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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2008年10月08日

情報遮断から見えてくること

ヒット商品応援団日記No306(毎週2回更新)  2008.10.8.

今、経済誌ばかりかTVのワイドショーにいたるほとんどのメディアは急落する株価を取り上げ、世界恐慌前夜の如き報道がなされている。サブプライムローン問題は昨年秋頃から日本においても報道されるようになったが、既に一昨年の暮れにはヘッジファンドが破綻しており、民主党の大統領候補オバマはかなり前から指摘していたことだ。過剰情報の時代とは、情報過敏症の時代でもある。周辺の、あるいは瑣末とも思える情報に振り回される。「うわさの法則」でも書いたが、人間は情報の「あいまいさ」に耐えることができない存在であるが、「未来は分からない」と立ち止まってみることも必要だ。

できるかどうか分からないが、一度情報を遮断してみることだ。思考を停止する訳ではない。つもりにつもった情報という煤(すす)をはらってみるということである。煤をはらって見えてくるもの、それだけの情報で十分である。基本回帰、原点回帰といってもかまわないと思う。私の場合、必要とする情報は新聞を読む程度である。そして、金融経済という問題であれば、日本において物と物との交換経済から貨幣経済へと移行していった時に何が起きていたのか、あるいは室町時代以降、市場の広がりに応じた貨幣経済はどのように発展していったのか、それらをいわゆる生活者はどのように受け止めていたかを考えることにしている。グローバル経済の源流を1970年代の鋼鉄製コンテナにあると指摘したライシュではないが、貨幣、お金がどのように受け止められていたかという原点に立ち帰ることにしている。

以前、「日本資本主義の源流」というテーマで次のように書いたことがある。

『貨幣経済の元となっている物と物との交換や金融について調べてみるといくつか示唆的なことがある。物と物との交換、交易の場を市庭(いちば)、あるいは市と呼ばれていたが、この市庭は生活する俗界から離れた聖なる神仏との境界につくられていた。見知らぬ他人が交換するためには、物を一旦神仏に差し出し、そして物を受け取るといった手続きが必要であった。あるいは金融についても同様な手続きがなされていた。例えば、物を貸して利息を得るといった行為の原初的形態が「出挙(すいこ)」である。出挙とは神仏の倉庫にある種もみを農民に貸し出し、収穫の秋には神への感謝として若干の利息を付けて返すといった手続きである。これは私の推測であるが、この利息とは自然災害などによって収穫できないことへのリスク回避、経済循環のためであったのではないかと思っている。』

貨幣は人間の欲望の化身であり、神仏という聖なる場所や手続きを必要としていたということである。利息という金融も良き経済循環には必要な仕組みであった。今日、その神仏はなく、欲望だけが自由に世界を駆け巡っているということだ。ライシュ流にいうならば、「市民」という力、歯止めが及ばなくなっているということである。

ところで江戸時代を封建社会と呼んでいるが、この「封(ほう)」とは領内という意味で、領内での自給自足経済を原則とした社会の仕組みのことである。日本を農業社会であったと思い込まされてきたが、実は「百姓=農民」の嘘が明らかにされている。百姓という言葉には、商人や金融業者、更には職工といった職人など多くの人を百姓と呼称されてきた。ところで、こうした村落共同体をベースとした経済も度重なる飢饉と貨幣経済によって、天保の時代(1800年代)に大きく転換する。その転換を促したのが「問屋株仲間制度」の撤廃であった。今日でいうところの規制緩和で素人も参加できる自由主義経済の推進のようなものである。しかし、幕府は問屋株仲間からの上納金(冥加金)がとれなくなり、10年後に撤廃するのだが、この10年間によって市場経済は大きく変わっていく。

江戸時代の商人は、いわゆる流通としての手数料商売であった。しかし、この天保時代から、商人自ら物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が行われるようになる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが既成流通という「中抜き」を行ったSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。
実は、この「封」という閉じられた市場を壊した中心が「京都ブランド」であった。この京都ブランドの先駆けとなったのが「京紅」である。従来の京紅の生産流通ルートは現在の山形県で生産された紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売されていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入れ、現在のさいたま市付近で栽培し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売するようになる。柳屋はイコール京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下り物」を買った。従来の流通時間や経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。

京紅だけでなく、従来上方で製造されていた清酒も同様に全国へと生産地を広げていくこととなる。醤油、絹織物、こうした物も江戸周辺地域で製造されていく。そして、製造地域も東北へと広がっていく。従来海上交通に規制されていた物も陸上交通も使うようになる。こうして「下り物」としてのブランドが広がるにつれて、偽ブランドもこの時代に出てくる。特に、貴重な絹製品、生糸の製造については、卓越した技術による模造品が生まれている。今日のブランド偽造、産地偽装、の源流は江戸時代から始まったということだ。

こうした中世日本以降の経済の歴史を見ていくと、今必要となっている金融危機の問題も、グローバル化された市場における諸問題も、ある意味透かし絵のように見えてくる。江戸時代の「問屋株仲間制度」の撤廃という規制緩和では、恐らく悪徳役人や商人が出てきたと思う。しかし、商人道として今日まで継承されてきたのが近江商人の心得「三方よし」である。ビジネスには「儲ける」と「役に立つ」、この2つの側面をもつ。「役に立つ」ために「儲ける」ことは必要であるが、「儲ける」ことだけであれば、それはビジネスではない。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:40│Comments(0)新市場創造
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