ヒット商品応援団日記No774(毎週更新) 2020.12.13.
今年も日経MJによるヒット商品番付が発表された。次のような番付であるが、ほとんどの人が納得というより、興味を引くようなヒット商品はない。ヒット商品は消費を通じて「時代」の変化、ライフスタイルの変化を感じることができる一つとなっているが、今年は「コロナ禍」一色である。読み解く必要などないと言うのが本音ではあるが、それでもコロナ禍一色の意味、特に今なお感染拡大から生まれる「変化」について考えることとする。
東横綱 鬼滅の刃、 西横綱 オンラインツール
東大関 おうち料理、 西大関 フードデリバリー
東関脇 あつまれ どうぶつの森、西関脇 アウトドア
東小結 有料ライブ配信、 西小結 プレイステーション5
東の横綱にはアニメ映画「鬼滅の刃」がランクされている。その興業成績は宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」を抜く勢いとなっているが、TVメディアはコロナ一色となった情報の中で、唯一異なるエンターテインメントとしてこぞって取り上げ、動員観客数を押し上げた。そして、密な空間である映画館でも喋ることのない映画鑑賞の場合感染リスクは少ないと言うことから、コロナ禍にあって唯一の外出しての楽しみとなった。いわば巣ごもり生活の反動である。
他にも巣ごもり消費として「あつまれ どうぶつの森」や「プレイステーション5」といったゲームも入っているが、いずれの場合も「楽しさ」は特定の映画やゲームに集中することとなった。面白いことに観客動員数は2152万人とのことだが、GoToトラベルの利用客数は宿泊数のデータであるが5260万人泊となっている。支援制限として7泊以内となっているので半数としても2600万人程度は旅行したことになる。映画館との単純比較はできないが、「移動人数」ではそれほどの違いはない。ただ、旅行にしろ通勤移動にしろ、移動の最中に感染しクラスターが発生したと言う情報はない。問題は移動先での会食などの行動において感染リスクが発生すると分析されているが、生活者はそうしたことをよくわきまえて行動していると言えるであろう。
ところで2008年にもリーマンショックにより日本の社会経済が大きく揺さぶられた。日経MJはこの年のヒット商品番付は横綱に「ユニクロ・H&M」と「セブンプレミアム・トップバリュー」で大関には「低価格小型パソコン」がランクされ、まさにデフレが加速している様子が番付に現れていた。そうした生活消費を自己防衛型と呼んだが、ほとんどのヒット商品は価格価値に主眼を置いた商品ばかりであった。「お買い得」「買いやすい価格」、あるいは前頭の「パナソニックの電球型蛍光灯」のように、商品自体は高めの価格であるが、耐久時間が長いことから結果安くなる、「費用対効果」を見極めた価格着眼によるヒット商品であった。
そして、それら消費特徴を私は「外から内へ、ハレからケへ」と読み解いた。例えば、「外食」から「内食」への変化であり、その内食は親子料理を楽しむ「調理玩具」がヒットしたりしていた。今年のコロナ禍での変化である内職は大関に入っているように時間に余裕のある人は少し手の込んだ「おうち料理」になり、余裕のない人の場合には「フードデリバリー」となる。このフードデリバリー市場は5000億となっているが、宅配料金が高いため今後の競争市場においてはデリバリー価格が課題となる。それはワクチンが開発され集団免疫状態になるまでにはあと1年以上かかる。問題はそれ以降生き延びることができるサービス事業になり得るのかと言う課題である。しかもそうしたデリバリービジネスが成立するのは都市部のみであるという限定市場における価格競争である。
ライフスタイル全般として言えることは、多人数での会食、パーティなどが自粛され、「ハレの日」はほとんど無い「ケの日」ばかりとなった。ケの日の消費がどんな変化を見せるかである。既に年末年始の消費としては豪華なおせち料理に予約が入っていたり、東京の場合熱海や箱根の温泉旅館には家族での宿泊予約が多く満室状態であると聞いている。但し、年末の帰省旅行については、JTBによる意識調査では「旅行に行く」と答えた人は14.8%で前年と比較し5.2ポイント減少しているとのこと。勿論、帰省する人の半数以上は自家用車での帰省を考えており、これも感染リスクを考えてのこととなっている。ここでも巣ごもり正月を迎えることになりそうである。
オンラインツールが西の横綱に入っているが、テレワークを始め学生の講義がオンライン授業へと変化したこともあり、不可欠は道具となった。私も専用カメラやマイクをネット上で入手しようとしたが、4月頃はほとんどの商品が品切れであった。こうした直接的なツールだけでなく、自宅をオフィスに変えるためのデスクなどがニトリやホームセンターなどで盛んに買われるようになった。しかし、家族のいる簡易オフィスであり、快適な環境とは言えないことから、次第に従来のオフィスへの通勤が復活したのが現実である。ただ感染が家庭内及び職場内に持ちこまれており、前回のブログにも書いたが、厚労省のアドバイザリーボードのレポートによれば、20代~50代という日本の社会経済の中心世代が主要感染源となっていることから考えると、テレワークのあり方も再度考えることが必要かもしれない。
このオンラインによるコミュニケーションは東日本大震災の時実感した「絆」、一種の連帯の証のような人間関係が生まれたが、コロナ禍においては「ソーシャルディスタンス」という言葉が示すように「個」の経験を強いられることとなった。ネットでつながっていても「個」は個であり一人である。孤立からの脱却として、いつもはサラリーマンの街新橋の馴染みの店で一杯やっていたのが、オンライン飲み会へと変化した。勿論、つまらなさ、物足りなさを感じるが、それでも集団ではなく個であることの自覚も生まれる。仕事の仕方、生き方を問い直すきっかけになったことは事実であろう。
実は「親鸞」という小説を書いたあの作家五木寛之はPRESIDENT Online(プレジデントオンライン)のインタビューに答えて、今は平安末期の混乱混沌の時代に似ていると。そして、今こそ必要とされているのに何故宗教家が出てこないのかとも。ウイルスによって分断されてしまった「個」を孤立させてはならないという意味である。前回のブログにも書いたが、完全失業者数は215万人へと急増し、更に自殺者も急増しており、大きな社会問題化しつつある。それは、引きこもりといった社会問題とともに、ウイルスによる分断によって生まれた「孤立」である。社会における制度として解決すべき問題でもあるが、やはり身近な課題としては「どうコミュニケーション」をとるかである。東日本大震災の時に生まれた「絆」と同じように、ネット活用であれ、日常の接触機会であれ、ひとこと声をかけることの大切さが実感される時を迎えている。
関脇には「アウトドア」が入っており、巣ごもりというある意味鬱屈した生活からひととき解放される時間が求められてのことである。それは「密」を避けながら楽しさを求めるという生活者の知恵である。その代表的な楽しさがキャンピングであり、キャンプ場はもとよりキャンピングカー市場も活況を見せている。それは従来型のキャンピングからホテル仕様のサービスを満喫できるグランピングや最近話題となっているソロキャンプまで多様な楽しみ方の広がりを見せている。実はこのアウトドア市場は数年前から静かなブームになっており、コロナ禍が追い風となったということだ。
こうした市場だけでなく、アウトドア志向はカジュアル衣料からキャンプ飯人気、オープンカフェといった街並みと一体となった店舗、ホテル・旅館選びの基準の一つに露天風呂が入っていたり、あるいは自然を楽しむハイキング人気はこれからも続き、日常的にはジョギングまで都市生活に欠けている自然との呼吸が求められていると言えよう。
ところでコロナウイルスのクラスターが発生した東京湾の屋形船であるが、隅田川からレインボーブリッジまでの周遊コースなどには観光客が戻りつつある。また、水の都大阪でも円形ボートを川面に浮かべゆったりとした時間を楽しむ「水上ピクニック」が人気になっている。少し前のブログにも書いたが、これからは「水辺」が更に注目されるであろう。
自然災害をはじめ災害列島と呼べるほどの日本にあって、常に求められてきたのが「日常」であった。コロナ禍にあっても求められるのは早く元の日常に戻りたいという願いである。生活者一人ひとり異なる日常であるが、このウイルスは「移動」という最も社会経済、いや生きることにおいて必要不可欠なこと、その大切さを実感させた。その代表的な「事件」は小中高の一斉休校であった。子を持つ母親は保育所など預ける場所を探すといった苦労はあった。消費という面からは不評であった安部のマスクに見られるようにマスク不足が深刻化した。周知のように中国に依存していたことであったが、数ヶ月後には国内メーカーも生産しはじめ今や誰でもが手に入る安価なものとなった。そして、一斉休校によって当然のことであるが、学校給食はなくなり、食材を納入してきた生産者は行き場のない商品を持って途方に暮れていた。それは休業や自担要請のあった飲食店に納入してきた生産者も同様であった。しかし、そうした行き場のない商品は次第に過不足なく流通し今日に至っている。元の日常に100%戻ってはいないが、少なくともかなりの消費は戻ってきた。それは日常消費を支えるスーパーやコンビニといった流通事業者、あるいは「移動」を支える交通事業者や物流事業者によって、ある程度の「日常」を取り戻すことができたと言えるであろう。医療従事者と共に、こうした社会のインフラを支える企業や人たちにこそ「横綱」を与えたいと思うが如何であろうか。(続く)