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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2006年08月20日

消費から作り手へ             

ヒット商品応援団日記No91(毎週2回更新)  2006.8.20.

団塊世代の心象風景を読んでいただいてわかると思うが、物への欠乏感が残る最後の世代である。特に、食べ物がそうで飢餓感とまではいかないが、美味しいものよりお腹いっぱい食べたいという欲求の方が強い。小学校時代の給食ではコッペパンに脱脂粉乳、栄養補給に肝油が出た時代である。エンゲル係数という言葉は既に死語となっているが、家計支出に占める食費の比率は優に50%を超えていた時代であった。今日とは比べられないほど貧しかったが、見回しても皆貧しかったので、今日ある格差社会ほどのものではなかったと思う。そして、1970年から続々と社会人、サラリーマンとなっていくが、高度成長期という言葉の通り、物質的豊かさを手に入れていく。ちょうど1970年代半ばと記憶しているが、CMフェスティバルのACC賞の最優秀賞に松下電器の冷蔵庫が選ばれた。そのCMの内容であるが、冷蔵庫を前にして武田鉄矢が一人”思えば遠くへきたもんだ”とつぶやくシーンがある。サラリーマンになり、がむしゃらに働き、大きな冷蔵庫をやっと手に入れることができたという時代感を表現していた。その頃、車でいうと日産サニーのキャッチフレーズが”隣の車が小さく見えます”というものであった。生活感としては、少しでも大きいものを手に入れたい、そうしたプレステージなるものを手にすることが働く意欲、生きる意欲であった。前回取り上げたサントリーオールドも同様である。こうした学生〜サラリーマンへと走っていく団塊世代にとって大きな刺激を与えたのは、なんと言っても「平凡パンチ」であった。1964年創刊の男性週刊誌であるが、ファッション、車、セックスというテーマで圧倒的な支持を得て、創刊翌年には100万部を超えた。今日あるサブカルチャーの先駆けである。この平凡パンチから、アイビールック、みゆき族が生まれ、更にはエレキギターブームが起こってくる。大学には漫画研究会や落語研究会のようなクラブが初めて生まれる。そして、1970年には「アンアン」が創刊され翌年には「ノンノ」が創刊。(ファッション年表http://park2.wakwak.com/~osyare/page001.html
物が充実してくると共に、新しい考え方が新しいスタイルとして表れてくる。必要に迫られた物としての合理性や機能性から、「好み」「好き」といった個性が生まれた最初の世代である。こうした戦後世代に対し、1970年代のはじめ頃と記憶しているが、全共闘運動解体の意味合いを含め、文芸春秋は「三無主義」、無気力、無関心、無感動、つまり「しらけ世代」という指摘をした。確かに政治という舞台には立たなかったが、自身の生活という舞台を充実させる方向へと進んできた。1970年代半ば、団塊世代は結婚し家庭を持ち、「ニューファミリー」と呼ばれる新しいライフスタイルを創っていく。冷蔵庫に限らず、新製品を積極的に生活の中に取り入れていく。前回取り上げたトヨタセリカ、日産スカイライン、今で言うセミオーダー的仕様のオプションを取り入れた車が飛ぶように売れた世代であった。寺島実郎さんはこうした生活のあり方を「私生活主義」、今で言うところの「私」「マイ」というたこつぼに閉じこもった個人主義であると指摘(われら戦後世代の「坂の上の雲」PHP新書)しているが、戦後世代の消費の根幹を作っていったのは、この団塊世代であったと言える。つまり、少し前に流行った「マイブーム」の端緒は団塊世代であったと言えるし、また「オタク」にもつながっていく。もし、消費の構造を「物充足」→「情報充足」という進化として見ていくと、団塊世代、ポスト団塊(新人類)、団塊ジュニア、・・・・・と物消費から情報消費へのウエイトが高くなっていく構図が見えてくる。
さて、団塊世代は情報消費へと向かうのであろうか?私は母娘消費に見られたような「娘」が情報ナビゲーターになることはないと思っている。向かう先は物消費へ、そして物へのこだわり、物オタク、物の生産者、モノクリエーターを目指していくと考えている。ここ数年、団塊世代市場論に欠けているのは「作り手」としての視座である。前回の話ではないが、単なる田舎暮らしではなく、例えばハーブ栽培に凝って、生活の食からバスなど各種の香りまであらゆるところでハーブライフを楽しむ。永田農法ではないが、美味しいトマトが食べたいと土作りから始めたり。「こだわる」とはモノの裏側にある理想や作り手の気持ち、あるいは歴史をモノに込めることである。つまり、モノの裏側にある精神世界を探り自らも生きてみようと思うことだ。団塊世代の幼年〜少年期にあったモノ欠乏感から解放されるかのように、好きなモノにこだわった第二の人生となる。外側からは田舎暮らし、農作業のように見える生活も、実は物づくりにこだわる精神生活として見ていくことが重要である。結果、モノの作り手へと、ホームクリエーター、ライフクリエーター、夢の中へ、失った何かを取り戻すクリエーターとなる。消費から作り手への転換である。ここに大きな新しい市場が生まれてくる。豊かさとは、作ることのできる豊かさであり、精神的豊かさを目指すこととなる。そして、もしかしたら、柳宗悦がいう「無作為」の美まで到達するような達人が生まれてくるかもしれない。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:58Comments(0)新市場創造