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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年04月21日

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   

ヒット商品応援団日記No734(毎週更新) 2019.4.21.

ここ数年新たな賑わいの芽について大阪の街を取り上げることが多かった。勿論、東京においても新たな賑わい、というより以前からエネルギッシュな活力を見せており気になっていた街がある。JR中央線快速を利用すれば新宿からわずか6分という交通至便な街高円寺を取り上げてみた。
未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   



消費税10%時代の迎え方(5)

にぎわい再考
その良き事例から学ぶ(3)

ザ・コミュニティ、東京高円寺
出入り自由な街


高円寺と言えば特筆すべき話題はほとんどなく、せいぜい年に一度ニュースに取り上げられる阿波踊りの街、あるいは劇場やライブハウスなどのサブカルチャーの街として知られている。しかし、街が生き生きとした表情を見せている証明になるかと思うが、実は駅を中心に大規模商店街が10もある。北口には高円寺純情商店街や高円寺あづま通り商店会など、南口には高円寺パル商店街、高円寺ルック商店街などがある。都心に隣接する住宅街で、今なおこれほどの歴史ある商店街がシャッター通り化することなく残っている街は高円寺を置いて他にはない。そして、それら商店街は繋がり、交差する先に住宅地が広がる、まさに駅を起点とした生活と共にある「日常の街」である。

シニア世代にとって高円寺と言えば、やはり詩人・作家であるねじめ正一が描いて直木賞となった『高円寺純情商店街』であろう。ねじめ正一本人の実家の乾物屋と商店街での話が元になった小説で、舞台は昭和30年代の実在する商店街に暮らす人々を描いた下町情緒溢れる作品である。「下町」という呼称は数多く使われているが、高円寺はまさに昭和の「ザ・下町」とでも表現したくなる街である。
ところで「JR時刻表」などの刊行物で知られている交通新聞社に「散歩の達人」という月刊誌がある。主に首都圏の町歩きのガイド雑誌であるが、2年ほど前に「東京ディープ案内」を編集テーマにした雑誌が発刊されたことがあった。東京を深く知るための雑誌で、例えば”センベロ名酒場””町中華の真髄””シビれる銭湯はここだ”といった編集に見られるように「散歩オタク」のための雑誌である。そうしたオタクのメインテーマに「東京ディープ案内  トップ10」の第一位に選ばれたのが高円寺であった。そのディープさについて、怪しい、怖い、濃い、・・・・・・面白すぎる、新しすぎる、古すぎる。つまり、「普通」ではない街ランキングの第一位の街ということである。
ここで言う「普通」ではない街の意味は、そこに住む歴史ある生活文化が色濃く残っている地域のことである。高円寺もそうした普通でない下町の一つであり、ある意味再開発から外れた街、昭和という時代が今なお残っている街、生活臭がいたるところに残っている街、そんな街である。そして、高円寺の特徴の一つとして若い世代を取り込んだ「新しい下町」へと変化してきた歴史と今が見えてくる。そうした意味で、商業の発展を見ていくにはまたとないモデル地区の街である。

スターバックスのない街

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   当たり前のことだが、街は「人」がつくる。再開発であれ、昔からの歴史を刻んだ街であれ、その街をつくるのは「人」であり「生活」である。
まず杉並区の人口推移を見ていくと世帯数・人口ともに伸長している。更に、年齢構成を見ていくとわかるが、他の区と同様65歳以上の老年人口は増加傾向にあるものの21〜2%程度となっており、一方年少人口(0〜14歳)は10%を超えている。また、特徴的なことは単身世帯の構成が56.3%と高く、住宅も低層階のアパートやマンションが多く、高層タワーマンションなどは極めて少ない、そんな人たちが住む生活の街である。ちなみに、杉並区の20階建以上のマンションはわずか1棟である。
その単身世帯についてだが、東京都全体では45.71% であるのに対し、杉並区は56.46% と比較的高いことがわかる。その対象 エリアを見ていくと、高円寺南1 丁目、2 丁目等の単身世帯の割合は68.67% となっており、区全体の傾向よりも高く、約7 割近くが単身者と いうことがわかる。また、対象エリア内の居住者の年齢構成をみると、20 ~ 39 歳の割合が34.8% と最も高く、約半数を40 歳未満が占めていること から、比較的独身の若い世代が住む街ということだ。
ところで独身者の生活を考える一つの指標に転出入人口がある。ちなみに杉並区の平成27年度における転入人口は48,823人、転出人口は42,712人となっている。同じ中央線の吉祥寺が子育てファミリーに人気であるのに対し、高円寺は単身の若いサラリーマンや学生が好んで住む街で、転居など移動の激しい街ということがわかる。
そして、見事なくらい住む人たちによって街がつくられているのだが、それは生活に必要とされる「商業」として反映される。シャッター通り商店街も、賑わいを見せる商店街も「人」によって創られる。結果、その街がどんな商業によって発展してきたか、その内容を見れば住む人たちの暮らしが見えてくる。ちなみに高円寺にはスターバックスはないが、レトロな個性あふれる喫茶店は数多くある。

生活の匂いがする街

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   例えば”その街はどんな街ですか”と問われた場合、緑の多い水辺の街とか、近代的でモダンな街並み、あるいは映画の1シーンのような歩いて絵になる街といった表現をすることが多い。しかし、高円寺の街を歩いて感じたのは、街にも固有の匂いがあるということであった。それはビジネス街であれ、住宅地であれ、そこに住む人々、仕事をする人々、移動途中の人々、そうした人々の匂いが街のいたるところに染み付いている。
例えば高層ビル群であるオフィス街の丸の内や大手町のビルの地下街には昔ながらの洋食レストランがあってビジネスマンの空腹を満たす独特な生活の匂いがある。あるいは銀座にもスーパーブランドのフラッグショップが居並ぶビルの谷間にも昭和の匂いをさせた食堂がある。

高円寺には若い世代が集まるサブカルチャーの街、あるいは古着ショップの多い街といったことから下北沢によく似た街であると言われるが、「街の匂い」ということから比較するとまるで異なる匂いのする街であることがわかる。その匂いとは言葉を変えれば、「文化」が醸し出す生活臭の匂いとなる。匂いは絵にはならない、暮らして感じ取るものである。そうした意味で、下北沢はおしゃれなカフェや古着ショップなどインスタ映えするが、高円寺は肌で感じる街と言えるであろう。
杉並区はタワーマンション1棟が示しているように、首都圏では最近人気となっている恵比寿や江東区豊洲、あるいは武蔵小杉といった「新しい都市生活」を楽しむライフスタイルを提供する街とは異なり、古くからの街とそこに新たに住む人が好む暮らしに必要なものが加わっていく。そんな新陳代謝のある、ある意味街の成長のモデルにもなり得る街である。それはJR高円寺駅を中心に広がる商店街を見ても分かるように、そのほとんどはシャッター通りとは無縁の賑わいを見せている。しかも、商店街にはいわゆる全国チェーン店も見かけるが、地元高円寺では知られた店々ではあるものの、そのほとんどが全国的には無名の店ばかりである。

「雑」が溢れる面白さ

「雑」とは雑然・雑踏・複雑・乱雑・猥雑(わいざつ)といった人間の持つ自然体を表したいわばまとまらない面白さ、整然としていない居心地感、悪く言えば粗雑ないい加減さのある街、それが高円寺である。「雑」の反対語ではないが、「純」とは真逆の構えない、ありのままの自然体、いやリラックスした日常で居られる世界、「素」のままで居られる心地よさ、そんな表現がふさわしい街である。
何故、そんな「雑」な街が出来上がったのか、それは旧住民と新住民が混在しているからに他ならない。どんな人間も受け入れる懐の深い街といったらカッコは良すぎるが、「雑」はそんな街にふさわしい。多くの商店街がシャッター通り化しているのに比べ、街の成長・賑わいにこの「旧」と「新」がバランスよく作られていることが分かる。

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   少し前の未来塾「エスニックタウンTOKYO」では新宿百人町の通称「イスラム横丁」や池袋北口の「チャイナタウン」、あるいは高田馬場の「リトルヤンコン」を取り上げたことがあった。訪日外国人が新たに創った街についてである。訪日観光客ではなく、留学生や研修生、あるいは労働ビザを取得した訪日外国人の暮らしを満たす街である。そこから生まれたものとしては、新宿イスラム横丁では「ハラル料理」であり、池袋チャイナタウンでは「ネイティブチャイナ料理」、リトルヤンコンでは「モヒンガーを始めとしたミャンマー料理」となる。
訪日外国人が集まるコミュニティと共に、日本人にとっても特異なエスニック文化を体験できる街となっている。以前からこうした特異な専門店は東京にはあったが、「街」としては初めてである。これがエスニックタウンと言う「雑・都市TOKYO」の面白さである。
もう一つ雑の面白さとして取り上げたのが闇市から一大商業観光地へ発展した上野アメ横である。「地球の胃袋 雑エンターティメント」と言うタイトルでこれも未来塾でレポートしたことがあった。上野アメ横については周知のことでこれ以上書くことはないが、実はこうした雑食文化はある意味古くから日本にはあるもので特筆すべきものではない。

つまり、雑・都市である東京の面白さと言うことになる。そもそも江戸時代から江戸は「参勤交代」で知られているように日本全国から武家大名が集まった都市である。話す言葉も文化も異なる地方出身者,それも単身者が集まり120万人にも膨れ上がった都市、それが江戸であった。その江戸にはそうした単身者向けのビジネスが損料屋(レンタルショップ)を始め夜鳴きそばで知られる屋台といった外食産業が大いに流行った都市である。こうしたビジネスは京都や大阪にはなかったことを考えると、東京はその歴史を見ても分かるように独自な「雑」集積都市であることが分かる。中でも中央線沿線、高円寺はそんな「雑」が溢れる街である。

育てる「雑文化」の街

高円寺というとサブカルチャーの街として知られているが、その多くは下北沢と同じ小劇場、小劇団、アーチストやミュージシャンの卵たちが集まるそんなことを指している街のことである。まだ磨かれている途中のゴツゴツとした「小さな」個性が雑然とうもれている街のことでもある。
あの作詞家阿久悠は大ヒット曲「津軽海峡・冬景色」を18歳の少女であった石川さゆりに歌わせたが、晩年「転がる石」という曲を歌わせている。自分も転がる人生であったし、転がることを嫌がって、立場や過去に囚われてしまったら、苔むす石になってしまう、後年自分も石川さゆりも転がり続けてきたと語っていた。ちなみに「転がる石」は次のような歌詞であるが、そんな転がる石たちが高円寺周辺にいくつも見出すことができる。

転がる石はどこへ行く、
転がる石は坂まかせ、
どうせ転げていくのなら、
親の知らない遠い場所・・・・・

勿論、東京は多くの地方出身者が集まる街である。「一極集中」は今始まったことではなく、日本の高度経済成長を支えたのも地方の中学生で就職列車で上京した。その集団就職の風景は映画「Always三丁目の夕日」に描かれている。今は集団就職列車ではなく、個人の夢を乗せた夜行バスで上京するのだが、そんな夢追い少年少女を温かく迎えてくれた街の一つが高円寺であった。

そんな上京した一人がエッセイを始めとしたマルチな活動を行なっている「みうらじゅん」であろう。もともと京都出身のみうらじゅんは着いた東京駅から中央線に乗って高円寺に来たと語っているように便利でわかりやすい街ということであった。そして、高円寺のアパートで仕事をするのだが、糸井重里氏の勧めもあってわずか1年半ほどで原宿へと引っ越しをする。しかし、以降もその居心地の良さもあって様々なところで高円寺を語り、特に当時ほとんど知られていなかった「インド雑貨」を広め、雑文化カルチャーの騎手となる。そのみうらじゅんの活動は極めて幅広く、上京当時は雑誌「ガロ」に投稿した漫画家であったが、以降エッセイスト、小説家、イラストレーター、DJ、あるいはミュージシャンなど多彩な才能を発揮する人物である。まさに雑多なカルチャーを身にまとったマルチタレントと呼ぶにふさわしいアーチストである。

暮らしやすさの第一は物価の「安さ」

新宿から数分という便利さから家賃相場は決して安くはない。一人暮らしであれば8万円前後の物件が多いが、駅から離れれば5万円といった家賃のアパートも結構ある。そんな高円寺での暮らしに不可欠なのが、やはり物価であろう。その物価の優等生といったら卵ともやしとなるが、暮らしやすさの優等生としては何と言っても高円寺である。これまで江東区の砂町銀座商店街やハマのアメ横興福寺松原商店街など多くの激安商店街をブログにて公開してきたが、「街」としては高円寺となる。

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   高円寺は激安の象徴であるような小売業、スーパーマーケットがいくつかある。世界の巨大流通業であるエブリデーロープライスをポリシーとするウオルマートの傘下に入ったDS西友、そのウオルマートを見に行かなくても日本ですでに実践しているDSオーケー。更に、業務スーパーもあり、勿論100円ショップのダイソーもある。そして、普通でない高円寺にはそうしたディスカウントストアチェーンに負けない地域小売店が多くある。駅北口近くには昔ながらの駅前の高野青果店や行列の絶えないジャンプといった精肉店もある。

こうした安さを売り物とした生鮮三品の他に単身者向けの飲食店が極めて多い街である。ワンコインという言葉が流行るはるか前から、高円寺では500円で空腹を満たすことができる飲食店は特別な店ではなかった。つまり、普通の店として理解されてきた。「高円寺、500円ランチ」というキーワードでネット検索してみるといかに多くの飲食店が出てくるかがわかる。
そうした飲食店の代表的な店の一つがハンバーグをメインとした老舗洋食店の「ニューバーグ」であろう。人気メニューはサービスセット(570円)で、ハンバーグ、コロッケ、ポテト、スパゲッティ、目玉焼き、サラダ、味噌汁、ライスがついている。ちなみに、ハンバーグランチであれば、確か470円であったと思う。

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   もう一軒挙げるとすれば阿佐ヶ谷方向へ少し歩いた高架下にある食堂タブチであろう。定食を始めなんでもある食堂であるが、ここの名物は何と言っても牛丼&カレーである。山盛りライスにはこれでもかと牛丼とカレーがかけられていて1日分の摂取カロリーはこれで十分といったメニューである。お腹を空かせたアルバイト学生には嬉しい一品である。値段は650円、カレーだけだと確か400円であったと思う。日替わりランチは560円であった。
他にも南口から数分のところにある中華料理 味楽もそうしたボリューム、味、価格を兼ね備えた人気である。ランチと言えば山盛りのライスにアジフライや目玉焼きなど・・・・・これで450円。

このように書いていくと「安さ」だけが売り物の街のように考えがちであるが、多様な「好み」に応じた店も多くある。例えば、今流行りの高級食パンであるが、ここ高円寺にもそうした食パン専門店はある。北口から歩いて5分ほどの庚申通り商店街にある「一本堂」である。1斤330円程度で少しだけ安い価格となっている。また安さだけでなく、南口から少し歩くが新高円寺近くにはウサギ型の食パンを販売し話題となっているベーカリー兎座LEPUSがあるが、ここもウサギ型食パン1斤300円と手頃である。

サブカルの街と言われて

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   
サブカルの街と言われる高円寺であるが、杉並区がつくった区立杉並芸術会館(「座・高円寺1」、「座・高円寺2」、「阿波おどりホール」の3つのホール等を有する施設)を母体とした活動で、その誕生は10年ほど前で新しく、下北沢の本多劇場の歴史とは異なる。
周知のように本多劇場の誕生は元映画俳優本多一夫氏が飲食店を開店することから下北沢における演劇の街が始まる。そして、1981年最初の劇場「ザ・スズナリ」を開場する。ある意味、大手劇団俳優座などの表舞台とは異なったサブカルチャー文化、その第一次演劇文化が下北沢であったのに対し、座・高円寺は第二次演劇文化となる。

この区立芸術会館には「阿波おどりホール」があり、高円寺という街のユニークさはこうした「市民文化」の街としての側面が見えてくる。阿波踊りの歴史は古く、昭和32年8月。現在の高円寺パル商店街振興組合に青年部が誕生したことから始まる。いわゆる町起しであるが、スタート当初は徳島の阿波踊りを真似た「高円寺ばか踊り」であった。古くから言われてきたことだが、町おこしには3人の「人」の力が必要であると。若者、よそ者、馬鹿者の3人である。まるで絵に描いたようにこの3者によって阿波踊りを含め高円寺文化も創られてきている。阿波踊りは次第に「本場」の踊りへと向かい、その規模も大きくなり、今や100万人もの観客を集めるまでになったように、商店街を中心にした今で言うところの「参加型」イベントとなった。
実はこの「参加」による文化創造が区立芸術会館を造らせたと言っても過言ではない。

「座・高円寺1では多くの小劇団の公演も行われているが、その最大特徴の一つが「劇場創造アカデミー」にある。劇作家、演出家、俳優、映像オペレーター、批評家から劇場経営まで演劇に関する全てを学ぶアカデミーである。アカデミーのコースには1年制と2年制の2つがある。このアカデミーの講師を始め、「座・高円寺1の創設には、あのアンダーグランドと言われた自由劇場創立者の一人である佐藤信氏が助力されており、「演劇文化創造」の起点となっている。
下北沢が本多氏による文化創造であるのに対し、高円寺の文化創造は誰でもが携われる、触れることができる「街ぐるみの文化」を目指していると言えよう。

高円寺のもう一つの「文化」がライブハウスである。私は一時期沖縄のライブハウスオタクになり、沖縄の主要なライブハウスを一通り楽しんだことがあった。三線を使った沖縄民謡のライブハウスとエレキギターによるオールディズの2つのライブハウスに大別されるが、琉球大学の学生による三線を使った今風のオリジナル曲を演奏するミュージシャンの卵たちもいて、沖縄料理の居酒屋の片隅で演奏していたことを思い出した。
ところで高円寺のライブハウスであるが、古い歴史ある「ペンギンハウス」というライブハウスに行ってみた。場所はといえば、駅北口の純情通り商店街から突き当たりを左に曲がったところの庚申通り商店街のビルの地下にある小さなライブハウスである。駅からわずか数分、生鮮スーパーや飲食店が立ち並ぶ人通りの多い庚申通りにある。後で気がついたのだが、以前天ぷらの店でたまごランチが話題になった「天すけ」の近くにあり、通り過ぎてしまうようなビルの地下であった。商店街にあるライブハウスで、毎日3組ほどのミュージシャンの卵が演奏してくれる。前述の「転がる石」の若者たちで、上手い下手ではなくこれも「時代の今」を感じさせてくれている。

街全体が「文化の売り出し」

昨年の12月から今年の3月にかけて数回高円寺の街を歩いたが、阿波踊りのような大きなイベントではなく、各商店街で小さなイベントが行われている。例えば、昨年秋には純情商店街では「ビックり市」が行われたり、隣の庚申通り商店街では日光猿軍団のイベントが行われる。各商店街が高円寺フェス実行委員会のもとで小さな売り出しを含めたイベントが一斉に行われる。3月には「高円寺演芸まつり」として小さな落語会が行われていた。
こうした各商店街のイベントの根底には廃れつつある商店街をなんとかしたいと立ち上がった「ばかおどり(阿波踊り)」の歴史が継承されているからであろう。結果、街を歩けば面白い何か、楽しい何か、新しい何かに出会える、そんな街全体がアミューズメントパークであるかのような街がつくられている。

新しい生活文化としての銭湯

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   高円寺の街巡りを始めて数ヶ月経ったそんな時期に、よく見るTV番組「情熱大陸」に一人の若い女性が取り上げられていた。16年末から銭湯の建物内部を俯瞰図で描く「銭湯図解」シリーズをツイッター上で公開し、話題となった28歳の塩谷歩波(えんや・ほなみ)さんである。小杉湯の店主の勧めもあって、番頭になり週に何回か店にも来ているようだ。その小杉湯は高円寺で80年以上愛されている銭湯である。周知の通り、銭湯は衰退業種と言われ今なお廃業が続いているが、一方銭湯オタクも多く人気銭湯の一つが小杉湯である。駅北口から庚申度りを5分ほど歩いたところの少々分かりにくい住宅地にある小さな銭湯である。入り口には小杉湯だけの「ミルク風呂」との看板がかかっており、次回高円寺に来るときには体験してみようと思った。

冒頭で高円寺は「新しい下町」という表現をしたが、その一つがこの小杉湯であろう。その「新しさ」とは銭湯の楽しみ方であると同時に、その楽しさの伝え方にある。塩谷さんが大学の時建築を学んでいたこともあって、自ら体験した銭湯の図解をイラストで表現し、ツイッター上で公開するといった新しさである。
その代表的な楽しいイベントとして昨年6月に行われたのが小杉湯×フィンランド『 夏至祭 - Midsummer Festival - 』であろう。「銭湯と公衆サウナ」をキーワードに、日本とフィンランドの違いや、それを形作るフィンランドの文化、公衆浴場が形づくる豊かさを伝えるイベントとのこと。HP上のイベントを図解したイラストを見る限り、銭湯の浴室と屋外のサウナ、さらには物販店までもが用意されており、新しい着眼による「銭湯文化」、楽しみ方となっている。このイベントの背景には小杉湯が「交互浴の聖地」、暖かい湯と冷たい水を交互に入る入浴の聖地と呼ばれ、銭湯オタクにはたまらない「場」になっていることがわかる。
更に面白いイベントも行われている。その一つが昨年8月に行われた「いどばたアート in 小杉湯」で、「触れるアート、話せる空間」をテーマに、発泡ビーズが入った銭湯の浴槽に着衣のまま入浴するアートコンテンツを用意。参加者同士がコミュニケーションできる空間を演出するといったイベントである。

もともと江戸時代に生まれた銭湯はコミュニティにおける社交の場で、江戸っ子の銭湯好きは大変なもので「銭湯の出前」まであったほどである。こうした新しい発想による銭湯文化の創造も高円寺ならではのものであろう。
一時代を創ったスーパー銭湯も「スーパー銭湯のアイドル純烈」といったエンターティメント志向と東京鶯谷にある巨大銭湯「萩の湯」ではネパール人店長による本格カレーが人気であるように、「次」の温浴施設の試みがなされている。高円寺小杉湯は「入浴」という基本を時代に合わせてどのように変化発展させていくのか、そんな銭湯の本道を歩んでおり、これも一つの生き方であろう。

「個族」の暮らし

未来塾(36)「賑わい再考・東京高円寺」前半   「個族」という言葉を使ったのは今から11年半ほど前に「個族の居場所」というタイトルでブログに書いたの最初であった。俯瞰した視座で時代を見ていくならば、個人化社会の進行と共に、社会の単位も家族から個人へと変化したことによって生まれたキーワードである。
高円寺の街について若い単身者の街であると書いたが、私の言葉で言えば「個族」の暮らしを支える環境があるということである。小さなバスタブやシャワーだけの狭いアパートの暮らしに対し、銭湯小杉湯もそうした個族の暮らしをひととき豊かにしてくれる場となっている。
他にも前述の500円ランチに代表される飲食店のように多種多様な好みに合わせ、デフレを満喫できる街ということができる。しかも、深夜時間まで営業している店も極めて多い。人手不足の時代から、深夜営業をやめたり撤退する店もある中で、高円寺には深夜営業店が極めて多い。勿論、需要と供給がバランス良く深夜営業店が営業できているということであろう。中でも高円寺の地元で愛されてきている沖縄料理の「抱瓶 (ダチビン)」は朝5時まで営業している。(後半へ続く)













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