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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年12月23日

2010年予測  ビジネスアーチストの時代へ

ヒット商品応援団日記No430(毎週2回更新)  2009.12.23.

今年の元旦、出口の見えない時代の踊り場から「次」を見出す試み、既成を破壊するための人物を称し、「出てこい異端児」と呼びブログに書いた。一年経ったが、残念ながらそうした異端児は現れてこなかった。いや、未だ悪戦苦闘しており、ビジネスの表舞台には登場していないだけであると確信している。「明日というものは、無名の人たちによって今日つくられる」と指摘したのは、あのP.ドラッカーであるが、町工場で、商店街の片隅で、あるいは山間のどこかで無名の人達が、世間を、世界を驚かそうと繰り返しトライしていると思う。2010年6月W杯が南アフリカで開催されるが、日本代表監督の岡田武史氏はW杯4強を目指し、十分可能性はあると語っている。くだけた言葉に置き換えれば、”世界を驚かそうじゃないか”ということだ。コトの大きさや困難さの違いはあれ、無名の人もW杯の代表選手も監督も、とんでもない何かをしようとすることにおいては同じである。

この2年ほど価格についてのブログが多かった。付加価値といった生半可なこだわり程度では、目の前の大きな価格差の前では何の役にも立たない、そう書いてきた。10年間で100万円の所得が減少した時代の生活である。マクロ経済の専門家は需給ギャップが30数兆円に及んでいると言うが、所得が更に減少し続けることが予測される時代に、どんな需要を創れば良いのであろうか。政府のデフレ宣言と共に発表された10月の消費者物価指数は前年同月比2.5%の下落であった。デフレ脱却には大きな財政出動と金融緩和策が必要であると言われているが、消費は所得の関数である。以前、欲しい商品がないのか、それとも欲しくても買えないのか、そうしたテーマでブログを書いたが、一部富裕層やシニア世代を除き、圧倒的に後者の生活者が増大した。流通を中心にエブリデーロープライス、エブリデーバーゲンとなり、更には総アウトレット化が進行した。

「国滅んでユニクロ栄える」といったバカな経済学者がいたが、少し前からデフレの犯人探しが始まっている。デフレは結果であって景気低迷の原因ではない。もし犯人というのであれば需給ギャップであって、内需を創造すべく財政出動という議論がある。昨年末の年越し派遣村問題の時、地方自治体が直接一定期間雇用するといった方法がとられたが、それらは根本的な解決策ではない。エコカー減税・補助金、エコポイントも官製消費促進策であり、来年6月から始まるであろうこど子ども手当支援も景気を下支えする効果はあっても、デフレの根本的解決にはならない。価格は需要と供給のバランスの上で決まる。その価格はユニクロに代表されるように、地代、人件費、設備費、素材原価といった低コストの財を持つ東アジアや東南アジアで製造・供給される。そして今、生産拠点の様々なコスト上昇から、中国沿海部から内陸部へ、ベトナムやカンボジア、更にはラオスやネパールにまで及ぼうとしている。日本における財の価値が下がり、こうした新興国・途上国の持つ財が上昇し、一定のバランスがとれるまで、日本の財という価値はゆるやかに下がり続ける。つまり、今のままでは所得は下がり、デフレはこれからも続くということだ。これはグローバル経済のもつ構造的宿命である。このバランスはいつまで続くか、私はマクロ経済の専門家ではないのでわからない。しかし、金融政策を実施しても財政出動しても、当分の間デフレが続くことは間違いない。

こうした時代にあって、「誰を顧客とするか」が極めて重要な課題であると書いてきた。同時に、「内」も「外」も無い時代であるとも。内を日本国内、外を海外と置き換えても良いし、内を地元、外をTOKYOと置き換えてもかまわない。内を既存顧客、外を新規顧客と置き換えることも出来る。
これは仮説であるが、前回書いたブログのキーワードである「ポストモダン」への着眼は、付加価値ではない、新しい価値創造の一つであると考えている。何故、欧米人が日本文化を「クールジャパン」と称し、アニメ、コミック、禅、サムライ、更には寿司や日本食レストラン、こうしたものに高い評価をするのか。一言でいえば、カルチャー、サブカルチャーを問わず、これらを産み出す日本の精神文化への高い評価としてあるからだ。機能と合理という単一的物差しで進化してきた欧米であるが、その行き詰りを脱却すること、ポストモダンの世界を多元的な日本の精神文化に見出しているからに他ならない。一つの事例であるが、以前「五感の取り戻し」というテーマで次のようにブログに書いた。

『実は音も合理化された音に囲まれている。最近は凋落傾向が激しい演歌であるが、日本は「こぶし」や「うねり」といった音楽感性をもった民族であった。古くは江戸時代に「虫聞き」といった風情ある遊びがはやっていたが、風鈴や鐘の音といった自然音は西欧音楽には無い世界である。実は、西欧もこうした自然音のような複雑な音階を使っていた。しかし、ピアノが大量生産されるようになり「12音階」に統一してしまった。音楽の合理化である。勿論、この合理化によって誰でもが演奏することも聞くこともできるようになった。あのマックスウェーバーが「音楽社会学」の中で「近代の音楽芸術作品は、われわれの楽譜という手段がなければ、生産することも伝承することも再生することもできない」と書いているが、合理化することによって進歩がなされてきた。そして、12音階に統一された西欧音楽が今日の私たちの音楽の基礎になっている。こうした12音階にはない、音符には表せない音楽は日本では民謡として、あるいはアフリカや中近東に今なお残っている。少し前のニュースで見た程度であるが、横浜で声明によるイベントがあり好評であったという。仏教音楽では高野山の声明が有名であるが、謡曲、民謡、浄瑠璃といった日本の伝統音楽は声明をそのルーツとしている。声明はまさに自然音に近く、私たちに「ゆらぎ感覚」といった心地よさを与えてくれる音楽だ。』

私は好きで良く沖縄に行くが、三線もその一つであろう。機能と合理という便利さに隠れ、足下にはどれだけの宝物が眠っているか、日本人は欧米の人たち、外からによって、「クールジャパン」という評価で気づかされている。タイトルの「ビジネスアーチスト」とは、芸術家がビジネスを行うという意味ではない。キャンバスからはみ出してしまう奔放なエネルギー。常識から外れた、ユニークさ。前例のない発想。そんな形容がふさわしいビジネスを起こす人間を、私はビジネスアーチストと呼ぶ。そんな異端児こそ、この時代には必要である。この一年そうした眼をもって消費市場を見てきたが、未だ現れてはいない。しかし、願望を込めてだが、デフレ時代を切り拓くビジネスアーチストの時代が来ていることだけは間違いない。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:33│Comments(0)新市場創造
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