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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年02月17日

「人手」というロボット  

ヒット商品応援団日記No726(毎週更新) 2019.2.17.

くら寿司を始め大手チェーン店におけるアルバイト従業員の度を超した「悪ふざけ」がネット上に投稿され問題となっている。すき家やセブンイレブン、バーミヤンなど、過去投稿された動画が掘り起こされ次から次へと表に出ているが、投稿したアルバイト従業員の解雇は勿論だが、企業イメージを毀損したことなど法的な訴訟も検討されているという。
人手不足にあって、外食産業はアルバイト従業員に多くの業務を任せざるを得ない状況があることは事実であるが、決定的に欠けているのが「教育」である。この従業員教育であるが、1990年代からはセントラルキッチンという工場で半完成品、もしくは完成品が調理され店舗へと送られてくるシステムへと転換した。厨房では簡単な調理と自動化された器具によってメニューとして完成され提供される。数年前、人手不足から24時間営業店が閉鎖に追い込まれたすき家のケースを思い起こせば十分であろう。そこで行われていたのが「ワンオペ」という一人で全てを行えるシステムである。そのシステムを実行するのがいわゆる「マニュアル」である。今から30年以上前に日本に導入された米国のフードチェーンビジネスの売り込みの一つが「中学生でもできる調理器具&システム」でマニュアルを元に運営できるビジネスであった。つまり、現在の飲食産業は「誰がやっても一定の品質を保てる仕組み」になっている。実はここに大きな落とし穴がある。


問題なのは「食べ物を粗末にするな」という当たり前のことが、悪ふざけの道具・材料にしてしまっている点にある。物が溢れている現在にあって、それはいたずら遊びの材料であって、特段気にすることもないと考えてのことであろう。「バイトテロ」という言葉が数年前からネット上では使われているが、それ以前の問題で食を含め命を育む大切さを学ぶ「家庭」が既に崩壊していることが背景にある。前回虐待の末10歳の少女栗原心愛(みあ)ちゃんを死に追い込んだ学校・教育委員会、そして児童相談所に決定的に欠けているのは「人を思いやる想像力」であると指摘をした。本質の問題としては、問題を起こしたアルバイト従業員には学ぶべき「家庭」、少し広げれば学校を含めた「社会」が無かったというべきであろう。

昨年、大阪で飲食のコンサルタントをしている友人と話す機会があった。その経営の現状であるが、現在の飲食関連のアルバイトの時給は1400円近くに跳ね上がっているという。全国平均では1048円となっているが、それでは人が集まらないといういう。いくら自動調理が進んでも人件費の急騰は経営としては極めて苦しい中の時給1400円であると話してくれた。
勿論そうした現状を踏まえてだが、例えば東京で言うと、アルバイトの戦力化に成功している富士そばやパート従業員を正社員化したロフトなどの成功事例を出して話し合ったことがあった。現実をどれだけ「理想」に近づけるかと言うテーマであるが、二人して納得したのは、現場教育の必要性であった。
飲食業も1990年代初頭、バブル崩壊まではチェーンビジネスの本部には2つの無くてはならない役割があった。一つは商品・メニュー開発であり、もう一つが研修であった。前者は今もチェーン本部として力を入れているが、研修は機械化・自動化によってその技術的な運営研修のみで、その操作もどんどん簡単なものとなっていき、投資すべき研修費用は更に削られていく。

このマニュアルはチェーンオペレーションを必要とする業種・業態で活用されてきた。マニュアルに準じれば、一定の商品品質、一定のサービス品質が得られるためのもので、多様な言語・文化を持つ移民の国米国で生まれたシステム運営ツールである。いわば提供する側の合理的なツールであるが、今や多様に変化し続ける顧客に対してはマニュアルを超えた自在な対応力が求められている。極論ではあるが、マニュアルは顧客にとって合理的ではないということだ。つまり、必要ではあるが十分ではないということである。
かなり前にブログにこのチェーンビジネスのモデルとなっている日本マクドナルドについて書いたことがあった。私が若い頃外資系広告会社に在籍していた時の話であるが、マクドナルドを担当していた同僚とあることをしにマックの銀座三越店をチェックしに行ったことがあった。初期の頃のマクドナルドであるが、ある意味創業者であった故藤田田社長からの依頼で、マニュアルにはないことを店頭でオーダーしどんな対応をしたかチェックして欲しいという内容であった。その時私はビッグマックを頼んだ際、「マスタードをつけてね」と、当時マニュアルにはないことをオーダーした。店頭にいた若いクルーは慌ててバックヤードにいた店長に聞きにいったことを今でも覚えている。

ところで先日堺屋太一さんが亡くなられたが、数年前から日本企業がダメになった理由の一つに創業者がいなくなったと繰り返し発言していたことを思い出す。その藤田田社長は常に現場の店舗を訪れ厨房にフロアに立って経営を考えていた一人である。米国マクドナルドとの契約に全て従うのではなく、日本独自の経営を考え実践した一人であった。日本マクドナルドのことを藤田田商会と揶揄されたこともあったが、それでも今日のマクドナルドの礎を作った方であった。同じ時期、ダスキンが米国ミスタードーナツと契約しドーナツショップをスタートさせたが、その契約を日本市場の顧客に合わせ徐々に変え、米国ミスタードーナツを凌駕してきた歴史と同じである。両社共に共通していることは創業者企業であり、そのリーダーの元で行われた「脱マニュアル」経営であった。
その脱マニュアルについて次のように表現したことがあった。

100-1=99 ではなく 0であり
100+1=∞の可能性を追求すべきであると

つまり、1(イチ)とは何かということである。市場が心理化している時代にあって、1(イチ)はマニュアルには現れては来ない「何か」で、現場、人しか分からない「何か」ということだ。勿論、意味を理解できないロボットではできない「何か」ということである。

デフレが長く続く中にあって、コストをどれだけ下げられるかが経営の主要な目標となった。それは飲食で言えば、調理の機械化・自動化の進化と共に最大コストとなっている人件費の削減へと向かう。それは極論ではあるが、「いつ辞めても取り替え自由」と言う理解のもとでのアルバイト利用であった。アルバイトの側も人手不足から他にもアルバイトの需要はいくらでもあると言う認識のもと、誰がやっても同じような単純労働という仕事へと向かう。そこにはどうすべきかなどといった会話などない。こうした悪循環の中に現在がある。この悪循環を断ち切ることが、次へと進むことができる唯一経営となる。詳しくは未来塾で「人手とAI」というテーマで書く予定であるが、「人手」を必要としない飲食業はどんどん進化を果たしている。既に小売業ではレジ精算という業務はどんどん無くなってきているように、飲食業も従来あったフロア・接客サービスは生半可なサービスであれば必要としなくなる業態も出てくる。よくよく考えれば回転すしはフロアサービスなどない業態である。今のところは10月の消費増税は実施される予定となっているが、もし軽減税率が実施されれば、テイクアウトや宅配といった飲食需要は増えていくことは間違いない。店舗を構えてのサービスなど必要がなくなるということである。そして、厨房という生産工場はどんどん自動化され「人手」を必要としない業態に向かうということである。

今から、15年ほど前であったと記憶しているが、「人手」よりも数倍精度の高い調理器具を見る機会があった。それは味噌汁などの調理器具で、根菜類などを使った「けんちん汁」にも使える器具で、汁の具材を均等に一つの椀に盛ることができるセンサー付きの器具であった。あるいは回転すしの業界の人間であれば、シャリのにぎりなどは本物のプロには及ばないものの、数年修行した程度の職人以上のにぎりなど既にロボット化されている。ホテル業界においても2年ほど前からフロントサービスといった「人手」はロボットが行い、その分安価なビジネスホテルは出現している。「人手」の意味が変わってきているということである。

人口減少時代、しかもこれからもデフレは続き、人手不足による省力化・自動化は進んでいく。しかし、省力化・自動化できない業種、あるいは専門店は存在している。その良き事例が生活雑貨専門店のロフトである。周知のように毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。この悪循環を断ち切ったのが全パート社員を正社員とする制度改革であった。勤務時間を選択できる制度で子育ても両立できるワークライフバランスの取れたものとなっている。勿論、時給などのベースアップも用意され、いわゆるキャリア制度としての人事制度であった。この制度とほぼ同じ考え方でアルバイト従業員への制度を行なっているのが富士そばである。つまり、人手ではなく、「考える人材」としての雇用ということである。ロボットの代替としての人間ではないとした人事制度ではどんなことが起こるか。それは「人」として認められ、考え、行動もし、良き成果が得られれば時給も上がり、ボーナスも出る。こうした成長を果たせるように支援するのが実は「教育」である。ある意味、忘れ去られてきた人間教育、社会人教育でもある。

「人」の可能性を信じ、戦力としていく企業と省力化・自動化を進めていく企業・職種とに分かれていく時代を迎えている。しかし、コトの本質はどちらかではなく、どちらも不可欠な時代ということである。しかし、今回のような度を超した悪ふざけの従業員はこれからも出てくる。その時は法的な手段による厳正な対応もまた必要ではある。悪ふざけの拡散といったネットにおける法整備は遅れているが、たとえ訴訟を起こしたとしても負担するコストは極めて大きい。そうしたリスク管理の前に、今一度経営を現場に取り戻し、「人手」という課題に正面から向き合うことが必要となっている。そして、時間のかかることだが、「人」の可能性に投資する経営に立ち帰るということもまた必要ということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:33Comments(0)新市場創造