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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年04月04日

ことば遊びのすすめ 

ヒット商品応援団日記No733(毎週更新) 2019.4.4.

新元号が決まった。その元号「令和」の「令」と「和」は万葉集の序文からのものであると説明がなされた。それまでの中国の漢詩などからのヒントの他に日本の古典からも広く典拠する方針に沿ったものであった。日本の古典からの典拠案に決まるであろうと考えていたが、予測通りであった。元号選定の有識者の多くが日本の古典、国書からの典拠による元号に賛成であったと報じられている。国書であれば、古事記という最古の古代日本人が考え創造した「文学」も検討されたと思う。元号が発表されてから万葉集ブームが起こり、出版不況の中にあってまるで神風が吹いた如くのブームが起きている。

ところで日本語の誕生の時期はいつ頃であるかというと専門家によって若干違うものの、漢字が中国から朝鮮半島から渡ったのは紀元前2世紀頃で、日本語としての完成は、万葉仮名と略された片仮名(カタカナ)が生まれ、どこから見ても漢字ではない文字・平仮名(ひらがな)が生み出されたとき、日本語(和語)が本当に始まったと言われている。そして、平安中期からから全国へと普及し、鎌倉~室町時代、戦国時代へと、武士階級から農民へと広がっていった。実は、ながながと日本語の歴史を簡略化したのも、日本語は漢字・カタカナ・ひらがなを持ち、漢字は音と訓を持つ。しかもその漢語の意味も音ももはや中国語ではなく、かつ日本語も固有語の影を残しながらも形成されて来たものである。にもかかわらず、外来(漢意=漢字)と固有(和心=ひらがな)の匂いをなお持ち続け、一つの文字を二つに読み分ける世界唯一の稀有な言語が日本語である。日本人はわからない民族だとよく言われるが、日本語の複雑な構造、文化の構造を理解するには日本人ですら少なくなっている。
万葉集はその名の通り万葉仮名で書かれた和歌であり、日本人の瑞々しい感性に触れるには良き書である。日本語が乱れていると若い世代を揶揄しがちであるが、時代を映し出した新しいことば遊びから生まれる感性もあり、それは万葉集にも通じるものである。新元号を一つの機会として、日本語のもつ魅力・文化を再認識、勉強する人も出てくるであろう。

万葉集を始め和歌を詠むといった貴族文化は一つの季節行事として残ってはいるが、庶民が本格的に言葉遊びを楽しみ始めたのは江戸時代の川柳であった。初代柄井川柳(からいせんりゅう)が始めたものだが、庶民の誰でもが参加できるように前句というお題に対し、それに続く句を詠む遊びである。日曜日の夕方日本テレビ系列の「笑点」を見ている方は分かると思う。この前句から続く後の句が独立したのが「川柳」である。連歌の練習としてスタートしたが、懸賞募集をしたことから庶民へと広まったと言われている。今は第一生命がスポンサーとして、同じように募集しているのが「サラリーマン川柳」である。時代の雰囲気、世相をおもしろおかしく、ユーモアたっぷりに句が作られており、好きな人も多くいると思う。例えば、2018年度の第一位は次のような句であった。
◆  スポーツジム 車で行って チャリをこぐ
和歌はどちらかと言えば宮廷文化であるのに対し、川柳は庶民文化の一つである。もっと簡略化していうならば、駄洒落を含めた言葉遊びの時代として考えた方が良い。
しかも、川柳はくすっと笑える、そうそうとうなづける表現形式である。明日が見えないそんな不安ばかりが増幅されている時代、長期停滞の経済日本にあって、顧客のこころの扉を開けるにはユーモア、遊び感覚こそ必要となっている。以前、「標準語から方言へ」というテーマでブログを書いたことがあったが、この方言をうまく使ったのは吉本の芸人が使う大阪弁であり、元宮崎県知事の東国原氏の「どげんかせんといかん」発言が流行語大賞になったように、ある意味で標準語に対するカウンターカルチャーとしての方言だ。最近では人気のサンドイッチマンやU字工事も同様で、地方出身者の漫才である。つまり、今流行っているものに対し、「アンチ」「反」「逆」を行ってみようということである。

かなり以前に話題になったことだが、福岡のもんじゃ焼きの店で出した「こどもびいる」なんかはまさに遊び感覚、駄洒落気分でやった良き事例である。実はアルコール度ゼロの泡の出るガラナジュースという「びいる」である。当時もちょっと笑える話題の商品であった。
洒落は今で言うオシャレの語源で気の利いたことを指し示す言葉であるが、洒落に「駄」をつけると何か低級でセンスの無さを感じてしまうが決してそうではない。江戸時代上方から江戸に伝わってくるものを「下りもの」と呼んで珍重していたが、いつしか対抗して江戸の文化が生まれてくる。江戸文化の研究者の方から指摘を受けるかもしれないが、洒落に対する駄洒落は一種のカウンターカルチャー(対抗文化)のようなものと私は理解している。上方の押し寿司に対し、江戸ではにぎり寿司が生まれたように、文化という「違い」を楽しむ時代になってきている。その文化発祥の地である上方、大阪には商いの楽しさ、面白さの原型が今なお残っている。それはおもしろがりの精神によるもので、例えばなんばグランド花月の裏路地にあるうどん店「千とせ」の名物は「肉吸い」といううどん抜きの肉うどんである。あるいは南船場にある元祖きつねうどんの「うさみ亭マツバヤ」には「おじやうどん」といううどんとご飯のおじやを両方楽しめるメニューがある。前述の「こどもびいる」も同様で、しかも福岡にあるもんじゃ焼きの店のドリンクである。こうしたおもしろがりから生まれたメニューこそ求められている。

成熟時代のビジネスは、どのように顧客の「こころを動かす」かが最大のテーマとなった。その心の動きはSNSの「いいね」という共感の言葉で評価され結果が出る時代である。しかし、何故「いいね」なのか、ツイッターの文字数が140から280文字まで増やされても意味を深めることはできない。(日本語・中国語などは現在のままである)
作家五木寛之は鬱状態の自分に対し、『人は「関係ない」では生きられない』とし、「あんがと(ありがとう)ノート」を書き、鬱状態から脱したと著書「人間の関係」(ポプラ社刊)で書いている。人間の成長は4つの段階で変わっていく。幼少期から少年期には「おどろくこと」で成長し、やがて「よろこぶ」時代を過ごす。そして、ある時期から「かなしむ」ことの大切さに気づき、しめくくりは「ありがとう」ではないかと。
五木寛之の言葉を借りれば、ビジネスであれなんであれそこには必ず「人間」が介在し、「言葉」が発せられる。そして、その「人間」に不可欠なものとして「泣き」「笑い」と言う2つの情動がある。心を動かす情動は言葉によってであり、言葉として発せられてはいない沈黙ですら、沈黙の言葉として人の心を動かす。
そして、欧米諸国からは「日本病」と言われているように長期停滞という鬱の時代はこれから先も続くであろう。残念ながら新元号の時代になっても、鬱という不透明、不確かなモヤモヤ時代は続く。そのためにも時間をかけて創られてきた文化、そうした言葉の持つ力を持ってコミュニケーションしなければならないということだ。商品のみならず、店頭も、人も、少し広げれば街も、「いいね」の先を語る時代が来たということである。(続く)


タグ :新元号


Posted by ヒット商品応援団 at 13:19│Comments(0)
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