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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2021年05月09日

東京五輪って何?   

ヒット商品応援団日記No787(毎週更新) 2021.5.9.

東京五輪って何?   

米ワシントン・ポスト(電子版)は5日のコラムで、日本政府に対し東京五輪を中止するよう促した。その中でIOCのバッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び、新型コロナウイルス禍で開催を強要していると主張。「地方行脚で食料を食い尽くす王族」に例え、「開催国を食い物にする悪癖がある」と非難した。コラムは大会開催を前進させている主要因は「金だ」と指摘。IOCは収益を得るための施設建設やイベント開催を義務付け「収益のほとんどを自分たちのものにし、費用は全て開催国に押し付けている」と強調した。その上で、日本政府は五輪中止で「損切り」をすべきだと訴えた報道である。
実は日本ではあまり報道されてはいないが、五輪に否定的な報道は米国で相次いでおり、ニューヨーク・タイムズ紙は4月、コロナ禍の五輪開催は最悪のタイミングで「一大感染イベント」になる可能性があると指摘。サンフランシスコ・クロニクル紙は5月3日、世界で新型コロナの影響が長期化する中、東京五輪は「開催されるべきではない」との記事を掲載している。そのバッハ会長は日本における緊急事態宣言と東京五輪開催は別問題だとして顰蹙を買ったが、まさにワシントンポストの指摘そのものの指摘に合致したコメント、自分さえ良ければとした考えでである。
日本でもいくつかの世論調査が実施されているが、例えば共同通信社の全国電話世論調査では、今夏開催するべきだとした人の割合は24・5%、再延期するべきだは32・8%、中止は39・2%で、いずれも3月の前回調査の23・2%、33・8%、39・8%から横ばいだった。つまり、再度延期すべき及び中止を考える人は72%と圧倒的にコロナ対策重視に世論は向かっている。

実は5年半ほど前に「ノンコンセプト・オリンピック」というタイトルでオリンピックが変質してしまったことについてコメントしたことがあった。ちょうどオリンピックのエンブレム盗用問題が新国立競技場のゼロ見直しに続き使用中止となり、またもや再度公募するとの発表があった時期である。記憶を辿れば、新国立競技場についてはその膨大な建設費について「何故」と思う人が大多数であった。1000兆円を超える債務をもつ日本にあっても、それでも意味ある費用であれば納得したことと思う。 そして、私は次のようにブログに書いた。

『ところでそのコンセプトであるが、2020東京オリンピックがどんなコンセプトを持ってIOCに提案したかを語る専門家はほとんどいない。実は、そのキーワードは「スポーツ・フォー・トゥモロー」となっている。この「スポーツ・フォー・トゥモロー」を実行すると宣言したことで、日本の方針をIOCが高く評価し、それが招致決定の決め手になった。そして同時に東京五輪の実施にあたって、この「スポーツ・フォー・トゥモロー」の実行が求められるという経緯になっている。この経緯などについては作家村上龍が主催しているJMMに投稿し広く知られている米国在住の冷泉彰彦氏は、そのキーワードについて、3つのスポーツ貢献を果たしていくというものであったと指摘をしている。(詳しくは2014年8.5.のNewsweekの「コラム&ブログ」をご一読ください。)
ところで、その貢献を簡略化するとすれば、
1)青年海外協力隊などの活動として、途上国などに日本のスポーツ振興のノウハウや施設を普及させる。
2)日本のスポーツ文化と世界の最先端のノウハウを融合した高度なスポーツマネジメントに関する国際的な人材育成を行う。
3)そして、今盛んに行われているアンチ・ドーピング活動を国際的に支援する。
調べた範囲は限られているが、概略は以上のようで、「スポーツを通じた未来への社会貢献」という意味合いについて、その社会貢献世界については誰もが納得理解し得るものだ。しかし、この方針はメッセージ性はあっても地味であるため、オリンピックのもつイベント性、お祭りというエンターテイメント溢れるビジネス世界とは異なるものである。
よくロンドンオリンピックは成功したと言われているが、その成功のためには英国が抱えている多様な社会矛盾を視野に入れた一種の社会運動としてスポーツを位置付け、その目標にロンドンオリンピックを置いたことによる。つまり、お金をかけないコンパクトオリンピックもそうであるが、「オリンピックは儲かる」という転換点となったロサンジェルスオリンピック以降の反省、いきすぎた商業主義としてのオリンピックの反省を踏まえたものであった。周知のサッカー界においても同様で、汚職にまみれたFIFAの改革にも繋がる課題である。ある意味世界的なスポーツビジネスの潮流を踏まえたコンセプト、方針であった。これがロンドンオリンピックであり、東京オリンピックのポリシーであったと。こうしたポリシー・コンセプトを詰め、祭典というエンターテイメント世界との折り合いをつけるという進化の努力がまるで見られない。』

更に記憶を辿れば、招致決定前の世論調査では、招致に賛成の日本国民はせいぜい50%程度で、マドリード78%、イスタンブール73%、と比較し一番低かった。こうした土壌からの東京五輪への取組であった。しかし、「コロナ禍」によって、当初の東日本大震災からの「復興五輪」から「コロナに打ち勝つ五輪」へと変質した。東日本大震災からの復興を五輪というスポーツを通じて広く世界に見ていただこうという趣旨であった筈である。それは1964年の東京オリンピックが戦争によって荒廃した日本の復興を同じように見てもらう趣旨と重なる。意味あるオリンピックは何かとはこうした社会に向けた「意味」のことである。ちょうど高度成長期の時期であり、その後の日本の大きな転換を後押しするスポーツイベントであった。
長くスポーツを担当した新聞記者であった友人はこうしたオリンピックの変質を次のようにSNSを通じまとめてくれている。

『私は、当面の問題は別にして、「五輪」がすでに重症の制度疲労を起こしていると思います。
その1。開催誘致はロビー活動という舞台に、多額の裏金がバラまかれるという疑惑です。致命的な暗部でしょう。スポーツマンシップを知らないIOC委員が増えているようです。
その2。テレビ放映権など、スポンサーが五輪の会期や聖火リレーまでも牛耳っている現実です。日本の猛暑、多湿の時期に開くなんて、だれも歓迎しません。これって、米TVネットワークの注文というのが暗黙の了解事項。挙げ句、マラソンコースはいつの間にか北海道へ。
その3。五輪は、すっかり「ショー」になり、バラエティ番組化してきました。背景はアスリートのプロ化。今更、大昔のアマチュア至上主義に戻る必要はなく、スポーツが注目され、スポーツ環境が良くなるのであれば、ショーアップも少しは我慢してもいいですが。
以上、野球に例えるなら、3アウトでチェンジ。東京五輪は今年は中止、五輪の真の姿を真剣に考えませんか。いずれ、出直し五輪を東北のどこかで開きましょう。
コロナ禍という「災い転じて福となす」という格言通りに。
これ蛇足。来年の北京冬季五輪はどうなるの?』

コロナ禍によってオリンピックの「制度疲労」という本質が隠されてしまった。いや、逆にコロナ禍によって本質的な問題が炙り出されたと言った方が正確であろう。先日マラソンのテストマッチが札幌で行われたが、テスト当日の午後まんえん防止を政府へと申請すると鈴木知事から発表があった。札幌市民の多くはかなり以前から感染者が急増し早く手を打つべきであり、テストマッチどころではないと報道されている。また、その前にオリンピック開催に向けて医療体制の整備として看護協会に500名ほどの看護師派遣を要請し、コロナ対応で緊急事態にある医療に対し、それどころではないとする反発が湧き上がっている。
こうした「反発」は東京五輪の内容がいまだに明らかにされないことによる。勿論、観客を入れるのか否か、無観客なのか、あるいは中止なのか、オリンピックの本質に関わる全体像がいまだに決められないことによる。政府も東京都も、その決断をする前になんとか感染者数を抑えなければという理由からで、バッハ会長の来日前に緊急事態宣言の期間を「短期集中」としたことは容易に感じ取れることだ。しかし、その緊急事態宣言は延長され、そのバッハ会長の来日は無くなるという顛末である。オリンピックによって振り回される構図がさらに明確になったということだ。

ところで少し前になるが、小池東京都知事が東京五輪中止を言い出し、それで国民の支持を取り付け、国政に転出するという報道があった。東京五輪の1年延期を主導したのは安倍前総理だが、それは長年の天敵である小池都知事と手を組んでの行動だった。その流れから現職の菅総理が小池都知事と手を組み、IOC(国際五輪委員会)に働きかければという報道もある。つまり、東京五輪は「政局化」してしまったということだ。
小池都知事にとって東京五輪は単なる主催都市の責任者ということであり、極論ではあるがオリンピックへの思い入れは無い。元組織委員会の森氏との確執を見れば分かることで、世論が「中止」に向かっていくならば、そのタイミングを見計って中止発言をするのではとメディアは待ち構えている。
一方、菅総理にとっても少し前の訪米に際し、バイデン大統領からは「開催を支持する」ではなく、「開催の努力を支持する」と発言し、菅総理がバイデン大統領を東京五輪に招待することもなかったとする専門家もいる。つまり、菅総理も小池都知事も「同床異夢」ではあるが、共に「中止」へと向かう可能性はあるということだ。
ただ東京五輪開催はIOCにとっては大前提であり、無観客開催であっても実行するであろう。放映権料というお金になるからであり、ワシントンポストが日本は「損切り」を選んだら良いのではと言っているのも、日本の収入は観客からの収入で、無観客であれば約900億円の収入が無くなる、つまり損切りを促すのはこうした背景からである。その損切りは訪日外国人観光客によるインバウンドビジネス含まれない。東京五輪をチャンスにと東京には多くのホテルが建設され、多大な投資の回収が見込めない状況となっている。
また誰も試算しないが、建設された多くの諸施設は採算にあう施設もあるが、経済の復活次第ではあるがその多くは赤字になるであろう。豊洲市場の開発で莫大な赤字事業に加えて、東京五輪の負の遺産を抱え込むこととなる。

社会貢献すべきスポーツ、東京五輪が果たすべきどんな「意味」があるのか? 「社会」とは生活者のことであり、事業を営む人たちのことであり、その人たちがコロナ禍によって苦しんでいる。特に前回も書いたが大阪の医療は既に崩壊しつつあると言っても過言では無い。収容できない感染者は自宅待機ということになり、亡くなる方も多数出てきた。既に隣県である和歌山などに分散収容しており、更に心ある医師や看護師は自発的に手弁当で大阪の現場に集まっていると聞く。コロナ患者を受け入れている病院だけでなく、府内の町医者も側面からも後方からも支援に回っている。ある意味、全国、いや日本社会が大阪支援に向かっているということだ。
そんなコロナ禍で東京五輪の「意味」が問われているということである。バッハ会長の言うように、理屈上は日本のコロナ状況とオリンピックは別問題として考えることも成立はする。しかし、平和を標榜するオリンピックの隣でコロナ禍で亡くなる人がいるとしたら、その平和の祭典の意味は何なのか明確に宣言すべきでる。もしそれができないまま開催されるのであれば、私の友人が指摘するように「制度疲労」のまま、歴史に汚点を残すオリンピックになる。(続く)



タグ :東京五輪

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