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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2021年12月15日

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」

ヒット商品応援団日記No801毎週更新) 2021.12.15

今回の未来塾は「下山からの風景(2)」として、昭和における「コト起こし事例」をテーマとした。前回に続き「昭和」が教えてくれたベンチャーの事例である。バブル崩壊以降失われた30年と言われているが、この停滞打開のためのヒントになればとの考えから取り上げてみた。

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」



  
 下山からの風景(2)

「コト起こしを学ぶ」


「昭和」が教えてくれたベンチャー。
創業、ブランド、非常識、顧客主義・・・。
無名の人たちの挑戦、そして大谷翔平。



前回の未来塾「下山から見える風景」では「昭和30年代」に着目した。それは1年8ヶ月にわたるコロナ禍によって、バブル崩壊以降経済成長することなく、新しい価値観、停滞からの脱却が求められていることを浮かび上がらせてくれた。その象徴として昭和30年代がどんな時代であったか、当時を描いたジブリ作品「となりのトトロ」と映画「ALWAYS三丁目の夕日」を踏まえ、「貧しくても夢があった」時代にどんな出来事が起きていたかを自動車のホンダ、創業者本田宗一郎の言葉を引用しその「夢」を少しだけ辿ってみた。そのなかで当時はベンチャーなどという言葉はなかったが、まさに新しくコトを起こすベンチャーであった。今回は私自身の拙い経験を含め、「今」というこの時代の「コト起こしの意味」を学ぶこととする。
そして、嬉しいことに、二刀流大谷翔平が米国アッリーグのMYPに輝いたが、何よりも2度の手術・挫折を経て「規制」と戦ってくれたことにある。この活躍は末尾に書き加えたが是非ご一読いただきたい。

無名の人たちによって創られた「昭和」

ところで2000年代に入り、書店の店頭にはビジネス書、経営に関する書籍はほとん見られなくなった。現実ビジネスの方がどの書物より先に進んでしまった理由からであるが、実はビジネスの師である P.ドラッカーの書籍を再読している。周知のように日本の経営者にも大きな影響を与えた人物であるがその著書「マネジメント・フロンティア」の中で「明日をつく者」という表現がある。

「明日というのは、無名の人たちによって今日つくられる。」

政治家でなく、官僚でもなく、勤勉に働く普通の人たちによって、変化を受け止め、多く の困難さ、破局を乗越えてきたという主旨である。P.ドラッカーは、この普通の人たちの力を引き出し活性させるマネジメントを確立した人物だ。そのマネジメン トとは、組織中心の産業社会にあって、人が幸せになる方法をそのビジネスの根底に置くことによって、単に利益を得るための経営技術ではないとした。その組織とは、自らを社会生態学者と呼んだように、企業ばかりか、例えば病院経営やボランティア組織の運営についても言及している。ある意味、今日をどう生きるかという指針であった。前回「昭和」をテーマとしたのも、この貧しい無名の人たちによって創られた成長であることを指摘したかったからである。そうした意味を踏まえ、今起ってい激変、コロナによって痛んだ社会経済をどう立て直すか、いやどう生きてゆけば良いのか、まさに無名の人たちの着眼の一つを提示してみたい。前回はコトを起こす代表事例としてホンダの創業者本田宗一郎を取り上げたが、今回は昭和という時代における「無名」の人たちのコト起こし事例とその意味を学ぶこととする。

「ブランド」との出会い

ブランド価値、無形の資産ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、同じ機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120なのかという、その違いの根底に、誰もが持つ心理的価値に着眼してきたことにある。その心理的価 値とは何かであるが、その何かがブランド間の競争軸となる。 かなり前になるが、地域の名称を商標として登録できることから、雨後のタケノコのように 夥しい地域ブランドが生まれた。しかし、その呼称はさておき、その根底にある心理価値としての「何か」が無形の資産となるのだが。ところが地域ブランドの際立つ特徴となっているのか明確にされないままの呼称ブランドがいかに多いか周知の通りである。
私が初めて「ブランド」の世界に携わったのが米国サンキスト社の日本市場におけるマーケティング・企画面であった。周知のようにカ リフォルニア及びアリゾナの約6500の生産農家から構成されている世界で最も歴史のある柑橘類生産出荷団体である。いわば巨大な農協団体のような組織であるが、米国政府の農産品の輸出促進戦略を背景に卓越したマーケティング、ブランド戦略を現場実務で体験した。
実は日米間の貿易収支が赤字(米国にとって)」となったことを契機に1972年に日米貿易交渉が始まる。既にレモンという農産品はサンキスト社から輸入されており、日本市場に進出し、瀬戸内海沿岸にあるレモン農家は窮地に陥っていた時期でもあった。
そのサンキスト社のブランド戦略であるが、冒頭のレモンの写真には「印字」されてはいないが、当時は食べても健康被害にはならないインクで「SUNKIST」とブランド名が印字されていた。農水省からその安全性について指摘を受け、後にその印字はなくなったが、商品に直接ブランド名を印字することなど、少なくとも日本の農家には発想すら無かった。実際の広告物は手元にはないが、雑誌を中心に冒頭のレモンの写真のように印字された商品の広告で、大きくSUNKISTのロゴが入ったものであった。そして、「栄養と料理」といった雑誌を始め、レモンの主要な成分ビタミンCの効能について徹底した健康訴求・レシピ訴求を行い、新しいライフスタイルの創造を目指した。

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」



このレモンのある生活によって創られたサンキストブランドの「先」には米や牛肉と共にオレンジの輸入拡大があった。日米両政府の交渉内容については詳細はわからなかったが、サンキスト社は佐賀県の園芸連のみかんとサンキスト社のバレンシアオレンジを使った100%のオレンジジュースの開発へ向かっていた。その商品開発にも携わったのだが、商品開発における嗜好テストの結果が興味あるものであった。佐賀県のみかんとサンキスト社のオレンジのブレンド比率を変えた5種類の飲み比べテストであったが、一番高評価であったのがみかん25%、オレンジ75%の比率であった。この時感じたことは、従来の延長線上の味でもダメで、かといって全く新しい味でもダメだという味覚における事実であった。
このオレンジジュース商品は静岡県と首都圏でテスト販売されたが、極めて高い販売結果を残した。しかし、日米間の輸入枠交渉によって全国発売できる程のオレンジの輸入量が確保できないことから本格販売はできなかった。
ブランドが持つ心理効果は極めて大きく、レモンによって得られた鮮度、瑞々しさ、爽やかさ、そして何よりも身体に良いという健康効果、新しいライフスタイル・・・・・その波及効果としてオレンジについても期待をうらぎることはないであろうという、つまり未来期待値という心理効果を創造することができた。ブランドの心理効果をイメージ戦略として考えがちであるが、実は実体験の積み重ねによって創られたものである。つまり、ブランドは顧客によって創られ育てられるという基本を学んだ。
そして、商品は最大のメディアであり、そのメディアによってブランド価値が形成される。よく間違えることだが、ブランド価値は「デザイン」によるもので、パッケージデザインで決まるという考えであるが、そうした商品は継続されることなく一過性で終わる。「ブランド」と呼ばれる商品は、継続、つまり顧客によって愛され育てられて初めてブランドとなるということだ。

「京都ブランド」が教えてくれたこと

日本人のライフスタイルを研究していくとその「原型」は江戸時代にあることがわかる。身近なことでは隅田川の花火大会を始め日々の生活に色濃く残っていることは実感されることと思う。ブランド実務についてはサンキスト社であったが、江戸時代も実は「ブランド」はあった。「消費」が広く庶民にまで浸透し、元禄文化と呼ばれるような成熟社会が江戸にはあったことを想起すれば十分であろう。
江戸時代の商人は、いわば流通としての手数料商売であった。しかし、天保の時代(1830年代)頃から、商人自ら 物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が始まる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが既成流通と異なる「中抜き」を行った いわゆるSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」



よく江戸時代は封建社会というが、実はこの「封」という閉じた市場を壊した中心が「京都ブランド」であった。この 京都ブランドの先駆けとなった商品が「京紅」であった。従来の京紅の生産流通ルートは 現在の山形県で生産さた紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売さていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入、現在のさいたま市付近で栽培 し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売する。柳屋はイコール 京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下物(くだりもの)」を買った。従来の流通時間 経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。
京紅だけでなく、従来上方で製造さていた清酒も同様に全国へと生産地を広げて いくこととなる。醤油、絹織物、こうした商品は江戸周辺地域で製造さていく。そして、製造地域は東北へと広がっていく。従来海上交通に決まっていた商品は陸上交通を使うようになる。こうして「下物」としてのブランドが広がって、偽ブランドが既に この時代に出てくることとなる。特に、貴重な絹製品、生糸の製造については、卓越した技術 に模造品が生じていく。今日のブランド偽造、産地偽装、この源流は江戸時代から始ったということだ。
ただ江戸時代では盲目的なブランド信仰といったことではなく、遊び心と偽造という 卓越した模倣技術を黙認していたということであった。例えば、ランキング という格付けは江戸時代の大相撲を始めなんでもかんでもランキングをつけて遊んでいた。今日、偽造、偽装ばかりが事件となっているが、江戸のように自らの体験・ 評価に格付けなされていたということだ。ブランドは本当に好きな人たちの ものである。好きで好きでたまらないという顧客の創造、このブランドの原則に立ち戻ることだ。
もう一つ学ぶことがあるとすれば江戸時代の閉じられた「封」がどのように壊れていったか、それは近江商人のような「革新者」によってである。江戸時代の身分制度に「士農工商」があるが、物を生産しない手数料商売の「商」はある意味蔑まれた存在であった。今もそうだが、江戸時代にあっても革新者によって「時代」は創られるということだ。

革新者シャネル

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」



旧来の時代が持っている既成の慣習、モラル、価値観、大きくは文化と徹底して戦った革新者の一人にシャネルがいる。87歳の生涯を終えるまでの歴史を調べると、いかに多く戦い、そして非難され挫折を味わったかがわかる。その戦いの歴史をまとめると次のようになる。
・1910年頃、マリーンセーター類を売り始めたシャネルは、着手の女として彼女自身が真先に 試して着ていた。そして、自分のものになりきっていないものは、決して売ることはなかった。それは、アーティストが生涯に一つのテーマを追及するのによく似ている。丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた革新者であり、肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウン ウェア化させたシャネルはこのように言っている。
“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、 アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤ リング、それが私のセンス”。そして、シャネルのマリンルックは徐々に流行する。またヨーロッパ女性の憧れであった英国のウェントシンスター公爵との恋愛が大きく社会の眼に触れることとなり、恋多き女性と話題になる。
・1920年代、シャネルは単なるクチュールから、ロシアバレエのメセナになり、社会的地位を手 に入れることとなる。この頃、シャネルは香水の分野でも、その革新的チャレンジをしていた。 過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は 清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」 「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこ にでもつけていける香水を創ったのである。その後、ジャスミン、ローズ、スズラン…といった植物を調合してでき上がったのが、この「No.5」と「No.22」であった。「No.5」が売り出された のは、1921年、ネーミングも簡潔そのものであり、ビンのフォルム、ロゴマークも従来の甘さや 文学性を排除した、シャネルの新しい時代感覚そのものの明快なデザインであった。
・1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュー ルの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに 対し、次のような批評が殺到する。「1930年代の服の亡霊」「田舎でしか着ない服」と酷評 される。
・1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスー ツであった。そして、アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。シャネルは “モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語った。
・1971年1月、87歳の生涯を終える生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイル は残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、カール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは 危険である。”シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識している。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、そ れは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャ ネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・ コンセプトはカール・ラガーフェルドに引き継がれていく。

ところで「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉が大好きであったアップル社創業メンバ ーの一人スティーブ・ジョブズは、2005年スタンフォード大学の卒業講演で次のよう に語っている。
「自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ。自分が素晴しい と信じた仕事をする。それしかない。そして、素晴しい仕事をしたいと思うなら、進むべき道はただ一つ。好きなことを仕事にすることだ。」
勿論、好きなことを仕事とするとはスティーブ・ジョブズのいくどとなく経験した挫折を思い浮かべれば、その覚悟と執念に共感する人は多い。
シャネルもスティーブ・ジョブズも同じ生き様であることがわかる。シャネルの服は高額ではあるが、モードではなく、あくまでも生活に根差した服である。シャネルフアンの多くはシャネルのそうした「生き方」「既成と戦う姿」に共感する女性は多い。ある意味、シャネルの服を買うとは生き様を着ているかのようである。

非常識経営と言われて

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」



今から12年ほど前に鹿児島阿久根市のAZスーパーセンターをブログで取り上げたことがあった。きっかけは買い物に困っている高齢者のために100円バスを運行していたことを知ったからであった。
阿久根市は人口22,300人ほどのごく普通の過疎の地方都市で高齢化率も極めて高い。異色の非常識経営として業界に紹介されたスーパーであるがその名の通りAからZまで仏壇から車まで販売する、近くにコンビニがないからと24時間営業を行い、中山間部のお年寄りのために自ら100円バスを運行する。結果、阿久根市は勿論のこと周辺市場の顧客開発をも可能とし経営として成立させた。単なる効率を第一義とした業態とは正反対のビジネスである。
同じ考えで経営を成立させた業態の一つにジョイフル本田というホームセンターを思い出す。ジョイフル本田はいわゆるDIYを中心とした郊外型のホームセンターであるが、一般の小売業から見ると死に筋商品を山のように品揃えをしている。例えば、ネジ、釘、ビス類の種類が豊富でしかも全てバラ売りである。他の企業が排除した商品をきちんと品揃えすることによって結果として死に筋を売れ筋へと蘇らせているのである。5円のビスをバラ売りすることによって”あそこなら必ずある”という独自な「目的来店性」を創造している。POSは判断を誤らせると言い、”昨日100個売れたからといって今日100個仕入れても、今度は300個欲しいというお客さんが来るかもしれない。だいたいPOSは売っていない商品のデータは絶対出してこない。
AZスーパーセンターは鹿児島の片田舎に、売り場面積2万平方メートルもある巨大スーパーである。
取り扱う商品の種類も多様で無いものないスーパーであるが、実はその品揃えは丁寧な緻密さにある。例えば醤油ひとつとっても日本全国網羅した醤油が品揃えされていると聞く。5円のビスをバラ売りするジョイフル本田と同じ「非効率経営」である。今も同じ仕組みで運営されているか確認はしていないが、売り場の担当者が販売だけでなく仕入れも担当している、つまり「顧客」がわかっているからだ。同じ仕組みで成功しているのが周知のディスカウンターのドン・キホーテがある。つまり、人をどう生かすか、人力経営の良きモデルである。

コトを起こせば新たな顧客が生まれる

こうした「既成」を超えた市場の開発は顧客の求めていた「何か」を見事に捉え、解決策を提示したからに他ならない。マーケティングで言うところのプロブレム イコール オポチュニティ、問題点こそ新たな市場開発となると言う意味だが、それは大仰に構えたことでは無い。
ちょうど今から20数年年近く前になるが、不眠症が社会的な話題になることがあった。NHKでは不眠のメカニズム、体内時計などの解説が番組放送されたり、日経新聞も快眠のための解決策としては日常的には「マクラ」による解決策としては70%の生活者が実行しているなど大きな話題となっていた時期があった。こうしたことを背景に私が経験した拙いテスト計画を一部レポートすることとする。実は「快眠」をテーマとしたプロジェクトによるもので、2003年から快眠をテーマとした共同学習を踏まえたテスト計画で以下のような内容であった。

○テスト計画の舞台
地方都市県庁所在地の中心部にあるビジネスホテル。シティホテルを含め大手ホテル6社が競争している極めて激しい市場。
○テスト計画のホテル
25階建、客室数280、/23階フロア全体がレディースフロアとなっており、その17部屋の内2部屋を「nagomi room(なごみ)」としてテストを行った。
○コンセプト&キーワード
「nagomi room」、”ぐっすり眠ってキレイになる”
健美同源から一歩先の眠美同源のルームとして。
○2005年2月1日〜1年間
○ターゲット
30〜50歳のワーキングウーマン
○価格
8500円(税込)」、9000円’是込)
*実はホテル業界は使用ルーム面積比で室料が決められており、テストとなったnagomi roomは通常のルーム面積より大きく高い価格となっていたため、部屋の回転率が悪かった部屋であった。
○快眠のためのアイテム
ベッドについては既存のベッドを使用したが、プロジェクト参加企業からコンセプトに沿って次のようなアイテム商品の提供を受けた。
・加湿器セット ・スチームフットスパ ・フェイシャルスチーマー&マイナスイオンドライヤー ・ジャストパジャマ ・リラックスティー&天然水 ・ホテルオリジナルマクラ ・マットレス
○リラックス&ビューティ8つのプログラム
1、乾燥地がちなお部屋にまず加湿器
2、スッピンになってモード転換
3、ぬるめの半身浴で疲れとストレスをオフ
4、着心地の良いパジャマを着てリラックス
5、リラックスティーの香りに包まれながら
6、プチエステを楽しむ
7、足の疲れを取る
8、快適な寝具で朝までぐっすり
単なる商品説明ではなく、「リラックス&ビューティ」をプログラムとして顧客提案した。
○コミュニケーション
ホテルのHP上でスペシャルルームとして告知。

こうしたテスト計画であったが、快眠ルームnagomi によって新たな顧客が生まれた。nagomi ルーム2部屋によって次のような利用顧客の変化が生まれた。
・nagomi ルームの変化/新規顧客79%アップ リピート客11.3%アップ
・客室の稼働変化/nagomi ルーム2部屋57.2%アップ 
         レディースフロア17部屋15.2%アップ
         ホテル全体250部屋13.3%アップ
稼働率の悪かった2部屋をnagomi ルームに変えることによってレディースフロアのみならずホテル全体の稼働率が高まり経営に大きく寄与する結果が得られた。ホテル予約はnagomiから埋まり、ホテル全体へと広がったことがわかる。「新たなコトを起こせば新たな顧客が生まれる」良き事例を経験した。そして、その新たなコトは小さくても構わないと言うことである。
このことはホテルのみならず、ショッピングセンターにおいても、街づくりにおいても活性化策の基本である。まず点を打つ、次に線を引いてみる、最後は勿論面となるのだが、なかなか面には至らない。前述のブランドのように失敗や挫折もあり、途中で修正することが必要となる。問題なのは最初に打った「点」を忘れないことだ。私の言葉で言えば「点」とはコンセプトのことである。なお、テストに参加し商品の無料提供に対してはnagomiルーム利用顧客へのアンケート照査結果及びテスト結果の成果についてレポートを行った。なおその後のホテルサイドとの取引については個別なものとして2社間で行ってもらうこととした。(後半に続く)」







タグ :コト起こし

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:13│Comments(0)新市場創造
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