プロフィール
ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
インフォメーション
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 16人

2017年12月21日

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)

大阪新世界ジャンジャン横丁


常に「外」から教えられる日本

サブカルチャー、ポップカルチャー、あるいはサムライ、ニンジャ、・・・・・・「クールジャパン」と呼んだのは勿論海外の熱狂的なフアンであった。サブカルの街、オタクの街、アキバには1990年代後半から2000年代初頭にかけてクール(ステキ・かっこいい)と感じた主に欧米人のオタクが訪れていた。漫画やアニメ、特にアニメが一部のオタクから広くマスMDされることと併行して現れた現象で、ちょうどインターネットが普及し始めた時期でもあった。当時は言葉として呼ばれてはいなかったが、今日で言うところのバックパッカーで、オタクという表現と同じ様に若干蔑みの目て使われていた。バックパッカーという言葉にあるように、バックとはリュックサックのことで、このリュックスタイルは後に若い世代からシニアまで広く取り入れられることとなる。
それまでは文化というと、純文学であったり、伝承芸能の古典ものであったり、高尚なものとしての認識がまだまだ強い時代であった。こうした既成概念に穴を穿ったのは好きが高じた訪日外国人・バックパッカーと日本人オタクという「外」の人間であった。

少し時代を遡れば江戸の庶民文化の一つであった浮世絵が注目されたのも、ヨーロッパの印象派の画家や美術家によってであった。それは江戸時代の輸出品であったお茶や陶器の包装資材として浮世絵が使われていたのに目が止まったのがきっかけであったと言われている。ヨーロッパの文化はオペラが代表するように貴族社会や宗教社会から生まれ、それが次第に庶民へと浸透していった。一方江戸文化は庶民から生まれ、武家社会にも浸透していった特異な文化である。そうした江戸文化を代表するのが浮世絵であるが、その誕生は1680年ごろで絵師によって描かれた江戸のプロマイドのようなものであった。
1856年にパリの店で見つけられた北斎の「漫画」はヨーロッパの人々の日本の美術 への興味をふくらませ、明治維新以降広重や歌麿などの浮世絵が一大ブームとなる。その影響を「ジャポニズム」と呼んでいた。こうした「外」から指摘された構図は1990年代後半秋葉原にアニメやコミックを求めて集まった外国人オタクと同じである。つまり、当時の「ジャポニズム」とは今日の「クールジャパン」ということである。
そして、クールジャパンの聖地であるアキバを歩けばわかるが、現在は、秋葉原UDX内に東京アニメセンターがあるが、スタートは駅前の高層ビルの西側にある横丁路地裏にアニメやコミック、あるいはフィギュアなどのグッズ類を扱う店があった。今はどうかと言えば、訪日外国人オタク目当てだと思うが、約500台のガチャガチャが集約されたガチャポン会館も観光名所の一つになっている。
インターネット時代の横丁路地裏文化

インターンネットが普及して約20年になる。得られる情報量は10年前と比較して数百倍とも言われている。しかも、SNSやFacebookの浸透によって、夥しいコミュニティサイトが生まれ、マーケティングもこうしたコミュニティサイトをターゲット目標とすることとなり、それまでのマスメディア広告はその効果を失ってきたことは周知の通りである。そして、生活者の興味関心事の数だけコミュニティが生まれるのだが、そのコミュニティも数年前から単なる趣味やスポーツあるいはご近所ママ友の集まりから、「共感コミュニティ」とでも表現する様な考えや理念、それに基づく「物語」を持ったコミュニティへと進化してきている。
私の友人の主婦は有機農産物や手作りした食品あるいはフェアトレード商品を催事販売したり、インターネットオンラインで販売したりしてコミュニティを運営している。消費という視点に立てば、コミュニティメンバーはこうした「物語」を買う訳である。

こうした考えや理念といった「物語」については訪日外国人の旅行好きサイトである「トリップアドバイザー」に物の見事にその共感物語が出てきている。周知の様に旅行好きの口コミサイトであるが、2017年度の人気の日本のレストランランキングが次のようになっている。
1位;お好み焼き ちとせ(大阪市)
2位;ニーノ (奈良県奈良市/ピザ・パスタ)
3位;クマ カフェ (大阪府大阪市/ピザなど)
4位;お好み焼き 克 (京都府京都市)
5位;韓の台所 カドチカ店 (東京都渋谷区/焼肉)

全て小さな横丁路地裏の店で、隠れた名店ばかりである。1位の「ちとせ」は大阪は再開発から取り残された西成のディープな街にある。地下鉄の御堂筋線動物園駅から南に歩いて少しのところの路地裏にあるのだが、駅北側には最近注目を浴び始めた通天閣ジャンジャン横丁があると言った方がわかりやすい。大阪の人間に言わせると、知る人ぞ知る店だが、昔はあまり土地柄が良くないこともあって「ちとせ」までは行かないとのこと。そんな店に訪日外国人が押し寄せるのである。店の雰囲気もそうだが、昭和の匂いがするノスタルジックな昔ながらのお好み焼きである。訪日外国人が多いのは、日本最大級の「日雇い労働者の町」として名をはせた西成のあいりん地区が、国際的な「バックパッカーの街」に変貌を遂げているからである。東京でも同様で、浅草の北側にある山谷がバックパッカー向けの宿泊施設が急増しており、同じ現象である。
2位にランクされた「ニーノ 」(奈良市/ピザ・パスタ)はトリップアドバイザーによれば”英語の会話はうまくないが、家庭的なもてなしサービス”との評価。確か「ニーノ 」もそうであったと思うが、訪れた客の名前を漢字に置き換えて色紙に書いてプレゼントするサービスが喜ばれている。そんな気遣いが口コミとして伝わり、こうしたサービスが日本的なもてなしであると感じたからであろう。

観光庁の訪日外国人の要望調査には「畳の部屋の旅館に泊まりたい」、あるいは「温泉に入りたい」と言った点が挙げられているが、そうしたことを含め日本文化への興味関心は高い。訪日外国人をどこよりも早く受け入れてきた東京谷根千の「澤の屋旅館」が行ってきたのはこの家族的なもてなしサービスであった。
周知の様に谷根千は東京の中でも下町といわれ、古い町並が残る谷中に位置し、伝統的な下町の文化や人々にふれることができるエリアである。この澤の屋旅館はその宿泊料金も安く、これまでに89ヵ国、延17万人を超える外国のお客様が利用。ちなみに、和室1名で1泊5400円。朝食は324円となっている。
この澤の屋旅館は宿泊客の調査を行っており、結果を公開している。個人旅行における訪日理由が明確になっている。
「日本の歴史・文化・芸術に興味がある」が 54.5%でトップ。
以下、「日本が好き」50.0%、「日本人が好き」30.2%、「観光地を訪れる」27.5%、「日本の食に興味がある」 26.0%の順となっている。
そして、旅行で体験したことは、
「歴史的建築・景観(城・寺社)」81.9%、 「由緒ある日本旅館に宿泊」80.3%、「日本の伝統食(寿司・懐石など)」73.4%、「日本の日常食(う どん・そば・居酒屋など)」73.0%、「日常生活・文化(スーパーマーケット・ショッピングなど)」 68.3%等が上位に挙げられている。
こうした調査結果とトリップアドバイザーの人気のレストランランキングを重ね合わせてみると訪日外国人の行動が良くわかる。これがクールジャパンとしての日本文化である。

都市の中の横丁路地裏

秋葉原、アキバの街もそうであるが、駅前・中心部から少し外れた、裏通り、地下、・・・・・こうしたところに独特な文化が生まれる。今やメジャーとなったAKB48も駅前から少し外れた雑居ビルに誕生した。次には駅前高架下にステージが広がってきた。そして、現在は後を追う様にいわゆる「地下アイドル」が多くのミニミニ劇場から誕生している。それは都市中心部の高い地代・賃料では商売できないような、少数の特定顧客を相手にした一見マイナーな商売だが、その分自由で個性的な店々が誕生している。特定顧客相手だから、つまりリピーター顧客相手だから、利益を追い求めることに汲々となることなく、思い切った商売ができる。店やオーナーの考えや思いをストレートに発揮でき、それに共感する顧客が集まるということである。成熟時代の消費とは、生きるための必要から生まれるものではなく、どちらかと言えば前述のように店やオーナーの考えや理念(物語)に共感する「物語消費」となる。不必要に見えるが、実は生きがい・働きがいが求められる時代にあっては不可欠な要素となっているのだ。

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)ところで大阪の中心部梅田に人が集まる2つの路地裏がある。元々は大阪はサントリー誕生の地であり、酒飲み文化をその秀逸な広告によって広めた企業でもある。その酒飲み文化を創造してきた一人である作家開高健がその著書にも書いているが大阪ミナミに「関東煮(かんとうだき)」の有名店「たこ梅」がある。こだわりにこだわった店だが、かなり値段も高く日常的に回数多く利用できる店ではない。
こうした酒飲みの店ではなく、サラリーマン御用達とでも言える安くて美味しい肴を出してくれる老舗の大衆酒場がある。神戸灘の地酒「福寿」の直営店でサラリーマンの聖地とでも言える酒場である。梅田の駅前ビル1号館にあるのだが、阪神百貨店横の地下道を6〜7分歩いたところのかなり古いビルのそれも一番奥にある店である。東京でいうならば新橋の「大露路」と言ったオヤジの居酒屋である。いつ行ってもほぼ満席状態で店内はそれこそオヤジ飲みの聖地の一つとなっている。サラリーマンの上司から部下へ、その部下が出世し、またその部下へと受け継がれてきたオヤジ飲みの店である。

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)同じ梅田にはもう一つ若い世代が集まる路地裏がある。大阪駅の駅ビルルクアイーレの「バルチカ」にある「赤白(コウハク)」という洋風おでんを目玉メニューにした人気店を中心とした裏通り飲食街である。東京もそうであるが、アルコール離れの若い世代向けの新しい業態を横丁のように編集した通りが誕生している。通称「バル横丁」と呼ばれているが、スペインのバル文化と日本の横丁文化を融合させた通りである。
ところでこのルクアイーレの裏通り「バルチカ」がフロアを拡大させている。周知のように伊勢丹が撤退した跡の食品フロアをどうするかという課題があったのだが、地下一階はユニクロとGUが入り、地下二階はどうなるのかと注視していたが以下のようなニュースリリースが発表され12月19日オープンさせている。

『現在営業中の「バルチカ」のフロア面積を約200坪から約640坪へと3倍に拡大、新たに18店舗が出店する。新たに加わる店は、「海老talianバル」や「大衆飲み処 徳田酒店」「松葉」など、ウラなんば、天満、京橋でコスパが高いと評判の繁盛店。梅田のど真ん中に、路地裏の人気店やミシュランのビブグルマン獲得店など、実力を兼ね備えた名店を集積。昼から飲めるのはもちろん、さまざまなジャンルの料理や酒がそろい、はしご酒も楽しめるエリアになる。』

横丁がエリアへと3倍に拡大させたとのことだが、新しい若者世代のバルの聖地が誕生したということであろう。そして、前述の福寿にはオヤジ酒場文化として吉田類の「酒場放浪記」があるが、若い世代のバル文化・ちょい飲み文化もまた生まれてくるということだ。

フラリーマンという「自分」を見つけようとする人達

1990年代半ば都市を漂流する少女達が現れ、薬物に手を出したり、援助交際といった問題など社会問題化したことがあった。当時、「無縁社会」という言葉はなかったが、個人化社会の進行に伴って生まれた若い世代の社会現象の一つであった。
今、若い世代だけでなく、働き盛りの世代、それも既婚男性が仕事を終え自宅にストレートに戻らずに一種の「自由時間」を楽しんでいる人物を「フラリーマン」と呼んでいる。これはNHKが9月にこのフラリーマンの姿を「おはよう日本」で放送したことから流行った言葉である。
都市においては夫婦共稼ぎは当たり前となり、夕食までの時間を好きな時間として使う、フラリーマンが増えているという。書店や、家電量販店、ゲームセンター、あるいはバッティングセンター…。「自分の時間が欲しい」「仕事のストレスを解消したい」それぞれの思いを抱えながら、夜の街をふらふらと漂う男性たちのことを指してのことである。
実はこうした傾向はすでに数年前から起こっていて、深夜高速道路のSAで停めた車内で一人ギターを弾いたり、一人BARでジャズを聴いたり、勿論前述のサラリーマンの聖地で仲間と飲酒することもあるのだが、単なる時間つぶしでは全くない。逆に、「個人」に一度戻ってみたいとした「時間」である。

ビジネスも家族との時間も、次から次へと凄まじいスピードで進んでいく時代にいる。結論から言えば、仕事関連の「関係」や妻との「関係」から、一歩引いて「自分を見つめる時間」を必要としているということだ。最近話題となっている「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著、漫画羽賀翔一)が100万部を超えた。あのアニメ監督宮崎駿氏の復帰第1作のタイトルも「君たちはどう生きるか」で制作を開始したという。
こうした自分を見つめ直す傾向は、「散歩」と同じ構造を持っている。「時間認識」という視点に立てば、目的のない散歩といういわば「道草」とはビジネスや生活を取り巻く多くの過剰さやハイスピードを一旦脇に置き、ごくごく普通である日常の自分に戻ることである。真面目なサラリーマンに多く見られる現象であるが、そうした頑張らない勇気をもってチョット休んでみよう、ということである。仕事仲間に対しても、妻に対しても、「頑張りすぎない」ことも必要な時代ということだ。停滞、混乱、閉塞、そんな時代であればこそ、道草が必要ということである。

成熟時代の「文化」を学ぶ


今まで「文化」はビジネスにはならないと考えられてきた。しかし、昨年日本ばかりか世界でヒットした新海監督によるアニメ映画「君の名は。」の興行収入は歴代4位の250億円であったとのこと。しかし、その映画の広がりは映画の舞台となった東京四谷須賀神社横の階段や飛騨高山の飛騨古川駅を訪れる聖地巡礼が多く見られている。こうした巡礼オタクは新海作品以外のアニメ映画も多く観ていることであろうし、他のビジネスへと広がりを見せている。その良き事例であると思われているのがランドセルのヒットであろう。「ちびまる子ちゃん」などのアニメに出てきたランドセルが海外のアニメ好きから話題となり、訪日外国人のお土産に買われているという。少子高齢社会にあって、ランドセル業界は右肩下がりの斜陽産業であったが、新たな需要が生まれたことでランドセルメーカーもその経営を持ち直している。
また、渋谷のスクランブル交差点が今日のような訪日外国人の観光名所となったのも、2003年に公開された映画「ロスト・イン・トランスレーション」がそのルーツであると言われている。この映画にはスクランブル交差点や新宿歌舞伎町など、外国人の好奇心をくすぐる風景があふれている。それは大阪なんばが広く知られるようになったのもガイドサイト「トリップアドバイザー」によることが大きかったことと同じで、「文化」の流通は思いがけないところにも大きく広がっていることがわかる。

観光地化の「鍵」となる文化

この未来塾でより課題を明確化するために「テーマから学ぶ」と題し、谷中ぎんざ(下町レトロ)、2つの原宿/竹下通り&巣鴨(聖地巡礼)、エスニックタウンTOKYO(雑の面白さ)、葛飾柴又(変化する観光地)、浅草と新世界(時代変化を映し出す)、そして、観光地化を促すための方法としての差分や遊び心、こうした人を惹きつける街やテーマ、それらを際立たせる方法を個別にスタディしてきた。この他にも「もんじゃ焼き」をテーマにした街として成功した東京中央区の月島や大テーマである「昭和レトロ」を具現化している吉祥寺ハモニカ横丁など街歩きをレポートしてきたが、その根底にある「文化」はそれぞれ異なるものであった。例えば、概念としての「下町レトロ」は谷中ぎんざも吉祥寺ハモニカ横丁もその文化は異なる。その魅力としては「Old New 」古が新しく魅力的であると若い世代は感じ、団塊世代にとっては懐かしさを感じる、つまりOldの受け止め方が異なると共に、その歴史の積み重ね、堆積もまた異なるからである。歓楽地として繁栄した東京浅草と大阪新世界はその歓楽地の衰退と共に「次」に何を目指すのかという点において異なり、新世界が通天閣とジャンジャン横丁を中心としたエンターティメントパークとして成功したのに比べ、浅草はそこまでの変わりようを果たしてはいない。

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)こうした「違い」は行政の支援もあるが、そこに住む人々、そこにある企業や団体の人たちの「考え」「思い」によって「地域文化」が創られる。谷中ぎんざのスタートは谷根千に住む4人の主婦が愛する街谷中のコミュニティ誌を作ることから始まる。谷根千は寺町でもあり、そこの住職や商店街の人たちも次第に参加し、地域全体が「下町レトロパーク」へと向かう。その中に前述の訪日外国人に人気の旅館「澤の屋」もメンバーとなっている。「何」を残し、「何」を変えていくか、決めて実践するのはその地域の「人々」である。
同じ下町レトロというテーマであっても谷中ぎんざと少し異なるのは中央区月島の「もんじゃストリート」である。下町の駄菓子屋の店先で売られていた子供向けのもんじゃ焼きは地域再開発と共に駄菓子屋もなくなりどんどん廃れていく。そのもんじゃを大人のもんじゃとして再スタートさせたのは「いろは」というもんじゃ焼きの店であった。ちょうど離れ小島のようであった月島に地下鉄有楽町線の開通というタイミングもあり、もんじゃストリートが次第に創られていく。そして、テーマとして確立させたのは、やはりメニューで明太子入りや餅入りといったもんじゃ焼きメニューが創られたことによってテーマパークは確立する。つまり、マーケティング&マーチャンダイジングがあったということである。ちなみにもんじゃストリートの正式名称は西仲通り商店街で、表通りである晴海通りから西に一本入った裏通りである。また、谷根千は戦災から免れた古い町並みが残る上野の裏手に位置したエリアである。

寸断される生活文化

東京では浅草寺、京都では伏見稲荷大社や清水寺といった歴史もあり、そのユニークな景観があるところはその文化価値は寺社自身以外にも、周辺の街も、更には国や行政も文化価値の継承を守りサポートする。ここではそうした継承されてきた観光地ではなく、いわゆる生活文化価値の誕生と継承をテーマとしており、生活する上で残すべき「何か」となる。そして、この生活文化が今日の生活に色濃く残っているのが、江戸時代の文化である。花火、花見、少なくはなっているが相撲や寄席、俳句などもそのフアンは400万人ほどいる。
ところでこの生活文化が熟成し、継承していくのは、小さな単位においては「家庭」であり、「村・町」であり、少なくなったが「国」の中においてである。
そこにおける「文化」とは祖父母から子へ、子から孫へと伝えられる生活の知恵のことである。今日においては、家族が崩壊し個族化した時代にあって、伝えられるべき文化は寸断されてしまっている。恐らく、唯一そうした生活文化が色濃く残っているのは京都であろう。勿論、京都も他の都市と同様に個族化してはいるが、四季折々の祭りや生活歳時が一種の生活カレンダー化されていて、生活文化が継承されている。祭りの日をハレ、日常をケと呼ぶが、これほどはっきりとした生活が残っているのは京都だけである。ハレの日はパッと華やかに、普段は「始末」して暮らす、そうした生活習慣である。ハレの日はどこまで残っているか京都の友人に確認してはいないが、例えば4月の今宮神社のやすらい祭りにはさば寿司を食べる、といった具合である。

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)この生活価値の一つである「始末」であるが、始末の基本は食べ物を捨てないという意味。素材を端っこまで使い切ったり、残ってしまったおばんざい(京の家庭料理/おふくろの味)を上手に使い回すといった生活の知恵である。それは単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることであり、「もったいない」という考えにつながるもので、エコロジーなどと言わなくても千数百年前から今なお続いている自然に寄り添って生きる生活思想だ。例えば、大根なら新鮮なうちはおろしてじゃこと一緒に食べ、2日目はお揚げと一緒に炊いて食べ、3日目はみそ汁の具にするといった具合である。この始末は日本古来のビジネスモデル、三方よしを創った近江商人の日常の心構えでもある。「しまつしてきばる」という言葉は、今なお京都や滋賀では日常的に使われており、近江商人の天性を表現した言葉である。

間も無く最大の「ハレ」の日である2018年の正月を迎える。ハレの日の祝膳であるおせち料理も代々伝わってきたおせちを作る家庭はどんどん少なくなり、百貨店や通販のおせちで祝う家庭がほとんどとなってきた。しかし、初詣には出かけるという一種バラバラな正月行事となる。年賀状はメールになり、TV番組も初笑いではなく箱根駅伝が正月の風物詩となった。都市においてはハレの日の迎え方も変わってきたということだ。ただ、故郷を持つ家族にとっては、混雑のなか帰省し、代々継承されてきた「正月」を迎えることとなる。

こうした寸断された生活文化にあって、都市商業文化に対し地方生活文化という構図が浮かび上がってくる。静かなブームが続いている田舎暮らしも、農業体験も、実は村や町単位で残されている生活文化体験のことである。ここ1~2年訪日外国人の個人旅行、特にリピーターの多くは地方へと向かっている。LCCによる空港の多くは地方ということもあって、東北や四国にまで旅行先が広がっている。ちょうど表通りが東京・大阪・京都観光だとすれば、地方は裏通り・横丁路地裏観光ということになる。ある意味、代々継承されてきた生活文化を体験できるということだ。都市生活者が忘れてきたことを、「外」から、訪日外国人から指摘され教えられる時代が来るかもしれない。
冒頭で書いた野の葡萄の理念「ここにある田舎をここにしかない田舎にしたい」とはまさに地方に眠っている「生活文化」のことである。そして、その田舎とは、その地・岡垣町の産物のみで作る「30種以上の野菜が摂れるビュッフェスタイル」で提供する「田舎」である。時代要請を捉えた都市生活に不足している健康コンセプトで創られた「田舎」である。葉物野菜以外は全て岡垣町産で目の前の玄界灘で獲れた魚は一船買いをし、獲れた魚次第でメニューもまた変わる。こうした「変化」をも楽しめる「田舎」である。

「文化起こし」への着眼

冒頭の藤沢の「さかな屋キネマ」のように、文化起こしは最初は「好き」を入り口に一人から立ち上がる。本業の方は順調のようで、道楽としての「映画上映」も商店街の活性に役立っていることと思う。今後さらに広げていくには、そうした道楽自体もビジネスとして考えていくことが必要となる。しかも、藤沢市という街全体としてである。東京谷根千の文化起こしは主婦四人から始まったが地域全体へと広げていく方法は100の地域があれば100通りの方法があるとしか言いようがない。それが「文化」の持つ固有独自性であり、真似のできない世界ということだ。

こうした「文化」を広げ継承していく方法の一つに江戸時代には「連(れん)」という方法があった。江戸時代の都市部で展開していた「連」は少人数の創造グループのことを指す出入り自由な「団体」のことである。江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。その組織を表現するとすれば、適正規模を保っている。世話役はあっても、強力なリーダーはいない。常に全員が何かを創造しており、創る人、享受する者が一体。金銭が関わらない。他のグループにも開かれていて出入り自由。様々な年齢、性、階層、職業が混じっていて、ひとりずつが無名である。常に外の情報を把握する努力をしている。ある意味、本業をやりながらの「運動体」であり「ネットワーク」を持った「場」である。
例えば、江戸で流行ったものの一つに俳諧がある。俳諧は独吟するものではなく、座の文学なので「連」という形態を必要とする。「連」は俳諧を読むための場、そこに集まる人々のサロンを指していた。18世紀後半に流行った狂歌の連には落語家や絵師、作家、本屋などが集まり江戸の成熟した文芸をもたらした。江戸時代では、個人が自分の業績を声高に主張することはなかった。つまり、個人主義ではあっても、利己主義ではなかったということである。

こうした連のあり方を考えていくと、インターネットが普及し始めた時「オープンソース」という考え・理念がネット上に起こったことを思い浮かべる。その中でもオープンソースソフトウェアは、ネット上の有志によって組織された開発プロジェクトやコミュニティにおいて議論や改良が進められる。代表的なオープンソースのプロジェクトとして、リーナス・トーバルズが開始したUNIX互換のオペレーティングシステムであるLinuxを挙げることができる。その後もGoogleはオープンソースOS「Google Chrome OS」を開発している。自由に入手し無料で活用できるソフトウエアはネット社会が目指す理想でもある。
もっと簡単に言うとならば、ネット上で興味関心事を共有し、各人が知恵やアイディア、勿論技術を持ち寄って一つの「何か」を創り上げることが可能な世界である。かなり前になるが、作品名は忘れたが、ネット上で一つの映画が作られたことがあった。大きな映画館・劇場で有料上映される映画を表通りとするならば、こうしたオープンソースによる「何か」は裏通りから生まれたものと言えよう。

そして、今回のテーマである生活文化は中心から「外れた」地方で、郊外で、表通りから少し入った横丁路地裏で、あるいは高層ビルの谷間にある「雑居ビル」の一室で、「地下」で、生まれ熟成していることだけは確かである。そこで育まれた文化こそが、競争の激しいビジネス状況にあって強力な武器となる。そのためにも、垣根文化ではないが、互いに顔を合わせ個人のプライベートを守り維持しながらも、コミュニケーションし共有・共感することに関しては共に参加し行動する、そんな成熟した社会が待たれている。そこから新たな生活文化も生まれ育っていく。そして、この「文化」があって初めてブランドが創られ顧客はそれを育てていく。
例えば、そうした地域の生活文化を代表するような「100年食堂」が青森には数多くある。その名の通り100年以上受け継がれてきた食堂である。そして、冬は寒い地域であるが、1年を通し体だけでなく心も暖かくなる、そんな食堂であると多くの人が表現する。そこには100年続かせた青森の産物を調理する知恵と工夫の物語があり、他に代え難いブランドとなっている。京都以外にも埋もれた生活文化は多い。成熟した時代の消費とはこうした「文化共感物語」の消費を指す。モノ充足を終えた成熟時代の消費とは、心までもが豊かになる「文化消費」のことである。(続く)










同じカテゴリー(新市場創造)の記事画像
2023年ヒット商品版付を読み解く 
マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半
マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」前半 
春雑感  
変化する家族観 
常識という衣を脱ぐ
同じカテゴリー(新市場創造)の記事
 2023年ヒット商品版付を読み解く  (2023-12-23 13:30)
 マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半 (2023-07-05 13:15)
 マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」前半  (2023-07-02 14:01)
 春雑感   (2023-03-19 13:11)
 変化する家族観  (2023-02-26 13:05)
 常識という衣を脱ぐ (2023-01-28 12:56)

Posted by ヒット商品応援団 at 13:13│Comments(0)新市場創造
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)
    コメント(0)