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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2014年11月09日

未来塾(11)「街から学ぶ」東京町田編(後半)

ヒット商品応援団日記No596(毎週更新) 2014.11.9. 
「街から学ぶ」東京町田を公開します。ここ数年前から人口の増加は止まり、町田駅周辺の商業も右肩下がりとなっている。町田も都市間競争のただ中にあるのだが、この競争に生き残るにはどうすべきか、テーマのある街、テーマ集積という着眼から月島もんじゃストリートの事例を踏まえ、町田の課題を学んでみた。

地元住民から愛され続ける店

町田仲見世商店街のように映画「Always三丁目の夕日」に出てくる昭和の景色は無いが、町田住民の支持を受けた古くからの店も数多くある。恐らく町田での商売が一番古いのがパン屋の「清水屋製パン」ではないかと思う。店の女主人に聞いたところ商売を始めたのは大正末期、昭和元年頃であると。戦前は現在よりもう少し駅から離れたところに店を構えていたという。
一通り食パンから総菜パンまで手作りで売っているが、最近人気なのが「きなこパン」だという。ドーナツのようなパン生地にきなこをまぶしただけの素朴な菓子パンであるが、これも永く愛される秘訣かもしれない。


また地元住民に愛されて何十年という飲食店が今なお元気である。小田急駅前には「グリルママ」という洋食屋があり、懐かしいステーキランチメニューが地元住民に愛されている。
また、若いティーンが集まる商業施設Tipsの前には3姉妹がやっている吉というお好み焼き屋がある。店を始めて40数年になるがファミリーだけでなく、結構若いカップル客がお好み焼きを楽しんでいる。昔の看板娘は3人揃って口にするのは「街がつまらなくなった」と。その理由を聞けば、後継者がいないという問題もあるが、代々商売をしていた店がどんどん少なくなっていくということであった。そうしたなかで、馬肉料理を出してくれる柿島屋も暖簾を守り健在である。


また、小田急線の反対側を少し歩いたところには喫茶店のような店構えであるが、刺身定食からハンバーグ定食まで、小さな定食屋「とき」もまた地元住民に愛されて時を重ねている。庶民にとっての老舗となるが、奇をてらわないどこかほっとするメニューが並ぶ。勿論、日常のランチが主体の店であり、全てリーズナブルな価格となっている。
また、町田の街をユニークなものとしている飲食店の一つがインド料理、タイ料理、カンボジア料理といったエスニックな飲食店が多い点である。恐らく20数店舗以上に及ぶと思うが、オープンして20数年になるカンボジア料理の「アンコールトム」は地元住民に愛される老舗飲食店と言える。

ラーメン専門店の集積度の高さ

今から5年ほど前に友人と吉祥寺で会い、「ラーメン二郎のインスパイア系」の店がオープンしたのでそこで食べないかと誘われたことがあった。ガツン系のラーメンも経験するかと軽い気持ちで食べたが、その量の多さにギブアップして友人に食べてもらったことがあった。その時感じたのは過去あったラーメンとは異なる「食」であるという点であった。更にその時感じたのはそう言えば池袋にも同じような「大勝軒」があったなという素朴な感慨であったが、以降多くの独自世界を持つラーメン専門店が話題を集めることになる。

少し前に吉祥寺という街をテーマにしたときにも書いたが、町田は更に大きな街であり、主要なラーメン専門店が数多く集まっている。一頃塩ラーメンブームの中心にあった「町田汁場 しおらーめん進化」、横浜家系ラーメンの「町田商店」、「でくの坊」、「一番(いちばん) ラーメン」、二郎・インスパイヤ系では「二郎町田店」、「郎郎郎(サブロウ)」、更には「町田大勝軒」、「ど・みそ町田店」、「火の国ラーメン」、そして、町田のラーメン集積度の高さを象徴するのが町田ターミナルプラザ裏に隣り合わせに2店の専門店であろう。左が「ヌードルズ」で、右が最近特に人気となっている「胡心房」である。ちなみに全国にチェーン展開し出店しているのは「一風堂」だけである。

こうした独自なラーメン専門店だけでなく、ラーメンに小さなマーボ丼といったセットメニューを出す「熱血食堂 すわ」や町田一安い中華食堂「一番館 」といった多様なメニューをもつ街である。こうした背景には小田急線、JR横浜線、2つの沿線にある大学生という大きな市場と共に、恐らく関東周辺から「ラーメンオタク」が町田に集まってきていると思う。これがテーマ集積による市場開発のあり方であるが、町田の場合は人口増加に伴う市場規模に伴う自然発生的なものであると思う。
勿論、現在はラーメン専門店の集積度が高いことから、「町田ラーメン祭り」といったイベントも開催され、オタク達を更に集める試みもなされている。

2つのファッション


老舗、ラーメン専門店、の集積と共に町田の街を形成している特徴の一つがファッションである。冒頭の商業施設の開業やリニューアルの推移を見ていただくと分かるが、東急ツインズや町田ルミネといった大人のファッション以外に特徴的なのがティーンを始めとした若い世代のファストファッションである。丸井、町田109、更には町田109裏には商業施設TIPSや路面店もあり、パークアベニューからターミナルロードにかけた通りには、週末、休日ともなれば多くの女性達で通りが埋め尽くされる。この通りを歩くこと自体が楽しい、そんな町田のシンボリックな通りとなっている。

こうしたファッション専門店はいわば表通りにある専門店であるが、町田の特徴は古着を扱う小さなショップが数多くあるという点にある。
今から10数年前に町田の古着が話題になったことがあった。その後、どんな変化があったか今回街を歩きながらその変化を感じ取ることとなった。
町田109やTIPSが小田急線の駅東側、町名でいうと原町田にあるのに対し、古着やアンティークな小物類のショップはその反対側、小田急線西側、町名でいうと森野町や中町に数多くある。


今回HPを見ながらショップを見て回ったが、それぞれ特徴があり、ラルフローレンやLLビーンといったブランド古着を集めた店がある一方、恐らく独自な仕入れルートと共に、自ら海外で買い付けた店もある。そうした店の多くは雑居ビルの2階や地下にあり、入り口には写真のような看板が置かれている。HP上には載っていない、そんな小さな古着ショップがかなり多く、その集積度合いは高く町田の古着ショップはがんばっていると感じた。

しかし、古着というオシャレを探す街として欠けているものがいくつかある。まず東京の古着ショップが多い街と言えば下北沢である。下北沢では30数店舗あり、若い世代の街歩きの楽しみの一つとなっている。更に欠けているものがあるとすれば、街歩きをより楽しむオシャレなカフェが極めてすくないという点である。詳しく調べてはいないがワインバーのような店とカフェが数店あるだけで、古着巡りの楽しさには欠ける。あるいはファッションは衣類や靴だけではない。アクセサリーもあれば、インテリア小物もある。町田の場合、まだまだ集積度は低い。そして、そうした集積度が高まれば、映画の1シーンのように「歩いて絵になる」ストリートとなる。
オシャレ好きにとって街を歩くとは、お気に入りの衣装をまとって「舞台」に上がるということである。


町田の街に学ぶ


従来の銀座や秋葉原に加えて、東京スカイツリーや台場エリアも観光スポットになった。千年の歴史・文化をたどる京都や奈良観光はいわば歴史・文化の楽習旅行であるのに対し、都市観光はTOKYOという巨大遊園地のジェットコースターに乗るような刺激的なエンターテイメン観光といえる。
ここに面白い事例がある。千葉県の森田知事の公約であった東京湾アクアライン料金が割り引かれ800円となったが、その値下げ効果についてである。まず値下げ前の5月の連休中の木更津市のデータによると、
東京・横浜→千葉県/1万7300台、
千葉県→東京・横浜/1万8300台 となっている。
この移動台数が800円の値下げによってどう変わるかであるが、間違いなく千葉県から東京・横浜へと流出する台数の方が更に大きくなる。つまり、木更津市内の商業施設は更にガラガラになると多くの専門家は予測していた。というのも、横浜にはアウトレットを始めとした巨大な商業集積がある。一方、千葉県には房総の鴨川シーワールドやマザー牧場といった観光地があるが、どちらが顧客吸引の魅力があるか、考えるまでもない。
ところが面白いことに一昨年木更津に三井アウトレットパークがオープンし、移動の流れに変化が出始めた。
2009年8月からの料金引き下げ社会実験(ETC割引800円)を開始してからは交通量が2008年度比で1.5倍前後に伸びた。ところが、2012年度は4月に開業した三井アウトレットパーク 木更津による波及効果が大きく2008年度全日比で約1.8倍、2005年度道路交通センサス平日24時間交通量比では約3倍と通行量が増大している。この増加の多くは東京・横浜からの通行である。三井アウトレットパークの当初年間売り上げの目標であった320~340億円を大きく上回る410億円強の売上結果となった。アウトレットという業態、その集積規模のインパクトがいかに大きかったかである。アクセス、その気軽に利用できる簡便さによっては、商業という一つのエンターテイメント施設の集客魅力は大きくなり、人の移動を大きく変えることが出来るということの証明である。

1、都市観光を誘発させるためのインフラ

このように都市商業それ自体が観光目的になる時代、いわゆる名所になった先駆けはあの渋谷、特に渋谷109を中心としたストリートであろう。1990年代後半、既成に飽き足らない若い世代は、山姥、ガングロといった婆娑羅ファッションという舞台衣装で渋谷を歩く。そんな光景に無秩序、無法のような姿に大人には見える。しかし、混沌とした時代を映し出しているのも、また彼女達であった。
こうした社会現象はマスメディアを通じて全国へと伝わることとなる。そして、カリスマ店員というキーワードとともに若い世代のファッションの聖地と化した。そして、渋谷109は東京近郊から、全国からティーン達が集まることとなる。更には、地方中学生の修学旅行の訪問先の定番として、東京ディズニーランドと共に渋谷109が人気となり、東京観光のメニューとなったことは周知の通りである。


町田の場合は東京湾アクアラインではないが、JRと小田急線の駅がつながり、格段のアクセスの良さが来街頻度を生んできた。今後必要なことは、顧客を魅きつけるものは何か、他には無いその話題づくりと、そうした情報を波及させるメディア受発信の整備であろう。
よく地方の町おこし、村おこしに必要なことは何かと聞かれることがある。ワカ者、バカ者、ヨソ者という推進役の必要性があると答える。しかし、それにも増して、移動のための交通インフラの整備こそが不可欠となっている。町田はその象徴のような街である。勿論、人を引きつける魅力、その変化に対応できるだけの柔軟な都市政策が特に行政に対し問われていることは言うまでもない。

2、集積度の魅力とつまらなさ

ところで集客をはかるテーマ集積度についてであるが、前述の杉浦日向子さんの言うところの江戸の魅力「珍」「奇」「怪」というキーワードに即して言えば、次のように整理することが出来る。


「珍」;
珍しい、初めての世界のことだが、江戸時代であれば舶来ものとなる。鎖国の時代にあっても多くのものが長崎を通じて輸入されていた。なかでも輸入された象などは江戸っ子の話題を独り占めしたと言われている。
町田における「珍」は何かと言えば、それはまず古着であろう。若い世代のファッション、ヴィンテージ商品についてそれほどの知識は無いが、一品ものはやはり逸品ものである。ファストファッション全盛の時代にあって、個性表現といった一般としてのオシャレ好きではなく、恐らくディテールにこだわるファっションオタクの舞台づくりである。希少なフィギュアを探しにアキバの街に集まるオタクと同じということである。

「奇」

町田にしか無い奇妙なものがあるとすれば、それは町田仲見世商店街が象徴している。戦後の荒廃した街並のなかで、JRの駅に向かう通路であった商店街のその後こそ奇妙なほど商店構成が面白い。古と新、和とエスニック、食品と洋品、飲酒と甘味処、行列と閑散、昭和と平成・・・・・デベロッパーによってつくられた明確なコンセプトによる商店街ではなく、どこがどうなっているかが分からない、そんな奇妙さを感じる、不思議な雰囲気を醸し出している商店街である。実はそれら異空間全てが顧客任せによって構成されているからである。

「怪」;
ところで江戸時代には多くの「怪」が出没していた。人々の心をつかんではなさなかったものが幽霊とお化けであった。幽霊は人にかかわる「怪」で、「四谷怪談」のお岩さんのようなもので、お化けは狸や狐が人を化かすと信じられていた。そんな怪しげなものに江戸の人は気をピリピリさせて生活していた。

ところで町田の怪しげなものと言えば、わずかではあるが、町田仲見世商店街や二番街にある路地裏街であろう。南側にあった東急ハンズがツインズに移転してしまい、南側にあった路地裏が少なくなってしまった。しかし、新宿歌舞伎町と比較すれば比べ物にはならないが、スナックや飲み屋などが密集している場所も一部ある。ただ、「怪」を現代的に置き換えるならば、それは「町田の夜」となる。写真のように昼間の町田の様相とは一変したものとなる。昼間は若い世代の時間であるのに対し、夜は勤め帰りのサラリーマン・大人の世界になる。一杯の相手は現代の狸や狐といったら怒られるかもしれないが、町田にも「百鬼夜行」はあるということだ。(笑)

未来塾ではいくつかの街や商店街を観察してきたが、その第一の視点は「歩いて楽しいか」である。安く手軽にショッピングするならば、ファッションから食品までネット通販で十分である。
さて、町田という街を歩いて楽しいか、そこに小さくても新しい発見があるか、極めて微妙な段階にある街であろう。例えば、大型商業施設は一定の集客効果が期待し得る。反面、金太郎アメの如く全てがどこにでもあるものとなり、期待感でゾクゾクさせるようなものは新商品が導入された時以外皆無となる。単に、商品を買うだけの街になってしまうということだ。更に、2つの駅をつなぐペデストリアンデッキという便利さは、同時に南北エリアを道路によって分断させ、街歩きの楽しさを半減させ、つまり回遊性を損なうことにつながっている。東京都の整備計画によれば、この南側エリアの再開発は町田の新市庁舎の移転だけで、その他についても予定されているようであるが、当分の間は現状のままである。
未来塾でも取り上げた砂町銀座商店街や洪福寺松原商店街のように、必要に迫られた商品購入ではなく、商品を買う楽しさ、あるいは新しい発見がある街。秋葉原の街のようにオタクにとってはまるで宝島のようなテーマパークとしての街づくり、その瀬戸際にある。

3、テーマ集積の第一歩はその密度にある

多くの地方にあって、大型商業施設の誘致の限界とそのことによってもたらされた問題について、中心市街地活性化法を通じて学習してきたと思う。町田は町田ならではのテーマを創造し育てていかなくてはならない。そのポイントはテーマの密度である。実はテーマ密度によって顧客への魅力は倍加する。

10店舗から始まった月島もんじゃストリート

その良き事例が東京の下町にある月島の「もんじゃ焼き」である。元々駄菓子屋の軒先で子供のおやつとしてもんじゃ焼きは売られていた。町の再開発とともに駄菓子屋がなくなり、結果もんじゃ焼きも廃れていく。しかし、都心には近いが交通の便が悪い離れ小島のような月島に地下鉄有楽町線が1988年開通する。これを契機に、大人相手のもんじゃ焼きを提供する飲食店が10店舗ほど現れ始める。ここから良い意味での競争が始まり、「変わり種」のもんじゃ焼きが次から次へと生まれてくる。月島もんじゃ振興会協同組合によれば現在70数店舗にまで増え、日本全国からお客さんが集まり、それどころか世界にまで広がり訪日外国人のお客さんも来街するようになった。
つまり、月島の町おこし、もんじゃ焼きのテーマパークが創られたということだ。月島のもんじゃストリートを歩いたらわかるが、裏路地(西仲通り)にはもんじゃ焼きの店が見事なくらい並んでいる。もんじゃストリートの写真のように、その密度こそが人を魅きつける。未来塾で取り上げた浅草を始め秋葉原のアキバ街、吉祥寺のハモニカ横丁、砂町銀座商店街、そして横浜の洪福寺松原商店街、全て集積密度、テーマ密度の高い街であり、商店街であった。また、港北ニュータウンはベビーカーの街と呼ばれるように明確なテーマを持った街となっている。戸越銀座商店街の場合はテーマも持たない密度0、ただ長い商店街だけとなっている。

さて、町田について3つのテーマの可能性について触れたが、現状であれば駅周辺の商業は徐々に衰退していくことが予測される。その傾向は町田駅南側エリアから既に始まっている。まず、路面店の小さな専門店・飲食店が歯が抜けたように店を閉めていく。地権者の場合、店舗の利用について大手チェーン店などに売却することとなる。買い手が付かなければいわゆるシャッター通りとなる。大型商業施設も安閑としていることはできない。既に、消費増税の壁を超えることができないSC内の専門店は撤退の意向をデベロッパーに示し始めている。クローズといった表に表れないのは、賃料などの諸条件を緩くして当分の間継続営業してもらい、空いたスペースを埋めるべく出店の営業をする。それでも埋まらない場合は催事業者に依頼する。この傾向は地方から都心部に向かって、郊外から移動の中心である駅に向かって、つまり中心に向かって少しづつ進行していく。結果、町はどんどんつまらなくなっていく。

観光都市の商業集中と生活都市という拠点への集約

ところで今回のテーマである商業施設の「集中」はいわば都市間競争の消費競争という課題としてある。では、地方はどうであるかというと、集中ではなく「集約」となる。より具体的に言うとすると、暮らしの集約化であり、スーパーなどの商業施設は勿論のこと病院や学校、行政の窓口といった暮らしに必要なものの集約である。国も検討しているようであるが、コンパクトシティ、コンビニエントシティと言い換えた方が分かりやすい生活の集約化である。故郷らしさを残しつつどのように集約を果たして行くかいくつか実験が行われているようだ。
こうした暮らしの集約化は駅のSCなどでは以前から実施されており、こうした編集を参考にして生活都市のデザインを行うと良いのではと思う。
(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:03Comments(0)新市場創造