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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2018年08月19日

原点を忘れた阿波踊り

ヒット商品応援団日記No720(毎週更新) 2018.8.19.



徳島の阿波踊りが終わり、その人出が昨年より約15万人少ない108万人で、記録が残る1974年以降最少だったと報道されている。かなり前から週刊誌報道を含め、それまでの観光協会による累積赤字が4億円に及び、運営主体を徳島市長による実行委員会に移管され、踊り手の中心となっている連との感情的な確執を含め、阿波踊りの華とも言われる「総踊り中止」というところまで進んでしまった。当たり前のことだが、観客動員数の減少は当初から予測されていたことである。しかも、実行委員会の当初の目的であった赤字も間違いなく解消されることはないであろう。

まず、徳島市長による赤字改善というお題目で強引に観光協会を潰したことから始まる。雨による中止があれば4000~5000万円の払い戻しがあるという。あるいは観客の送迎バスなどのサービスもあり、費用負担は間違いなく増えてくる。週刊誌報道が事実であれば、表舞台に出てこない一方の協賛社である徳島新聞グループによる利権も赤字要因の一つであろう。祭りが大きくなればなるほど利権が構造化されやすい。しかも、祭りの原点・ポリシーもまた変質してくる。こうした本質について私見を述べるには情報が少ないためコメントしかねるが、少なくともマーケティングされていないことだけは事実である。

まず、観客が踊りを楽しむ演舞場が市内4カ所に設定されており、その1箇所に人気が集まってしまうことから、観客を分散化しチケットの売れ行きを平均化し売り上げを上げ赤字解消を図る意図であった。少なくともマーケティングをその職とした人間であれば、真逆のことをやっており、売り上げは更に下げてしまうことは火を見るより明らかであった。
何故なら4箇所の演舞場を踊りの舞台とした連には当然好き嫌い、人気不人気が出てくる。阿波踊りというテーマ集積力が魅力であって、分散してしまえば魅力は半減するのは当たり前のことである。私のブログを読まれている読者であれば理解が早いと思うが、九州阿蘇の黒川温泉の再生の見事さを思い出して欲しい。以下その内容を再録する。

『温泉街の再生には目指すコンセプトの第一段階としてテーマ設定がなされ、「自然の雰囲気」となる。そのテーマを生かすにはと考えたのが露天風呂で、全旅館がその露天風呂を造ることとなる。そして、「すべての旅館の露天風呂を開放してしまったらどうか」という提案があり、昭和61年、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「入湯手形」を1枚1000円で発行し、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。さらに、町全体に自然の雰囲気を出すため、全員で協力して雑木林をイメージして木を植え替え、町中に立てられていたすべての看板約200本を撤去する。その結果、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には昭和の鄙びた湯の町情緒が蘇ったという事例である。』

好きな連、人気の連が出る演舞場のチケットが売れるのはやむを得ないことで、踊り手とともに観客あっての阿波踊りである。黒川温泉がやったことは「入湯手形」という選択肢を作り、こんな露天風呂、あんな露天風呂、多様な楽しみ方を提供したことによって黒川温泉全体の魅力をさらに高めた事例を私たちは熟知している。マーケティングを職とする者にとっては、テーマを集積し、高める方法というテーママーケティングの基本事例てある。今回の阿波踊りにあてはめれば、人気の連には他の三箇所にも出演してもらう、という入湯手形のような手法を取り入れれば阿波踊りの底上げにもなる。勿論、人気のない連も他の演舞場に出演する。相互に交流し合い楽しみ合う阿波踊りである。黒川温泉にも人気・不人気の旅館・露天風呂はある。しかし、昭和の面影を残す懐かしい温泉街に、顧客は黒川温泉に来て良かったと思うのである。こうして昭和の温泉テーマパークとして再生したのである。各旅館の合言葉は「街全体が一つの宿、通りは廊下、旅館は客室」と見立て、共に繁栄していこうという独自の理念を定着させたことによる。阿波踊りに置き換えれば「徳島市全体が一つの演舞場、通りは4つの踊り場、そして市民全てが踊り子」と見立て運営してきたはずである。

阿波踊りも盆踊りをその起源とした歴史ある伝統庶民芸能である。連という踊り好きが集まるグループはその「好き」の数だけあり、それぞれ個性溢れる踊りとなる。しかし、時間の経過とともに次第に規模を追い求める商業主義に染まって行く。継続するには運営のための商業としての資金確保は必要とはなる。しかし、その資金は誰のためであるか、踊り手とそれを応援する観客のためである。次第に参加団体・チームはセミプロ化し、コンテストが行われ、賞取りチームのイベントとなる。その代表例が高知から生まれ育った札幌の「よさこいソーラン祭り」である。参加チームだけでなく、市民の祭りとしては低迷し続けている。まるでダンスコンテストを札幌で行う観光ショーになってしまい、結果参加する市民とのズレが生じていると指摘する市民は多い。これも原点を忘れ始めた事例であろう。

実行委員会の総踊り中止の意向に反し、演舞場ではない歩行者天国の通りで行われた「総踊り」はTV報道で見る限りものすごい盛り上がりであった。手を伸ばせば踊り手に触れることができる「近さ」が一層の盛り上がりに拍車をかけたのだと思う。恐らくこの総踊りは今年の阿波踊り一番の見どころとなった。チケットという収入にはならなかったと皮肉交じりに言うコメンテーターもいるが、実はこの観客との「近さ」こそが盆踊り・祭りの原点ということだ。観光客を含め市民全てが踊り子になり、「総踊り」という華が咲いたということである。黒川温泉が入湯手形によって温泉好き・露天風呂好きを創ったことにより再生したが、阿波踊りも踊り手も観客も一体となる「近さ」が阿波踊り好きを創り、入湯手形のような再生へのヒントになるかと思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:15Comments(0)新市場創造