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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年03月10日

創られる母性ー子を愛せない親たち 

ヒット商品応援団日記No728(毎週更新) 2019.3.10.

相次ぐ児童虐待事件のなかで東京都は子供への「しつけ」と称した虐待防止に関する条例が4月1日施行を目指し議会で検討されている。その条例には問題となっている保護者による体罰禁止などを盛り込んでいるのが特徴となっているが、児童相談所(児相)が警察と虐待に関する情報をすべて共有する「全件共有」までは踏み込んでいないものの、やっと一歩踏み出した。また国レベルにおいても児童福祉法などの改正案も検討され始めた。
一方、こうした子供を守る社会の動きがある中で、東京港区南青山に児童相談所を始め子ども家庭支援センターや母子生活支援施設の複合施設である「港区子ども家庭総合支援センター(仮称)建設について一部周辺住民の反対があり、その反対理由を含め話題となっている。建設への住民説明会における反対意見ではあるが、児童相談所の必要性は認めるものの、「なぜ南青山なのか?」「青山のブランドイメージをしっかり守ってほしい」「土地の価値を下げないでいただきたい」といった意見がTVメディアを通じ報じられている。住民エゴといってしまえばそれで終わってしまうが、南青山というブランドをまとった反対住民はこの程度の認識なのか唖然とする。街は住民によって創られるのだが、こうした反対住民が大半を占める南青山であったら、そのブランド価値を下げていくことは間違いない。それは住民が街の価値をつくるのだが、それを「価値」として評価するのは「社会」である。

ところで2月10日のブログ「想像力を失った社会 」で栗原心愛ちゃんの虐待事件に触れ、躾などといった価値観に囚われ虐待する両親自身に問題の本質があると書いた。それは我が子を愛せない両親自身の悲劇によることが多い。育て方と言うより、「愛し方」を知らない親に生まれた子の悲劇でもある
この点について子を愛せない場合、どうすれば良いのかかなり前に考えたことがあった。そして、それは「母性」の歴史へと向かった。そして、それは母性の発露についてであり、母性は「創られるもの」ということに辿り着いた。結論から言えば、母性は本能の世界でもあるが、実は社会という「周り」によって創られるという事実であった。その母性の究極の形として「捨て子」があるのだが、江戸時代の「捨て子」がどうであったか、興味深い社会のあり様が見えてきた。今から12年ほど前に熊本の「赤ちゃんポスト」のニュースに触れて、「新しい母性」というタイトルで次のようにブログを書いたことがあった。その一部を再録しておく。

『江戸時代はいわゆる「捨て子」がかなり多かったようである。世界に例をみない自然との共生社会であった江戸時代にあって、捨て子に対する人間としての引き受け方は一つの示唆があると思っている。その共生思想の極端なものが、江戸中期の「生類憐れみの令」である。歴史の教科書には必ず「生類憐れみの令」について書かれているが、多くの人は犬を人間以上に大切に扱えというおかしな法律だと思っている人が多い。生類とは犬、馬、そして人間の「赤子」であることはあまり知られてはいない。その「生類憐れみの令」の第一条に、捨て子があっても届けるには及ばない、拾った者が育てるか、誰かに養育を任せるか、拾った人間の責任としている。そもそも、赤子を犬や馬と一括りにするなんておかしいと、ほどんどの人が思う。江戸時代の「子供観」「生命観」、つまり母性については現在の価値観とは大きく異なるものだ。生を受けた赤子は、母性を超えてコミュニティ社会が引き受けて育てることが当たり前の時代であった。自分の子供でも、隣の家の子供でもいたずらをすれば同じように怒るし、同じように面倒を見るのが当たり前の社会が江戸時代である。

私たち現代人にとって、赤子を犬や馬と一緒にする感覚、母性とはどういうことであろうかと疑問に思うことだろう。勿論、捨て子は「憐れむ」存在ではあるが、捨てることへの罪悪感は少ない。法律は捨て子の禁止よりかは赤子を庇護することに重点が置かれていた。赤子は拾われて育てられることが前提となっていて、捨て子に養育費をつけた「捨て子養子制度」も生まれている。つまり、一種の養子制度であり、そのための仲介業者まで存在していた。
私たちは時代劇を見て、「大家と言えば親も当然、店子と言えば子も当然」といった言葉をよく耳にするが、まさにその通りの社会であった。あの民俗学者の柳田国男は年少者の丁稚奉公も一種の養子制度であるとし、子供を預けるという社会慣習が様々なところに及んでいると指摘をしている。江戸時代にも育児放棄、今で言うネグレクトは存在し、「育ての親」という社会の仕組みが存在していた。この社会慣習とでもいうべき考え、捨て子の考えが衰退していくことと反比例するように「母子心中」が増加していると指摘する研究者もいる。(「都市民俗学へのいざない1」岩本通弥篇)』

今、多発する児童虐待事件の論議の中で、「懲戒権」という法改正の論議が巻き起こっている。実は私はこの法律について知らなかったのだが、民法(第820条<監護及び教育の権利義務>)の中に、親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる、とある。この懲戒とはいわゆる「しつけ」と称した体罰を誘発するものだとし、その法改正が始まっている。私は法改正の専門家ではないが、この民法第822条は明治以降問い直されることなく承認され続けてきた事実に驚くと同時に、ある種の納得が得られた。明治憲法の残滓がここにも残っていたという意味である。
少し短絡的になってしまうが、江戸時代にあった「社会」と明治以降の「社会」とはその政治経済といった価値観の変化のみならず、社会、ひいては「母性」をも大きく変えてきたのではないかという仮説である。

「生類憐れみの令」の誤解もそうだが、例えば「三行半(みくだりはん)を叩きつける」という言葉がある。これは夫婦間での言葉で愛想が尽きたので別れる時に使われることが多いが、この言葉は女性が男性に突きつけるとき使われた言葉である。別れる時の「再婚許可証」のようなもので、夫の権利ではなく、義務としてあったものである。妻は夫に突きつけて、次の再婚相手を探すということで、現在使われている三行半とは真逆な使われ方であった。更に付け加えるならば、「浮気をする不安」があれば、「先渡し離縁状」という三行半をあらかじめ預かって結婚する場合もあった。このように江戸時代は今風に言えば「女性ファースト」の社会であった。家事や子育ても時間があるものがやり、専業主婦などという世界とは無縁な平等な社会、パートナーシップ社会であった。こうした背景には、江戸は単身赴任の男性が多く、女性はいくらでも再婚できたという背景があり、幕府も再婚を奨励していたほどであった。ただ、こうした一種自由な恋愛・結婚社会は庶民の場合であって、武家社会においては、家同士の結婚として本人同士の恋愛より、家の格などといったことが重視され、大名や旗本であれば将軍家の許可が必要であった。

こうした女性中心の社会にあって、時に未婚女性が子を産んでしまい、子を捨て家を出てしまうこともあった。そんな時は町役人を兼ねた大家が同じ長屋の経験を積んだ女性を指名し、指名された女性を中心に長屋全体で子育てをしていた。こうした庶民の社会は明治以降も「捨て子」(=養子・もらいっ子)の習慣は昭和初期まで続いた。しかし、昭和に入るとこうした習慣は廃れていき、「母子心中」が急激に増加していると岩本通弥氏は指摘している。
詳しい歴史の評価は後日行うつもりだが、ちょうど明治以降の近代化は一つの行き詰まりに符合している。それは世界大恐慌の波が日本の農村社会にも押し寄せ、それまでの家父長制という家制度が崩壊していく時期と重なっている。この時期、新たな家制度のコアとなったのが「母性」であった。例えば、5月の第二日曜日の「母の日」であるが、赤いカーネーションを贈ることから米国から取り入れたように勘違いしているが、その誕生は1931年(昭和6年)の大日本連合婦人会の発足から始まった。いわゆる国策としての「母性」で、明治政府の富国強兵政策・産めよ増やせよといった考えの延長線上に「母性」は置かれていた。実はこの「母の日」運動は長続きしなくなり、消滅するのだが、家制度の歪みは戦後の今尚続いているといっても過言ではない。勿論、今日行われている米国に習った感謝の日としての「母の日」はこれからも進めていくべきと思うが、その根幹にある「母性」は明治憲法の残滓を引きずっており大きな価値観転換の時を迎えている。

ところで2007年子どもの生命を守ることと、中絶や育児が困難といった社会的に孤立した状況にある女性が殺人や遺棄などの犯罪を選択することを防ぐことを目的に「赤ちゃんポスト」は誕生する。いわば慈恵病院が長屋の大家さんになるという仕組みだ。赤ちゃんポストという名前は良いとは思わないが、小さな共生社会として、「新しい母性」を病院が一部代行してくれる一つの知恵であり進歩だと思う。
また、こうした社会的養護として、里親制度や特別養護制度などあるが、その施設も担当者も極めて少ないのが現状である。その中核となるべき児童相談所の体制はここ数年の虐待事件を見ても分かるように、受け入れ体制の質も量の拡充・充実が急務となっている。

昭和30年代の東京を舞台とした映画「ALWAYS三丁目の夕日」には、物的には貧しくても豊かな生活、優しい母性・父性が描かれ忘れていたことを思い起こさせてくれた。また、少し前には日本テレビ系「水曜ドラマ」の枠で『Mother』(マザー)では母性をテーマとしたドラマとして放送された。幼い子供が虐待を受け、その子供を助けるために誘拐をするというあらすじで、今日の事件を想起させるドラマである。泣かせるドラマとして回を重ねるにしたがって視聴率を上げていったドラマである。子役の芦田愛菜のデビュー作であり、その演技に多くの視聴者を驚かせたドラマといったほうがわかりやすい。こうした母性・父性をテーマとした映画やドラマに共感はしても、江戸時代のような大家・長屋コミュニティの再創造は極めて難しい。しかし、母性を超えた「共生」という価値観を持った社会は赤ちゃんポストを始めまだまだ残っている。

そして、前述のように法整備を含め児相の拡充など急務であるが、個人の問題として考え直すことも重要である。周りを見渡してみていくと、仕事をしながらの子育て中、いうことを聞かない子にイライラし感情に任せて子を叩こうとした経験があると答える知人は多くいた。子供は悪戯もするし、時に嘘もつく。そんな時、子供とどう向き合ったらよいのか一つの答えがあるかと思う。それはかなり前になるが、糸井重里氏による「ほぼ日刊イトイ新聞」に、夏休み特集として、読者からの質問に詩人の谷川俊太郎さんが答えるという企画が載っていた。その中に「ことば」の本質を生きる詩人である谷川さんが、お母さんの質問に次のように答えていた。これも以前書いたことだが、大切なことなので一部再録する。

【質問六】
どうして、にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。
(こやまさえ 六歳)
追伸:これは、娘が実際に 母親である私に向かってした
   質問です。目をうるませながらの質問でした。
   正直、答えに困りました~
   
■谷川俊太郎さんの答え
ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
「お母さんだって死ぬのいやだよー」
と言いながらさえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
一緒に泣きます。
そのあとで一緒にお茶します。
あのね、お母さん、
ことばで問われた質問に、
いつもことばで答える必要はないの。
こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
ココロもカラダも使って答えなくちゃね。

素敵な、なおかつ本質を踏まえた答えだと私は思う。「アタマだけじゃなく、ココロもカラダも使って答えなくちゃね」と答える谷川俊太郎さんの温かいまなざしに多くの人は共感すると思う。アタマという言葉を理屈という言葉に置き換えても、ココロを素直にと置き換えても、カラダを行動すると置き換えてもいいかと思う。子供と向き合うとはこうしたことの積み重ねであると思う。子供を愛するとは正面から向き合うことで、共に生きることであり、一緒に食事をし笑い、時に怒ることもあるが、一緒に泣きもする、そんなカラダでふれあう、抱きしめてあげることが子の愛しかたである。
こうした個々の行動は少しづつではあるが、「社会」へと広がっていくであろう。以前、伝統は創られると書いたことがあったが、「母性」もまた「社会」によって創ることができる。その際江戸時代の知恵もまた活用すべきであろう。そして、そうした意味で東京南青山に建設予定の「港区子ども家庭総合支援センター(仮称)建設もあるべき「社会」が試されているということだ。(続く)
  
タグ :児童虐待


Posted by ヒット商品応援団 at 13:36Comments(0)新市場創造