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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年09月18日

未来塾(37)「居場所を求める時代」 後半 

ヒット商品応援団日記No747(毎週更新) 2019.9.18.

今回の未来塾では作家五木寛之の「下山の思想」の時代認識を借りて、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」という視点をもって中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」の2つの街を中心に街を観察してみた。成熟した時代のマーケティングとして「居場所」に着眼したレポートである。



若い世代の居場所 「令和新道」 大阪ルクアイーレ バルチカ

「居場所を求める時代」に学ぶ



「居場所を求める」というと、何か無縁時代の孤立した人間の居場所のことが焦点になってしまいがちであるが、生を受けてから死ぬまで人は居場所と共に生きる。その居場所は1980年代以降、生活の豊かさと共に多様化し、居場所を求めて街に漂流する少女たちのような社会問題もまた生まれてきた。少し前には川崎無差別殺傷事件の時には、自殺した犯人が極度の引きこもり状態にあり、いわゆる「80 50問題」という少子高齢社会の構造上の問題について書いたことがあった。こうした居場所を求めたがかなわず引きこもるという社会問題も多発しているが、ここではそうした社会病理ではなく、ある意味人間が持って生まれた「本能」、「生きるために必要な」居場所探しをテーマにした。

ところで居場所の違いについて世代論があるが、もう一歩踏み込んだものは現象面としては多く取り上げられてはきたが、その価値観の違い、時代の共有感の違いを指摘するマーケティングは少なかった。今の若い世代を草食男子とか、欲望喪失世代とか、揶揄することはあっても、価値観を踏まえたまともに消費を論じることは少なかった。せいぜい会社の上司との飲み会は極力避けるといった程度であった。しかし、いわゆる「部活」の延長線上の「ノリ」で、数年前から新しい飲食業態として表に出てきた「バル」を始め、時間無制限、持ち込み自由で、約100種類の日本酒を飲み比べできるセルフ式店舗など新しいサービス業態の飲食業態も出てきた。勿論、従来のような「酔う」ために飲むのではなく、仲間などと他愛もないおしゃべりをすることが目的である。そのためのメニューであり、スタイルである。私が知り得る限り、その中でも成功を収めているなと実感したのが前述の大阪ルクアイーレ地下の「バルチカ」である。これが消費の視点で求められている「居場所」である。

20歳代より上の世代、結婚したての若夫婦、特に男性に現れているのが「フラリーマン」と呼ばれる仕事を終え、そのままダイレクトに帰宅せず、ひととき「自由時間」を楽しむという現象について取り上げた。つまり、「夫婦」という家庭関係を結ぶことによる新たに生まれる「不自由さ」やストレスの解消策である。私はこの現象を「一人になりたい症候群」と呼んでいる。最近では、キャンピングというとファミリーで楽しむのが普通であるが、リタイアした夫婦が軽トラキャンピングカーで全国を回る「老後」に注目が集まっているが、さらに新たな注目が集まっているのが一人キャンプ「ソロキャンプ」が増えてきているという。悪く言えば「自己中」であるが、一人用のキャンプ用品に人気が集まっている。2000年代初頭、「ひとリッチ」というキーワードと共に「一人鍋」に代表される個人サイズの商品が飛ぶように売れた時があった。同じような傾向がまた到来しているのであろうか。いや、少し異なる「傾向」が出てきている感がしてならない。その異なる傾向とは、年齢を重ねるに従って強くなる「我が人生」への思いであろう。いささか古い流行歌であるが、武田鉄矢・海援隊が歌う「思えば遠くへ来たもんだ」(1978年)の世界であろう。”故郷離れて40年、思えば遠くへ来たもんだ”という歌詞に表現されているように、人生を振り返る「時」があり、その時を思い起こさせてくれる場所、それが居場所にもなる。

「下山」の発想

作家の五木寛之は著書「下山の思想」(幻冬社刊)の中で、「下山」の大切さを説いている。下りる、降る、下る、下がる、・・・・・どこか負のイメージがまとわりつく言葉が「下山」である。五木寛之は「下山」とは諦めの行動ではなく、新たな山頂を目指すプロセスであるという。若い頃の登山とは違って、下山は安全に確実に下りるということだけではない。下山の中に登山の本質を見出そうという指摘をしている。
登山と下山では歩き方が違う、心構えが違う、重心のかけ方も違い、見える景色は変わってくると書いている。

「居場所」とは、人生における登山下山の途中にあって、立ち寄るいわば山小屋、平たく言えば休憩所のようなものである。入学、就職、離職、結婚、子の誕生、家族を始め、シニア世代であれば病気もあれば社会問題となっている「80 50問題」もある。人生の節目となるような新しい関係を結ぶ時、期待と不安が入り混じることがある。所属した組織にあって、楽しいことばかりではない。パワハラや挫折は勿論のこと、苦しみもあり、時に怒り喧嘩もするであろう。そんな時に立ち寄る場所、そんな居場所こそ登山とは異なる下山の「歩き方」に気付くということである。過剰な情報がものすごいスピードで行き交い、ストレスが増幅する時代にあって、歩みを止め、ひと時深呼吸、今一度周りの風景を見渡し、さて次はどの道を歩こうか、そんな思いが生まれるのも「居場所」である。

記憶の中の居場所

ところで故郷は心の居場所として誰もが持っている場所である。例えば、物心ついた小学生にも故郷はある。その多くの場合故郷はまずは生まれ育ち学んだ小学校であろう。しかし、少子化社会にあっては周知のように学校は統合が進みどんどん廃校となっている。故郷は「思い出」の中にしかなくなっているのが今の日本である。
そうした時代の変化によって失っていく心の居場所であるが、ちょうど10年前NHKの「拝啓 旅立つ君へ」という番組が放送された。それはミュージシャンアンジェラ・アキと中学生との交流を描いたドキュメンタリー番組であるが、いじめや友人との確執、担当教師との溝、悪グループへの誘惑、誰もが一度は通る世界であるとはいえ、アンジェラ・アキの創った「手紙」に共感する中学生に、団塊世代である私もああ同じだったなと印象深く最後まで見てしまったことを覚えている。そのアンジェラ・アキの応援歌の一説に次のような詞がある。

「大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけれど
苦くて甘い今を生きている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じて歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう」

アンジェラ・アキが投げかける「ありのままの自分でいいじゃないか」とは、時に疲れたら少し休もうじゃないかと「ガンバラないけどいいでしょう」(2009年リリース)を歌った団塊世代の吉田拓郎のメッセージとどこかで繋がっている。中学生も大人も、情報の時代という凄まじいスピードに、生き方までもがからめとられてしまう時代にいる。過剰さは情報やモノばかりではない。生き方までもが知らず知らずの内に過剰になってしまう。つまり、登山でも下山でも道草ではないが時に休んでみよういうことである。

追いかけすぎることはいけないんだね
 この頃ちょっとだけ悲しくなり始め
 君に会えるだけでいいんだ幸せなはず
 自分のことを嫌いになっちゃいけないよね
 もっともっと素敵にいられるはずさ
 眩しいほどじゃなくてもいいじゃない
 気持ちを無くしてしまった訳じゃない
 掴めそうで掴めない戸惑ってしまう
 でも頑張らないけどいいでしょう
 私なりってことでいいでしょう
 頑張らなくてもいいでしょう
 私なりのペースでもいいでしょう  
  
「ガンバラないけどいいでしょう」 作詞作曲 吉田拓郎

自分確認の時代

家族から個人へ、という潮流は再び家族へという揺れ戻しがあっても、その方向に変わりはない。この個人化社会の進行は常に「自分確認」を必要とする時代のことである。その最大のものがSNSにおける承認欲求であろう。どれだけフォロワーを作れるか、「いいね」をどれだけ集められるか、ひと頃の騒々しさはなくなってはいるが、誰もが「承認」してもらいたい、認めてもらいたい、そんな欲求は変わらない。しかし、自分確認どころかネット上にもいじめや嫉妬は渦巻いている。しかも、今やネット上のSNSには虚像・虚飾でないものを探すのが難しいほどである。現在を「アイデンティティの時代」と呼ぶ専門家もいるように、実はこうした過剰な情報によって「私」が見えなくなっているからである。「私」というアイデンティティが鮮明にならない、他者から「あなたは〇〇よ」と言ってほしい、その一言で安心したい、そんな時代である。

そんな時代に生まれてくるのが2つの「記念日」市場、自己を褒め、ある時は慰めるといった「自己(確認)投資」市場。もう一つが他者との関係において生まれてくる「関係(確認)投資」市場。つまり、確認しないと不安になる、そんな新しい市場である。ひと頃「自分史」に注目が集まったが、一枚の写真であったり、前述の手紙の場合もあるであろう。いつかこうした「自分確認市場」についても未来塾で取り上げる予定である。

「回帰」という心の居場所

ブログでは何回となく社会に現れた「回帰現象」に着目してきた。この現象が起きる背景には、大きな壁が立ちはだかったり、今までとは異なる問題が生まれたり、一つの「節目」の時に現れてくる。2009年一斉に消費の舞台に回帰現象が出現したのも、周知のリーマンショックの翌年である。、大きな危機に直面した時、まるで揺れ戻したかのように「過去」に「自分」に帰ってくる、そうした傾向が強く特徴的に消費市場にまで出た1年であった。
実はこの「回帰」は心の居場所でもあり、悩みや挫折をひと時和ませてくれるものである。少し前にこの「回帰」とは無縁な事件が起きた。あの川崎無差別殺傷事件の犯人岩崎隆一のプロフィールであった。犯行後公開された犯人の写真は中学時代のもので、犯行当時は51歳でそれまでの社会との接点・痕跡がほとんど見えてこなかった。いわゆる「引きこもり」状態が長く続いた結果であった。この「引きこもり」とは私の理解でいうと、回帰したくてもできない状態のことでもある。幼少の頃両親は離婚し、叔父夫婦に預けられ育つという「家族」のない人生であった。心の居場所がないまま、人生を歩んできたということである。
この事件の場合は帰るべき「家族」を持たない環境であったが、周知のように内閣府の調査によれば引きこもりは100万人であり、その中心は40歳代、つまりバブル崩壊による就職氷河期の世代であることがわかっている。政府もやっとこの世代に対し、就業支援策を講じることになった。
話が少し横道に逸れてしまったが、家族を持たない人にも帰るべき居場所は沢山ある。例えば、養護施設を始め、ある意味フリースクールなんかも心の居場所になっているであろう。

「成熟」時代の登山と下山・・・・新しいマーケティングの物差し

「成熟」とは戦後の生きるための「モノ充足」を終え、生きるための物質的充足ではなく、生きがい充足を求める時代に入ってきたことを指す。それはモノ不足時代を超えてきたシニア世代固有のことではなく、モノ不足を経験してはいない若い世代にとっても「どう生きるか」というテーマが求められており、時代の大きな潮流は同じような傾向を示している。その証左であると思うが、昨年のベストセラーの一冊である「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)にも顕著に出てきている。実に80年前の児童書が漫画という読みやすくなったこともあって152万部を超えている。
最近ではあのイラストレーターの黒田征太郎が「18歳のアトム」(今人舎(いまじんしゃ刊)という絵本を出版し注目されている。周知のように手塚治の鉄腕アトムは歳を重ねないまま人間のために活動する。実は手塚治虫の「アトム大使」の初出版の時には異なる描かれ方をしていたとコミック原作者である大塚英志氏は指摘をしている。

『アトムは宇宙人から「きみもいつまでも少年でいてはいけない/今度会うときはおとな同士で会おう」と言われ、「おとなの顔」をしたパーツを与えられるのだが、この場面は手塚治虫自身によって削除されている』と。
今回の黒田征太郎の試みは、「おとな」の入り口である18歳のアトム、人間の命を与えられたアトムとして描かれている。勿論、それまでの超人的な力で地球を守ることができなくなるが、仲間となった人間の力を信じ、前を向く姿を描いた若い世代に向けた物語である。こうした物語づくりの着眼発想も、「下山」から見える日本の景色を表したものと言えよう。つまり、子供のままのアトムから大人のアトムへと変わることこそ下山の思想から生まれたものであろう。「18歳のアトム」という若い世代へ、どう生きたら良いのかというメッセージである。

「マーケティング」と言うと、どこか新しく市場を創ることから頂上を目指す「登山」をイメージするが、「下山」と言う着想から見ていったらどうなるであろうか。「居場所」と言う着想は、物質的な豊かさの先に見えてきたものである。これまでの「デフレからの脱却」、「新しい業態の模索」、「価格を超えるものとは」、「顧客視点のAI活用」・・・・・・・どれも必要なテーマではある。しかし、視点や発想を変えてみてはどうかと言うことである。少し前のブログに「デフレを楽しむ」と言う消費像をテーマに書いたことがあった。消費者にとってデフレとは楽しむことであって克服することではない、と言うことである。マーケティングがすべきことは、どう楽しんでもらうかが課題となると言うことであった。もっとくだけた表現をするならば「デフレを遊ぶ」と言うことである。従来の発想からは、例えば「お試し価格100円」と言う購入を促す試みを、「自慢価格100円」、あるいはいきなりステーキではないが「いきなり100円」とか、ニトリではないが「お値段以上の100円」とか、「安いだけの100円」とか・・・・・・・。

つまり、物を売る、サービスを売る、価格で売る、イメージで売る、こうした発想からどうしたら居場所がつくれるかを発想の根底に置いてみようと言うことである。遊び心、おもしろ感、おしゃれ、いい加減、お茶目、洒落っ気、ユーモア、それらをコンセプトに沿ってアイディア溢れたものにすると言うことである。
この未来塾で公開したビジュアルについてはできる限り参考になるようなものとしてきた。例えば、一度公開した店頭看板は大阪なんば道具屋筋にある食堂の写真である。専門とか、限定とか、ここだけ、といったありきたりの「違い」ばかりがマーケティングの中心にある時代から、ちょっと外れた発想である。いや外れたというより「何を言ってるんだよ」と言わんばかりの店の自負を感させるようなメッセージ「普通の食堂 いわま」が目に止まった。勿論、どんな「普通」なのかを確かめたくてランチを食べたのだが、「普通」のメニュー・美味しさであり、ボリュームも価格も大阪では普通であった。が、食後の満足感は「普通以上」であった。11時半に店に入ったが、次から次へと客は来店し、すぐに満席になった。なるほどな、自信の表現としての「普通」の意味ががわかった。これも「下山」的発想によるものと言えなくはない。

消費増税への対応にも「下山」の発想

10月の消費増税を前にして、ポイントを始めお得競争が始まっている。特に、政府の主導によるキャッシュレス決済では、このポイント競争が激化している。面白いことにこのキャッシュレス決済について大手コンビニチェーン3社は増税される2%還元分を即時還元、つまり実質値引きすることを決めたと発表があった。単純明快、消費者にとってわかりやすい「お得」である。理屈はいらない、その場で2%値引きしますと言うことだ。小売業的発想であり、軽減税率という複雑でわかりにくい、しかもポイント利用も事業者任せ、と言った消費環境にあって「お得」はわかりやすさが一番である。この「わかりやすさ」こそ下山的な消費理解ということだ。

ところで増税対策の一つが顧客の固定化・回数化利用を促進するためにポイントという「お得」手段は必要ではあるが、中長期的な視野に立てば今一度基本に立ち帰ることも必要である。つまり、下山的発想もまた必要と言うことである。顧客との関係はどうか、「お得」だけで長続きするであろうか? いや更に関係を強くできないだろうかと言うビジネスの基本である。
但し、これはビジネスの側の論理であって、顧客は、消費者は誰も囲い込まれたりすることを望んではいない。いいなと思うから回数を重ねるのだ。この原則を忘れてはならないということである。

成熟=豊かさの時代は多様な「居場所」にどう応えるかである

ところで「居場所」は下山的発想から生まれたと書いた。居場所とは、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」によるマーケティングのことを指す。今回居場所文化というものがあるとすれば、中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」をその事例として取り上げてみた。再開発から外れ、マスメディアの注目を浴びることもなく、しかし文化は熟成してきた。戦後の東京にはいくらでもあった居場所であったが、今や数少ない一角となった。戦災を免れた東京の谷根千は観光地となり、吉祥寺のハーモニカ横丁が若い世代の人気スポットになったように、それまでの街の歴史から生まれた「文化」が顧客を惹きつけている。
東京高円寺を取り上げた時、その象徴としてスターバックスもタワーマンションもない地域であると書いた。暮らしやすい街として高円寺を観察したが、いわゆる古くからの喫茶店、落ち着くことはできるが決しておしゃれとは言い難いオールドスタイルの喫茶店も多く、実は地元の人にとっては居心地の良い場となっている。そのスターバックスも同じような標準化・規格化された店づくりとは別に席を予約できる業態、マイカフェサービス業態を銀座に誕生させている。これもお気に入りの場となるための一つの手法であろう。「豊かさ」とはこうした多様な「居場所」を創る時代になったということである。

「過剰」こそ見直すべき問題

「居場所」というテーマ・切り口で今という時代を街を見てきた。下山の発想、高速道路を降りて一般道を走ることを勧めたが、間違いなく消費増税直近の過剰な「お得競争」という景色が見えてきたと思う。過剰に重なり合った「お得」という皮を一枚一枚剥がしていくことを是非提言したい。それは今一度顧客を見つめ直すことであり、それ以外に「過剰なお得対策」はない。
消費増税まで1ヶ月を切った。軽減税率、キャッシュレス決済・ポイント付与など複雑でわかりにく制度が施行される。大手コンビニチェーンはキャッシュレスによるポイント付与ではなく、ポイント分をその場で値引きすると発表があったが、これは正解である。思い返せば消費税3%を導入した時、最初に会員に対して消費税分3%を値引きしたのはあのスーパーのオーケーであった。そして、3%から5%に引き上げられた時、消費税増税分2%還元値引きセールで圧倒的な顧客支持を得たのはイトーヨーカドーでありイオンであった。8%の時はどうであったか、激しい駆け込み需要が起き、その落ち込みの回復には多くの時間を要した。こうした消費増税に対する「消費反応」を見ていけばわかるように「わかりやすさ」が一番である。
今のところ大きな駆け込み需要は起きてはいない。過剰な広告ほどキャッシュレスも進んではいない。ここ数年の消費の潮流である「デフレを楽しむ」ことはますます拡大・進化していくことが予測される。勿論、このデフレを促進させているのは消費増税である。

引き算の暮らしと引き算の経営

実は駆け込み需要が無い点などこうした消費増税への消費者の対応については至極当然なこととしてある。顧客の側のライフスタイルの価値観が既に変わってきているということにつきる。シンプルライフ、断捨離、・・・・・消費増税から生まれた巣ごもり消費のキーワードが「身の丈消費」であった。こうした消費態度は10数年前からじわじわと浸透してきた。その消費は顧客自身が「過剰」を削ぎ落としてきたということである。つまり、バブル崩壊以降「足し算」から「引き算」の暮らしに進んできたということである。今回のテーマに沿っていうならば、顧客自身は下山途中にあるということだ。顧客は山を下りながら賢明な眼を持って周りの経済や社会、更には消費風景を見ているということである。
そして、居心地の良い休憩所ではひとときお金を使う。その代表的な若い世代・女性の居場所の一つがスターバックスであろう。スタバは生活に必要な休憩所では無い、好き、素敵、に代表されるような心理的な心地良さが女性を魅了している。ただし、居場所づくりに成功したスタバではあるが、今回の10%増税でどんな変化を見せるか注視したいと考えている。

飲食の場合、周知のように居場所には10%の税がかけられるが、テイクアウトは8%である。店内飲食の客数はどの程度減少するか、テイクアウト客は増えるのか、それとも変わらない客数となるのか、この差2%の意味・消費行動を分析したいと考えている。スタバを例に挙げたが、他の複合業種も同じ価値観の延長線上にある。マクドナルドも、吉野家も、勿論コンビニも、・・・・・・各社軽減税率に対し仮説を持って準備していると思うが、どのような結果が出るかによって、根本となる業態のあり方に変化をもたらすかもしれない。
つまり、削ぎ落としてもなお顧客が求めるものは何か、それをいち早く見出し確認することである。こうした削ぎ落としの消費にあって、大きな顧客支持を得ている商店街も商店もメーカーも厳然としてある。ただ、顧客の削ぎ落としに合わせて経営もまた削ぎ落とすということは基本である。何故なら、消費増税によって顧客の削ぎ落としは更に進んでいくことが予測される。従来のモノはどんどん削ぎ落とされていくが、今回指摘をしたように、こころの休息、道草が必要な時代となっている。勿論、これから居場所もまた変化していくと思う。どんな変化を見せていくかまた観察していくつもりである。






  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:22Comments(0)新市場創造