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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2015年02月06日

自作自演の人気者 

ヒット商品応援団日記No604(毎週更新) 2015.2.6.

次から次へと大きな事件が発生し、わずか数週間前に起こったことが遠い過去のことのように感じる時代である。そのなかの一つに「つまようじ混入」事件があった。スーパーの菓子につまようじを混入したり、万引きをしたりする様子をYouTubeに投稿した事件であったが、古くは2013年7月高知ローソンのアイス用冷凍庫に入ったアルバイト店員の写真をFacebookに公開したり、ミニストップでも同様の事件が続き、東京足立区のステーキハウスではこれも店員の悪ふざけ写真をツィッターに投稿し店舗閉鎖に至り、そうした悪ふざけに対する危機管理、従業員教育といったことだけが指摘されてきた。しかし、つまようじ少年がいみじくも語っていたように「人気者」になりたかったことが背景となっている。

何故人気者を目指すのか、その心理には「絆」を失ったいじめ社会があると指摘する専門家もいる。「いじめ」を超えるために、自分が他人との違い・優位性を求めることに起因していると。成績優秀、卓越したスポーツや特技、あるいはけんかなら誰にも負けない、こうした従来型の一種の階級社会とは異なる「話題」「注目」といった情報(人気)階級社会が生まれているのではないかという指摘である。こうした階級社会の頂点に立つのがいわゆる「人気者」である。
先日、秋葉原殺傷事件の犯人加藤被告の死刑が確定したと報じられたが、事件が起きたのは2008年6月であった。犯行理由の一つに挙げられているのが、ネット上の掲示板での「荒らし」という一種のいじめであった。そして、犯行に至る計画や経過をその掲示板に書き込んでいたが、分かりやすく言えばネット上の人気者になれなかったことによる「自死」と言ってもかまわない事件であった。事件後、加藤を負け組の英雄とし、「神」「教祖」「救世主」とまでみなす共感現象が起きて、当時ネット上で話題となったことがあった。

つまようじ少年の事件報道に触れ、どんな環境下であったのか、どんな育ち方をしたのか詳細は分からないが、間違いく「社会的孤立」状態にあったことだけは事実であろう。つまようじ少年はネット上で「ひとときの人気者」になったと思うが、その情報操作についてはマスメディアを巧みに利用し、YouTubeの閲覧へとつなげていくという手法には卓越したものがあった。現在のマスメディア、特にTVメディアの場合は自ら取材する情報は極めて少ない。最近の情報源はネット上の情報、特に個人による投稿情報に依存しているのが実態である。YouTubeの閲覧回数が一定程度あればTVメディアが取り上げ、それをてこに更に拡散するという方法である。以前から指摘してきたように、情報受信だけでなく発信までもが「個人」に移っているということである。スマホというネットメディアの出現によって、自作自演劇場は「わるふざけ」から凶悪犯罪事件までいとも簡単になったということである。

1990年代後半、学校からも家庭からも居場所を失った少女達が都市を漂流し社会問題化したことがあった。同じような居場所の無い仲間のいる渋谷はある意味居心地のよい場所であった。少女達は渋谷に集まり、次第に大人達による援助交際や薬物に手を出す。夜回り先生こと水谷修先生がそんな少女達を救うために授業の後夜回りをし、「春不遠」というサイトを通じ対話していた頃である。そうした応援に気づき、学校も家庭も少女達が何を求めているかを想像するようになった。結果、年齢を重ね、仕事や家庭へと居場所を探すことへと向かう。
つまり、つらかったことといった「語るべき過去」があった時代であり、結果として「戻るべき場所」を探すことが出来た時代であった。

さて「今」はどうであるか。インターネットという仮想世界が現実を飲み込んでしまうほどの勢いの時代である。「語るべき過去」や「戻るべき場所」を持たない若い世代が増えてきている感がしてならない。言うまでもなく仮想と現実を行ったり来たりの社会であるにも関わらず、まるで仮想世界に居場所を求め、過去を求め漂流するかのようである。ネットリテラシーということになると思うが、政府総務省も高校1年生に対しアンケート調査を実施し、スマホの所有は84%に至っており、その分析結果を踏まえ活用のためのリテラシー指標を公開している。しかし、そうした実態もさることながら、「大人」こそネットリテラシーをもって若い世代に向き合うことに注力すべきであろう。

ところで、作詞家阿久悠は、自らの青春時代の人間関係、その象徴である恋愛は免許制で資格を取得しなければならなかったと書いている。その免許とは何かというと、「教養講座としての文学を読むこと」、読まない人は「人を思いやり、自分を制御することを知る人間講座の実地を学ぶ」。どちらかを誰に言われることでもなく自覚していた、と語っていた。「相手を思いやる想像力」のことを免許制としているのだが、しかし、残念ながら自覚できるような時代に生きてはいない。つまるところ、仮想であれ現実であれ、つまようじ少年のように人間関係をどう作っていったら良いのか分からないということである。

作家五木寛之は鬱状態の自分に対し、『人は「関係ない」では生きられない』とし、「あんがと(ありがとう)ノート」を書き、鬱状態から脱したと著書「人間の関係」(ポプラ社刊)で書いている。人間の成長は4つの段階で変わっていく。幼少期から少年期には「おどろくこと」で成長し、やがて「よろこぶ」時代を過ごす。そして、ある時期から「かなしむ」ことの大切さに気づき、しめくくりは「ありがとう」ではないかと。そして、鬱の時代はこれから先も続くとも。
私のような世代は「ありがとう」であるが、特にデジタルネイティブ第二世代は「おどろくこと」を経験し、やがて「よろこぶ」ことへと向かって欲しい。そして、痛みを伴うこともあると思うが、「おどろくこと」も「よろこぶ」ことも、自作ではなく、他者によってつくられるということに気づいて欲しい。当たり前のことだが、人気者は他者によって創られる。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:31Comments(0)新市場創造