どこへ行くのか「百貨店」
ヒット商品応援団日記No294(毎週2回更新) 2008.8.27.
1億総中流時代の代表的流通であった百貨店はその中流市場が瓦解することによって縮小へと向かったことはこのブログでも書いてきた。そして、次なる市場として設定したのが、団塊世代を中心にしたシニア層であった。1550兆円という莫大な金融資産の内、60歳以上が60%を保有しているという「金持ち」に的を絞り、数年前から「大人の百貨店」としてリニューアルしてきた。しかし、売上は低迷し続けていることは周知の通りである。予想以上に消費しないということがやっと分かったからだと思う。そして、次なる顧客設定として10代後半から20代女性を設定し、西武百貨店や松坂屋などが部分リニューアルすると聞く。
団塊世代の保有資産の使い道であるが、2年ほど前に私は「団塊世代の心象風景」というタイトルで書いたことがある。読んでいただいた方もいると思うが、次のように書いた。
『定年を記念した豪華な旅、飛鳥IIの船旅のような旅は一度はあるだろう。しかし、「ふるさと」あるいは「ふるさと的」なところへと日常の旅が始まると思っている。ふるさとは一人ひとり個別であり、ここでは取り上げないが、ふるさとに寄与することを含め多くの団塊世代は戻っていくと思う。ところで「ふるさと的」という意味であるが、幼年〜少年期に刻み込まれた原風景、心像風景のことである。』
その幼年〜少年期についてであるが、
『団塊世代にとっての心象風景は、やはり路地裏にある生活の臭い、物不足な中にも走り回った遊び、少し足を伸ばせば里山があり、四季を明確に感じさせてくれる自然、そんな風景だと思う。そうした昭和30年と今を比較してみると、いわゆる第一次産業(農業・漁業など)の就業構成比は約40%で現在は4.4%、GDPは約8兆6000億で今日の約59分の一であった。つまり、団塊世代はこうした原風景をこころの底に置いて、がむしゃらに働き、「思えば遠くへきたもんだ」と思っている。世界に例を見ない急成長の50年であったが、これほどの大きな変化を創り生活の中に取り入れてきたのも団塊世代だけである。』
つまり、お金は持っていてもそれほど消費的にはなれない世代ということだ。逆に言えば、景気後退=生活後退にいつでも合わせることが出来るということである。この50年間、物質的な貧しさと豊かさを駆け抜けてきたのが団塊世代である。幼年〜少年期にやりえなかったことを今やり始めている。ふるさと的なるものを求めた青春フィードバックそのもので、例えば子供の頃憧れていたパン屋を自宅を改造してやり始めたり、夫婦二人の旅で出会った山間が好きになり移住し農業を始めたりする。そのことで生計を立てるというより、ある意味道楽といった方が正確である。そのことにお金を使いたいのであって、「大人の百貨店」の店頭にある商品を買うことに直接にはつながらない。保有金融資産の大きさに、過大な期待をしたということだ。
団塊世代と堺屋太一さんが名付けた「塊(かたまり)」は60年間という時間によって個人へと分解した。しかし、同時代感として物質的貧しさを等しく経験してきた世代である。しかも、仕事への選択肢といった自由さはほとんどなく、食べることのため、子育てのために働いてきた世代だ。大学への進学率は3割に満たない時代だ。もう一回勉強したいと願う人は多い。少子化はこれからも進むであろうし、既存の大学は社会人大学へと変貌するであろう。道楽であればこそ、農業や漁業に従事するにあたっても勉強は欠かせない。モノを売ろうとするならば、こうした知的興味心をかき立てることだ。そして、少し前に「ロングライフ志向」について書いたが、団塊世代こそこうした価値観をもっている。
ところで「新富裕層」のところでも書いたが、いざなぎ景気を超えたといわれた平成景気の消費を支えていたのは、大きくは「株式配当層」と「企業業績連動型ボーナス層」の二つの市場である。前者は旧来からの資産家であり言わずもがなでコメントしないが、後者が表立った消費を見せていた訳である。その典型的としては、外資系金融企業や自営業、あるいは業績連動型報酬の仕組みを採用した企業といった層である。この中から「ヒトリッチ」といったキーワードに代表される消費が生まれた。ところが昨年秋以降都心の不動産価格は下落し、サブプライムローン問題が表面化し、外資系金融企業の中ではリストラさえ実施され始めている。
実は、この二つの層が今日の百貨店を支えていた主要顧客である。今回のリニューアルによって従来百貨店顧客ではなかった若い世代をどれだけ集客できるか、ここでも価格という越えなければならないハードルがあるが、またその結果について書いてみたい。(続く)
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