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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年11月11日

2009年バッド商品番付(2) 自分仕様の合理性

ヒット商品応援団日記No418(毎週2回更新)  2009.11.11.

今回も引き続きバッド商品について書いてみたい。前回指摘したのが顧客変化に応えられない業態は市場から退出せざるを得ないという点と、過剰を削ぎ落としている時代にあってどう低価格に向き合うかという視点で評価してみた。少し短絡的な言い方になるが、競合を見た類似的な「安さ」と、敢えて求める消費の本質を目指すための「安さ」、この2種類があると思う。今、100円ビールや第三のビールが主役となっているが、10数年前アサヒビールがキリンを追い抜くためにスーパードライを開発した時の開発責任者であった松井康雄氏の言葉、「たかがビール、されどビール」(日刊工業新聞社刊)を思い起こす。その言葉借りるとすれば、「たかが価格、されど価格」の時代にいる。

東の小結 ・・・・・総アウトレット化現象 
西の小結 ・・・・・マイブームからマイ合理主義へ

東の前頭 ・・・・・ひととき消費からロングライフ消費へ
西の前頭 ・・・・・ミーギフトとマイファミリーギフト

東の小結 の総アウトレット化現象であるが、生活のあらゆる領域、衣食住遊休知美に浸透してしまった。アウトレット化現象の根底には低価格要請があるのだが、本来は「定価があって、わけあって安くなりました」という規格外、基準外、季節遅れ、賞味期限間近、チョットした傷有り、展示商品、大量仕入れ、選択肢なし、これだけで終わり、・・・・・こうした「わけあり」故の商品であった。しかし、自店の在庫処分どころか、問屋にある在庫商品をかき集め「わけあり商品」として売っていくようなそれ自体を目的としたセールは論外である。あるいはオーシャンビューではない部屋を0円にする旅館やホテルも出てきて、話題に乗るだけの目的も同様である。
「わけあり商品」を日常化、システム化した先駆者はOKストアであり、旅行代理店のH.I.S.であろう。あるいは最近ではTV東京のソロモン流で紹介された「鎌倉シャツ」のように上質なシャツを半分以下の4900円で販売している。1万円以上するであろうシャツを、されど買い求めやすいようにと工場直轄で作られたシャツである。こうした企業は愚直なまでにポリシーを貫いており、一朝一夕ではエブリデーロープライスはなし得ない。つまり、奇をてらった「わけあり商品」のブームもそろそろ終わったということだ。

少子高齢化の特徴の一つは単身世帯の増加であるが、既に昨年65歳以上の高齢者の単身世帯と夫婦二人世帯が1000万を超えた。人口は減少へと向かってはいるが、総世帯数は増えている。特に、東京の場合は人口も世帯数も増加している。つまり、従来の消費の中心にファミリー、家族をイメージしていたが、この10年間個人を対象としたマーケティングへと変貌してきた。その象徴として、「一人鍋」がヒットし、「ひとりっち」といったキーワードが流行った。私の場合は、そうした個人化社会の進行に伴い、「個族」と呼び、あらゆるものの単位革命が必要であると、このブログにも書いてきた。
それまでの物理的単位、量、サイズと共に、時間単位、スペース単位、あるいは金額の単位、それらの小単位化が進行してきた。それらは「食べ切りサイズ」「飲み切りサイズ」といった具合であったが、それらを称して私は「個人サイズの合理主義」と呼んできた。1990年代の個性化といわれた時代を経て、2000年代に入り好き嫌いを物差しに、若い世代では「私のお気に入り」というマイブームが起きた。しかし、周知のように中流層の崩壊といった経済的理由や就業への不安などによって急速に「お気に入り」から「我慢生活=身の丈消費」へと移行した。そして、その個人サイズの合理主義の延長線上に実は質的変化が出てきた。今回のエコカー減税などにより車が売れているが、それは購入時における助成もあるが以降使用するガソリン等の費用がかなり軽減する、結果お得な買い時商品という合理的な価値観によるものだ。
今、都市部で住宅を購入する場合、従来の戸建住宅とマンション、新築と中古、といった違いを第一の選択理由に挙げる購入者は少なくなっている。最近ではリノベーション住宅が人気となっているように「自分仕様の暮らしを安く手に入れる。」といった理由で、そこには新築or中古といった価値観はない。ある意味、所有価値ではなく、使用価値を第一とする合理主義と言えよう。そうした意味で、今後はエコ単位とか、旧来の概念にはない新しい合理性に基づいた単位へとライフスタイルが変化していく。高機能商品群について書いたように、便利なようだが使いこなせなければ結果損をしてしまうということに気づき始めたということだ。また、今年の夏、エアコンがエコポイントがついたにも関わらず売れなかったが、補助的な除湿器が売れたと言う。あるいは今年の冬の暖房器具類については個人用の電気カーペットを始め個人サイズ商品のものが売れると予測されている。これも新しい個人サイズの合理的商品と言える。

さて、前頭についてだが、前述の「自分仕様の合理性」といった価値観には、ひととき消費からロングライフ消費への志向が読み取れる。ひととき消費の象徴がわけあり商品の激安価格である。注目を浴び、わっと瞬間的な集客や売上を記録するが、それ以上でも以下でもない。最早、「目的買い」があるだけで「ついで買い」はない、という時代に入ったということだ。その「目的買い」の一つが、ロングライフ、長く使い続けられる商品、継続して利用したいお店ということだ。手に馴染む、身体にフィットする、何回食べても食べ飽きない、そんな商品づくり店づくりのためにも、顧客に対し「たかが価格、されど価格」の時代にふさわしい価格を用意するということである。顧客の側も永いつきあいをしたがっているということだ。そのための価格である。キリギリスよりアリ、冒険より安定、変革より保守、不満より不安、大より小、言葉より実感、・・・・・こうしたキーワードがあてはまるライフスタイル観である。これを顧客との関係として表現するならば、「アリ」とは愚直なまでにこつこつと役に立とうとすることだ。「安定」とは、いつ行っても驚きはないが、期待通りのものがある。「不安」とは、安心を強く求めており、そのための情報を常に公開し続ける。「小」は入り口であり、永く付き合うための「小価格」であり、「小サイズ」である。そして、何よりも「実感」、使ってもらうこと、食べてもらうこと、体験してもらうこと、そのための工夫が必要である。もし、バッド商品という言い方をするならば、この真逆の行き方を選んだメーカー、流通ということである。

やっとマスメディアのコメンテーター達もデフレ状態にあることを認め始めた。私に言わせれば、資源輸入国の日本の場合は川上ではインフレ、川下ではデフレ、というねじれ状態が生まれ、何をもって判断するかが難しいが、消費という場面では既に2年ほど前からデフレとなっている。前述の「自分仕様の合理性」ではないが、財布の中身と相談しながら家計の計画経済を行っているのが生活者である。それを私たちは巣ごもり消費と呼んできた。以前、「ハレの日」と「ケの日」があり、消費は大きく「ケの日」へと振れてきたと。つまり、日常使い、普段使いに消費の重点が置かれ、「ハレの日」は減少する。今年もお歳暮のシーズンとなったが、お世話になった方へのギフトではなく、ミーギフト、自分へのご褒美としてシフトされている。バレンタインデーしかり、勿論中元もそうであるが、この時位はという自身への「ハレの日」としてある。意味的に言うならば、例えば百貨店は「ミーギフト売り場」であり、特別な日のための売り場ということである。既に、「自分仕様の合理性」の物差しの中には、お歳暮という考えは入ってはいないということだ。例えば、一昨年の年末のデパ地下ヒット商品であったのが正月のおせちセットであった。年末年始の旅行は止めて、自宅で正月を迎えるものへの代替消費、マイファミリーギフトとしてあった。巣ごもり生活であればこその、一つの合理的な消費移動である。

今年の冬、百貨店で何が売れるか売れないかを注視していくが、その視座は「自分仕様の合理性」という価値観の見極めである。何が自分にとって合理で、何が非合理なのか、その時「たかが価格、されど価格」はどうであったか、そしてどんな消費移動を見せるかをである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:40Comments(0)新市場創造