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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2010年03月17日

キョロキョロ消費文化論

ヒット商品応援団日記No451(毎週2回更新)  2010.3.17.

好きな沖縄に行っていたのでブログの更新に一週間ほど経ってしまった。ところで、前回も相対立する異なる消費、例えばヘルシー系とガツン系を行ったり来たり、振り子のように揺れる消費の様を書いてきた。昨年のヒット商品の最大特徴であった過去回帰型消費、歴史回帰型消費も、過去と今を行ったり来たりする消費である。インターネットで人気の「脱出ゲーム」も、イベント「リアル脱出ゲーム」のチケット入手が困難であるように、仮想と現実、デジタル世界とアナログ世界を行ったり来たり、といった振り子型消費である。古くは古民家ブームのように洋スタイルから和スタイルへ行ったり来たり、あるいは週末の田舎暮らしのように都市と田舎の行ったり来たりも同様である。

何故、こうした振り子のように行ったり来たり現象が起きるかである。以前、和と洋が振り子のように振れる様を「日本の思想」という名著を書いた丸山真男の考えを基に、日本の精神文化の特殊性を「雑居文化」によるものであると、私はブログに書いた。例えば、戦争といった大きな事件に遭遇すると、雑居であるが故に突如として日本古来の思想へと先祖帰りする。何千年として受け継いで来た自然思想、仏教思想と明治維新後の外来近代思想とが並列同居し、一つの文化にまでなっていないという指摘で、何かがある度に振り子のように振れるということである。
つまり、内側に明確な物差し、標準を持たないということである。常に外側を意識し、それによって動かされる。丸山真男はそんな日本人の精神構造を指して、外ばかりを「キョロキョロ」していると指摘していた。今風の消費に置き換えるとすれば、例えば皆が良いと言っているからといったランキング信仰から取り敢えず第一位のものは試してみよう、あるいはマスコミから流される断片情報から「わけあり商品」の「わけ」を試してみよう、そんな外側にあるブーム(=雰囲気・空気感)に乗り遅れまいとする精神文化である。だからブームは一瞬の内に終わるのである。

ある意味、KY語という社会現象はそうした精神性を良く表している。かなり前から高校生の仲間言葉として使われていたものだが、コミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきた一種の記号である。特に、ケータイのメールなどで使われている絵文字などもこうした使われ方と同様であろう。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家がいるように、実は一方的なコミュニケーションである。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊がある。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には「いじめ」もある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっていることだ。外の誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するという構造である。この構造は今流行っているツイッターも同じである。

外を気にしてキョロキョロしていると書いたが、それらが全て悪い訳ではない。とにかく新しいものを取り入れてみる、学べるものは学んでみる、そうした無防備とも言える進取性こそが今日の日本を創ってきた。あのトヨタ自動車がGMを抜いてNO1となったが、その本音はNO2のままでいたかったことに象徴されている。NO1は世界の自動車業界の標準を創造し、お手本を示さなければならないからだ。最早、トヨタには学ぶべき「外」、比較すべき「外」がないということである。今後のトヨタはプリウス問題を筆頭に「正しい未来」を語らなければならないということだ。つまり、トヨタ標準が世界標準になったということである。

さて、消費に戻るが、丸山真男が指摘した太平洋戦争という大事件に遭遇した日本知識人の変容、先祖帰りほどではないが、昨年のヒット商品の多くが過去回帰、歴史回帰によるものであった。その背景を「時代転換の踊り場」と私は表現してきた。次に進むために踊り場で「外」へ「過去」へとキョロキョロ見回しているということである。生活者の視点に立てば、10年で年収100万円減少した時代における生活の見直し学習、標準という物差しを求めた学習、これが巣ごもり生活の本質である。ここから多くのヒット商品が生まれてきたことは、私のブログを読んでいただいている読者にとっては周知の通りである。そして、昨年末ブログに書いたように、今エコライフ元年を迎えている。国も、自治体も、勿論生活者も収入が減少した時代に沿って、エコロジーの基本である「無駄を減らし」、結果「エコはお得」な世界を創り始めたということである。これも学べるものは学んでいこうとするもので、「外」からの学びは時として「外」が持っている技術や知識を超えた副産物、予想外の発見を得ることが出来るものである。そうした意味を含め、エコライフ元年と私は呼んだのだが、今後この副産物、予想外の発見によるヒット商品が誕生する。

つまり、振り子の中心点の一つがエコライフという仮説である。そして、更に言うと、雑居文化的消費から雑種文化的消費へと向かうであろうという仮説でもある。確か1年ほど前に日経MJにも取り上げられていたレタスなどの葉もの野菜のハイテク「野菜工場」もその一つである。環境に優しいLED技術による光と無農薬農法から学んだ水耕栽培による野菜工場である。工場は空き店舗や空き工場を活用し、全国へと展開していくとのことであった。そして、このソフト&ハードといった全体システムを一つのビジネスフォーマット化し、輸出も考えていると聞く。輸出先は砂漠地帯のカタールなどと聞いている。
中国冷凍餃子事件に端を発した食料自給率の改革、それに伴う国内の消費需要に応えることがこのビジネスを後押しした。安心安全を目標としたハイテク&ローテク、共に自前の技術と経験による野菜工場は、日本の知恵と技術による雑種文化のたまものである。「外」にはない、逆に「外」から高い評価を受け始めている新しい産業の芽である。これもクールジャパンの一つになるであろう。日本人がキョロキョロ外を見ている時、世界はどこにも無い素晴らしさを高く評価しているということだ。(続く)  

Posted by ヒット商品応援団 at 13:19Comments(0)TrackBack(0)新市場創造

2010年03月10日

まだら模様に、第三の市場

ヒット商品応援団日記No450(毎週2回更新)  2010.3.10.

少し前に、西武百貨店とYahooショッピングのコラボレーション事例を取り上げて、仮想と現実、虚構と体験、これらの「行ったり来たり」全体を視野に入れたビジネスを考えなければならないとブログに書いた。流通というライフスタイルを映し出した世界を象徴的に見てきた訳であるが、もう少し大きな「パラダイム(価値観)の転換」という視点でこの「行ったり来たり」を考えてみたい。

ライフスタイル変化を見ていくには「食」に注目すると良いのだが、最近東京の「食」で話題となっているのが「野菜料理」である。量をこなすレストランでは郊外農家から畑を借りて作られた自家製野菜をメインディッシュにしたものだ。焼く、蒸す、煮込む、素材の持ち味をいかしたもので、いわゆるヘルシー系の代表的な食である。一方、ガツン系は無くなったかと言うとそうではない。若い世代を中心に特盛り人気は根強く存在している。こうしたガツン系のなかでヒット商品となったのがマクドナルドの「テキサスバーガー」を始めとした”Big America”キャンペーンであろう。前者のヘルシー系を若い女性、OL層、後者のガツン系を若い男性、学生層が中心となっていて市場はまだら模様の如くではあるが、この2つの異なる市場を「行ったり来たり」する市場もある。この異なる市場の往来を促しているのが、各種カロリー計算と消費を促す体重計や万歩計といったソフトと機器類である。つまり、5〜6年前のようなサプリメント依存症に象徴されるような極端なダイエットではなく、食という欲望をセルフコントロールする時代に入ってきたということだ。つまり、「行ったり来たり」という第三の市場が生まれつつあるということである。

このように従来の考え方では相対立する価値観が、ヤジロベーのように振り子が一定のところに収まるような傾向が出てきている。例えば、表通りと横丁路地裏。どこにでもあるつまらない表通りを避けて横丁路地裏散策が盛んであるが、表通りに変化が起きることによって表も裏も活性する事例が出てきた。その代表的な通りが東京の表参道であろう。表通りには高級インポートブランドのフラッフショップが並んでいるが、横丁路地裏にはマンションメーカーなどの小さなショップがあり、そんな強い個性を求めて若い女性達が集まっていた。こうしたどこにでもあるブランドの表通りを一変させたのが2006年にオープンした「表参道ヒルズ」である。行かれた方は分かると思うが、若い女性達にとって手が届かない高価格のものは少ない。その多くは買いやすい、利用しやすいものばかりだ。そして、昨年のクリスマス時期に表通りがLED電球によるツリーで彩られることによって、シニア世代も若い世代も歩きたくなる街、歩いて絵になる街へと変貌した。つまり、表通りと裏通りを行ったり来たり、という面として活性化し、そこに新たな市場も生まれたということである。

第三のビールではないが、従来の異なるものとの融合、今風に言えばハイブリッドな市場に着眼することである。男と女、若い世代とシニア、洋と和、ハレ(非日常)とケ(日常)、人工と自然、昼と夜、オリジナルと複製、高機能と単機能、トレンドと定番、所有と使用、・・・・・こうした異なるものとの境界、境目に新しい市場が生まれてくる。例えば、ハレ(非日常)とケ(日常)の対比のなかでは、ハレの日は記念日、特別な日として華やかさを暮らしに取り入れるが、ケは慎ましく済ます。ある意味その境目である週末の過ごし方に新たな市場が生まれる可能性があるということだ。既に、人工と自然という対比のなかでは、その境目には里山があり、この里山のある住宅を積水ハウスは数年前から販売している。昼と夜という対比のなかでは、その境目は早朝と深夜ということになる。早朝には多くのセミナーなど自習機会が組まれていたり、深夜にはコンサートや芝居が組まれているように。オリジナルと複製という対比では、ロングセラー商品となった「かにかま」等が該当する。複製を芸のものまねとすれば、コロッケなんかは芸として確立しており、オリジナルと複製の境目と言えなくはない。

そもそもカジュアル衣料のGAPはそのギャップというネーミング=コンセプトにあるように、男と女(性差)、若い世代とシニア世代(年齢差)といったギャップを埋めるところに着眼した。このGAPをお手本にしたのがユニクロで、大ヒット商品となったフリースはユニセックス商品である。
今、最も着目されているのが価格帯で、高価格と低価格、この価格差の真ん中の価格ゾーンである。既にホテル業界ではシティホテルとビジネスホテルの中間ゾーン、ビジネスホテルとカプセルホテルの中間ゾーンに第三の市場開発を模索している。あるいは、本格和食や本格フレンチとB級グルメとの中間価格ゾーンへの進出も見られ始めており、本格派は中間価格ゾーンであるランチマーケットを開発し、これも第三の市場と言える。この第三の市場では既に「鎌倉シャツ」のように紳士服量販店の低価格シャツと百貨店における高価格シャツとの中間ゾーン5000円という価格帯で成功している。
この2年半ほど低価格戦略が市場を席巻してきたが、ある意味隙き間市場であった中間価格ゾーン市場へ、第三の市場へと向かい始めた。つまり、巣ごもり生活は続いてはいるが、相対立する概念市場としてはっきりとしたまだら模様は、その輪郭が崩れ、新しい市場の芽が出てきたということだ。(続く)  

Posted by ヒット商品応援団 at 13:38Comments(0)TrackBack(0)新市場創造

2010年03月07日

問題点と市場機会

ヒット商品応援団日記No449(毎週2回更新)  2010.3.7.

「問題点と市場機会」という言葉はマーケティング立案の要となるもので、私が若い頃外資系広告代理店に在籍していた頃、戦略を導き出すための方法として盛んに使ってきたものである。一言でいうならば、生活者の問題にこそ、解決すべきヒントやアイディアが隠されているという原理原則のことである。問題点というと堅苦しく聞こえるが、もっと役に立つには、もっと喜んでもらうにはと考えても良い。そして、生活者が困り求めている主要な問題点4〜5つぐらいを左ページに置き、それらに対する解決策を右ページに置き、それら全体を俯瞰的に見据えながら市場の可能性を探るわけである。そうした意味で、徹底した問題点の抽出と分析を行う方法である。

先日NHKの番組で高齢化社会をプラスの面から見直す良き事例が取り上げられていた。社会保障費の負担が増え続け、介護現場には人手不足、・・・・多くの課題を抱えていることは周知のことであるが、この高齢者の介護食に世界の注目が集まっているという。栄養素はもとより味も見た目も優れた介護食が作られており、嚥下障害や摂食障害に対する解決ノウハウも蓄積されつつある。世界一の長寿国ならではの一つの「商品」、輸出可能なビジネスの可能性を持っているということだ。他にも、ロボット技術を生かした介護ロボットも研究されている。これも高齢化社会における問題点=市場機会ということだ。

先日基調講演で訪問した京都府美山でも限界集落が多数存在していた。自然資源を豊富に持つところであるが、高度成長期には都市との交流を活性化するために山にトンネルを掘り道路を整備した。しかし、逆に若い世代はそのトンネルをくぐって都市へと出かけ、人口が流出してしまう、そんな笑えない現実があるところであった。しかし、美山は主産業である林業が衰退していくなかで、その森をマイナスに見ていくのではなく自然観光資源へと転換した、これも良き事例である。100%実施されてはいないと聞いたが、間伐がなされた美しい森林であった。森が保たれていれば、そこに流れる美山川も清流となる。そして、美山の小学校にはプールがなく、夏には美山川がプールになる。結果、そんな自然との生活を求めて若い世代のIターンも増えつつあるという。

昨年のヒット商品の最大特徴の一つが「過去回帰型商品」で、しかも若い世代へと広がっていた点にあった。サントリー角ハイボールやオリンパスペンのようなOLD NEW ・古(いにしえ)が新しいとする過去回帰型商品と共に、映画「Always 三丁目の夕日」ではないが昭和回帰といった「思い出消費型商品」の2つの方向の回帰型商品がある。後者については一時期流行った「揚げパン」のように、小学校の給食で出された揚げパンを懐かしく思う「プチ思い出商品」も含まれる。昨年のお化け商品としてヒットしたベーブレードなどは父親にとっては懐かしいベーゴマであり、子にとっては新しい遊び道具である。
問題点と市場機会という整理の仕方に準じれば、「つらい現実」や「突破したい現実」、あるいは「うまくいかない現実」といった問題を解決するために「楽しかった過去」へと向かう。介護食も美味しかった楽しかった若い時を思い出させ、食べる力を引き出すことへとつながるという。理屈っぽく言えば、過去回帰とは、一種の現実に対する自己癒し、心理的な自己治癒行為としてある。

そして、何よりも重要なことは誰を顧客とし、どの問題の解決にあたるかである。前回も指摘したようにマスメディアからの情報は全て断片情報として扱わなければならない。本来であれば、顧客調査を実施すべきと思うが、多くの費用を必要とし、誰もが実行することは難しい。既にあるそれら断片情報も情報であり、異なる世界の多くの断片情報にも共通項を見出すことも可能である。その共通項こそ顧客が抱えている問題点であるということだ。私が社会的事件を取り扱ったり、どんな歌が流行っているか、どんな本が読まれているか、そんな現象を取り上げるのも共通項としての生活者心理の在り方を見定めるためである。

私は時代転換の踊り場にいるという表現をよく使うが、それだけ問題が奔出しているということでもある。断片情報ばかりで問題を見えなくさせている時代には、「それは本当に問題なのか」と4〜5回繰り返し突き止めたら良い。大小、複雑に絡み合った問題をほどき整理していく作業である。そうすれば問題の本質にたどり着くことができる。そして、最後は思い切ったアイディアに着眼してみることだ。勿論、実行は小さくであるが。(続く)  

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2010年03月03日

断片情報化社会

ヒット商品応援団日記No448(毎週2回更新)  2010.3.3.

昨日、2010年度の国家予算92兆円余が衆院で可決し、年度内に通過することが決まったと報じられた。このブログは政治ブログではないので取り上げるつもりはないが、ここ数ヶ月間の「政治とカネ」を巡る問題にいいかげんにして欲しいという気持ちで一杯である。
「未来はわからない」というのが私の持論であるが、必ずやってくるのが高齢化社会であった。確か1990年代半ばであったと思うが、私が記憶する限り唯一警鐘を鳴らしていたのが堺屋太一さんであった。少子化もそうであるが高齢化という課題はこれからの日本の未来、いや現実の日本という国家をどのような方向へと向かわせていくか極めて重要なことであった。それは単なる社会保障・福祉の問題としてではなく、生き方を一人ひとりが選択すべきものでもあった筈である。しかし、今もそうであるが、1988年当時の政府与党であった竹下政権は福祉目的税を準備していたが、周知のリクルート事件という「政治とカネ」の問題によって、日本の「次」について国民の信を問うことがなく今日に至っている。勿論、民主主義国家として「政治とカネ」の問題を見て見ぬ振りをすればよいというわけでは決してない。しかし、江副氏によって書かれた「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論新社刊)を読んでも、今回の陸山会の政治資金規正法違反の新聞報道を読んでも、不可解さが残ったままである。

東京のローカル紙東京新聞(3/3朝刊)は今回の国会論戦について皮肉まじりに次のような「迷言名言」として順位をつけている。

第一位:「まさに平成の脱税王だ」 (鳩山首相に対する与謝野馨元財務省の発言)
第二位:「命を守りたい」(鳩山首相施政方針演説)
第三位:「今日のところはそのくらいにしておきましょう」(政治資金問題追及を途中で切り上げた谷垣自民総裁の発言)
第四位:「うるさい」(野党の野次に対する亀井金融大臣の発言)

一昨年秋のリーマンショックの火種は全世界へ広がり、鎮火せずにドバイショックへ、更にはギリシャへとくすぶり続けている時代の最中である。更に、トヨタのリコール問題は大きな日米同盟問題へと発展しなかったのは幸いであったが、内にも外にも難問が山積している。一企業、一エリア、一個人では解決出来ない問題ばかりである。3月という時期は企業であれば倒産、個人であれば自殺者の多い月だ。

ところで、こうしたやりきれない時代はいつから始まったのかと思い起こすと、やはり1995年のオウムサリン事件と阪神淡路大震災であったと思う。心理の奥底にどこかでぬぐい去ることができない不可解さが今なお残っている。言葉としていえば「不安」という二文字となってしまうが、2003年から数年ミニバブルが都市で起こったものの常に不安は底流し続けている。その底流の中に、秋葉原連続殺傷事件もあれば、最近では昨年11月の島根女子大生殺人事件もある。つまり、不可解という不安であり、不可解さを解くために人は否応なくその源を辿ろうとする。
つまり、断片情報ばかりが圧倒的なスピードで行き交う情報の時代とは、当然不可解さを解き明かしたいという欲求がごく自然に生まれてくる。作家村上春樹の本が根強く読まれていたり、昨年の国宝阿修羅像に若い世代も注目する。あるいは、自身のルーツを探るために家系図を作ったり、歴女ブームのように真田幸村の生涯を調べたり、最近では「古代文字」の謎解きブームなんかも、こうした「知らないことへの不安や興味」、あるいは「不可解さを解き明かしたい」という欲求に依るものである。こうした現象も高度情報化社会という断片情報化社会故の現象であろう。

数年前までは占いが不安を解消する一つであった。しかし、もはやそんな占い程度では払拭できない深刻さに向き合っているのだと思う。その深刻さとは、極論ではあるが、断片情報化社会にあって「知らないことへの恐怖」とでも呼べるものだ。そして、TV番組や雑誌は雑学流行となった。以前「うわさの法則」という社会心理の法則にふれたことがあったが、知らないことへの「恐怖の法則」にまで病状が悪化してきているのではないかと思うことがある。
こうした断片情報化社会から学ぶべきことは、事実に基づいた物語をていねいにコミュニケーションすることだ。そして、コミュニケーションしてもなお不可解さが残るようであれば、その源に実際に触れ体験してもらうことだ。昔流行った言葉に「事実は小説より奇なり」とあったが、今や「体験は小説より奇なり」いや「体験は事実より奇なり」という時代にいる。(続く)  

Posted by ヒット商品応援団 at 14:59Comments(0)TrackBack(0)新市場創造