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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年06月10日

20歳の老人

ヒット商品応援団日記No374(毎週2回更新)  2009.6.10.

6月に入り多くの経済指標が出てきた。日経新聞を読めばそれなりの理解が出来るので割愛するが、昨年9月のリーマンショック以降の激変を受け、次へと進んでいくためにリーマンショックの総括を踏まえた課題論議が始まった。概ね経済の専門家は今年の2月が生産関連や景況、株価の指標を見る限り「底」となっており、以降徐々に回復基調にあると。勿論、こうした指標はいわば先行した指標であり、これからも失業者は増えてくることが予測され、更に消費の回復に至にはかなりの時間を必要とし、1年後以降になると。こうした見通しの中で、多くの需要の落ち込みは過剰の解消、つまり人、モノ、カネ、の解消へと更に向かうのか、あるいは金融の暴走による一種の異常連鎖によって引き起こされ、金融恐慌が安定すれば実体経済も元に戻る、といった論議である。

この論議をもっと分かりやすく単純化して言うと、例えば今回GMが国有化されたが、自動車需要は元には戻らないという前提によるものであった。新生GMは米国の自動車販売が年間1000万台(リーマンショック以前は1600万台)になっても利益が出せるように約3割ほど縮小した計画となっている。つまり、身の丈に合うように過剰の削ぎ落としをした計画である。
一方、少数ではあるが株式市場のアナリストなどは、米国発の金融の暴走によって起こされた実体経済への波及であり、その根っこが解決されれば元に戻ると。特に輸出企業は生産量を削減する必要はないと、いわば一種の空騒ぎであったとした意見まで出ている。「100年に一度の・・・・」は政治パフォーマンスの側面を見なければならないと言う意見である。

私はこうしたマクロ経済、金融の専門家ではないのでコメントしようがないが、消費という視点に立つと1年後2年後景気回復したときの消費の在り方は見えてくる。タイトルを消費論的に言い換えると、過剰消費の反省に向かうのか、それともライフスタイルそのものの転換(=構造転換)がなされるのか、という課題に置き換えることが出来る。個人消費がGDPに占める比率は米国では70%弱、日本でも60%弱ある。個人消費の動向次第では産業構造すら変えることにもつながる。
勿論、グローバル市場にあっての日本であるが、東京という市場を見ていくと、その縮図としての在り方が見えてくる。東京であると共にTOKYOとしての市場である。言葉を変えて言うと、都市生活者市場と言ってもかまわない。あるいは製造業的に言うと、ハイブリッド車の売れ行きは好調であるが、激減した新車購入は元に戻るのであろうか。更には、例えば流通の在り方として、百貨店という業態は縮小に向かうのか、業態そのものが構造転換されていくのか。それら業界の専門家の多くは、No、元には戻らないという意見が大多数である。

消費不況という言い方をするならば、外食産業は一昨年の秋から低迷していた。リーマンショックのはるか1年前からである。勿論、百貨店も同様である。一昨年の夏以降、都心の地価は下がり始め、リーマンショック以前にゼファーやアーバンコーポレーションといった大手デベロッパーが破綻している。つまり、リーマンショックは日本の景気悪化を加速させ、特に輸出企業に対してであった。間違えてはならない、抱えていた構造的問題がリーマンショックによってあからさまに表に出てきたということだ。
消費面で、今注目されているわけあり商品も既に1年以上前から消費者の支持はあった。昨年末、低迷する百貨店業界にあって、唯一予約注文が殺到し大人気となった「おせち料理」は、今から思うと消費氷河期にあってひととき贅沢としての「あったか家族回帰」の象徴であったと言えなくはない。ちょうど、その頃から「巣ごもり消費」というキーワードが経済紙に現れるようになった。

ところで、日本における消費であるが、わけあり商品を軸に当分の間価格競争は続く。消費不況は、大企業→中小→零細へと進む。この間、残念ながら失業者は増え続ける。消費は勿論更に冷え込み、私の言うところの氷河期に入る。いや、既に入っているのかもしれない。恐らく、東京市場の回復は早く、来年の今頃には2007年頃の消費水準に戻ると思う。しかし、消費は衣食住から戻り始め、観光といった消費が戻るには更に時間がかかる。つまり、地方や中小企業が2007年の水準に戻るには更に時間がかかり、2011年以降だと思う。しかも、同じ消費として、「元には戻らない」ということでもある。つまり、構造的な問題であり、わけあり消費体験をした顧客が変わっているのに、同じことをしていたらつぶれるということだ。勿論、逆にチャンスと見ていくこともできる訳である。

これは私の仮説であるが、今後の消費の在り方、構造転換を計る上での指標とすべき顧客像は草食系男子(女子もであるが総称した意味で)である。欲望そのものを喪失してしまっているかのように見える若い平成世代である。その代表とでも言われている草食系男女を評し、車離れ、結婚離れ、社会離れ、政治離れ、・・・・多くの「離れ現象」に「私」が表れているところが特徴である。良い悪いではない、好き嫌いでもない、彼らは生まれたときから激変する1990年代の現実を幼い目で直視してきた世代である。団塊世代が戦後60数年という時を駆け抜けたと同じように、わずか10数年で駆け抜けてきたようなものだ。しかし、モノ不足を体験してきた私のような団塊世代とは全く異なる価値観を持つ。私たち世代の若い頃、例えば車は憧れのモノであった。少ない給料から頭金をつくり、ローンを組んで手に入れる。そして、働きながら少しづつモノを生活の中に満たしてきた。百貨店についても同じような夢のある存在であった。しかし、草食系男女にとって、モノは欲望の対象ではないように見える。モノを含め、あらゆることに「距離をおくこと」で自分を守っているかのようである。しかし、八方美人ではないが、回りとの関係もそれなりに如才なくこなし、誰からも好かれる。優しい世代、ナルシスト、・・・・なかなか良いキーワードが見つからない新しい人間像である。誰でもが知っている人物像として言うと、最近では男子背泳ぎで世界新がおあずけとなった入江陵介や甲子園を沸かせたハンカチ王子齋藤祐樹といったところである。以前、私が使ったキーワード、繭の中の「20歳の老人」が、今のところ最も言い当てているような気がする。

しかし、リーマンショック=就職氷河期、リストラ、賃金引き下げ、非正規労働という現実も含め、時間経過と共に繭にくるまれた「私」は混沌とした「公」へと向かうであろう。そうした意味で成熟した個人へと向かっていく。取り上げたテーマの文脈から言うと、過剰を無くすということではなく、従来のライフスタイルとは全く異なる、ある意味構造転換したスタイル、物欲と少し距離を置いた、そんな生き方に私は新しさを感じる。勿論、消費の表舞台に立つのは5年後、10年後である。その頃には社会の主要なポジションを得て、新しいライフスタイルとして認知されていく。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:50│Comments(0)新市場創造
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