2009年雑感
ヒット商品応援団日記No431(毎週2回更新) 2009.12.27.
ここ2週間ほど、日経ビジネス、エコノミスト、東洋経済、ダイヤモンド各誌の2010年の予測特集を読んできた。リーマンショック以降の出口の見えない大不況、デフレはこれからも続くといった認識は共通しているが、毎年巻頭に組まれている日経ビジネスの提案は一つの着眼となっている。「常識を捨てた者が生き残る!」とし、そのためには「応変」「個客」「自立」の3つのキーワードを掲げている。私の言葉に直すと、前回書いた異端児、ビジネスアーチストとなるが、何か10年前の「顧客満足」が主要なテーマであった時代、その原点回帰のように思える。
来年から始まるNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を踏まえてのこともあって、書店には明治維新や坂本龍馬に関する雑誌や書籍が平積みされている。ここ数年、和回帰を筆頭に多くの回帰現象を消費の視点で見てきたが、今年は特に歴史や過去へと遡る現象が多発した一年であった。坂本龍馬を始め、歴史・過去の中に何を見出すのか、これが最大課題である。単なる英雄待望論的なものに終わるのか、それとも未来への何かを見出しえるのか、ここ当分の間はそうした論議が続くであろう。
「気分の時代」といったのは誰であったか忘れてしまったが、昨年末のような年越し派遣村といった暗いニュースがないにもかかわらず、うっとうしい位の重苦しさが漂っている。デパ地下のおせち予約も高額のものは売れず、上野アメ横の正月商品であるいくらや数の子といった商品も既に20〜30%引きの安売りが始まっている。年末年始の近場の韓国旅行は依然として人気は高いが、激安ツアーは国内も同様で更に価格を下げた販売がこれでもかと続いている。
移動は消費のバロメーターであるが、今年の夏のお盆休みもそうであったが、年々故郷への帰省人口は少なくなっている。私の世代であると、老いた両親を呼んで同居するか、あるいは既に亡くなり、帰る故郷がない。この傾向は若い世代にとって顕著で、もはや第二の故郷づくりを自分で目指すしかなくなっている。自宅での巣ごもり正月となり、何か消費氷河期の入り口に来ている感すらする。
大掃除をしながら書籍や雑誌を整理していたが、ああそう言えばあの頃印象深く読んだ本で当時の記憶を呼び戻した本が何冊か出てきた。最近といっても7年ほど前であったが、リゾートの沖縄ではなく、もう一つの沖縄に魅せられて一人旅を更に促した一冊が作家陳舜臣の「沖縄の歴史と旅」であった。1993年NHKの大河ドラマ「琉球の嵐」の原作を書かれたのが陳舜臣であるが、沖縄の今を読み解きながら旅するにはとても良い一冊で、私の沖縄理解の土台となった本である。
もう一冊は、黄色く変色した岩波新書の「古事記の世界」(西郷信綱著)である。西郷信綱先生は私が在籍した大学の文理学部の教授で、当時商学部に居た私が簿記など商学部の講義に興味を覚えず、何回か相談した先生である。「文学なんかは社会人になってもいつでもできるから」といって、社会学のゼミに転学部させてくれた方であった。その西郷信綱先生の「古事記の世界」の序文「古事記をどう読むか」を思い起こした。歴史や過去をどう読み解くのかという良き方法なので活用されたらと思う。
『・・・・たとえば、古事記を理解しようとするには、現代という椅子に腰をおろしたままふり返って眺めるのではなく、古事記の世界に実践的に入り込んで行き、古代人と親しく交わるようにしなければならない。』
そして、古代人と同じ言葉で対話することだと続き、フィールド・ワークという対話の重要性を説いている序文である。フィールド・ワークを現場に置き換えてもかまわない。現場で何事かを感じ取ることこそが重要であると説いてくれており、今なおその着眼は新しい。
前回「ポストモダン」について触れたが、日本にはあり余るほどの豊かな過去という資源を持ち、それらを工夫することによって次の時代、ポストモダンへと向かうことが出来る。近代という合理性を求めた経済世界からこぼれ落ちてしまったものが、実は地方に埋もれたままとなっている。埋もれたままを都市という舞台に上げても、「古事記の世界」ではないが、そこには対話は成立しない。そこにどんな工夫が必要なのか、マーケッターの課題だ。そして、そのことは価格競争を超える一つの方法であろう。つまり、文化という固有性は何物にも代え難い価値を持っているということだ。
この一年、ブログをお読みいただきありがとうございました。(続く)
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