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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2006年08月27日

日本資本主義の源流 

ヒット商品応援団日記No93(毎週2回更新)  2006.8.27.

現在あるライフスタイルの原型は江戸時代にあると、ここ10年ほど江戸のライフスタイルをスタディしてきた。それは歴史的建造物だけでなく、隅田川の花火大会のような祭りやお花見のような季節歳時、握りすしや屋台ののそば屋、あるいはことばの中に、生活の隅々に今なお数えきれないほど残っているものの原型が江戸時代にある。少し前に「三方よし」という近江商人の商いの心得について書いたが、江戸時代をスタディしてきたテーマの一つであった。実は、私のブログに検索アクセスされる中で一番反響が大きかったのがこの「三方よし」であった。これは、ホリエモンのように「ビジネス倫理は時代によって変わるから」とグレーゾーンでも良しとする考えに疑問を持っている方が多くいるのだなと思っている。どの時代にも異なる人が一つの土俵で一つのルール、モラルをもってビジネスしてきた。これは江戸時代も同様で、その代表事例として「三方よし」を取り上げてみた訳である。
ところで私の考え、価値観を大きく変えた一人に網野善彦さんという歴史学者がいる。既に2年半ほど前に癌で亡くなられているが、異端の歴史研究者として晩年になってやっと社会の舞台に上がった方である。中世の日本について、四方を海に囲まれた島国という地形、荘園、封建制、こうした閉鎖された国というイメージを歴史教科書などで刷り込まれてきた。しかし、網野さんは、そうではないと民俗学の手法を使って庶民の生き生きとした歴史をレポートしてくれた。島国という四方を海に囲まれていることとは、逆に自由に朝鮮半島や中国、更には南米ペルーにまで日本人が行き来していたという事実をもって、私たちを目うろこさせてくれた方である。さて、江戸時代におけるビジネス倫理を明確にしてくれたのが近江商人であったが、それ以前にも中世時代、宋銭をはじめ絹や布などを使った貨幣流通への転換が鎌倉時代に既にあったという。つまり、従来教えられてきた自給自足的農耕経済ではなく、商工業者、金融業者、水上交通を中心とした流通業者、そこには当然であるがルールやモラルも未分化ながらもあったということである。面白いのは、そうした経済単位=荘園は政治の場所であると同時に、経営者としての役割を果たしていたという事実である。今で言う、官営会社のようなもので、代官という社長は農民を使って、塩の安い伊予道後に買い付けさせ、その塩を京都へ持っていき、高く売りその差額を利益とするような代官まで出てきている。(「日本中世に何が起きたか」網野善彦著洋泉社)この時代の代官は、武力をもつ領主という側面と、商人的金融業者的経営者としての側面を併せ持っていた訳である。しかも、特に着目すべきはそれら代官の多くは禅宗の僧侶や山伏であったという。この頃の荘園経営について詳細にわたった帳簿(領家方銭所下帳)が残っている。特におもしろいのは支出の中に酒宴にまつわる支出項目として、鯛、昆布、大根、豆腐、兎、狸などがあり接待費として、いわゆる必要経費として認められていたという。また、荘園経営の結果である帳簿、決算書に対する監査も実施され、経営を請け負う代官を競争させたり牽制したりしていたという。つまり、当時から収入をどれだけ多くし、支出を減らしていくかという経済の原則がはたらいており、世俗から縁の切れた禅僧が適任と考えられていたようである。丁度、西洋の資本主義がプロテスタンティズムという禁欲的な倫理によって発展してきたのと同じように、日本の場合も鎌倉時代を源流にして、世俗という世界から離れた経営者が中心となり、市場原理に基づいて発展してきたことが分かる。こうした経済の現場が「市庭(=市場)」であった。歴史の教科書では織田信長によって作られた如くイメージされているが、既に鎌倉時代に無数の市庭があり交易交流してきている。この市庭のルールというのは地域差を超えた共通ルールが2つあったという。1つは老若という年齢によるもので、集団という組織の秩序を老若で決めていったという点である。もう一つが、平等原則であったという。この平等原則は親子兄弟という縁を離れ、ある意味身分を超越した個人によって市場が運営されていくという点にあったという。この市庭の立つ場所は国と国との境に寺社と共に作られている。歴史家は無縁空間、血縁や顔見知りといった縁から離れた場所であったことから、様々な人間が集まってきた。ある意味で自由空間であり、今で言う「自由貿易地域」「自由都市」のようなものであった。この時代にあっても、自由を良いことに「泥棒市」のようなものもあったようだ。そして、既に、フーテンの寅さんのような香具師が居て、「口の芸」が発達したようである。
私は歴史研究家ではないので詳細については分からないが、中世時代に資本主義の源流があり、それもいつしか既存商工業者の既得権益、独占販売権や非課税権を生み、織田信長による規制緩和政策である楽市楽座へとつながるのであろう。そして、城下町という「都市」形成へとつながっていくと思う。「三方よし」では近江商人の商いの心得、倫理について書いたが、その源流である鎌倉時代における商いも、世俗を離れた「聖なる」禅僧や山伏が商いのリーダーとなっていることは銘記すべきと思う。また、市庭のルールの一つであった「老若」という規範は今日では何に該当するであろうか?これは私の想像であるが、「老」とは知識経験をストックし未来を予見できる人とすれば世間の尊敬もまた集めていたと思う。今回は、大きなテーマを取り上げてしまったが、中世の日本あるいは市庭に関する研究者の方から是非お教えいただきたいと思っている。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 14:04│Comments(0)新市場創造
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