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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2018年12月09日

2018年ヒット商品番付を読み解く  

ヒット商品応援団日記No726(毎週更新) 2018.12.9.

今年もまた日経MJによるヒット商品番付が発表された。昨年2017年はこれといったヒット商品はなく、今年もまたヒット商品は少ない。ここ数年なぜ少ないかが「読み解く」中心テーマとなる。以下が2018年の主要なヒット商品番付である。

東横綱 安室奈美恵 、 西横綱 TikTok 
大関 スマホペイ  、  大関 サブスクリプション
張出大関 羽生結弦  、  張出大関 大坂なおみ
関脇 キリンビール本麒麟  、 関脇 ゾゾスーツ
小結 Vチューバー、  小結 eスポーツ

東横綱に安室奈美恵が入ったが、沖縄での引退ライブを始め多くの話題を集めた。それは平成という時代を駆け抜けたミュージシャンとして、時代の終わりを実感させるものであった。前頭にはDA PUMPの「U.S.A.」が入っており、90年代に流行ったユーロビートをベースにしたものである。つまり、平成最後の年ということで、いささか結論ありきの番付編集の感がしてならないが、そうした時代感が番付に出たことは事実である。
ところで西横綱にTikTokが入ったきたが、その撮影編集が簡単であることや15秒というショートムービーということから既存のSNSを超えた動画コミュニティサービスとなっている。ほとんどのユーザーは10代が中心となっているが、1億3000万人を超えたと言われている。Yutubeやインスタグラムの次のSNSということで根底には「承認欲求」を満たすコミュニティサイトであるが、そうした中から新しいアーチストもまた生まれてくる可能性はある。しかし、一方では俗悪な動画が投稿されることもあり、ネット社会における表裏が内在していることは認識しなければならない。
ところで今話題のスマホ世界シェア2位のファーウエイだけでなく、TikTok もまた中国企業であり、身近なところでも米中のIT関連産業の覇権争いが起こっているということを実感させる。そして、こうした「競争」によって、これからも日本国内におけるヒット商品としても現れてくることは間違いない。特に来年にはスマホは5Gの時代がやってくる。米中対立の中のヒット商品争いということだ。

そのスマホ関連でいうと、大関にスマホペイが入ってきている。いわゆるバーコードやQRコードを使った決済方法であるが、確かに遅れている日本もやっとこうした時代がやってきたということであろう。この決済方法も中国では露天商ですら行われており、やっと一周遅れで始まったということだ。
もう一つ大関に入ってきたのがサブスクリプションで、リピート狙いのお得な使い放題定額システムで、動画配信から町のコーヒーショップまで幅広く取り入れられてきている。これも一つのヘビーユーザー作り法の一つである。ただこの2つの大関を見てもわかるようなこれが「大崎」に値するヒット商品かというと、それほどでもないと思うがどうであろうか。
東西の張出大関には羽生結弦と大坂なおみが入っているが、スポーツイベントの世界では当然であると思う。そして、多くの人の関心事をさらに高めたのは羽生結弦の場合は怪我を押しての平昌オリンピック優勝であったこと 、大坂なおみの場合は対戦相手もさることながら圧倒的なアウエイの中での全米オープン優勝、共に「ドラマ」があったことによる。ある意味スポーツならではの「感」が揺さぶられるドラマであるが、番付に入ったヒット商品の中では特筆すべきものとしてある。

関脇にはキリンビールの本麒麟が入っており、アルコール度数が6%と高い第三のビールである。数年前からのストロング系アルコール飲料の延長線上にあるビールだが、3月に発売され3億本を超えるヒット商品となっている。安くて酔える飲料の傾向はこれからも続くということだ。関脇にはゾゾスーツが入ったが、3次元の立体画像に基づくサイズ確認はサービス向上にはなっているが、他のアパレルメーカーでも行われ特筆されることはなくなる昨年にもZOZOが番付に入ったが、これは若い女性を惹きつけるUA(ユナイテッドアロー)などのブランドをサイトに取り入れたことによるもので、課題は次なるブランド開発ということで、関脇という番付には疑問の残るものである。

小結には Vチューバーとeスポーツが入っているが、これが小結という一つの大きな市場を形成しているとは思えない。後に指摘をするが特定の市場においてである。そうした意味で「消費」が広がることはなく、ひいては社会に何らかの影響を与えるものではない。

このように疑問に思えるような番付であると指摘をしたが、発表の少し前に第35回となるユーキャン新語・流行語大賞が発表された。周知のように大賞は平昌オリンピックにおけるカーリング女子代表の「そだねー」であった。新語・流行語大賞はその狙いとして、「世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた言葉」である。オリンピックは多く人が関心を持ち、感動させてくれるイベントで「そだねー」が対象に入ったことは理解できる。ただ発表後審査員の一人である俵万智さんがインタビューでいみじくも答えていたように、「広く大衆の」といった流行ではなく、狭い特定の人たちだけの流行語が年々多くなってきており、審査は難しかったと。ちなみに受賞した流行語は以下の通りである。
・そだねー(年間大賞) ・eスポーツ ・(大迫)半端ないって ・おっさんずラブ ・ご飯論法 ・災害級の暑さ ・スーパーボランティア ・奈良判定 ・ボーっと生きてんじゃねーよ! ・#MeToo

例えば、「おっさんずラブ」はテレビ朝日系連続ドラマとして放送されたテレビドラマである。スタート時7話の平均視聴率は約4%で、失敗作と言われる数字であったが、小さなブームになったのはコアな視聴者、いわゆるリピーターを獲得したからであった。あるいは、「ご飯論法」は国会答弁などのすり替え答弁に使われ、新聞紙上ではよく使われた言葉である。例えば、”朝、ご飯は食べましたか?”の質問に”食べていません”と答えるが、更に質問を続けていくと”朝はパンを食べたので、ご飯は食べていない”といったすり替え論議を指す言葉である。こうした言葉は新聞をよく読む、政治論議に関心のある特定の社会集団の言葉としては認識されているが、果たして広く認知理解され共有されているかといえばそうとは言えない。

2007年の流行語大賞の一つに選ばれたものの中にKY語(空気が読めない)があった。その発生源は高校生で、コミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきたと考えられている。以降、こうしたコミュニケーションが実は社会に広がりしかも常態化している。高校生ばかりか、大の大人までもが「仲間内」の間略語となっているということである。つまり、小さな社会集団における一種の記号として流通しているということだ。この記号としての「しるし」と「意味」との間には自然的関係、内在的関係はない。例えば、当時流行ったKY語におけるCB(超微妙)というKY語を見れば歴然である。仲間内でそのように取り決めただけである。記号の本質は絵文字と同様で、「あいまい」というより、一種の「でたらめさ」と言った方が分かりやすい。つまり、そんな社会になりつつあるということだ。
何故こうしたコミュニケーションが社会へと一般化したのかは、ブログにも何回も書いてきたが、やはり個人化社会が広く深く浸透してきたからに他ならない。バラバラになった個人は居場所を求めて「何か」が起こるであろう場所に向かう。渋谷のスクランブル交差点における騒動も居場所探しという承認欲求から生まれたということである。そして、渋谷のスクランブル交差点は常設の劇場・舞台になったということである。

さて本題に戻るが、この個人化社会の進行は「市場」をどんどん小さな単位にしていく。消費という視点から見ていくと、大衆(マス)から分衆・小衆へ、そして地域や家族といったコミュニティの崩壊と共に社会集団の細分化が起こり、「仲間内」という市場へと向かう。消費という視点に立てば、仲間内から生まれてきたのは、例えば「ママ友」+「クックパッド」による「おにぎらず」といったヒット商品であり、今回番付の前頭に入っている「サバ缶」にもそのアイディア溢れる利用法などにもつながっている。一方では1本1000円前後の高級食パンも前頭に入っているが、ブランド米と同じで日常の食には少しだけ贅沢したいという基本欲求の市場であり、安い「サバ缶」と矛盾するわけではない。つまり、どんどん市場の単位は小さくなっていくということである。

ここ数年時代の変化を求めて「街歩き」をし、その観察レポートを未来塾としてまとめてきた。その特徴の一つは「賑わい」の変容で、賑わいのある街や店に共通して求められているのが「居場所」である。それは場所ではなく、居場所としてで「一人の場合」と「仲間内の場合」とに分かれる。
さて、こうした小さな市場をどのように探し、そこで求められている「何か」を創造していくかである。そのヒントとしては少し前の未来塾「コンセプト再考」で取り上げた「ウオークマンプラス」にその着眼は出ている。今回の番付にも前頭にランクされているが、作業着からカジュアルな街着への転換は、実はその着眼の背景にはバイクライダー需要の急増があった。防水・防風・防寒といった高機能なウインドブレーカーとして、バイクライダーばかりでなく、アウトドア着や街着にも使えると需要が拡大した事例である。私の言葉で言うと、「顧客から教えられた市場」と言うことだ。今回のヒット商品番付を見てもわかるように大きな消費傾向もなく、一種バラバラ状態である。こうした小さな市場にあっては素直に顧客の声に従うのも一つの方法だ。そして、このように多様化した市場にあっては、まず小さくトライしてどんな居場所で何が求められているかを見出すことだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:37Comments(0)新市場創造

2018年12月04日

未来塾(35)「賑わい再考」(1)後半 

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2018.12.4.

大阪の中心地空掘(からほり)と梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町について3回(前半・中盤・後半)にわたるレポートでの後半である。同じ古民家を活用しても違いが出てきている。つまり、課題は古民家を使って「何」をするかである。今回はそうしたことを踏まえた「まとめ」である。




消費税10%時代の迎え方(4)

にぎわい再考 後半

その良き事例から学ぶ(2)

大阪空掘(からほり)・梅田裏中崎町、
小さなにぎわいが新たな街を創る


「にぎわい再考」に学ぶ


4年ほど前消費税8%時代を迎えどんなことが起きるであろうか考えたことがあった。答えは結論から言えば消費増税を一つのきっかけに起こることの一つが「中心化現象」であった。それは仕事の場を求めた一極集中といった都市化と呼ばれる集中現象だけでなく、あらゆる「中心」に対しての現象のことであった。それは都市の中における中心への移動であり、郊外にあっても駅や大型商業施設を中心にした集中移動のことであった。勿論、移動によって生まれるのは「消費」である。それは移動の手段である交通によることが多大であるが、生活者の興味関心事の中心についても同様である。それは生活のテーマの中心であり、その中心化は仕事や遊びに至るまで多くの関心事の中心に向かう変化である。結果、賑わいもまた「中心」に生まれる。

賑わいはテーマと未知への興味によって生まれる

多くの人が集まり賑わう街や地域の事例をスタディした結果、賑わいは「テーマ集積による観光地化」と「未知への希求と体験」によって生まれることがわかった。勿論、テーマという関心事は時代と共にに変化していくものであり、そして「未知」はグローバル化(インターネットの普及)した時代にあって巨大な世界をつくり、しかもSNSによって一挙に拡散増大する。多くのマーケッターは生活者の関心事となっているテーマの発掘と膨大に膨れ上がった「知らない世界」の「何か」に関心が移っているかを見つけることが主要な仕事となった。関心事が中心へと集中するところを私たちは「賑わい」と呼んでいる。テーマパークとはこの関心事の集積した「場所」のことを言う。

「過去」に向かうまなざし

実はリーマンショックの翌年2009年のヒット商品には復刻、リバイバル、レトロ、こうしたキーワードがあてはまる商品が消費の表舞台に続々と登場している。花王の白髪染め「ブローネ」を始めとした「シニア・ビューティ」をテーマとした青春フィードバック商品群。1986年に登場したあのドラクエの「ドラクエ9」は出荷本数は優に400万本を超えた。ブログにも書いたが、若い世代にとって温故知新であるサントリー角の「ハイボール」。私にとって、知らなかったヒット商品の一つであったのが、現代版ベーゴマの「ベイブレード」で、昨夏の発売以来1100万個売り上げたお化け商品。この延長線上に、東京台場に等身大立像で登場した「機動戦士ガンダム」や神戸の「鉄人28号」に話題が集まった。あるいは、オリンパスの一眼レフ「PEN E-P1」もレトロデザインで一種の復刻版カメラだ。売れない音楽業界で売れたのが「ザ・ビートルズ リマスター版CD」であり、同様に売れない出版業界で売れたのが山崎豊子の「不毛地帯」「沈まぬ太陽」で共に100万部を超えた。更に、特徴の一つが「歴史回帰」である。国宝阿修羅像展については以前ブログにも書いたので省くが、歴女ブームの火付け役となったのが「戦国BASARA」で、累計150万本売ったヒット商品であった。
歴史の向こう側に、あるいは昭和の遊びやゲーム、音楽や書籍に何を求めているのか多様さはあるものの、こうしたタイムトンネル型の消費傾向は古民家再生にもつながっているということだ。写真は地下鉄中崎町駅裏の古いアパートを再生した商業施設で、小さなカフェや展示ルームが入居している。若い女性が部屋の中を覗いているのが印象的であったが、女性たちの興味は遠い過去に向かっていると言う事であろう。生命記憶という言葉があるが、例えば鮭が生まれた川に遡りそこで産卵する「里帰り」の本能行為に見られることを指している言葉である。つまり、関心事の先にはこうした「過去」への里帰りにどこかでつながっているということだ。

横丁路地裏の意味

こうした「時間感覚」という視座で市場を見ていくと、例えばスピードへの「反・アンチ」としてスローフードやスローライフとなって現れてくる。特に、2000年代に入りインターネットの普及によって凄まじいスピードが駆け巡る社会となる。スピードによってもたらされる情報量も膨大なものとなり、確か総務省の発表では2000年代初頭と10年後の情報量を比較すると500倍以上になり、今日の過剰情報時代となった。
「過剰」はある意味で「未知」であると言うことだ。一時期東京中央区月島のもんじゃストリートで食べログの点数を上げるために「やらせ」という情報操作が行われたことがあった。「やらせ」の背景には、過剰情報という何を選択して良いのかわからない心理、つまりランキング上位を選ぶという時代になったことからランキングを上げるためのやらせが行われたということであった。
こうした時代にあって、「未知」への興味は表通りから横丁へ路地裏へと向かわせることとなる。一般情報ではなく口コミといった情報によって促進される。マス消費から地域や特定希少な「裏消費」への転換だ。言葉を変えれば、見えているようで、実は見えていなかったとの気づきが始まった、あるいは見ないようにしてきたことへの反省と考えるべきである。誰も知らないところで細々と愚直にやってきたことが、表へと出てくるということだ。サプライズという一過性体験の学習を経て、外側では見えなかったことを見えるように見えるようにと想像力を働かせるように気づき始めたということである。こうした心理の動きは「昭和回帰」「ふるさと回帰」といった回帰現象にもつながっている。「見るため」に過去を遡り、今を考えようとしているのだ。あるいは特に地方という未知への興味も根っこのところでは一緒である。いかに知らないことが多かったかという自覚であり、自省でもある。
裏はいづれ表となる情報の時代である。梅田裏中崎町は物の見事にカフェパークとして表舞台に躍り出たということである。

空掘、中崎町共に古民家を使ったテーマパークの違い

大阪の2つのエリアに若い世代が訪れる小さな賑わいを見せていた。今回観察したのだが、古民家をリノベーションすることは同じであるが、実はそこで「何を」行うかに違いがある。更に言うならば、エリアの歴史・文化を当然担うことになるが、古くは江戸時代から、少なくとも戦後の大阪の都市化を踏まえての場所・古民家である。
「横丁路地裏」というキーワードで2つのエリアをくくったが、空掘はある意味大阪の中心。「へそ」にあたる一種「空白地帯」で、中崎町は見事なほど「梅田裏」である。東京に置き換えると空掘は上野裏の谷根千に近く、中崎町は該当する街に近いのは中央区銀座裏の月島のもんじゃストリートであろう。
ところで空掘のテーマはと言えば、カフェもあれば雑貨店、古着もあるが、集積したテーマはない。また、「練」のような大型の再生古民家商業施設はあるものの「町並み」としてのレトロ感はない。「観光地」という視点から見ていくと、谷根千と比較するとわかりやすいが、谷根千の場合町並みそれ自体が昭和レトロパークとなっていて、しかも谷中霊園の桜、根津神社のツツジといった季節の観光スポットも多く、小さな美術館や史跡もあり、散策に疲れたらHAGISOのような古民家再生カフェも数カ所ある。これといった名物土産はないが、蕎麦や寿司など古くからの名店も多い。中心となっている谷中ぎんざ商店街は昭和の商店街の雰囲気を今尚残している。(詳しくは「未来の消滅都市論」電子書籍を参照してください)
空掘の場合、古民家の再生が始まったのが2002年の「惣」からであり、谷根千は1990年代初頭であることを考えれば、これからということであろう。観光地化の要素としては谷根千を一つのモデルとしたら良いかと思う。

一方、中崎町はどうかと言えば、その集積度からいうと、東京にもない「カフェパーク」となっている。東京中央区月島にも「もんじゃストリート」というテーマパークがあるが、カフェパークは恐らく梅田裏の中崎町が全国では初めてであろう。次回の未来塾では「賑わい再考」の第2弾として「せんべろ酒場」から今流行りの「バル」までそれぞれの賑わいをレポートするが、これだけのカフェを集積した地域はここ中崎町だけである。梅田という都市の裏側にあるサブカルチャーのような意味合いを持っていると考えるのが自然であろう。規模も異なるがサブカルの街アキバまではいかないとは思うが、訪日外国人がかなり観光で訪れていることを踏まえると、中崎町が「ナカザキ」となる日が来るかもしれない。

古民家再生の意味

3年ほど前に「衰退する街 未来の消滅都市論」というタイトルの書籍(電子版)を出版した。人口減少時代を迎え、「消滅都市」が時代のキーワードになった時であった。衰退する街もあれば、成長すらする街もある。街を歩き、変化の波を写真と共に読み解いた書籍である。周知のようにいまなお人口減少は止まらず、空き家率も増え2013年には13.5%となっている。野村総研の予測では2018年には16.9%に広がり2023年には21%になると。残念ながらこの傾向はこれから先も続くことになるであろう。そこに見られる日本社会の現象は、減少、縮小、空き、無人。この反対世界を言うならば、増加、成長、充足、賑わいとなる。まさに成長する街と衰退する街とに分かれる時代にいると言うことである。今回の2つの町は残された住居や長屋をうまく使っての賑わいが生まれた町と言える。

2000年代に入りふるさと回帰などの潮流と共に、静かな古民家ブームが起きたことがあった。しかし、今日の古民家再生の潮流は当時のものとは異なる。その違いの第一は2000年代初頭のそれは再生もあるが基本は移築で費用も大きなものが主流であった。例えば、移築し炉端で食事を提供するレストラン業といったものであった。今日のそれは古民家の表情などを踏まえ事業主の思い描く古民家のデザイン・スタイルを創造するといったリノベーションで、極端なことを言えば新しい「何か」を創造する建築といった方がわかりやすい。
数少ない写真からも中崎町のカフェの店頭表情を見ればわかるようにすべて異なるデザインとなっている。空掘は未だ途中段階であるが、中崎町は新しい町が生まれたと理解すべきである。テーマパークとして参考事例に挙げた月島のもんじゃストリートも通りの中程の数軒のもんじゃの店舗場所にタワーマンションが建つ計画となっている。勿論、工事期間中仮店舗で営業をした店もまた通りに面したタワーマンションの1階に戻ってくると言う。これも年におけるテーマパークの進化系の一つになるであろう。ところで、テーマパークを成立させる要件は簡単に言えば次の3つである。
1.「買い物や見て回れる自由」 2.「新しい発見」 3.「選択の自由」
テーマパークの楽しさは東京ディズニーランドやUSJを見てもわかるように、ワクワク感と感動によるものだ。再生古民家の町を舞台に主人公になって歩き、お気に入りのカフェもあるが時に新しいカフェにも寄ってあれこれ雑貨を見て回る。そんな新しい何かを発見できる楽しさということだろう。大きな驚きはないが、小さくても固有の時間を持つことができる、そんな舞台ということだ。そして、重要なことは空掘も中崎町もそのコンテンツは「文化」である。サブカルチャーというと秋葉原・アキバにおけるアニメやコミックとなるが、2つの地域もサブカルチャーパークとして位置付けられるであろう。目指すはアキバがそうであるように「聖地」である。

サブカルチャーパークの明日

中崎町においても訪日外国人観光客の増加に伴い、地元住民は困惑しているという。特に突然カメラを向けられることで、理屈っぽく言えば個人情報を守れないということからである。観光地となったところでは撮影禁止・お断りが増えている。東京ではかなり前から原宿竹下通りから始まり、谷根千の谷中ぎんざ商店街も同様である。京都では祇園は勿論のこと、京都の台所「錦市場」では訪日外国人の食べ歩きのマナーの悪さから午後4時ごろから店を半分閉めておなじみさんしか売らないとする鮮魚店まで出始めている。
最近の訪日観光、特に京都観光においては日本人観光客が減少し始めているが、あまりの観光客の多さからで特に欧米観光客からも「京都らしさ」が感じられない、あるいはすでに無くなっているという声も挙がっている。結果、「観光公害」といった言葉が生まれたりする状況となっている。公害に対しては「規制」が必要である、そんな議論が必要な時代となっている。

ところでサブカルチャーパークとは言葉を変えれば、生活文化パークのことである。その生活をしている住人に、断りもなしにカメラを向けることは「失礼」 であるとの認識が必要であるということだ。富士山や大阪城を撮影することとは本質的に異なる。ある意味、自宅にいきなり入り込まれたと感じるということである。そうした日本の文化理解が得られない時、「お断り」が始まる。いわゆる文化の衝突である。
かなり前から「生活文化観光」の時代がやってくるとブログにも書いてきた。日本人の生活を知るには「市場」を観光するのが一番である。それは私たちが海外に出かけて興味を惹かれるのと同じである。先日築地の場外市場を歩いたが、訪日外国人が押し寄せており、海外でブームとなっている「寿司」の聖地となっていることが分かる。寿司を入り口に、ラーメン、天ぷら、すき焼き、蕎麦、焼肉、しゃぶしゃぶ、・・・・・・・・・・「和食」が日本の重要な産業になっていくことが予測される。海外での出店だけでなく、食の素材を含め調理器具も輸出産業になっていくであろう。築地の場外市場がそうであるように、日本各地に和食の「聖地」が生まれサブカルチャーパークが創造されていく。既に横浜の「ラーメン博物館」もそうしたテーマパークの一つとなっている。

目指すは「町ごとテーマパーク」

テーマパーク化によって集客効果を上げるだけでなく、実は訪れる観光客との無理解のままの「衝突」をある程度回避することができる。生活文化のテーマパーク化には住民の応援と理解が欠かせない。それは訪日外国人観光客だけでなく、日本人においても同様である。そのためにも地域単位の「町構想」の立案が必要となる。当然、行政の支援も必要となり、テーマパークを軸にした新たなコミュニティづくりということである。100の町があれば100通りのテーマパーク、100のコミュニティがあるということである。
そして、地方自治体によっては古民家再生やリフォームへの補助金がある場合もあり、そうした助成を含めて行政との連携が必要となっている。
そして、何よりも重要なことは訪れる観光客に「守ってもらうこと」を明確にすることだ。今まで、日本政府観光局は世界に向かって「来てください」としか言っててこなかった。そうしたPRは今後とも必要ではあるが、マナーやルールを始めとしたまず「実情」を明確に伝えることである。法律による規制ではなく、繰り返し伝えることが必要ということだ。そして、例えば交通の混雑情報などスマホなど通じてタイムリーに伝えることが必要で、その際寺社によっては入場制限があるとの情報もである。台風21号によって関空が麻痺状態になった時、空港に取り残された多くの訪日観光客に対し、的確な「情報」提供がほとんどなされなかった。あったのは英語による提供で、まるで用をなしていなかった。都市部においてはやっと拠点におけるWIFIによるネット接続が可能になった。遅きに失してはいるが、まずは実情を含めた情報の提供ということだ。

新しいリノベーションの仕組み化も

残念ながら人口減少を止めることは難しい。以前廃屋となった学校の再利用として生ハム製造工場が話題となったことがあったが、都市においても利用されないまま朽ち果てていく空き家は多い。今回は古民家の再生をテーマとしたが、実は小さな「地方創生」の意味を持った試みであると理解すべきである。今回中崎町のカフェパークを案内してくれた友人は、使われなくなった空き店舗を簡易宿泊所にリノベーションし、急増する訪日観光客向けのホテルビジネスを東大阪布施でもオープンさせていると話してくれた。使われなくなった建物をリノベーションしていくために、ファンドにも参加してもらい土地を購入し、その土地・建物に目的にあったリノベーションを行い管理運営していく、そんなビジネスの仕組みもまた必要となっている。つまり、ファンドの参加とは未来に向けた投資先としての意味である。


今回、大阪の2つの地域の古民家再生プロジェクトを観察した。既にあるものの生かし方は古来日本固有の知恵であった。それは自然に寄り添うことから生まれた知恵であったが、生活の知恵として今尚継承されている。自然に寄り添って生きる「自然」とは、今や山里や田舎のそれだけではなく、再開発から外れたものの中にもある。空掘も中崎町も都市における「自然」である。そして、リノベーションは寄り添うための一つの方法としてある。2つの地域を観察してつくづく感じたことは、テーマの重要性で、古民家という舞台で何をするかに尽きる。つまり、未来に向けた「コンテンツ」の戦略性、「顧客市場」を見据えた構想力ということになる。地方創生とは都市の中にもある。そして、どんな「生かされ方」が必要なのか問われているということだ。(続く)

*なお拙著「衰退する街-未来の消滅都市論」は下記にて。
https://www.amazon.co.jp/衰退する街-未来の消滅都市論-PARADE-BOOKS-飯塚敞士-ebook/dp/B015GSPAJG
  
タグ :古民家


Posted by ヒット商品応援団 at 13:15Comments(0)新市場創造

2018年12月03日

未来塾(35)「賑わい再考」(1)中  

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2018.12.3.

古民家再生の事例研究の2回目はは大阪の中心梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町についてのレポートである。前回の空掘とは同じ古民家再生でもお使ったビジネスであるが、少し異なる面白い試みが見られた。




消費税10%時代の迎え方(4)

にぎわい再考 中

その良き事例から学ぶ(2)

大阪空掘(からほり)・梅田裏中崎町、
小さなにぎわいが新たな街を創る


レトロな街のカフェパーク中崎町

中崎町と言っても空掘同様大阪人以外では知る人は少ないかと思う。私の言葉で言うと、大阪の中心梅田裏、梅田北側の繁華街・茶屋町を10分ほど歩いた古い民家が密集したところである。今から16年前、その茶屋町に34階建のホテル阪急インターナショナルがオープンしたが、この時期から茶屋町一帯は多くの高層ビル群となった。大都市の成長はとどまるところを知らないといってしまえばそれまでだが、東京でも中央区銀座裏の月島や豊洲など同様のビル群が林立する大都市の風景となった。これも一極集中と呼ばれることであるが、その再開発の是非は別として、衰退する街もあれば、逆に横丁路地裏に賑わいが生まれることもある。中崎町も見事なぐらい「梅田裏」である。
今回中崎町を選んだのは数年前から大阪の若い世代が古い町並みと共にその路地裏に多くの個性的カフェがあり、「私のお気に入りカフェ」となっていることに興味を持ったからであった。若い世代の隠れ家といっても構わない世界である。30軒とも、40軒以上とも言われているカフェをどう観察したら良いのかわからないので、大阪の友人に案内してもらった。実は数年前から中崎町のカフェ探訪をブログにも公開している友人である。







回遊性の高い地形

写真は最も中崎町らしさを見せている通りと路地である。蛇行した通りに木造家屋、そんな通りや路地裏・路地奥に特徴あるカフェがある。梅田裏とは言え、いまだに古い住宅エリアがあるのは極めて珍しい。しかも、空堀が坂の多い地形であるのに対し、中崎町はほぼ真っ平らな土地で、レトロな町並みに抱かれてカフェ巡りするには格好の環境にあることがわかる。しかも、路地裏が多く隠れ家という探検場所としてもふさわしい場所となっている。東京上野裏の谷根千と比較しても、谷根千は寺町で坂が多く歩きにくい場所である。そして、中崎町の最大特徴は高層ビルやマンションはほとんど視界には無く、あるのは古い住居のみで、しかもそのカフェの密度が極めて高い点にある。つまり、カフェ巡りの楽しさを満喫できる、回遊できる地形にあるということだ。

多様なスタイルのカフェ

中崎町というキーワードで検索すると、ブログなどに見られるカフェには必ずつく表現に「カフェ激戦区」がついている。案内してくれた友人曰く、新しいカフェも出来てはいるが、閉めるカフェも多い。ほとんどが個人事業であることからある意味簡単に個人の思いや趣味でできる業態であるということである。
中崎町を散策していたところ、「ピピネラキッチン」(旧店名GOHAN-YA CAFE Kitchen)という店の名前を見ながら、大阪から初めて「おいしい店リスト」をHP上で公開した佐藤尚之氏(さとなお)の話をしていたところ、ちょうど店をオープンするため来られた店主の方とひとしきり立ち話をした。さとなおのおいしい店リストには中崎町から唯一リストされた店で、ある意味中崎町の歴史を物語っている店である。以前は築90年の古い家を手作りで改装した一軒家料理店で身体にやさしい料理を出す店であった。2000年台半ばからは夜の営業を止め、昼だけのカフェに変えたようにカフェ競争の一翼を担っている店である。








例えば、左の写真は路地奥にある「Zipangu Curry Cafe」。看板や店頭を見る限り、アメリカンPOPのような表情を作っているが、実は「和風カレー」の専門カフェである。価格もほとんどが1000円未満で女性に人気の店となっている。
もう一枚の右の写真は「PLUG」という多国籍料理が楽しめる食堂である。数年前から「食堂」が若い世代にも人気の業態となっているが、このPLUGはニューヨークの食堂をイメージしたオープンキッチンの店である。通りから少し横丁に入ったところにある人気のカフェレストランである。

隠れ家と言えば、路地に入ったところに緑に覆われた一軒家カフェ「天人(アマント)」もてっm系的なカフェであろう。築120年の長屋をリノベーションしたカフェであると言う。「一見さんお断り」とでも表現しているような店であるが、こうした尻込みしたくなるようなカフェに、若い世代は興味を感じるということだ。ちょっと勇気を出して入れば、私だけのお気に入りのカフェということだ。この「天人」は2001年から中崎町を中心に古民家を推進してきた中心カフェとのこと。

友人とここではコーヒーを飲んで談笑したのだが、外国人のカップルが店内を盛んに撮っていたのが印象的で、ああやはり中崎町も訪日外国人の波が押し寄せているなと感じた次第である。

大阪の若い世代にあって最も人気のカフェの一つである「太陽ノ塔」でカフェランチを食べることにした。2002年に路地奥の長屋をリノベーションして誕生したのが「太陽ノ塔」である。リノベーションとは思い通りの造りやカラーでデザインする建物のことだ。JRの高架下手前の狭い路地奥にあることから、それなりに目立つデザインが必要であったのだろう。中に入ると木造家屋らしい佇まいで落ち着いた空間となっていて外観のデザインとのギャップを感じさせるが、若い世代にとってこれも面白いということなのだろう。
食べたランチは雑穀米のご飯に味噌汁。おかずはいくつかあるものの中から3種類選べるもので、サバの味噌煮とサーモンの煮物、それにかぼちゃの煮付け、野菜サラダを選んだ。今や定番となっているヘルシーな「おばんざい」ランチ(税別980円)である。味つも優しいもので、なかなか美味しかった。

個人事業が主となっている中崎町のカフェにあって、「CAFE太陽ノ塔」は15年という時を経て、ケーキなど異なるメニュー業態の店を現在9店舗を構えるように成長している。チェーン業態というより、立地やスタッフの意向を踏まえた個性的な店舗による出店のようだ。ただ、カフェスタイルは変わらない店作りということのようであっる。
今回取り上げたカフェの他にも中崎町にはベトナム料理の店や手作り雑貨の店も数多くあって、若い世代、特に女性にとって町歩きの楽しさを倍加させる人気エリアとなっている。
ところで案内してくれた友人は17軒のカフェを巡りブログに公開しているのだが、当たり外れもかなりあると話してくれた。「まあ、6勝11敗ぐらいかな」とのこと。更に、以前あったカフェがいつの間にかなくなっていたり、新しいカフェもまた生まれている、そんな町であるとも。こうしたカフェの新陳代謝、変化も若い世代の関心を惹きつけている理由の一つになっている。

「レトロな町のカフェパーク」と書いたが、別の表現をするならば、カフェのテーマパークということである。未来塾では「テーマパーク」という考え方を何回か取り上げてきたが、豊かな時代の競争軸になったということでもある。一般的、平均的、横並びでは誰も満足しない時代にいるということだ。中崎町のカフェパークは2000年代初頭から始まり、ほぼ15年を経て一つの「賑わい」を見せる地域となった。やはり特徴ある町づくりには相応の時間が必要であると言うことだ。

中崎町のカフェ観察を後にして梅田茶屋町まで歩いたが見慣れぬ高層ビルが林立し少々驚かされた。その中の高層ビルの一つが大阪工大のキャンパスとなっているとのことで21階の学食「菜の花食堂」まで上がったが、ここの食堂から大阪城を見ることができてなかなかのものであった。学生だけでなく一般客も利用可能で、鮭定食などモーニング(300円) 8:00~10:00、お皿に盛り放題のランチ(700円) 10:30~14:45 となっていて、食い倒れの街大阪らしさのある学食であった。
ちなみに、この大阪工大キャンパスは2017年4月にオープンしたが、受付の方に聞いたところ、小学校跡地の再開発事業であったとのこと。近くのお初天神裏の学校跡地にも数年先には商業施設と住居の複合高層ビルが予定されている。梅田の再開発による高層ビル群と梅田裏中崎町の古民家再生タウンとが都市の一つの「あり方」を示していると言えよう。(後半へ続く)
  
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2018年12月02日

未来塾(35)「賑わい再考」(1)前半  

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2018.12.2.

今回の未来塾は東京もそうであるが、都市中心部の再開発の裏側で起こっている「変化」についてである。それは、私が今まで横丁路地裏に新しい「何か」が生まれていると指摘した変化で、一つの街の「かたち」が出来上がりつつある。具体的には大阪人であれば知ってはいる街で、大阪の中心地空掘(からほり)と梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町について3回(前半・中盤・後半)にわたるレポートである。


消費税10%時代の迎え方(4)

にぎわい再考

その良き事例から学ぶ(2)<前半>

大阪空掘(からほり)・梅田裏中崎町、

小さなにぎわいが新たな街を創る


1昨年から未来塾で続けて取り上げたのは地域としては大阪であった。それは時代の変化を最も良く映し出しているからであった。その変化の第一は周知の訪日観光客よるもので、大阪の「街の風景」が一変した。道頓堀を始め、なんばは道具屋筋から黒門市場まで、訪日外国人の波が押し寄せていた。その波は大坂城から再生した通天閣・ジャンジャン横丁といった観光地は勿論のことであった。
もう一つの変化は大阪の中心梅田の変貌で、大きく人の流れが一変したことであろう。周知のように梅田はJRや私鉄が集まる中心街であり、その核となる大阪駅の改装に伴う駅ビル・ルクアの伊勢丹撤退跡の変化である。ルクアイーレという専門店街と共に、地下の飲食街・バルチカと、同じ阪急梅田駅地下の阪急三番街に誕生した巨大フードコートによって、人の「流れ」が一変した。
今回の未来塾は東京もそうであるが、都市中心部の再開発の裏側で起こっている「変化」についてである。それは、私が今まで横丁路地裏に新しい「何か」が生まれていると指摘した変化で、一つの街の「かたち」が出来上がりつつある。具体的には大阪人であれば知ってはいる街で、大阪の中心地空掘(からほり)と梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町について観察したレポートである。
そこには戦災に会わずに古い古民家や長屋が残っていて、そうした建築を再生して新たなビジネスが生まれている。人を惹きつける一軒の店から始まり、点が線になり、そして面になり、そこに新たな「賑わい」が生まれてきている、訪日外国人による賑わい、大阪梅田といった巨大ターミナルにおける賑わい、そうした変化とは少し異なるある種「静かな賑わい」である。その主人公は若い世代。しかも女性たちによる賑わいで、それら賑わいの理由をまとめたレポートである。

古い街から、おしゃれなレトロな街へ

空掘(からほり)といっても大阪人以外にはまるで知らない街であろう。掘という地名に表れているように、大阪城に張り巡らされた三の丸の外堀である南惣構堀(みなみそうがまえぼり)があったところで、水のない空の堀であったことから空堀という名前になったとのこと。この空掘は1945年(昭和20年)の大阪大空襲では奇跡的に焼失を免れ、大阪の中心部でありながら昔ながらの長屋などが残り、狭い路地が複雑にめぐっている街である。ちょうど東京の上野裏にあたる谷根千(谷中、根津、千駄木)が空襲を免れたのとよく似ている、そんな古い街である。この空掘の中心には、松屋町筋から谷町六丁目、上町筋までの約東西800メートルに空堀商店街がある。NHKのブラタモリのロケ候補地に選ばれ、映画『プリンセス・トヨトミ』のロケ地にもなる、そんな昭和の匂いのするレトロな街である。

住民のための日常商店街

大阪の商店街と言うとまず真っ先に思い浮かべるのが天神橋筋商店街となる。南北2.6キロにわたり商店の数も600店という日本一長い商店街で、例えば大阪名物のたこ焼きも一味違ったたこ焼きを食べさせる「うまい屋」や、お好み焼きであれば名店「千草」がある。空堀商店街はそうした特徴のある商店街ではない。地元住民の日常生活に必要なドラッグストアやスーパー、定食屋、酒屋、豆腐屋、乾物屋、和菓子屋、パン屋といった業種の商店が軒先を連ねている。









実は空掘と呼ばれている地域は西の松屋町筋から東に向かって、空堀商店街、はいからほり商店街、空堀どーり商店街の3つで構成されている。この3つの商店街のどこに若い世代、特に女性たちを惹きつけるものがあるのか、歩いてわかったことだが、街の変化の芽が出てきていることがわかる。
この3つの商店街のほとんどは周辺住民の日常生活を支えている古い商店ばかりである。この商店街の特徴は昭和の時代を感じさせる商店ばかりで、ある意味どこにでもある商店街である。実はなだらかな坂の商店街になっていて堀のあった時代を感じさせる。平日の昼に歩いたので未だ活気を見せてはいなかったが、シャッター通り化してはいない、地元住民の需要に応えた商売をしていることがわかる。

新しい風が吹き始めている

大阪の友人から新しい変化の芽が空掘に起きていると聞いたのだが、ビジネスで大阪には新幹線で日常的に通っていたが、空掘という地名は聞いたことが無かった。その空掘に新しい芽が出始めていると。それは3つの商店街の北側と南側の古い長屋やアパート、あるいは住居をリノベーションした店舗が生まれ、若い世代、しかも女性たちが集まり始めているということであった。
実際に歩いて観察したのだが、3つのリノベーションした建物を核にまだまばら状態ではあるが小さなカフェや雑貨店、古着ハウスが点在していた。実は空堀界隈の長屋の保存・再生する会社「長屋すとっくばんくねっとわーく企業組合」によるプロジェクトであった。

再生は「惣(そう)」から始まる

実は古い長屋の再生は結構古くから始まり、2002年(平成14年)築90年を超す長屋2件を5つの店舗にした 長屋再生複合ショップ「惣(そう)」が誕生する。
この「惣」の由来は江戸時代の大坂の「町衆」の自治組織を意味しているとのこと。後に法人となる「からほり倶楽部」がプロデュースした複合施設であるが、そのポリシーにもあるが、「空掘のまちが好きな人たち」によって誕生したとのこと。これもちょうど東京上野裏の谷根千が4人の主婦による地域雑誌を創刊した時の理念と全く同じものであった。4人の主婦の考えに共感した住職を始め谷中ぎんざ商店街のメンバーが集まり、結果一大観光地になったことは周知のとおりである。
この「惣」が先駆けとなって練、萌へとつながっていく。現在は北と南の2つの長屋には飲食店や雑貨店など10店舗が入った複合商業施設である。1階奥には雑貨カフェがあり若い女性が喜びそうな店舗となっている。他にもリサイクル着物や美容室、更に夜になればレトロな空間の中で酒を楽しむバーもある。どの店も数坪の店で全てが手作り感溢れる店となっている。

空堀文化の拠点「萌(ほう)」

工場兼住宅をリノベーションして2004年誕生したのが複合文化施設「萌(ほう)」である。どの街にも歴史はある。そして、空堀にもそれらの痕跡となる多くの史跡が残されている。直木三十五の文学碑や近松門左衛門の墓など、そうした町民文化を残し、人々が集い、語り合い、共有できる拠点を目指すとのこと。
商業施設萌には小さなカフェを始め銭湯をコンセプトにした「橋の湯食堂」、シェアオフィス、手作りコサージュなどの雑貨店など、そして直木賞という名を残している作家直木三十五記念館などが入っている。









東京谷根千にも森鴎外記念館を始め、朝倉彫塑館、浮世絵を展示している寺町美術館、谷中レッドハウス ボタンギャラリー、江戸時代の時計を集めた時計博物館など、散策するシニアは多い。疲れたら後に詳しく書くが、1955年築の木造アパート「萩荘」をリノベーションしたHAGISOのカフェで一休みするというのが一つのコースになっている。「萌」も規模は小さいが同じコンセプトである。

お屋敷再生複合ショップ「練(れん)」

3つ目の再生施設は松屋町駅近くのお屋敷再生複合ショップ「練(れん)」である。その屋敷の原型は江戸時代のもので、明治維新、大阪大空襲、高度経済成長と、激動の時代を生き抜いてきた屋敷は登録有形文化財に登録されている。この練の歴史は古く、江戸時代の「小森家住宅」で、小森家の稼業は晒蝋(ロウ)の製造を営んでいたと記録がある。明治以降、いくつかの古い屋敷の移築などが行われきたと案内パンフレットには書かれている。戦後においても芦屋の別荘を移築した元病院のお屋敷と蔵をリノベーションしたように多くの時の変化の痕跡を残した建物になっている。






1階と2階には15のショップが入っており、カフェを始めとした飲食店や、手作り雑貨のショップなど他にはない店が古いレトロな空間に収まっている。やはりここでもカフェが人気で数人の行列が見られてはいるが、歴史を強く感じさせる空間にあっては行列という風景は練にとってはそぐわないことは事実であろう。
こうした再生ショップの他にも若い世代、女性を惹きつけるショップも空掘商店街の特に北側には点在している。洋服を含めた雑貨ショップや飲食店である。勿論、古い民家をリノベーションしたショップである。
空堀商店街についてなだらかな坂の商店街であると書いたが、どちらかというと商店街はいわば台地にあって、北側と南側へは急な坂道になって下っている。特に、南側の住宅へは坂道は急で、長屋などの再生を果たしたとしてもショップを散策がてらに回遊するには少々負担がある、空掘はそんな地形のエリアである。

















そうした空掘の街に中心となっている商店街にも新しい変化が起き始めている。その第一は数年前大阪に「カレーブーム」が起きて東京にもその情報が届いていたことがあった。その中の1店であると思うが、独自なスパイスで若い世代を虜にした「旧ヤム邸」というカレー専門店が空堀商店街の中ほどにある。出店した理由は定かではないが、若い世代を顧客として考え、空掘の再生ショップを訪れるような環境立地は良いと考えてのことだと思う。そのことは店の店頭写真を見てもわかるように古い店舗をリノベーションしたレトロ感溢れる世界を表現している。OLD NEW、古が新しいとする世界は若い世代にとって経験したことのない「新しさ」を感じる世界であるという良き事例である。このことは5年ほど前に未来塾にも書き指摘したことだが、若い世代の人気スポットとなった東京吉祥寺ハーモニカ横丁の賑わいを見れば理解できることと思う。OLD NEWは都市部の若い世代にとって、無くてはならないオシャレなセンスになったということである。
これは仮説ではあるが、「インスタ映え」というキーワードが時代のキーワードになっている。このインスタ映えには、「自分を見て欲しい」という表現欲求と共に、「遠い過去」から見つめられたい、古の眼差しを感じたい、とした欲求があると考えている。前者はバラバラになった個人化社会における承認欲求があり、後者には古に「癒し」とか「温もり」、あるいは時代を超えた「人間」を感じ取りたい、そんな言葉にはならない感情を持って空掘の再生施設を訪れていると考えている。勿論、足りない点はいくつもあるが、こうした「文化」を核とした町おこしは多くの時間を必要とする。そして、次の観察地である中崎町を比較するとその足りない点も明確になる。(続く)
  


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