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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2014年05月07日

未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)

ヒット商品応援団日記No579(毎週更新)  2014.5.7. 

「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編の前半では再開発事業が多くの異なる世界を交差させながら進められてきたことを書いた。後半はこうした異質さが表舞台へと現れ、テーマパークの街へと変貌していく様子を追ってみた。


再開発の広がり

未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)

秋葉原駅北口の再開発事業はIT関連のビジネスや観光地アキバを訪れる多様な人たちが行き交う街となった。こうした多様な人が行き交う街を更に活性化させたのが、御徒町ー秋葉原間のJRの高架下の開発であった。
従来は駐車場もしくは倉庫といった空間活用がほとんどであったが、新たな人の流れをつくることを目的に2010年に2K540がオープンした。
この2K540は台東区エリアの特徴として古くから伝統工芸が盛んであり、上野には美術館や芸大もあるという背景から、アートな「ものづくりの街」としてコンセプトされている。しかも、アートなモノを売るだけではなく、実際にモノづくりをする工房もある独自な商業空間となっている。未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)

更に、秋葉原寄りには2013年には「ちゃばら」がオープンする。「ちゃばら」とは再開発まであった神田青果市場のやっちゃばをもじったネーミングである。そうした意味合いを含め、地方にはまだまだ埋もれた商品があり、そうした商品を発掘し提供する商業施設となっている。

無国籍空間

未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)

実は再開発事業がスタートする以前から秋葉原にはインド料理店が多く存在していた。その背景であるが、一大電気街として集積する秋葉原にはIT技術者が多いインド人技術者が多数来街していた。2001年のITバブルの崩壊が技術者の流入を加速させ、多くのインド料理店やカレーショップなどが店を構えるようになった。その代表的な店が老舗ベンガルやラホールである。
未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)
更には肉を串に刺して焼いたカバブの店もあり、エスニックな世界が見られる。
そして、そうした飲食店以外にもインテリアなどの雑貨店も見られる。上野アメ横センタービルの地下食品街にはフィリピンや韓国、台湾、タイなどの食材ショップも多数あり、上野ー秋葉原を結ぶラインは地球都市の無国籍街となっている。JR新大久保駅東側一帯をコリアンタウンと呼ぶが、上野ー秋葉原についてはエスニックアジアンラインとでも呼ぶにふさわしい無国籍な食の街が形成されている。

地球の胃袋

未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)

こうした無国籍街には勿論のこと日本の新旧を象徴させる店もある。駅北側の超高層ビルの陰に隠れるようにあるのが、老舗の神田食堂や駅南側にある名物スタミナ丼の昭和食堂である。あるいはアキバ名物の牛丼店はまさにメガ盛り丼である。
お気に入り、好みの時代にあってライフスタイルを最もストレートに表現しているのが「食」であるが、それは街における飲食店も同様である。どの店も量が多く、しかも安い店ばかりである。地球の胃袋とでも表現できるようなエネルギッシュさが横溢している。未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)
そして、この上野ー秋葉原間は秋葉原の激安家電と共に、年末の激安売り出しの名所にもなっているアメ横をつなぐラインは、激安テーマパークの観光地となっている。

未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)
そして、かんだ食堂と共に昭和の匂いを色濃く残しているのが赤津加である。駅西側の東京ラジオデパート裏の路地にある居酒屋、いや酒場であるが、神田青果市場が未だあった頃そのままの店として残っている。オタクが集まり、家電量販やメイド喫茶の街のなかで、タイムスリップしたかのようなレトロな時間を楽しむシニア世代の社交場となっている。
また、新旧の新となっているのが秋葉原駅北口の高層ビルUDXにあるしゃれたダイニングバーやカフェであるが、そうしたなかにあっていかにもアキバらしいカフェがある。未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)

それは駅北側のJR高架下にあるAKB48の新劇場隣の機動戦士ガンダムのカフェ、ガンダムカフェである。駅北口の広場にお台場と同じ巨大なガンダム像を設置できなかったにも関わらず、オープン1週間で2000万円もの売り上げを残し、全国のガンダムフアンの聖地となっている。
AKB48の新劇場及びガンダムカフェは秋葉原駅北口にあり、それまでオタクの劇場であり、カフェであったものを表舞台へと上げたデベロッパーJR東日本都市開発が果たした役割は極めて大きい。いわば秋葉原という街の「顔」として誘致した点にある。

街から学ぶ


未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)秋葉原・アキバというタイトルをつけてその2面性について書いてきたが、街は常に生き物として変容していく。その変容という成長エネルギーは冒頭で整理したように相異なるものが交差することによる。そうした特異さを排除せず残すことによって秋葉原・アキバがある。既成を壊す、サブカルチャーの街として変化してきたが、言葉に表せない鬱屈した反抗、反逆する心は、いつしか逃亡する術を失い、不特定な人への殺傷へと向かわせたのが、2008年6月に起きたあの秋葉原無差別殺傷事件であった。上記写真は2014年春の歩行者天国の風景である。しかし、秋葉原・アキバの街は横丁路地裏にあり、奇妙に超高層ビルと調和している。そんな一種猥雑さこそがこの街の本質としてある。初音ミクのようなキャラクターが路地裏に掲げられた通りこそこの街らしさがあるということだ。未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(後半)

ところで「萌え〜」という表現はこの街から生まれた言葉である。その定義は多様で定かではないが、萌えオタとか、メイドカフェでの気分表現であったり、つまり想いは過剰なまであるのだがなかなか言葉に表せない。そんなもどかしさから生まれた言葉であると理解している。ちょうど同じような言葉に「かっわいぃ〜」がある。この表現は2000年代初頭、渋谷109に集まったティーンから生まれた言葉である。そのきっかけは素人である読者モデルを初めて誌面に登場させた雑誌「Cawaii」と連動している。ちなみに「Cawaii」の読者モデルの一人であった森本容子氏はあの渋谷109エゴイストの2代目カリスマ店長となっている。表現の素人が思いあまって出た言葉が「かっわいぃ〜」であった。
過剰なまでの想い、それがアニメであったり、フィギュアであったり、メイドカフェであったり、勿論AKB48のメンバーの一人であったり、既に製造されていない電子部品の稀少パーツであったり、想いは多様であるが、共通していることはその過剰さ、過激さ、にある。この想いを満たしてくれる街が秋葉原・アキバである。

1、2面性を行ったり来たり

1990年代初頭のバブル崩壊後、日本経済を始め失われた20年間と言われてきたが、振り返ればこの20年間はあらゆるものが転換した20年間であった。街はその変化、変容を見事なくらい映し出している。
インターネットの普及によってマスメディア(=オピニオンリーダー)からパーソナルメディア(=個人・大衆)へと情報発信者の主人公が劇的に転換してきた。その顕著な現象として、消費においては「食べログ」のようなランキングサイトやレシピ投稿サイトクックパッドの日常利用、あるいはツイッターやLINEによるパーソナルメディアの活用といったネット情報の活用は当たり前のものとなった。
こうした新しいメディアの出現によって過去10年間で流通する情報量が530倍になったと総務省からの報告もある。勿論、インターネット上のメディアによってであり、Googleなどの検索エンジンによって膨大な情報を取捨選択することが可能になったからである。しかし、Googleは玉石混淆情報の整理や情報の真偽まで検索してくれる訳ではない。こうした膨大な情報、個人の判断を超えた情報が行き交う時代にあって生まれてきたのが、判断基準・拠り所となるものへの「やらせ情報」であり、そうしたやらせを組織だっておこなう問題も出てきた。
こうしたIT革命の浸透は、行き過ぎた振り子を反対の極へと向かわせる動きが3〜4年前から始まっている。デジタルからアナログへ、仮想世界(体験)からリアル世界(体験)へ、インターネットという高速道路を下りて一般国道へ、個人から新たな共同体へ、・・・・・・つまり、ここでも「顔の見える関係」への揺れ戻し変化が見られてきた。
秋葉原・アキバとタイトルをつけ2面性が交差する街であると書いたが、街はどちらか一方では衰退していく。それは人間のもつ本質的な欲望として2面性があるからだ。そして、秋葉原は行ったり来たりが見える希有な街である。そして、この2面性は消費という2面性にも表れてくる。例えば、節約ばかりではなく、「時にプチ贅沢」消費があるように、同じ一人の消費者にあるということである。どんな時に節約なのか、どんな時にプチ贅沢なのか、そこにマーケティングやマーチャンダイジングがすべきテーマがある。

2、オタクに学ぶ

10数年前冷笑すらされていたオタクに何を学べば良いのか不思議に思うかもしれない。少しビジネスよりに言えば、既に数年前からスマホ用アプリを開発する中高校生が数多く出てきた。そして、更には起業する中学生すら出てきている。そうした人材もオタクと呼べば少しは理解していただけると思う。実はそれ以前の「知」とは何かを比較すると分かりやすい。例えば、次のように対比することができる。

●知識社会(知価社会) :マスメディア(TV/新聞):オピニオンリーダー、一流大学
○情報社会(ソーシャル):ソーシャルメディア   :個人(大衆)、年齢・性別・国籍不問

結論から言えば、10年前まではオピニオンリーダーがマスメディアを通じて、世間を動かしてきた。ビジネス(消費)でいうと、このオピニオンリーダーを発見し、このリーダーのライフスタイルに着眼し、新商品を開発したり、マーケティングを行ってきた。しかし、今世間を動かしているのは個人、大衆である。しかも、年齢や性別などインターネットが垣根を超えたようにあらゆる人へと等しく広がった世界が生まれている。
消費といった視点に立つと、個人は情報の受発信者であり、時によっては消費者(買い手)であり販売者(売り手)にもなる、そんな関係である。江戸時代の近江商人の心得に「三方よし」がある。売り手よし、買い手よし、世間よし、であるが、この世間がグローバル、地球規模まで広がったということである。
舞台はTVや新聞からソーシャルメディアに変わり、演じる主役もオピニオンリーダーから個人・大衆に代わったということだ。中学生によるアプリ開発を行うベンチャー起業が誕生しても不思議ではない。
ところでオタクの何に学ぶかである。まず学ぶべきは既成を超え、ある時は壊してでも想いを遂げようとする過剰なまでの行動。普通では超えることができない壁に穴をあけるほどの過激さである。飛躍しすぎかもしれないが、アップル社の創業者の一人であるステーブ・ジョブズが好きな言葉、「ハングリーであれ、そして愚かであれ」を想起させる。愚かなほど思い入れ深くやってみようということである。未だかってなかったこと、未知とはこうした人たちによって創られる。
今やクールジャパンなどと賞賛されるが、10数年前は冷笑されたオタク文化である。しかし、冷笑してきたのは日本国内の既成であり、海外の人間にとっては新しい日本の精神文化から生まれたカルチャーであると賞賛された。そして、スマホの普及と共に、マンガやアニメは急速に広がった。つまり、オタクが火をつけたサブカルチャーのマスプロダクト化であり、AKB48と同じ構図である。


3、未知を楽しむニューカルチャー・テーマパーク

周知のように朝鮮半島を中心に南からも、北からも多くの人を通じた交流によって日本が形づくられてきた。ある研究者に言わせると、地政学的にはパチンコの受け皿のように遠くはヨーロッパから、東南アジアから、更には北はシベリアから多くの人とともにモノや文化を受け入れてきた。勿論受け入れるだけではなく、異端の歴史研究者である網野善彦さんが指摘してくれたように、既に室町時代に日本人は丸木舟に乗って太平洋を越え南米ペルーまで出かけていた。そうした歴史の教科書を持ち出すまでもなく、日本は文明・文化の交差点であった。そして、今秋葉原はそのシンボル的存在としてある。
ところでテーマパークというと東京ディズニーリゾートとなるが、秋葉原と比較するとその独自性が浮かび上がってくる。両者共に共通していることは繰り広げられる「物語」は過剰なまでに激しいことである。ディズニー物語の読み込みへの過剰さは現実世界と100%遮断された独自な仮想現実として創造されている。一方、秋葉原は誰でもが出入り自由な入り口も出口も無い現実世界の街となっている。前者は入場料を取るディズニー劇場であるのに対し、後者は無料の地球都市劇場である。繰り広げられる物語はファンタジックな虚構の物語世界であるのに対し、「会いにいけるアイドル」ではないが、手を伸ばせば触れることができるファンタジックなリアル物語である。そのファンタジックな物語は常に新しいアトラクションによって創造されるのに対し、初音ミクがそうであるように受け手である個人が入れ替わり立ち替わり主人公となって新しい物語が創造される。
両者共に、欲望を喚起させるテーマの「変化」を継続させる方法が仕組み化されている。そして、サブカルチャーという物語コンテンツはスマホというメディアを通じ世界へと拡散している。重要なことはその物語コンテンツにある。秋葉原が教えてくれたサブカルチャーコンテンツのマスプロダクト化、つまり表現は良くないが大衆化・一般化への方法である。オタクのアイドルであったAKB48を国民的アイドルへと成長させた方法である。その方法は「恋するホーチューンクッキー」を見ても分かるように、顧客の参加(ダンス)を促し、舞台の主人公にしたことにある。このように秋葉原という街は訪れる人全てを秋葉原劇場の主人公にしている点にある。そして、秋葉原という劇場を「我が街アキバ」という街ブランドとして創造した。
定点観測にすぎないが、秋葉原の街は北西方向、外神田方向へと電気部品やパーツ、アニメ、マンガ、コスプレ衣装、フィギュア、・・・・メイドカフェ、エスニックな飲食店、といった「街の密度」が高まっているような感がする。サブカルチャーのテーマパークとして世界中から人を集める聖地の秘密はこの「テーマ密度」の高さにある。この密度こそ、未知への探検を促し、宝物探しにかき立てる。つまり、未知との遭遇観光地ということである。(続く)


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