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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年09月17日

終わりの始まり 

ヒット商品応援団日記No402(毎週2回更新)  2009.9.17.

過去、私はパラダイムチェンジというキーワードをかなり使ってきたが、ここ数ヶ月間実感をもった使い方に変わり始めた。それは単に消費における生活価値観変化だけでなく、政治においても、社会においても大きな価値観変化の波が押し寄せているからである。今回の新政権誕生を、明治維新以来の変化であると単純に言う気はないが、地殻変動のようなことがどこかで起きていることは間違いない。この変化が明治維新と比較するに値するものであるか否かも分からない。しかし、変化の大小があったとしても、変わっていくことだけは間違いない。この4年間消費の変化を追い続けてきたが、もっと単純に言えば、政治においても変わって欲しい、変わろうとする人が圧倒的多いということだ。

こうした変化の内容について、既成と革新、新と旧、あるいは若い世代と老成世代、といった具合に対立・対比させることばかり行ってきた。特に、マスメディアはそれが一番分かりやすいとばかりに、異なる価値観に対し、Yes or No、正しいか間違いか、あるいは好きか嫌いか、といった二者択一的論議しかなされてこなかった。つまり、変化という「現実」そのものを見ようとはしない不毛な論議から、生活者は一歩離れたところで見ている。例えば今回の新政権誕生にしろ、新聞各社の調査結果を見ても分かるように、今回は民主党中心で政権運営を任せるが、自民党にも再生して欲しいとする人が70%前後いる。ちなみに、小泉政権以降、「国民に人気がある」という理由で与党は総理を選んできたが、生活者はそんな「好き嫌い」といった人気による政権運営、一種の衆愚政治に対しNoという答えを出した。もし、自民党再生があるとすれば、人気などではなく、「現実」を真摯に見つめ直すことから始めるということだ。そして、新政権の内閣人事を見ても、「あっと驚かせる」ことはまるでなく、小泉流劇場型政治のまるで正反対の在り方であった。

私にとって「現実」とは、この点についてはYesそれ以外はNo、あるいは4年間はYes だがその結果次第ではNo、そして時間経過と共に変化もするといった具合である。文化人類学を持ち出すまでもなく、集団関係については「敵でもあり、味方でもある」ということを前提としているのが人類の歴史である。こうした視座で、他者、他のグループ、他国を見なしてきたのが人類の歴史であった。特に、日本の場合は四方を海に囲まれていることから、実は日本こそ「敵でもあり、味方でもある」関係を知恵を持って対処してきた歴史がある。少し短絡的な言い方になるが、海の向こうにある米国とも、中国とも、朝鮮半島とも、更にロシアとも戦争をしてきた歴史がある。勿論、その是非については言うまでもないが、結果として憲法9条をもつ平和国家となった。

朝鮮半島を中心に南からも、北からも多くの人を通じた交流によって日本が形づくられてきた。異端の歴史研究者である網野善彦さんが指摘してくれたように、既に室町時代に日本人は丸木舟に乗って太平洋を越え南米ペルーまで出かけていたのだ。そうした歴史の教科書を持ち出すまでもなく、日本は文明・文化の交差点であった。
例えば、沖縄に今なお残るニライカナイ伝説のように海の向こうには黄泉の国があると。海を通じて他国、他民族あるいは神と交流してきたと言うことである。いみじくも沖縄には文明、文化の交差点を表した言葉が残っている。それは「チャンプルー」、様々のものが混ざり合った、一種の雑種文化の代名詞のようなものだ。地政学的に言っても、四方を海に囲まれているとは、まさにインターナショナルな交差点国家といってもかまわない、コスモポリタンな国、それが日本である。

戦後、古くは明治維新以降、近代化・都市化の進行によってそれまで持っていた共同体の「共通理解」を喪失してきた。戦前であれば村落共同体であり、戦後は家族や会社が共同体の代わりを果たして来た。共同体崩壊の歴史的なことはここでは書かないが、経済的豊かさと引き換えに個人化社会はいつしか私人化し、家族バラバラな社会へと変貌してきた。会社はと言えば、バブル崩壊以降「会社は誰のものか」論議のように「勝ち組vs負け組」のように荒んだ光景が多くなった。それぞれの共同体にあった共通理解が崩壊してしまったということだ。個人の欲望を認めながらも、「公」としてのモラルをどう創っていくべきか、ゴミ屋敷問題のような小さな街単位から、恐らくテーマとなるであろうG20での金融の在り方のように、「共通理解」の道が模索され始めた。

ここ数年、私がブログに書いてきたように、失ってしまったものの取り戻しが消費においても始まっていると。それが家族の再生、絆の復活であり、歴史文化では「洋から和」への転換であり、自然・健康でも最近では農家レストランやネイチャースポーツといった新たな芽も出てきた。決して近代化・都市化を否定しているのではなく、多くの生活者は二者択一的発想から脱却し始めているということだ。そうした変化の様を私は「振り子現象」と呼んできた。これが「新しい現実」である。

ビジネス現場に置き換えてみるともっと分かりやすい。例えば、どこまで進行しているのか分からないが、サントリーとキリンが合体し、世界市場に臨むというのも二者択一的発想からは生まれない。恐らく、国内市場では従来通り互いに競争し合う関係であるが、世界市場では互いに市場開拓のための良きパートナーとなる関係を模索していると思う。こうした大企業ばかりでなく、数年前に地方の商店街活性のためのアイディアとして「ワンコイン商店街」を取り上げたことがあった。ワンコインをテーマに、100円、500円単位の売り出しを共同で行うイベントである。日常では競争相手であるが、この日この時だけは良きパートナーとして集客をはかろうとするのと同じである。こうした「共通理解」のことを、私たちは企業間であればコラボレーションとかコンソーシアムと呼んできた。

今回の新政権の政策発想が旧来の政策と全く異なる点でまさにパラダイムチェンジというキーワードにふさわしい。特に「こども手当」に象徴的に現れている。マスメディアはその支給額や財源ばかりを取り上げているが、その発想の斬新さはダイレクトに「家庭」へ支給することにある。ビジネス視点で言うと、旧来の流通の「中抜き」に該当する発想である。間に介在する会社や団体、組織を通さずに直接支援するもので、介在する組織の既得権益を壊し、その効果をより高める発想である。つまり、即座に消費もしくは貯蓄という結果が得られる内需の特効薬であろう。

さてどんな新しい消費が生まれるか予測することは難しいが、少なくともこの10年で100万円所得が減少したことを踏まえ、わけあり消費や代替消費といった体験学習によるものが土台となる。多くの専門家が指摘しているように「二番底」が訪れようとしている。私は少し前に「消費においては、巣ごもり生活から、氷河期生活へと向かうかもしれない。」と書いた。雇用情況は更に悪化し、更には今年のボーナスは減額され、減税やエコポイントによる車や家電の需要の先食いも長続きはしない。この夏天候不順による売上減少が大きいとされてきた「旅行」は、この秋の連休で取り戻そうと懸命である。しかし、わけあり旅行や代替旅行はあっても、以前のような旅行の在り方には戻らない。もし、戻るとすれば、こども手当など新政権の政策が財源を含め確実となる来春以降であろう。この半年間、混乱のなかの氷河期となる。戦後60数年続いてきた生活価値観から、未知なる価値観へと変化していく。終わりの始まり を迎える。私のブログも、「何が」始まるか、新しい芽を見出すことが主要なテーマとなった。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:44│Comments(0)新市場創造
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