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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2006年08月16日

団塊世代の心象風景 

ヒット商品応援団日記No90(毎週2回更新)  2006.8.16.

前回「好き」を入り口に団塊世代の旅が始まると書いた。団塊世代の夫婦にとって共通の「好き」というテーマは同世代結婚の意味合いを含め「時代感」「時代のもつ雰囲気・出来事」にある。サントリーが「ザ・サントリーオールド」として再び舞台へと発売したが、団塊世代を狙ったそのCMにものの見事に表れている。井上陽水の起用もさることながら、”話はわかった、まず飲もう”という、理屈ではなく同じ時代の空気感、仲間としての「あうんの呼吸」をうまく表現している。あるいは海援隊が歌う「思えば遠くへきたもんだ」のように、人生60年ここまでやってきたという思い、いわゆる青春フィードバックとなって表れる。この青春フィードバックには2つの意味がある。1つは当然個人の歴史・時間へと「好き」のテーマを遡り、少年少女となって生きてみたいという欲望である。昭和30年代ブームをはじめとしたリバイバルマーケットである。もう1つが、時代そのものが洋に振れたライフスタイルから和のライフスタイルへと、過去へ歴史へと遡っていく和ブームの潮流、この2つがからみあいながら今がある。さて、青春という過去を巡る旅であるが、過去はこの数十年によって変貌してしまっている。京都や奈良など環境条例によって残っている過去もあるが、その多くは都市化し少年少女期の風景は既にない。あるいは地方の町村では廃村が相次ぎ、生活そのものが存在していない。何のニュースか忘れてしまったが、ダムで水没した村に戻りたいと、帰巣本能ではないが家を建てたった一人で住む話があった。人は環境によって変化する生物であるが、生命記憶のように刷り込まれている本能がそうさせるのかも知れない。情緒的に語られる「ふるさと」であるが、理屈を超えてこころ落ち着かせてくれる場所である。ある意味でふるさとはこれから入るであろう「お墓」だと思う。私は生まれてこのかた東京であるが、ふるさとはと問われたら「浅草」と答えている。私の幼年期から少年期にかけて東京の行楽地は上野・浅草であった。動物園、花屋敷、国際劇場、映画館、浅草寺仲見世、そして飲食店街があり、休日の娯楽施設が集積していた場所である。定年を記念した豪華な旅、飛鳥IIの船旅のような旅は一度はあるだろう。しかし、「ふるさと」あるいは「ふるさと的」なところへと日常の旅が始まると思っている。ふるさとは一人ひとり個別であり、ここでは取り上げないが、ふるさとに寄与することを含め多くの団塊世代は戻っていくと思う。
ところで「ふるさと的」という意味であるが、幼年〜少年期に刻み込まれた原風景、心像風景のことである。東京生まれの私にとって、確かに「Always三丁目の夕日」に描かれているような、集団就職、路面電車、ミゼット、フラフープ、横丁路地裏、他にも月光仮面、力道山、テレビ、メンコやビー玉それら全てを含めた生活風景である。そして、東京という都市ですらまだまだ荒れ果てた中にも自然は残っていた。都心から少し離れた郊外には田んぼや畑があり、クヌギ林にはカブトムシやクワガタがたくさんいた。いわゆる里山があったのだ。つまり、日本が近代化に向かって走る前、昭和30年代半ばまでの10年前後、団塊世代にとっての心象風景は、やはり路地裏にある生活の臭い、物不足な中にも走り回った遊び、少し足を伸ばせば里山があり、四季を明確に感じさせてくれる自然、そんな風景だと思う。そうした昭和30年と今を比較してみると、いわゆる第一次産業(農業・漁業など)の就業構成比は約40%で現在は4.4%、GDPは約8兆6000億で今日の約59分の一であった。つまり、団塊世代はこうした原風景をこころの底に置いて、がむしゃらに働き、「思えば遠くへきたもんだ」と思っている。世界に例を見ない急成長の50年であったが、これほどの大きな変化を創り生活の中に取り入れてきたのも団塊世代だけである。こうした変化が大きければ大きいほど、第二の青春へと振れる幅もまた大きい。そして、自ら近代化を推進し、その近代化によって失ってしまった最大のもの、それはやはり自然であろう。日常の生活感覚でいうと四季であり旬である。最も夏らしい夏、お盆らしいお盆、祭りらしい祭り、まだ青い冷やしトマト、それぞれ生まれ育ったコミュニティで違ってはくる。失ったものを取り戻すことが青春フィードバックとなる。既にその予兆が出ていると思うが、田舎暮らしは一過性のブームを超えて、日常化、一般化するであろう。TV番組のダッシュ村ではないが、何万というダッシュ村という個性溢れるふるさとができ、もはや話題になることもなくなるであろう。こうした団塊世代の心象風景の中に市場創造への着眼がある。
1970年代の人気車種の一つであったトヨタセリカが2006年4月をもって生産終了となった。そして、歴代のセリカが展示されているイベント会場には当時の団塊世代フアンを始め若い世代も多数訪れているという。団塊世代にとって、車は単なる移動のための道具ではなく、ドライブする楽しさ、醍醐味、スタイル感という「好み」の世界であった。今、団塊世代市場の論議が盛んであるが、実は着眼すべきはこうした団塊世代の生き方、ライフスタイル感が団塊ジュニアを含め他の市場へと鏡のごとく反射していくことにある。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:43Comments(0)新市場創造