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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年07月01日

劇場化社会の構図

ヒット商品応援団日記No380(毎週2回更新)  2009.7.1.

ブログを始めて4年近くになる。ちょうど小泉郵政選挙の時期と重なり、当時の小泉総理を1個の商品、小泉ブランドとして見立て、その戦略を消費論的に分析したことがあった。その中で使ったキーワードが「小泉劇場」で、劇場化社会におけるブランドの創造と衰退がテーマであった。
劇場化社会とは、異なる言葉で表現すると、高度情報化社会のことで、情報発信という視点に立てば、商品ばかりでなく、街、店、人、勿論広告を含めあらゆるものがメディア(メッセージを伝える媒介)になりうる社会のことである。例えば、秋葉原駅周辺の街はアキバと総称されているが、自分でPCを作るような電気技術系若者、アニメに惹かれ更にフィギュアのコレクションが好き、そうしたチョット変わった若者をオタクと呼び、「電車男」や「メイド喫茶」が話題となり、街自体が一種のブランドを形成するようになる。結果、そんな街を観てみたい、メイド喫茶にも行ってみたい、と観光バスで訪れるようになる。
また、1990年代後半、山姥、ガングロといった婆娑羅ファッションのティーン達は渋谷109を目指し全国から集まるようになる。渋谷の街は彼女達にとっていわばストリート劇場になり、渋谷109はティーンファッションの聖地となる。マスメディアは競って話題として取り上げ、中学校の修学旅行のプログラムに東京ディズニーランドと共にマルキュウが選ばれるようになる。つまり、その街に行けば新しい「何か」と出会える、期待し得る「何か」があると想像する、そんなメディアによって引き起こされる社会のことを劇場化社会と呼んできた。

今また、郵政民営化を地方分権に置き換え、劇場ではなく自らシアターであるとマスメディアに登場したのが、周知の宮崎県知事東国原氏である。既に死語となったサプライズの復活である。私は既に1年半以上前から、劇場化社会は変化し、従来のサプライズ手法が効果を発揮する時代は終えたとブログに書いてきた。情報の時代とは、大量の情報が行き交う時代のことであり、情報も類似化を免れず、あっと驚かせる、一発芸のように差別化するために生まれたのがサプライズ手法である。平易に言えば、話題になりさえすれば、という本音が裏側に潜んでいる。いつしか、そうした刺激は麻痺し、更に刺激はエスカレートしていく。当時、そうしたサプライズ・コミュニケーションを次のように私は書いていた。

「短期的成果を求めた強いインパクト、効率の良いレスポンス、コミュニケーション投資に見合うサプライズ価値、こうしたコミュニケーション世界も、長い眼で見る持続型継続型の日常的対話コミュニケーション、奥行き深みのある実感・体感といった納得価値へと変わっていく。『猫だまし』のような、あっと驚かせて瞬間的に大きな売上げをあげていくビジネスから、小さくても「いいね」と言ってくれる顧客への継続する誠実なビジネスへの転換である。」

実は、この数年間劇場化社会の体験結果が学習され、政治の世界においても私が指摘した通りになりつつある。選挙は短期間の勝負と考える従来のやり方=サプライズ手法(マスメディアでのパフォーマンス)とは異なる選挙結果がここ数ヶ月地方選挙にも出てきた。もっと分かりやすく言うと、タレントの好感度ランキングとは異なる選挙結果ということである。
私は選挙のプロではないので、選挙区事情等は分からないが、横須賀市長選挙の結果などはその象徴例であると思う。元小泉総理の応援を受け、自民、公明、民主の推薦を受けた現職の市長が破れ、無名の33歳元市議吉田雄人氏が当選した。毎日新聞によれば、組織選挙を否定し、駅頭に立ち、地道に、オバマ大統領のように「チェンジ」を訴えたと。そうした活動が、若い無党派層へ浸透した結果であったと。これは推測の域を出ないが、主役は市民であり、脇役は吉田雄人氏、舞台は日常、そんな新しい劇場が生まれてきたと思う。

劇場型コミュニケーションは、その名の通り、舞台があり、主役や脇役がいて、どんなパフォーマンスを行えば観客は喜ぶかシナリオと演出が用意される。小泉劇場第一幕は総裁への予備選が舞台として用意され、自ら奇人変人と呼び「自民党をぶっ潰す」と呼びかけた。主役は小泉純一郎、脇役は女房役の田中眞紀子。観客はマスメディアで、取り上げやすいようにワンフレーズポリシー、予想もしないようなキーワードだけを連発する。さて、4年前の郵政選挙ではどうであったか。構図は全く同じである。主役は小泉純一郎、脇役は「抵抗勢力」であった。抵抗勢力との闘いを自ら持ち込み、マスメディアという観客に投げかける。ワンフレーズのみ、「郵政民営化は是か非か」と。そこには競争相手の民主党はいないばかりか、政策すら無かった。そして、マスメディア、特にTVメディアは一斉に抵抗勢力と刺客との闘いを面白おかしく取り上げる。リアルな権力闘争という芝居ほど面白いものはない。報道番組はお茶の間のワイドショーへと変化していく。

マーケティングをやった人間であればすぐ分かることだが、小泉劇場はNo1ブランド、No1シェアーをもつ者だけに可能な戦略である。トータルシェアーを確保・拡大するために、敢えて自社内競合商品を創り、市場に導入する戦略である。小泉劇場の場合は、抵抗勢力が自社内競合商品ということだ。これからの動きを見ないと断定できないが、宮崎県知事東国原氏を含めた劇場型政治は、衰退しつつあるNo1ブランドを果たして再生することができるであろうか。東国原シアターの主役は東国原知事、脇役は大阪橋下知事(?)、シナリオライターは古賀選対委員長、舞台は東京となるが、しかし本来主役であるべき麻生総理はどこへいったのであろうか。
これから始まる東国原シアターへの評価であるが、私もそうであるが、マーケティングのプロの判断は否である。恐らく、パフォーマンスすればするほど、刺激を強めれば強めるほど、逆方向へと振り子が振れる人間が増加しているからだ。その振り子の中心にあるのは劇場型政治の学習体験である。小泉劇場の体験結果、生活に「何が」生まれたのか、どんな成果が得られたのか、時間経過と共に学習してきたということだ。

ブログを書き始めて以降、ヒット商品の裏側にある生活者の価値観変化の推移を追いかけてきたが、書いたブログの中で一番多いテーマが実は情報偽装に関してであった。耐震偽装事件を始め、実は無数の事件を生活者は目の当たりにしてきた。情報の時代ならではの問題であり、信用できるのは自らの体験ということである。しかし、メディアサーカスが起き、東国原シアターへと報道が集中し、一定期間繰り返されることによって動く人間もいる。劇場化社会の成否はこのメディア・シェアをどれだけ取れるかによる。
政治は未来を描くことであり、そうした意味で期待値そのものとしてある。情報偽装に最も適している世界だ。これからも劇場化社会は続き、新しい、面白い、珍しいというサプライズ欲望は誰しもが今なお持っている。興味本位と見た目で、「何かやってくれそうだ」といった心理に動かされる人間も少なからずいる。しかし、そうした人間も体験を積むことによって少しづつ減っていくであろう。何故なら、一発芸の小島よしおやグーのエド・はるみはどこへ行ったのか。ブランドはその心理効果を失い、アウトレットで買われる時代である。さて、東国原シアターの第一幕が始まった。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:05Comments(0)新市場創造