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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年02月10日

想像力を失った社会 

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2019.2.10.

想像力を失った社会 


「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり起きているときにけられたりたたかれたりします。先生、どうにかできませんか」。

千葉県野田市に住む父親からの虐待の中で10歳の少女栗原心愛(みあ)ちゃんが、先生が自分を救ってくれると訴えたアンケートの自由回答の一部である。このアンケートには書かれた内容に対し、担当教師による詳しい質問の内容がコメントとして付け加えられている。アンケート記入を踏まえた面接という手法ならではのもので、虐待のこと細かな実態がコメントされどんな状況のもとでの虐待であったかリアルに実感できるものとなっている。調査手法としては「デプスインタビュー」に近いもので、設問には現れていない心の奥底にある「本音」を表に出していくもので、いわば「助けてほしい」という「叫び」そのものである。あろうことか千葉県野田市の教育委員会は加害者である父親にそのアンケートのコピーを渡してしまう。更に、児童相談所に保護され、虐待から一時的に解放されるが、何故か両親は虐待を否定し再び両親の元へと引き戻されてしまう。今年に入り学校を1ヶ月も休んでいるにも関わらず児童相談所は連絡も取らない状況が続く。結果、「大人」達の保身と裏切りの中、絶望して死を迎えてしまう。この虐待の果ての死については報道の通り言葉を失うものであるが、冒頭の直筆の文章とパソコンで打たれた文章とを比較してみると、このアンケートの意味がわかってくるかと思う。実はこのアンケート調査こそが虐待から栗原心愛ちゃんを救う原点であったことがわかる。

ところで勤労統計の不正問題について国会で議論されている。次から次へと不正が見つかり、官庁統計の信頼を失墜させた問題である。この不正は最近始まった話ではなく、平成15年に全数調査ではなくサンプル調査とするマニュアルが担当局内部で作成され、平成16年から続けられてきたという。そして、失業保険などの過少支給により延べ約1973万人に約537・5億円の追加給付を行うという。調査設計の不正、つまり全数調査ではなく、サンプル抽出との誤差値が約537・5億円に及ぶことにまず驚く。調査をある程度理解している専門家はサンプル抽出調査の精度の高さを指摘するが、ことは「給付金額」であり、精度の問題ではない。そして、書類の保管期限が過ぎて約1千万人の住所は不明であるという。果たして、全員に追加給付できる否かも疑問である。コトの本質は統計が処理方法ではなく、その統計がどのような事態を引き起こすかと言う想像力の問題としてある。

私の場合は勤労統計データも使うが、総務省の家計調査が中心となっている。それは消費の内訳といった関連データを含めた調査となっているからであ理、更に世帯収入との関係も分析できることから家計調査を基本としている。勤労統計の場合は、失業保険給付の根拠となる統計データではなく、消費に向かう賃金の「傾向」を見ていくための調査としての活用である。しかもこのデータは勿論全て「数字」としての傾向で、消費市場は心理化しており、新たな調査を付加して分析しているのが現状である。つまり、数字の裏側にある「実像」を想像する「何か」を必要としているということである。

想像力を失った社会 


上記の図は市場分析に際し数字による「量的調査」から心の内側・本音を探る「質的調査」への転換を整理したものである。今回論議されている勤労統計はこの量的調査に属するものである。ひとことで言えば、1980年代までの「モノ充足」を求めたマーケティングから、「心の充足」を明らかにしていくマーケティングへの転換をはかるためのものであった。曰く、「満足度」調査を行うための整理図であった。勿論、今までの量的調査を必要としないということではない。個々人の好みや嗜好にそうための心理分析で、例えば食品で言えば2000年代初頭それまでの「大勢で食べる鍋」から「一人鍋」への着眼としても使われたものである。このように丁寧に「個人」「一人」の消費に迫っていく方法が採られ今日に至っている。

この質的調査に該当するのが、10歳の少女栗原心愛ちゃんがアンケートに書いた自由回答部分のことである。この自由回答とは、書かされたものではなく、自分の意志で書くものでまさに「本音」が語られているということである。父親からの「暴力」について、面接した教師は「どんな暴力?」「それはいつ頃?「どのぐらいの頻度で?」あるいは「その時お母さんは?」など、心愛ちゃんに重ねて質問し、心の奥に何があるかを探り表に出す工夫をしていることがわかる。
昨年東京目黒区において5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが両親による虐待によって亡くなった事件があった。亡くなった結愛ちゃんがノートに書き綴った反省文を読んで多くの人はかきむしられる思いをしたことと思う。そのノートに書き綴った文章の一部を下記再録する。

”もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんから きょうよりも 
もっともっと あしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして
・・・・・・・・・・・・”
これもある意味アンケートの自由回答部分に書かれた心愛ちゃんの「本音」と同じである。結愛ちゃんが書いたメモの中に、「あほみたい」といった表現があるが、5歳の子供が使う言葉ではない。これは父親である船戸容疑者から繰り返し暴力的に「あほ」と言われてきた言葉であることが容易に推測できる。どんな状態で虐待を受けていたか、この言葉からも想像できる。

個人情報保護法が論議されていた2003年ごろであったと思うが、ある電鉄会社の商業施設(主に小売事業部門)の顧客調査をしたことがあった。当時は「顧客満足」というモノ満足だけでなく、心理的満足をも重視ししなければならないことがマーケティングの主要なテーマ時期であった。調査の担当者から小売商業部門の代表者にも調査結果を直接報告をしてほしいとのことで報告会をしたことがあった。その報告書は「数字」による量的結果と共に、商業施設への来街利用実態、利用理由やその満足度という質的調査の結果について、この「自由回答部分」を敢えて直筆のままそのコピーを貼り付けて報告書としたことがあった。私からはこれが「顧客の声」ですと報告した時、その代表は食い入るように見ていたことを思い出す。そして、直筆からどんなお客様が書いてくれたのかを想像しますと答えてくれた。多くの企業経営者はこうした「数字」の裏側にいる顧客をイメージして運営している。

こうした質的調査(定性情報)については、キーワード化されそれら情報にタグをつけをコンピュータ処理され活用されてきている。株式の専門家ではないが、機関投資家による株の売買のほとんどがコンピューターによって自動化されている。株の乱高下の背景にはこのコンピューターのプログラムが各社ほとんど同じようにプログラムされているとも聞いている。株価判断には多くの業績などの指数を活用すると共に、例えばウオールストリートジャーナルやニューヨークタイムスといった主要大手新聞などの紙面に出てくるタイトルなどの情報をキーワード化した定性情報をプログラムに組み込んでいると言われている。数字化できない情報、心理に及ぼす情報をどのように取り入れていくかという一つの事例である。コンピューターによる処理能力の高さからより精度の高い「答え」が得られてきていることは事実である。

今回の賃金統計の不正についても、国の基幹統計情報も「処理」され数字化してきたと思う。東京都における全数調査をやらずにサンプル調査に変更したとしても、それは単なる「数字」の世界で、誤差があれば修正すれば済むと考えているからである。そこには失業などの給付を受ける2000万人近くの国民はいない。野党が言うような現政権への忖度などではない。毎日新聞によれば厚労省3万人の職員の内この勤労統計などの業務部署にはわずか17人しかいないと言う。勿論、職員か少ないからと言う理由は許されない。問題なのはこの統計数字を基に多くの政策が膨大な税金と共に実行されてきたと言うことである。前統計責任者の国会答弁から推測するに、統計という数字の処理に不正があったとは考えていなかったと言うことであろう。コトの重大性とはまるでかけ離れた単に処理を間違えた程度の認識。ここまで官僚社会が劣化しているは極めて恐ろしいことだ。

栗原心愛ちゃんの虐待事件に対する柏児童相談所の所長の会見を見てもわかるように、そこには救うべき栗原心愛ちゃんはいない。所長が会見中最後まで心愛ちゃんの名前を呼ばなかったのも、そこあるのは「処理」すべき女児だけであると言うことだ。つまり、想像力を失った恐ろしい社会が広がっている。これからAIの時代としてますます進化していくであろう。であればこそ、人間が持ってきた想像する力をこそ育て発揮しなければならない。「数字」の持つ意味をどう読み解き、想像力を働かせること、これはコンピューターにはできない社会を実現することでもある。
社会の面(おもて)へと出てきた統計調査を含め、コトの本質は得られた「情報」を基に「読み解き」、そして「想像力」を働かせて解決に向かうことにある。これは周りの「大人たち」のことだが、もう一つの本質は躾などといった価値観に囚われ虐待する両親自身についてである。それは我が子を愛せない両親自身の悲劇によることが多い。育て方と言うより、「愛し方」を知らない親に生まれた子の不幸である。この点については子を愛せない場合、どうしていったら良いのか熊本市の慈恵病院にある「こうのとりゆりかご」(赤ちゃんポスト)や江戸時代の「捨て子」の事例を学んでみることとする。(続く)


タグ :虐待

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