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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2017年01月15日

来塾(27)「パラダイム転換から学ぶ」 働き方が変わる(前半)

ヒット商品応援団日記No669(毎週更新) 2017.1.15.

バブル崩壊以降、産業構造が変わり、働き方も変ってきた。今回はそうした変化の象徴的な事例として電通の過労死事件という社会的事件を軸に経営・働き方共にどんな変化が求められているかを主要なテーマとした。

「パラダイム転換から学ぶ」

働き方も変わってきた
電通の過労死事件から見える
その「ゆくえ」


第12回(1998年)
 コストダウン さけぶあんたが コスト高

第14回(2000年)
ドットコム どこが混むのと 聞く上司 

第21回(2007年) 
「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!

第一生命「サラリーマン川柳」より


パラダイム転換というテーマを取り上げてきたが、その中でもライフスタイルの中核となっているのが「働き方」の変化である。上記の川柳はこの」「働き方」をテーマとした毎年行われるサラリーマン川柳の優秀作である。新語・流行語大賞と共に時代の空気感を映し出し、そうだなとクスッと笑えるのが川柳である。時代の変化として、1990年後半はデフレの時代らしく「コストダウン」は等しく各企業に迫った課題であり、「ドットコム」というインターネット時代の幕開けとそのためらいがうまく表現され、そうした時代の変化の波はダイレクトに現場「上司・部下」に襲いかかる、そんな「働き方」が川柳となっている。

和歌は貴族文化の季節行事として残っているが、庶民が本格的に言葉遊びを楽しみ始めたのは江戸時代の川柳であった。川柳という「遊び」だけであれば笑って済むのだが、現実の深刻さには笑うことができない、そんな時代の真ん中にいる。
この深刻な現実を象徴するような事例、ある意味社会的事件となったのが電通における過労死事件であろう。2015年12月に新入社員であった高橋まつりさんが社宅で自殺した事件である。この死が長時間労働による過労死として労災認定され、昨年10月以降電通本社・支社に労基法違反で強制調査が入った事件である。
昨年7月以降「パラダイム転換から学ぶ」というテーマで4回にわたって学んできた。その中でも転換のポイントであったのが、昭和から平成へと、日本の産業構造が大きく変わり、企業はやり直しを命じられた点であった。今回はこうした「働き方」変化に対応できなかった企業、そして働き方のやり直しに取り組んだ企業、この2つの事例を通じて学んでいくこととする。

産業構造の変化に遅れた電通

「パラダイム転換から学ぶ」(1)”概要編”では、戦後の大きな転換点であるバブル崩壊、昭和から平成へと向かう変化について考えてきた。その変化の概要について再喝すると以下のような変化となっている。

『戦後の日本はモノづくり、輸出立国として経済成長を果たしてきたわけであるが、少なく とも10年単位で見てもその変貌ぶりは激しい。例えば、産業の米と言われた半導体はその生産額は1986年に米国を抜いて、世界一となった。しかし、周知のように現在では台湾、韓国等のファ ウンド リが台頭し、メーカーの ランキングではNo1は米国のインテル、No2は韓国のSamsung である。世界のトップ10には東芝セミコンダクター1社が入るのみとなっている。 あるいは重厚長大産業のひとつである造船業を見ても、1970年代、80年代と2度にわたる「造船大不況」期を乗り越えてきた。しかし、当時と今では、競争環境がまるで異なる。当時の日本は新船竣工量で5割以上の世界シェアを誇り、世界最大かつ最強の造船国だった。しかし、今やNo1は中国、No2は韓国となっている。
こうした工業、製造業の変化もさることながら、国内の産業も激変してきた。少し古いデータであるが、各産業の就業者数の 構成比を確認すればその激変ぶりがわかる。
第一次産業:1950年48.5%から1970年19.3%へ、2010年には4.2%
第二次産業:1950年15.8%から1970年26.1%へ、2010年には25.2%
第三次産業:1950年20.3%から1970年46.6%へ、2010年には70.6%
*第三次産業におけるサービス業に分類されないその他は含まれてはいない。』
そして、その変化に対応するように働き方も「個人労働」=多元価値労働、多様な時代へと向かってきた。その価値観の転換を整理すると以下のようになる。

○平均値主義(年功序列)     →  □能力差主義(個人差、キャリア差)
○永久就職(安全、保身)   →  □能力転職(自己成長)
○肩書き志向(ヒエラルキー) →  □手に職志向(スペシャリティー)
○一般能力評価        →  □独自能力評価
○労働集約型労働         →  □知識集約型労働
○就職(他者支配)      →  □天職(自己実現)
○総合能力(マイナス評価)  →  □一芸一能(プラス評価)

ところで、戦後の産業の中で新たな産業として急成長したのが広告業界であり、その先頭を走ってきたのが電通であった。
その電通であるが、実は戦前からの企業であるが、戦後の新たな産業、日本経済の成長とともに収入も増えモノを求める生活者の消費に照準を合わせた「広告ビジネス」の今でいうベンチャー企業としてあった。このベンチャーのいわば創業者である吉田秀雄社長が掲げたのが「鬼十則」という電通マンの行動規範である。部分しか報道されていないのでその全文を載せることとする。

1、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

敢えて全文を載せたのは、個人労働としての働き方とベンチャー企業ならではの働き方、社内外の競争環境下での働き方がよくわかる規範となっている。電通は戦前電報通信会社としてスタートしたこともあって、まるで記者が夜討ち朝駆けしてスクープを獲得するかのような「鬼十則」となっている。この文章からも分かるように長時間労働は社内風土として当たり前であったことがわかる。私も若い頃同じ広告業界に席を置き、電通とはクライアントとの間で競争してきたこともあり、その優秀さと取り組みの激しさを実感してきた一人である。



広告メディアの変容

ところで広告業界もまたバブル崩壊後大きな変化の波を受けることとなる。周知のインターネットメディアの登場である。自殺された高橋まつりさんもこのネットメディアの広告業務に席を置いていたことは象徴的である
というのも電通の急成長を促したのが戦後の新しいメディア、特にTVメディアへの取り組みで高度成長期を通じ収入が増え豊かな生活を新商品で埋めていく、そんな一億総中流時代にはTVメディアは最適なマスメディアであった。しかし、1990年代後半インターネットメディアが次第に生活者の生活そのものに浸透していくにしたがって、TVメディアを主体としたマス4媒体(TV、新聞、雑誌、ラジオ)の相対的価値が落ちていくこととなる。ちょうど消費においてもデフレの嵐が吹き始めた頃である。

広告業界も価格競争へ

当時デフレを代表する企業といえば、吉野家、日本マクドナルド、ユニクロ、そして楽天市場であった。「低価格」という一つの魅力の時代を創った企業である。こうした企業は顧客接点を持った専門店であったが、実は広告業界もまた裏側においては激烈な広告会社同士の価格競争が行われていた。それまでのマスメディアの価格設定はメディア側の定価に対し、一種の掛け率のような設定が行われ、メディアを仕入れる中間役の広告代理店が広告出稿するクライアントと相談して実勢価格を決めていくという方法であった。
しかし、この1990年代では特にTVメディアの場合がそうであるが、広告効果の一つの指標となるGRP(グロスレイティングポイント/総視聴率)という考え方が取り入れられ、広告代理店によるメディアの競争入札・コンペが行われるようになる。マス広告するエリアの大小によって異なるが、1GRP〇〇万円といったようにコンペが行われる。つまり、購入目標とするGRPを安く提示した広告代理店が勝って担当するということである。しかも、メディアと広告内容(CMなどクリエイティブ内容)の代理業務委託が分離され、より高い効率・効果を求める段階へと移行して行く。結果、メディアの取扱量が利益を左右する仕組みであった広告会社は経営を支える根底が崩れ、それまであった多くの広告代理店が破綻もしくは整理統合されていくことになる。そして、この価格競争に勝ち抜いたのも電通であった。

ところが、インターネットが生活のあらゆるところに浸透する時代におけるメディア価値は更に劇的な変化をもたらすことになる。それまでの一方通行型のTV広告におけるGRPという考えの広告から、無料を原則とした双方向型のネットメディアへ。しかも掲出した広告が何回クリックされたか瞬時に分かる仕組みとなり、そのクリック回数単位で価格が決まっていくことになる。つまり、視聴という「結果」に対する価格ということになる。しかも、効果がないと分かればある意味簡単に広告内容を差し替えることも可能となる。
そんな現代のメディア事情であるが、2015年ネット広告は1兆1594億円で全広告費の18.8%を占めるまでに成長する。ちなみにTV広告は1兆9322億円、新聞広告は5679億円でネット広告の半分ほどとなっている。この部署に亡くなった高橋まつりさんが席を置き、日常的に「結果」が求められる競争環境、しかも結果が出なければスピードを持って広告内容の変更を重ねていく、まさに個人労働の世界である。
・・・・・・結果、長時間の加重労働となり、しかも経験を持たない新入社員にとっては極めて過酷な業務内容・労働環境であったと推測できる。
ベンチャー企業、いや創業期の働き方

電通のように「鬼十則」という行動規範を定めた企業は珍しいが、町工場からスタートし、世界有数の企業に成長したソニーも、ホンダも、そして最近ではユニクロも、今日風にいえば創業期はブラック企業であったと言えよう。
例えば、電通マンにとって「鬼十則」があるように、ソニーにも創業者井深大氏、盛田昭夫氏以来、引き継がれているのが「ソニースピリッツ」。 誰も踏み込まない「未知」への挑戦を商品開発にとどまらず、あらゆる分野で実行してきた。
世界初のトランジスタラジオの開発以降、「トリニトロン」「ウォークマン」「デジタルハンディカム」「プレイステーション」「バイオ」「ベガ」「AIBO」…。日本の企業としては初めてのニューヨーク証券取引所に株式を上場。公開経営あるいは執行役員制の導入。新卒者への学歴不問採用等。多くの日本初、世界初のチャレンジを行ってきているが、その根底には、創業精神「他人がやらないことをやれ」という不可能への挑戦が、ソニーマン一人ひとりに根づいていることにある。与えられた仕事を朝9時から働き夕方5時には退社するといった、時間で働くといった働き方とは全く異なる働き方であった。研究開発ばかりでなく、営業もサンプル商品を持って世界各国に営業に回ってきたわけで、創業期とは昼夜なく、働いた時代であった。

昨年秋に創業期のリーダーとはどんな働き方をし、その働き方を社員が見て自らの働き方としたか、そんな「創業期の生き方としての働き方」について、ユニクロの柳井会長をはじめ次のようにブログに書いたことがあった。そして、何故創業者を取り上げたかというと、つまり「今」創業期に学ぶ必要があるのかと言えば、実は創業期には理想とするビジネスの原型、ある意味完成形に近いものがある。ビジネスは成長と共に次第に多数の事業がからみあい複雑になり、グローバル化し、視座も視野も視点もごちゃ混ぜになり、大切なことを見失ってしまう時代にいる。よく言われることだが、困難な問題が生じた時の創業回帰とは、今一度「大切なこと」を明確にして、未来を目指すということである。そのユニクロの柳井会長は昨年度の値上げの失敗を認め見直しを行うとの記者発表があったのだが、そんな創業者について、私が感じたことを以下のように書いた。

『デフレを認め、その上での価格戦略、値上げの間違いを認めていた点にある。その見直しを踏まえた転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロという社名にあるように「ユニーククロージング」を次々と発売してきた。最初があの「フリース」である。GAPの物真似であると揶揄されながらも、GAPのコンセプトのように、男女の差も年齢の差も超えた服として利用され大きな顧客支持を得た。以降、英国進出の失敗などあったが、新素材開発に力を入れた「ヒートテック」、ソフトな履き心地の「UNIQLO JEANS」、「ブラトップ」・・・・・・・・ある意味社名にある「ユニーク」な商品をどこよりも早く開発し発売してきた。こうした「ユニーク」商品の「軸」となるのが今回の「Life Wear」というコンセプトである。』
この「Life Wear」が柳井会長にとって、ユニクロにとって「大切なこと」としてある。つまり、ユニクロがユニクロである理由、原点がここにあるということである。
創業者であればこそできることがある。サラリーマン社長の場合は株主ばかりに目が行き、ストレートに問題に迫った見直しなどできない。電通の吉田社長も、私が仕事をさせていただいたダスキンの創業者鈴木清一社長も、隣のチームが担当しておりその働きぶりを聞かされていた日本マクドナルドの創業者藤田田社長も自らストレートに問題解決へと向かっていた。創業者亡き後はいわゆるサラリーマン経営者となり、悪く言えば「普通の会社」になってしまったということである。普通であれば、至極簡単に言えば自然に業績を下げることへと向かっていくものである。多くの専門家は経営におけるリーダーシップの欠如を指摘するが、オーナー創業者であればこそ、決断ができることがある。独断的・専制的に外目には見えるが、「普通」であったら成長などできないことを一番よく知っているのが創業者である。普通ではなかったからこそ「今日」があることを嫌という程骨身にしみているのが創業者ということだ。これは勝手な推測ではあるが、ユニクロに求められているのは第二の創業、もっと明確に言えば第二の「柳井正」が次から次へと登場することが待たれているということである。勿論、次なる「ビジネスの理想形」を構想でき、しかも実行できる胆力のある人物ということになる。

仕事内容は常に変わる時代

実は売り上げを見れば国内ではダントツNO1である電通も根底から変わらなければならなかったということである。その第一はメディアが従来のマスメディアからインターネットを活用したそれこそ多種多様なネットメディアに移行しており、メディアの対象が「マス」から「個人」となった時代である。そうした時代にあっては、広告代理業ではなく、自らがメディアを創り、個人と直接繋がる、そんなマッチングサービスを行うIT企業に転換しなければならなかったということである。極端かもしれないが、確か2006年にグーグルが動画投稿サイトのYouTubeを買収したが、これはそれまでのテキスト主体の検索連動型広告からYouTubeのようなユーザー参加型の動画サイトにまで手を広げ始めた象徴例であった。こうしたことの対応策として、マイクロソフトが動画検索技術会社の米blinkx(ブリンクス)と提携したことが報じられていた。既に時遅しではあるが、自社に動画検索技術がなければ買収でも提携でも良いし、こうした「次」のマッチング広告分野に本格的に進出すべきであった。

広告の進化は、まずマスメディア効果が相対的に半減した時代から、膨大な情報が交錯するネット世界のビジネスリーダーが検索エンジンへと移り、そこから新しい広告分野・マッチング広告が生まれ、更にテキスト主体のものから動画へと移行してきた。これがわずかここ15年ほどの間に一挙に進んできたのが現実である。そして、こうしたネット広告の世界は、旧来のマスメディア広告とは経営から働き方まで根底から異なる。少し極端な表現になるが、それはアナログ世界からデジタル世界への転換であった。電通もIT企業に変わらなければならなかったというのはこのことを意味する。

「今」という時代にあっても、創業期にあるという認識

そして、「時代の働き方」という言い方をするとすれば、「安定」とは無縁の時代であるということである。創業期の企業風土、特に精神風土をどのように「今」に変化させていけば良いのかということになる。
例えば、東京オリンピック2020における競技施設に関し、盛んにレガシー・遺産というキーワードが使われた。次の世代に残すべきものという意味であるが、その多くは形あるもの、競技施設がわかりやすいため議論はそこに集中し終わってしまう。しかし、受け継ぐものが形あるスポーツ施設もあるが、実はその裏側にあるスポーツ文化こそ継承されなければならない。この文化は実は「人」が創って行くもので、創業者の「生きざま」を目の当たりにし、感じ取ることによって伝承される。施設という形あるものは次の世代に活用されていくという意味はある。しかし、施設は利便としてのモノで終わる。それ以上でも以下でもない。つまり、施設は時が経てばただ古くなるだけで、「過去」(歴史)から生まれ出る「広がり」は少ない。創業期に感じた「人」しか、次世代の「人」に伝えられないということである。伝承という言葉があるが、それは伝統職人の世界だけではない。あのビジネスの師と言われたP,ドラッカーはビジネスには「徒弟制度」が必要であると語っていた。徒弟制度というと、何か前近代的なことのように思えるが、それは「教え=学び」を通した成長の仕組みであって後継者を育てることを意味している。そして、それは技術的なことだけでなく、仕事への「思い」も含まれる。その思いには創業者の思いが痕跡としてある。それが人から人へと伝わり、企業風土、社風となる。思いの伝承といったら大仰であるが、感じ取った人が次の人へ伝えれば良いのだ。つまり、徒弟制度には人間的な成長を促す教育の仕組みがあるということである。
パラダイムが大きく変わる時代とは、いわば真っ白な紙に絵を描く行為が求められているということである。ましてや、日本は米国との関係が密接不可分であり、今回誕生したトランプ米国はそれまでの関係の真逆を行こうとしている。であればこそ、創業期がそうであったように、どんな変化にも対応できる「理想形」を追求しなければならないということである。

グローバル化という働き方のパラダイムシフト

来塾(27)「パラダイム転換から学ぶ」 働き方が変わる(前半)


平成に入り日本の産業構造が大きく転換したことは既に述べたが、1990年代半ば「産業の空洞化」が大きな注目と話題を集めたことがあった。中小企業までもが中国に製造拠点を移し、国内産業が雇用を含めて衰退してしまうのではないかということであった。
実は最近の海外進出はどうかと調べてみたが、今なお増えていることがわかる。そして、外務省による海外在留邦人数の推移であるが、「人」も増え過去最多の132万人近くに及んでいる。国別の在留邦人数では、「米国」在留が41万9610人(全体の約32%)でトップ、次いで「中国」が13万1161人(同10%)、「オーストラリア」8万9133人(同6.8%)。米国で5000人以上、オーストラリアで4000人以上増加した一方、中国は工場労働者の賃金上昇もあって、より安いベトナムやインドネシアなどへの工場移転もあって2700人減となっている。
そして、世代別の内訳を見てみると最も多かったのが20歳未満の29万7322人。全体の23%を占めた。これに続くのが、40代27万6279人(21%)、30代24万7874人(19%)、60歳以上17万6645人(13%)。20代は15万3341人(男性6万5825人、女性8万7516人)で、全体の比率はわずか11.6%だった。ところで20歳未満はいわゆる家族での海外赴任であるが、数年前から話題となっている若い世代の海外勤務嫌い、国内=安定志向が強く出ており、20代はわずか15万3341人となっている。ここでも皮肉なことに高齢化が進んでいる。つまり働き方の多様化が言われて久しいが、海外という働く場の拡大とその増加は産業構造の変化を映し出したものとなっている。2016年の訪日外国人数が2400万人を超えたが、一方では海外への企業進出&勤務はグローバル化を更に進行させるそんな象徴的なものとなっている。(後半へ続く)



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Posted by ヒット商品応援団 at 13:11│Comments(0)新市場創造
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