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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2010年01月20日

物語消費再考

ヒット商品応援団日記No437(毎週2回更新)  2010.1.20.

デフレ時代の消費は低価格を物差しとしたリアルなモノ価値消費である。消費現場での生活者目線で言えば、まず見るのが妥当な価格であるかを購入基準の第一とするということである。この低価格主義的消費は、所得の関数である消費として当分の間は続くと思う。しかし、単なる低価格であることから、少しづつ変化の芽が出始めている。その一つが前々回ブログに書いた「サービス価値再考」のように、サービスを含めその価値を認めてくれる顧客を市場とする。それは、国内、海外といった内と外という境をもたないマーケティングとしてである。つまり、誰を顧客とするのかを従来の考えから一端離れて考えてみようということである。

ところで、前評判の高かったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が始まった。初回視聴率は関東23.2%、関西21.0%とのことで、TV離れしている現状においては高視聴率に入るかと思う。NHKのHPを見ても分かるが、原作者はおらず、新しい龍馬像を創っていくオリジナル作品とのことで、敢えて原作者というのであれば脚本の福田靖氏と演出の大友啓史氏ということになる。
私も注目していた番組なので3話まで見たが、その感想としては、まるで劇画、コミック動画として創られているなという印象であった。人物配置の構図としては、坂本龍馬と岩崎弥太郎を縦糸に、家族や出会う女性達(土佐の平井加尾/広末涼子、江戸の千葉佐那、京都の楢崎龍、長崎のお元)を横糸にした分かりやすい龍馬の成長ドラマである。更には、土佐の上士と下士といった身分制度の対比のさせかたなどの過剰さ、あるいは剣道の乱取りなどを見ても、まさに劇画そのものである。カメラワークも手持ちカメラが多く、スピード感はあるが、反面断片的でまるでコミックを読んでいるかの如くである。

何故、私が「龍馬伝」を取り上げたかであるが、消費の現場では「わけあり商品」に代表されるように、「低価格物語」が広く浸透している。「龍馬伝」を劇画、コミック動画と私が呼んだのも、今という現実に重ね合わせて表現する、つまり視聴者に想像力を働かさせるには良き一つの手法であると考えているからである。というのも、昨年末から坂本龍馬に関する雑誌の発刊や坂本龍馬ゆかりの地、土佐、長崎、京都を巡る旅、更にはソフトバンクの白戸家も龍馬をテーマにしたCMを流している。「龍馬伝」の便乗MDと言ってしまえば、話は終わってしまうが、「龍馬伝」という仮想現実物語がどの程度消費に結びつくか、情報消費、物語消費のこれからを占う一つの指標になるからである。もっと単純化してしまえば、「龍馬伝」という劇画が、どの程度まで現実消費を動かすかである。それは昨年の「歴女ブーム」の火付け役となった「戦国BASARA」というアクションゲームの事例を見れば理解していただけると思うが、虚構が現実を動かす関係と同じである。

5〜6年前、ポストモダンとオタクというテーマが一部の専門家の間で議論されてきたことがあった。ここではこうした大きなテーマとしては取り上げないが、NHKの大河ドラマまで、いや時代表現として一番進んでいるNHKが一種の劇画ドラマを創作し始めたということに私自身驚いたというのが素直な感想である。というのも、幕末に現れた龍馬は世の中を変える革新者の一人であり、その創作物語はどんな世界観、どんな大きな物語として創作されるのか極めて興味深いテーマとしてある。1980年代に始まった「おたく」はマスプロダクト化され、オタクとなり、その最大特徴である虚構世界への「過剰さ」がかなり薄まって広く浸透してきたと理解している。つまり、情報発信メディアという視点から見れば、アキバ発から更にマスとなってNHK発というところまでポップカルチャー、サブカルチャーが進化してきたということだ。

「龍馬伝」のドラマ構成を縦糸と横糸によって織られた布地のようなものだと表現したが、縦と横との接点がコミックの一コマ=断片であり、受けてである視聴者はそれら断片情報を基に自ら想像し、創造していく訳である。これは人間心理として、不可解さとか確かめてみたいといった心理解決策として、突き止めていきたい、確認したいという本能のようなものである。「わけあり商品」も、その訳を確かめたい、そんな心理を後押しているのが実は低価格である。
「うわさの法則」でも書いたが、そうした断片情報が、生命にかかわるようなものであればあるほど、突き止めたいという欲求が強くなる。確かめたいという心理、それが憶測を超えてうわさとして広がるのである。つまり、過剰情報時代の創作手法として、100人受け手がいれば100の物語が創造されるということである。結果、100の複製龍馬が出現するということである。これが心理市場化している今日の、マスプロダクト化の本質である。そして、こうした複製が可能なのは、現実、リアルな物的世界と比較し、虚構(心理)世界の方がより簡単に可能となる。但し、複製は常にオリジナルの存在を必要とする。アキバのAKB48もアイドルのサバイバルゲームであるが、常設スタジオを持ち”会いに行けるアイドル”としたのも、(オリジナルとしてのアイドルに出会えるという構造)、こうした背景からであろう。

「龍馬伝」で言えば、龍馬のオリジナルは屋敷跡など痕跡の残る土佐、長崎、京都ということとなる。リバイバルとか、復刻版と言った消費は、極論を言えば、過去の複製、コピー販売である。昨年のヒット商品を見ても分かるが、過去を遡る回帰型消費がかなり多くなっている。しかし、複製にはかならずオリジナルがある。そして、そのオリジナルを求める欲求は必ず生まれる。こうした物語消費という欲求の過剰さは「謎解き」の過剰さへと向かっていく。例えば、龍馬ゆかりの地土佐を旅し、龍馬が好んで食べたという軍鶏鍋を食べる、こうした旅は龍馬がどんな生き方をしていたかを謎解きする旅ということである。

この10年間、多くの過剰さを削ぎ落としてきた。消費で言えば、ついで買いを止め、最小の目的買いのみとする。「わけあり」の訳を検討し、更に費用対効果を確かめ、意味あるモノだけを買う。こうした巣ごもり消費から、恐らく底流としてはあったと思うが、物語という虚構世界、その情報消費の芽が出てきた。ビックリマンチョコに代表されるような1980年代の物語消費とは質的に異なるとは思うが、どんな異なる消費かは「龍馬伝」が教えてくれるであろう。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:17Comments(0)新市場創造