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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2011年02月08日

大相撲八百長事件から見えてくるもの

ヒット商品応援団日記No483(毎週更新)   2011.2.8.

3月に行われる予定であった大阪場所が中止になり、以降の本場所や巡業の実施、更には協会の存続を含め大きな議論となっている。神事・武道、興行・娯楽、スポーツ・競技という3つの要素を併せ持った日本固有の伝統文化を継承してきた相撲であるが、時代によって変化をしてきてる。
奈良時代を起源とする相撲がそれまでの神事から、3つの要素を持った相撲として完成したのが江戸時代であった。現在のライフスタイルの多くが江戸時代に創られて来たもので、相撲も歌舞伎や寄席、浮世絵といった娯楽の一つであった。更に言うと八百長という言葉が生まれ使われるようになったのは明治時代以降である。江戸時代以前、江戸時代、江戸時代以降という変化から何が見えてくるか、江戸時代を中心にして「今」を見てみたい。

奈良時代から平安時代にかけて、武家相撲といった武道、五穀豊穣を祈った神事としての宮廷相撲、そして、庶民の間で行われた草相撲といったように、中国の影響を受けながら多様な相撲をその起源としている。
今日の興行として行われるようになったのが江戸時代である。当時は力士、与力、火消しの頭は江戸の三男と呼ばれ、庶民の人気者であった。相撲は屋外で行われ、雨が降ると中止になり、興行が数ヶ月に及ぶこともあったようだ。興行は”一年を20日で暮す良い男”と言われたように、20日で興行は終了する。ちなみに、十両という名称は年間十両の給料をもらえる力士のことである。
当時の相撲は今で言うところのガチンコ勝負で、力士同士が喧嘩することも多々あったようである。現在は土俵上には柱はないが、当時は柱があってここに刀がくくり付けられており、喧嘩になると親方が刀を引き抜いて仲裁に入る、そんな真剣勝負であった。また、行司も刀をさし、仲裁に入る場合もあったようである。
というのも大関になると部屋から引き抜かれ大名のお抱えになる力士もいる、つまり、侍の身分になるという大変名誉な職業であった。大名もメンツがあって、当然力士は真剣勝負になり、庶民はそうした勝負を楽しんでいた。
周知のように明治時代になると近代化の名の下に、廃仏毀釈が全国至る所で行われ、神事(神道としての様式)という側面を持つ相撲もその対象となり、存続が危ぶまれたが、伝統文化として今日に至っている。

今回の大相撲八百長事件は日本の伝統文化に対する認識がいかに喪失しているかを物語っている良き事例である。当事者達のメールでの勝敗のやりとりを見ても、そこにあるのは人情相撲といった「情」による八百長ではなく、幕下に落ちないためのグループによる保身感覚、勝敗を売り買いする意識、その「軽さ」である。面白いことに、野球賭博事件の捜査に付帯したものとしてこの八百長が発覚したことである。前者は刑法事案となるが、後者は法にはふれないようであるが、当事者達にとってはそれほどの罪悪感がないように見える。それはメールによるやりとりという一種のゲーム感覚のようにも見える。そうした方法が更に罪悪感喪失を倍加させている。

こうした「軽さ」は、この20年ほど続いていると思うが、協会も力士もそうであるが、個人を超えた大きなものを喪失してしまったからであろう。超えるものとは伝統文化であり、国技でもある。恐らく、こうしたことを手放し、自由になることから「軽さ」が生まれる。
一方、日本古来の文化は、仏教も神道もそうであるが、Yes であり Noでもある、善であり悪でもある、奥行き深く、なかなか答えが得られない。だから相撲道という言葉が残されている。
いずれにせよ、こうした神事・武道、興行・娯楽、スポーツ・競技のバランスが崩れ変容して来ているということであろう。この十数年、多様な娯楽・スポーツが楽しめるようになり、相撲興行もいわば競争のなかにある。結果、日本相撲協会も競争相手ばかりを見るようになる。力士の側も伝統の意味合いを教わらないまま土俵に上がる。
時代の変化を受け入れるとは、伝統の何を残し、何を変えていくかであり、協会も力士も継承する者の責務である。あの横綱朝青龍が土俵上でガッツポーズをした時、アスリートとしての強さは認めるが横綱としての品格が欠如していると強く批判したのが元横綱審議委員の内館牧子さんであった。批判の理由として、相撲には武道、武士道としての精神を必要とする、とのコメントを思い起こさせる。武士道精神からは、たとえ人情相撲といえども許されないであろう。いわんや、勝敗の売買などは論外である。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:18Comments(0)新市場創造