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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2011年01月11日

二十歳の老人とタイガーマスク現象

ヒット商品応援団日記No479(毎週更新)   2011.1.11.

昨日は成人の日の式典風景と共に、いかに厳しい就職環境に直面しているか、あるいはそうした経済の閉塞情況を昭和と平成というパラダイムの違いをテーマとした番組、そんな報道が多かった。
2011年の新成人は124万人で4年連続で過去最低を更新したと報じられた。私のような団塊世代が成人を迎えた頃の成人人口は確か200万人を優に超えた230〜250万人ほどであったと記憶している。日本は人口減少に向かっているなどと言わなくても、新成人の人数を自分の頃と比較しさえすれば、いかに収縮しているか実感できる。

「二十歳の老人」というネーミングは今の若い世代(under30)に私がつけたキーワードである。幼い頃から多くの事件を目の当たりにし、また自らも情報体験してしまった、まるで大人びたというより、人生を終えた老人のような醒めた達観した目をもっているという意味である。
物心がつく1990年代後半には、バブル崩壊がそれまでの価値観崩壊へと具体的な事件や社会現象となって表れてくる。潰れることはないと信じ込んで来た大企業や金融機関の破綻、年功序列を含めた日本型雇用の崩壊。お笑いコンビ麒麟の田村裕が描いた「ホームレス中学生」の世界に遭遇する。大手企業だけでなく、中小企業も生産コストを引き下げるために中国などに生産拠点を映し、リストラという言葉と共に「産業の空洞化」なる言葉がマスメディアに登場する。
以前「家族のゆくえ」というテーマでブログを書いたが、1980年代半ばに高視聴率を誇ったTBSの「8時だよ、全員集合」が番組終了となる。以降、お茶の間で家族一緒にTV視聴する「家族団らん」という言葉は死語となった。この家族崩壊後、個と個をつなぐ役割を担って来た企業も、米国型の契約雇用形態へと移行し、今日の非正規雇用問題を生み、安定志向を目指すことによって更に就職氷河期にもつながるのである。1990年に誕生し生きて来た世代、ちょうど「失われた20年」そのものであり、「二十歳の老人」と呼ぶ以外にない。

この世代の消費特徴については日経MJ(1/5号)に取り上げられていた。「消費は賢く、見え張らず」、その価値観の根底には「コストパフォーマンス」があると指摘をしている。私に言わせれば、ある意味世代特徴がないことが特徴で、巣ごもり生活そのものを体現していると理解している。以前、この世代を評し、消費の羅針盤であると書いたが、まあその通りの内容となっており新しい世代固有の価値観発見に結びつくようなものはない。
唯一世代特徴としてあるのが、常に誰かとつながっていたいとする「縁」世代である。生まれたとき既に核家族化し、夫婦共稼ぎは普通となり、家族単位は個単位という個人化社会の申し子世代である。彼らの上の世代が都市漂流したのに対し、かれら二十歳の老人の居場所は「縁」ということだ。無縁社会を一番恐れているのが二十歳の老人世代であり、同級生といった縁からmixiのようなソーシャルメディアまで幅広く縁を結ぶ世代ということである。

話は変わるが、年末年始にかけて児童養護施設に「伊達直人」を名乗る人物からランドセルを始めとしたプレゼントが送られ、一つの自然発生的な運動になろうとしている。こうした善意が連鎖していくさまに多くの人は拍手を送っていると思う。マスメディアも連鎖に即応した報道がなされており、無縁社会ならではの匿名連鎖現象である。タイガーマスクの影響かなどというマスメディアもあるが、そうではない。伊達直人は一つの記号、保護された弱い児童たちへの思いとして、その記号として使われているのだ。いつもならばマスメディア批判の多い私であるが、本来あるべきソーシャルメディアの役割を果たしていると思う。

情報の時代の縁(=知縁)とは、本来外へと向かって増殖していくものである。例えば、女子会という縁(=居場所)も良いけれど、今の女子会はソーシャル・社会へと広がることはない。あの賛否両論あった熊本慈恵病院の「赤ちゃんポスト」も4年目になろうとしている。子どもを捨てることを容認するのかという批判もあったが、江戸時代の社会を調べてみると分かるが、そうした不幸な子は社会(町単位)が引き受けて育てる、もしくは育て親を探し、言葉は悪いがそうした子を流通させる専門職すらいた。そうした仕組みが生まれたのも、子どもを捨てることを禁止した期間は母親と子との心中が極端に増加したデータも残されている。勿論、江戸時代と今日とを単純比較はできないが、少なくとも「タイガーマスク現象」が教えてくれたことは、無縁社会にあって子を育てようという思いが匿名の「縁」としてネットワークされ得る社会が未だ存在しているということだ。
失われた20年と言われているが、失われたものも確かにある。しかし、学習し得られたもの、継続して大切にすべきこと、そうしたなかに「タイガーマスク現象」もある。無縁空間にあって、共鳴する人達も存在しているということだ。
無縁社会とは「世間」という概念が無くなってしまった社会のことである。ソーシャルメディアの時代、ソーシャルマーケティングの時代だと言わなくても、今起きているタイガーマスク現象を見ればわかることだ。何も見えない無縁の外の世界に対し、どんな世間にすべきか、二十歳の老人にも期待したいと思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 12:56Comments(0)新市場創造