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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年01月27日

偽ブランドの意味

ヒット商品応援団日記No723(毎週更新) 2019.1.27.

シンガポールの「ティラミスヒーロー」の商標権についてネットを含めメディアに取り上げられ論議を呼んでいる。簡単に言ってしまえば、本物・元祖であるティラミスヒーローが日本に進出するにあたり、既に日本企業(株式会社HERO'S)が商標登録されており、別のネーミング・ロゴマークなどを「ティラミススター」に変更せざるを得なかったという論議についてである。ネット上を含め、商標登録した日本企業に対し批判、というより非難が集中しているが、確かにロゴマークを見ても類似というよりほんの少し手を加えただけであまりの「セコさ」に唖然とはするが決して日本の「法」に触れるものではない。と言うより、非難「感情」ばかりが先走っていて、「ブランド」の本質にまるで届いた議論になってはいない。

昨年、あろうことかあの無印良品が進出した中国において商標訴訟において地元中国企業に敗訴していた。進出した当時、無印良品はそのコンセプトに沿った商品MD(各分類)に商標登録を全て申請することが必要であったが、主要商品のみ登録し、それ以外はそのままにしていたことが敗訴の原因であった。目ざとい中国企業は登録していない分類商品に無印の商標登録を行うのはビジネス世界ではある種当たり前のことと理解すべきであった。かなり前にヨーロッパに進出した経験を持つ無印良品としては単なる迂闊ではすまされない問題であった。一言で言えば、新たな市場進出における「イロハ」のイも認識理解していなかったことに驚いた。

国内外を問わず、新しく進出出店するにはその市場がどんな市場であるか徹底したリサーチが行われる。その第一はその市場の規制を含めた法制度の内容についてである。この中には商標登録の問題もあるが、例えば京都市のように看板など広告表示における表示の規制・景観条例もある。更には夜間営業における騒音規制などの規制もある。これらは細かく地域単位に決められており、その条例に沿ったものでなけれなならない。当然、進出にあたり進出国のコンサルタント会社やマーケティング会社の協力を得て行われるが、そのプロジェクトの中には弁護士や商標管理のプロである弁理士が含まれることは言うまでもない。そうした事前の手続きを遅れてしまったのが「ティラミスヒーロー」で、先に出願した日本企業が非難される筋合いではない。こうした出願競争はブランド経営が注目された1980年代に始まっており、当然商標の売買は行われていた。今回も両社の間で「売買」の交渉をすれば済むことである。

そのブランドであるが、その起源は周知の江戸時代に誕生している。いわゆる「暖簾」である。信用信頼の証として理解されている暖簾であるが、江戸時代の呉服屋・越後屋(後の三越)が広く知られている。このように商業の発展とともに暖簾の歴史もあるのだが、この時期に既にブランドに関する競争は始まっている。
実は江戸時代の商人は、いわゆる流通としての手数料商売であった。しかし、天保時代(1800年代)から、商人自ら物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が行われるようになる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが問屋などっを介した既成流通の「中抜き」を行った言わばSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。江戸時代は封建時代と言われているが、この「封」という閉じられた市場を壊した中心が実は「京都ブランド」であった。この京都ブランドの先駆けとなったのが江戸の女性たちの憧れであった「京紅」である。従来の京紅の生産流通ルートは現在の山形県で生産された紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売されていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入れ、現在のさいたま市付近で栽培し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売するようになる。柳屋はイコール京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下り物」を買った。従来の流通時間や経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。言葉は悪いが、「下り物」を模した偽ブランドと言えなくはない。このように京紅だけでなく、絹製品も清酒も「京都ブランド」として流通していた。ただ江戸時代では盲目的なブランド信仰といったものではなく、遊び心と偽造というより卓越した模倣技術を認める目をもっていたということである。例えば、ランキングという格付けは江戸時代の大相撲を始めなんでもかんでもランキングをつけて遊んでいた。遊んでいたとは、その中身を辛辣なまでに体験熟知していたと言うことである。今日のように単なる話題だけで消費される時代ではなかったと言うことである。

この江戸時代の「封」と言う閉じられた市場経済の転換は今日で言うところの「グローバル化」と同じ構造でもある。ブランド・暖簾それ自体が売買されることは不思議なことではない。
更に言えば、江戸の人達のように自らの体験・評価による自身の格付けが今問われているということだ。「ティラミスヒーロー」の件も果たして両社の商品を食べ比べての論議であろうか。ブランドの本質は本当に好きな人たちのものである。好きで好きでたまらないという顧客の創造、このブランドの原則に立ち返ることだ。そして、商標登録した日本企業も「下り物」として顧客創造に向かうことができるかである。東京表参道に出店した偽トラミスヒーローと本物であるティラミススターと遜色ないとしてビジネスが成立するのであればそれも良し。やはり本物が食べたいとする顧客がいればテぃラミススターを食べたいとするも良し。ブランドは顧客が創り育てるものであり、数ヶ月も経てば自ずと結果が出る。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:34Comments(0)新市場創造