2017年04月23日
「脱デフレ」を終えた消費生活
ット商品応援団日記No676(毎週更新) 2017.4.23.
4月に入りセブンイレブンが値下げの発表をし話題となったが、イオンは昨年からPB商品の値下げをし好調な業績を上げている。その業績を踏まえ、イオンの岡田会長は決算発表の記者会見で「脱デフレは大いなるイリュージョン(幻想)であったと断言し政府が目標とする脱デフレ政策を批判した。こうした値下げについては既に昨年夏のユニクロの値上げ失敗についても同様で柳井社長の決算会見で明らかになっている。そして、周知の通り良品計画も今年から衣料品を中心に大幅値下げに踏み切り、そして今回のセブンイレブンやイオンの追加値下げ発表である。さらに言うならば、少子化時代にあって大幅利益増を果たしている西松屋も低価格戦略を取っての好業績である。
こうした「値下げ」の背景には、当たり前のことであるが一部の大企業、特に輸出企業にとっては収入も増え消費も活況を呈してはいるが、このブログの読者は周知のことだが、多くの生活者にとっては収入は増えず、「価格」とその「満足度・効果」、いわゆるコスパの結果としてしか消費には向かわない。結果として、家計支出は連続12ヶ月マイナスとなっている。それでも限られた消費支出の中で「目一杯」楽しむ暮らしを目指している。そこにいるのは賢明な消費者である。単なる節約家としてではなく、ハレとケの例えではないが、暮らしにメリハリをつけた消費生活を送っている。
政府にとって「脱デフレ」は経済政策の目標であり、スローガンを降ろすわけにはいかない。しかし、生活者にとって「デフレ」によって生活が成り立っていることに素直である。この「素直さ」に対し当然小売業は敏感に反応する。セブンイレブンが日用品の価格をドラッグストアやスーパーの実勢価格に近づけることによって少しでも売り上げを伸ばすことができればと値下げに踏み切ったわけである。このように小売業だけではなく、ユニクロのようなSPA型の専門店もやっと一息つけることができた日本マクドナルドも、「実勢」と言う消費者の意向を探り、そこに知恵やアイディアを込めてメニューを作り、時に値下げもする。
家計支出の内容変化を見ていくと、値下げの実像が見えてくる。実はその家計支出の変化であるが、1970年代までは食費の占める支出が高く、次第に娯楽や衣料といった選択消費の比率が増え、1990年代に入りバブル崩壊によって娯楽や衣料への支出が縮小する。それでも1997年までは収入が増えていくが、以降10年間で年間100万円もの収入が減少する。この収入減に即応する形で多くのデフレ企業が誕生する。
2000年代ではどうかと言うと、生活のあらゆる領域で「価格破壊」が進行する。2000年代半ばにはその象徴でもある「100円ショップ」やドンキホーテのような新業態が急成長していく。そして、2010年代へと入っていくのだが、この間家計支出の中の一番の変化は「情報への支出」であった。通信費といったカテゴリーになるが、インターネット回線費用やスマホ利用の費用が全家計支出の12~14%、食費の24%につぐ支出にまで膨らんだ変化である。こうした背景から格安スマホが生まれたのだが、電力自由化同様、通信大手三社の回線を使う制約下ではそれほど大きな「格安」にはならなかった。
こうした家計支出の中で大きなウエイトを占めるのがやはり「食費」である。特に、バブル崩壊後は家庭内調理の内食化進み、外食もデフレ時代の旗手と言われた吉野家や日本マクドナルドのように低価格メニューが広く顧客支持を得る。更に、リーマンショック後には、「わけあり商品」が続々と市場に現ることととなり、更には家電調理器具の進化やCookPadの浸透によって、ある意味豊かな食が得られるようになった。数年前の一時期、外食産業は一斉に新メニュー導入による価格改定、あるいは値上げを図ったが、「顧客」によって全て敗退することとなった。
ところでバブル崩壊以降20数年、立場によって表現は異なるが、「低成長時代」の代名詞として「脱デフレ」が目標となった。それまでの高度経済成長期との対比からすると、ある意味「成長第一主義」からのソフトランディングがうまくいった国であるとも言える。これは皮肉でもなんでもなく、バブル崩壊後の日本の失業率を見れば一目瞭然である。
他国はどうかと言えば、例えば現在フランスでは10%前後となっており、ニュースにもなっているスペインの失業率は26%を超え、若年層の失業率は60%と高く、暴動すら起きかねない社会不安が渦巻いている。EUの優等生であるドイツはどうかと言えば4%台となっている。日本の場合は平均3%台といった水準で、ちなみに2017年2月度の完全失業率は2.8%である。
低成長ではあるが、失業率を見る限りソフトランディングに成功した唯一の国であると言えなくはない。恐らく、高度経済成長期にある中国もこうした日本の事例を参考としながらソフトランディングを目指していることだろう。
バブル崩壊以降、俯瞰的に消費生活を見ていくと、「価格」を軸にしながら、消費者と企業のキャッチボールが交わされ、企業の側に多くの「イノベーション」が生まれた。例えば、ユニクロの場合は製造を中国という海外に拠点を置き販売は日本という、いわゆるSPAというイノベーションであり、あるいは吉野家や日本マクドナルドのメニューもまたチェーンオペレーションにおける製造&調理のイノベーションによる大幅なコストカットによって美味い・安い・早いファストフードが実現した。一方、消費者の側も収入に見合ったそれこそ身の丈消費を実践してきた。しかも、ハレとケのようにメリハリのついた消費生活であり、そうした中で断捨離ではないが、新たなシンプルライフも生まれた。ライフスタイル的表現としてはクオリティ・オブ・ライフ(Quality of life)となる。低成長の中のクオリティ・オブ・ライフである。
冒頭の「脱デフレ」ではないが、言葉を変えれば高度経済成長というイリュージョン(幻想)から離れることとは、バブル崩壊後のソフトランディングした後の「日本」を考えていこうということである。日本の消費者が賢明であるというのは、マスメディアがいうデフレマインドとは異なり、「京都の知恵」ではないが、生活を豊かにする工夫・アイディアを自ら創り出し、消費を創る企業の側もそれに応え、それこそ身の丈にあった消費生活を送っているということである。京都は海から遠く、地場の農産物も少ない。京都のニシンそばではないが、北海道から海路運ばれてきた身欠きニシンをもどし使った独自のそばを作ったように。そうした意味で、消費者の生活は知恵や工夫のあるクオリティライフへと進化しており、既に「脱デフレ」を終えている。つまり、それまでの「量」や「回数」といった豊かさから、目的・費用・好みに応じたより自分にあった生活革新へと転換してきたということである。
そして、課題はソフトランディングした後の日本経済であるが、その前に生活者が「量的生活」から転換したように。従来の量的な成長概念から離れることが必要である。そのためにも「脱デフレ」といった概念を捨てることから始めるということだ。捨てたら、多くの諸条件にとらわれることなく、新しい日本の創造へと向かうことができる。既に進化している生活者のQuality of lifeに対し、Quality of Nationとでも表現できるような国づくり・グランドデザインということである。言うまでもなくクオリティライフデザインを目指し、コスパという価格認識を踏まえたクオリティプライフ、クオリティ商品・メニュー、クオリティサービスのイノベーションがこれからも続くことであろう。その先にQuality of Nationがある。既に「脱デフレ」を終えた消費生活 の時代にいるということだ。(続く)
4月に入りセブンイレブンが値下げの発表をし話題となったが、イオンは昨年からPB商品の値下げをし好調な業績を上げている。その業績を踏まえ、イオンの岡田会長は決算発表の記者会見で「脱デフレは大いなるイリュージョン(幻想)であったと断言し政府が目標とする脱デフレ政策を批判した。こうした値下げについては既に昨年夏のユニクロの値上げ失敗についても同様で柳井社長の決算会見で明らかになっている。そして、周知の通り良品計画も今年から衣料品を中心に大幅値下げに踏み切り、そして今回のセブンイレブンやイオンの追加値下げ発表である。さらに言うならば、少子化時代にあって大幅利益増を果たしている西松屋も低価格戦略を取っての好業績である。
こうした「値下げ」の背景には、当たり前のことであるが一部の大企業、特に輸出企業にとっては収入も増え消費も活況を呈してはいるが、このブログの読者は周知のことだが、多くの生活者にとっては収入は増えず、「価格」とその「満足度・効果」、いわゆるコスパの結果としてしか消費には向かわない。結果として、家計支出は連続12ヶ月マイナスとなっている。それでも限られた消費支出の中で「目一杯」楽しむ暮らしを目指している。そこにいるのは賢明な消費者である。単なる節約家としてではなく、ハレとケの例えではないが、暮らしにメリハリをつけた消費生活を送っている。
政府にとって「脱デフレ」は経済政策の目標であり、スローガンを降ろすわけにはいかない。しかし、生活者にとって「デフレ」によって生活が成り立っていることに素直である。この「素直さ」に対し当然小売業は敏感に反応する。セブンイレブンが日用品の価格をドラッグストアやスーパーの実勢価格に近づけることによって少しでも売り上げを伸ばすことができればと値下げに踏み切ったわけである。このように小売業だけではなく、ユニクロのようなSPA型の専門店もやっと一息つけることができた日本マクドナルドも、「実勢」と言う消費者の意向を探り、そこに知恵やアイディアを込めてメニューを作り、時に値下げもする。
家計支出の内容変化を見ていくと、値下げの実像が見えてくる。実はその家計支出の変化であるが、1970年代までは食費の占める支出が高く、次第に娯楽や衣料といった選択消費の比率が増え、1990年代に入りバブル崩壊によって娯楽や衣料への支出が縮小する。それでも1997年までは収入が増えていくが、以降10年間で年間100万円もの収入が減少する。この収入減に即応する形で多くのデフレ企業が誕生する。
2000年代ではどうかと言うと、生活のあらゆる領域で「価格破壊」が進行する。2000年代半ばにはその象徴でもある「100円ショップ」やドンキホーテのような新業態が急成長していく。そして、2010年代へと入っていくのだが、この間家計支出の中の一番の変化は「情報への支出」であった。通信費といったカテゴリーになるが、インターネット回線費用やスマホ利用の費用が全家計支出の12~14%、食費の24%につぐ支出にまで膨らんだ変化である。こうした背景から格安スマホが生まれたのだが、電力自由化同様、通信大手三社の回線を使う制約下ではそれほど大きな「格安」にはならなかった。
こうした家計支出の中で大きなウエイトを占めるのがやはり「食費」である。特に、バブル崩壊後は家庭内調理の内食化進み、外食もデフレ時代の旗手と言われた吉野家や日本マクドナルドのように低価格メニューが広く顧客支持を得る。更に、リーマンショック後には、「わけあり商品」が続々と市場に現ることととなり、更には家電調理器具の進化やCookPadの浸透によって、ある意味豊かな食が得られるようになった。数年前の一時期、外食産業は一斉に新メニュー導入による価格改定、あるいは値上げを図ったが、「顧客」によって全て敗退することとなった。
ところでバブル崩壊以降20数年、立場によって表現は異なるが、「低成長時代」の代名詞として「脱デフレ」が目標となった。それまでの高度経済成長期との対比からすると、ある意味「成長第一主義」からのソフトランディングがうまくいった国であるとも言える。これは皮肉でもなんでもなく、バブル崩壊後の日本の失業率を見れば一目瞭然である。
他国はどうかと言えば、例えば現在フランスでは10%前後となっており、ニュースにもなっているスペインの失業率は26%を超え、若年層の失業率は60%と高く、暴動すら起きかねない社会不安が渦巻いている。EUの優等生であるドイツはどうかと言えば4%台となっている。日本の場合は平均3%台といった水準で、ちなみに2017年2月度の完全失業率は2.8%である。
低成長ではあるが、失業率を見る限りソフトランディングに成功した唯一の国であると言えなくはない。恐らく、高度経済成長期にある中国もこうした日本の事例を参考としながらソフトランディングを目指していることだろう。
バブル崩壊以降、俯瞰的に消費生活を見ていくと、「価格」を軸にしながら、消費者と企業のキャッチボールが交わされ、企業の側に多くの「イノベーション」が生まれた。例えば、ユニクロの場合は製造を中国という海外に拠点を置き販売は日本という、いわゆるSPAというイノベーションであり、あるいは吉野家や日本マクドナルドのメニューもまたチェーンオペレーションにおける製造&調理のイノベーションによる大幅なコストカットによって美味い・安い・早いファストフードが実現した。一方、消費者の側も収入に見合ったそれこそ身の丈消費を実践してきた。しかも、ハレとケのようにメリハリのついた消費生活であり、そうした中で断捨離ではないが、新たなシンプルライフも生まれた。ライフスタイル的表現としてはクオリティ・オブ・ライフ(Quality of life)となる。低成長の中のクオリティ・オブ・ライフである。
冒頭の「脱デフレ」ではないが、言葉を変えれば高度経済成長というイリュージョン(幻想)から離れることとは、バブル崩壊後のソフトランディングした後の「日本」を考えていこうということである。日本の消費者が賢明であるというのは、マスメディアがいうデフレマインドとは異なり、「京都の知恵」ではないが、生活を豊かにする工夫・アイディアを自ら創り出し、消費を創る企業の側もそれに応え、それこそ身の丈にあった消費生活を送っているということである。京都は海から遠く、地場の農産物も少ない。京都のニシンそばではないが、北海道から海路運ばれてきた身欠きニシンをもどし使った独自のそばを作ったように。そうした意味で、消費者の生活は知恵や工夫のあるクオリティライフへと進化しており、既に「脱デフレ」を終えている。つまり、それまでの「量」や「回数」といった豊かさから、目的・費用・好みに応じたより自分にあった生活革新へと転換してきたということである。
そして、課題はソフトランディングした後の日本経済であるが、その前に生活者が「量的生活」から転換したように。従来の量的な成長概念から離れることが必要である。そのためにも「脱デフレ」といった概念を捨てることから始めるということだ。捨てたら、多くの諸条件にとらわれることなく、新しい日本の創造へと向かうことができる。既に進化している生活者のQuality of lifeに対し、Quality of Nationとでも表現できるような国づくり・グランドデザインということである。言うまでもなくクオリティライフデザインを目指し、コスパという価格認識を踏まえたクオリティプライフ、クオリティ商品・メニュー、クオリティサービスのイノベーションがこれからも続くことであろう。その先にQuality of Nationがある。既に「脱デフレ」を終えた消費生活 の時代にいるということだ。(続く)
2017年04月16日
顧客変化は編集で探る
ヒット商品応援団日記No675(毎週更新) 2017.4.16.
昨年11月低迷する大阪経済にあって元気な商業施設としてUSL(ユニバーサルスタジオジャパン)を取り上げ、そのV字回復の背景を取り上げたことがあった。他方2016年度の東京ディズニーリゾートはどうであったかと言うと、先々週この国内二大テーマパークの2016年度通期の入場者数の発表があった。多くの報道がなされたので目にした方も多かったと思う。東京ディズニーリゾートは前年度比0.6%減の3000万人と2年連続で前年実績を下回った。一方USJは前年度比約5%増の1460万人で過去最高を更新した、という報道である。この報道をどう受け止めたであろうか。
東京ディズニーリゾートの低迷はユニクロがそうであったように値上げによるものであると、そう考えた人も多かったことと思う。USJの快進撃はハリーポッターを転換点としてアトラクションが成功したものであると。それぞれ正解であると、私も思うがこの2つのテーマパークはその「テーマ」に対する基本的な考え方、MD(マーチャンダイジング)の方針が異なることによるものであり、その結果であるというのが私の受け止め方である。
周知のように東京ディズニーリゾートはウォルトディズニーという創始者が始めたファミリーエンターテイメントの理念に基づくものであるが、その創業キャラクターである「ミッキーマウス」にそのエンターティメントというテーマのあり方が出ている。エンターティメントビジネスには浮き沈みもあり、ディズニー社も例外ではなく倒産の危機もあった。実はあまり知られてはいないが、この危機を救ったのはこの「ミッキーマウス」であった。ちょうど第二次世界大戦の頃、ディズニー社も戦意高揚のプロパガンダ映画を制作し、ミッキーマウスにその任を与えたと言われている。戦後はそうした政治的なものにはなっていないが、大衆自身が願う形へミッキーを作り変える作業を続けることは変わらず行われてきている。大衆という顧客が望む「米国」をどう描くかであるが、これはUSJも同様で、大阪に導入した初期のアトラクションで後に撤退する「ウエスタンエリア」という西部劇映画をテーマとしたエリアで駅馬車やシェーンなどのセットがそのまま情景となっていたアトラクションである。つまり、米国民が思い描くエンターティメントであり、ヒーロー・ヒロインが活躍する開拓物語である。
実は、顧客が望むような「世界」をいかに創っていくかがこの2社の「差」になって現れてきているということである。面白いことにUSJがこの数年間実施してきたアトラクションを見ていけばその「差」の意味がわかってくる。例えば、
2015年 「妖怪ウォッチ・ザ・リアル」導入。
2016年 「AKB48グループ選抜「やり過ぎ!サマーシアター」
「ユニバーサル・クールジャパン2017『戦国・ザ・リアルat大阪城』」開催。(2017年3月12日終了)
また、今後のアトラクション計画にはスーパーマリオを中心とする任天堂の世界観を忠実に再現するアトラクションのように、今顧客が求めているであろう「物語」を関連映画にとらわれず積極的に取り入れるMDとなっていることである。そして、それはUSJという場を超えた大阪城にまで広げる、そんなエンターティメントワールドとなっている。つまり、積極的に時代の変化を取り入れてきたということである。勿論、失敗もかなり多く、また単一イベントも極めて多い。しかし、東京ディズニーリゾートと比較してもわかるように「変化」を果敢に取り入れてきたという点に注目すべきである。
さて、この時代に沿った顧客が望む編集とは何かであるが、その編集とは商品・メニュー揃え、価格帯揃え、ということになる。勿論、個々の専門領域におけるテーマに沿った「揃え」であるが、従来の考えから少し外れても一度トライすべきということになる。例えば、街場のパン屋さんの定番の一つにメロンパンがある。それはそれで人気商品ではあるが、そのメロンパンに季節のソフトクリームをプラスしてやってみる。こうした試みは観光地化した街のパン屋さんではすでにやっているが、かなり前になるがクイーンズ伊勢丹のある店舗で焼きたてのクロワッサンにソフトクリームを挟んで販売したことがあった。勿論、大人気で行列ができたのだが、かなり「手間」「人手」を要することから定番メニューにはならなかったが、そのジレにも見られるように、「定番メニュー+α」のメニュー化である。
もう一つの価格帯揃えについても、いわゆる昔からの「松竹梅」があるが、売れ筋商品はやはり「竹」となる。この売れ筋価格帯に一工夫するということである。例えば、この「竹」に2種類の価格帯の商品を用意してみるということである。高い方の「竹」が売れるか、低い方の「竹」が売れるか、見極めるということである。
ところで前回のブログで「静かな顧客変化を察知する」時代であると書いた。この「静かな変化」を察知するためのMD(マーチャンダイジング)について書いてきたが、課題は顧客として「誰に」対して行うかである。2大テーマパークの業績から見えてきたように、東京ディズニーリゾートの失敗は既存リピーター顧客に対し新しい「変化」を提示することなく「値上げ」をしたことによる。当然来場客数は減少し売り上げも減少する。一方、USJも値上げはしたのだが、時代の要望である特定顧客における変化欲求ではあるが、「妖怪ウオッチ」や「AKB48」の顧客をも取り込んでアトラクションやイベントを行う。つまり新規顧客を取り込んでいくという戦略をとったことが、この業績の「差」になって表れたということである。これはUSJの場合日本人市場のみならず、訪日外国人市場、特にLCCを使った顧客市場への取り込みも大きな理由になったことは言うまでもない。こうした訪日外国人市場の急伸については未来塾「2つの観光地、浅草と新世界」でも指摘したが、時代を読んだ巧みなMDであると言える。
今、大手牛丼専門店が糖質カットメニューにトライしている。これも「糖質カット」という健康時代の要請の一つであり、女性のみならず男性もこうした潮流に乗った事例である。既に数年前からサッポロビールの第三のビール「極ZERO(ゴクゼロ)」では糖質やプリン体0の成功があり、日本酒においても月桂冠の糖質0もヒットし他のメーカーも追随しているという背景もあっての導入である。そうした意味でガツン系の象徴でもある牛丼専門店が新たな顧客開発を狙った導入にも意味がある。これもメインメニューになることを狙った新商品ではなく、あくまでも「メニュー揃え」ということである。ただご飯の代わりに豆腐やこんにゃくを使う「定番メニュー+α」のメニュー化としては如何なものかという疑念はあるが。
こうした個客のもつ「多様な変化」を探ることが必要となっている。そして、前回のブログにも書いたように、この「多様さ」に応える編集力が求められているということだ。(続く)
昨年11月低迷する大阪経済にあって元気な商業施設としてUSL(ユニバーサルスタジオジャパン)を取り上げ、そのV字回復の背景を取り上げたことがあった。他方2016年度の東京ディズニーリゾートはどうであったかと言うと、先々週この国内二大テーマパークの2016年度通期の入場者数の発表があった。多くの報道がなされたので目にした方も多かったと思う。東京ディズニーリゾートは前年度比0.6%減の3000万人と2年連続で前年実績を下回った。一方USJは前年度比約5%増の1460万人で過去最高を更新した、という報道である。この報道をどう受け止めたであろうか。
東京ディズニーリゾートの低迷はユニクロがそうであったように値上げによるものであると、そう考えた人も多かったことと思う。USJの快進撃はハリーポッターを転換点としてアトラクションが成功したものであると。それぞれ正解であると、私も思うがこの2つのテーマパークはその「テーマ」に対する基本的な考え方、MD(マーチャンダイジング)の方針が異なることによるものであり、その結果であるというのが私の受け止め方である。
周知のように東京ディズニーリゾートはウォルトディズニーという創始者が始めたファミリーエンターテイメントの理念に基づくものであるが、その創業キャラクターである「ミッキーマウス」にそのエンターティメントというテーマのあり方が出ている。エンターティメントビジネスには浮き沈みもあり、ディズニー社も例外ではなく倒産の危機もあった。実はあまり知られてはいないが、この危機を救ったのはこの「ミッキーマウス」であった。ちょうど第二次世界大戦の頃、ディズニー社も戦意高揚のプロパガンダ映画を制作し、ミッキーマウスにその任を与えたと言われている。戦後はそうした政治的なものにはなっていないが、大衆自身が願う形へミッキーを作り変える作業を続けることは変わらず行われてきている。大衆という顧客が望む「米国」をどう描くかであるが、これはUSJも同様で、大阪に導入した初期のアトラクションで後に撤退する「ウエスタンエリア」という西部劇映画をテーマとしたエリアで駅馬車やシェーンなどのセットがそのまま情景となっていたアトラクションである。つまり、米国民が思い描くエンターティメントであり、ヒーロー・ヒロインが活躍する開拓物語である。
実は、顧客が望むような「世界」をいかに創っていくかがこの2社の「差」になって現れてきているということである。面白いことにUSJがこの数年間実施してきたアトラクションを見ていけばその「差」の意味がわかってくる。例えば、
2015年 「妖怪ウォッチ・ザ・リアル」導入。
2016年 「AKB48グループ選抜「やり過ぎ!サマーシアター」
「ユニバーサル・クールジャパン2017『戦国・ザ・リアルat大阪城』」開催。(2017年3月12日終了)
また、今後のアトラクション計画にはスーパーマリオを中心とする任天堂の世界観を忠実に再現するアトラクションのように、今顧客が求めているであろう「物語」を関連映画にとらわれず積極的に取り入れるMDとなっていることである。そして、それはUSJという場を超えた大阪城にまで広げる、そんなエンターティメントワールドとなっている。つまり、積極的に時代の変化を取り入れてきたということである。勿論、失敗もかなり多く、また単一イベントも極めて多い。しかし、東京ディズニーリゾートと比較してもわかるように「変化」を果敢に取り入れてきたという点に注目すべきである。
さて、この時代に沿った顧客が望む編集とは何かであるが、その編集とは商品・メニュー揃え、価格帯揃え、ということになる。勿論、個々の専門領域におけるテーマに沿った「揃え」であるが、従来の考えから少し外れても一度トライすべきということになる。例えば、街場のパン屋さんの定番の一つにメロンパンがある。それはそれで人気商品ではあるが、そのメロンパンに季節のソフトクリームをプラスしてやってみる。こうした試みは観光地化した街のパン屋さんではすでにやっているが、かなり前になるがクイーンズ伊勢丹のある店舗で焼きたてのクロワッサンにソフトクリームを挟んで販売したことがあった。勿論、大人気で行列ができたのだが、かなり「手間」「人手」を要することから定番メニューにはならなかったが、そのジレにも見られるように、「定番メニュー+α」のメニュー化である。
もう一つの価格帯揃えについても、いわゆる昔からの「松竹梅」があるが、売れ筋商品はやはり「竹」となる。この売れ筋価格帯に一工夫するということである。例えば、この「竹」に2種類の価格帯の商品を用意してみるということである。高い方の「竹」が売れるか、低い方の「竹」が売れるか、見極めるということである。
ところで前回のブログで「静かな顧客変化を察知する」時代であると書いた。この「静かな変化」を察知するためのMD(マーチャンダイジング)について書いてきたが、課題は顧客として「誰に」対して行うかである。2大テーマパークの業績から見えてきたように、東京ディズニーリゾートの失敗は既存リピーター顧客に対し新しい「変化」を提示することなく「値上げ」をしたことによる。当然来場客数は減少し売り上げも減少する。一方、USJも値上げはしたのだが、時代の要望である特定顧客における変化欲求ではあるが、「妖怪ウオッチ」や「AKB48」の顧客をも取り込んでアトラクションやイベントを行う。つまり新規顧客を取り込んでいくという戦略をとったことが、この業績の「差」になって表れたということである。これはUSJの場合日本人市場のみならず、訪日外国人市場、特にLCCを使った顧客市場への取り込みも大きな理由になったことは言うまでもない。こうした訪日外国人市場の急伸については未来塾「2つの観光地、浅草と新世界」でも指摘したが、時代を読んだ巧みなMDであると言える。
今、大手牛丼専門店が糖質カットメニューにトライしている。これも「糖質カット」という健康時代の要請の一つであり、女性のみならず男性もこうした潮流に乗った事例である。既に数年前からサッポロビールの第三のビール「極ZERO(ゴクゼロ)」では糖質やプリン体0の成功があり、日本酒においても月桂冠の糖質0もヒットし他のメーカーも追随しているという背景もあっての導入である。そうした意味でガツン系の象徴でもある牛丼専門店が新たな顧客開発を狙った導入にも意味がある。これもメインメニューになることを狙った新商品ではなく、あくまでも「メニュー揃え」ということである。ただご飯の代わりに豆腐やこんにゃくを使う「定番メニュー+α」のメニュー化としては如何なものかという疑念はあるが。
こうした個客のもつ「多様な変化」を探ることが必要となっている。そして、前回のブログにも書いたように、この「多様さ」に応える編集力が求められているということだ。(続く)
2017年04月09日
静かな顧客変化を察知する
ヒット商品応援団日記No674(毎週更新) 2017.4.9.
前回のブログ「文化のあかり」では、暗いイメージのデフレ時代にも「文化」があり、そのあかりの下で生活があることを指摘をした。そうしたデフレ時代の生活であるが、消費というお金の使い方は更に「日常」へと向かっている。ハレとケという言い方をするとすれば「ケ」となるが、それはほどほどの豊かさということになる。その「ほどほど」もまたどんどん進化してきている。
確か4年ほど前のヒット商品の一つとして高額炊飯器があった。これも毎日食べるご飯だからということで売れたのだが、一昨年には無水鍋がヒット商品になった。そして、同じように昨年注目された商品の一つに高級食パンがあった。一斤1000円近くする食パンであるが、これも毎日食べるものという理由からである。メディアは「プチ贅沢」という表現を取っているが、全てデフレ時代の消費のありよう、特徴を示している。
こうしたヒット商品を少し理屈っぽく表現すると以下のように整理することができる。
・日常利用、継続利用=毎日
・手が届く価格、1回あたりは安価=合理的価格
・例えば「食」=美味しさという小さな幸福感
少し抽象的な表現で分かりずらいが、こうした顧客変化を察知することは難しい。実は1990年代後半から続くデフレ時代にあって、最もデフレ経済が消費に現れたのは周知のリーマンショック後である。収入が増えない時代にあって「格差」や「低価格帯」というキーワードが盛んに使われてきたが、リーマンショックの翌年2009年の日経MJのヒット商品番付は以下であった。
東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、 西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、 西小結 ツィッター
「規格外野菜」はいわゆる「わけあり」というキーワードで生活の隅々に浸透した。当時、私はブログで”「価格」の津波は、あらゆる商品、流通業態、消費の在り方を根底から変える”と書いた。ファミレスにおいては客単価1000円の「すかいら~く」業態は客単価750円の「ガスト」業態に再編した。前頭に入ったファストファッションの「フォーエバー21」のように上から下までコーディネートして1万円以下の業態に人気が集まり、弁当は300円台が一般化した。JALの地方空港撤退に伴って、その隙き間を埋めるように本格的なLCC(ローコストキャリア)が生まれた。つまり、消費生活を起点とした再編集が劇的に行われた時代であった。
実はこうした時代をくぐり抜けてきたのが「今」ある消費者である。どの企業も「低価格」という壁を超える努力をしてきた。周知のように、日本マクドナルドのように100円バーガーの扱いに見られたように迷走を重ねた企業もあれば、牛丼大手三社の値上げの失敗もあり、そしてユニクロの値上げの失敗もあった。つまり消費者の生活編集のやり方が変わってきたことへの深い分析がなされてこなかったということである。それはリーマンショック後のように「劇的」な変化ではなく、ここ数年静かに変化してきたことによる。昨年あたりから「わけあり」というキーワードは使われなくなった。「激安」も同様であるが、「お得」が無くなった訳ではない。激安居酒屋が衰退していく一方、駅前中華の日高屋ではサラリーマンの「ちょい飲み」が増えた。あるいは未来塾大阪のレポートにも書いたが、大阪駅「ルクアイーレ」の地下にある「ワインバー紅白(コウハク)」のように行列が絶えない店もある。いわゆる若者向けの屋台風のバル業態であるが、メニューの特徴もあるがとにかく安い店である。(関西のみ出店)ある意味静かな変化が進行しているということである。
それではどこへ向かうのであろうか。この1年程TV番組「マツコの知らない世界」などを参考として使ったり、未来塾の「テーマから学ぶ」で、取り上げてきたのは「街場」の人気店についてであった。TV東京の「孤独のグルメ」ではないが、パン屋であったり、ビジネス街の立ち食いそばであったり、決して全国区ではない店ばかりである。つまり、慣れ親しんだ地域にもかかわらず、実は足元にある知らない日常がいかに多いか、そんな日常へと興味関心は向かっている、ということになる。過剰情報の時代とは「未知」の時代でもあったということに気づかされたということである。
こうした傾向は旅行であれば海外から国内へ、まだ行ったことのない地域へ。シニアであれば「軽キャンピングカー」で出かけたり、漁港で開かれる朝市や桜前線を追いかけたり。あるいは修学旅行の追体験に向かったり。行動半径を小さくすれば、知っているつもりの住んでいる街へと向かい、そんな「町歩き」になる。
つまり、知っているようで知らなかった世界の発見ということになる。情報の時代とは、グローバル世界のことでもあり、そこには壁がなく、いつでも何処へでも自在に出かけることも可能である、そう錯覚してしまったことによる落とし穴ということである。前回のブログにも書いたが、グローバル化、あるいは再開発といった合理化の下で埋もれてしまった「文化」、日本文化は言うに及ばず個々の地域に埋もれた文化に驚かされる時代だ。そんな驚きを持って「未知」へと向かうその原動力、背景は何かと言えば、興味・好奇心ということになる。私の言葉で言うと、「テーマ」を持つということになる。その興味関心を喚起するテーマであるが、「個客」という言葉が表しているように、一人一人異なる。そうした多様なテーマをどう組み合わせ編集するかがこの時代のキーワードとなっている。
今、停滞する商業施設の中にあって、ある意味順調な業績を上げているショッピングセンターの殆どが、多様な「個客」のテーマ&価格帯の編集がうまくできたところとなっている。それは大きなSCのみならず、専門店のMD編集でも飲食店におけるメニュー編集においても同様である。千手観音ではないが、千手まで位かなくても多様な個客要望に応えることが必要となっている。つまり大きなヒット商品ではなく、小さなヒット商品を見出し重ねていくことでもある。そして、そうした編集結果としての「全体」を見ていく視座が必要な時代にいるということだ。静かな顧客変化を察知するには、編集力が問われており、その差が直接業績に反映される時代になっている。(続く)
前回のブログ「文化のあかり」では、暗いイメージのデフレ時代にも「文化」があり、そのあかりの下で生活があることを指摘をした。そうしたデフレ時代の生活であるが、消費というお金の使い方は更に「日常」へと向かっている。ハレとケという言い方をするとすれば「ケ」となるが、それはほどほどの豊かさということになる。その「ほどほど」もまたどんどん進化してきている。
確か4年ほど前のヒット商品の一つとして高額炊飯器があった。これも毎日食べるご飯だからということで売れたのだが、一昨年には無水鍋がヒット商品になった。そして、同じように昨年注目された商品の一つに高級食パンがあった。一斤1000円近くする食パンであるが、これも毎日食べるものという理由からである。メディアは「プチ贅沢」という表現を取っているが、全てデフレ時代の消費のありよう、特徴を示している。
こうしたヒット商品を少し理屈っぽく表現すると以下のように整理することができる。
・日常利用、継続利用=毎日
・手が届く価格、1回あたりは安価=合理的価格
・例えば「食」=美味しさという小さな幸福感
少し抽象的な表現で分かりずらいが、こうした顧客変化を察知することは難しい。実は1990年代後半から続くデフレ時代にあって、最もデフレ経済が消費に現れたのは周知のリーマンショック後である。収入が増えない時代にあって「格差」や「低価格帯」というキーワードが盛んに使われてきたが、リーマンショックの翌年2009年の日経MJのヒット商品番付は以下であった。
東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、 西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、 西小結 ツィッター
「規格外野菜」はいわゆる「わけあり」というキーワードで生活の隅々に浸透した。当時、私はブログで”「価格」の津波は、あらゆる商品、流通業態、消費の在り方を根底から変える”と書いた。ファミレスにおいては客単価1000円の「すかいら~く」業態は客単価750円の「ガスト」業態に再編した。前頭に入ったファストファッションの「フォーエバー21」のように上から下までコーディネートして1万円以下の業態に人気が集まり、弁当は300円台が一般化した。JALの地方空港撤退に伴って、その隙き間を埋めるように本格的なLCC(ローコストキャリア)が生まれた。つまり、消費生活を起点とした再編集が劇的に行われた時代であった。
実はこうした時代をくぐり抜けてきたのが「今」ある消費者である。どの企業も「低価格」という壁を超える努力をしてきた。周知のように、日本マクドナルドのように100円バーガーの扱いに見られたように迷走を重ねた企業もあれば、牛丼大手三社の値上げの失敗もあり、そしてユニクロの値上げの失敗もあった。つまり消費者の生活編集のやり方が変わってきたことへの深い分析がなされてこなかったということである。それはリーマンショック後のように「劇的」な変化ではなく、ここ数年静かに変化してきたことによる。昨年あたりから「わけあり」というキーワードは使われなくなった。「激安」も同様であるが、「お得」が無くなった訳ではない。激安居酒屋が衰退していく一方、駅前中華の日高屋ではサラリーマンの「ちょい飲み」が増えた。あるいは未来塾大阪のレポートにも書いたが、大阪駅「ルクアイーレ」の地下にある「ワインバー紅白(コウハク)」のように行列が絶えない店もある。いわゆる若者向けの屋台風のバル業態であるが、メニューの特徴もあるがとにかく安い店である。(関西のみ出店)ある意味静かな変化が進行しているということである。
それではどこへ向かうのであろうか。この1年程TV番組「マツコの知らない世界」などを参考として使ったり、未来塾の「テーマから学ぶ」で、取り上げてきたのは「街場」の人気店についてであった。TV東京の「孤独のグルメ」ではないが、パン屋であったり、ビジネス街の立ち食いそばであったり、決して全国区ではない店ばかりである。つまり、慣れ親しんだ地域にもかかわらず、実は足元にある知らない日常がいかに多いか、そんな日常へと興味関心は向かっている、ということになる。過剰情報の時代とは「未知」の時代でもあったということに気づかされたということである。
こうした傾向は旅行であれば海外から国内へ、まだ行ったことのない地域へ。シニアであれば「軽キャンピングカー」で出かけたり、漁港で開かれる朝市や桜前線を追いかけたり。あるいは修学旅行の追体験に向かったり。行動半径を小さくすれば、知っているつもりの住んでいる街へと向かい、そんな「町歩き」になる。
つまり、知っているようで知らなかった世界の発見ということになる。情報の時代とは、グローバル世界のことでもあり、そこには壁がなく、いつでも何処へでも自在に出かけることも可能である、そう錯覚してしまったことによる落とし穴ということである。前回のブログにも書いたが、グローバル化、あるいは再開発といった合理化の下で埋もれてしまった「文化」、日本文化は言うに及ばず個々の地域に埋もれた文化に驚かされる時代だ。そんな驚きを持って「未知」へと向かうその原動力、背景は何かと言えば、興味・好奇心ということになる。私の言葉で言うと、「テーマ」を持つということになる。その興味関心を喚起するテーマであるが、「個客」という言葉が表しているように、一人一人異なる。そうした多様なテーマをどう組み合わせ編集するかがこの時代のキーワードとなっている。
今、停滞する商業施設の中にあって、ある意味順調な業績を上げているショッピングセンターの殆どが、多様な「個客」のテーマ&価格帯の編集がうまくできたところとなっている。それは大きなSCのみならず、専門店のMD編集でも飲食店におけるメニュー編集においても同様である。千手観音ではないが、千手まで位かなくても多様な個客要望に応えることが必要となっている。つまり大きなヒット商品ではなく、小さなヒット商品を見出し重ねていくことでもある。そして、そうした編集結果としての「全体」を見ていく視座が必要な時代にいるということだ。静かな顧客変化を察知するには、編集力が問われており、その差が直接業績に反映される時代になっている。(続く)
2017年04月03日
文化のあかり
ヒット商品応援団日記No673(毎週更新) 2017.4.3.
街に表れた変化を観察しようとして、ここ3年半ほど未来塾というブログで書き留めてきた。私にはこうした変化を理屈っぽく書いてしまう悪い癖があるのだが、大阪の友人はここ2回ほど大阪の街の変化のありようを読んで、身近な街の変化もあって、「らしさ」が感じられると言ってくれた。この「らしさ」とは私自身のことでもあるのだが、「感じ取り方」にらしさが出てきているとの指摘であった。
その感じ方が出てきていると言ってくれたのが、前回のブログで取り上げた「大阪新世界」における「大阪らしさ」「街の楽しさ」についてであった。私にとっての街の変化の観察は、そこにあるビルや駅、表通りや横丁、多くの商業施設や商店街など、それら街に生きている人たちの生活変化を書き留めることであった。そこには衰退しシャッター通り化した商店街もあれば、新しい店が続々とオープンし、行列の絶えない商業施設もある。そして、何よりも街には「音」がある。駅のアナウンスもあれば、工事の騒音もある、そして、行き交う人々の話し言葉もあれば、店先で客に声をかけるおばちゃんの声もある。街の変化の半分はそんな「音」によるものである。
若い頃、広告会社に勤めていたこともあって、今でも「広告」に関心は持っている。しかし、その関心は「なるほど」とか「そうだよな」といった感心を起こさせるものではない。それまでの広告は目指したい生活を描き出すことを主題としていたが、マス市場と言われていた塊の市場はすでに無く、細分化し「個客」になってしまったからである。理屈から言うとすれば、こうした「個客」はSNSなどのメディアを通じコミュニケートできるが、それでもそうしたソーシャルメディアに載らないものは山ほどある。世の中という言葉があるが、その言葉を使うとすれば世の中を構成する「いいね!」と「嫌いだ!」の間にある、そんな未分化な多様さを感じ取ることが必要な時代を迎えている。つまり、それらは過剰な情報の時代ということもあって、「個客」自ら体験することへと向かっているからである。
バブル崩壊以降、失われた20数年とも言われてきたが、一方「豊かな時代」とも言われてきた。実はその豊かさはまさに「個客」自身が自ら手に入れることへと踏み出したことによる。
そして、今や「広告」という言葉は死語に近くなってしまったが、それでも「個客」に届くようなマス広告、TVCMは数少ないがあることはある。例えば、パナソニックという社名になったが、ナショナルは数多くの電球のCMを放送してきた。若い世代は知らないと思うが、1960年代からTVの普及とともに電球のCMも放送された。その初期の CMにはCMソングとして”あかる~いナショナル あかる~いナショナル”と繰り返すCMである。その「明るさ」は生活の豊かさでもあり、これから先の生活の明るさでもあった。Youtubeにアップデートされているのでその歴史を辿ることができるが、その歴史はその「明るさ」の変化でもある。もっと明るく、60Wから100Wへ、・・・・・・・・・そうした「明るさ」の変化は2000年にあの亡くなった大滝秀治さんのナレーションのCMによって一つの転換点を迎える。そのCMの最後のフレーズ・タイトルは”明るいだけでは未来は暗い”であった。電球の下の生活をこそ明るくしたいという意図である。明るいことは良いことだが、それだけでは駄目ではないのかという次の時代へと向かう転換をどう見定めるのか、しかもデフレの時代の「あかり」の下での自問である。以降、LED電球になりあかりに表情をつけて楽しい空間づくりへ、といったCMが続くのだが。ちなみにCMを作ったディレクターは知る人ぞ知る中島信也氏で2001年国際放送賞のグランプリを受賞している。
このように時代の変化とは生活の変化であり、その変化の先にある生活を描くことが広告の主題であった。
ところで「デフレもまたいいじゃないか」、と昨年の決算発表の記者会見で語ったのはユニクロの柳井会長だが、そんなデフレの時代対し、私流に解釈すればデフレ時代の「豊かさ」もほどほどでいいじゃないか、となる。チラシ1枚にも目を通すとと言われている創業会長柳井氏のことだから、昨年から放送しているユニクロのCMも目を通していると思う。値上げの失敗を踏まえての転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトに基づいたCMである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。
私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロのこうした原点帰りも前述のナショナルの次の時代の「あかり」も同じ生活変化への視座である。
デフレというと何か暗いイメージの時代であると決めつけがちであるが、街を通じた消費生活を感じる限り、結構明るいと思っている。その「あかり」はごく普通の、日常の、街場にあるもので、手軽に気軽に取り入れることができる。そんな「あかり」がない街からは人は出て行ってしまう。今回大阪新世界・ジャンジャン横丁を歩いてみて感じたことはこの「あかり」のある街であった。しかも、それまでの労働者の街は一変し、若い修学旅行生と訪日外国人の「遊び場」になっていることに驚かされた。そして、そのあかりには「ザ・大阪」とでも表現できる街の文化、庶民の文化があった。元気な街のエネルギーにはこの「文化のあかり」があるということを実感した。町おこし、商店街活性とは埋もれたその土地固有の文化起こしということだ。(続く)
街に表れた変化を観察しようとして、ここ3年半ほど未来塾というブログで書き留めてきた。私にはこうした変化を理屈っぽく書いてしまう悪い癖があるのだが、大阪の友人はここ2回ほど大阪の街の変化のありようを読んで、身近な街の変化もあって、「らしさ」が感じられると言ってくれた。この「らしさ」とは私自身のことでもあるのだが、「感じ取り方」にらしさが出てきているとの指摘であった。
その感じ方が出てきていると言ってくれたのが、前回のブログで取り上げた「大阪新世界」における「大阪らしさ」「街の楽しさ」についてであった。私にとっての街の変化の観察は、そこにあるビルや駅、表通りや横丁、多くの商業施設や商店街など、それら街に生きている人たちの生活変化を書き留めることであった。そこには衰退しシャッター通り化した商店街もあれば、新しい店が続々とオープンし、行列の絶えない商業施設もある。そして、何よりも街には「音」がある。駅のアナウンスもあれば、工事の騒音もある、そして、行き交う人々の話し言葉もあれば、店先で客に声をかけるおばちゃんの声もある。街の変化の半分はそんな「音」によるものである。
若い頃、広告会社に勤めていたこともあって、今でも「広告」に関心は持っている。しかし、その関心は「なるほど」とか「そうだよな」といった感心を起こさせるものではない。それまでの広告は目指したい生活を描き出すことを主題としていたが、マス市場と言われていた塊の市場はすでに無く、細分化し「個客」になってしまったからである。理屈から言うとすれば、こうした「個客」はSNSなどのメディアを通じコミュニケートできるが、それでもそうしたソーシャルメディアに載らないものは山ほどある。世の中という言葉があるが、その言葉を使うとすれば世の中を構成する「いいね!」と「嫌いだ!」の間にある、そんな未分化な多様さを感じ取ることが必要な時代を迎えている。つまり、それらは過剰な情報の時代ということもあって、「個客」自ら体験することへと向かっているからである。
バブル崩壊以降、失われた20数年とも言われてきたが、一方「豊かな時代」とも言われてきた。実はその豊かさはまさに「個客」自身が自ら手に入れることへと踏み出したことによる。
そして、今や「広告」という言葉は死語に近くなってしまったが、それでも「個客」に届くようなマス広告、TVCMは数少ないがあることはある。例えば、パナソニックという社名になったが、ナショナルは数多くの電球のCMを放送してきた。若い世代は知らないと思うが、1960年代からTVの普及とともに電球のCMも放送された。その初期の CMにはCMソングとして”あかる~いナショナル あかる~いナショナル”と繰り返すCMである。その「明るさ」は生活の豊かさでもあり、これから先の生活の明るさでもあった。Youtubeにアップデートされているのでその歴史を辿ることができるが、その歴史はその「明るさ」の変化でもある。もっと明るく、60Wから100Wへ、・・・・・・・・・そうした「明るさ」の変化は2000年にあの亡くなった大滝秀治さんのナレーションのCMによって一つの転換点を迎える。そのCMの最後のフレーズ・タイトルは”明るいだけでは未来は暗い”であった。電球の下の生活をこそ明るくしたいという意図である。明るいことは良いことだが、それだけでは駄目ではないのかという次の時代へと向かう転換をどう見定めるのか、しかもデフレの時代の「あかり」の下での自問である。以降、LED電球になりあかりに表情をつけて楽しい空間づくりへ、といったCMが続くのだが。ちなみにCMを作ったディレクターは知る人ぞ知る中島信也氏で2001年国際放送賞のグランプリを受賞している。
このように時代の変化とは生活の変化であり、その変化の先にある生活を描くことが広告の主題であった。
ところで「デフレもまたいいじゃないか」、と昨年の決算発表の記者会見で語ったのはユニクロの柳井会長だが、そんなデフレの時代対し、私流に解釈すればデフレ時代の「豊かさ」もほどほどでいいじゃないか、となる。チラシ1枚にも目を通すとと言われている創業会長柳井氏のことだから、昨年から放送しているユニクロのCMも目を通していると思う。値上げの失敗を踏まえての転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトに基づいたCMである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。
私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロのこうした原点帰りも前述のナショナルの次の時代の「あかり」も同じ生活変化への視座である。
デフレというと何か暗いイメージの時代であると決めつけがちであるが、街を通じた消費生活を感じる限り、結構明るいと思っている。その「あかり」はごく普通の、日常の、街場にあるもので、手軽に気軽に取り入れることができる。そんな「あかり」がない街からは人は出て行ってしまう。今回大阪新世界・ジャンジャン横丁を歩いてみて感じたことはこの「あかり」のある街であった。しかも、それまでの労働者の街は一変し、若い修学旅行生と訪日外国人の「遊び場」になっていることに驚かされた。そして、そのあかりには「ザ・大阪」とでも表現できる街の文化、庶民の文化があった。元気な街のエネルギーにはこの「文化のあかり」があるということを実感した。町おこし、商店街活性とは埋もれたその土地固有の文化起こしということだ。(続く)
タグ :広告