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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年05月10日

平成世代の幸福観

ヒット商品応援団日記No365(毎週2回更新)  2009.5.10.

5/8の日経MJに恒例となっている日本小売業調査の速報版が載っていた。巣ごもり消費に対する大手流通各社の考えを調査したものだが、結論から言うと「もっと顧客に近づく」ことが問われているとの認識である。それは価格において顧客に更に近づくためのPB化の促進、出店立地=より小さな業態出店やネットスーパーへの取り組みで顧客に近づく、あるいは特売といった売り出しの高頻度化で近づく、問題解決にはスピードを持って近づく、更なる経費の削減・・・・・ちょうど1年前に私はこのブログで安近短という消費キーワードを十数年ぶりに使ったが、まさにこのことが経営の現実課題として認識されたようだ。

前回、昭和と対比する意味で平成世代を取り上げた。その平成世代を私は「20歳の老人」というキーワードをつけてみた。表面的な消費欲望の乏しさだけでなく、多くの人から愛される性格の良さ、競争や闘いを好まない穏やかさ、そうしたことがどこか人生を達観しているかのように見えるからであった。しかし、内側に入れば、老人とは違って何故欲望が乏しいのか、誰彼となく好かれる性格なのか、穏やかであるのか、実はそこに見えてくるものがある。前回、この世代について不満はないが、不安があると書いた。その不安が何故そうなのか、「もっと平成世代顧客に近づく」にはどうしたら良いのか、少し考えてみたい。

ところで、平成世代の内側にある幸福感を見出す視座として、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらが研究したプロスペクト理論を私流に噛み砕いて、幸福観に影響を与える経済的な要因を整理してみた。

(A)絶対的な豊かさ:お金(収入や支出)に対する明確な価値認識
(B)他人と比較した豊かさ:誰と比較するのかによって揺れ動く心理
(C)以前の自分と比較した豊かさ:昭和のいざなぎ景気のように年々収入が増えるという比較実感した豊かさ

上記(B)が、いわゆる格差意識を醸成しているもので、新富裕層市場を産み出した背景である。勝ち組、負け組といった言葉が生まれる背景にもなっている。今回の世界不況によって、この新富裕層市場の多くは崩壊した。しかし、今年の後半位から新新富裕層市場の芽が出てくる事が予測される。
(C)は周知の通り、昭和のいざなぎ景気とは反対に、収入は増えず横ばいもしくは下がる情況で、「豊かさ」という幸福感が乏しいと感じている層だ。価格に対し、極めてシビアな認識と行動をとるのが特徴である。今回の高速料金割引制度で一斉に車で出かけた層である。しかし、予想を超えた混雑に対する学習もしており、毎回同じような消費行動を取るかと言うとそうではない。
(A)の「絶対的な豊かさ」とは、ある意味精神的な豊かさのことである。古くは功成り名を遂げた土光臨調と呼ばれた土光さんのような生き方、「私」を超えた社会価値に基づいた豊かさ実感と言えよう。象徴的に言えば、人生の先が見えたシニア世代の豊かさと言える。

平成世代(実際には25歳以下の世代で物心のつく年齢を平成元年以降とした意味合いで使っている)を見ていくと、絶対的とはいわないが、(A)のような価値観を持つに至っているように私には見える。「私」を超えたというより、「私」を押しつぶし、壊すような大きな時代の転換を目の当たりにした世代だ。政治的にはベルリンの壁崩壊後の米国一国主義による戦争の時代であり、社会経済では競争の時代である。日本ではバブルが崩壊し、多くの旧来価値観が壊れ、しかしゆとり教育を受けて育った世代である。ある意味価値観混乱の当事者ではないが、それらを肌身で感じていたと思う。(B)のような競争を嫌う一種の平和主義者で、しかも人間関係で言えば、愛するより愛されることが自然で楽であると考えている世代だ。しかも、(C)のような未来実感、そんな時代がくるとは思わない醒めた目をもっている。

消費面では、「そこそこ消費」という無理をしない消費で、勿論ブランドなどには全く固執はしない。例えば、シニア世代だとビールはやはりラガーにかぎるといったこだわり志向があるが、それとは逆に、ビールの味に価値を見出すほどの差を感じないので安い第三のビールで十分と考える。女性とデートするにも、チョット無理してホテルで食事をといった消費ではなく、気楽にできる彼女の部屋でデートするといった具合である。勿論、近くのコンビニで第三のビールを買ってであるが、こうした合理性、ある意味安近短の合理性を持っている。ここ数年、若い世代の車離れが指摘されているが、このことも至極当然である。無理して車を所有するより、車を借りるか、もしくは公共の移動手段を利用した方が楽で安く上がる。つまり、所有価値より使用価値を選ぶ合理主義者という訳だ。
新しい、珍しい、おもしろいを求めて「外」へと動き回っていた消費は、収入が増えないという経済事由によって、「内」へ、安近短へと向かう状態、これが「巣ごもり消費」である。しかし、平成世代はその若さから本来であれば未知への体験願望があり「外」へと向かうのだが、最初から醒めた目で「巣ごもり」しており、安近短は至極「普通」のこととしてある。これが平成世代の豊かさ認識で、キーワード的にいうと「小さな幸福」願望とでも言えよう。

最近、妙に平成世代のことが気になっている。日本の未来を映し出している世代と言ってしまえばそれで終わりであるが、生まれた時から続く今ある混乱を醒めた目で見ていると思うからである。それは、平成世代の「私」は時代の大波に翻弄されるがままに「今」があるからだ。私のような団塊世代以下が創った「重し」、既成によって、「小さな幸福観」が表へと出てくることはない。私は「20歳の老人」と呼んでみたが、平成世代を揶揄するつもりではない。よく若者らしさがない、元気がない、草食系男子などと「大人」は言うが、そんなノー天気な楽観主義の世界に平成世代は生きてはいない。平成世代の「小さな幸福観」は、醒めた合理主義に裏打ちされたものだ。その新しい合理主義がこれからどんな顔で社会の舞台に出てくるか注目していきたい。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:43Comments(0)新市場創造