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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2015年06月03日

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)

ヒット商品応援団日記No615(毎週更新) 2015.6.3.

「エスニックタウンTOKYO」の後半では衰退に向かう新大久保コリアンタウンとは逆に、新たな成長の芽が出てきた2つの街、池袋西口のチャイナタウンと高田馬場のリトルヤンゴンを選び学ぶこととする。

2、新しく成長する街、池袋チャイナタウン

今から7年ほど前であったと記憶しているが、新華僑たちが提唱した「東京中華街構想」について地元池袋北口の商店街との摩擦がマスメディアで取り上げられたことがあった。一言で言えば、池袋駅の北西には、約200軒の中華料理店や中国食材あるいは雑貨などを販売する店が点在しでいる。中国人店主らがこの一帯を「東京中華街」と名づけて、新しい観光スポットにしようという構想であった。地元商店街にとっていきなりの話から、こじれたわけだが、その後の構想の進展はHPを見る限りにおいては進んではいないようだ。
しかし、約200軒の店が無くなった訳ではなく、実は横浜中華街とは異なる「個性」を発揮していることは事実である。その異なる「個性」のなかに、成熟した中華街としての横浜と、これからの成長を図る池袋とのコンセプトの違いが明確に見て取れる。その違いとは、外国の食の取り入れ方、「日本化」という課題への取り組み方の違いでもある。

▪️「日本化」の先駆者、陳 建民

中国料理オタクとは言わないが、本場の四川料理と日本における中国四川料理の違いについて分かる人が徐々に増えてきている。戦後本場の四川料理を日本に取り入れる努力をし、今日の中国四川料理を日本全国に普及させ確立した貢献者が「四川料理の父」と呼ばれている陳 建民であった。つまり、日本の味覚に合わせたアレンジを積極的に行ったことによるもので、現在の日本では当たり前になっている「回鍋肉にキャベツを入れる」「ラーメン風担担麺(中国では汁なしが一般的)」「エビチリソースの調味にトマトケチャップ」「麻婆豆腐には豚挽肉と長ネギ」というレシピは、建民が日本で始めたものだと言われている。
そして、有名な言葉「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」という言葉を残してくれた料理人であった。(ウイキペディアより)
こうした「日本化」を踏まえて成長してきたのが横浜中華街であり、今や一大観光地となったことは周知の通りである。そして、そうした観光地=一般化・大衆化していくなかで、本場の味を求める日本人も出てきた。

▪️本場中国料理の「今」、ネイティブチャイナがテーマ

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
横浜中華街は神戸南京町や長崎新地と同じように開港都市に作られた中華街で、先人たちとして老華僑と呼ばれている。池袋北口に集まる中国料理や食材店の多くは、1978年末以降の中国の改革開放政策の進展などに伴い日本に来た中国人で,在留中国人人口は急増する。特に豊島区池袋周辺に居住する在留中国人は多く約1万2000人。それまでの老華僑との比較としていわゆる「新華僑」と呼ばれている。
昼間、仕事で池袋を訪れる中国人も入れると、約3万人。その大半が留学生として来日、日本に住み着いたニューカマーである。池袋北口周辺を歩くと分かるが、中国語を話しながら歩く男女、携帯電話の声の多くも中国語である。この新華僑による中華街が池袋チャイナタウンである。

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
写真を見てもわかると思うが、池袋チャイナタウンには横浜中華街のような入り口を示す楼門も無ければ、関帝廟もない。それどころか、ずらりと中華料理店が並ぶような通りもなく、パラパラと店が点在するだけである。楼門の代わりをしているのが、池袋チャイナタウンのランドマークとなっている写真の「陽光城」であろう。中国食材の専門店であるが、店内に入れば中国語の会話しか聞こえてこない、そんな中国一色となっている。

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
そして、池袋チャイナタウンの特徴ともなっているのがその中国料理店のメニューである。新華僑も更に「新」となり、中国東北3省(遼(りょう)寧(ねい),吉(きつ)林(りん),黒龍(こくりゅう)江(こう))出身の新華僑が新たに加わり,中国東北料理店や中国朝鮮族料理店は,今や池袋チャイナタウンを彩る名物になっている。 
その代表的中国料理店の一つが「知音(チイン)食堂」であろう。火鍋という中国の伝統料理が名物でそのなかでも四川系の”旨い、辛い”料理がこれでもかとメニューに並んでいる。ほとんど日本語が通じない中国人スタッフ、そしてランチ時ということもあり、ごく普通の担々麺を食べたがまさに”旨辛”料理であった。
おそらく初めて来る人間にとってここは東京池袋を一瞬忘れさせてしまうほどの「本場中国」がある。

他にも中国東北家郷料理・朝鮮族の料理店の「阿里郎(アリラン)」、重慶三巴湯しゃぶしゃぶが名物の「四川火鍋城」、中国東北家庭料理の「永利」や「大宝」、といったように中国東北、伝統料理、火鍋、が最大特徴となっている。ある意味陳健民が築き上げた「日本化」の反対極にある「伝統中国」「ネイティブチャイナ」という中国回帰を思わせるような日本においては新しい「動き」が見られる店々である。
未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)









池袋チャイナタウンのガイドになってしまったが、これが横浜中華街との違い「個性」であろう。店のスタッフは中国人で、顧客の多くも中国人、そのなかに日本人も含まれるといった程度である。食べ慣れてしまった「日本化」された中国料理にあって、ある意味ネイティブチャイナという新鮮な「中国」に出会うことができるという魅力である。

▪️横浜中華街(表)と池袋中華街(裏)の楽しみ方

今後池袋チャイナタウンがどのような活動を見せていくかわからないが、消費という視点に立てば2つの中国料理を楽しむことができる。横浜中華街の最大特徴の第一はその中国料理店の「集積密度」にある。東西南北の牌楼で囲まれた概ね 500m四方の広さの中に、 中国料理店を中心に 600 店以上が立地し、年間の来街者は 2 千万人以上と言われている。観光地として全国から顧客を集めているが、東日本大震災のあった3月には最寄駅である元町・中華街駅の利用客は月間70万人まで落ち込んだが5月には100万人 を上回る利用客にまで戻している。こうした「底力」は「集積密度の高さ=選択肢の多様さ」とともに、みなとみらい地区など観光スポットが多数あり、観光地として「面」の回遊性が用意されているからである。こうした背景から、リピーター、何回も楽しみに来てみたいという期待値を醸成させている。
一方、池袋はというと、中国料理店の集積密度もそれほど高くなく、観光地として他の楽しみをも味わうといった回遊性もない。ある意味、個店が尖った特徴を持たない限り、「普通」の中国料理店街ではやってはいけない。つまり、日本化した中国料理とは歴然とした違いが分かる店に向かうしかないということである。「東京中華街構想」の詳細を熟知している訳ではないが、横浜中華街と同じような中華街をつくっても消費者にとってあまり意味ある戦略とは思えない。
尖った特徴という表現を使ったが、前回の「原宿」で学んだように、表参道を表とするならば、キャットストリートの裏原宿の関係のように、明確な戦略があった方が意味ある戦略と思える。横浜(表)と池袋(裏)という2つの楽しみ方である。

3、新しいエスニックタウンの芽、リトルヤンゴン

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
新宿百人町のイスラム横丁も新しいエスニックタウンの芽であるが、もう一つユニークな街がある。今回は衰退する街新大久保コリアンタウンと成長する池袋チャイナタウンという2つの街を比較しながら、日本市場のなかの外国コミュニティとそのビジネスのあり方について学んできた。何が問題なのか、何をもって強い競争力を発揮すべきか、こうしたマーケティングの視点をもって比較しながら街を見てきた。
実はもう一つ「リトルヤンゴン」と呼ばれるミャンマーの人たちが集まる街、高田馬場を歩いてみた。私の世代ではビルマといった方がわかりやすいが、最近では日系企業が続々と進出している経済記事を目にする国である。日経ビジネスオンラインによれば、JR山手線という交通の便が良く、家賃も安いことから高田馬場及び周辺には1000人近くのミャンマー人が住んでいる。彼らの多くは旧軍事政権による迫害を恐れ、本国を逃れてきた難民である。そして、日本語の壁と戦いながら、建設労働などに従事し、ミャンマー料理店を始め「起業」していると。最近の情報によれば高田馬場駅周辺の新宿区に住むミャンマー人人口は、2015年4月現在、1310人となっている。1年前の2014年4月には1106人、2年前の2013年4月には1021人にしか過ぎなかった人口が急増している。
いくつかのそうした飲食や雑貨などを扱う店が高田馬場の駅前にあるビル「タックイレブン高田馬場」(写真)に入っている。未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
今、ネット上ではエスニックな国々の料理を味わおう、未知の国の文化に触れてみよう、といったサイトやブログが数多く見られるようになった。
今回はそうした難民申請が認められミャンマー料理の「ルビー」という店で初めてミャンマー料理を食べてみた。
未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
写真はランチメニューの一つ「モヒンガー」というミャンマーの代表的な家庭料理。具材に米粉で作ったソーメンのようなものが入ったスープ仕立てのもので優しい味のするものであった。帰り際、流暢な日本語を話す女主人に初めてのミャンマー料理の感想を話すと、ランチには魚介のなかに「鯖」を使っているが、夜には「ナマズ」を入れた「モヒンガー」やフライなどいくつかのナマズ料理を出してくれると。ちなみにランチの値段であるが、サラダやスープ、ライスにデザートが付いて750円であった。随分安いなと思ったが、高田馬場駅から早稲田通りにかけては学生街ということからラーメン激戦区と言われており、まあ妥当な価格であると理解した。

▪️エスニックが行き交うスクランブル交差点、高田馬場

リトルヤンゴンと呼ばれる高田馬場であるが、駅周辺を歩くと風景は日本だが、日本とは異なる「外国」に来ているような奇妙な錯覚に襲われる。高田馬場というと誰もが早稲田大学の学生街とイメージするが全く異なる「学生街」であった。ハングル、中国語、時折英語、更に少数であるが私にはどこの国が識別できない人々で溢れた街となっている。つまり、都内にある日本語学校の多くが高田馬場に集まっているということである。前述のように留学生のなかで中国や韓国からの留学生は減少傾向にあるとはいうものの絶対数では大きな留学生となっている。写真はそうした日本語学校の一つであるが、周辺には4〜5箇所ほどの学校がある。
未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
例えば、SIランゲージスクールを始め、ヒューマンアカデミー 日本語学校、新宿日本語学校、東京国際大学日本語学校、といった学校で勿論早稲田大学や東京富士大学といった大学の日本人学生もおり、ちょうどコリアンタウンの新大久保と池袋チャイナタウンの中間にある駅、高田馬場はアジアのスクランブル交差点とでも呼ぶにふさわしい光景が繰り広げられている。

ちなみに、高田馬場は次の3線がつながる一大ターミナルを形成している。

•JR東日本 - 2013年度の1日平均乗車人員は201,513人である。
•西武鉄道 - 2013年度の1日平均乗降人員は292,694人である。
•東京メトロ - 2013年度の1日平均乗降人員は189,308人である。

西武新宿線の乗車人数が多いのは乗り換え客が多いからということもあるが、実は周辺の大学もさることながら専門学校、特に「日本語学校」が数多くあることによる。

テーマから学ぶ



訪日外国人の市場、インバウンドマーケティングが注目を浴びている。文化の違い、あるいは興味関心がどこにあるのか、気づかされる点が多い。同時に、実は在留外国人による市場がここ数年大きく変化してきているのだ。今回は衰退に向かう新大久保のコリアンタウンと一方独自なメニューを掲げ成長を見せはじめた池袋チャイナタウン、そして更に新しい芽が出始めたイスラム横丁やリトルヤンゴンについて学んでみた。
今回の学習は前回の「2つの原宿」と共通するテーマである「観光地化」と、外からのモノや文化の取り入れる際の「日本化」であった。また、在留外国人によってもたらされる生活文化からの刺激、まだまだ知らない日本の中にある「外国」への興味関心、そうした新しい消費の動きが至る所に出てきている。そして、こうした変化は次なる目標である訪日外国人2000万人という変化を踏まえ、結果として在留外国人も増えて行くと予測される。そうした意味を含め、日本の消費市場にも更に影響を与えていくことは間違いない。

1、「ブーム」はバブル、そして原点への回帰

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)
結論から言えば、新大久保コリアンタウンの再生に欠かせないのは「ブームは終わり、実はバブルであった」という認識につきる。「バブル崩壊」という生活実感、消費実感を知っているのはポスト団塊世代以上であるが、結論から言えば多くの神話が壊れた後再建回復できた「源」は原点回帰であった。
勿論、バブル崩壊から立ち直れてはいない企業も個人も今なお苦しんでいる。そして、過去の学びとして、「立ち直る」には新しいイノベーションが必要であった。間違ってはならないが、原点回帰とは単に過去に戻ることではない。原点回帰とは「創業」における志とイノベーションの意味に戻る、ということである。そうでなければ「今」すらもない。未来塾の「創業の精神から学ぶ」で、創業とはベンチャーであり、今ある企業から、町おこしを進めようとする人たちまで、全てにその原型が創業にあると。そして、その原点回帰をより具体的「今」どうすべきかという課題に置き換えていくとすれば、「変わらぬこと。変えないこと」を明確にすることから始めなければならない。多くの企業にとって一番難しく、悩むところである。変わらぬこと=常に顧客変化という時代と共にあること、そしてそのために真摯にお客様につくす、それらはいつの時代になっても変えないということと同じである。時代と共にあるとは、このような精神によってである。

私は韓国ソウルには3度ほどしか行っていない普通の観光客であったが、それでも1990年代前半には新宿の歌舞伎町裏の韓国料理店にはよく通っていた。特に通った2つの店が「松屋」と「明洞」であった。2店ともある意味ネイティブコリアで特に「松屋」はそうであった。顧客の半分はコリアンで、残りは日本人。カムジャタンという鍋やどんぐりを使った料理などソウルで出会った料理が国内でも食べられるという意味で新鮮であった。「松屋」も「明洞」も、歌舞伎町あるいは歌舞伎町裏にある店という認識で、新大久保のコリアンタウンではなかった。
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私にとって新大久保コリアンタウンは「冬ソナ」ブームによって創られた情報による「虚構」の街という認識である。原点に戻るとは、「虚構」から「現実」へ、つまり顧客支持の原点であるネイティブコリアに戻ってみるということである。「イケメン通り」などと浮かれた世界とは真逆の世界に今一度戻ってみようということである。
「変わらぬこと。変えないこと」を確かめに、久しぶりに歌舞伎町裏の「松屋」に行ってみたいと思う。これがバブルを脱する一つの道である。


2、「日本化」と「ネイティブ」という発想

今回は韓国、中国、そして、新しい外国人居住者のコミュニティの芽について学んでみた。これ以外にも江戸川区西葛西にはインド人コミュニティがあり、約2000人のインド人が住んでいる。私がインド料理のカレーに最初に出会ったのは中央区銀座の外れにあるナイルレストランであった。インドの家庭料理で当時は「本格的」という形容詞が付くレストランであった。しかし、今ではインドも中国がそうであるように広く、南インド料理であるとか、ネパールに近いインド料理もある。また、少し異なるがスパイスという視点に立てばタイカレーのようなジャンルもある。こうした細分・専門化された店とともに、日本人が家庭で作るジャガイモの入ったカレーもあれば、10年ほど前には喫茶店カレーも流行った。最近ではB-1グランプリの影響から横須賀海軍カレーのような「ご当地カレー」も人気となっている。ある意味、「日本化」が進み、インド料理もその違いを特徴として出した「ネイティブ」志向も見られる。これはカレーにおける日本市場がある意味成熟していることの証明で、更に2つの方向に進んでいくと考えられる。
1つは、更なる「日本化」で中国料理店が作るカレーのように、新しい「⭕️⭕️カレー」のようなものが出てくるかもしれない。チョット極端な発想であるが、韓国料理店が作る「コリアンカレー」のようにである。
もう一つは「ネイティブ」の進化である。池袋西口のチャイナタウンのように、国別、地域別、少数民族別といったオリジナル料理である。更には、カレーというジャンルとは少し外れるが、「スパイス」という視点に立てばマレーシアを始めモスリムの人たちの料理まで広がる。
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こうした市場の広がりと進化はその「市場」の成長・成熟段階によって決まる。カレールーを製造するメーカーであるSB食品が苦戦しているのも、こうした成熟市場という、日本化とネイティブのなかの多様性に合わせたカレールーづくり及び周辺商品の開発に遅れてしまったからである。
今、注目を浴びている動きの一つが次々と専門店として起業している「大阪スパイスカレー」であろう。スパイスの組み合わせによって多様なオリジナルカレーを作ることができる。「自分の味」「自己表現としてのカレー」・・・・・・つまり、一般的な創作カレーといったものではなく、「パーソナルブランドカレー」の出現である。アパレルファッションの創世期がそうであったように、「私の」というオリジナリティを目指す表現世界である。成熟市場を突破する一つの方法である。写真はそうした「パーソナルブランドカレー」の先達である東京町田の「アサノ」である。
中国料理もこうした成熟した市場となっており、こうした「パーソナルブランド」としての動きも出てきている。例えば、中国料理美虎(ミユ)なんかは四川料理を基本としているが、五十嵐美幸シェフという女性のセンスを通した「日本化」されたメニューとなっている。辛さとは反対の「優しい味」のメニューが多く、女性客が圧倒的に多い。これもパーソナルブランドの中国料理であろう。

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ところで、訪日外国人が食べたい日本食NO1は、寿司でもすき焼きでもない、実はラーメンである。ラーメン市場も成熟市場であるが、本場中国麺の「日本化」ではない。ある意味、「和食」という固有な世界と同じあり方、オリジナリティのある世界にまで進化した「食」である。少なくとも海外からのラーメン認識はそうである。極論かもしれないが、日本において和食がネイティブだとするならば、ラーメンもネイティブと考えても良いのではないかと思う。つまり、市場は世界に広がり、「ネイティブラーメン」として輸出されるということである。

3、観光地化におけるコンセプト

在日中国人が在日韓国・朝鮮人を上回り、「観光地」として池袋チャイナタウンでは「ネイティブチャイナ」を掲げ、一方新大久保コリアンタウンでは「聖地」としての「何か」が見出せないまま衰退しつつある。
ところで、コリアンタウンは何処かと聞かれれば、やはり大阪生野だなと改めて思う。ここ10数年鶴橋に焼き肉を食べに行ってはいないが、私のイメージには大阪生野には韓国のものならばなんでも揃う御幸通商店街が象徴している「ネイティブコリアン」が住む街である。そうした意味において「聖地」は新大久保ではなく、大阪生野となる。横浜中華街と池袋チャイナタウンとの比較に準ずるとするならば、新大久保コリアンタウンは横浜中華街のように「日本化」すべきかもしれない。私の目には中途半端なものに映っている。少し、整理すると、
▫️横浜中華街=日本化 vs 池袋チャイナタウン=ネイティブチャイナ
▫️新大久保=      ?      vs 大阪生野=ネイティブコリアン
新大久保について「聖地」というキーワードをもって整理してきたが、競争市場下にあって「拠り所」とする重要なコンセプトのことである。横浜中華街を「日本化」と呼んだが、その「日本化」の中でオリジナリティを創造した名物料理の店は数多くある。例えば、私の好みで言えば、梅蘭の「あんかけ焼きそば」となる。横浜中華街の路地裏にあった店だが、おそらく20数年前に考案しブレークしたメニューで、今や横浜中華街以外にも店を出すまでの人気店となった。「あんかけ焼きそば」は日本化の代表的な成功事例である。
こうした各店が名物料理づくりを考える努力の他に、マスメディアへの話題提供としてかなり前から「中国料理店のカレーライス」といったメニューにまで及んでいる。例えば、「保昌(ほしょう)」の「牛バラ肉カレー」なんかが代表的メニューである。勿論、それら「話題」の中心は「日本化」の世界でのオリジナル開発である。
ところで一昨年日本の「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されたが、続いて韓国の「キムチ」も登録された。日本の場合、これを機会に和食を世界へと売り込もうとしているが、韓国のキムチづくり文化が日本で再認識されるような情報、特に新大久保コリアンタウン発の情報としては聞いたことがない。「キムチ」こそネイティブコリアンの文化であると思うのだが。

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そして、市場としてはこれからであるモスリムの人たちが食べるハラル料理、あるいはリトルヤンゴンで食べたミャンマー料理も、まだまだ市場としては小さな芽の状態にある。ある意味、ベトナム料理の後を追いかけて、これから「日本化」への道が待っている。面白いことにハラル料理はNYで注目されており、その魅力は「ヘルシー」にあるという。ミャンマー料理も鶏肉と魚介、それに野菜が中心となっていて、そうした意味ではヘルシーである。「ヘルシー」は飽食時代の最大のキーワードであり、やり方次第、メディアのサポートがあればブレークすることも可能である。

日本は地政学的にも多くの外国の人との交流によってモノや文化を取り入れてきた歴史がある。沖縄に今なお残るニライカナイ伝説では海の向こうには黄泉の国があると。海を通じて他国、他民族あるいは神と交流してきたと言う伝説である。面白いことにその沖縄には文明、文化の交差点を表した言葉が残っている。それは「チャンプルー」、様々のものが混ざり合った、一種の雑種文化の代名詞のようなものである。「食」で言えば、ゴーヤチャンプルーとか豆腐チャンプルーといった多くの食材を炒め合わせるチャンプルーのことである。
沖縄の琉球王朝は東南アジアや中国、そして日本との交差点であったが、地図を少し広げて見れば、まさにインターナショナルな交差点国家といってもかまわない、コスモポリタンな国、それが日本である。雑種文化、雑食文化の国であるということだ。「日本化」も「ネイティブ」も、ビジネスには必ずついてまわるテーマである。そして、次なる成長を目指すならば、日本が交差点国家である以上、「観光地化」もまた不可避な課題としてある。(続く)



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