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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年01月20日

わたしって誰?  

ヒット商品応援団日記No722(毎週更新) 2019.1.20.

どんな新元号になるのか懸賞付きクイズを含めて盛んに論議がなされている。そうした興味関心事の中に一種遊び心をくすぐる時代の雰囲気は決して悪いことでは無い。ただ新しい時代に未来という希望を見出すには残念ながら極めて難しい時代にいる。新元号の予想当てクイズには「安」という一文字が多く選ばれ、「安久」などに集中しているという。安定、安全、安心、安寧・・・・・・・・・ある意味不安定な時代心理の裏返しということであろう。わたしがここ3年近くにわたって「パラダイム(価値観)の転換」というテーマに言及しているのも、こうした転換期ならではの不安定さが満ち溢れているからである。

この不安定さの根源の多くが前回のブログ「すでに起こった未来」において指摘したように「グローバル化」によるものである。市場経済においては均質化・一般化が進み、先進国においては価格差はあるものの多くの商品やサービスが手に入る時代となった。但し、同時に貧富の格差も大きくなった。つまり、グローバル化による恩恵を受ける人と受けていない人とが明確に生まれたということである。更に今までの歴史・文化によって形作られてきた「国」の概念が変わり始めてくる。ちょうどEUがそうであるように、国と国との境目、国境がなくなり自由に人や物、情報などがビザなしで行き来する。一方、失うものもある。今回の英国のEU離脱に見られたように、大英帝国というそれまで帰属してきた「国」を取り戻す動きによるものであった。前回の図で示したように、グローバルからローカルへの揺り戻しである。こうした動きには経済ばかりでなく、誇りや自負といったアイデンティティの取り戻しということが大きく作用している。同じような動きは米国における移民の制限、メキシコとの国境の壁作りと共通するものである。共に、米国とは何か、英国とは何か、というアイデンティティを問い直し、取り戻すことが多くの国で始まっている。。

一方、そうしたアイデンティティを問い直し、取り戻す「動き」は国という単位ばかりでなく、個人においても始まっている。
1990年代に起きた若い世代の援助交際や薬物使用など社会問題化したことがあった。当時都市漂流民と呼ばれた社会現象であるが、それまで帰属してきた家庭や学校という居場所からの漂流=離脱であったが、家庭も学校も新たな居場所づくりへと向かっていく。不登校、いじめによる自殺など変わらず多発しており、どこまで新たな生き方を踏まえたアイデンティティを確立できたかは疑問もあるが、帰属する単位である家族や学校の見直しが始まったことは確かである。
ところで、インスタグラムをはじめとしたSNSへの投稿がユーチューバーという「投稿者」による表現の過激さが増している。周知のようにいわゆる承認欲求によるものだが、ネット上のみならず、昨年の渋谷におけるハロウイン騒動のような騒ぎが街中においても起きている。これらも認めてもらいたい、目立ちたい、といった「人気者」を求めての承認欲求である。ある意味サイバー空間において自らのアイデンティティを確立したい、そんな欲求による。つまり、アイデンティティを「こころ」の拠り所として見ていく欲求であるとということだ。個人化が進行する時代、つまりバラバラとなってしまった言わば家庭や学校などの居場所を失ってしまった「個人」が都市やサイバー空間を漂流しているということである。私はそうした若い世代を「個族」と呼んだことがあった。個族のアイデンテティとは何か、平易な言葉で表現するならば、”わたしって誰”ということになる。

ところで、このアイデンティティという言葉は日本語ではなく、欧米の心理学にそのルーツはある。ただ、ブランドアイデンティティのように1980年代以降ビジネス界において多用されてきたので、その意味する世界は理解されているかと思う。語の意味としては同一性、帰属性となるが、「わたし(あるいはわたしの国)」と社会・他者(あるいは他国)との関係性、わたしの言葉で言えば「わたしって誰」、「日本ってどんな国」を言い表した世界のこととなる。それは実体であり、想像・イメージでもある、そんな概念であるが、より今風に言えば、自分らしさ、日本らしさ、ということになる。
つまり、外の「何か」との比較・関係の上での規定でアイデンティティーが設定される、例えばEU離脱を表明した英国の場合であれば「時代を画した歴史ある大英帝国」であり、移民によって仕事が失われるだけでなく、それまでの伝統・文化が壊されてしまう、といったこととなる。象徴的に言うならば「外」に「移民」を置き、その関係の中に自らのアイデンティティを想起し、確立させていくということであろう。トランプ大統領の場合も同様で、「外」に移民を置き、特にヒスパニック系国民に対するもので、あたかも米国社会に犯罪などを持ち込むことを守るために「壁」を作る。米国の場合は離脱ではなく、壁を作ることによってアイデンティティーを守るということである。

この構図は個人においても同じである。「外」に自身とは異なる他者を見出し仲間外れにする。いわゆるいじめ、ハラスメントであるが、現実世界であれ、サイバー空間であれ、こうした設定によって自己のアイデンティティを確立する方法である。仲間づくりは組織と言う単位になると、現実世界においてもSNSにおいてもアイデンティティは「いいね」の数によって作られる。しかし、間違いやすいのはアイデンティティをイメージづくりであると勘違いしてしまうことである。確かにそうした側面は否定できないが、このアイデンティティがもたらす「らしさ」は永く持続することにある。一過性ではないと言うことである。うわべだけ、表層をなぞっただけの人気者ではないと言うことである。このイメージとアイデンティティとを分ける、その違いは「物語」があるかどうか、その物語が意味あるものとしてその「らしさ」を想起させるか否かである。

なぜこうしたテーマを取り上げたというのも、転換期の「揺り戻し」は大きく、このアイデンティティ、その物語が問われる時代の真っ只中にいると言う理由からである。さらに言うならば、新元号の年を迎える時であり、多くの本質が問われる時でもある。日本は英国で1000社ほどがビジネスを行っており、EU離脱と無関係ではいられない。ましてや米国との2国間貿易交渉がこれから始まる。隣国韓国との関係も従来の「友好国」とは異なる関係へと変化し始めている。韓国の今後はわからないが、北朝鮮と民族統一という物語を持った政策が図られていくであろう。さらにその背後には中国という存在が控えている。国際関係の専門ではないが、「日本とは何か」がますます問われていく時代となる。

身近なところでは訪日外国人はラクビーのW杯もあり今年3500万人を超えるであろう。日本のアイデンティティが本格的に試される時を迎えている。京都市内や東京浅草寺では着物姿の訪日観光客が多く見られる。その中にはだらしない着物姿に眉をひそめる人も多いが、それではまともに自分で着物を着ることのできる女性はどれだけいるであろうか。観光地の歴史文化を含めた由来にどれだけ精通し自分の言葉で語ることのできる人は果たしてどれだけいるであろうか。あるいは銭湯や温泉の入り方のマナーやルールをどれだけ日本人自身が守っているであろうか。
周知のように、今神社の御朱印帳ブームが起こっており、その象徴が太宰府天満宮とセレクトショップのBEAMSがコラボした御朱印帳である。しかし、表面的なコレクションを超えた日本文化への注目が訪日外国人に広がっている。日本訪問の回数化が進めば進むほどいわゆる「オタク」が生まれてくる。勿論、このこと自体は決して悪いことではない。問題なのは、日本というアイデンティティを喪失しているのは日本人の方であるということである。日本人が日本を知らないということだ。

日本人自身にその歴史由来を提供する動きが寺社の側からも生まれてきている。一昨年京都の友人に案内してもらったのが京都烏丸近くの佛光寺というお寺さんである。2014年11月にオープンした和の空間を生かした「d食堂」と、京都セレクトをテーマに地場産業や工芸品、雑貨等を扱う「D&DEPARTMENT KYOTO by 京都造形芸術大学」という3者のコラボ企画によるものである。当時はほとんどが日本人の女性客であったが、すでに訪日外国人も来ているかと思う。
また東京においても2017年に創建400年という節目を迎えた築地本願寺が“開かれたお寺”を目指し、2017年秋に大幅リニューアルが行われその中のカフェレストランが人気となっている。お寺にちなんだ朝食メニューを食べにこれも多くの女性客が訪れている。寺社は周知ように日本のアイデンティティづくりの大きな要素でもあり、こうした試みを入り口に学習・体験してほしいものである。

問われているアイデンティティとはその「物語」であり、どんな日本物語なのか、そのストーリーは。あるいは一人ひとりの物語を持ち得ているかということである。あなたは何者なのですかと問われた時、「わたしは・・・」と答えられるかである。そして、更なる「AI」という問いが待ち構えている。あなたはどれだけ「意味」を理解していますかと。ロボットではない意味ある仕事や生き方をしていますかと。その意味とはアイデンティティ、自身の物語のことである。
今回はアイデンティティが創られていく構図について書いてきたが、消費という現場においてもこの「らしさ」が重要なものとなっていく。商品やサービスあるいは人物の奥にどれだけ共感できる意味ある物語を創ることができるかである。テクノロジーの発展によって、AI,Iot,ロボット・・・・・・こうした生活の中に占める便利さはますます増大していく。であればこそあらゆるところでアイデンティティ・意味ある物語が重要になっていく。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:34Comments(0)新市場創造