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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2015年02月25日

未来塾(14)「テーマから学ぶ」下町レトロ 谷中ぎんざ(後半)

ヒット商品応援団日記No605(毎週更新) 2015.2.25.

前回に引き続き、今一番注目されている総称ヤネセン(谷中、根津、千駄木)という「面」での活動(後半)をレポートする。



御殿坂・夕やけだんだんから見る谷中ぎんざ


「テーマから学ぶ」

東京下町レトロ

谷中ぎんざ(後半)

(ヤネセン/谷中、根岸、千駄木)




ヤネセン、もう一つの「お・も・て・な・し」 Ninjo物語

2014年訪日外国人は1340万人を超えた。そして、訪日外国人の約4人に1人が「日本旅館に泊まりたい」と希望しているが、箱根には日本旅館は多数あるが都心にはほとんどない。しかも、価格としても高く、もっと手軽に使える安い日本旅館が欲しいというニーズに応えた旅館が根津にある。1982年に日本旅館としていち早く外国人の受け入れを開始し、今や宿泊客の約9割が外国人という「澤の屋旅館」である。その澤の屋旅館については以前ブログで次のように書いたことがあった。


『ここ数年訪日外国人が泊まるゲストハウスとして注目されている東京根津の旅館「澤の屋」はまさに家族でもてなすサービス、いやもっと端的にいうならば「下町人情」サービスという「お・も・て・な・し」である。これも澤さん一家が提供する固有なサービス、日本の下町文化に絶大な評価を得ているということである。そして、重要なことは澤の屋だけでなく地域の街全体が訪日外国人をもてなすという点にある。グローバル経済、日本ならではの固有な文化ビジネスが既に国内において始まっているということである。』

この澤の屋旅館も多くの都内の中小旅館と同様ビジネスホテルへと顧客は移り苦境に陥った時期があったとTV局のインタビューに答えていた。今残っている旅館と言えば、神楽坂の和可菜や本郷の朝陽館や太栄館、あるいは浅草の助六の宿 貞千代他数軒のみとなっている。
澤の屋も今は注目されているが、訪日外国人受け入れ転換時は大分苦労されたようだ。英語も都心のホテルスタッフのようにはうまくない、たどたどしい会話であったが、それを救ってくれたのが家族でもてなす下町人情サービスであったとのこと。
日本国内ではオタクと蔑まれてきたアニメやコミックがクールジャパンとして海外から高い評価を受け、秋葉原・アキバがその聖地になったように、常に「外」から教えられる日本である。ヤネセンが下町人情のアキバになれるかどうかこれからであるが、もう一つのクールジャパン物語、NinjoがSamuraiなどと同じキーワードになる時代が始まったことだけは確かである。

谷中ぎんざも他の商店街と同じ3度の危機を超える


谷中銀座商店街は終戦後の昭和20年頃に自然発生的に生まれる。ご近所相手の近隣型の商店街として発展してきたが、商店街のHPにも書かれているが、現在に至るまでには大きな危機が3度あったという。”1度目は昭和43年の千代田線の千駄木駅開通による通行量の激変、2度目は昭和52年の近隣への大型スーパーの進出、3度目は昭和60年代のコンビニエンスストアーの続々の開店です。危機が訪れる度に商店街が一丸となり、1割引特売、商店街夏まつりの創設、スタンプによるディナー招待など、アイデアと工夫で乗り越えてきた。危機をバネにしてきた、われながら、たくましい商店街であると思っている”と書かれている。
交通アクセスによる人の移動変化は小売り商売にとっては極めて大きい。大型スーパーやコンビニの進出は全国同様の地場小売店の共通課題であるが、取り上げた砂町銀座商店街や横浜洪福寺松原商店街もまた、谷中ぎんざと同様乗り越えてきた商店街である。こうした商店街に共通することは、顧客主義に基づいた固有なテーマをもって一丸となったことにある。

テーマによって観光地となる、その集客効果

谷中ぎんざ商店街による来街調査では、平成に入り、谷根千工房によるメディア戦略が浸透し、谷中・根津・千駄木の界隈が「谷根千」と呼ばれ注目が集まる。平成8年にはNHKのテレビ小説「ひまわり」の舞台となり、11年に商店街外観整備、13年にホームページ開設、18年には日よけの統一や袖看板の設置、さらに20年には猫のストリートファニチャー設置も実施し、商店街の観光や散策の地としての魅力を高めてきた。結果、平成26年調査では、金曜に約7千人、土曜には約1万4千人の方が訪れている。平成3年は平日、休日とも約8千人でしたので、平日は約1割減、休日は7割増え遠くから多くのお客様においでいただける商店街となっているとのこと。つまり、ヤネセンというエリアに注目が集まったことによって、平日の来街者(ご近所顧客)は減ったが、休日は多くの観光客が訪れ商店街として活性され、逆に成長したということである。
谷中ぎんざもそうであるが、観光地化の目安が食べ歩きである。砂町銀座もそうであったが、ここ谷中ぎんざも座って食べられるような工夫や食べ歩きしやすい包装など顧客の要望に応えている。そして、更に集客を促進しているのが人であり、砂町銀座ではあさり屋の看板娘(おばあちゃん)であったが、谷中ぎんざも同様で名物の谷中メンチも看板娘が元気に店頭に立って売っている。観光客にとって分かりやすい目印になっているということだ。

「観光」テーマの広がり


ヤネセンを歩くと分かるが、とにかく寺社の多いエリアであると誰もが感じるであろう。無料・有料のかなりの数の散策地図があるが、その地図を多くを埋め尽くしているのが根津神社や観音寺をはじめとした寺社である。写真は2月3日に行われた根津神社の節分の豆まき風景であるが、つつじの名所でもあり、そうした季節以外にも広い境内には多くの散策スポットがある。
鳥居というと京都伏見稲荷大社の千本鳥居が有名で千本どころか1万本もあると言われ通り抜けるには30分もかかると言われている。根津神社にも写真のような鳥居があって数分で通り抜ける小さな鳥居であるが、若い世代の良きデートスポットにもなっている。

こうした寺社以外にもヤネセン一帯には多くの記念館がある。森鴎外記念館、朝倉彫塑館、あるいは「高村光太郎と智恵子の家」跡、更にヤネセンの東側にある言問通りの東側上野には周知の東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館などの国立博物館・美術館をはじめ、上野の森美術館や東京都美術館などが集まり、日本や海外の美術展示品や、人気の企画展示・イベントなど、展示品の収蔵数、規模などにおいて、日本有数の美術館・博物館エリアとなっている。つまり、ストックされた多様な「文化」が掘り起こすまでもなく、地表の至る所に出てきているということである。

下町レトロパーク

20年前のヤネセンとどう変わったのか、その変貌ぶりに驚いたと書いたが、良い意味での「観光地化」が進んでいる。しかも、観光地という以上、年齢を問わず、国籍を問わず、多くの人が訪れる場所となっているということである。
レトロコンセプトを掲げる谷中ぎんざだけでも観光地にはならない、根津神社だけでも同様、谷中霊園が象徴するような風情ある寺町だけでも同じである。ヤネセンが観光地化しつつある証明ではないが、寺町の路地裏にも個性溢れる小さなオシャレカフェが極めて多い。散策の楽しさを倍加してくれるのがカフェである。次に気づかされたのが谷中ぎんざの商店街には全国チェーンの店がほとんど無いこと、いや全く無いといっても過言ではない。勿論、JR日暮里駅にはエキナカがあり、駅前にはずらりと全国チェーン店が並び、時代の変化を追うフロー型トレンドショッピングゾーンとなっている。そうした全国チェーンに替わって、個人てやっていると思われる雑貨店がいわゆるお土産として売られている。谷中ぎんざ商店街のHPのコンテンツの一つである「新風」がこうした店舗として軒を連ねている。

ニューレトロ・リノベーション

ヤネセンのコンセプトであるレトロな世界に、「今」という時代の息吹やセンスを吹きこむ一つが「リノベーション」である。一般住宅やマンションにおけるリノベーションルームも10年ほど前から流行っているが、ヤネセンでは古い住宅をリノベーションし、更にシェアーするあり方が数多く見られる。その象徴が最小文化複合施設『HAGISO』であろう。解体予定だった築50年以上の木造アパート『萩荘』をリノベーションし、若いアーティストのためのギャラリーやアトリエ、美容室、設計事務所などが入居する。ここにもHAGI CAFEという素敵なカフェがある。
もう一つ象徴的なカフェとしてカヤバ珈琲がある。昭和13年創業老舗のカフェであるが、年配のご婦人2人が亡くなられてからは閉店状態が続いていた。しかし、歴史のあるカフェを復活させようと有志が立ち上がり、2009年9月にリニューアルオープンする。
これもヤネセンらしい古(いにしえ)に新しい命を吹き込み、新しいものへと生まれ変わらせるリノベーションがある。こうしてレトロコンセプトもより広がりをもって、より深みをもって語ってくれている。これは「今」を生きる私たちが、過去を訪れやすくするための方法の一つである。これから先を行くとは、奥深く眠っている歴史・伝統を探検する「オタク」になるということである。既にヤネセンオタクが増えていると感じるがどうであろうか。

新旧の「食」が混在する下町ならでは物語

リノベーションの代表的存在、しかも「今」を映し出している『HAGISO』を取り上げてみたが、その他にも古い民家を改装した小さな隠れ家的居酒屋「五十蔵(いすくら)」も実家を改装したとのことだが、また新風を送っているフレンチやイタリアンの店も多い。

そして、ヤネセンと言えば、何と言っても「時」を超えて愛されてきた飲食店が多い。根津にはあの俳優根津甚八が通い詰め、店の屋号をいただいてから売れっ子になったという築100年を超す居酒屋「根津の甚八」がある。写真では鮮明には出ていないが、黒光りした板塀にはまさに戦災に遭わなかった時代そのものを感じさせてくれる。
あるいは千駄木には寿司の乃池があるが、江戸前の寿司をテーマとしていたが、ご近所のお客さんから穴子寿司が美味しいから持ち帰りさせて欲しいという要望が多かったという。そして、今では穴子寿司の名店として広く知られるようになったと言われている。
ここにもヤネセンならではの「美味しい」物語がある。
また、ヤネセンにはカフェが多いと書いたが、それはカフェと言うより喫茶店といったほうが似合う店がある。今流行の、いや以前からであるが”お一人様専用喫茶店”という根津の「結構人 ミルクホール」である。組織のなかの個人というストレス社会にあって、一人になりたい時はある。ゆっくりと時間を楽しむ、そんな喫茶店である。こだわりなどという言葉では軽すぎる、価格は少々高いが店主のポリシーを感じさせるそんな珍しい専門店である。
さてこんな喫茶店を古くさいと言うのか、それとも新しいと言うべきか、そんな議論が起きるのもヤネセンである。

ところでどの町でもそうであるが、新旧の「食」の物差しとなっているのがラーメン店である。ここヤネセンのラーメン店はどうかと町を歩きながら見てきたが、地元の人から40年以上愛されてきたラーメン店がある。谷中ぎんざの路地裏に一寸店(チョットテイ)という店がある。昔ながらの中華そばやもやしそばを食べることが出来る店である。
以前取り上げた吉祥寺もそうであったが、特に町田のように二郎系や横浜家系、更には数年前からトレンドとなっている塩ラーメン店はどうかと思っていたが、「麺や ひだまり」という和風なラーメン専門店、その塩らぁめんが人気となっている。また、これはネットで調べた範囲内ではあるが、根津に家系のラーメン店「岡村屋」がオープンしたとの情報があった。やはりそうなんだなと、老舗が多い大人の町、観光地化した町であっても、国民食となり世界のラーメンとなった今、ここヤネセンにも新風は吹いているということだ。


テーマから学ぶ



3つのエリアを組み合わせた面戦略と戦術

今となってみれば、1980年代半ば雑誌「谷根千」の子育て編集者によって、大好きな地域を守り、そして育てる活動は商店街のメンバーや寺の住職へと次々と伝わる。そして、その志の結果が今日となる。これがテーマの広がりと奥行きである。これを町おこしと呼ぼうが地域活性化策と言おうがかまわないが、周りの多くの人たちの共感を得ることが出来たコンセプトであり、幸いなことに戦災に遭わなかったことによる住宅や商店、寺社、こうした建物や町並みが残ったことによる。”幸いなことに”と書いたのは、「文化」は多くの時を経て熟成されるものとしてある。そして、守り・育てる=活用すべき「資源」が、谷中、千駄木、根津という3つのエリアにまたがっていることがこのテーマの豊かさへとつながっている。テーマを持つということの意味を、ヤネセンは見事になし得ているということだ。
こうしたことを私たちのビジネス言葉では「構想」と呼び、その戦略を考えるのだが、谷中は台東区であり、根津や千駄木は文京区である。こうした行政の線引きを超える大きな苦労はあったと思うが、これが出来るのも「地元」の人によってである。
そして、この「面」は多くの坂によってその風景が変わる。観光名所となった夕やけだんだんは御殿坂の先にある階段で、岡倉天心記念公園へと行くには七面坂を下り、落語家圓朝の墓がある全生庵は三崎坂、他にもあかぢ坂、三浦坂、善光寺坂、根津うらもん坂、大給坂、たぬき坂、・・・・・こうした坂はヤネセン物語の次のシーンに移るためのまるで演出のために用意されたかのようである。これだけの坂があるということは、それだけの小さな物語があるということでもある。歌舞伎ではないが、幕間の「幕の内弁当」がヤネセンでは個性溢れる多くのカフェとなっている。「面」を変化ある物語にできたのもこうした「坂」による演出である。
坂は物語の舞台となってくれる。あの久世光彦さんが作詞し、日本レコード大賞をとった香西かおりが歌う「無言坂」は”帰りたい、帰れない無言坂”と歌う恋歌である。実は無言坂は富山市五艘の坂という説があるようだが、そんな由来とは別に物語は散策する一人ひとりが舞台の主人公になって創ればよい。そんな主人公の舞台づくりをかき立ててくれるヤネセンである。
ここにテーマに沿って既にあるものをどう魅力あるものとして生かしていくのか、どのようにあるものを組み立てていくのか、学ぶべき第一の点がある。

都市観光の新しい可能性、もう一つのクールジャパン

「ヤネセン」という面としてくくり位置づけることによって、谷中ぎんざ商店街自ら”平成26年調査では、金曜に約7千人、土曜には約1万4千人が訪れている。平成3年は平日、休日とも約8千人でしたので、平日は約1割減、休日は7割増え遠くから多くのお客様においでいただける商店街となっている”と。
つまり、従来の努力の延長線上では「約1割減」という衰退の道しかないということである。そして、面として一つのテーマを持つことによって「7割増」となり、成長への道を歩み始めたということだ。日本の休祭日は年約120日、つまり単純計算でも120日×(14千人-7千人)=84万人が純観光客となる。商店街を訪れた観光客数の推定であるが、春には谷中霊園の桜、5月には根津神社のつつじ、そして最大の集客時期は初詣客で根津神社、諏訪神社など。更には「七福神めぐり」もあり、恐らく150万人を超える観光客がヤネセンを訪れる。勿論、次なる課題は地元客と観光客という二人の顧客に対しどのように応えていくかである。

そして、現状では数値的には低いが更に訪日外国人も増えてくると思う。いわゆる団体・パッケージツアーから個人単位の旅行客、リピーターが増えている。今は富士山や京都観光など日本のシンボルであるメジャーな観光地が主流となっているが、昨年4月の訪日外国人の多くが「桜観光」を希望している。”日本旅館に泊まりたい”から、更に”桜見物をしたい”へと興味関心が広がりを見せている。そうした意味でヤネセンも訪日外国人の観光メニューの一つになり得る。

従来、都市観光の主流は「商業観光」であった。新しい、珍しい、面白い、という時代の変化をいち早く映し出している鮮度商品を購入するという都市商業を楽しむ観光である。こうした観光から、都心にあっても残る日本の歴史が刻まれた文化の旅、日本文化観光への広がり、その可能性である。その可能性を一言で言うならば、「もう一つのクールジャパン」ということになる。
ところで文化とのつきあい方であるが、変化型都市商業観光は話題はブームとなり一挙に集客に向かい、そしてパタット終わる。文化型観光は文化の本質がそうであるように「永いつきあい」へと向かう。つまり、リピーター化であるが、そのリピーター客によって「文化」は更に豊かになっていく。ヤネセンも既に10年ほど前から静かなブームが始まっていた。そして、そのような表現をするならば、今なおブームは続き、更に広がりと深みが増した「文化物語」へと移行している最中だ。そして、その変化はヤネセンを訪れる一人ひとりによって創られている。
学ぶべき第二点は「文化」への取り組みである。

時を遊ぶ、時に癒される

10年数年ほど前から多くの領域で回帰現象が見られた。そのなかでも回帰する一番が「過去」「歴史」である。そのように大仰に言わなくても「思い出」を振り返ると言った方が分かりやすい。思い出はその表現として消費に出てくる。特に、昭和という時代を駆け抜けた団塊世代については顕著に出てきている。“例えば”スープカレーもいろいろ食べてきたけれど、やはり本格カレーはインドのチキンカレーよね”、あるいは”やはりおふくろが作るじゃがいもカレーが一番”といった現象となって現れてくる。ファッションでいうと、茶髪から黒髪への変化であり、ダメージジーンズからリーバイスのようなオーセンティックなジーンズへの回帰となる。一時的なトレンド消費から、継続する定番消費への変化として出てきているということだ。

こうした現象はシニア世代固有の現象ではない。“若いティーンにも過去に遡った消費”もある。それを「プチ思い出消費」と私は呼んでみたが、5年ほど前に話題となった冷凍みかんだけでなく、10年ほど前には学校給食の人気上位には「揚げパン」もあり、コンビニには既に置かれている人気定番商品の一つとなっている。あるいはバターとジャムがぬられたコッペパンもそうした給食の思い出メニューの一つであろう。商店街の名前は忘れてしまったが、出来立てのコッペパンにその場でジャムを塗ってくれる下町のパン屋さんが大人気であると。そして、最近では揚げパン専門店が都内にオープンし、なかに挟むジャム類も豊富で老若男女人気になっているという。
そして、今居酒屋というより大衆酒場に若い世代が集まり始めている。常連客だけの飲み屋に何故若い世代、特に女性が集まるのか。格安居酒屋チェーンが軒並み集客・売り上げを落としている時代にあって、老舗と言われる大衆酒場に注目が集まっている。見渡せば周りはみしらぬおじさんばかり、だが会社の同僚といった一種の義務や利害から少し離れた会話も新鮮である。つまり、大衆酒場は心地よい「癒しスポット」になっているということだ。


ヤネセンを歩くと感じることであるが、「どこか懐かしい」と。根津から谷中にかけての路地はその多くは曲がりくねった通りで、狭い路地裏に木造住宅が密集している。そうした横丁・路地裏を歩くということは、いわば「記憶の生産」をしているようなもので、その生産に際しては、実は自分のお気に入りの風景や出来事を重ねている。つまり、現実の横丁・路地裏を歩いている訳ではない。
若い世代が揚げパンを食べるのも、学校時代の「何か」、仲間との遊びや授業を一緒に食べているということである。
つまり、それらは全て過去の忠実な再現ではない。そこに新しい「何か」を付与して思い出すのである。
Old New、古(いにしえ)が新しい、という意味はまさにそうした「何か」を意味したキーワードとしてある。レトロ、下町、というコンセプトは単に「古さ」を懐古することではなく、ある意味未来への入り口、過去のなかに未来を見るという創造的な試みということである。
学ぶべき第三点は、今顧客はどんな課題・興味を抱えているのか、解決すべきは興味を入り口としたコンセプト着眼と創造的なテーマづくりである。(続く)

  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:29Comments(0)新市場創造