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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2015年11月02日

平成のええじゃないか騒動

ヒット商品応援団日記No628(毎週更新) 2015.11.2.

今日のライフスタイルの原型は江戸時代にあるというのが持論であるが、今回のハロウィン騒動、特に10月31日渋谷に仮装して集まった若者を見るにつけ、江戸時代末期の「ええじゃないか騒動」とはこんなものではなかったかと思い至った。数日前から仮装衣装の着替え用のスペースが用意され、都もゴミ対策としてハロウィン用のゴミ袋が用意されたと報じられていた。そして、当日にはゴミ清掃のボランティアまでが活動しており、東京はハロウィン一色となった。
実は大規模なハロウィンパレードは川崎で行われ全国的にも注目されていたが、ここ数年前からはその「場」が渋谷に移ってきた。今年19回目を迎えた川崎のハロウィンパレードはイベント企画として企画され、参加費は1人1,000円。参加定員3000人に達すると締め切られることになっている。しかし、渋谷の場合はそうした企画は個人個人、あるいはグループごとの企画となっており、いわば自然発生的に生まれた異質なものとなっている。勿論、ハロウィン本来の趣旨とは全く異なるものであることは言うまでもない。

1990年代後半、渋谷の街や通りはティーンの劇場、舞台となった。ガングロ、山姥という婆娑羅ファッションを身にまとったティーンはマスメディアの注目されることとなった。劇場化社会の到来、街がメディアとなり、情報発信する時代の幕開けであった。
その背景であるが、学校からも家庭からも居場所を失った少女達が都市を漂流し社会問題化したことがあった。同じような居場所の無い仲間のいる渋谷はある意味居心地のよい場所であった。少女達は渋谷に集まり、次第に大人達による援助交際や薬物に手を出す。夜回り先生こと水谷修先生がそんな少女達を救うために授業の後夜回りをし、「春不遠」というサイトを通じ対話していた頃である。そうした応援に気づき、学校も家庭も少女達が何を求めているかを想像するようになった。結果、年齢を重ね、仕事や家庭へと居場所を探すことへと向かてきた。
つまり、つらかったことといった「語るべき過去」があった時代であり、結果として「戻るべき場所」を探すことが出来た時代であった。

当時は「見て見て症候群」と私は呼んでいたが、今でいう「人気者になりたい症候群」と同じである。数年前からネット上の人気者になりたくて、ローソンのアイス用冷凍庫に入ったアルバイト店員の写真をFacebookに公開したり、ミニストップでも同様の事件が続き、東京足立区のステーキハウスではこれも店員の悪ふざけ写真をツィッターに投稿し店舗閉鎖に至り、そうした悪ふざけはついにスーパーの菓子に爪楊枝を混入する事件にまで進んでしまったことがあった。人気者になりたい背景には、その心理には「絆」を失ったいじめ社会があると指摘する専門家もいる。また、「いじめ」を超えるために、自分が他人との違い・優位性を求めることに起因しているとも。それらに符合するかのように、小学校における「いじめ」が急増していると文科省からの発表があった。これは「いじめ」がマスメディアに取り上げられ、教師による認知の成果として表に出てきたということだが、逆に言えば今なお潜在しているいじめは極めて大きく存在しているということだ。

ところで江戸時代末期の「ええじゃないか騒動」であるが、慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動である。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事(祝い事)の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。」とされている。この騒動の実態、特に狂乱とでも言えるような踊りが広がる時代背景・起因については諸説あるが、これといった定説はない。
江戸末期はどんな時代であったかというと、外からは黒船が来航し、各地では志士の倒幕運動が起きた時期であり、内には格差や不正などへの一揆や打ち壊しが頻繁に起き世直しの空気が蔓延していた。300年以上続いた平和が外から内からの力によって崩れ去ろうとした心理が強く働いていたと想像される。ちょうど騒動が起きる40年ほど前に60年に一度の伊勢神宮への「お陰参り」ブームが頂点に達する。当時の日本の人口は3000万人ほどであったが、その内500万人がお伊勢さんに押し寄せたと言われている。こうした江戸の旅ブームは八代将軍吉宗の頃、5街道が整備され街道を歩きさえすれば安全が確保出来ることとなり、庶民も旅へと向かわせることとなった。この時代欧米などでは考えられないほどの平和に満ち溢れた時代であった。江戸の旅ブームには御師という仕掛け人がいて伊勢神宮参拝などの観光案内をしていたようだ。そして、旅ブーム、特に伊勢参りはどんどん過熱し、参拝は集団化していく。これがお蔭参りと呼ばれるもので、「ええじゃないか騒動」の40年ほど前に過熱したブームが頂点に達する。そして、このお陰参りは幕末に向かって徐々に変質していく。前述のように、外から、内からという抑圧や不安がその変質を促すこととなる。そして、世直しという民衆運動へと向かっていくのだが、お蔭参りと同じような旅スタイルに仮装し、幟には、世直しを訴えるスローガンを掲げ、「ええじゃないか ええじゃないか」というお囃子に合わせ、民衆が踊り歩いたというのが実態であったと推測される。幕末という価値観が錯綜し混沌とした時代ならではの「騒動」であったと言える。

さて、今回のハロウィン騒動はというと、単純に重ね合わせることはできないが、「天からの御札」をハロウィンというきっかけに置き換え、お伊勢さんを渋谷という街に、「ええじゃないか」という囃し言葉はないようだが、共に「仮装」し、歩き踊る様は現象としては極めて似ていると言える。江戸時代の「ええじゃないか騒動」を社会に溜まった不安や不満のガス抜きであったという説があるが、渋谷という街に集まった若者は、見知らぬ人間同士がスクランブル交差点でハイタッチする光景を目にすると、まさに集団化しており、自らのガス抜きの踊りに見えてくる。

戦後70年という平和な時代にあって、単なる祭りにおける「馬鹿騒ぎ」の発散であると見るのではなく、鬱屈した何かを抱えていると見るべきだと思う。勿論、ハロウィンをママ友仲間のパーティの一つとして楽しむファミリーもいる。ハロウィンの経済効果が1200億円を超すと言われているように、その市場は広がってはいるとは思う。しかし、渋谷に集まる若い世代の集団の有り様は、やはり単なる若者の憂さ晴らしだけではない感がしてならない。

渋谷における「ハロウィン騒動」は、昔からハロウィンパレードを実施してきた川崎や全国各地で行われたハロウィンイベントとは仮装は同じであっても、異質なものとしてある。ここ数年、ネット上での「悪ふざけ騒動」を見ても分かることだが、「語るべき過去」や「戻るべき場所」を持たない若い世代が増えてきている。まるでネット上という仮想世界に居場所を求め、過去を求め漂流するかのようである。そして、現実世界においても、その漂流場所が渋谷であり、今回はハロウィンという時である。江戸時代の「ええじゃないか騒動」は救いを求める一つの民衆運動であったが、渋谷における「ハロウィン騒動」は居場所を求め、語るべき何かを求める漂流民の騒動であると言えよう。そして、これからも漂流民による騒動は渋谷では起きるということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:13Comments(0)新市場創造