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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2011年03月26日

光と音を失った都市

ヒット商品応援団日記No491(毎週更新)   2011.3.26.

3月11日の東日本大震災から2週間余りが経った。言葉を失ってしまった数日間を経て、復旧という言葉も口の端に上るようになった。しかし、そうした言葉とは裏腹に、福島第一原発事故はその深刻さを増している。大震災直後は米国スリーマイル島原発事故(レベル5)よりも低いレベルと新聞報道されてきたが、3月25日の朝日新聞では「福島第一、レベル6相当」、「スリーマイル超す」と報じた。その同紙面では「原発から40キロ離れた福島県飯館村では土壌1平方メートル当り320万ベクレルのセシウムが検出され、チェルノブイリでは1平方メートル当たり55万ベクレル以上検出された地域では強制移住の対象となった」と。そして、同紙面で3号機の電源復旧工事に従事していた作業員3人が被曝。作業していた場所には水がたまっていたようでその水面の線量は毎時400ミリシーベルトで、作業員の被曝線量の上限は250ミリシーベルト)に達していたと報じた。しかし、何故、作業場である原子炉の入った建屋とは別棟のタービン室に大量の放射性物質が含まれた水が貯まっていたのか、肝心なところの情報がまるでない。その後、燃料棒の一部が壊れそこから漏れている可能性をやっと示唆した。更には、屋外退避エリア20〜30キロ圏内の人達へ自主避難を進める発表があった。こうした事態の悪化と共に、1号機から4号機まで、水素爆発や白煙、使用済み核燃料プールの温度上昇、まるで日替わりメニューのように「何か」が起こっている。そして、その度にヨウ素をはじめ放射性物質が放出されている。
自主避難という確かな根拠、確かな情報を求めているが、全てがあいまいなままとなっている。

3月24日東京の水道水にその放射性物質の一つであるヨウ素が検出され、食品衛生法に基づく基準値(乳児の基準)を超えたと発表された。東京都は乳児の水道水摂取制限をし、急遽備蓄用の24万本のミネラルウオーターを乳児のいる家庭へ配ることとなった。翌日、基準値内に治まり、摂取制限が解除されたが、東京以外の千葉をはじめとした浄水場でも同様の基準値を超えたヨウ素が検出された。
前回のブログで福島を始めとした地域の農畜産物から放射性物質が検出され、摂取制限が行われたと書いた。同日の東京新聞には、日本ばかりでなく、香港政府は発表のあった4県の野菜の輸入をストップしたのを始め、米国、カナダ、オーストラリアも同様の輸入ストップ措置が講じられたと。
不安は時間とともに増すばかりである。これは、パニックに陥らない為に、情報を小出しにしているとすれば全くの間違いである。既に、福島原発の周辺住民どころか東京においても、実家や親戚などへの避難の動きが出てきている。しかし、コトの本質として、恐怖を受け止める人が多数であると、私は思いたい。

東京の今はどう変容しているか、電車やバスを利用し、都心を歩いたら実感出来る。全ての人が感じるであろう、とにかく暗い。計画停電によるところが大で、夜は勿論であるが、昼間でも極めて暗い。それは特定の店とか通りとか、電車のなかだけとか、あるいは駅だけとか、そうした特定の「場所や何か」が照明を落としている暗さではない。全てが暗いのである。
更に、人通りが極めて少なくなった感がする。電車の運行本数が減ったにもかかわらず電車内においてもである。つまり、人が「移動」していないということだ。勿論、百貨店や専門店といった商業施設も営業時間を短く制限しているところが多く見受けられる。話題となるイベントや催事といった集客もほとんどが休止となった。今なお、日を追うごとに亡くなられた方が増え、更に行方不明の方までもが増え続けていることを考えれば無理のないことではある。

ちょうどそんなタイミングに週刊朝日の増刊号「朝日ジャーナル」(3/15)が発刊されていた。東日本大震災の前に編集されたものと思うが、その見出しは「未来の扉を開くために 日本破壊計画」とある。巻頭文にはあの作家辺見庸が書いていた。「標なき終わりへの未来論」とあって、何か今回の東日本大震災を暗示させるような内容である。辺見庸は友人の初孫モモちゃんと昨夏の熱中症で死んだ老人との生と死を対比させながら、「生きのびることと死ぬること」を書いていた。そのなかに、次のようなくだりがある。

「わたしたちはなんでも見える。けれども、なんにも見えてやしない。ただ、徴があるだけだ。徴は徴であるかぎり、目には見えない。感じるしかない。感じようとするしかない。」

この感じ取った徴(しるし)は、家族を津波で失った人と、福島原発の避難地域にいる人と、乳児に飲ませるミネラルウオーターを買い歩く若い女性と、出荷停止となった野菜農家と、そして私が住む消費都市東京の生活者とではそれぞれの徴がある。そのなかには、私の岩手に住む知人の一人のように家族を失うこともない、無事な人もいる。でもそうした人もまた大震災前と違った徴を感じ取っていた。そのように感じ取っていればこそ、なんとか寛容でいられるのだ。

ところで私の本業である消費はどうであるか。至極当然であるが、スーパーの棚からミネラルウオーターが消えた。大震災直後と同じように、マスメディアは各メーカーは増産体制に入っているので心配はありませんと報じている。ほとんどの生活者は水の欠品を心配しているのではない。日を追うごとに大気汚染、土壌汚染、河川汚染が広がっていること、そして先が見えない放射性物質を出し続ける福島原発に「何かの徴」を感じているのだ。
棚から消えていたお米をはじめトイレットペーパーなども少しづつ入荷し始めている。葉もの野菜も福島や茨城といった産地を変えて入荷されている。がらんとした棚ばかりではあるが、贅沢を言わなければ生活はできる。戦後世代である私が言う言葉ではないが、何か両親が語っていた戦時中の生活のような感がする。

徴は何かと言えば、その一つは言いようのない暗さであろう。照明が半分ほどに落とされてはいるが、そうした物理的暗さではない。人がいないのである。人数の多少を言っているのではない。ざわめき、人いきれ、笑い声、喧噪、生きている感じの音を喪失している、今の東京はそんな街へと変貌した。
そんな東京にも桜の蕾が膨らんできた。勿論、お花見気分にはどうしてもなれない。ところで、お花見と共に江戸の風物詩として残っている一つに花火がある。享保18(1733)年から隅田川の川開きとしてスタートしたのだが、その前年は大凶作で餓死者が100万人にも及び、江戸では更にコレラが流行し多くの死者がでた。八代将軍吉宗は死者の魂を供養するために水神祭を開催し、その時打ち上げられた花火が最初である。その鎮魂の花火が名物となり、今日にいたるのである。
色彩とリズムをなくした東京にも、そして東北にも桜は咲く。今年は大震災で亡くなられた方の鎮魂の桜となる。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 14:27│Comments(0)新市場創造
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