安心コンセプト
ヒット商品応援団日記No360(毎週2回更新) 2009.4.22.
東京の商店街や旅行会社を始めとした企業は「一斉値下げ」と共に、定額給付金狙いのメニュー花盛りである。商魂逞しく、少しでも売上に結びつけばということであるが、価格は入り口で、その先にある「意味ある消費」が課題となっている。つまり、「巣ごもり」している生活者は「意味ある価値」を模索検討しているということだ。
既に多くの方が気づかれていると思うが、昨年のガソリン高騰を期に幹線道路のGSの多くは、廃業もしくはセルフ式スタンドへと変化した。顧客の側からすれば、給油中にしてくれる諸サービスは、セルフ式との価格差に見合わないサービスであったと言う事である。あるいは苦戦するファーストフード業界にあって、成長している回転寿司を見ればよく分かる。目の前で握ってくれる旧来の鮨とは比べ物にならないくらい安い価格で提供してくれる。回転寿司は勿論ロボットが握り、職人の技というサービスはその価格差に見合わない価格ということである。
このように顧客の側も新しい意味としての価値観を明確に持ち始めている。私がよく使う言葉に、「削ぎ落とし、更に削ぎ落としてもなお残るもの、それが本質である」と。つまり、生活の厚化粧とはいわないが、化粧を落とし一度素顔の世界まで戻ってみる、という志向が巣ごもりする生活者に見られる。この1年間、外食→中食→内食という傾向の中で、料理道具が売れているということを書いてきたが、道具ばかりか周辺の諸サービスである料理本や料理番組、更にはレシピの投稿サイト「cookpad」等へと、「削ぎ落とすこと」によって生まれる新たな消費の広がりを見出す事が出来る。
ところで、先日米国の貯蓄率が上昇に転じたと報じられた。周知のように、米国では1人9枚弱のクレジットカードを持ち、そのほとんどがリボ払いという借金漬け消費であった。確か、2005年度の頃の貯蓄率は0に近かったと記憶している。その米国人にとって、やはりリーマンショックは大きくライフスタイルを変える方向に進んでいるようだ。
日本の場合は米国とは反対に極めて貯蓄率は高く、膨大な金融商品を持っているが、国債のような安全・安心な商品へと移行しているようだ。今回の危機もそうであるが、なんといっても冷凍餃子事件の影響は大きいと思う。結果、ライフスタイルの中心に、意味ある消費として安全・安心コンセプトが置かれる事となった。
今までの「安全・安心コンセプト」は食から金融商品に至まで自己防衛的なものであった。顔の見える商品から始まり、手作り、あるいは自給自足的生活まで、その動機・理由の多くは自己防衛である。恐らく、これからも「安全・安心コンセプト」が大きな潮流となっていくと思うが、その自己防衛から広がりを見せていくと思う。既に、そうした芽が生まれつつある。具体的には「参加」「協同」というキーワードとなるが、都市近郊の農地を借り、野菜づくりなどを教えてもらう生産参加型プロジェクトが生まれている。農家側も農地を保全するには人手を必要とし、次の世代に農業をバトンタッチするためにも必要だ。
こうした参加・協同の仕組みが進んでいくと思うが、今求められている事にまずは応えなければならない。その安心とは細部、小さなことの世界にこそあるものだ。小さな単位へとこれでもかと割り算をしていくことの中に、実は経営はある。神は細部に宿るではないが、安心は細部にこそある。この細部の違いこそが他の商品との違い=競争力となり、利益を生む源泉となる。規模や量を追いかけることを否定しているのではない。規模が拡大すればするほど、値下げ競争が激しくなればこそ掛け算ではなく、割り算の経営をしなければならないということだ。生活者が「削ぎ落とし」をしているように、あらゆる物事を小さな単位に割り算をし、そこに安全・安心を置いてみる。よく安心を確保するための検査等のシステムを必要とするといった意見はあるが、それ以上にこれでもかと割り算をし、そこに安全・安心を置く事だ。私は、そんな安全・安心コンセプトの経営を割り算の経営と呼んでいる。(続く)
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