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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2018年09月03日

勝者と敗者 

ヒット商品応援団日記No721(毎週更新) 2018.9.3.
勝者と敗者 

今年の夏は気象庁のみならず異常であったと多くの人は感じている。この異常気象によっていかに災害に弱い日本列島であったかを思い知らされた。勿論この異常は世界的なものでまだ科学としては実証されてはいないが地球温暖化にあると多くの人は感じ始めている。例えば梅雨のないカラッとした気候の北海道ではなく、梅雨をはじめ雨の多い北海道に変わろうとしているし、当然それまでの作物も異なってきている。また、今年は秋刀魚が昔ほどではないが昨年のような不漁ではなく、新物の秋刀魚も脂がのっており価格も手がとどくものであって、消費のテーブルにのってきた。何れにせよ、気候変動は生活の根底そのものを大きく変えるしまう「変動」である。

さてこの「変動」は気候だけでなく、社会のあらゆるところで起きていることがわかる。最近ではスポーツ界の不祥事が相次いでいる。女子柔道、女子レスリング、日大アメフト、アマチュアボクシング、そして今回の女子体操、・・・・・・セクハラ、暴力指導、パワハラ、挙げ句の果てはインドネシアアジア大会におけるバスケットボールチーム4人の買春。そこに通底しているのは巨視的に見れば東京オリンピックを控えての国際的な標準・常識に合わせる、いわばパラダイム(価値観)転換が行われているということであろう。
そして、その多くが内部告発によるものである。更に言うならば、誰もの関心事である東京オリンピックを前にしたタイミングであり、メディアも取り上げやすいタイミングになっていると言うことである。しかも、今回の女子体操・宮川選手へのパワハラ問題で公になった内容の中に代表選手選考問題が指摘されていた。実は91年には半数以上の選手がその採点に問題があると指摘しボイコットした事件があった。当時も告発された塚原光男氏は競技委員長、強化部長だった千恵子氏は主任審判も兼務する要職にあり、2人が指導する朝日生命クラブの選手に対し、不自然に有利な点数が出たとしてボイこっこした事件である。当時はマスメディアの関心事にはなく、取り上げられることは少なかったが、現在はSNSをはじめとした多様なメディアによって拡散のスピードもその範囲の大きさもある時代である。少し前の日本アマチュアボクシングにおける奈良(山根)判定と同じようなことが行われていたと言うことだ。勿論、第三者委員会による報告がなされていないので確定的なことは言えないが、少なくともパワハラといった問題だけでなく、日本のスポーツ界の構造的な問題が露わになったと言うことである。

ところで2015年のラクビーW杯における桜ジャパンの活躍、特に南アフリカ戦のトライに多くの人は感動した。帰国後の記者会見などで明らかになったことだが、その背景にはエディーコーチによる高度な科学技術を踏まえた過酷なトレーニングがあったことが分かった。そのトレーニングを影で支えたのがITベンチャー企業ユーフォリアの選手強化法で当時の日経ビジネスに詳しく紹介されている。スポーツも常に新しいトレーニング法を取り入れることが必要な時代にいるということだ。体格・筋力など世界に比べ劣っていることからその強化策として緻密なデータ管理を踏まえた強化策で2013年の年初から強化合宿など現場に導入され、以来2年にわたってコーチ、トレーナー、選手など全員がこのクラウドを使い続けた結果があの南アフリカ戦の結果になったと言うことだ。例えば、ベンチプレスやスクワットなどで持ち上げられる重量を、欧米トップ選手並みに近づけろ――。当時エディー氏は相当高い目標を掲げ、来る日も来る日も選手たちはトレーニングに励んでいた。代表メンバーが持ち上げられる重量と目標の間には大きな差があったからだ。ラクビーをしていた友人曰く、代表選手からの話として、その高い個人目標に悲鳴を上げ、笑いながら2度とエディのコーチは受けたくないと話していたとのこと。自身が納得し、トレーニングし、成果が出るまでは苦しかった・・・・・・しかし、チームの試合結果がその努力に報いる良き事例であった。暴力を持って行う指導&トレーニングなど論外である。

アマチュアスポーツにおける指導・コーチングが変化すべきことと共に、「アマチュア」の原則である教育や人間的成長より、勝利が第一ということがスポーツ運営の原則に置き換わってきていると感じることが多くなっている。オリンピックもロサンゼルス大会から過剰な商業主義へと転じたと良く言われている。いわゆる勝利至上主義である。スポーツを通じて、友情、連帯、フェアプレーの精神を培い相互に理解し合うことにより世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す運動がアマチュアスポーツの精神であった。しかし、開催国の経済的負担が大きく、次第に負担軽減を図るためにいわゆる「スポーツビジネス」としてのオリンピックへと向かっていく。極論ではあるが、「勝つこと」が国威掲揚であると共に、「勝つこと」がスポーツビジネスを成長させるという考え方である。オリンピックの最大収入は「放映権」であり、「入場者収入」である。少し短絡的な言い方をすれば「勝つこと」が儲かるビジネスに直接繋がるということである。その最大の問題・病根がドーピングであり、IOCの最大課題となっていることは周知の通りである。そうした勝利至上主義から生まれてきたのが、各種団体の運営指導体制の多くは金メダル何個取得したかと言う「実績」によって人も制度も構成されて行く。結果どうなるか、勝利至上主義がアマチュアスポーツの新たな基本原則になって行くという歴史であった。

そして、何よりも選手ばかりか、受け手である観客がその勝利至上主義に喝采を送るのである。例えば、今回のアジア大会の女子レスリングのメダルはどうであったかマスメディアはその多くを取り上げようとしない。吉田沙保里、伊調馨と言うオリンピック金メダリストが出場しなかったとはいえ、若い世代は育っていたと言う。しかし、結果は銀メダル2つ、銅メダル2つは取ったが、金メダルには手が届かなかった。言うまでもなく、このアジア大会は世界の強豪が集まる大会ではない。去年の世界選手権と比べれば惨敗と言われて当然だろう。日本レスリング協会の栄和人・前強化本部長(58)が伊調馨選手へのパワハラで今年4月に辞任して以来、初の国際舞台であった。マスメディアもこの敗因を取り上げず、スポーツ評論家もコメントしない。勿論、あれほど女子レスリング選手が「勝つこと」に拍手を送ってきた「にわかフアン」もまるで関心を見せない。つまり、こうした勝利至上主義をつくってきたのは、当該団体幹部だけでなく、マスメディアも観客も同じようにこうしたスポーツの構造をつくり、支えてきたと言うことである。

ところで今年の高校野球は金足農業高校の活躍によってとても面白かった。友人の一人は応援に甲子園へと出かけたほどであった。その友人は金足農業の応援であったが、球場の雰囲気は地元大阪桐蔭ではなく金足農業の方であったとFacebookでコメントしていた。ある種判官贔屓の面もあったと思うが、そこまで高校野球に魅入られるのもその「懸命さ」にある。甲子園においても「勝者」と「敗者」はいる。大阪桐蔭の野球施設はプロ顔負けの設備が完備していると言う。一方、金足農業の方はといえば県立高校ということもあって貧弱な設備である。しかし、そうした判官贔屓を超えた一種の「爽やかさ」があった、そう私には感じられた。そうした意味で決勝戦も面白く、その点差は勝者・敗者の意味を感じさせなかった。何故か。そこには野球が大好きな青年の「一途さ」が見られたからだ。それは金足農業に対してだけでなく、大阪桐蔭の選手に対しても同様である。だから爽やかなのである。勿論、この爽やかさ、一途さの背景には「フェアプレイ」という競技ルールがあることは言うまでもない。ルールというよりスポーツ理念・精神と言ったほうが適切である。

無類の高校野球好きであった作詞家阿久悠さんは、「観る側」からの視点で1979年から2006年の亡くなる直前まで全試合・全球の目撃者として書いた書籍「甲子園の詩」(幻戯書房刊)が残されている。その中で「なぜにぼくらはこれ程までに高校野球に熱くなるのだろう」と自問し、「”つかれを知らない子供のように”と小椋佳が歌ったが、今の子供はつかれきっており、ただ一つ、つかれていないものに心を熱くするのだろう」と語っている。そして、出場する選手への応援歌として「転がる石」を引用しながらその意味合いを次のように書いている。(「転がる石」は阿久悠さんの自伝小説であると共に、後年石川さゆりに同名の曲を歌わせている。)

『人は誰も、心の中に多くの石を持っている。そして、出来ることなら、そのどれをも磨き上げたいと思っている。しかし、一つか二つ、人生の節目に懸命に磨き上げるのがやっとで、多くは、光沢のない石のまま持ちつづけるのである。高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある。今年も、何十人もの少年が、ピカピカに磨き上げて、堂々と去って行った。たとえ、敗者であってもだ。』

この「甲子園の詩」の副題は「敗れざる君たちへ」である。今年注目された決勝戦の2校・選手は優勝旗を持って甲子園球場を一周した。一方多くの「敗者」がいる。敗者は甲子園の土を持ち帰り、心の中にある石をこれからも磨き上げて生きるのである。阿久悠さんは「転がる石」にふれ、「自分も転がる人生であったし、転がることを嫌がって、立場や過去に囚われてしまったら、苔むす石になってしまう」とも語っている。その言葉を敷衍するならば、アマチュアスポーツ自体「転がること」が今問われており、既に苔むしてしまっているということだ。変わることができなかった時、観る側にとって東京オリンピックはつまらないものとなっていくことは間違いない。そして、勿論のこと観る側もまた変わらなければならないということだ。(続く)


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