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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年09月23日

再び、価格と消費について

ヒット商品応援団日記No404(毎週2回更新)  2009.9.23.

前回の物語づくり産業、コンテンツ産業を踏まえた文化価値の在り方、特にブランド再生への道について書きたいと思っていた。しかし、少し前に読んだ文芸春秋10月号の「ユニクロ栄えて国滅ぶ」(浜矩子氏寄稿)を読んで、どうにも我慢がならず再び価格と消費について考えを書いてみたい。
浜矩子氏の考え、指摘を一言でいうと、価格競争という消耗戦を続けていくと経済は縮小しデフレという悪循環に落ち入る。結果、企業も、労働者も、消費者も損することはあっても得することはない、という主旨であった。こうした市場競争、安売り競争を「自分さえ良ければ病」と呼んでいる。浜矩子氏は大学の教授という研究者であり、一つの問題提起にすぎないが、私の知る限りビジネス現場に於いては10数年前から議論され、いくつかのチャレンジすら実施されてきている。
結論を言えば、「何をいまさら」ということになるが、市場競争は既に江戸時代からあった。以前、ブログで次のように書いたことがあった。

『既に江戸時代でも価格を根底に置いた商売があった。庶民の人気を博した小料理屋江戸橋際の「なん八屋」では、何を頼んでも一皿八文で皿数で勘定する仕組みだ。回転しない回転寿司のような業態である。また、浮世絵にも描かれている「ニ八蕎麦」だが、その店名由来には二説ある。一つは小麦粉と蕎麦粉の割合を2:8とする説。もう一つは蕎麦の値段が二×八が十六文という説である。前者の方を正解とする人が多いようであるが、「ニ八蕎麦」以外にも「一八蕎麦」や「二六蕎麦」あるいは「三八蕎麦」があったようで、価格をネーミングとした後者の方が正解のようである。』

江戸も戦国の世から100年も経つとライフスタイルにも変化が起きる。「夜鳴きそば」という言葉がまだ残っているように屋台や小料理屋は24時間化し、更には食のエンターテイメント化が進み、大食いコンテストなんかも行われていた。つまり、必要に迫られた食から、楽しむ食への転換である。その良き事例が「初鰹」で”初物を食べると75日寿命がのびる”という言い伝えから、「旬」が身体に良いとの生活風習は江戸時代から始まった。上物の初鰹には現在の金額でいうと20〜30万もの大金を投じたと言われている。こうした初物人気を懸念して幕府は「初物禁止令」を出すほどであった。

市場(=顧客)が変われば、当然メニューも価格も変わる。当時の江戸は一種のグローバル経済の縮小版のようなものであった。鎖国という建前はあっても輸入品もあり、その中には象やらくだ、あるいは植物ではチュウリップやひまわりといったものまで輸入され園芸愛好家を喜ばせていた。また、屋台や損料屋(レンタルショップ)といったビジネスが流行ったのも江戸の人口の半分は武士で単身赴任が多く、庶民も核家族化が進み、独居老人も多かったという背景があった。しかも、地方から参勤交代で江戸に集まった武士達の方言、訛りが強く、会話するにも難しかったようである。つまり、「見知らぬ人」が行き交うある意味インターナショナルな都市、それが江戸であった。

その江戸時代を私たちは封建社会と呼んでいるが、この「封(ほう)」とは領内という意味で、領内での自給自足経済を原則とした社会の仕組みのことである。こうした村落共同体をベースとした経済も度重なる飢饉と貨幣経済によって、天保の時代(1800年代)に大きく転換する。その転換を促したのが「問屋株仲間制度」の撤廃であった。今日でいうところの規制緩和で素人も参加できる自由主義経済の推進のようなものである。しかし、幕府は問屋株仲間からの上納金(冥加金)がとれなくなり、10年後に撤廃するのだが、この10年間によって市場経済は大きく変わっていく。
江戸時代の商人は、いわゆる流通業としての手数料商売であった。しかし、この天保時代から、商人自ら物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が行われるようになる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが既成流通という「中抜き」を行ったSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。

実は、この「封」という閉じられた市場を壊した中心が「京都ブランド」であった。この京都ブランドの先駆けとなった商品が「京紅」である。従来の京紅の生産流通ルートは現在の山形県で生産された紅花を日本海の海上交通を経て、軽工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売されていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入れ、現在のさいたま市付近で栽培し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売するようになる。柳屋はイコール京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下り物」を買った。従来の流通時間や経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。
勿論、京紅だけでなく、従来上方で製造されていた清酒も同様に全国へと生産地を広げていくこととなる。醤油、絹織物、こうした物も江戸周辺地域で製造されていく。そして、製造地域も東北へと広がっていく。従来海上交通に規制されていた物も陸上交通も使うようになる。こうして「下り物」としてのブランドが広がっていく。ある意味、産業の構造が大きく変わっていく。

今、私たちはグローバル経済の問題と言うが、既に江戸時代から消費が市場の在り方、生産、流通、価格を決めてきた。江戸時代、人口40万都市が世界一の120万まで膨れ上がり、過剰消費と思われるほど市場が広がったことによる問題点は、今日のグローバル経済に酷似している。江戸時代の過剰消費時代を元禄時代と呼んでいるが、今日で言うところの「バブル期」であった。昨年金融バブルがはじけ、崩壊した経験をしてきた、いや今なお崩壊から立ち直れてはいない。江戸も200年を過ぎると既成は腐敗、堕落し、解決策を見出せない幕府は幕を閉じることへと向かう。今また、金融崩壊を建て直すための過剰な資金がエネルギー資源や食料資源に向かい、先物取り引き相場がじわじわと上がり始めている。

ライブドア事件、村上ファンド事件が起きた時、学生の頃読んだマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を再び読んだ。ウェーバーは資本主義の原点にピューリタンの自制、節約、といった禁欲的精神を見出すのだが、日本にも同じような精神、近江商人の心得「三方良し」がある。売り手よし、買い手よし、世間良し、であるが、今その世間が地球規模になったということだ。競争というと、何か新自由主義的理解になってしまうが、決してそうではない。競争の根底には競争相手からも、顧客からも学ぶ自己研鑽があり、倫理を失ったマネーゲームなどではない。浜矩子氏の言う、「自分さえ良ければ病」とは、実は真反対のことで一部のカジノ資本主義を生きてきた企業や人達のことである。ただ、グローバル経済には米国流金融資本主義に代わる新しい秩序、ルールが求められていることだけは事実であろう。新しい秩序づくりには、寺島実郎氏による「国際連帯税構想」(http://www.nissoken.jp/rijicyou/hatugen/index.html)や「公益資本主義」を掲げる原丈人氏(「新しい資本主義」PHP新書)も出てきている。

生活現場においても、生産者と顧客をつなぎ直し、「適正価格」を模索しているケースが数多く見られるようになった。以前取り上げた京都の上田米穀店がそうであるし、同じ京都府のスーパーNISHIYAMAなんかも米づくり生産者を支援し、そのことを顧客にも伝え、いわゆる「適正価格」で有機米を提供しようと努力している。理想を掲げ、現実課題としては互いに壁を低くし、越えられるところから進めているのだと思う。実際にインタビューした訳ではないので推測になるが、生産・流通・顧客が互いの「得」を減らし、バランスのとれたところで実行されているのだと思う。浜矩子氏の「自分さえよければ病」を100歩譲って病気を治すとすれば、互いの得を減らす文化、日本が古来から持っている「互いに育て合う文化」を再構築するということだ。金融資本主義が「売り抜ける資本主義」とするならば、「育てる資本主義」と言える。

更にもう1つは寺島実郎氏や原丈人氏が指摘しているように、世界を駆け巡るお金への規制であろう。人、物、金、の内、お金は自由の名の下に利益を求めてどこへでも行くが、一番移動できないのが「人」である。人件費の安い国に製造現場が移動せざるを得ないのがグローバル経済である。それでは日本は空洞化してしまうのではないかと指摘されるが、当分の間はその通りであると私も思う。多くの人が指摘しているように、これから何で食べていくのか、産業構造の転換が求められている。ユニクロを例に挙げるとすれば、製造現場は中国やベトナムであるが、どんなに類似商品が出てこようが唯一優位性を保ち得る世界として素材開発力を置いている。H&Mがデザイン開発力を置いているのと対照的である。こうした開発力は、シャープを始め日本の製造メーカーの多くは国内に置いている。それを「マザー工場」と呼んでいるが、要は研究開発の根幹を国内に置くということであろう。製造業だけでなく農業においても高い開発力、品種開発などのノウハウを持っている国である。大企業だけでなく、日本の大半を占める中小企業がグローバル市場を顧客として見ていく、つまり内需も外需もないビジネスを行うことこそが産業構造の転換であると考える。
日本は島国である。異端の歴史学者網野善彦さんがいみじくも明らかにしてくれたように、室町時代に丸木舟に乗り太平洋を越え南米ペルーに渡った日本人がいた。海の道を通じ世界へとつながっている歴史・経験を持っている国である。しかも、高い倫理性を持った国として。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:58│Comments(0)新市場創造
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