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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2021年01月17日

「不要不急」という生活 

ヒット商品応援団日記No777(毎週更新) 2021.1.17.

「不要不急」という生活 

2回目の緊急事態宣言が発出されても街の「人出」は大きくは減少してはいないという。朝の通勤電車の混み合いも大きくは減少してはいない。そこで再び政治家もマスコミも使い始めていのが「不要不急」の外出行動は自粛して欲しいという使われ方である。昨年4月1回目の発出の時に使われ、当時も不要不急とは「何か」という議論が起きたことを思い出す。新型コロナウイルスにはまさに未知のウイルスであり、3月末には身近な存在であった志村けんさんがあっという間になくなったことから「恐ろしい病気」であることから、「不要不急」の外出とは、生きるための「食材」や生活に必要な薬や消耗品」を購入するドラッグストア以外の外出は自粛することとなった。第一波の感染のピークは終えてはいたがこうした自粛行動によって感染は減少へと向かった。

前回のブログで4月の時のウイルスと比較し、「未知」から「既知」のものへと変化したと書いた。5月に入り緊急事態宣言は延長されたものの、大型商業施設の営業時間も、スポーツや映画や演劇など文化施設も制限はあるものの次第に制限は解除されてきた。つまり、100%ではないが、「不要不急」から「日常」へと意識は変わってきた。その意識はGoToトラベルによって「旅行」という最も不要不急な行動へと向かったことは周知の通りである。勿論、意識の奥底には新型コロナウイルスへの「恐れ」はあるものの時間経過と共に意識事態は変わっていく。それはこの1年間の生活者の感染予防をしながら、生活を楽しむ知恵や工夫によくあらわれている。そのライフスタイルについてが昨年12月のブログ「ヒット商品版付を読み解く」を見て欲しい。

こうした意識の変化は常に時間の経過と共に必ず起きる。その変化をよく「慣れ」と表現されるが、ある意味コロナ禍における生活者の「日常」の構築のことである。戦後の物が乏しい時代には「不要不急」などという言葉はなかった。当時あったのは今や死語となったエンゲル係数で、生活費に占める消費支出の「食費」の比率であった。つまり、生きていくための「食」の比率が豊かさの基準であった。いや豊かさと言うより、生きるための必需消費であったと言うことである。日本の消費は当時から教育支出が高いのが特徴であるが、次第にお洒落や旅行といった「楽しみ」消費へと変化していく。高い価格を払ってでも痩せるダイエットもそうした消費の代表的な物であろう。それも選択消費と呼んでいるが、不要不急とはこの選択消費のことである。
コロナ禍で生活者が行動変容したのは「密」を避けて楽しむ変容であろう。例えばオープンエアな環境での楽しみ方で、キャンピング人気であり、観光気分も味わう紅葉ハイキングなどによく反映されている。つまり、不要不急の行動であっても、そこにはウイルスへの学習による変化があるということである。

そして、この選択消費・楽しみ消費が実は都市経済を支えている。簡単に言って仕舞えば、「消費」することが生産であると言う意味である。サプライチェーンという難しいことを言うまでもなく、消費は単に買わないと言うことではない。買わないことによって生産・流通する事業者に直接つながっていることは昨年の一斉休校により学校給食がなくなったことが、このサプライチェーンによって経済が成立していることがあからさまになった。給食用の食材が納入できなくなったと言うことである。葉物野菜などは廃棄処分せざるを得なくなったと言うことである。これは都市と地方という対比でも表現できる。このことは単に「食」の問題ではなく、不要不急の代表的な「旅行」がそうである。今回の緊急事態宣言によって飲食業だけでなく、都市周辺地方の観光地には都市観光顧客は自粛しほとんど行くことはなくなった。勿論、観光地だけでなく、移動の交通事業者は言うまでもない。

前回のブログで「情報」は立場立場で手前勝手に解釈するものであると書いた。しかも、民主主義の良いところでもあるのだが、「感情」で判断してしまい冷静に科学的な知見をもとに発言すべきところを間違えてしまう恐れがある。その代表的な言葉が「不要不急」である。この一言で全てをある意味判断の遮断をしてしまう言葉として使われかねない。
今回の緊急事態宣言は飲食店の時短要請を中心とした限定的なものであるが、夜8時以降の自粛だけではなく、昼のランチも控えて欲しいと言った発言がなされ飲食事業者は混乱困惑している。つまり、夜営業もランチ営業も自粛して欲しいと言った方針転換と受け止められている。極論言えば、店内飲食はやめて弁当販売しか方法はなくなるということだ。そして、都知事からは不要不急の外出を自粛要請。わかりやすく言えば表現は悪いが、ソフト・ロックダウンである。昨年、3月都知事によるロックダウン発言で翌日スーパーの棚からお米やレトルト商品がなくなっていたことを思い出せば十分であろう。来週から国会が始まり特措法の改正が論議されることとなるが、補償と共に罰則規定も論議されるようだ。よくよく考えれば、営業時間の短縮といった要請は営業の自由を制限していることであり、「要請」とは言え私権の制限要請でもある。同じように「不要不急」における「何を」不要不急とするのかは個々人の判断によるものである。4月の時にブログには「セルフダウン」という言葉によって自主的な判断のもとで感染防止努力をすべきで、日本人にはそれが可能であると書いたことがあった。その源はあのサッカーのレジェンド三浦知良さんのHPでの発言「セルフロックダウン」であった。自らの判断で自身を規制するということである。第一波の感染を防ぎ得た要因の一つがこの国民一人ひとりによるセルフダウンであったと私は考えている。

この不要不急・自粛については「高齢者」は既にライフスタイルを変えている。重傷者や亡くなった高齢者については報道されているが、実は大多数の高齢者は自制、いやある意味で「密」を避けての「自己隔離」している。外出も今更言われるまでもなく、必要最低限のことしか行ってはいない。自分で自分を守る方法はやはり経験から熟知しているということだ。ましてや多くの高齢者は持病を持っており、「肺炎」には極めて注意している病気である。一定の年齢になれば肺炎球菌のワクチンや季節性インフルエンザのワクチン摂取も行っている。特に、誤嚥性肺炎など食事にも注意している。つまり、既に十分自己管理・自己隔離しているということである。新型コロナウイルスによって亡くなる高齢者の多くは高齢施設や院内感染が多いと聞いている。死者や重傷者を低く抑えるには、この高齢者の自己管理・自己隔離を徹底した方が的確な政策となる。但し、増え続けている家庭内感染を徹底的に防止することが必要となる。ある意味、家庭内隔離である。日本の医療体制の不備・高度治療の後れについては再三再四指摘されている。その実態について、あの山中伸弥教授のHPで「ICU等病床数と新型コロナウイルス重症患者数の国際比較」がなされ、欧米各国はICU等病床の20%から80%を新型コロナウイルス重症患者の治療に使用されており、日本はわずか5%にとどまっていると。この実情・後れを考えるならば、高齢者の「自己隔離」と言う方法が必要であることがわかる。

ところで感染拡大のポイントとなっている若い世代、30代以下にとってこの「不要不急」と言う言葉はおそらく全く通じないことは確実である。高齢者にとって不要不急とは「我慢」することであり、戦後の乏しい物資の中で育った経験が残っており理解することはできる。しかし、彼らにとって既に豊かな時代に生まれており、例えば仲間との「会食(パーティ)」のような「不要不急」の行動が楽しみであり、コミュニケーションとしては成立はしない。前回も書いたが行動を抑止する「実感」ある言葉ではない。最近祖父母などに罹患させないために行動を自粛して欲しいと言っても罹患の実感もない。あるのはバイト先に迷惑がかかる、あるいは勤務先に迷惑がかかる、と言った方が彼らにとって、実感できないまでも理解はしてくれる。バイト先に感染者が出たとなった場合、例えばSNSで投稿されたらどんな事態が生まれるかそれこそ実感を持つことは間違いない。また、新型コロナウイルスの恐ろしさについて後遺症の恐ろしさを伝え始めているが、こうした恐怖戦略も実感を得るまでには至らない。身近なところにそうした後遺症で悩む同世代はほとんどいないからだ。前回指摘したように、「伝える方法を持つこともなく、しかも伝えるべき内容」も決定的に間違えている。彼らをまた「悪者」にしてはならないと言うことだ。悪いのは前回も書いたが、「大人」である。

つまり、「不要不急」と言ったわかったような、わからないような言葉では誰も聞こうとはしないであろう。中小の飲食事業者もそうだが、大手の居酒屋チェーンモンテローザは「居酒屋にとって20時までの営業では店舗の運営は困難として、都内61店舗を閉店すると発表している。あるいはイタリアンのレストランチェーンサイゼリアの名物社長は記者会見の席上「ランチも控えて欲しい」との政府発言に対し、「ふざけるな」と語気を荒げる場面も見られるほどである。また、紅虎餃子房で知られている際コーポレーションの中島社長も中小事業者だけでなく大手チェーンも極めて厳しい状況にあると報道陣に投げかけている。
日本の飲食店、67万店。働く人、440万人。東京都の場合飲食店は約8万店と言われている。産業規模から言うと、飲食サービス市場は約32兆円。ちなみに不要不急の代表的なビジネスである「旅行」産業は約23兆円と言われ、その内3兆円がインバウンドビジネスであり、既にその3兆円は消えて無くなり、更に旅行自粛は強まり、20兆円はどこまで落ち込むか極めて心配である。そして、倒産・失業者は春にかけて増えていく心配が高まる。
不要不急などと言った言葉ではなく、「我慢」して欲しい。「会食」ではなく、仲間とのパーティは少しの間我慢して欲しい、そのように言葉を変えることから始め、科学的知見を持って感染拡大を防止すべきではある。飲食サービス事業の感染メカニズムの科学的知見が得られないのであれば、これは推測する域を出ないが、感染源の状況証拠を風評被害を起こさないことを前提に公開すべきである。こうしたエビデンス・証拠を持って、「我慢」の1ヶ月として欲しいとメッセージを送るべきである。飲食事業者も、若い世代も、共に「悪者」にしてはならない。悪者は「大人」である。(続く)

タグ :コロナ禍

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:01│Comments(0)新市場創造
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