日外国人の人気ラーメン店の一つにもなっている。
しかし、周知のように経済の停滞や非正規雇用といった就業への不安などによって急速に「お気に入り」から、「我慢生活=身の丈消費」へと移行する。そして、その個人サイズの合理主義の延長線上に実は質的変化も出てきた。こうした合理主義はデフレマインドと重なり、個人サイズはどんどん進化した。

実はこうした家族と離れた「個人」の消費心理を変えたのが2011.3.11の東日本大震災であった。その年の流行語大賞にノミネートされた「絆」に代表されているように、家族、仲間、地域、コミュニティ、日常、思い出、・・・・・・こうしたことへと揺り戻しが始まった。グルメ雑誌を飾った飲食店ではなく、街場の飲食店を扱った「孤独のグルメ」が人気となったように。いや私たちが知らないだけで、孤独どころか繁盛している店が無数にあると言うことであった。「街」と言う単位で言うならば、前回取り上げた「東京高円寺」なんかは文字通り人と人とが行き交う賑わいのある街である。高円寺を住みたい街ではなく、暮らしやすい街と表現したが、住民にとって居心地の良い街・居場所と言うことである。
更に言うならば、2000年代半ばのヒット商品であった一人鍋から家族全員で食べる鍋やバーベキューに変わり、企業や団体では福利厚生を踏まえた前述の運動会が盛んになった。勿論、「一人」と言う価値観はあるのだが、家族や仲間などの世界とを行ったり来たりする新しい関係へと向かっている。バラバラとなった人間関係をつなぎ、さらにより深めたり、あるいは修復したりする記念日消費という「関係消費」に注目が集まる。

このように消費から見ていくとよくわかるのだが、進行しつつある多くの「単位変化」があまりにも急速に進んでいくことに、「社会」が追いついていけない現状があり、ギシギシと音を立てている。川崎殺傷事件も元農水事務次官による長男刺殺事件もそうした軋みの一つとして見なければならないということだ。そして、少子高齢社会のもう一つの軋みが少子化である。昨年からの虐待死事件も児童相談所も警察も追いついていないことがわかる。少子高齢社会のスピードに社会を構成するあらゆる企業も、行政も、勿論日本人各人が追いついていないということだ。そして、重要なことは、周りの住民、周りの社会が問題の社会に気づくことにある。気づいたら勇気を持って社会に相談することだ。そんな会話できる社会を目指すことであろう。
この2年間ほど未来塾で取り上げてきた賑わいのある街、活気あふれ顧客の絶えない店、・・・・・・そうしたところには家族や仲間をつなぐ「居場所」づくり、会話のある楽しめる場所づくりがなされていることがわかる。



単位の物差し変化の先に、どんな社会へと向かうのか。これも仮説ではあるが、個人単位の組合せ社会、有機的結合社会、新しいコミュニティ社会へと向かうであろう。家族も従属関係ではなく、互いに尊重し合う関係という家族、個々人の組み合わせ家族、そんな令和時代に向かうのではないかと推測する。そうした家族生活、ライフスタイルはどう変わっていくのであろうか、当然消費のあり方も変わっていく。今回はそんな少子高齢社会がもたらす社会変化について整理したのでビジネス着岸に活用していただければと思う。
社会の軋みをどう解決するのかという根本の課題解決ではないが、一つの着眼としてはバラバラとなった人間関係をつなぎ直し、さらにより深めたり、あるいは修復したりする「失われた縁の回復」には「記念日消費」も一つとなる。母の日や父の日といった記念日、あるいは誕生日や結婚記念日といった記念日もあるが、人には大切にしたい個別で多様な記念日もある。そんな記念日を祝うことがますます重要になる。「居場所」は物理的な場所もあるが、その根底はやはり「こころの居場所」である。そんな居場所づくりがビジネスの世界にも求められる。(続く)
  


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2019年06月02日

楽しむデフレから深刻なデフレへ 

ヒット商品応援団日記No738(毎週更新) 2019.6.2.



長い令和休日も終わり令和の時代が具体的にスタートした。その国賓の第一号として米国トランプ大統領が来日し、その話題でTVニュースの多くがが埋まっていた。こうした中で懸案であった1-3月のGDP速報値の発表がなされた。多くの民間シンクタンクのマイナス予想とは大きく異なる年率プラス2.1%成長という結果であった。しかし、日本の経済に問題ないかと言えばその逆で、プラス成長の理由が大幅な輸入減少であることがわかった。つまり、このプラス成長の数字に貢献したのが輸入の減少によるもので、内需の拡大や輸出の拡大によるプラスではないという事実であった。マクロ経済の専門家ではないので専門家の論を借りれば、名目値で言えば102.9兆円もあった輸入が94.7兆円へ。8.2兆円も輸入が減少したということであった。この8.2兆円の減少が見かけ上のGDPを押し上げたというわけであった。この輸入減少がなければ、多くのシンクタンクが予測したように名目で年率マイナス2.7%であったということである。

さて問題なのはこの「輸入減少」にある。国も人も同じように景気の良い時は多くのモノを買い生活を満たすことであったが、実は日本の購買力が落ち始めていると分析する専門家は多い。購買力の低下とは内需の冷え込みのことであり、その内需とは個人消費と設備投資がその多くを占める。私流の表現に従えば、個人消費で言えば「デフレを楽しむ生活」であり、設備投資で言えば「人手というロボット」という単なる生産性の視点によってしかビジネスを見ようとしない経営、そんな時代を迎えようとしている。極論ではあるが、生産性の視点に立てば、お金がお金を生む投資がリスクはあるものの一番効率が良いとする考え方である。例えば、設備投資ではなく、ビットコインのような金融投資へと向かうことである。しかも、それら投資は「企業」だけでなく、「個人」によっても行われるが、その世界を広げれば企業における海外の有望企業への株投資や買収と同じ発想である。設備投資とはその設備を使うのは「人」であり、人への投資へと向かうこととなるのだが、現段階ではその設備(ロボット化)の方が人より生産性高く働いてくれることが多くなってきている。少し前から、コンビニや飲食チェーン店のバックヤードなどでの悪質な「悪ふざけ」動画のSNSへの投稿が問題となっているが、各店のオーナーや店長はレベルの低いアルバイトを使わざるを得ない人手不足状況によるものと理解はしているが、本音はそんな低レベルのアルバイトなど使わずに、「ロボット」に全てを任せたいと思っている経営者は多い。勿論、こうしたロボット化とは異なる道、「人」への投資を実践している企業も多くあり、このブログでも取り上げてきたが、現在はそうした過度期にあるといえよう。

前回の再掲したブログでは競争市場にあって5つの違い(差)づくりの事例を再度取り上げた。なぜ取り上げたのかその背景は勿論消費増税を迎えどんな違い=戦略を採ったら良いのかその判断材料の一つにしてもらいたかったからである。多くのビジネスマンが注視するのがやはり「価格」であり、内需冷え込みの最大の課題である個人消費の低迷の「今」を少しの事例を含め報告することとする。
「価格」について一番わかりやすいのが食品スーパーであろう。今、神奈川県の専門店において注目されているのが食品スーパーのロピアとオーケーの戦いであるという。エブリデーロープライスをポリシーとしたオーケーについては何回かブログで取り上げてきたのでここでは省略するが、一方のロピアはここ数年前からオーケーに対抗できる食品スーパーとしてデベロッパーによる戦略テナントとして導入されてきた企業である。そのロピアの強みは高品質で低価格な精肉という商品で主婦の圧倒的な支持を得ている食品スーパーである。神奈川の大手デベロッパーである海老名のららぽ~とを始め、橋本のSCミウイ、さらに以前価格帯市場というキーワードで取り上げた横浜港北ニュータウン・ノースポートモールにそのロピアが今年3月に導入されている。ある意味SC集客の立て直しの戦略テナントとして導入されたのだが、その競争相手が同じ商圏内にあるオーケー対してである。
今年3月にノースポートモールにロピアが導入され周辺市場はどうなったかというと、オープン以降ロピアと近くにあるオーケー以外の食品スーパーは極論を言えば客数が激減したと言われている。実はノースポートモールの食品売り場の一つであったブルーミングブルーミー(いなげやグループ)の撤退に伴い富士ガーデン(ニュークイックグループ)も併せて導入されている。少し専門的になるが、ニュークイックは首都圏のSCなどの精肉売り場を展開している大手専門店であり、ロピアもまた精肉関連の強みを持った食品スーパーである。ロピアとオーケーそれぞれの強みを生かした売場作りを行っているが、勿論その競争軸は「価格」にあることは言うまでもない。どんな価格帯で市場を制するか、プライスリーダー競争が始まっているということである。この競争から学ぶべきことの一つは、この2社に顧客は集中し、同一商圏内の他の小売業・専門店は大きな打撃を受けるということにある。
実は「価格帯市場」というキーワードを使ったのは今から2年半ほど前からであるが、ロピア対オーケーという競争軸がら見えてくることは、その価格が更に押し下げられ消費移動が始まると理解認識すべき点にある。
ライフスタイルの変化は「日常」、しかも「小さなこと」から始まる。その変化が一番わかりやすく出てくるのが「食」である。売れない雑誌にあって、発行部数を落とし続けてきた「レタスクラブ」は編集長を変え、それまでの料理における「こだわりレシピ」から「簡単レシピ」へと変更し、特に1ヶ月分の献立カレンダーは読者から好評を得ているという。あれこれ考えることなく、忙しい主婦の味方になっているように、「時短」コンセプトによる「使える雑誌・情報」に支持が集まっているからである。

そして、この「デフレを楽しむ」生活の知恵がやっと売れない雑誌をも立て直したということでもある。こうした傾向は郊外の主婦に向けた市場の中心的価値観の多くを占めているが、都市部のSCを中心とした「食」の分野も「低価格帯」とは異なるもう一つの市場が生まれてきている。そのリーダー的企業が成城石井であろう。低価格帯とは言えない市場であるが、それまでの輸入食品や生鮮品のこだわり食材に特徴を見出してきた成城石井であるが、一時期経営がおかしくなり、10年ほど前から立て直しが始まる。本店であった成城駅前店にはよく行くのだが、そこで立て直しの食として出会ったのが「パン」であった。勿論「手作りパン」であるが、こうした日常の小さな惣菜類に至るまで多くの「手作り食」を提供することによって売上利益ともに一つの軌道に乗せた経緯を記憶している。今成城石井が行っていることは「イートインスペース」が作られ成城石井らしさ、というライフスタイル感の創造の試みである。家庭で作るのは少々大変であるが、「こだわり食」をイートインでも食べることができるということである。雑誌レタスクラブのコンテンツであった「こだわり食」が成城石井であれは少し高い価格ではあるが、食べることができ。その食材を購入も勿論できる、そんなこだわりのライフスタイルの提供と言える。

成城石井のような都市型ライフスタイルの創造アプローチによる市場創造にはここ数年いくつかの企業が参入し始めている。その代表的企業が雑貨を本業とする無印とロフトである。取扱商品という側面からは「雑貨専門店」ではあるが、目指すところは成城石井と同様ライフスタイルの提供にある。この2社に足りなかったのが「食」でライフスタイルの提供には実は欠かせない商品となっており、どこまでやり切れるか注視していきたいと思っている。その無印であるがかなり以前から「食」についてはレトルトカレーなど販売してきているが、昨年秋に発売した「ぬか床」がヒット商品となった。しかし、発酵させるには時間がかかることもあって、今なお欠品が続いている。食は日常であり、欠品は致命的なことになる。ホテルに併設された銀座の店舗では弁当も取り扱っているようだが、単なる話題作りに終わらせないで欲しい。
一方、銀座ロフトもリニューアルを行い、その目玉としているのが「食」である。着眼としては無印と同様であるが、銀座ロフトの「ロフトフードラボ」では、ブランチやカフェタイムに、夜にはバーとしても利用できる約30席のイートインコーナー。素材にこだわった限定スイーツやフルーツドリンクを楽しめる一つのライフスタイルアプローチである。2社ともに言えることだが、単なるライフスタイルの演出ツールとしての「食」に終わらせないでほしい。

今回取り上げたのは価格帯市場の「今」とともに、もう一つのアプローチであるライフスタイルへの着眼。そうした競争市場が、同じ商圏内、同じジャンル内、更にはそうしたシェアーを得るべく軽減税率の対象となっている「食」を取り入れた競争が始まっているということである。2ヶ月ほど前のブログにも書いたが、乳製品を始め人件費や物流費の高騰により「値上げ」の春という表現を使ったが、6月になってもカップ麺など値上げが続く。こうした値上げは、消費税10%導入後の値上げは不可能であると考えているからである。政府のキャッシュレス化推進に合わせて各社の「ポイント」競争が展開されているが、この「お得競争」があらゆる業種・領域に浸透し、結果は当然であるが「デフレ」はますます深刻なものとなる。楽しめるデフレから深刻なデフレに向かうということである。500円ランチは400円になり、千ベロ酒場はおじさんだけでなく若い世代向けも含め一般化し手織り、その代表的な店が大阪ルクアイーレの紅白(コウハク)や「魚屋スタンドふじ子」である。中食は勿論だが、内食も更に進み、しかも「時短」でないものは売れなくなるであろう。一方企業の側もスーパーにおけるセルフレジのみならず、ユニクロのように購入商品をカゴに入れたまま精算支払いができる無人化も進む。経営体力のある企業は生き延びていくが、中小、特に家族でやっているような街場の飲食店は後継者もいないこともあってどんどん閉店していくこととなる。一時期話題となったTV番組「孤独のグルメ」に取り上げられた街場の名店も次々と閉店している。東長崎の「せきざわ食堂、江東区枝川の定食屋「アトム」、浦安にある静岡おでんが食べられるカフェ「Loco Dish」、私の自宅の近くにあった千歳船橋の「中華日和」も閉店したようである。名店と呼ばれた店ですらこうした状況にある。消費増税による影響は利便性の高い駅から離れた住宅地の商店街・商店からすでに消滅が始まっている。深刻なデフレとは、衰退ではなく、消滅へと向かうことである。

こうした購買力の低下に伴う市場・顧客変化が進むなか、少し視野を広げれば米中貿易戦争の影響が日本の産業界に押し寄せ始めている。それは両政府間の関税競争から、ファーウエイへのアンドロイドOSへの提供を打ち切ると発表したGoogleのように民間企業間に消費生活に直接その影響が出始めている。周知のようにソフトバンク始め、「5G」についてはファーウエイ排除へと動いており、至る所で影響は出てきている。勿論、その先にはAI(ビッグデータ)における競争、覇権争いがある。6月末のG20サミットが一つの山になると言われているが、簡単に終わる「戦争」ではない。両国とはその貿易面で密接な関係にある日本であり、「消費」への影響がどんなところに出てくるか注視していかなければならない。何が起こっても不思議ではないという時代に入りつつあるということだ。(続く)

   


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2019年05月23日

「テーマから学ぶ 差分が生み出す第3の世界」 後半 再掲  

ヒット商品応援団日記No737(毎週更新) 2019.5.23.




(前半からの続き)

時代ならではの新しい「差」の創り方

今まで取り上げてきた飲食業態は、どちらかというと一定の規模、チェーン展開を可能とする「差」の創り方ビジネスである。「俺の」のビジネスの場合、地価の高い東京での経営の第一として、立席スタイルによる顧客の回転率を高めたことにある。このように地価の高い都市部、賃料に見合うビジネスとして様々なアイディア溢れる「差」創りによる集客が行われている。
そうしたアイディアの方向について整理すると、ほぼ次の4つの「差」創りに分けることができる。

1、迷い店
看板のない、入り口がどこかわからない、雑居ビルの地下や3~4階、あるいはごく普通の住宅街にあるなかなかたどり着けない迷い店。こうした店舗立地の分かりづらさを逆に活用した、面白がり・ゲーム感覚を売り物にした「差」づくりの店である。

かなり前のことになるが、表通りからは入ることができない中華料理の行列店がある。帝里加 (デリカ)という店で銀座8丁目の首都高速汐留パーキング(地下駐車場)にあるまさに知る人ぞ知る店である。古い店で今もやっているかどうか食べログで調べたが今も健在のようだ。銀座の中心からは少し離れてはいるが、当時のランチは確か550円程度であったと記憶している。当時は銀座の外れとはいえ安く食べられる店として人気があったが、確か数年前に「地下駐車場にある中華料理店」という珍しさがTV局に取材され、そうした意味での観光客も訪れるようになっているようだ。

こうした隠れ家的な店から、今や見事にたどり着けない店が至る所に出てきている。こうしたたどり着けない光景はTV的で見られた人もいることと思う。例えば、テレビ朝日 スーパーJチャンネルで紹介された新宿三丁目の「ホルモン鍋盛岡五郎」はまさに迷い店の典型であろう。雑居ビルに看板は出ているが、店があるべき場所には、業務用大型冷蔵庫の扉があるだけ。実は冷蔵庫の扉=店の入口で、店主いわく「店名は忘れても冷蔵庫の扉は印象深い」ことから、からくりめいた構造にしたのだという。

2、狭小店
地価の高い都市、更には使えないほどの狭い空間、ある意味都市が生み出すデッドスペースをうまく活用した店舗である。

「すし処まさ」という名前を知っている人はかなりのすし通として食べ歩いている人であろう。もしそうでなくても”ああ、あの店か!”と思い出す人もいると思う。新橋駅前ビル2号館の地下にあるわずか3席しかない寿司店としてTVなどでも取り上げられた店だ。勿論、完全予約制で、2~3年先まで予約で一杯という店で、プライベートな「マイ寿司店」である。

「すし処まさ」も古い店であるが、古くからある狭小店となると、JR神田駅高架下の焼肉「六花界」も同じで数名も入れば一杯となるわずか2坪半の立ち飲み焼肉店である。肉を焼く七輪はわずか2つ、隣り合わせの見知らぬ客と一緒に焼いて食べるので、仲良くなること請け合い、縁結びの店としても有名である。TVでも何度となく取り上げられてきたので、遠方から「六花界」を目当てに来る「観光地」にもなっている。

また小田急線新百合ケ丘駅には階段下にこれも狭いカレー専門店がある。「チェリーブロッサム」という店で、ここも席数はわずか5席。階段下というデッドスペースを女性店主が小田急電鉄と交渉の末、了解を得て店舗にしたという。「チェリーブロッサム」も「六花界」と同様、見知らぬ者同士が仲良くなるとして「縁結びの店」としても知られている。

マーケティングに「プロブレム・イコール・オポチニティ」というキーワードがある。問題点こそ新たな解決の入り口となるという意味だが、狭小であればこその世界、「差」の創り方があるということだ。

3、遠い店
4年ほど前からテレビ朝日による行列ができる即日完売の店を漫才コンビU字工事が訪れる「いきなり!黄金伝説」という番組がある。この番組放映を見て、全国各地にある行列店観光の旅をする人も多く出てきたと思う。「そこまでしても食べたい」というのは食欲のそれではなく、食べ歩きの趣味が高じた一種の「行列オタク」といった方が分かりやすい。

迷いはしないが、とにかく遠くても行きたい人気店がある。最近ではハイキングコースとして知られる高尾山に温浴施設が出来て、登山と共に楽しめるようになったが、それまでのもう一つの楽しみが名物の蕎麦である。
最近ではこうした遠くても行列オタクが出没する日本一標高の高い山頂のパン屋さん「横手山頂ヒュッテ」が人気となっている。長野県と群馬県の県境にそびえる横手山の山頂にあるパン屋さんであるが、毎朝山頂で焼き上げる絶品のパンは、一度食べたら忘れられない味という。

これもTV番組的な話題として格好のものであるが、ここ数年「遠くても行きたい」オタクが増えてきている。撮り鉄、乗り鉄といった鉄道フアンはよく知られた存在であるが、全国各地の食による町おこしイベントであるB1グランプリがスタートして以降、全国各地のフードイベントを食べに旅行する「食べ歩きオタク」が多くなってきている。そうした意味で、「遠く」は問題とはならず、逆に「遠く」を楽しむ世界が生まれてきたということである。
勿論、そのためには「際立った」、「ここだけ」「この時だけ」という明確な「差」創りが求められていることは言うまでもない。

4、まさか店
「まさか」とは、あり得ない、いくらなんでも、本当!といった意味で使われる言葉であるが、常識を覆した店が激増している。特に、激増しているのが「デカ盛り」「メガ盛り」といった「量」の意外性を売り物とした、「差」創り店。もう一つが「価格」のまさかで当然原価割れしていることがわかる超低価格の設定である。こうした店の多くは口コミを始めTV局が取材してくれるであろうことを期待したもので、いわゆる宣伝費として実施しているところが多い。

こうした宣伝費として行う店は一定期間集客し、経験してもらえれば終了するというところがほとんどである。「まさか」を継続している店、今なお経営している店の一つが横浜を中心に展開している蕎麦店「味奈登庵(みなとあん)」であろう。創業40年、フルサービス店とセルフサービス店の2タイプがあるチェーン店だが、製麺工場に店舗がある、そんな業態である。1番の人気はつけ天。注文が入ってから天ぷらはあげる。美味しくて値段が手頃のため一日に400人以上が押し寄せる店である。
ところで、そのメニューであるが、セルフサービス店の人気の蕎麦の「富士山もり」はまさに超デカ盛りの蕎麦である。(是非HPを見て頂けれと思う。)
もり 300円
大もり 400円
富士山もり 500円
皿もり 300円
冷やしそば500円
おそらく「デカ盛り」と言った言葉がない時代から継続して提供しており、いわば元祖デカ盛り蕎麦店と言えよう。

これ以上数多くある「まさか店」を取り上げてもおまり意味はないので取り上げないが、いずれの場合もその最初の驚きは次第に慣れと共に無くなっていく。店も、メニューも、サービスも、オープンの時が一番新鮮な驚きを提供する。この鮮度を保つには次々と異なる「まさか」を導入し続けるか、もしくは「味奈登庵」のようにプロモーションとしてのそれではなく経営ポリシーとして持続させ、そのことを顧客が良く理解し共感を得られるか、そのどちらかである。
「味奈登庵」の場合、富士山もりに象徴されるデカ盛りによって創られる「差」は、独自な世界、第三の世界を見事に創り得ることに成功し、一つのブランドにまで高め得た事例である。
価格における「まさか」と思わせる「安さ」をブランドの根底に据えた専門店には、あのドン・キホーテがあり、均一価格100円としてはダイソーがある。この2社がブランドとして成立し得たのは、「差」創りという視点に立てば、見事なくらい第三の世界を新たに創り得たことによる。


テーマから学ぶ


今回のテーマは競争市場という避けて通ることができない現在にあって、「差分」という発想から見た幾つかの事例を取り上げ、顧客支持が得られる「差」とは何かを分析してみた。

5つ目の「差」創り

ところで私のブログや拙著を読んでいただいている人には、チョットいつもとは違うなと思われると思う。特に、4つの「差」創りのところである。実は4つではなく、5つであるのだが、一番重要なことは人による「差」である。例えば、周りを大型商業施設に囲まれ、衰退するかのように誰もが考えた江東区の砂町銀座商店街には、個性豊かな「あさり屋」の看板娘や昭和の匂いのする銀座ホールには人の良い名物オヤジがいる。そうした多彩な「役者」が日々商売している商店街である。それを目当てにご近所顧客どころか、都内から多くのシニアが押しかける商店街となっている。
街場の商店の最大の競争力、他に代えがたい「差」は人である。その人が作るメニューは量産できるものではなく、家庭料理、おふくろの味といっても過言ではない。それを人情食堂と呼ぼうが、昭和の洋食屋と呼ぼうが、その多くは「人」が創る「差」、固有な世界、まさに第三の世界がそこにはある。今回はそれらを分かった上での「差」とは何かを事例をもって分析した。

「差」の大きさがその後の明暗を分ける

今から3年ほど前に「俺のフレンチ・イタリアン」を取り上げた時、「ありそうで無かった」飲食店として「東京チカラめし」についても同じような視点で取り上げたことがあった。いわゆる焼肉丼の専門業態であるが、取り上げてから2年後には半年で一気に39店舗の閉鎖という結果となった。「焼き牛丼」(並盛330円)というスタイルと安さで、「吉野家」や「すき家」、「松屋」といった牛丼チェーンを猛追し、急成長した専門店である。その縮小(直営12店舗、フランチャイズ3店舗のみ運営)理由や背景は業界的には様々言われてきたが、俯瞰的に見れば「価格差」と「メニュー差」共に、実は大きな「差」として新しい世界を創り得なかったということになる。「東京チカラめし」導入後、牛丼大手にはすぐに「焼肉丼」というメニューが並び、メニュージャンルとしての「差」はなくなった。また、価格についても他の競争相手となっている牛丼だけでなく、今や外食最大手のコンビニ弁当との「差」を創り得なかったということである。
一方、同時期に「ありそうでなかった」メニュー業態で、多くの顧客支持を得た「俺の」も今手直しが入っている。スクラップ&ビルトは常であるとは言え、新しい「差」創りの成功と失敗という一つの事例として学ばなければならない。
情報の時代とは類似を生む時代だけでなく、顧客の側に立てば自在に選択できる時代ということである。小さな「差」は次第に周りの食の情報に埋もれ、選択のテーブルには上がらなくなっていく。

サイドメニュー戦略の進化と深化

今までのサイドメニューと言うと前述のナタデココのようなデザートが代表的なものであった。女性客を獲得するには甘いものは別腹という言葉があるように、飲食業界はこぞってデザートを競い合ってきた。こうしたサイドメニューの原型はどこにあるかと言えば、ファミレスがお手本として導入したのはホテルレストランであった。1970年代お手頃価格でホテル並みのサービスを満喫できる、そんなスタイルの最後に出てくるのがデザートであった。つまり、食のスタイルとしてのデザートである。この考え方は、外食で言うとファミレスから居酒屋まで取り入れられてきた。例えば、それまでの焼肉店ではデザートはあまり充実してはいなかったが、「差」創りとしてアイスクリームなど充実させたのが牛角チェーンであった。

しかし、競争はそうした「差」を差としなくなってきた。つまり、顧客の側にとってあらゆるところにスイーツが氾濫するようになり、特にコンビニにおけるスイーツのクオリティは高く、消費の先鞭をつける女性にとって最早差を感じることは少なくなってきた。結論から言うと、デザートの「戦略性」はどんどん減少してきたということである。

そして、こうしたメニュー環境を進化させたのは同一業種間の競争ではなく、業際という垣根がなくなり、選択肢は顧客の側に移った時代の只中にいるという認識が重要となる。7年ほど前から「ワンコインランチ」という言葉が当たり前のように使われてきた。何をランチで食べるかではなく、500円のランチを食べるという、デフレ型消費心理の象徴となるキーワードであった。また、同時期に流行った言葉がガツン系とかデカ盛りといった言葉であった。しかし、一方では一番活発な消費を見せる30代男子は「草食系」と呼ばれ、「お弁当族」なる言葉も流行った。多様な消費といえばそれで終いであるが、実は「多様さ」を突き抜けるようなメニュー模索が始まっている。

その一つがメインメニューとしてのサイドメニューである。言葉遊びのように思えるかもしれないが、両輪としてのメインメニューとサイドメニューといった方が的確であろう。「よもだそば」の看板には”自家製麺とインドカレーの店”とある。文字通り読むとなると、「そばとカレーの店」となる。
業際とは異なる事業にまたがった新事業を指す言葉だが、「よもだそば」の場合は異なるジャンルの異なるメニューにまたがる新しい専門店とでも表現したくなるそば店である。つまり、それほどまでに、専門店並みのカレーを提供しているということである。
新橋「丹波屋」のネパールカレーしかり、回転寿司の「くら寿司」のラーメンやシャリカレーもしかりである。そして、このサイドメニューのメインメニュー化によって新たな顧客層の拡大と客単価のアップという2つの戦略が同時に行なわれているということに注視する必要がある。
そば屋なのにここまでやるのか、回転すしなのにここまでやるのか、といったサイドメニューに「差」を創るところまで競争は進化し、深化してきたということである。そして、今後の競争はこうしたサイドメニューにおける「差」創りによって新たに生まれる第三の世界間の競争へと向かう。

課題をチャンスに変えるアイディア

外食特に客層を広げる必要のある店の第一のポイントは出店立地である。しかし、都市部の一等立地と言われる場所は賃料も当然高くなる。賃料に見合う経営をするにはどうすべきか、その良き事例の一つが「立ち食い」=「高回転」=「ニュースタイル」を生み出した「俺の」であった。今回さらに取り上げてみた「迷い店」「狭小店」「遠い店」「まさか店」はそうした課題に対し、いわば逆転の発想を持ってチャンスに変える店づくり、「差」創りである。
その「差」創りは情報の時代ならではのもので、「迷い店」「狭小店」「遠い店」も含め、その意外性、驚きをどうつくるかという「まさか店」である。話題性が最大の集客力となるのだが、その話題も時間経過と共にその「鮮度」は落ちてくる。ちょうど東京ディズニーリゾートが一定の間隔で新たなアトラクションを導入し、常に変化あるエンターテイメントを提供し続ける構図と同じ宿命を持っている。飲食業におけるアトラクションは「メニュー」ということである。

激安、激盛り、激辛、・・・・・・激であればあるほどまさかという「情報」を求めて行列ができる。行列という情報は、また次なる行列を呼ぶこととなる。いわば観光地化が進んでいくということである。こうした観光地化を「街単位」「エリア単位」で再生したのが、「谷根千」(谷中、根津、千駄木)である。拙著「未来の消滅都市論」にも書いたが、その後も「谷根千」には続々と和物の雑貨などの「観光地土産店」が誕生している。観光客に対し、昭和レトロというテーマ集積、テーマパーク化が進行しているということである。「まさか店」もメニュー創りとして、同様のテーマパーク化に向かうこととなる。つまり、「まさかメニューの充実と拡大」が観光鮮度を維持するということになる。

こうした「まさか店」を成立させる着眼の一つが、「差」創りにおける「あっと思わせるようなトリック世界」、あるいは「なるほどと思わせる物語世界」である。前者は「迷い店」で取り上げた業務用大型冷蔵庫の扉を入り口とした新宿の「ホルモン焼き店」であり、後者は「狭小店」の神田の立ち食い焼肉の「六花界」における縁結び物語となる。

ところで、この未来塾を書いている最中に再来年春に導入予定である新消費税における軽減税率の概要が政府&与党内でほぼ決まったと報道された。その内容だが外食とアルコール飲料以外の生鮮食品、加工食品については現行の8%に据え置くと。逆に、外食産業は10%になるということである。テイクアウトやデリバリーは軽減税率の適用を受けるようだ。そして、誰もが考えることは、2017年春以降は「内食化」が進むであろうと。それは更に「食」における競争が質的に激化するということであり、どんな「差」を創るべきか、チェーン店も、個人事業者店も、その明確な戦略が一層求められていくことは間違いない。
繰り返しになるが、「差」によって生まれる、顧客の脳が創りあげる「お値段以上の何か」「新しい何か」「第三の世界」をめぐる競争となる。そして、ほぼ軽減税率が決まったことで、外食産業は次なる戦略と実行への準備が一斉にスタートする。創り手の主張、メッセージがこの「差」に託され、顧客の側もその選択肢で応える、そんな市場になる。
どんな時代であっても、顧客の選択肢とは理屈としてではなく、自ら経験・食べもし、そのことによって「差」を体験するのである。今まで体験したことのなかったような、そんな突き抜けるほどの「差のある世界」であれば、リピーターやオタクとなる。ある意味、オタクという存在は突き抜けた「何か」を感じる、そんな「差」を決めてくれる存在である。いわば次の何かを感じ取るアンテナショップならぬ、アンテナオタクの時代を迎えたということだ。(続く)
  


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2019年05月21日

「テーマから学ぶ 差分が生み出す第3の世界」 前半 再掲 

ヒット商品応援団日記No736(毎週更新) 2019.5.21.

前回のブログでポイントという「お得」競争が洪水のごとく蔓延している状況を指摘した。こうした「お得」という魅力を3年半ほど前に既に整理し、「差分が生み出す第3の世界」というタイトルでブログに書いた。簡潔にいうならば、「お得」という「差づくり」の整理であり、「差分」という新しいキーワードによる新市場創造の事例をレポートしたものである。特に飲食を事例としているので、今回の消費増税への対応策、ポイント洪水から脱却する着岸に税ひ活用していただけれと思う。

「差分」という聞きなれない言葉を使ったが、これは慶応大学佐藤雅彦研究室による「差分」(美 術出版社刊)によるものである。この「差分」という考え方をもう少し現実ビジネスに引き寄せて、競争市場下の「今」をテーマとした。特に、消費の世界におけるデフレ的現象が続く中、従来の「価格差」以外の競争力として新しい芽とその背景について学んでみることとする。




「テーマから学ぶ」

「差分」が生み出す第3の世界
競争市場下の「今」


5年ほど前になるが、インテリア業界に一つの革命をもたらしたニトリだが、その躍進について、似鳥社長はTV局のインタビューにその「安さ」について”20%程度の安さでは消費者の心を動かすことはできない。動かすとなるとやはり30%以上の安さでないと”と答えていた。しかも、”お値段以上のニトリ”をコンセプトとしている。こうした「差」がもたらす世界は価格だけでなく多様な消費世界に現れている。ビジネスマンであれば、必ずついて回るテーマ、「どう差をつくるか」について、その「今」を、飲食市場に現れた新しい「芽」をテーマとして取り上げてみることにした。

ところで「差分」という聞きなれない言葉を使ったが、慶応大学佐藤雅彦研究室による「差分」(美術出版社刊)によるものである。脳科学を踏まえた次なる表現を多くのビジュアルを使って、”「差」を取ることで新しい何かが生まれる”ことを検証した著作である。差分とは隣り合ったものの差を取った時の「脳の答え」であるとし、その比較には新しい情報が含まれていると指摘をしている。
ニトリの例で言うならば、他との価格差が20%引きでは何事も生まれないが、30%引きになると価格差以外に「新しい何か」「心を動かす何か」「お値段以上の何か」という「第3の世界」が生まれるということになる。少し単純化してしまい佐藤教授には申し訳ないが、私のこの著作から受けた「解釈」はそうしたものであった。「差分」は大変示唆的な著作であり、著作権の問題からビジュアルを含め多くを引用できないので、是非とも一読されたらと思う。

この「差分」という考え方をもう少し現実ビジネスに引き寄せて補足するとなると、やはりブランドあるいは老舗の持つ「差」とは何かということにつながる考え方・着眼である。景気が低迷するデフレの時代にあっては、「価格差」が違いを明確にする一番の要因ではあるが、一方根強いブランドフアンもいる。拙著「未来の消滅都市論」にも書いたことだが、「差異」は顧客によってつくられるとし、ボードリヤールの記号論を引用しながら「特別なコード」、記号価値が消費を左右すると書いた。この記号価値が購入したいと欲求する価格を決めるもので、他に代えがたい記号価値を持つものとしてブランドや老舗を位置付けた。
「差分」という文脈から言うとすれば、多くの時間を経た歴史や文化が堆積した「何か」に新しさを感じ取る、「脳の答え」として創造されているということになる。私の言葉で言うと、Old New、古が新しいと感じる世界のことである。結果、「価格差」が生まれるということになる。
そして、前回の未来塾「シモキタ文化」のところでも書いたが、古着フアンにとって古着とは他者との「違い」を自己表現の中に取り入れる特異な商品としてある。そして、多くの古着フアンはそうした「一点もの」、あるいは「レア物」を探すことを「出会い」と呼び、その「差」を楽しむ消費スタイルとなっている。しかも、上から下まで1万円というのが新品の価格ゾーンで一般的となっているが、古着においては3000円となり、安価に「差」が創れる新しい第3の世界という商品ということだ。

デフレ時代にはこの「価格差」が消費心理の多くを占めてきた。佐藤雅彦先生流に言うと、脳がそのように答えてきたということである。1990年代後半、デフレの旗手と言われたユニクロ、吉野家、日本マクドナルド、あるいは業態は異なるが、ネットショッピングの入り口で仮想商店街を作った楽天も入るかもしれない。今やリアル店舗で商品を確認しネットで購入というのが一つの消費パターンとなっているが、そのお膝元である米国では、アマゾンに負けじとあのエブリデーロープライスのウオルマートですらリアル店舗を受け取り場所としたネット活用に踏み切ってきた。これら全て「価格」の持つ「力」、「差」を戦略化した例であろう。
しかし、こうしたデフレ潮流も数年前から、単なる「安さ」だけでは「差」となりえない消費に向かってきている。その象徴例が圧倒的な「安さ」を売り物とした居酒屋チェーンの衰退である。おつまみをはじめとした食事メニューのほとんどが300円以下となり、若い世代の財布に優しい業態として成長してきた。しかし、その代表的な企業であるワタミは右肩下がりとなり、2015年3月期の決算では創業初の営業赤字、損失は126億円に及んだと報じられている。その中核事業である居酒屋チェーンの和民は2014年度中に約100店舗ほど閉鎖したことが赤字に大きく影響したのだが、それら全て顧客が離れていった結果であることは間違いない。私に言わせれば、それまでの「居酒屋」はお酒中心の業態であったところに、「居食屋」という新しいコンセプト、食事を中心とした業態に圧倒的な顧客支持を得ることができた。しかし、その「居食屋」業態には新たな業態が続々参入する。今ではあのファミレスや中華食堂の日高屋までもが、夕方ともなればサラリーマン相手のちょい呑み居酒屋へと変身する。「差」をつけるどころか、逆に「差」をつけられた古い業態へと向かってしまったことによる。ある意味、「変わること」ができなかった典型的なモデルケースとなってしまったということだ。


4つの「差」づくり

今回のテーマについてだが、1990年代後半からのデフレとは異なる「デフレ」が進行している。ここではその「デフレ」とは何かといった定義ではなく、消費という視点に立つとデフレ的現象が続く中、新しい「差」の創り方が幾つか出てきている。
まずその整理として、以下のような「差」の作り方がある。
●業態としての「差」
●メニューとしての「差」
●価格における「差」
●ネーミングなどコミュニケーションの「差」
勿論、こうした「差」の組み合わせも当然あるのだが、価格における「差」を踏まえた「差」の組み合わせが数多く見られる。


「俺のフレンチ」の革新性

「俺の」ビジネスモデルの出発点は2011年9月第1号店、わずか16坪の「俺のイタリアン」(新橋本店)であった。当時はあまり話題にはならなかったが、「俺のフレンチ」銀座本店をオープンさせた頃から、”立ち食いフレンチ”といういまだかってなかった業態に注目が集まり始めた。そして、2012年の日経MJ「ヒット商品番付」にもその特異性が紹介され、ブームが起こる。当時のブログ
「2012年ヒット商品番付を読み解く」において、私は次のようなコメントを書いた。

『今年のヒット商品は「ありそうで無かった」業態に注目が集まっている。その代表例が「俺のフレンチ・イタリアン」である。・・・・・・キャビアなどの高級食材を使った一皿1000円未満のレストランであるが、大半が立ち食い業態で1日の客回転が5回にも及んでいるという。東京新橋の立ち飲み居酒屋は中高年対象であるが、若い世代の立ち飲み業態、ショットバーは恵比寿を始め都内には無数存在している。しかし、食材にお金を使った本格フレンチ・イタリアンで一皿1000円未満、そのかわりに立ち食いスタイルという「ありそうで無かった」レストラン業態に若い世代が支持をしている。』

フレンチと言うと、高級で着席スタイルという格式を要した業態であると、多くの顧客は理解していたが、「俺の」の場合はリーズナブル価格で、立ち食いスタイルというカジュアルな業態という極めて大きな「差」を感じる人間は多い。しかし、そうした感じ方はシニア世代が多く、若い世代にとっては敷居は低く、しかも新鮮なスタイル感であった。同じ「差」であっても世代やマーケットによって大きく変わる良き事例である。
しかも、飲食業態は初期投資が大きく償却に時間がかかる。「俺の」の場合は、出店店舗の多くは撤退した居抜き物件で小さな投資で償却も短い、そんなビジネスモデルでもある。そうしたことから周知のように、「スパニッシュ」「やきとり」「割烹」「そば・おでん」「焼肉」「中華料理」と、その多様な飲食へと成長してきた。現在は30数店舗ほどであるが、世界への出店を含め、300店舗を当面の目標とすると発表されている。元々中古本販売の「BOOK OFF」の創業者であった坂本孝氏をリーダーとした企業で、その程度の店舗数をマネジメントすることは十分可能である。

ところで全ての店舗を見たわけではないが、ブームという期間を終え、業態やメニューに幾つか「手直し」が入っている。創られた「差」が大きければ大きいほど、新しい「何か」への興味・関心を呼び、結果ブームという現象が生まれる。つまり、新しい客層を開発することはできるが、同時に時間経過と共に利用回数も減ってくる、あるいは一度体験してみたいとした「観光利用」のような顧客は当然リピーターにはならない。
例えば、写真の「俺のフレンチ」は元は「俺のイタリアン」であった。そして、立ち食いスタイルではなく、34席全て着席スタイルといういわば業態の転換である。しかも、銀座並木通り店では初めてコース料理のみを取り入れている。ちなみに、フレンチとしてはかなり安いものであると思うが、例えば6品フルコースで3999円(税別)となっている。
今後どんな展開を見せていくか興味深いものであるが、着席スタイルの店を多くし、更には小型店を少なくし、大型店舗の出店を多くしていくと推測される。その象徴と思われる店が銀座に2店ある。
「俺のフレンチTOKYO」と「俺のイタリアンTOKYO」である。それぞれ180席と130席ほどの大型店舗で、全て着席スタイルとなっている。そして、ピアノなども置かれライブミュージックを楽しみながら食事をするといった具合である。アミューズ代300円、ミュージックチャージ300円が必要となる。そして、料理の方も今までの小型店でのメニュー価格よりかは高く設定されているようだ。

こうした手直しと共に、新規メニューの導入に際してはその単価を上げていくとも聞いている。つまり、リピーター化を図るための着席スタイルの拡大と、客単価を上げて新たな採算ベースの経営を行うということであろう。
また、こうした手直しが明確に出ているのが「俺のだし」であろう。オープン当初の店名は「俺のそば」であったが、店名の変更と共にメニューにも変化が出てきている。
銀座5の店頭写真を見ていただくと分かるように、「天丼」も出すようにメニューも変わってきている。勿論、蕎麦屋に天丼はつきものではあるが、そばに特化したメニューから客層を拡大するための一つの方策であると考えられる。元々、立ち食いそばは客層が広い業態である。そうした意味合いにおいては業態としての特異性は「俺のフレンチ」と比較しあまり大きな「差」は感じられない。
オープン当初の「俺のそば」の頃、メインとなる肉そばを食べた時感じたのは、勿論味は違うのだが、虎ノ門にある「港屋」という立ち食いそばの人気店が思い出された。この港屋は周知の三田にある「ラーメン二郎」のそば版と言われ、そのデカ盛りと共に、食べ飽きないように生卵を無料にして変化をつけるスタイルなど、その多くを「俺のそば」に取り入れていると感じたのである。(「俺のそば」の場合は生卵は10円と有料となっている)
顧客のためになる良き点であれば真似をしても構わないのであるが、若干懸念するとすれば手直しをしたネーミングにもなっている「だし」の特徴、その「差」はどう評価されているかである。ちなみに、
俺の肉そば(冷)700円、(温)600円、
場所;東京都中央区銀座5-1 東京高速道路南数寄屋橋ビル B1F
営業時間;月~金11:00~15:00、17:00~23:00

「俺の」はこの新しい業態を導入して3年程経つが、現時点での成功要因は「差」が一番大きく感じるフレンチを導入したことによる。そして、ネーミング、コミュニケーションにおいても、「俺の」という極めてユニークなものとし、その「差」もまた極めて大きい。そうした意味で、4つの「差」づくりがうまくいった事例となっている。そうした意味で、「俺の」という業態は固有な第3の世界、ブランド創りにはまずは成功したと言えよう。

ところで「俺の」という戦略によく似た、というより同じ戦略をとっている飲食チェーンビジネスに気づくことであろう。「俺の」に少し遅れた2013年12月銀座に1号店をオープンさせた「いきなり!ステーキ」である。立ち食い&着席という業態も同じであり、そのネーミングも”思いきり食べて欲しい”という思いから、店名に「いきなり」とつけたとのこと。「俺の」と同様意外性があり、他のステーキハウスなどとの違いをまさに店名にすることによって、新しいステーキ店としての「差」、新しいイメージが想像・創造されている。
メニューも食べたいだけ注文できるようにグラム単位となっている。ちなみに、
「リブロースステーキ」;1gが6円
「ヒレステーキ」;1gが9円
価格設定もわかりやすく、好みとお財布を相談して決められる良きメニューシステムとなっている。上記のようながっつり食べたい向きと共に、「国産黒毛和牛サーロインステーキ」は1gが15円。運営しているのはペッパーフードサービスでステーキやハンバーグなどの飲食店を展開している企業であるが、2013年の輸入牛肉の規制緩和以降、赤身肉ブームやシニアももっと肉を摂る必要があるとの指摘もあり、そうした肉食ブームの追い風を受け、「差」創りも現時点では順調となり、急速にその店舗展開が進んでいる。

サイドメニューに「差」をつくり、メインメニューとなった立ち食いそば店


立ち食いそばと言えば、江戸時代からの日本のファストフーズであるが、駅のホームで食べる忙しいサラリーマンの定番飲食業態店の一つである。全国にはご当地立ち食い蕎麦という特色ある業態も数多くあるが、全体としてはそのメニューは時代と共に進化している。東京においては、ここ数年その立ち食いそば店のメニュー自体に大きな質的変化が出てきている。その変化とは”たかが立ち食いそば、されど立ち食いそば”といった蕎麦自体の進化ではない。そば粉の産地に凝る、打ちたて茹でたてにこだわる、こうした立ち食いそば店は数多くあるが、そのメニュー作りの「差」に極めてユニークな店が出てきており、街のビジネスマンの大人気店となっている。
まずその立ち食い蕎麦店の一つが「よもだそば」である。日本橋と銀座という地価の高い場所にあるそば店であるが、写真を見ていただけたら分かるように店先のノボリにはそばと共に「本格インドカレー」とある。蕎麦においても特徴ある特大かき揚げそばなど嬉しいメニューが人気となっているが、なんといってもカレー専門店並みの本格インドカレーを出しており、そのインドカレーを食べに来る客もいて、地価の高い一等地でも客層が広がり経営が成り立つ良き事例となっている。立ち食いそば屋だけど、でも普通とは異なる立ち食いそば屋という第3の世界が構築されたということである。ちなみに、

特製インドカレー490円/半カレー270円(定番特大かき揚げそば370円)
他にも外国人向けのメニューとしてチーズそばといった変わりそばもある。
場所;日本橋店 東京都中央区日本橋2-1-20 八重洲仲通りビル1F
銀座店 東京都中央区銀座4-3-2 銀座白亜ビル1F
営業時間;平日7:00~22:00

もう一店立ち食いそば店を挙げるとすれば、サラリーマンの聖地新橋で行列ができる店がある。昭和59年創業丹波屋という6~7名も入れば一杯となる小さな店であるが、この店の人気サイドメニューもカレーである。ここ丹波屋のカレーはネパールカレーで、代々続くアルバイトのネパール女性が作ったもので、当たり前の話だが、「本格ネパールカレー」である。
多くの立ち食いそば店のメニューの作り方の一つがセットメニューである。普通の立ち食いそばの場合はおにぎりや稲荷寿司とのセットであるとか、ごくごく普通の半カレーのセットが多い。丹波屋の場合もよもだそばと同様ミニカレーとのセットが多いようだが、そのネパールカレーが売り切れてしまうことが多いようだ。是非食べてみようと新橋に行った日も、まだ12時を少し過ぎだというのに、店頭には「カレー売り切れにつきすみません」との張り紙が掲げられていた。いかにカレーフアンが立ち食いそば店に行っているかである。このカレーについては、「マツコ有吉の怒り新党(テレビ朝日)」で紹介されたことが行列を生み、またカレーの品切れの火付け役となったようだ。ちなみに、

インドカレー 410円/ミニ280円(定番春菊天そば370円)
場所;R新橋駅 新橋駅烏森口から徒歩2分 ニュー新橋ビル1階/営業時間;7:00~23:30

サイドメニュー戦略の広がり

サイドメニューと言うと、まず思い出すのがファミレスにおけるデザートであろう。その中でも大ヒットメニューになったのが「ナタデココ」で、1992年ファミリーレストラン「デニーズ」の新しいデザートとして登場したメニューで、一大ブームを起こす。周知のように独特の歯ごたえがある食感、しかもカロリーが低く、食物繊維が多いのでダイエットに良いと若い女性から圧倒的な支持を得たメニューである。こうした特徴、他にはない「差」もさることながら、そのネーミングはフィリッピンの常用語でもあり極めて独自なユニークなものであった。「ナタデココ」は従来のデザートとの「差」、更にはデニーズというファミレスブランドに新しい「何か」「差」を創り得た良き事例であろう。

ところで大手回転寿司チェーン店と言えば、スシロー、かっぱ寿司、元気寿司、そしてくら寿司となるが、中でもくら寿司の業績が群を抜いている。特に営業利益面においては外食産業においてもそうであるが、他の回転寿司チエーン3社と比較し極めて高くなっている。その背景にはマグロに代表される寿司ネタという原材料の高騰、更には寿司職人不足がある。何故、くら寿司が高い利益を得ることができているのか、そのメニュー戦略の一つがサイドメニューの強化、どこにもないメニューの開発にある。

くら寿司のサイドメニュー戦略に移る前に、外食、特にファミリー層を主対象とした外食産業の傾向を簡単に説明しておくこととする。前述のデニーズではないが、順調に成長してきたファミレスも2008年のリーマンショックによる景気後退により、4~5年間にわたり大手三社で500店もの店舗閉鎖を余儀なくされた。一昨年の夏頃から回復基調を遂げているが、その原動力となったのも新規メニューの導入であった。ここではファミレスの詳細については触れないが、実は回転寿司チェーンもファミリー向けのサイドメニューの強化を図ってきた。業界的に言うと、回転寿司のファミレス化となる。つまり、業際がここでもどんどん無くなってきたということである。

こうした業際が無くなってきた中でのサイドメニュー戦略であるが、周知のようにかなり思い切った戦略が採られている。これは創業者である田中邦彦社長の「安くておいしいだけでは飽きられる」との信念によるものと言われている。多くの回転寿司もファミレス同様デザートを強化してきたが、くら寿司の場合のサイドメニューは、例えばラーメンというそれだけで一つの専門店メニューになるような戦略である。勿論、生半可なラーメン専門店顔負けのクオリティも持ったラーメンである。
ちなみに、2012年に導入された「ラーメン」は魚介系醤油からとんこつ系醤油まで8種類と充実されており、全て360円である。
結果、どのようなものとなっているか、サイドメニューの浸透とともに、客層も広がり、しかも客単価が上がってきたということである。
更に、CMでも知られているように、寿司屋の「シャリカレー」の導入である。酢飯にカレーというありそうでなかった、意外性のあるカレーであるが、これはこれでさっぱりと食べられるカレーとなっている。
このカレーもシンプルな「シャリカレー」は350円、定番であるかつなどをトッピングしたカレーは450円で8種類、全10種類のメニューとなっている。
寿司屋のラーメンについてはそれほどの意外性、驚きはないが、やはり「シャリカレー」となると少しの驚きと共に、一度は食べてみたいという気持ちが動く。つまり、明確な「差」が生まれるということである。しかも、客単価も上がり、客層も広がるという戦略となっている。
こうした戦略を可能としているのも、寿司屋の基本である「にぎり」、なかでも「熟成まぐろ」一貫100円という商品があればこそである。

こうしたヒット商品を生むまでには多くの失敗もあったとのこと。ヒットしたラーメン以前にも1998年には「無添加ラーメン」という屋号で専門店をオープンさせているが、わずか1年で撤退している。また、10年ほど前にはコーヒーを販売したが売れずに撤退。以降、検討を重ね、寿司を食べた後、さっぱりした飲み物に変え、2013年に再度販売にふみきり、一定の評価を得ている。スタートは「回転寿司」という業態であったが、回転レールの上に乗るメニュールは、まさに業際を超えたメニュールに向かっているということだ。回転寿司のファミレス化も次のステージに移ってきたと言えよう。(
kouhannhe
tsubuku)


  


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2019年05月19日

広がるお得競争のなかの消費増税  

ヒット商品応援団日記No735(毎週更新) 2019.5.19.

2017年度に全国の自治体が受け取った「ふるさと納税」の寄付額が前年度より28%多い3653億円となったと総務省から発表された。この急速な拡大の理由は返礼品競争にあるのだが、中でも全国最多の寄付額を集めた大阪泉佐野市の場合は135億円に達したという。返礼品の金額を寄付額の3割以内に抑えることなど競争を抑えようとしてきたが、従わなかった泉佐野市を始め4市町村をふるさと納税制度の対象自治体から除外したと報道されている。ここで注目すべきは返礼品という「お得」に対し、消費者は敏感というより極めて過激な反応を見せているという点にある。2015年度から急速に寄付額が伸びたのは周知の「ふるさと納税」の代行サイトを見れば一目瞭然である。欲しい返礼品の検索だけでなく、価格.comではないが、全国の自治体の返礼品の「お得度合い」がわかるようなものとなっている。当然、競争は次なる競争を生む。各自治体はより魅力的な「お得」を探し寄付額を増やすことへと向かう。「寄付」という善意の制度ではなく、返礼品というお得競争市場になったということである。ここで注目すべきは返礼品の金額を寄付額の3割以内に抑えた「お得」は消費者にとって魅力的になり得るかどうかである。そして、ふるさと納税の制度によって埋もれた地方の特産品が表に出て、それを魅力的であると感じた「市場」はこれからも残ると思うが、「お得」という価値観が先行した競争市場は無くなることとなる。

ところで2ヶ月ほど前のブログにも書いたが10月に予定されている消費増税において政府の政策の一つであるキャッシュレス事業の推進を一つのチャンスとして各社が一斉にこのキャッシュレス&ポイント市場に参入している。これまでの共通ポイントとして圧倒的なシェアーを誇ってきたTポイントは最早その牙城は崩れてしまっている。それまでの消費者の購買データの提供という事業者への魅力ではなく、ポイントという消費者への「お得市場」へと転換してしまったということである。各社とも顧客名簿をもとに決済という購買の根幹を抑えるためのお得市場への参入である。
実は1998年4月に消費税が3%から5%へと増税された時、ヨーカドー、イオンによる「消費税分還元セール」が大人気となる。また、マクドナルドによる半額バーガーも大ヒット商品となる。まさに「お得プロモーション」であり、ユニクロや吉野家などデフレの騎手と呼ばれキーワードとなったたことを思い出す。勿論、「デフレ」は消費者の味方という意味で使われていた。ところが2014年4月に消費税8%導入の時はどうであったか。政府は「消費税還元」という言葉を使ってはならないと厳重監視したことを同時に思い出す。そして、生まれた結果は、激しい駆け込み需要とその反動である消費需要の落ち込みにより、ある意味失敗した。それが今やキャッシュレス事業の推進を名目に、ポイント還元という官製「お得」プロモーションが行われようとしている。消費税8%導入の時の同じ失敗をしないためと思われるが、収入が増えない状態でのデフレ環境にあっては消費者の眼は極めてシビアになる。

ポイント還元であれば、セブンイレブンが弁当やおにぎりなどの賞味期限まじかの商品については実質値引きとなるポイント還元を秋には行うと発表した。ローソンも既に同じような廃棄ロスをなくすことが行われており、コンビニ各社はこぞってこのポイント市場へと向かっていくであろう。
実はこのブログにも何回か取り上げたことのある仙台秋保温泉のスーパー「さいち」では夕方の一定時間からはお惣菜関連については一斉に値引き販売を行なっている。小さなスーパーでは値引きシールをその都度貼って行なっているが、「さいち」ではそんな手間を省き一斉に値引き販売をレジで行いロスは一切出さない経営を行なっている。「さいち」は全国で初めて惣菜を販売したスーパーであるが、ロス率ゼロ、つまり「売り切る」経営を既に行なってきているスーパーである。顧客が求める「お得」の力を借りた経営ということである。

そのポイント還元であるが、今日の「お得」競争の定番となりつつあるが、長い目で見たビジネスという視点も必要である。実は2014年の増税前に増税をチャンスに変える経営としていくつかの視座を提起したことがあった。この視座は今なお変わらぬものと考えるの再度明記しておく。

1、消費移動を見極める
消費が無くなることはない。全ての対策の前提はどのような利用回数の増減を含めた「消費移動」が起きるかをシュミレーションすることから始まる。例えば、都心のランチについては「500円ランチ」が現在定番となっているが、次のような 「移動」が考えられる。
  ・新たな「400円ランチ」へ  ・お弁当族へ  ・コンビニで400円程度の弁当等と飲料持参
つまり、競争相手が変わったということであり、今以上に「顧客」を見つめなければならないということである。
その顧客の見つめ方であるが、顧客は顧客を呼ぶ、結果商品や店、あるいはエリアに集中することとなる。そして、その集中の理由を明らかにするということである。
既にその芽は前回の増税後にも出てきている。予測されるその集中とは、例えば以下のような点となる。
○特定価格帯への集中/ランチの場合、旅行の場合、家賃の場合、各ジャンル毎
○特定エリアへの集中/移動の中心(駅、空港、都市、等)、集積の中心(商業、娯楽、リゾート等)こうした中心の名所化、観光化現象が起きる。
○特定話題への集中/特定都市、店、人物、テーマ、メディアサーカスの日常化による集中

2、集積力を高める
特に、地方のように集中する中心から外れた場合どうすべきかであるが、話題を創造するために共同でテーマ集積を果たすことが必要となる。つまり、独自なテーマをもったテーマパーク化である。数年前から「観光地化」というキーワードでブログを書いてきたが、そうしたテーマ集積のことである。
■集積によって生み出されるものは何か、それはブランドとなる。餃子が宇都宮と浜松であるように、未だかってないものを更に集積を高める。例えば、盆栽では埼玉大宮が日本一であり、インバウンドビジネスとして世界中から盆栽フアンを集めているように。
■全国至る所に産地ブランドがあるが、それらブランドを磨く場であり、競争し合う場が名所となる。集積とはある意味「聖地」づくりでもある。

 3、ローコスト経営
顧客の側も、提供者の側もロープライス、ローコストが基本となっている。その実現のためにはライフスタイルの変更を促し、「システム変更・改革」や「サービス変更・改革」を踏まえた経営を目指すこととなる。その代表的ビジネスが立ち食いフレンチの「俺の」である。更に広げていくならば、例えば、
○セルフ化の更なる進行/居酒屋、理美容室、健康診断、週末農家(家庭菜園)等
         ex料理までセルフの居酒屋、理美容道具が完備したニュー理美容室、簡易自己健康診断、
○共同化、協業化の更なる進行/顧客同士の共同化、コラボレーションの常態化
          ex既に始まっているシェア(共有)自動車、自転車、あるいはキッチンやリビング共有のシェアハウス、
 ○Reの更なる進行/リノベーションを筆頭に、リ・デザイン、リ・フォーム、リ・サイクル、リ.バイバル、Reを促進させる修理、メ     ンテナンス、などの活用と過去への注目。(「もったいない」の京都の知恵、おばあちゃんの知恵、等)
          ex原価ゼロビジネスの追求、「省」のテーマパークでもある。断捨離の次の生活。あるいはメルカリの代表される個人と個人との中古品売買。

4、顧客の特定化とテーマ設定
日常化するデフレを超えるには従来から指摘されてきた独自化、固有、オンリーワンという魅力の追求しかない。しかし、こうした競争市場の類似化を避けようと市場の在り方を見ないで顧客が求めないような高度な機能=高価格商品づくりの失敗を経験してきた。こうした今なおあるガラパゴス化を避ける為にはより明確な顧客の特定化が必要となる。その特定化とはテーマの特定化であり、今後は価格と共にテーマ競争市場となる。

その予定されている10月の消費増税であるが、日銀短観を始め景況指数など悪い発表が続いている。そして、民間シンクタンク12社は、5月20日に発表される今年1~3月期の実質GDP速報値の予測を発表している。平均は前期比年率換算0.1%減で、マイナス成長となれば2四半期ぶり。3月の景気動向指数(速報値)についても、基調判断が後退局面入りした可能性が高いことを示す「悪化」に下方修正されるとの見方が強い。加えて周知の米中貿易戦争が激しくなり、日本企業にもその影響が出始めている。ここ数日「政治」の世界では盛んに衆参同時選挙の可能性のニュースが報じられている。勿論、その背景には経済悪化を理由としているのだが、しかし2008年のリーマンショック後の景気悪化ほどには至らない。
既に多くの事業者は増税実施に向けた対策を始めている。特に、軽減税率の対象となる「食」に関するシステムの構築である。対顧客についてのレジを柱としたシステム構築はある程度準備していると思うが、問題は「仕入れ」についてのシステム対応である。例えば、飲食店の場合、店内で食べればそのまま10%となるが、テイクアウトの場合8%となる。その際、仕入れ食材が同じ場合売り上げ比率で仕入れも同じように処理するかである。店内の場合の仕入れ原価とテイクアウトの場合の原価とは同じメニューであっても仕入れ原価は少しづつ異なる。パパママストアのような小さな場合は「内税」とするのも一つの方法であるが、業態の異なる複数店舗を経営する場合はどうするかである。間違いなく、決算に際して税務署から多くの指摘を受けることとなるであろう。

話をもとに戻すが、キャッシュレス&ポイント還元という増税対策が実施されようとしていることによって、「お得」があらゆるところに洪水のごとく押し寄せている。問題は市場が心理化されている時代にあって、このポイントの「差」はどのように消費を変えていくかである。より具体的にいうならば、ポイントという価格差=お得以外に「新しい何か」「心を動かす何か」、ニトリではないが「お値段以上の何か」という心理市場はどんなところに生まれるのかということに尽きる。
過去「未来塾」ではこの「新しい何か」「心を動かす何か」を事例としてレポートしてきた。前回の未来塾では東京高円寺を取り上げ、”デフレを楽しめる暮らしやすい街”であるとその「何か」を分析した。読んでいただいた読者はその何かが「生活文化力」であると感じてくれたと思う。結果、10もある商店街はシャッター通り化することなく賑わいを見せている。しかし、この生活文化力は長い時間をかけて創られたものであり、予定されている消費増税には間に合わせることはできない。前述の1〜4については未来塾「テーマから学ぶ/「差分」が生み出す第3の世界」で具体的事例としてその「何か」をレポートしているので、次回再掲することとする。(続く)
  


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2019年04月24日

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」後半  

ヒット商品応援団日記No734(毎週更新) 2019.4.24




「にぎわい再考」に学ぶ


冒頭に書いたように気になって仕方がなかった街の一つが高円寺という街であった。それは江東区の湾岸豊洲のように、工場群跡地の再開発によって新たに造られた街ではなく、東京という都市の発展そのままが中央線沿線に残っている街だからである。その「発展」には「何を残し」、「何を変えていくか」がわかりやすく街に現れている。

よく「住みたい街」と「住みやすい街」という2つの表現が使われることがある。前者には理想として願望が込められた表現であり、後者は現実としての住み心地の良さとしての表現である。勿論、後者の街が高円寺であり、「住み心地の良さ」として賑わいが持続している街である。以前から人を惹きつける意味として「観光地化」というキーワードで街の賑わいを学んできたが、高円寺の場合は「生活しやすさ」としての賑わいで、生活それ自体を楽しめる点にある。例えば、観光地化というキーワードに即して高円寺を表現するならば、「生活のしやすさ」がテーマとなる。デフレが日常化し常態化した時代にあって、デフレを楽しめるような街が高円寺の最大特徴になっているということだ。

残したいものと変えていくもの

ここ数年「未来塾」で学ぶべき主要なテーマは、「何を残し」「何お変えていくのか」であった。俯瞰的な視座に立てば、顧客市場の変化にどう応えていくのかということと同義である。高円寺と同じ中央線に「住みたい街NO1」の吉祥寺という街がある。バブル崩壊後、吉祥寺も大きな変化を受けて百貨店の撤退や家電量販店への転換など大きく街は変化した。(詳細は「街から学ぶ 吉祥寺編」を参照してください)
吉祥寺駅北口前の一等地にはハーモニカ横丁という戦後の闇市の雰囲気を残した昭和レトロな一角がある。武蔵野市の都市計画では再開発の計画が構想されてたが、若い世代の間でそのレトロ感が素敵だと人気の観光スポットになった。それまであった小さな家電販売店などは飲食店へと転換し今日のハーモニカ横丁へと再生された。

実は同じような再生のケースが高円寺にもある。駅北口直近の青果店の裏手にある「大一市場」である。名前は市場であるが小さなL字型の横丁と表現した方がわかりやすい。古くから高円寺に住んでいた人に言わせると吉祥寺のハーモニカ横丁と同様乾物店など昔ながらの商店が入っていたとのこと。
しかし、写真のように現在ではその薄暗い怪しげな雰囲気は残ってはいるものの、ベトナム料理や焼肉店、カレー専門店などアジアの屋台料理店へと変貌したという。

その変化は2000年代始めから始まり、生麺のフォーを提供するベトナム料理の「チョップスティックス」は2003年にオープン。その支店として2014年には吉祥寺にも出店しているのも偶然ではないと思う。(ただし、場所はハーモニカ横丁ではなく、ヨドバシカメらの裏手であるが)
この大一市場をテーマパーク的視点で見ていくならば、若い世代に人気の「アジアの飲食屋台村」となる。
このテーマは既ににあるものの活用であり、周知のように空き家から始まり過疎地まで多くの試みと同様である。少し前の未来塾で取り上げた大阪梅田裏の中崎町における古い民家をリノベーションしたカフェパークや空掘地区における古い家屋の移築やリノーベーションによる観光地化も既にあるものの活用である。そのとき重要なことは「どの顧客」を想定し、「どんなアイディア」を持って変えていくかである。
垣根文化の街

約8年ほど首都圏や大阪の街を歩いて感じることは、賑わいのあるところには賑わいを創る人の息遣いが聞こえてくることであった。例えば、秋葉原がアキバと呼ばれるように、それまでの電気街からアニメやコミックなどのサブカルチャーを求めて街へとやってくるオタク達によって街の表情が変わったように。あるいは、周囲を大型商業施設に囲まれた江東区の砂町銀座商店街のように、「モノマネをしない」という商人の原点ともいうべきポリシーによって「手作り惣菜横丁」とでも表現したくなる商店街には他の商店街とは全く異なるエネルギーを感じる。

ところで、以前日本固有の生活文化を「垣根文化」と呼んだことがあった。もう少し正確にいうならば、垣根というコミュニティ文化のことで 隣を隔ててはいるが、隣家の人と話ができる遮断された垣根ではなかった。それは江戸時代の長屋に似ていて、つまり、長屋という共同体、複数のファミリー の住まい方、生活の仕方にはオープンなコミュニティの考え方が色濃く残っていた。その長屋は開かれたものではあるが、プライ バシーを保ちながら、炊事場や洗濯あるいはトイレなどは共同で使い合う、そんな生活の場であった。そうして生まれたコ ミュニティ発想か生まれ育ったものが「垣根文化」で ある。 数年前から若い世代に流行り始めた「シェアハウス」はいわば先祖返りのような住まい方である。

高円寺という街を歩いて感じたことは、”この街は遮断された塀で作られたものではなく、垣根の街なんだな”というものであった。駅北口の商店街を歩いて1軒の甘味処の店頭写真を撮っていたところ、隣の店の方と思われる人から声をかけられた。昔ながらの甘味処で、甘味の他には稲荷すしなどは定番であったが、その「あづま」にはラーメンがメニューにあり、そんな珍しさの会話をしたが、ラーメンもいいけど白玉あずきが美味しいですよと勧められたことがあった。
また、前述の小杉湯を探していたところ通りがかった若い男性に道を教えてもらおうと声をかけたが、方向が同じだから案内しましょうと親切に応えてくれた。
多くの街を歩いたが、例えば谷根千の谷中ギンザ商店街や原宿竹下通りの多くの店舗では写真撮影は禁止となっている。肖像権の問題やマナーの悪い観光客対策としてであるが、高円寺はオープンな街だなと感じた。

「垣根」は互いに顔が見え、なおかつ会話ができる人間関係の象徴であるが、更に「何か」を進めていくに当たっても垣根文化の発想は高円寺の街に根付いている。その良きケースが「阿波踊り」というイベントである。「高円寺阿波おどり連協会」には30もの「連」が紹介されているが、それぞれ個性あふれる連となっている。この連という発想の源は江戸時代に生まれ、「文化」を広げ継承していく方法の一つであった。江戸時代 の都市部で広がっていた「連」は少人数の創造グループのことを指す出入自由な「団体」のことである。 江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。その組織を表現するとすれば、 適正規模を保っていく世話役はあっても、強力なリーダーはいない。常に全員が何かを創造しており、創る人、享受する者が一体であり、金銭が伴わない関係である。勿論、他のグループにも開かれていて出入自由。様々な年齢、 性、階層、職業が混じっていて、一人づつが無名である。そして、常に外の情報を把握する努力をしていて、ある意味、本業をやりながらの「運動体」であり、「ネットワーク」を持った「場」であった。
つまり、高円寺という街はこうした垣根文化の発想によって創られた街であるということだ。ここに、コミュニティ再生の良き着眼がある。

デフレを楽しむ街の意味

「デフレ」という言葉が頻繁に使われるようになったのは1997年以降である。それまでの右肩上がりであった収入が減少へと転じ、当然消費も大きな転換を迎える。その転換を劇的に促したのが「消費税5%」の導入であった。モノの価格が下がり経済全体が収縮していく悪循環を指した言葉であるが、2000年代前半東京にミニバブルが起きた時期はあったものの、今なおデフレは続いている。最近ではデフレという言葉を使わずに長期停滞とか、長期低迷といった言葉で経済を語るようになってきた。
ただ、バブルを経験した世代と平成育ちの若い世代とでは「バブル」の意味や「デフレ」の意味の受け止め方は根本からして異なる。

今から9年ほど前、この若い世代からヒット商品が生まれないことから「欲望喪失世代」と呼んだことがあった。日経MJにおけるヒット商品番付を踏まえ次のようにこの喪失世代の消費をブログに次のように書いたことがあった。

『2010年度もそうであったが、ここ数年前頭程度のヒット商品は生まれるものの、上位にランクされるような若い世代向けのメガヒット商品はほとんどない。1960年代〜70年代にかけて、資源を持たない日本はそれらを求め、また繊維製品や家電製品を売りに世界各国を飛び回っていた。そんな日本を見て各国からはエコノミック・アニマルと揶揄された。1960年代からの高度成長期のいざなぎ景気(1965年11月〜1970年7月/57ヶ月間の年平均成長率11.5%)が象徴するのだが、3C(カラーTV、クーラー、車)と言われた一大消費ブームが起きた。そうした消費欲望の底にはモノへの渇望、生活のなかに多くの商品を充足させたいとした飢えの感覚があった。国家レベルでは資源への飢え、外貨への飢え、多くの飢えを満たすためにアニマルの如く動き回り、個人レベルにおいても同様であった。1980年代に入り、豊かさを感じた当時の若い世代(ポスト団塊世代)は消費の質的転換とも言うべき多くの消費ブームを創って来た。ファッションにおいてはDCブームを始め、モノ商品から情報型商品へと転換させる。情報がそうであるように、国との境、人種、男女、年齢、こうした境目を超えた行動的な商品が生まれた。その象徴例ではないが、こうした消費を牽引した女性達を漫画家中尊寺ゆっこは描き「オヤジギャル」と呼んだ。
さて、今や欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達は、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯を始めとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「〜なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』

少々長い再録となってしまったが、生活価値観が根本から異なっていることが分かるであろう。アニマル世代である私が平成世代の消費とまともに向き合って、なるほどなと実感したのは大阪駅ビル「ルクアイーレ」の地下にある飲食街バルチカに若い世代で常に満席状態の洋風居酒屋「紅白(コウハク)」での体験であった。
周知のようにJR大阪駅ビルにおける百貨店売り場(三越伊勢丹)の失敗から、新たなSC(ショッピングセンター)として2015年に誕生したのがルクアイーレである。そのリニューアル後の変化の中で特筆すべき現象を大阪の知人から教えてもらったのが「紅白」であった。若い「離れ世代」には「コミュニケーションと場」が必要であると考えていたが、まさに「紅白」はそうした場そのものであった。欲望を喪失しているのではなく、欲望に沿ったメニューと価格帯、更にはスタイルが用意されてこなかったという実感であった。カジュアルでリーズナブルな店の象徴が「フレンチおでん」で「大根ポルチーニ茸ソース 180円」。その後、バルチカは成功し、フードフロアとして拡大リニューアルしたのは周知のとおりである。

敢えてこうした事例を持ち出したのも、高円寺の街を歩いて感じたのがこの「離れ世代」が住む街であるということであった。大阪のルクアイーレはSCとしての大きなリニューアルであったが、高円寺という街の居心地の良さに共通していることはこの「場」づくりであった。いささか日本語としては意味不明になるかもしれないが、阿波踊りの連に見られるような「出入り自由」な街、銭湯小杉湯の塩谷さんではないが新しい発想に基づく「コト起こし」ができる街、スターバックスはないが多様な好みの生活・スタイルを可能とする街・・・・・・・・そうした「転がる石」を可能にしてくれるコストパフォーマンスの良い街。少々褒め過ぎかもしれないが、高円寺はそんな転がる自由を可能としてくれる街ということになる。このコストパフォーマンスの良い街は大きな再開発事業もなかったことから、時間をかけてじっくり熟成して出来上がった街であるということだ。

行列のない賑わいの街

高円寺をスターバックスのない街という表現をした。数年前、鳥取県は自虐ネタとして”スターバックスはないけれど「スナバの喫茶店」はある”と知事自ら話題としたが、高円寺には自虐ネタとは無縁の街である。敢えて、スターバックスを持ち出したのも、単なる新しさだけの「都市」というスタイルには与しないという意味である。私の言葉で言えば、「行列のない街」となるが、地元の人たちはそれなりの行列ができている街である。つまり、高円寺以外の人たちにとって「話題」となって広域集客する、つまり「隠れた何か」を求めた観光地としての高円寺ではないということである。住んでみないとその良さがわからない街、それが高円寺ということだ。

人が集まる、そうした賑わいには必ず「行列」という形容詞がつく。今から5年ほど前に高円寺で話題となった店の一つが「たまごランチ」の天ぷら専門店の「天すけ」であった。私もそんな話題に惹かれて食べにきたことがあった。当時は「行列店」であったが、今は近隣の人たちとたまごランチを忘れられないフアンで一杯ではあるが当時のような行列はないようだ。賑わいづくりにはテーマを持った観光地化が必要であると指摘をしてきたが、地元住民だけでも十分賑わっている街の一つである。


消費税10%時代の商店街

10月の消費税10%導入に向けた軽減税率やポイント還元策&キャッシュレス推進策などの詳細が公表されるに従って、各社の対応も同時に見えてきた。人手不足や経費増大からコンビニの24時間化に対する課題もあるが、コンビニ市場はほぼ飽和状態にあることもあって、これまでの新規出店という拡大戦略から、既存店の見直しに基づくスクラップ&ビルド戦略へと転換し始めた。ちょうど数年前に牛丼のすき家が24時間店舗の閉鎖による業績悪化と、その後のV字回復の経緯を考えてのことであろう。一言で言えば、足元を今一度見直す、つまり既存店の営業時間やそれまでの労働環境の改善、あるいはシステムを考え直すというものである。(その詳細については過去のブログを参照してください)

ところで街場の商店街はどのように対応すべきか個々の商店会で「売り出しプラン」などが考えられていると思う。高円寺の10の商店街を歩いて感じたことだが、「特別なこと」はあまり考えなくても良い商店街だなというのが素直な感想であった。その理由は高円寺には街場の商人、生業としての商人が商う店が多いなというのがその理由であった。そして、何故か、東北仙台秋保温泉の小さなスーパー「主婦の店 さいち」を思い出した。その「さいち」は家庭で食べるお惣菜を初めて販売したスーパーである。できるだけ人手を減らし、合理化して商品を安く提供するのがスーパーであると考える時代にあって、真逆の経営をしてきたスーパーである。思い出していただけたであろうか。過去のブログにも書いたことがあるがそのインタビュー記事を採録する。(2010年9月21日ダイヤモンドオンラインより抜粋引用)

『絶対に人マネをしないというのがさいちの原則です。マネをしたら、お手本の料理をつくった人の範囲にとどまってしまう。・・・・・先生や親方の所に聞きにいかずに、自分たちで考える。そうすると、自分がつくったものに愛情がわく。自分の子どもに対する愛情と同じです。』

さいちのお惣菜は500種類を超え、多品種・少量ということから、手間がかかり、利益が出ないのではという質問に対しは次のように答えていた。

『全部売ってくれないと困る。そのためには、「真心を持って100%売れる商品をつくるのが、絶対条件ですよ」と、言っています。うちではロス(廃棄)はゼロとして原価率を計算しています。いくら原価率を低く想定しても、売れ残りが出てしまえば、その分、原価率は上がってしまいます。』

こうした経営のあり方を私は「売り切る力」と呼んできた。人手不足の時代と言われ、今やセルフレジが導入され、数年先には特定の業種においては無人店舗でキャッシュレスという時代が来ることと思う。但し、そこには単なる必要に迫られた「売り買い」しかないこととなる。
バブル以降デフレの時代の旗手の一社であったダイソーを当時多くの顧客が支持したのは次の3つの魅力であった。
1.「買い物の自由」;
すべて100円、価格を気にせず買える。買い物の解放感、普段の不満解消。「ダイソーは主婦のレジャーランド」。(現在は200円やそれ以上の商品もあるが、今なお基本は100円である。)
2.「新しい発見」;
「これも100円で買えるの?!」という新鮮な驚き。月80品目新製品導入。(現在ではもっと多く導入となっている)
3.「選択の自由」;
色違い、型違い、素材違い、どれを取ってもすべて100円。

効率さ、便利さ、売る側も買う側もこうしたことばかりを追い求めてきた時代と共に、「人」が介在することによって生まれる豊かな買い物へと、そんな体験からの揺れ戻しが始まっている。都市においても「買い物難民」は存在し、移動販売スーパーがシニア世代の人気となっている。その理由の多くはダイソーのような買い物の「自由」と「会話」を求めてのことによる。

高円寺の特徴の一つとして「安さ=お得」があると書いたが、ダイソーの「100円」を「ワンコイン(500円)ランチ」に置き換えても同じ自由さが高円寺にはある。ちなみに写真は永く地域住民に愛されてきた洋食の「薔薇亭」のメニュー看板である。写真が小さくて見づらいが、カキフライなどは1250円と学生には少し高いが、チキンカツカレーは550円とコストパフォーマンスの良いメニューも用意されている。

豊かな時代、生活の「質」が消費のパラダイム転換のキーワードとなって久しいが、実はこうした小売りの原則は商店街にこそ求められ、そして応えることが商店街の明日を創っていくことになる。3年半ほど前に「未来の消滅都市論」を書いたが、消滅に向かう入り口は人口減少にあるのだが、その予兆は商業に見事に現れてくる。そうした意味で、高円寺という街はコミュニティ再生のモデルケースになっている。多くの人は「消滅」をすべて人口の流出にあると考えがちである。しかし、実は「流出入」という出入り自由な街、阿波踊りの連に見られるような「自由」を楽しむことができること、このことこそがコミュニティ再生の鍵となっていることがわかる。10月に導入される10%の消費税に対し「特別なこと」は必要ないとしたのもこうした理由からである。つまり、高円寺にはこの増税という壁を越える顧客への「自由」と「会話」が根付いている街だからである。(続く)
  


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2019年04月21日

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   

ヒット商品応援団日記No734(毎週更新) 2019.4.21.

ここ数年新たな賑わいの芽について大阪の街を取り上げることが多かった。勿論、東京においても新たな賑わい、というより以前からエネルギッシュな活力を見せており気になっていた街がある。JR中央線快速を利用すれば新宿からわずか6分という交通至便な街高円寺を取り上げてみた。



消費税10%時代の迎え方(5)

にぎわい再考
その良き事例から学ぶ(3)

ザ・コミュニティ、東京高円寺
出入り自由な街


高円寺と言えば特筆すべき話題はほとんどなく、せいぜい年に一度ニュースに取り上げられる阿波踊りの街、あるいは劇場やライブハウスなどのサブカルチャーの街として知られている。しかし、街が生き生きとした表情を見せている証明になるかと思うが、実は駅を中心に大規模商店街が10もある。北口には高円寺純情商店街や高円寺あづま通り商店会など、南口には高円寺パル商店街、高円寺ルック商店街などがある。都心に隣接する住宅街で、今なおこれほどの歴史ある商店街がシャッター通り化することなく残っている街は高円寺を置いて他にはない。そして、それら商店街は繋がり、交差する先に住宅地が広がる、まさに駅を起点とした生活と共にある「日常の街」である。

シニア世代にとって高円寺と言えば、やはり詩人・作家であるねじめ正一が描いて直木賞となった『高円寺純情商店街』であろう。ねじめ正一本人の実家の乾物屋と商店街での話が元になった小説で、舞台は昭和30年代の実在する商店街に暮らす人々を描いた下町情緒溢れる作品である。「下町」という呼称は数多く使われているが、高円寺はまさに昭和の「ザ・下町」とでも表現したくなる街である。
ところで「JR時刻表」などの刊行物で知られている交通新聞社に「散歩の達人」という月刊誌がある。主に首都圏の町歩きのガイド雑誌であるが、2年ほど前に「東京ディープ案内」を編集テーマにした雑誌が発刊されたことがあった。東京を深く知るための雑誌で、例えば”センベロ名酒場””町中華の真髄””シビれる銭湯はここだ”といった編集に見られるように「散歩オタク」のための雑誌である。そうしたオタクのメインテーマに「東京ディープ案内  トップ10」の第一位に選ばれたのが高円寺であった。そのディープさについて、怪しい、怖い、濃い、・・・・・・面白すぎる、新しすぎる、古すぎる。つまり、「普通」ではない街ランキングの第一位の街ということである。
ここで言う「普通」ではない街の意味は、そこに住む歴史ある生活文化が色濃く残っている地域のことである。高円寺もそうした普通でない下町の一つであり、ある意味再開発から外れた街、昭和という時代が今なお残っている街、生活臭がいたるところに残っている街、そんな街である。そして、高円寺の特徴の一つとして若い世代を取り込んだ「新しい下町」へと変化してきた歴史と今が見えてくる。そうした意味で、商業の発展を見ていくにはまたとないモデル地区の街である。

スターバックスのない街

当たり前のことだが、街は「人」がつくる。再開発であれ、昔からの歴史を刻んだ街であれ、その街をつくるのは「人」であり「生活」である。
まず杉並区の人口推移を見ていくと世帯数・人口ともに伸長している。更に、年齢構成を見ていくとわかるが、他の区と同様65歳以上の老年人口は増加傾向にあるものの21〜2%程度となっており、一方年少人口(0〜14歳)は10%を超えている。また、特徴的なことは単身世帯の構成が56.3%と高く、住宅も低層階のアパートやマンションが多く、高層タワーマンションなどは極めて少ない、そんな人たちが住む生活の街である。ちなみに、杉並区の20階建以上のマンションはわずか1棟である。
その単身世帯についてだが、東京都全体では45.71% であるのに対し、杉並区は56.46% と比較的高いことがわかる。その対象 エリアを見ていくと、高円寺南1 丁目、2 丁目等の単身世帯の割合は68.67% となっており、区全体の傾向よりも高く、約7 割近くが単身者と いうことがわかる。また、対象エリア内の居住者の年齢構成をみると、20 ~ 39 歳の割合が34.8% と最も高く、約半数を40 歳未満が占めていること から、比較的独身の若い世代が住む街ということだ。
ところで独身者の生活を考える一つの指標に転出入人口がある。ちなみに杉並区の平成27年度における転入人口は48,823人、転出人口は42,712人となっている。同じ中央線の吉祥寺が子育てファミリーに人気であるのに対し、高円寺は単身の若いサラリーマンや学生が好んで住む街で、転居など移動の激しい街ということがわかる。
そして、見事なくらい住む人たちによって街がつくられているのだが、それは生活に必要とされる「商業」として反映される。シャッター通り商店街も、賑わいを見せる商店街も「人」によって創られる。結果、その街がどんな商業によって発展してきたか、その内容を見れば住む人たちの暮らしが見えてくる。ちなみに高円寺にはスターバックスはないが、レトロな個性あふれる喫茶店は数多くある。

生活の匂いがする街

例えば”その街はどんな街ですか”と問われた場合、緑の多い水辺の街とか、近代的でモダンな街並み、あるいは映画の1シーンのような歩いて絵になる街といった表現をすることが多い。しかし、高円寺の街を歩いて感じたのは、街にも固有の匂いがあるということであった。それはビジネス街であれ、住宅地であれ、そこに住む人々、仕事をする人々、移動途中の人々、そうした人々の匂いが街のいたるところに染み付いている。
例えば高層ビル群であるオフィス街の丸の内や大手町のビルの地下街には昔ながらの洋食レストランがあってビジネスマンの空腹を満たす独特な生活の匂いがある。あるいは銀座にもスーパーブランドのフラッグショップが居並ぶビルの谷間にも昭和の匂いをさせた食堂がある。

高円寺には若い世代が集まるサブカルチャーの街、あるいは古着ショップの多い街といったことから下北沢によく似た街であると言われるが、「街の匂い」ということから比較するとまるで異なる匂いのする街であることがわかる。その匂いとは言葉を変えれば、「文化」が醸し出す生活臭の匂いとなる。匂いは絵にはならない、暮らして感じ取るものである。そうした意味で、下北沢はおしゃれなカフェや古着ショップなどインスタ映えするが、高円寺は肌で感じる街と言えるであろう。
杉並区はタワーマンション1棟が示しているように、首都圏では最近人気となっている恵比寿や江東区豊洲、あるいは武蔵小杉といった「新しい都市生活」を楽しむライフスタイルを提供する街とは異なり、古くからの街とそこに新たに住む人が好む暮らしに必要なものが加わっていく。そんな新陳代謝のある、ある意味街の成長のモデルにもなり得る街である。それはJR高円寺駅を中心に広がる商店街を見ても分かるように、そのほとんどはシャッター通りとは無縁の賑わいを見せている。しかも、商店街にはいわゆる全国チェーン店も見かけるが、地元高円寺では知られた店々ではあるものの、そのほとんどが全国的には無名の店ばかりである。

「雑」が溢れる面白さ

「雑」とは雑然・雑踏・複雑・乱雑・猥雑(わいざつ)といった人間の持つ自然体を表したいわばまとまらない面白さ、整然としていない居心地感、悪く言えば粗雑ないい加減さのある街、それが高円寺である。「雑」の反対語ではないが、「純」とは真逆の構えない、ありのままの自然体、いやリラックスした日常で居られる世界、「素」のままで居られる心地よさ、そんな表現がふさわしい街である。
何故、そんな「雑」な街が出来上がったのか、それは旧住民と新住民が混在しているからに他ならない。どんな人間も受け入れる懐の深い街といったらカッコは良すぎるが、「雑」はそんな街にふさわしい。多くの商店街がシャッター通り化しているのに比べ、街の成長・賑わいにこの「旧」と「新」がバランスよく作られていることが分かる。

少し前の未来塾「エスニックタウンTOKYO」では新宿百人町の通称「イスラム横丁」や池袋北口の「チャイナタウン」、あるいは高田馬場の「リトルヤンコン」を取り上げたことがあった。訪日外国人が新たに創った街についてである。訪日観光客ではなく、留学生や研修生、あるいは労働ビザを取得した訪日外国人の暮らしを満たす街である。そこから生まれたものとしては、新宿イスラム横丁では「ハラル料理」であり、池袋チャイナタウンでは「ネイティブチャイナ料理」、リトルヤンコンでは「モヒンガーを始めとしたミャンマー料理」となる。
訪日外国人が集まるコミュニティと共に、日本人にとっても特異なエスニック文化を体験できる街となっている。以前からこうした特異な専門店は東京にはあったが、「街」としては初めてである。これがエスニックタウンと言う「雑・都市TOKYO」の面白さである。
もう一つ雑の面白さとして取り上げたのが闇市から一大商業観光地へ発展した上野アメ横である。「地球の胃袋 雑エンターティメント」と言うタイトルでこれも未来塾でレポートしたことがあった。上野アメ横については周知のことでこれ以上書くことはないが、実はこうした雑食文化はある意味古くから日本にはあるもので特筆すべきものではない。

つまり、雑・都市である東京の面白さと言うことになる。そもそも江戸時代から江戸は「参勤交代」で知られているように日本全国から武家大名が集まった都市である。話す言葉も文化も異なる地方出身者,それも単身者が集まり120万人にも膨れ上がった都市、それが江戸であった。その江戸にはそうした単身者向けのビジネスが損料屋(レンタルショップ)を始め夜鳴きそばで知られる屋台といった外食産業が大いに流行った都市である。こうしたビジネスは京都や大阪にはなかったことを考えると、東京はその歴史を見ても分かるように独自な「雑」集積都市であることが分かる。中でも中央線沿線、高円寺はそんな「雑」が溢れる街である。

育てる「雑文化」の街

高円寺というとサブカルチャーの街として知られているが、その多くは下北沢と同じ小劇場、小劇団、アーチストやミュージシャンの卵たちが集まるそんなことを指している街のことである。まだ磨かれている途中のゴツゴツとした「小さな」個性が雑然とうもれている街のことでもある。
あの作詞家阿久悠は大ヒット曲「津軽海峡・冬景色」を18歳の少女であった石川さゆりに歌わせたが、晩年「転がる石」という曲を歌わせている。自分も転がる人生であったし、転がることを嫌がって、立場や過去に囚われてしまったら、苔むす石になってしまう、後年自分も石川さゆりも転がり続けてきたと語っていた。ちなみに「転がる石」は次のような歌詞であるが、そんな転がる石たちが高円寺周辺にいくつも見出すことができる。

転がる石はどこへ行く、
転がる石は坂まかせ、
どうせ転げていくのなら、
親の知らない遠い場所・・・・・

勿論、東京は多くの地方出身者が集まる街である。「一極集中」は今始まったことではなく、日本の高度経済成長を支えたのも地方の中学生で就職列車で上京した。その集団就職の風景は映画「Always三丁目の夕日」に描かれている。今は集団就職列車ではなく、個人の夢を乗せた夜行バスで上京するのだが、そんな夢追い少年少女を温かく迎えてくれた街の一つが高円寺であった。

そんな上京した一人がエッセイを始めとしたマルチな活動を行なっている「みうらじゅん」であろう。もともと京都出身のみうらじゅんは着いた東京駅から中央線に乗って高円寺に来たと語っているように便利でわかりやすい街ということであった。そして、高円寺のアパートで仕事をするのだが、糸井重里氏の勧めもあってわずか1年半ほどで原宿へと引っ越しをする。しかし、以降もその居心地の良さもあって様々なところで高円寺を語り、特に当時ほとんど知られていなかった「インド雑貨」を広め、雑文化カルチャーの騎手となる。そのみうらじゅんの活動は極めて幅広く、上京当時は雑誌「ガロ」に投稿した漫画家であったが、以降エッセイスト、小説家、イラストレーター、DJ、あるいはミュージシャンなど多彩な才能を発揮する人物である。まさに雑多なカルチャーを身にまとったマルチタレントと呼ぶにふさわしいアーチストである。

暮らしやすさの第一は物価の「安さ」

新宿から数分という便利さから家賃相場は決して安くはない。一人暮らしであれば8万円前後の物件が多いが、駅から離れれば5万円といった家賃のアパートも結構ある。そんな高円寺での暮らしに不可欠なのが、やはり物価であろう。その物価の優等生といったら卵ともやしとなるが、暮らしやすさの優等生としては何と言っても高円寺である。これまで江東区の砂町銀座商店街やハマのアメ横興福寺松原商店街など多くの激安商店街をブログにて公開してきたが、「街」としては高円寺となる。

高円寺は激安の象徴であるような小売業、スーパーマーケットがいくつかある。世界の巨大流通業であるエブリデーロープライスをポリシーとするウオルマートの傘下に入ったDS西友、そのウオルマートを見に行かなくても日本ですでに実践しているDSオーケー。更に、業務スーパーもあり、勿論100円ショップのダイソーもある。そして、普通でない高円寺にはそうしたディスカウントストアチェーンに負けない地域小売店が多くある。駅北口近くには昔ながらの駅前の高野青果店や行列の絶えないジャンプといった精肉店もある。

こうした安さを売り物とした生鮮三品の他に単身者向けの飲食店が極めて多い街である。ワンコインという言葉が流行るはるか前から、高円寺では500円で空腹を満たすことができる飲食店は特別な店ではなかった。つまり、普通の店として理解されてきた。「高円寺、500円ランチ」というキーワードでネット検索してみるといかに多くの飲食店が出てくるかがわかる。
そうした飲食店の代表的な店の一つがハンバーグをメインとした老舗洋食店の「ニューバーグ」であろう。人気メニューはサービスセット(570円)で、ハンバーグ、コロッケ、ポテト、スパゲッティ、目玉焼き、サラダ、味噌汁、ライスがついている。ちなみに、ハンバーグランチであれば、確か470円であったと思う。

もう一軒挙げるとすれば阿佐ヶ谷方向へ少し歩いた高架下にある食堂タブチであろう。定食を始めなんでもある食堂であるが、ここの名物は何と言っても牛丼&カレーである。山盛りライスにはこれでもかと牛丼とカレーがかけられていて1日分の摂取カロリーはこれで十分といったメニューである。お腹を空かせたアルバイト学生には嬉しい一品である。値段は650円、カレーだけだと確か400円であったと思う。日替わりランチは560円であった。
他にも南口から数分のところにある中華料理 味楽もそうしたボリューム、味、価格を兼ね備えた人気である。ランチと言えば山盛りのライスにアジフライや目玉焼きなど・・・・・これで450円。

このように書いていくと「安さ」だけが売り物の街のように考えがちであるが、多様な「好み」に応じた店も多くある。例えば、今流行りの高級食パンであるが、ここ高円寺にもそうした食パン専門店はある。北口から歩いて5分ほどの庚申通り商店街にある「一本堂」である。1斤330円程度で少しだけ安い価格となっている。また安さだけでなく、南口から少し歩くが新高円寺近くにはウサギ型の食パンを販売し話題となっているベーカリー兎座LEPUSがあるが、ここもウサギ型食パン1斤300円と手頃である。

サブカルの街と言われて


サブカルの街と言われる高円寺であるが、杉並区がつくった区立杉並芸術会館(「座・高円寺1」、「座・高円寺2」、「阿波おどりホール」の3つのホール等を有する施設)を母体とした活動で、その誕生は10年ほど前で新しく、下北沢の本多劇場の歴史とは異なる。
周知のように本多劇場の誕生は元映画俳優本多一夫氏が飲食店を開店することから下北沢における演劇の街が始まる。そして、1981年最初の劇場「ザ・スズナリ」を開場する。ある意味、大手劇団俳優座などの表舞台とは異なったサブカルチャー文化、その第一次演劇文化が下北沢であったのに対し、座・高円寺は第二次演劇文化となる。

この区立芸術会館には「阿波おどりホール」があり、高円寺という街のユニークさはこうした「市民文化」の街としての側面が見えてくる。阿波踊りの歴史は古く、昭和32年8月。現在の高円寺パル商店街振興組合に青年部が誕生したことから始まる。いわゆる町起しであるが、スタート当初は徳島の阿波踊りを真似た「高円寺ばか踊り」であった。古くから言われてきたことだが、町おこしには3人の「人」の力が必要であると。若者、よそ者、馬鹿者の3人である。まるで絵に描いたようにこの3者によって阿波踊りを含め高円寺文化も創られてきている。阿波踊りは次第に「本場」の踊りへと向かい、その規模も大きくなり、今や100万人もの観客を集めるまでになったように、商店街を中心にした今で言うところの「参加型」イベントとなった。
実はこの「参加」による文化創造が区立芸術会館を造らせたと言っても過言ではない。

「座・高円寺1では多くの小劇団の公演も行われているが、その最大特徴の一つが「劇場創造アカデミー」にある。劇作家、演出家、俳優、映像オペレーター、批評家から劇場経営まで演劇に関する全てを学ぶアカデミーである。アカデミーのコースには1年制と2年制の2つがある。このアカデミーの講師を始め、「座・高円寺1の創設には、あのアンダーグランドと言われた自由劇場創立者の一人である佐藤信氏が助力されており、「演劇文化創造」の起点となっている。
下北沢が本多氏による文化創造であるのに対し、高円寺の文化創造は誰でもが携われる、触れることができる「街ぐるみの文化」を目指していると言えよう。

高円寺のもう一つの「文化」がライブハウスである。私は一時期沖縄のライブハウスオタクになり、沖縄の主要なライブハウスを一通り楽しんだことがあった。三線を使った沖縄民謡のライブハウスとエレキギターによるオールディズの2つのライブハウスに大別されるが、琉球大学の学生による三線を使った今風のオリジナル曲を演奏するミュージシャンの卵たちもいて、沖縄料理の居酒屋の片隅で演奏していたことを思い出した。
ところで高円寺のライブハウスであるが、古い歴史ある「ペンギンハウス」というライブハウスに行ってみた。場所はといえば、駅北口の純情通り商店街から突き当たりを左に曲がったところの庚申通り商店街のビルの地下にある小さなライブハウスである。駅からわずか数分、生鮮スーパーや飲食店が立ち並ぶ人通りの多い庚申通りにある。後で気がついたのだが、以前天ぷらの店でたまごランチが話題になった「天すけ」の近くにあり、通り過ぎてしまうようなビルの地下であった。商店街にあるライブハウスで、毎日3組ほどのミュージシャンの卵が演奏してくれる。前述の「転がる石」の若者たちで、上手い下手ではなくこれも「時代の今」を感じさせてくれている。

街全体が「文化の売り出し」

昨年の12月から今年の3月にかけて数回高円寺の街を歩いたが、阿波踊りのような大きなイベントではなく、各商店街で小さなイベントが行われている。例えば、昨年秋には純情商店街では「ビックり市」が行われたり、隣の庚申通り商店街では日光猿軍団のイベントが行われる。各商店街が高円寺フェス実行委員会のもとで小さな売り出しを含めたイベントが一斉に行われる。3月には「高円寺演芸まつり」として小さな落語会が行われていた。
こうした各商店街のイベントの根底には廃れつつある商店街をなんとかしたいと立ち上がった「ばかおどり(阿波踊り)」の歴史が継承されているからであろう。結果、街を歩けば面白い何か、楽しい何か、新しい何かに出会える、そんな街全体がアミューズメントパークであるかのような街がつくられている。

新しい生活文化としての銭湯

高円寺の街巡りを始めて数ヶ月経ったそんな時期に、よく見るTV番組「情熱大陸」に一人の若い女性が取り上げられていた。16年末から銭湯の建物内部を俯瞰図で描く「銭湯図解」シリーズをツイッター上で公開し、話題となった28歳の塩谷歩波(えんや・ほなみ)さんである。小杉湯の店主の勧めもあって、番頭になり週に何回か店にも来ているようだ。その小杉湯は高円寺で80年以上愛されている銭湯である。周知の通り、銭湯は衰退業種と言われ今なお廃業が続いているが、一方銭湯オタクも多く人気銭湯の一つが小杉湯である。駅北口から庚申度りを5分ほど歩いたところの少々分かりにくい住宅地にある小さな銭湯である。入り口には小杉湯だけの「ミルク風呂」との看板がかかっており、次回高円寺に来るときには体験してみようと思った。

冒頭で高円寺は「新しい下町」という表現をしたが、その一つがこの小杉湯であろう。その「新しさ」とは銭湯の楽しみ方であると同時に、その楽しさの伝え方にある。塩谷さんが大学の時建築を学んでいたこともあって、自ら体験した銭湯の図解をイラストで表現し、ツイッター上で公開するといった新しさである。
その代表的な楽しいイベントとして昨年6月に行われたのが小杉湯×フィンランド『 夏至祭 - Midsummer Festival - 』であろう。「銭湯と公衆サウナ」をキーワードに、日本とフィンランドの違いや、それを形作るフィンランドの文化、公衆浴場が形づくる豊かさを伝えるイベントとのこと。HP上のイベントを図解したイラストを見る限り、銭湯の浴室と屋外のサウナ、さらには物販店までもが用意されており、新しい着眼による「銭湯文化」、楽しみ方となっている。このイベントの背景には小杉湯が「交互浴の聖地」、暖かい湯と冷たい水を交互に入る入浴の聖地と呼ばれ、銭湯オタクにはたまらない「場」になっていることがわかる。
更に面白いイベントも行われている。その一つが昨年8月に行われた「いどばたアート in 小杉湯」で、「触れるアート、話せる空間」をテーマに、発泡ビーズが入った銭湯の浴槽に着衣のまま入浴するアートコンテンツを用意。参加者同士がコミュニケーションできる空間を演出するといったイベントである。

もともと江戸時代に生まれた銭湯はコミュニティにおける社交の場で、江戸っ子の銭湯好きは大変なもので「銭湯の出前」まであったほどである。こうした新しい発想による銭湯文化の創造も高円寺ならではのものであろう。
一時代を創ったスーパー銭湯も「スーパー銭湯のアイドル純烈」といったエンターティメント志向と東京鶯谷にある巨大銭湯「萩の湯」ではネパール人店長による本格カレーが人気であるように、「次」の温浴施設の試みがなされている。高円寺小杉湯は「入浴」という基本を時代に合わせてどのように変化発展させていくのか、そんな銭湯の本道を歩んでおり、これも一つの生き方であろう。

「個族」の暮らし

「個族」という言葉を使ったのは今から11年半ほど前に「個族の居場所」というタイトルでブログに書いたの最初であった。俯瞰した視座で時代を見ていくならば、個人化社会の進行と共に、社会の単位も家族から個人へと変化したことによって生まれたキーワードである。
高円寺の街について若い単身者の街であると書いたが、私の言葉で言えば「個族」の暮らしを支える環境があるということである。小さなバスタブやシャワーだけの狭いアパートの暮らしに対し、銭湯小杉湯もそうした個族の暮らしをひととき豊かにしてくれる場となっている。
他にも前述の500円ランチに代表される飲食店のように多種多様な好みに合わせ、デフレを満喫できる街ということができる。しかも、深夜時間まで営業している店も極めて多い。人手不足の時代から、深夜営業をやめたり撤退する店もある中で、高円寺には深夜営業店が極めて多い。勿論、需要と供給がバランス良く深夜営業店が営業できているということであろう。中でも高円寺の地元で愛されてきている沖縄料理の「抱瓶 (ダチビン)」は朝5時まで営業している。(後半へ続く)










  


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2019年04月04日

ことば遊びのすすめ 

ヒット商品応援団日記No733(毎週更新) 2019.4.4.

新元号が決まった。その元号「令和」の「令」と「和」は万葉集の序文からのものであると説明がなされた。それまでの中国の漢詩などからのヒントの他に日本の古典からも広く典拠する方針に沿ったものであった。日本の古典からの典拠案に決まるであろうと考えていたが、予測通りであった。元号選定の有識者の多くが日本の古典、国書からの典拠による元号に賛成であったと報じられている。国書であれば、古事記という最古の古代日本人が考え創造した「文学」も検討されたと思う。元号が発表されてから万葉集ブームが起こり、出版不況の中にあってまるで神風が吹いた如くのブームが起きている。

ところで日本語の誕生の時期はいつ頃であるかというと専門家によって若干違うものの、漢字が中国から朝鮮半島から渡ったのは紀元前2世紀頃で、日本語としての完成は、万葉仮名と略された片仮名(カタカナ)が生まれ、どこから見ても漢字ではない文字・平仮名(ひらがな)が生み出されたとき、日本語(和語)が本当に始まったと言われている。そして、平安中期からから全国へと普及し、鎌倉~室町時代、戦国時代へと、武士階級から農民へと広がっていった。実は、ながながと日本語の歴史を簡略化したのも、日本語は漢字・カタカナ・ひらがなを持ち、漢字は音と訓を持つ。しかもその漢語の意味も音ももはや中国語ではなく、かつ日本語も固有語の影を残しながらも形成されて来たものである。にもかかわらず、外来(漢意=漢字)と固有(和心=ひらがな)の匂いをなお持ち続け、一つの文字を二つに読み分ける世界唯一の稀有な言語が日本語である。日本人はわからない民族だとよく言われるが、日本語の複雑な構造、文化の構造を理解するには日本人ですら少なくなっている。
万葉集はその名の通り万葉仮名で書かれた和歌であり、日本人の瑞々しい感性に触れるには良き書である。日本語が乱れていると若い世代を揶揄しがちであるが、時代を映し出した新しいことば遊びから生まれる感性もあり、それは万葉集にも通じるものである。新元号を一つの機会として、日本語のもつ魅力・文化を再認識、勉強する人も出てくるであろう。

万葉集を始め和歌を詠むといった貴族文化は一つの季節行事として残ってはいるが、庶民が本格的に言葉遊びを楽しみ始めたのは江戸時代の川柳であった。初代柄井川柳(からいせんりゅう)が始めたものだが、庶民の誰でもが参加できるように前句というお題に対し、それに続く句を詠む遊びである。日曜日の夕方日本テレビ系列の「笑点」を見ている方は分かると思う。この前句から続く後の句が独立したのが「川柳」である。連歌の練習としてスタートしたが、懸賞募集をしたことから庶民へと広まったと言われている。今は第一生命がスポンサーとして、同じように募集しているのが「サラリーマン川柳」である。時代の雰囲気、世相をおもしろおかしく、ユーモアたっぷりに句が作られており、好きな人も多くいると思う。例えば、2018年度の第一位は次のような句であった。
◆  スポーツジム 車で行って チャリをこぐ
和歌はどちらかと言えば宮廷文化であるのに対し、川柳は庶民文化の一つである。もっと簡略化していうならば、駄洒落を含めた言葉遊びの時代として考えた方が良い。
しかも、川柳はくすっと笑える、そうそうとうなづける表現形式である。明日が見えないそんな不安ばかりが増幅されている時代、長期停滞の経済日本にあって、顧客のこころの扉を開けるにはユーモア、遊び感覚こそ必要となっている。以前、「標準語から方言へ」というテーマでブログを書いたことがあったが、この方言をうまく使ったのは吉本の芸人が使う大阪弁であり、元宮崎県知事の東国原氏の「どげんかせんといかん」発言が流行語大賞になったように、ある意味で標準語に対するカウンターカルチャーとしての方言だ。最近では人気のサンドイッチマンやU字工事も同様で、地方出身者の漫才である。つまり、今流行っているものに対し、「アンチ」「反」「逆」を行ってみようということである。

かなり以前に話題になったことだが、福岡のもんじゃ焼きの店で出した「こどもびいる」なんかはまさに遊び感覚、駄洒落気分でやった良き事例である。実はアルコール度ゼロの泡の出るガラナジュースという「びいる」である。当時もちょっと笑える話題の商品であった。
洒落は今で言うオシャレの語源で気の利いたことを指し示す言葉であるが、洒落に「駄」をつけると何か低級でセンスの無さを感じてしまうが決してそうではない。江戸時代上方から江戸に伝わってくるものを「下りもの」と呼んで珍重していたが、いつしか対抗して江戸の文化が生まれてくる。江戸文化の研究者の方から指摘を受けるかもしれないが、洒落に対する駄洒落は一種のカウンターカルチャー(対抗文化)のようなものと私は理解している。上方の押し寿司に対し、江戸ではにぎり寿司が生まれたように、文化という「違い」を楽しむ時代になってきている。その文化発祥の地である上方、大阪には商いの楽しさ、面白さの原型が今なお残っている。それはおもしろがりの精神によるもので、例えばなんばグランド花月の裏路地にあるうどん店「千とせ」の名物は「肉吸い」といううどん抜きの肉うどんである。あるいは南船場にある元祖きつねうどんの「うさみ亭マツバヤ」には「おじやうどん」といううどんとご飯のおじやを両方楽しめるメニューがある。前述の「こどもびいる」も同様で、しかも福岡にあるもんじゃ焼きの店のドリンクである。こうしたおもしろがりから生まれたメニューこそ求められている。

成熟時代のビジネスは、どのように顧客の「こころを動かす」かが最大のテーマとなった。その心の動きはSNSの「いいね」という共感の言葉で評価され結果が出る時代である。しかし、何故「いいね」なのか、ツイッターの文字数が140から280文字まで増やされても意味を深めることはできない。(日本語・中国語などは現在のままである)
作家五木寛之は鬱状態の自分に対し、『人は「関係ない」では生きられない』とし、「あんがと(ありがとう)ノート」を書き、鬱状態から脱したと著書「人間の関係」(ポプラ社刊)で書いている。人間の成長は4つの段階で変わっていく。幼少期から少年期には「おどろくこと」で成長し、やがて「よろこぶ」時代を過ごす。そして、ある時期から「かなしむ」ことの大切さに気づき、しめくくりは「ありがとう」ではないかと。
五木寛之の言葉を借りれば、ビジネスであれなんであれそこには必ず「人間」が介在し、「言葉」が発せられる。そして、その「人間」に不可欠なものとして「泣き」「笑い」と言う2つの情動がある。心を動かす情動は言葉によってであり、言葉として発せられてはいない沈黙ですら、沈黙の言葉として人の心を動かす。
そして、欧米諸国からは「日本病」と言われているように長期停滞という鬱の時代はこれから先も続くであろう。残念ながら新元号の時代になっても、鬱という不透明、不確かなモヤモヤ時代は続く。そのためにも時間をかけて創られてきた文化、そうした言葉の持つ力を持ってコミュニケーションしなければならないということだ。商品のみならず、店頭も、人も、少し広げれば街も、「いいね」の先を語る時代が来たということである。(続く)
  
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2019年03月24日

全体が見えてきた消費増税 

ヒット商品応援団日記No732(毎週更新) 2019.3.24.

値上げラッシュが続いている。新年から小麦粉の値上げを皮切りにアイスクリームをはじめとした乳製品、あるいは冷凍食品、昨年からブームが続いている鯖缶も高騰ししかも品不足となっている。その値上げの背景には人手不足による人件費の高騰や、原材料および包装資材価格の上昇から、製造コストや配送コストが上がり続けているのが理由となっている。特に食品についてはその多くが輸入に頼っており、長引く円安はボデーブローのように経営を圧迫している。こうした背景はわからなくはないが、提供する企業にとっては値上げのタイミングとしては10月の消費増税実施前に実施しておきたいというのが本音である。つまり、消費者から「便乗値上げ」の指摘を受けたくないということだ。

ところで消費増税の影響を一番受けるのは外食産業であると言われているが、今年に入り宅配やテイクアウトの強化が実施されている。あるいは顧客の固定化を図る目的で、定額料金による飲み放題や使い放題といった「サブスクリプション」も進んでいる。また、値上げについてはすき家を始め昨年から値上げが実行されているが、それらは「一部」メニューであり、全体の値上げではない。それは昨年の居酒屋チェーン鳥貴族の値上げの失敗、メインメニューを値上げしたことによる客離れの実態を見ているからである。消費者にとって値上げの意味の理解納得が得られない場合、どんなことが起きるか、企業の側は周知している、そんな現況にあるということだ。価格に対しシビアになっている良き事例がセブンイレブンの朝おにぎり2個二百円というセールである。一見お得に見えるが、過去何回もおにぎり1個百円セールが行われており、何故朝だけなのか、何故2個でないとダメなのか、といった意見が多く寄せられているように、セールひとつとってみても、顧客の反応は極めて敏感である。

その消費増税であるが、全体概要が見えてきた。特に、「ポイント還元事業」という政策についてであるが、還元事業に参加する決済事業者の募集が始まっている。以前ブログにも書いたが、キャッシュレス決済がなかなか浸透しない理由の1つは、加盟店手数料が高いことである。今回のポイント還元事業では、ポイント還元事業の期間中に加盟店手数料を3.25%以下にしなければ、事業の対象にならない。それとは別に加盟店手数料補助事業もあり、対象事業者になると、同じ対象期間中の加盟店手数料の3分の1は、国から補助金が出ることになっている。また、キャッシュレス決済のための端末を中小・小規模事業者が導入する場合、国は導入費用の3分の2を補助する(残り3分の1は決済事業者が負担することが必要)。キャッシュレス決済の端末を導入したい中小・小規模事業者は、対象期間中なら事実上自己負担ゼロで導入できる。

ある意味街場の中小事業者にとってはいたれり尽くせりの支援となっているが、当の消費者にとって、ポイント還元期間はわずか半年間であり、その期間中どれだけのポイント=お得が得られると理解納得できるかである。勿論、期間を超えればポイント還元は失効してしまう。既に、PayPayの導入キャンペーンでわかったことは、家電量販店での使用に見られるように特別な「高額書品」の購入にはお得感はあるが、少額の日常利用にはあまりお得感がなく、使用しないという結論であった。こうしたことはニトリの「お値段以上」ではないが、お得感のあるキャッシュレスは限られたものとなるということだ。確かにこれからの時代はキャッシュレスには向かっていくとは思うが、日本は欧米、特に中国とは全く異なるのはATMがいたるところに設置され、現金決済に不便を感じることが少ない環境にある。ましてや、年金暮らしのシニア世代にとって、キャッシュレスはそれほど使い勝手の良いものではない。さらにいうならば、中小事業者が集まる元気な酒店街、例えば砂町銀座商店街や興福寺松原商店街などポイント還元政策に参加することはないであろう。参加したとしても売り上げにキャッシュレスが大きく影響するとは考えていないであろう。ここ数十年値上げをしないでやってこれたわけではない。そこには店と顧客の間に密接なコミュニケーションがあってのことだ。そうした「納得感」が商店街の元気さを支えている。

ところで予定されているキャッシュレス事業の予算は約2800億円となっているが、予算には加盟店手数料の補助も含まれており、消費者へのポイント還元という目的より、キャッシュレス化の推進にウエイトがかけられ、消費者にとってどれだけ増税軽減を感じることとなるか極めて疑問である。ただ、政府は2025年までにはキャッシュレス化による購買比率を40%まで高めたいと考えているようで、この政策は進んでいくかと思う。増税という課題とは少し離れてしまうが、これまでの共通ポイントとして圧倒的なシェアーを誇ってきたTポイントの市場にも多くの企業が参入し、中でも楽天グループのように従来のネットにおけるポイントとリアル店舗におけるポイントとを結合させた合理的な「お得」を提供し始めている。それまで共通ポイント市場で先頭を走ってきたTポイントは単なる購買データの販売という名簿管理運営企業になってしまい、消費者への合理的なお得に遅れてしまっているのが現状である。昨年からのキャッシュレス市場に多くの企業が参入してきたのは「顧客名簿」を持つ企業がその名簿を元にした「お得」競争に参入してきたということだ。数年先には撤退・統合といった整理を踏まえ生き残り企業が決まっていくが、現段階では混戦状態にあるということである。ポイントについては顧客のお得という視点からキャッシュレス化を考えていく予定である。

なお、もう一つのプレミアム付き商品券であるが1人2万5000円まで 、対象となる世帯は非課税世帯と9月末までに生まれた子供のいる世帯とのこと。この施策はアナログであるが、分かりやすさはあるものの、上限2万5千円で2万円で購入するので5千円のお得となるが、消費を考えると瞬間的に終わってしまうこととなる。
ポイント還元もプレミアム商品券も共に期間は6ヶ月である。どうしても痛み止めの注射のように思えて仕方がない。6ヶ月を過ぎたら軽減税率はあるものの、消費税10%は続いていく。

実は今元気なのはパパママストアといった家族経営の中小事業者で、飲食店で言えば「食堂」であり、業態でいうならば「立ち食い」スタイルやセルフスタイルといったものとなっている。特に、食堂には従来の顧客である、ご近所顧客、サラリーマン、学生といった顧客とは異なる新しい顧客創造の飲食店が出てきている。こうした従来顧客とは別に若い世代向けの新しい居酒屋としてしかも広域に集客できる「食堂」である。昼は前者の顧客、後者は夜の顧客で、行列ができる店の一つが大阪空堀にある大衆食堂スタンド「そのだ」という中華をベースにした飲食店である。月商は1000万を超えていると聞いているが、新しい顧客を創るにはやはりMD,メニューである。こうした一つの店舗で異なるメニュー業態といったほうがわかりやすい。限られた資産、店舗や厨房、人員スタッフをいかに生産性高くしていくかという良き事例である。立ち食いの「俺のフレンチ」や「いきなりステーキ」、あるいは昨年から人気となっている「お一人様焼肉」といったセルフ業態とは異なる既存店をいかに生産性高くする新しいメニュー業態である。現在も「プロント」のようなタイムMD業態はある。既存業態店においてもラーメン店の「朝ラー」やマクドナルドの「朝マック」のようなメニューも作られてはいるが、「そのだ」のようにアルコール離れと言われてきた若い世代の新しい居酒屋」に着眼したことはとても面白い試みである。
勿論、「そのだ」の場合も安さという魅力があってのことだが、その「安さ」がより魅力的になるのは何と言ってもそのメニューそのものにある。看板メニューの一つがラーメンであるが、美味しいことは言うまでもないが、鳥と魚介系のラーメンで、食べ進めていくとあさりが数個入っており、そのスープのうまさを倍加させる工夫がなされている。こうした細部に納得実感させるアイディアが随所にみられる店である。つまり、価格の理由が消費者にとって「わかりやすい」ことが第一となっている。

今、セブンイレブンを始め24時間営業の是非が話題となっているが、この課題については一度私見を述べたいと思うが、セブンイレブンの成功の一つはうやはりそのMDにある。例えば、確か1980年代であったと思うが、そばについている薬味の袋に使いやすくするために切り込みを入れたことに驚いたことがあった。今で言うところのユニバーサルデザインであるが、顧客の視点からの薬味袋の改良、つまり細部に渡った改良の積み重ねが今日のブランドを創っていると言うことである。最近では健康トレンドの一つとなっているタンメンにおけるスープの改良が行われており、日々進化している。おにぎり2個二百円というプロモーションの失敗もあるが、コンビニは顧客とともにある良き事例を提供してくれている。

今回の消費増税について消費者は「価格・お得」に対し極めて敏感な反応を見せるであろうと指摘した。そのことは価格だけでなく、メニューの内容に対しても同様であることを忘れてはならない。まず既存店舗、既存メニュー、既存サービス、・・・・既にあるものの細部への見直し改良を行うことだ。以前にも書いたが、増税について求められるのは公平性とこのわかりやすさである。軽減税率の分かりにくさに加え、あれもこれも盛り込めば盛り込むほど増税への理解はなく悪感情だけが積もっていくこととなる。そして、「細部」には目が届かない、わかりにくいどころか、逆に気づきは細部にまで及び満足感を醸成する主要なものとなっていく。「増税対策」の一つとして、価格だけでなく「細部」を磨くこともまた忘れてはならない。(続く)
  


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2019年03月20日

パラダイム転換から学ぶ 「概要編)後半 再掲

ヒット商品応援団日記No731(毎週更新) 2019.3.20.

概要編の後半では、大きな時代変化を受けて、どのように受容してきたのか、その根底には江戸時代の長屋生活にその源があった。



『類聚近世風俗志』より



パラダイム転換から学ぶ


生活という大きな意味での転換期として、バブル崩壊を境に昭和から平成へと、日本社会、経済、働き方や消費までグローバル化という強力な波が押し寄せてきている。この潮流は世界全体の趨勢でもあるが、今回の英国のEU離脱に象徴されるように、ローカルという言葉に内包される「歴史」「伝統」・「文化」・・・・もっと消費生活に即して言うならば「慣れ親しんだ」「心地よさ」あるいは「懐かしさ」を求める希求が表へと出てきている。そうした現象を「回帰現象」と呼んでもいるが、生活者価値観そのものの変化が根底にはある。今回はそうした根底にある価値観はどのように消費という表面に出てきているか、今回はその概要について学んでいくこととした。
こうしたグローバル化の波を直接受けているのが東京、いやTOKYOである。表紙に渋谷のスクランブル交差点の写真を出したのも、世界のあらゆるもの、ヒトも、モノも、おカネも、もちろん情報も「交差」している場所がTOKYOである。私はエスニックタウンと呼んでみたが、東京を分析すればグローバル化とその揺れ戻し変化が見えてくる。

TOKYO(グローバル都市)と東京(ローカル・江戸)

今、東京で進められているのが日本橋を中心とした「江戸」400年のルーツを楽しむ街歩きが盛んである。主に今なお残って商売をしている老舗で山本海苔店、にんべん、千疋屋、包丁の木屋、室町砂場、洋食のたいめいけん、・・・・・さらには人形町にかけて老舗の名店が数多く残っている。例えば、元祖親子丼の玉ひで、江戸前蒲焼の梅田、日本料理のかねまん、といった江戸あるいは明治時代の風情を残した老舗がシニア世代の人気スポットになっている。さらに、中央区には銀座があり、周知のように世界のインポートブランドショップとこれも銀座の老舗名店が集積している。この銀座も2012年にはユニクロの旗艦店がオープンし、さらにファストファッション専門店もH&Mを始めオープンし、あらゆる商業がまさにスクランブル交差点のように「老舗」と「トレンド」が混在したエリアとなっている。そして、やはり、大手百貨店が集積しており、特にいち早く訪日外国人へのアプローチをした銀座三越には専用の免税売り場が用意され、中央通りには観光バスが並ぶ光景が日常となっている。
古い老舗が残る江戸東京と訪日外国人が日本の「今」をショッピングする街、まさに消費都市そのものとしてある。しかし、その消費傾向もこの1年ほど前から変わってきている。それまでの炊飯器やトイレから薬や化粧品などのドラッグストアへ、そして体験型商品へと。今まで遠い裾野から見る富士山観光から、実際に登ってみるという体験。あるいは書画から始まりお茶、さらには握り寿司体験まで。そうしたことを指してのことだが、実はその本質は日本の文化観光、もっと簡略化して言うならば東京は「江戸文化観光」であり、京都は「貴族文化観光」である。

つまり、文化観光都市であり、以前から指摘してきているのだが、浅草も雷門・浅草寺観光ではなく、銀座も同様に表通り観光ではなく、横丁路地裏観光にこそ「クールジャパン」という文化に出会うことができる。グローバル化はこうした表通りから裏通りへと、表層からコトの本質に向かわせる。そこに新たなビジネスの芽が生まれているということである。余談になるが、グローバル企業日本マクドナルドが「裏メニュー」キャンペーンを行っている。定番バーガーにトッピングがチョイスできる期間限定のサービスキャンペーンであるが、以前から世界各国ではトッピングはチョイスできるのだが、「裏メニュー」という表現を取り入れたこと。更には期間限定ではあるが、「1971炙り醤油ジャパン」というモスバーガー並みの「和風味」のバーガーを発売したが、これもローカルマクドナルドジャパンとしては当然のことで、やっとマクドナルドも気がついたということであろう。
ところで、このクールジャパンは訪日外国人だけのキーワードではなく、実は日本人にとっても同様である。それまでの「洋」の世界からの揺り戻しであり、前述のシニア世代の老舗めぐりも、吉祥寺ハーモニカ横丁のような若い世代の昭和レトロな街人気も、その根底にはローカルジャパンに今なお残っている和文化へと興味関心が向かっているということである。時代的に言うならば、平成から昭和へ、明治へ、そして江戸へ、大仰に言うならば「日本とは何か」というルーツ探しである。

逆流するローカルジャパン化、日本探しの潮流

クールジャパンというキーワードが広く知られるようになったのはここ10年ほどであるが、アニメやコミックばかりでなく、以前から盆栽もまた欧州、特にフランスでは人気となっている。アニメ・コミックの聖地であるアキバと同様盆栽は大宮へと訪日外国人がやって来ている。サムライ、忍者しかり、以前からクールジャパンの象徴であると一部の専門家が指摘されてきた禅も同様である。歌舞伎も、相撲も、それらすべてが日本の精神文化の表れであり、ある意味「日本とは何か」を見つけにやってくる。
こうした「訪日」という逆グローバル化の波は、実は多くの失敗を含めた試みの結果であったことは認識すべきである。平成25年「和食」がユネスコの無形文化遺産となり、海外での日本食レストランが注目されるようになったが、はるかそれ以前の昭和50年代に北米を始め欧州、アジアに進出したのが、“Soy Sauce”のキッコーマンであった。今や世界の至る所で日本食ブームとなっているが、当時はなかなか受けいられなかったことは言うまでもない。和食、醤油文化、を売っていくことはなみたいての努力ではない。今、広島のおたふくソースが同じように海外へと進出し、お好み焼きと共にソース文化を普及させ始めている。ラーメンも同様で、訪日外国人がまず食べるのがラーメンで、コミックオタクがアキバに行くのも、盆栽オタクが大宮に行くのも、ラーメンであれば横浜のラーメン博物館に行くのも、すべて日本文化の「聖地巡礼」である。

多くの人を惹きつけるもの、それは日本の精神文化であり、そのことは文化が経済を牽引する時代を迎えたということである。実はそのことを一番理解していないのが日本人である。ただ、個人にあっては、NHKの番組「ファミリーヒストリー」ではないが、自分自身のルーツ探しは10年ほど前から「自分史」の出版、あるいは「家系図」作りとなって静かなブームとなっている。こうした過去へと向かう眼差しはシニア世代だけでなく、若い世代にとっても同様である。いきものがかりが歌うYELLの冒頭の歌詞のように”私は今どこに在るの”という問いかけのように。世界が境界のないボーダレス化になればなるほど、若者のみならず「自分探し」は社会の底流としてある。そして、大人になればなるほど、自分探しから生まれ育った故郷へ、街へ、世界へ、日本へ、そして、再び故郷へ、自分へと。少し理屈っぽく言うならば、外へ、内へ、また外へ、行ったり来たりの中に新しいビジネスの芽もまた生まれてきている。

和から洋のライフスタイルへ、そして、「和」の取り入れ へ

「日本探し」における一番大きな変化は、高度経済成長とともに物質的な豊かさとして取り入れてきたのが、住居における洋のライ フスタイルであった。その象徴であった「団地」も住人の高齢化ばかりでなく、建物自体も老朽化してきている。こうした背景も含め過疎化が進む郊外団地については若い世代向けにリノベーションが進んでいるが、それらを含め現在のライフスタイルの基本は「洋」のスタイルである。そうした住居を見てもわかるように、畳の和室はなくなり、フローリングとベッドになったように。また20数年前にはコンク ートの打ちっ放しという建築デザインの デザイナーズマンションが人気にもなった。そして、東京の郊外には写真のようなマンション群が次々と開発されてきた。
しかし、一方ではここ10数年の戸建・マンションの傾向を見ていくと分 かるが、和の素材である木や紙を使った内外装が増え、もちろん和室も増え、戸建の場合ではあ の懐かしい縁側を造る新築も増えてきている。勿論、こうした和への共感ルーツはというと10数年前からの古民家ブー ムや田舎暮らしへと繋がっている。最近では新国立競技場が和コンセプトに基づく緑に囲まれた 競技場として計画されるように。
こうした「和」の取り入れ方については、 日常身近なインテリア小物のようなものを入り口としている。これもいわゆる洋とのバランスであるが、小物であれば安価であることからも、気軽に「和」を取り入れることになる。最近では小さなミニ盆栽のようなものをインテリアとして取り入れる傾向も出てきている。あるいは和紙を使ったランプシェードなど癒しの空間づくりも人気となっている。こうしたインテリア小物をうまく使った「和」の取り入れである。

新しい「和」の暮らしへ

ところで住宅市場に関し、野村総研が面白い市場予測レポートを出している。(「2025年の住宅市場」2014年7月)
周知の通り、すでに人口減少時代に入り、空き家が社会問題となっているが、実は世帯数も2019年をピークに減少に転じると予測されている。つまり、世帯という「住まい」が減少に転ずることから、住宅需要の変化、特に新設・リフォームがどのように変化していくかの予測である。その予測の結論であるが以下のような数値となっている。

2013年(実績)  新設住宅着工(98.7万戸)約15兆円  リフォーム6.7兆円
2025年(予測)  新設住宅着工(62.3万戸)約10兆円  リフォーム6.1兆円
*2025年(予測)  新設住宅着工(62.3万戸)約10兆円  *リフォーム20兆円

*印のリフォーム・中古市場の数値については政府の政策目標であるが、着眼すべきはその20兆円という大きな数値に表れている意味である。このままでは衰退する第一次産業と同じように国内産業のコアとなっている住宅産業も右肩下がりの典型的な衰退産業になると誰もが予測している。こうした中、住宅産業を活性化するために中古住宅の流通を改革させていく方向で考えられており、他業種の参入も考えられているようである。こうした中古住宅の流通については、以前から指摘されてきたように高齢者住宅では「広すぎる」ことが問題であるのに対し、子育て世代にとっては「狭すぎる」といった課題から、若い世代にとってのシェアーハウスまで、多様な問題解決に向かうということであろう。
高度経済成長期に建てられた問題多き団地である東京高島平団地では部分的には始まってはいる。このレポートから見えてくることは、「リノベーションのある暮らし」であり、今までの「洋」のライフスタイルに、部分あるいはインテリア小物といった「和」の取り入れといった暮らし方から、本格的な今の「和」住宅、洋の合理性を生かしながら、和の持つ歴史・文化性が生きる住宅が生まれてくるという予測である。地震国日本であり、木造造りに於ける耐震性、あるいは洋の合理性ではないがIoTを駆使した新しい電化型住宅で、和テイズトの新しい心地よさのある暮らしである。しかし、最大の課題となっているのが木材などのコスト高であり、解決し得るのであればクールジャパンのさらなる構想の一つになり得るであろう。そして、コンセプト的に言うならば、まさに「和モダン」となる。

こうした取り入れが本格化していくのは、前述のハロウィン世代が自らの好みで「暮らし」を考えていく時の美意識の物差しになるのではないかと私は仮説している。ベッキーの不倫騒動の一方である「ゲスの極み乙女」のステージ衣装を見た時、ああこれは彼ら若い世代が好む「和モダン」の一つなんだと理解した。著作権の問題があるのでビジュアルは掲載できないが、「DOUBLE MAISON」という着物のやまとのブランドである。そのブランドのHPには”着物と洋服を「身につけるもの」という大きな視点をもって従来のルールに制約されない生きたコーディネートを提案していきます。年齢や時代、場所といった境を超え洋服と着物の垣根から自由になっておしゃれが大好きな永遠の女の子たちの夢を共有するクローゼットでありたいと思います。”とある。
こうした若い世代のファッションについては、例えばきゃりーぱみゅぱみゅのアーティストデビュー時からライブの演出・美術デザインを担当している増田セバスチャンも含め、日本の美意識についてこれからも取り上げてみたい。

垣根のない時代は江戸から始まっていた

ところで、ローカルからグローバルへというパラダイムの転換という変化の只中に今もいるのだが、その反作用を「揺り戻し」と書いた。普通であれば外からの新しいパラダイムと衝突し、ハレーションを起こすのが常であるが、日本の場合激しい衝突に至ることは少ない。訪日外国人が必ず渋谷のスクランブル交差点を訪れるのも、交差しても誰一人ぶつかることなく横断している、その「不思議さ」に驚くのである。最近はスマホしながら横断するのでぶつかることはあるようだが、互いに器用に避けながら横断する。

こうしたマナーやルールは小さな頃からの家庭での教育によって育まれてきたものだが、そもそも江戸時代では垣根のない「長屋社会」で暮らしていた。長屋には鍵というものがなく、ある意味開けっ放しであった。そして、互いの生活がわかっているので、当然助け合うようになる。そうした町コミュニティを成立させるには「大家」の存在が大きかった。大家は長屋の管理人ではなく、町の治安から店子の世話まで幅広く行う江戸にはなくてはならない存在であった。長屋には開けっ放しで垣根がなかったと書いたが、実は大家の活躍を含め、人と人との垣根がなかったのである。
勿論、現代ではそのままとしては考えられない社会ではあるが、発想としては一部シェアーハウスやタウンハウスに生かされている。このように日本人にはDNAとして「垣根」のない生き方、生活が今なお残されているような感がしてならない。
江戸から明治という大転換にあって、例えばそれまで共存してきた神仏習合が神仏分離、神道尊重を背景に、廃仏毀釈という寺院や仏像などが壊されたことがあった。しかし、これも仏教の持つ特権を無くすことが目的て、既に江戸時代からあった運動でもあった。
そして、「外」の世界との衝突があるとすれば、互いに衝突し壊れるのではなく、その交差点に火花が起き、まるで化学反応のように新しい「何か」が生まれてくる、そんな面白い日本の面白い時代に今もいる。

今回は「概要編」ということで、ローカルからグローバルへ、そうしたパラダイム転換を、洋から和へ、その変化を暮らし、特に住居を中心に考えてみた。そして、既に「転換」によってどんな現象が生まれているか、以下のようなことがテーマとなると考えている。例えば、

■消費生活に現れた回帰現象の「今」
■和と洋、その雑食文化の未来
■日本の美意識、「わびさび」から「カッワィーィ」まで
■老舗とトレンド、その市場の「今」
■日本語と英語、日本人って「何」

ところで上記はあくまで例えであり、「交差」という化学反応によって新しい「何か」が生まれてくると感じたものについては順次取り上げていくつもりである。(続く)
  


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2019年03月17日

パラダイム転換から学ぶ 「概要編)前半 再掲

ヒット商品応援団日記No729(毎週更新) 2019.3.17.

英国のEU離脱が迷走している。その離脱について2年半ほど前に未来塾で「パラダイム転換から学ぶ」というタイトルで、時代の転換期に入っていることをブログに公開した。「グローバリズム」という巨大な波による変化についてだが、勿論日本にも及んでいることは言うまでもない。その揺れ戻しについて今尚続いており再掲することとする。


渋谷のスクランブル交差点


「パラダイム転換から学ぶ」

グローバル化する世界
その揺り戻し始まる
(概要編)



未来塾というタイトルでブログを書き始めてから2年3ヶ月ほど経つ。第一回目は「街から学ぶ」というテーマで浅草という町を選んだ。その理由として次のように書いた。
『街は時代と呼吸すると言われているが、呼吸することによって街は常に変化し続ける。この変化をどう読み解くのかというテーマこそビジネスの未来を見いだす芽となる。そうした意味を踏まえ、明治維新以降いち早く西洋文明を取り入れたのが浅草である。その後、どんな変化の波が浅草に押し寄せ、そして「今」があるかそんなマーケティングの視座をもって、観察した。』
こうした観察は「街」や「商店街」、あるいは「テーマ」を持って人を惹きつけているエリアへと、そこに表れている「変化」について書いてきた。
そして、今回はそうした観察の背景にある「パラダイム転換」という意味ある価値観の変化を見出し、そこから生まれる生活者のライフスタイルについて学んでみることとする。あるいはそこに起きつつある価値観変化が他の生活の中へと浸透していくのか、否かをも同時に見ていくこととする。

折しも英国ではEUからの離脱が国民投票によって決まるという「大転換」の地震が突如として発生し、日本も過去大きな転換を経験してきたことを思い起こさせた。そして、その転換から生まれる変化の痕跡は今なお街のいたるところに残っている。そうした痕跡を抽出し、それがどんな転換期のマーケティングとしての意味があるのか、無いのかを読み解いていくシリーズとする。

その巨大地震から生まれる転換を引き起こしているのが「グローバル化」である。ローカルからグローバルへ、そうした価値潮流は経済的利益を背景に日本のみならず世界のメガ潮流として戦後続いてきた。しかし、今回の英国のEU離脱に見られるように、統合から離脱・独立へという内向きな精神的価値観が強く見られた。場合によっては、当の英国はイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズといった連邦が分離・解体していく可能性すらある。日本のマスメディアは離脱を決めた国民投票をポピュリズムであると揶揄するが、投票結果に後悔する人もいると思うが、少なくとも感情的であれ、半数以上の人が離脱に賛成した事実に変わりはない。
こうした国単位の政治経済統合からの離脱といった大きな変化だけでなく、個人単位の生活においても外の世界にある新しい「何か」を取り入れる傾向から、忘れ去られたものの復権、内に眠るものの掘り起こし、といった「内」に「過去」に向かう眼差しが起きている。これは新しい、面白い、珍しいといった外にある「変化」を取り入れる価値潮流から、慣れ親しんだ心地よさのある「安定」を求める価値潮流への「揺れ戻し」であると見なければならない。

変わらないことの意味

ところでこうした外からの「変化」の取り入れ方についても当然国によって変わってくる。マクドナルドの代表的メニュ-であるビッグマックの国別価格を取り上げ、その購買経済力の指数としてきたことがあったが、それはマクドナルドが世界の至るところに均質な商品を持って進出しているグローバル企業であるからに他ならない。
そのマクドナルドであるが、1980年代半ば、 イタリア・ローマの名所の1つであるスペイン 広場にマクドナ ドが開店したことをきっかけにイタリアのスローフード運動が誕生する。 ファストフードにイタリアの食文化が食いつぶされる、と いう危機感が生まれ、「スローフード」運動に繋がったと言われている。こうした危機感がイタリア の郷土料理を育て、ミラノのように「食」の観光地にもなった。面白いことに、いやスローフードの本質を突いているのだが、スローフード運動は「アルチ・ゴーラ」という美食の会を作ったのが始まりである。アルチ自体は、120万人以上の会員を擁する、草の根的なイタリアの文化復興運動組織である。 ある意味、「ファストフード」に対する「スローフード」の逆襲と表現しても構わない、そうした事例の 一つであろう。

そのマクドナルドの日本における進出はイタリアより早く1971年に銀座三越の1階にオープンした。身近にそのオープンを見てきたが、銀座という話題メディアのオープンであり、その後も順調に出店数を伸ばしていった。このファストフードに対抗するようなスローフード、日本の郷土料理の動きはほとんどなかった。逆にその専門業態、早い安い美味いビジネス手法、規模の経済は学ばれ、その後の多くのチェーンビジネスに応用されてきた。

このように「外」からの取り入れ方、その根底に横たわる価値観については日本固有のものがある。まずその「パラダイム(価値観)転換」とはどんな転換として「生活」に表れているか、生活を構成する「食」や「衣料」「住まい」・・・・・・・・よく言われるようにライフスタイルを構成する衣食住遊休美知にその変化を観察し、その変化が意味あるものである場合、読み解いてみることとする。
パラダイム、価値観の変化を促す要因、特にバブル崩壊後の20数年間どんな変化を促す外からの「力」が日本に、企業に、とりわけ消費生活に及ぼしてきたか、今回はまず概要編として、その構図から考えて見ることとする。

パラダイム転換と変化の構図

生活という視点から見る新しいパラダイム(価値観)への転換点は、その転換の時期、境目は明確に線引きされるものではない。しかし、敢えて転換点の時期はいつかと言えば、やはり昭和から平成という元号が変わった時期であろ う。 国内では1989年末の株価が38000円を超え、その数年後には周知のバブル崩壊が始まる。よくバブルという言葉が使われるが、1986年から1991年までの期間をバブル期としている。
それまでの戦後の高度経済成長期を経て、バブル期へと、日本経済の構造、あり方が大きく変わった時期である。世界を見れば、1989年ベルリンの壁が崩壊し、それまでの米ソの冷戦・イデオロギー対立の構図が消滅した時期でもある。

昭和と平成、その産業構造の変化

戦後の日本はモノづくり、輸出立国として経済成長を果たしてきたわけであるが、少なく とも10年単位で見てもその変貌ぶりは激しい。例えば、産業の米と言われた半導体はその生産額は1986年に米国を抜いて、世界一となった。しかし、周知のように現在では台湾、韓国等のファ ウンド リが台頭し、メーカーの ランキングではNo1は米国のインテル、No2は韓国のSamsung である。世界のトップ10には東芝セミコンダクター1社が入るのみとなっている。 あるいは重厚長大産業のひとつである造船業を見ても、1970年代、80年代と2度にわたる「造船大不況」期を乗り越えてきた。しかし、当時と今では、競争環境がまるで異なる。当時の日本は新船竣工量で5割以上の世界シェアを誇り、世界最大かつ最強の造船国だった。しかし、今やNo1は中国、No2は韓国となっている。
こうした工業、製造業の変化もさることながら、国内の産業も激変してきた。少し古いデータであるが、各産業の就業者数の 構成比を確認すればその激変ぶりがわかる。

第一次産業:1950年48.5%から1970年19.3%へ、2010年には4.2%
第二次産業:1950年15.8%から1970年26.1%へ、2010年には25.2%
第三次産業:1950年20.3%から1970年46.6%へ、2010年には70.6%
*第三次産業におけるサービス業に分類されないその他は含まれてはいない。

食料自給率の低さにも表れているが、農林漁業の就業人数は激減し、「青森大間のマグロ漁」の ようにその珍しさからTV番組の取材対象になるような状態である。また、バブル崩壊後は製造業 の衰退とともに「リストラ」という言葉が新聞紙上に頻繁に出てくるようになった。また、それまでの 残業がなくなり、「父帰る」という言葉と共に味噌や醤油が売れるようになる。お笑い芸人の麒麟 の田村が書いた「ホームレス中学生」が225万部というベストセラーになったのもこの頃のことをテーマとしている。こ の「ホームレス中学生」の冒頭のシーンは象徴的である。差し押さえられた住居に戻ってきた父親からは「家族の解散」宣言がなされる。そして、ホームレス中学生が生まれるのであるが、こうした 転換を更にドラスティックにさせたのがインターネットの登場であった。製造業においても製造拠点を中国へと移転させるという産業の空洞化を生む一つの役割、高度情報化をも果たした。日本においても身近な目に見える分かりやすさで「グローバル化」を感じた時期である。
ただ最近では第一次産業の農業においては「攻める農業」として農産物の輸出が積極的に進められ、7000億円を超えるまでに成長してきている。エネルギーと共に自給率の低い食であるが、輸入は7兆円となっている。しかし、輸出は1兆円を目標としており、輸入も5兆円ほどを目指しており、農業の改革・転換も進んでいるようだ。

昭和と平成、その働き方の変化

このように産業の構造が変わるとは働く内容・働き方が変わるということである。そうした変化の象徴が「リストラ」であろう。それまでの昭和にはなかった言葉である。確かバブルが崩壊し不況に突入した1993年以降多くの企業で残業カットあるいは解雇が行われた。そして、同時にインターネットの普及と共に、いわゆる新しいIT産業が勃興する。こうした新たな産業が生まれるのと並行して、新たな世界、グローバル世界が企業のみならず生活者個人の目の前に広がった。そして、グローバル化の波は経済ばかりでなく、社会も、仕事も、消費もあらゆるものへと浸透していく。
昭和までの潰れない大企業主義、金融機関、年功序列型働き方からの転換。また、企業への生涯就職から、次のような価値観の転換が進行し、働き方においても「個人労働」=多元価値、多様な時代へと向かっていく。
○平均値主義(年功序列)     →  □能力差主義(個人差、キャリア差)
○永久就職(安全、保身)   →  □能力転職(自己成長)
○肩書き志向(ヒエラルキー) →  □手に職志向(スペシャリティー)
○一般能力評価        →  □独自能力評価
○労働集約型労働         →  □知識集約型労働
○就職(他者支配)      →  □天職(自己実現)
○総合能力(マイナス評価)  →  □一芸一能(プラス評価)

こうしたパラダイムの転換は、ローカル日本からグローバル日本への進化であり、従来の国際化という概念とは異なる巨大な波であると言える。国際化とはその語に表れているように、国の際(きわ)がある時代から、インターネットに象徴されるように情報はもとより、ヒトも、モノも、カネも「際」を超えて自由に行き来する時代への転換である。
こうした転換に対し、今回の英国のEU離脱のように、「統合に反対する」潮流もまた生まれてくる。「際」を超えてもなお残すべきもの、大切にすべきものがあるとする考えである。こうした視点に立つと日本の戦後における復興から高度経済成長期を経て、失ってしまったもの、忘れ去ってしまったもの、そうしたものへの取り戻しも生まれてくる。そうした転換、ローカルからグローベルヘという潮流を表すとすれば次のように整理することができる。

転換の構図




まずここで着目すべきがローカルとグローバルが「交差」することによって、どんな変化、特にライフスタイルや消費に意味ある影響を及ぼしているか、またその意味は何かを明らかにすべきあるということである。

主要なパ ダイムの転換と揺り戻し始まる

実はこうした「揺りに戻し」の中に新たなビジネスの芽がいたるところで生まれている。勿論、単純に「元」に戻ることでもなければ、「過去」に戻ることでもない。昭和から平成への転換において生活や消費の表舞台に出てきた最大のものを「キーワード」とするならば、やはり「回帰」となる。回帰の世界は歴史や文化のみならず、自然までの広がっている。例えば、ここ数年注目されている古い建物などのリノベーションがそうであるように、残すべき「古」と新しい「何か」を組み合わせ編集する極めて創造的な試みのことである。EU離脱によって、どんな英国になるのか、その国家像、社会像は未だ明らかになってはいない。こうした創造的な試みとなるのか、単なる復古・先祖返りとしての英国となるのか未だ分からない。しかし、このようにローカルとグローバルを「行ったり来たり」することによって、結果未だかってなかった「何か」が誕生すると考える。

グローバル化とは「多様化」

日本の場合、最初の「グローバル化」は明治維新であった。その新しい政治的統治についてはこのブログの任ではないので書かないが、西欧化・文明開化という「外」の世界の取り入れはどのように行われたのか、特に生活という視座から見ていくと、日本人の「外」の取り入れ方が分かる。
未来塾の第一回の浅草編ではそうした取り入れ方が今なお残っている場所、交差する浅草について次のような観察をしてきた。

『神谷バー  :創業明治13年、浅草1丁目1番1号にある日本で一番古いバーである。神谷バーと言えば、その代表的メニューの一つである「デンキブラン」であろう。「庶民の社交場」として明治以降今日に至るまで変わらぬポリシーで運営されているが、「デンキブラン」というカクテルはデンキ(電気)とブランデーの合成されたネーミングである。電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと”電気○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです、とHPに紹介されている。』

浅草は横浜と同じように西欧文明をいち早く取り入れた町であり、グローバル化の第一歩としてその痕跡が今なお残されている。ところで江戸時代の「四大江戸前」と言えば、蕎麦、寿司、鰻、天麩羅で浅草にはそれら名店が一つの観光名物となっている。余談になるが、この江戸前とは江戸の町の前に広がる東京湾の事ではなく、江戸スタイルのことで、上方の食と違うことを意図した言葉である。明治維新によってこうした江戸前の食の中にもたらされたのが、「洋食」である。神谷バーのデンキブランのように文明開化と共に、舶来という新しさ、ハイカラメニューの代表が洋食である。
その数多い洋食店にあってユニークな店としてヨシカミがある。写真の店であるが、店頭の看板には「旨すぎて申し訳ないス!」とある。こうした「下町の洒落」も浅草ならではであろう。他にもリスボン、グリルグランド、あづま、東洋、大宮、こうした洋食店以外にも多く洋食の集積度は群を抜いている。
江戸前というそれまでの食と西欧から取り入れた洋として食が浅草の町には混在・集積しており、私は食のエンターテインメントパークと呼んでいるが、その中でも一番集積度が高いのがオムライスに代表される洋食である。食べログに掲載されている洋食店は40数店あるが、食堂や喫茶店などで出される洋食メニューを入れると100店を超す集積となる。しかも、観光客があまり足を運ばない歓楽街であった六区周辺の横丁・路地裏に数多く点在している。
勿論、浅草以外にも洋食文化は残っている。その代表的な店が創業明治元年の横浜の元祖牛鍋「太田なわのれん」であろう。仏教の影響もあってそれまで肉食文化のなかった日本において、外国人の風習を真似て和洋折衷料理としたのが牛鍋で、当時大人気となった。これも新しい、面白い、珍しいもの好きな日本人の精神世界をよく表している事例である。

「外」の新しい、面白い、珍しいものの取り入れ方

大きく西欧化に踏み切ったのは明治であるが、実は江戸時代から「外」の世界とは活発に交流していた。江戸時代=鎖国=閉鎖的、という図式は意図的に明治政府が行ったもので、基本的には長崎の出島を窓口に交易はきわめて活発であった。1716年にはあの象が渡来し、浮世絵にも描かれている。ラクダ、ダチョウ、オランウータンまで渡来している。植物の輸入も多く、チューリップ、ひまわり、アロエなど裕福な町人の間で流行っていた園芸ブームをさらに広めたと言われている。また、あまり知られてはいないが、吉宗の時代には洋書の輸入が緩和され、「イソップ物語」や「ロビンソンクルーソー」などが読まれていた。ある意味、西欧化の素地は既に江戸時代からあったということである。




そして、日本の場合特にそうであるが、「外」にある新しい、面白い、珍しいモノの取り入れ方としては、ライフスタイルという視点に立てば、過去からのものとの「バランス」を考えた取り入れ方となっている。<視座-1>のように、西洋の持つ「科学性」と、その対比から言うとすれば東洋の「精神性」とのバランスを考えての取り入れとなる。神谷バーの「デンキブラン」ではないが、デンキ(電気)という科学性を積極的に取り入れてきた歴史がある。
明治維新以降は大きくは西欧化という近代化が政治経済のみならず、生活の隅々まで浸透していくのだが、危機、あるいは長く続く停滞、そうした「時」には、それまでの西洋の科学性という「理屈」から離れ、過去そうであった日本の精神世界、「感覚」や「感情」が生まれてくる。そうした戦前の精神世界の傾向を先祖帰りとして解き明かしたのが政治学者の丸山真男であった。現代においてもそうした「洋」から「和」への回帰傾向は生活の中の至ることに出てきている。その取り入れ方には一方に偏らないバランス感覚があり、生活すべてを「和」に回帰させる訳ではない。後の事例にも出てくるが、コンセプト的に言うとすれば「和モダン」となる。



そして、生活のどんなところから取り入れるかといえば、<視座-2>のように、「既成」にとらわれない自由な行動として始まる。浅草神谷バーの「デンキブラン」もそうであるし、牛鍋の「太田なわのれん」もまさにそれまでの慣習やしきたりからの「自由」である。そのためには、まず「日常」「小さい」「部分」を取り入れることから始まる。興味・関心は高いが、未知のことであり、チョット取り入れてみようということである。昔からそうであるが、いわば「お試し」と同じである。生活の中でこうした「お試し」を「日常」「小さい」「部分」として取り入れる最初のものはと言えば、それは「食」である。ライフスタイル変化の芽、兆候はどこから始まるかと言えば、その多くは「食」からである。

そして、「誰」から始まるかと言えば、一般的には既成から自由である若い世代からと言えよう。時代の変化に敏感で、その良し悪しより、「それがどこにもない新しい」かどうかである。例えば先日ビートルズ来日50周年を迎えたが、今やシニア世代となっている団塊世代も、その新しい音楽に熱中した。当時の「大人」は胡散臭さと共に、ロックやその源流となったブルースとの比較など理屈で評論していた。このように興味関心事は年齢世代や性差、さらには都市と地方といった育った環境によっても異なる。若い世代にとって大きな関心事となっているのが、昨年大騒ぎのあった「ハロウィン」であろう。東京ディズニーランドのイベントから始まったものだが、まさに「外」から取り入れた若者の祭りでその経済効果は1400億円と言われている。日本には古来京都の祇園祭や浅草寺の三社祭、あるいは博多の天神祭りなど大きな祭りだけでも全国で1500以上もの祭りがある。そんな「祭り」を知らない、あるいは参加できない若い世代が唯一祭りを体験・知っている「大人」たちに対抗できる新しい「祭り」がハロウインであった。その祭りの舞台が渋谷のスクランブル交差点であったことは、異文化が交差するという意味で象徴的ある。

変化は興味関心事の中にある

実は1990年代初頭大阪梅田の高架下SCで調査したことがあった。当時、月坪売り上げが全国No1のSCで若い世代のファッションアイテムを集積した商業施設であった。大阪ミナミのアメリカ村などと共に若者文化を受発信していたが、そのSCの中で特徴的なテナントの一つが古着ショップであったことと、売れているファッションを調べてみると、いわゆるそれまでの洋服のブランドのタグが内側ではなく外についた見せる服であった。今では当たり前のこととなっているが、一部のファッションに敏感な若者のトレンドスタイルとなっていた。これも「既成」から離れ、他者とは異なる自由な服を着て表現したいとしたチョットしたアイディアから生まれたものであった。世代的に言うならば、団塊ジュニア世代で、「セレクトショップ」という自身の好みを第一とした購買スタイルを創ったことへとつながるものであった。当時、韓国製と共に中国製の洋服や雑貨が輸入されセレクトショップで販売されていたが、デザインを中心にした「好み」を第一とする団塊ジュニアにとって、どこで製造されたかは二の次三の次であったということだ。それまでの消費が国産もしくは輸入品の場合はブランド品であり、勿論新品で購入場所の中心が百貨店であったのに対し、平成の消費は「好み」であれば中国製であろうが、ノンブランドであろうが、中古であろうが構わない。購入場所も「好み」という多様な個性を集積したSC(ショッピングセンター)へと変化してきた。これもローカルからグローバルへ向かう価値潮流の一つである。(後半へ続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:12Comments(0)新市場創造