2006年07月19日
三方よし
ヒット商品応援団日記No82(毎週2回更新) 2006.7.19.
前回、近江商人の商いの心得について触れたが、今日のビジネスあるいはCSRといった企業の社会的責任について示唆的な内容を持っているので「三方よし」について私の考えをコメントしてみたい。「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という三方が良しとした近江商人が到達した「商いの精神」である。ところで日本の商人とはかくあるべしと一つの潮流を作ったのが周知の石田梅岩である。江戸時代の当時は士農工商という身分制度のもとで、物を右から左へと移動させるだけの商人を卑しいものとして見ていた。しかし、石田梅岩は欲しい物を欲しい人に交換させる社会的意義を語り、利潤は正当なものであると明確にした。但し、その利益を得る前提として、売り手、買い手双方にとって利益を生むものでなくてはならいと商道徳を説いた。この考え方は江戸末期の二宮尊徳や明治時代の渋沢栄一へと受け継がれていく。ある意味でこうした考え方を現場で実践したのが近江商人で、私達にとってより分かりやすい一つの物差しとなっている。今、近江商人発祥の地である滋賀県の経済同友会では、相次ぐ企業の不祥事を踏まえ、この「三方よし」に取り組み始めている。詳しくはHPをご覧いただきたい。(http://www.shigaplaza.or.jp/sanpou/index.html)ところでこの近江商人の心得には私達にとって活用しえる物差しが沢山あり、その一部をピックアップしてみた。
しまつしてきばる/ビジネスマンの心得
滋賀県近江ばかりでなく京都などでも耳にする日常の心構えである。倹約につとめて無駄をはぶき、普段の生活の支出をできるだけ抑え、勤勉に働いて収入の増加をはかる生活を表現している。「しまつ」は単なる節約ではなく、モノの効用を使い切る、生かしきることであり、「きばる」は、「おきばりやす」という挨拶につかわれているくらい日頃から親しまれた言葉である。近江商人の天性を一言で表現している。
暖簾(のれん)/ブランド資産
近江商人の家訓に「暖簾」という文字を見出すことは難しいと言われている。しかし、奉公人に別家(暖簾分け)を認める際の祝い品のなかには、たいてい暖簾が含まれている。それは、大切な屋号を長年の勤功と信用の証しとして与えているのである。主家の一統であることを示す暖簾は、世間の信用も厚く、別家として独立した商売を始めようとする奉公人にとっては、何よりの資本といえるものであった。今日でいうところのブランド資産である。
乗合商い(のりあいあきない)/一種のコラボレーション
多店舗展開のための資金調達の方法として創出されたのが、乗合商い(組合商い)と呼ばれる一種の合資形態をとった共同企業の形成である。酒造業を中心とする矢尾喜兵衛家の出店網は、地元の酒造業者から施設店舗を居抜きで借り受け、奉公人を支配人として送り込むやり方で作られた。その動機には、資本の有効活用・危険分散・人材の活用という、経営合理主義が貫いていた。
出精金(しゅっせいきん)/モチベーションの仕組み(ストックオプション&ボーナス)
出店する支配人の勤務意欲を刺激するために、給料以外に利潤の一部を配当する制度のことである。出店の決算では、経営資本に対して一割ほどの自己資本利子を課し、それを組み入れた資本額を超える正味財産がその年度の利益となり、算出された利益の一部が出精金として配分された。営業の最低達成目標を示した強制蓄積制と支配人への能率刺激制を組み合わせた、出店管理の経営手法であった。
陰徳善事(いんとくぜんじ)/企業市民としての社会貢献
人に知られないように善行を行うことである。陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じるのであるが、近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なった。文化12(1818)年、中井正治右衛門は瀬田の唐橋の一手架け替えを完成した。1000両を要した工事の指揮監督に自らあたり、後の架け替え費用を利殖するために2000両を幕府に寄付した。
押込め隠居(おしこめいんきょ)/取締役会決定
当主を強制罷免することである。今でいうところの社長交代である。正当な利益を積み上げて築かれた家産を、一己の欲望のために傾けるような当主が出現した場合は、後見人や親族が協議して当主を押込め隠居の処分にした。これは家訓でも認められており、単なるお飾りの文言ではなく、実際に発動されたことのある、生きた条文であった。積み上げられてきた家産は当主の私物ではなく、一種の法人財産と見なされていたのである。
さて、近江商人の経営理念のごく一部であるが、どう感じられたであろうか。”ルールは犯していませんよ。倫理なんて時代によって変わるんだから”と公言したのは堀江前社長。”めちゃくちゃ儲けましたよ”と会見で話した村上代表。石田梅岩の流れをついだ二宮尊徳は「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」と書き留めている。経済も道徳も共に必要である。そして、とことん儲けたビルゲイツも、悪名高いヘッジファンドのジョージソロスも共に慈善事業・社会貢献をしている。いわゆるビジネスと生き方(倫理など)とを分ける考え方である。こうした考え方の中に堀江前社長や村上代表も入るのであろうが、私にとって「三方よし」のようにビジネス=生き方として見ていくことの方が「未来」が見えてくるように思えてしかたがない。今、パロマガス器具の責任回避とも受け止められかねない会見があったが、少し前に同様の不祥事に対し刑事事件では既に時効になってもなおかつ回収に走り回っている松下電器と比較してしまう。マスコミは企業の危機管理を指摘するが、そうしたテクニックも必要であろう。しかし、松下幸之助創業者は「会社は社会の公器である」と名言している。その理念がキチンと現場にバトンタッチされていることの中に、実は未来が見えてくると私は思う。(続く)
前回、近江商人の商いの心得について触れたが、今日のビジネスあるいはCSRといった企業の社会的責任について示唆的な内容を持っているので「三方よし」について私の考えをコメントしてみたい。「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という三方が良しとした近江商人が到達した「商いの精神」である。ところで日本の商人とはかくあるべしと一つの潮流を作ったのが周知の石田梅岩である。江戸時代の当時は士農工商という身分制度のもとで、物を右から左へと移動させるだけの商人を卑しいものとして見ていた。しかし、石田梅岩は欲しい物を欲しい人に交換させる社会的意義を語り、利潤は正当なものであると明確にした。但し、その利益を得る前提として、売り手、買い手双方にとって利益を生むものでなくてはならいと商道徳を説いた。この考え方は江戸末期の二宮尊徳や明治時代の渋沢栄一へと受け継がれていく。ある意味でこうした考え方を現場で実践したのが近江商人で、私達にとってより分かりやすい一つの物差しとなっている。今、近江商人発祥の地である滋賀県の経済同友会では、相次ぐ企業の不祥事を踏まえ、この「三方よし」に取り組み始めている。詳しくはHPをご覧いただきたい。(http://www.shigaplaza.or.jp/sanpou/index.html)ところでこの近江商人の心得には私達にとって活用しえる物差しが沢山あり、その一部をピックアップしてみた。
しまつしてきばる/ビジネスマンの心得
滋賀県近江ばかりでなく京都などでも耳にする日常の心構えである。倹約につとめて無駄をはぶき、普段の生活の支出をできるだけ抑え、勤勉に働いて収入の増加をはかる生活を表現している。「しまつ」は単なる節約ではなく、モノの効用を使い切る、生かしきることであり、「きばる」は、「おきばりやす」という挨拶につかわれているくらい日頃から親しまれた言葉である。近江商人の天性を一言で表現している。
暖簾(のれん)/ブランド資産
近江商人の家訓に「暖簾」という文字を見出すことは難しいと言われている。しかし、奉公人に別家(暖簾分け)を認める際の祝い品のなかには、たいてい暖簾が含まれている。それは、大切な屋号を長年の勤功と信用の証しとして与えているのである。主家の一統であることを示す暖簾は、世間の信用も厚く、別家として独立した商売を始めようとする奉公人にとっては、何よりの資本といえるものであった。今日でいうところのブランド資産である。
乗合商い(のりあいあきない)/一種のコラボレーション
多店舗展開のための資金調達の方法として創出されたのが、乗合商い(組合商い)と呼ばれる一種の合資形態をとった共同企業の形成である。酒造業を中心とする矢尾喜兵衛家の出店網は、地元の酒造業者から施設店舗を居抜きで借り受け、奉公人を支配人として送り込むやり方で作られた。その動機には、資本の有効活用・危険分散・人材の活用という、経営合理主義が貫いていた。
出精金(しゅっせいきん)/モチベーションの仕組み(ストックオプション&ボーナス)
出店する支配人の勤務意欲を刺激するために、給料以外に利潤の一部を配当する制度のことである。出店の決算では、経営資本に対して一割ほどの自己資本利子を課し、それを組み入れた資本額を超える正味財産がその年度の利益となり、算出された利益の一部が出精金として配分された。営業の最低達成目標を示した強制蓄積制と支配人への能率刺激制を組み合わせた、出店管理の経営手法であった。
陰徳善事(いんとくぜんじ)/企業市民としての社会貢献
人に知られないように善行を行うことである。陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じるのであるが、近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なった。文化12(1818)年、中井正治右衛門は瀬田の唐橋の一手架け替えを完成した。1000両を要した工事の指揮監督に自らあたり、後の架け替え費用を利殖するために2000両を幕府に寄付した。
押込め隠居(おしこめいんきょ)/取締役会決定
当主を強制罷免することである。今でいうところの社長交代である。正当な利益を積み上げて築かれた家産を、一己の欲望のために傾けるような当主が出現した場合は、後見人や親族が協議して当主を押込め隠居の処分にした。これは家訓でも認められており、単なるお飾りの文言ではなく、実際に発動されたことのある、生きた条文であった。積み上げられてきた家産は当主の私物ではなく、一種の法人財産と見なされていたのである。
さて、近江商人の経営理念のごく一部であるが、どう感じられたであろうか。”ルールは犯していませんよ。倫理なんて時代によって変わるんだから”と公言したのは堀江前社長。”めちゃくちゃ儲けましたよ”と会見で話した村上代表。石田梅岩の流れをついだ二宮尊徳は「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」と書き留めている。経済も道徳も共に必要である。そして、とことん儲けたビルゲイツも、悪名高いヘッジファンドのジョージソロスも共に慈善事業・社会貢献をしている。いわゆるビジネスと生き方(倫理など)とを分ける考え方である。こうした考え方の中に堀江前社長や村上代表も入るのであろうが、私にとって「三方よし」のようにビジネス=生き方として見ていくことの方が「未来」が見えてくるように思えてしかたがない。今、パロマガス器具の責任回避とも受け止められかねない会見があったが、少し前に同様の不祥事に対し刑事事件では既に時効になってもなおかつ回収に走り回っている松下電器と比較してしまう。マスコミは企業の危機管理を指摘するが、そうしたテクニックも必要であろう。しかし、松下幸之助創業者は「会社は社会の公器である」と名言している。その理念がキチンと現場にバトンタッチされていることの中に、実は未来が見えてくると私は思う。(続く)