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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2019年07月28日

大いなる家族経営の崩壊 

ヒット商品応援団日記No745(毎週更新) 2019.7.28.


ほぼ1ヶ月前のブログで「お笑いの街が揺れている」というタイトルで吉本興業の不祥事を取り上げ、吉本興業という会社がどんな会社であるかを元吉本興業常務であった木村政雄氏の著書「笑いの経済学」を通じて問題の所在を書いた。その後、宮迫・田村亮の記者会見、そして、吉本興業の岡本社長の5時間半に及ぶ記者会見と大きく急展開した。それは反社会的勢力への闇営業という問題から、吉本興業という企業が持つ経営、特に経営者と芸人との関係、私が長年テーマとしてきた「人の生かし方」「生かされ方」という企業経営の本質へと急展開した。

ところで7月20日の宮迫・田村亮二人の会見を見て、それはそれなりに謝罪記者会見の「意味」を感じたが、翌々日22日に行われた吉本興業岡本昭彦社長の5時間半に及ぶ会見を見て、「なるほどな」と吉本という会社が実感できた。翌日のTVやスポーツ紙の報道は2者の対比をしながら前者2人の「覚悟」との違いを指摘し、岡本社長の回りくどい、くどくどした意味不明の釈明に批判が集中したが、危機管理の無さや会見に「芸」の無さを指摘してはいたが、私にとっては吉本という企業の本質がよく見えて、それなりに意味ある2つの会見であった。

それは吉本興業元常務の木村氏が書いた「笑いの経済学」に書かれていた吉本興業の「牧場型経営」の意味、今日的な限界についてである。まずその牧場には6000人ものNSC(養成所)卒業生がいるが、「吉本は柵の低い出入り自由な牧場で、所属する芸人は遊びに行ってもいいし、色恋沙汰をしてもいい。会社は何をするかというと、おいしいビジネスチャンスという牧草と快適な寝倉を用意する。会社はその牧草と寝倉を徹底して良質にする。良質な牧場を作れば、出て行った牛も必ず戻ってくる」そんな会社(吉本)と芸人の関係について書いた。先日の岡本社長の記者会見ではそうした吉本流経営をファミリー・家族であるとリーダー自ら答えている。岡本社長と芸人四人との面談で、「テープ回しているんとちゃうやろな」「記者会見やってもかまへんけど、そうしたら全員首やからな。わしにはそうできる力がある」・・・・・・・・・こうしたパワハラまがいの発言も、親が子をしかるようなものだという。岡本社長は親・家長で宮迫・田村亮は子という関係の経営である。この1週間元吉本のプロデユーサーや柵の低い牧場から3回も出たり入ったりした島田洋七までTV出演しており、さらには柵の外で暴力団と付き合っていたことから吉本を解雇された島田紳助まで週刊誌にコメントを寄せている。全て「家族」の中の騒動であるという認識のもとである。勿論、家族の中にあって他人行儀な「契約書」などあろうはずはない。

こうした自由度の高い「家族経営」は人の生かし方としてあるかと思う。勿論、多分に大阪的ではあるが、他にも創業期の自動車メーカーのホンダも親父と子の経営であった。小さな町工場で油まみれで働く親父(本田宗一郎)と子(従業員)で、少しでも手を抜くと殴られたという。そして、従業員という子をとことん愛したが、本田宗一郎は実子を決して後継者には選ばなかった。油まみれになった従業員の中から後継者は生まれた。昨年、宗一郎の「夢」であった小型航空機市場に本格参入したと話題になっていたが、「世の中にないモノを作る」という宗一郎の哲学、いや夢を受け継いだ開発であった。実は宗一郎の夢は小学校低学年の頃に学校をさぼり、親に内緒で自宅から20キロメートルほど離れた浜松練兵場へ飛行機を見に行った時からの夢であった。小型ジェット機の開発者はそんな夢を今も受け継ぐ、ホンダはそんなファミリー経営である。ファミリー的企業風土はこの「夢」にあり、宗一郎の生き様こそが今なお一つの求心力となっている。

前回のブログで吉本が大きく転換し成長したのは競争相手である松竹芸能との競争を終え、東京への進出であったと書いた。勿論、「お笑い市場」は大阪と比べ東京は極めて大きい。しかし、東京進出は一つのきっかけにすぎない。吉本急成長の第一は、「芸人」という商品を仕組み・システムとして顧客に笑いを届ける方法を完成させたことにある。それまでの「芸」は師匠と弟子という関係の中から生まれ磨かれてきた。当然、師匠一人で見れる弟子の人数は限られる。しかし、吉本の場合、牧場の柵を低くし、誰でもが40万円払い、NSCを卒業できれば吉本芸人になれる。そして、大阪の心斎橋二丁目劇場のような小劇場で競争し合いながらそこで人気を得た芸人を東京という最大市場に供給するシステムを完成させた。ヒット商品を探し、インキュベーション(孵化)するシステムということである。私の言葉でいうと、「お笑い」のマスマーチャンダイジング、大量生産するシステムということである。そして、「笑い」は時代の変化とともに、常に変わる、だから安定した商品を供給するには、その芸人候補の裾野を広くし、売れない芸人を含め多ければ多いほどヒット商品が生まれるいうことになる。結果6000人にまで膨れ上がったということである。

東京市場への進出はきっかけに過ぎないと書いたが、実は1990年代その東京市場、マスメディア市場は大きく転換する時期にあたる。いわゆるパラダイム転換、価値観の転換がメディア産業にも起きる。詳しくは未来塾で「働き方も変わってきた」として、電通の過労死事件から見えるその「ゆくえ」の中で、日本のメディア事情を書いているので参照していただきたい。概略を言うと、1990年代後半日本のマスメディア、特にTVメディアもその広告取り扱いを主要業務とする広告代理店も大きな転換を迎える。バブル崩壊後のデフレの波は当然マスメディアにもそれを使う広告代理店にも押し寄せる。中小の広告代理店は統合再編もしくは消滅していく。マスメディアもデフレにより「価格競争」、低価格へと向かう。その象徴であるが、TVメディアの主要な収入源であるスポット広告の価格は、外資系クライアント及び広告代理店主導の「価格コンペ」の導入によって、TV曲は従来の収入を得られなくなっていく。2000年代に入り、更に追い討ちをかけたのがインターネットメディアによる価格低下の圧力であった。結果どのようなことが起きたか、例えばリストラ・配置転換であるがTV局の場合それまでの社内制作スタッフを外部企業へと業務委託する、あるいは社員を解雇させその委託会社に勤務させる。新聞社の場合はそれまで社員が取材していた情報源を提携したメディアからもらい受けることによって記事が出来上がるといった具合である。

こうしたはメディア市場の背景にあって、吉本は単なる芸人の提供だけでなく、政策丸ごと請け負う方向へと向かう。次第に番組編成にも入り込むようになっていく。田村亮が岡村社長との面談において、謝罪会見など行っても大丈夫、在京・在阪5社のTV局は吉本の株主だからと説明され、どういう意味なのかわからなかったと会見で発言していたが、こうした背景からである。
実は吉本は現在非上場であるが、それまでは上場企業であった。今回の反社会的勢力への闇営業問題において多くのマスメディア関係者、特に芸能関係者が不思議だと指摘したのが「非上場」の件であった。吉本は当時ソニーの元会長であった出井氏を社長とした「クオンタム・エンターテイメント」(在京民放、ソフトバンク、ヤフー等13社が240億出資)を中心に三井住友銀行の融資などにTOBさせて、2009年上場廃止する。
さて問題は何故買収に向かったかである。それは吉本の歴史を遡ればわかってくる。戦後の吉本興業は創業者吉本せい(林せい)を支えてきたのが林正之助で、その家系図を見れば明確になってくるが、芸能ブログではないので省略するが、つまり「創業家」が経営を行ってきた。しかし、次第に吉本も大きくなり、笑いいの質も変化していく。実は吉本が1980年東京進出を始め漫才ブームを創ったのだが、その東京事務所の所長であったのが、前述の「笑いの経済学」の著者である木村政雄氏である。今日の吉本を創った人物として現会長の大崎洋氏の名が挙げられるが、実は東京事務所開設は木村氏と部下の大崎氏の二人であった。当時の週刊誌などによれば木村氏は創業家経営陣と考えが合わずサラリーマン社会によくある「左遷」であったようだ。
これ以上人事に関して書くことはしないが、2002年木村氏は吉本を退社する。当時の社長であった林裕章氏と考え方が合わなかったという理由であるが、こうした事情を傍で見ていたのが現会長の大崎氏であったと当時の週刊誌は書いている。そして、2005年林裕章氏は亡くなる。以降、吉本内部から様々な不満が噴出するが、現場でそうした声を聞いたのが大崎会長であった。ここからは私の推測の域を出ないが、そうした背景を踏まえ、大崎会長は吉本の近代化、創業家との縁を切る行動、つまりTOBを仕掛け上場廃止へと向かったと思われる。つまり、表向きは安定株主による経営の安定が非上場理由としたが裏には創業家排除という露骨な方法ではなく、民放各社の株を持ってもらうという方法をとったと思う。

そして、吉本興業の近代化」は、林正之肋の時代から脈々と息づく「興行とヤクザ」の関係にも、ピリオドを打つことをも意味していた。現在では、興業、今でいうイベントなどで、今回のような暴力団や半グレのフロント企業との関わりは複雑かつ分かりにくい世界となっている。
しかし、兵庫県警内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』には検挙年月日とともに「山口組準構成員 吉本興業前社長 林正之助」と記されている。もちろん警察側の視点であり事実はわからない。ただ、興行とヤクザの結び付きが当然の時代でもあったことは事実である。そうした歴史・慣習を背負った企業であることは忘れてはならない。
勿論、であればこそコンプライアンスが叫ばれているのだが、牧場型経営においては柵の外へと出入り自由な経営システムのもとで果たして「外」の活動を規制することはできない。柵を高くし、牧場内に留まることは自由が制限されることでもあり、クリエイティブな笑いは半減してしまう。しかも、6000名もの芸人とは雇用契約ではなく、事業主との契約であり、ほとんどの芸人は「外」でのアルバイトなどによって生活を維持させている。初期の吉本興業は安いものの月給制という革新的発想を持った会社であった。しかし、私の言葉で言えば、マスマーチャンダイジングのシステムによって成長というより、膨張してしまったということである。大いなる家族経営の限界であり、このままであれば衰退へと向かうであろう。前回私が「臨界点」を迎えていると指摘したのはこうした背景からである。

「マスマーチャンダイジング」は決して悪いことではない。多くのチェーンビジネスが取り入れる手法であり、低コストで大量生産、安定供給することができる。しかも、ITの活用によって少量生産が低コストで可能になったことである。例えば、現在は見事にV字回復した日本マクドナルドもあのチキンナゲット問題で一挙に赤字転落し、多くの店舗を閉鎖したことを思い起こしてほしい。今日の日本マクドナルドを創ったのは顧客であり、特に小さな子供を持つ若い母親の信頼を回復したことによる。その中心には周知のサラ・カサノバ会長のリーダーシップのもと、全国の現場店舗を訪れ母親たちにヒアリングした結果によるものであった。
吉本に置き換えるならば、TV局という現場はあっても、その先にいる「視聴者」には届く方法を持たない。つまり、「公開」という原則をどう保持するかである。敢えて、吉本の歴史、人事を含めた「お家騒動」の歴史を書いたのも、「家族内」「内輪」の問題として処理してきた歴史であった。芸人にとっては低い柵に囲まれた牧場ではあるが、外に広がる顧客への公開は成される方法を持たない。「大いなる家族経営」の限界であり、最大問題としてある。

吉本の歴史の中で特筆すべきは、その良さは「笑い」は常に時代・顧客と共に変化する、その変化に素直に会社も芸人も従うことであった。問題はその「変化」の捉え方が、会社と芸人、大阪NSC所属芸人と東京NSC所属芸人、古い芸人と若い世代の芸人、各々バラバラ状態で、これもまた「お家騒動」を増幅させている。つまり、こうした混乱はマスマーチャンダイジングのシステムが機能しなくなってきているということである。いわゆるガバナンスの喪失、大いなる家族経営の崩壊である。
牧場の中に従来の上質な牧草だけでなく、例えばNTTグループと組んで、教育関連のコンテンツを配信するプラットフォーム「ラフ・アンド・ピース・マザー」の立ち上げを発表している。この事業には官民ファンド・クールジャパン機構の出資も決まっており、最大100億円もの巨額がつぎこまれる可能性もある。勿論、大阪の会社であり、2025年の大阪万博の民間企業体連合体のトップになっている。あるいは吉本を念頭に置いてだが、公正取引委員会の山田事務総長は『契約書がない』ということは、契約内容が不分明になることにつながることがございますので、独禁法上問題になる行為を誘発する原因になり得るとコメントしている。
最早、大いなる家族経営、経営システムの根幹を変えていくことが急務となっているということだ。今回もまたお家騒動をきっかけとしてはいるが、コトの本質は深刻である。(続く)  
タグ :吉本興業


Posted by ヒット商品応援団 at 13:22Comments(0)新市場創造